pratiques théoriques

NON RIDERE, NON LUGERE, NEQUE DETESTARI, SED INTELLIGERE

Sunday, January 13, 2002

ボチュル『カントの性生活』(2)

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 mgさん、私も有福さんの授業でレポート書くのに、ウニベルのヘッフェを使った記憶があります。彼の著作はフランスでも四、五冊訳されてるはずです。  彼の『カント実践哲学序論―道徳、法、宗教』(仏語版初版1985年、増補二版1993年)は、著者の言葉を信じるなら仏語訳のために書かれた...
Friday, January 11, 2002

投瓶通信(mg・kへのメール)

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mgさん hfさんの重厚なエッセイの途中で、何かもうしわけないのですが、  こちらこそ毎度ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうか私の文章との関連は気になさらず投稿して下さい。私は投瓶通信のようなつもりでドボンドボンと投げ込んでいるだけですので(しかし、重すぎると沈んでいくだけ...
Wednesday, January 09, 2002

ナンシー『対立の共同体』

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 ジャン=リュック・ナンシーの近著『対立の共同体』(2001年)は、彼の共同体の理論に本質的な変化をもたらすものではない、と私は言った。この評価を撤回する理由は見当たらない。また、「インドや中国」についての大雑把な注記に対する不満も変わるところはない。  しかし、いささか手早く通...
Thursday, January 03, 2002

ボチュル『カントの性生活』(1)

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皆様、あけましておめでとうございます。  旧年中は数々のご迷惑をおかけ致しました。今年は冷静な文章を書くことを目標に精進を続けていく所存です。願わくは、どうか本年も温かいご批判のほどをよろしくお願い致します。 *  甘酒でほろ酔い、コタツでごろごろ、何とはなしにTV、のお正月にふ...
Monday, December 31, 2001

怒りの後で(2)

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* ≪1月のある日、テレビで、僕は怒りを爆発させてしまった。そんなことはするもんじゃない。テレビってのは、丸いメディアだ。裏ではいろいろ企みながら、さも優しげな調子と当たりの柔らかい感じを好む。でもあの日は、スタジオで、善良そうな顔つきをしたあの小男と居合わせてしまったのだ。善良...
Sunday, December 30, 2001

怒りの後で(1)

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Gérard Miller, Après la colère , Stock, 2001.  citéphilo 2001にジャック=アラン・ミレール(以下、JAMと略す)がやってきた。(JAMについてはYSさんがML00780、00781で紹介されています。)  この小文の眼目...
Monday, December 24, 2001

ストラスブール大学神学部(ISへのメール)

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こんにちは。  お話ししていたナンシー・インタヴューのほうは、インターネットでの質問ということになりそうです。まあ私にとってもそのほうが良かったのかなとも思います。 *  ISさん、  ナンシーが西洋哲学の正統な後継者たろうとしているというのは、浅田さんも対談の中で指摘されてまし...

哲学的nulと訣別するために(Kへのメール)

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Jean-Luc Nancy, La Communatué affrontée , éd. Galilée, 2001.  『対立の共同体』の議論は、ざっと読んだかぎりでですが、さして『無為の共同体』から進んだものではありません(ま、そもそもこれは、ブランショの『明かしえぬ共同体...
Sunday, December 23, 2001

対立の共同体(ML・Kへのメール)

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 こんにちは。hfです。励ましのお言葉、ありがとうございました。火事がきて、物理的・精神的な被害はほとんどなかったものの(部屋も本も無事です。メールは自分の部屋から送ってます)、どこか疲れています。  ま、嫌なこと書いても仕方ないので、今楽しみにしてることを書きます。Noésis...
Sunday, June 17, 2001

送られなかった手紙(ロートン、『狩人の夜』について)

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 今日見た Charles Laughton の "La nuit du chasseur"(Night of the Hunter, 1955, US, 1h33) は、久しぶりに当たりでした。問題となっているのは、reality/real/realismで...
Sunday, January 28, 2001

オツベルと象(k00644)

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 おそらく日本人の大半は、宮沢賢治の「オツベルと象」を読んだことがないに違いない。だからこそ、金メッキの太い鎖のついた時計(その実、重石)を「褒賞だ」と首に巻かれて喜んでいられるのだろう。 ≪宗教は、人間が動物に対して持っている本質的な区別に基づいている。したがって動物は何らの宗...
Wednesday, January 24, 2001

近況 (k00642)

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  アレクセイ・ゲルマン の 「我が友イワン・ラプチン」 を見ていたら(東京で観た 「フルスタリョフ、車を!」 は私好みの映画であった)、あの言葉が出てきた。 "Rien n'est fini. Rien n'est meme commencé....
Tuesday, January 09, 2001

フランス現代思想の指標としてのギリシャ三大悲劇

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「王女メディア」を読むために(2)  今は全くの与太話として聞いていただいて構わないのだが、私の主観的な印象では、一般に「古代ギリシャ三大悲劇」として知られる作品は、また同時にフランス現代思想の幾つかの時代を画す形象ないし指標としてみることもできるものである。  まず、三つの作品...
Monday, January 08, 2001

『王女メディア』を読むために (1) (k00641)

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1. メディアとは誰か (ピエール・グリマル『ギリシャ・ローマ神話事典』より、「メディア」の項目)  メディアは、黒海東部にあった古代の王国コルキスの王アエテス(Aeetes)の娘である。したがって彼女は、太陽神ヘリオスの孫娘であり、アイアイエ島に住む魔女キルケの姪である。彼女の...
Saturday, January 06, 2001

pour A. A.(k00640)

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 個人としての浅田彰や彼の軽口、また彼個人に対する陰口にもまったく興味はない。誰にでも好きなライフスタイル・性向を選び取る権利があり、軽口を叩く権利があり、それに対してまた便所の落書きのような陰口を叩く「権利」があるといったことにすぎない。依然として私の興味を引き続けるのは、浅田...
Thursday, January 04, 2001

フェチへの道(3)「フェティッシュ」の歴史

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「フェティッシュ」という語の起源と「フェティシズム」という概念の発明  「フェティッシュ」という語は、ポルトガル語のfeiticoから来ている。このfeitico自体は、「人工の」を意味し人間の巧みと自然との共同制作物であるものに適用されるラテン語のfacticiusに由来する。...
3 comments:
Wednesday, January 03, 2001

フェチへの道(2)広末(k00639)

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(…)などと書いていたら、数時間を経た(同じ日の)今はすっかり(本当に雲ひとつない)青空が広がっている。リールの天気は変わりやすい。 >>isさん、了解しました。遠慮なく(笑)、やらせていただきます。 (承前) 教科書的おさらいを差し挟んで申し訳ないが、『ドイツ・イデ...

たどり着かないということにたどり着く。(k00638)

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 友人snに、ある翻訳の解説の一部となるべき次のような文章を書き送った。 ≪今の日本の哲学界には、冒険者の向こう見ずな好奇心に喩えられるべき新たなパースペクティヴへの意志と、哲学的伝統の中に埋もれた興味深いものを見つけ出してくるためには労をも厭わぬという、いわば知的肺活量とでも言...
Sunday, December 31, 2000

フェチへの道(1) SMにおける「命令」(k00635)

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 昨日から降り始めた雪が、今日になって、その勢いを急激に増している。雪は音を吸い込んで静寂をもたらしてくれるので好きだが、それは暖房が完備された部屋にいる場合である(花田清輝がデカルトだったかスピノザだったかの「foyer」を皮肉っていたのを思い出す)。リール人たちは口をそろえて...
Friday, December 29, 2000

イデオロギーと宗教的なもの(k00633)

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「マルボウ」(SM)の第5章の一部を訳出してみる(pp.236-237.)。ここでの翻訳は合田正人風、すなわち教育的なくどい訳で行ってみる。ちなみに鵜飼訳はもう少しあっさりしているが、やはり同じ路線である。教育的といえば、あの篠田カントの訳註(他のカントのテクストから参照個所をじ...
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