pratiques théoriques

NON RIDERE, NON LUGERE, NEQUE DETESTARI, SED INTELLIGERE

Tuesday, April 29, 2008

条件付きの大学

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告知をするのを忘れてましたが、 「条件付きの大学――フランスのエリート教育の光と影」 というタイトルで発表をします。詳細は こちら 。 4月30日(水)18:00‐20:00 の予定です(倒れない限り…)。 基本的におフランスな感じにもフランス地域研究みたいな感じにもならないので...
Monday, April 28, 2008

野球漬け

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自分で自分を追い込んでいる?わざと苦しい方を選んでいる?そうかもしれない。しかし何にせよ信じた道を進むほかないのではないか。静脈注射とレーザー治療の日々。 苦しいからこんなものしかできません、ではなく、 苦しくてもこんなことまでできます、になれるように。 *** 岩田稔 と原江里...
Sunday, April 13, 2008

オプティミズムの重さ

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ベルクソン情報 ・2007年4月にトゥールーズで行われた日欧シンポジウムのヴィデオがようやくウェブ上に 公開 された。 * ベルクソン研究。相も変わらず「有限性」概念の周囲をうろうろしている。ベルクソンは「エラン・ヴィタルは有限である」と倦むことなく繰り返すが、その正確な射程はど...
Sunday, April 06, 2008

カミュの「婚礼」

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ふたたび走り出そうとした瞬間にまた病がぶり返す、その繰り返し。 今日はようやく以下のエッセイに目を通せただけ。 結婚論  『結婚』(高畠正明訳)と訳されたカミュのエッセイの原題は Noces 。1936-37年に書かれ、39年に初版がごく小部数刊行されたというこのエッセイの主題は...
Saturday, April 05, 2008

的確な挑戦

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6月にブラジルで行われるベルクソン・シンポジウムに正式に招待されることになった。9月にパリで行われる生命倫理のシンポジウムは迷った末、辞退することにした。 前者は、自分の研究スタイルが国際的に認められるよう引き続き挑戦を続けていくため、承諾した。後者は、錚々たるビッグネームが並ぶ...
Friday, April 04, 2008

メデアにおける感情の振動

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最近岩波が出している幾つかの哲学系の双書・叢書にはまったく興味が持てないのだが、 神崎繁(かんざき・しげる) さんの 『魂(アニマ)への態度―古代から現代まで』(岩波書店、双書《哲学塾》、2008年3月) には興味を惹かれた。 「ギリシャ悲劇からキリシタン版まで、創造的な誤読の歴...
Tuesday, April 01, 2008

ロンドン・ワークショップ2008

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ベルクソン研究の日。「有限性」概念について、ありがちな死の側からではなく、もう一方の端である誕生の側から探るため、ダスチュールが挙げていたアレントの『人間の条件』をざっと読んでみたのだが、これといった発見はなし。ベルクソンに何度か言及している。ドイツの思想家がベルクソンに言及する...
Thursday, March 27, 2008

教育のパラドックス

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「教育の哲学、哲学の教育」の日。 『現代思想』、増頁特集《教育のパラドックス》、1985年11月号所収の木村敏+柄谷行人の対話《他者に教えること》(188-206頁) 読了。幾つかポイントを。 1・「語る‐聞く」という水平で対称的な関係が成立するためには、「教える‐学ぶ」という垂...
Wednesday, March 26, 2008

読書リスト(現象学)

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生き抜いていけるだろうか、このタフな一年を? 四月:「哲学と大学」で発表予定。 5月24日:仏文学会で発表予定「言葉の暴力II」。 六月:某所で発表予定?「bとlにおける物質と記憶II」 九月上旬:フランスの某シンポで発表予定。「ベルクソンとオモダカ」 十月上旬:日本でベルクソン...
Tuesday, March 25, 2008

有限性をめぐって(4)有限性と出生

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体を騙し騙し、イヴェントに出席。 3月17日、水月昭道、『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』に関するワークショップに参加。 3月22日、日仏哲学会に出席。 3月23日、ベルクソン哲学研究会に出席。 3月24日、村上靖彦さん『現象学者レヴィナス』( Lév...
Monday, March 17, 2008

申し訳ない。

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今日は、某学会関東支部大会があり、多くの友人・知人が発表していたのだけれど、体調がすぐれず、聴きに伺うことができませんでした。
Sunday, March 16, 2008

救いの島(母語を離れる)

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《ジッドは言った。「だが、今日のうちにあなたに、ドイツ語に対する私の関係について、いくらか話しておきたいのだ。 私は長いあいだ、ひたすらドイツ語と集中的に取り組んだのだが[…]、その後、十年間、ドイツ語に関する諸々をうっちゃっておいた。英語が私のすべての注意力を奪っていた。 さて...
Saturday, March 15, 2008

日本のオペラ、日本的なオペラ

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今更ながらに村上さんの 2007年5月4日のポスト に対するレスポンスを(お忙しいさなか、レスを求めているわけではありませんので)。 村上さんには私もひとかたならぬ敬意と親愛の情を抱いています。近すぎず遠すぎず、今のような(従兄弟のような?)関係を「上方行き」の後も続けていけたら...
1 comment:
Thursday, March 13, 2008

68年―40周年

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締めに向かって進んでいた「哲学と大学」、体調がさらに悪化し、中座を余儀なくされました。悪しからず。 友人gsbとawlからそれぞれJEとゼミについての告知。 フランスでは若手の友人たち(20代~30代)がシンポの司会を仕切って、上の世代が発表に精を出すのはごく普通のことです(むろ...
Wednesday, March 12, 2008

哲学者の土曜日(6)金曜日のデリダ

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2.金曜日のデリダ 《脱構築が一つの分析や一個の「批判」と常に区別されるのは、それが言説やシニフィアン表象だけでなく、堅固な構築物、「物質的」な制度に関わるからである。そして、関与的であるために、それは、哲学的なるもののいわゆる「内的」な配列が、教育の制度的形態と条件と、(内的に...
Tuesday, March 11, 2008

哲学者の土曜日(5)日曜日から金曜日へ

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二つの目の参照軸は、 ネグリ+ハート の 『帝国』 です。この本には様々な読み方があるでしょうが、私にとってこの本の中心概念の一つは、《非物質的労働 travail immatériel》です。 農林水産業中心のパラダイムから産業革命後の工業中心のパラダイムへの移行、社会の工業化...
Monday, March 10, 2008

哲学者の土曜日(4)日曜日の脱構築

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日本の日常:日曜の頽落 要するに、このグローバリゼーション状況下にあって、日曜/日常、聖なるもの/日常的なもの、余暇/労働の伝統的な二項対立図式を保持したまま、利害を超越した大学ないし哲学の真理探究という《無用の用》の側面、《日曜日》の側面を特権視するだけで、絶えずさらなる有用性...
Sunday, March 09, 2008

哲学者の土曜日(3)日曜日のヘーゲル

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1.日曜日のヘーゲル ではさっそく大河内さん、西山さんの発表の核になる部分を振り返り、それを適宜延長することで大場さんの発表との刷り合わせを試みてみたいと思います。 大河内さんの発表「教養・体系・国家:ヘーゲルにおける大学と哲学」の中心を占める鍵概念も、何といっても有名な《生活[...
Saturday, March 08, 2008

哲学者の土曜日(2)教育、哲学の他者?

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フーコー・ドゥルーズ・デリダにおける哲学・教育・政治 これが二流・三流の哲学者――カンブシュネールは、magistralités secondairesとか「疲弊しきったパラダイム内部で営まれるクーン的な「通常科学」の意味での「通常の」活動」といったソフトな表現を用いていますが、...
Friday, March 07, 2008

哲学者の土曜日(1)哲学・教育・政治の三位一体

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2月24日、 シンポジウム《哲学と大学―人文科学の未来》 に参加。そこで喋ったことを(時間の都合上喋れなかったことも含めて)ここに再構成しておく。 *** 大河内さんが会の冒頭で予言されたように、彼がヘーゲルで《トス》を上げて、西山さんがデリダで《アタック》という展開で前半を終え...
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