うかつな言葉を口走り、付け加えていく言葉の一つ一つがまたうかつ、というまるで火だるま首相のような有様で気が滅入ってしまいますが、まあ自業自得なのでしょうがない。めげずにとにかく書いて書いて、ただされるべきはただされていく、という形でいくしかない。グラックは、En lisant, en écrivantですが、私は当分 En écrivant, en m'excusantないしEn écrivant, en étant rectifiéです。ともあれ、 「喋る人」であれ「もの書く人」であれ、きちんと自分の言いたいこと、言いたかったことを最後まで伝えようとしなくては。
1)
そういうお世辞ないし反語はどうか勘弁してください。
私は、「浅田的図式」が産み出された瞬間においてその新しさを評価しなければならないのではないか、という問いを提起したわけですが、ysさんはそれに対して、その図式の先に「アポリア」を考え抜くことが重要であり、そのような行為だけが思想と呼ばれるに相応しいと言われた。
この議論の延長上で、私は、幾つかのエッセイや対談においては、浅田的チャート化はそのような地点に到達しているのではないか、と答えましたが、そのとき念頭にあったのは、ゴダールの「新ドイツ零年」についてのエッセイやジュネあるいはコクトーについての対談でした。
そこで、とりわけ20世紀フランス文学の領域の対談・エッセイが提起する図式に関して、「20世紀について一通り知っていると想定される仏文学者」としてrkさんに尋ねてみたい、と言ったわけです(「知っている」と想定されなければ、尋ねられないので)。
したがって「一読者として読む」と言われると、≪批評家―研究者≫という単純な対立図式(これについては後で触れます)から逃れて読むという宣言でしょうから、それはそれでまったく異論はないわけなのですけれども、今言った文脈からは逸れるように思います。
うかつな言葉を使ってしまったかもしれませんが、言いたかったのは以上のようなことです。「気鋭の」を「20世紀フランス文学について常識を備えていると判断される」に置き換えれば、「お世辞ないし反語」ではなくなるでしょうか。いずれにせよrkさんの見解で結構なのですが。
2)「知的筋力の硬直を自分が今いる場所のせいにしてしまってよいのかな、と思ってしまいました」。うーん、そう読まれてしまってもしょうがないかもしれません。
東京にいると脳溢血になりそうで…もうすでに脳硬化が加速している次第で、知的筋力を増強するにはまだしばらく時間がかかりそうです。
と書いたとき、「脳溢血」というのは、授業などで基本事項(知識、発表作法など)を徹底するべく(院生の間で共有されるべく)、せわしなく動いていて(授業に介入し、読書会を組織し)倒れそうということ、けれど、基本確認にかまけて肝心の自分の頭で考えることがお留守になっているというのが「脳硬化」というつもりだったのです。
したり顔の専門研究者か、浅田・柄谷・蓮見を論じる知的批評家か、その二者選択しかないとしてしまうところがすでにある種、硬直してたのでは?
次のような言葉は≪研究者―批評家≫の二項対立ではなく、≪「身過ぎ世過ぎに汲々として情熱を失っている人=脳硬化の人」―「うるさく、元気な人」≫のつもりだったのですが、確かに不用意であったかもしれません。
面白そうな人はいますか。少なくとも「うるさい」「元気な」人はいますか。いつしか、そういうタイプを忌み嫌い、避け、かつては自分もそうであった過去を努めて隠蔽・抑圧しようとし、したり顔の専門研究者として身過ぎ世過ぎしていくようになるのだと違和感なく納得してしまっている自分――常に再び「蛮勇」を!浅田さんを論じようとするのは、そのような意図の下にです。
しかし、私が≪研究者―批評家≫という対立で考えていないことは、次の言葉の後半部から読み取っていただけるのではないでしょうか。
東京は≪ディドロ読み≫以外はつらいものがあるという状況です。各専門内で興味深いことをやっている人はいますが、そしてそれで良いといえば良いのですが、「ある専門内で徹底的に面白い研究は、必ずや他の分野の見識ある人の目に止まらないはずはない」などと言ってしまうと素朴にすぎるでしょうか。「東京にいると脳溢血」と「東京は…つらいものがある」という表現を結ぶと、rkさんから受けたようなお叱りがでてくるのはよく分かります。けれど、「つらいものがある」というのはより突っ込んで言えば、少なからぬ人々がごく限られた領域から出る努力をせず、そのために授業や発表などで議論の共通の枠組みが一向に形成されない、また視野の狭さゆえに、その人自身のパースペクティヴが広がりをもったものにならないということであり、そのような潮流に抗するために私は私なりに色々試み、しかしうまくいかないからこそ「つらい」わけです。
一例だけ挙げれば、私は今年、デリダを餌に院生達にマルクスを読ませようと企みました。 Spectres de Marxをテキストに、一方ではバリバールの『マルクスの哲学』、イーグルトンの『イデオロギーとは何か』などを用いて大雑把にマルクス主義の歴史的文脈をおさえつつ、他方で『共産党宣言』『ドイツ・イデオロギー』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』『資本論』(第1巻・第1篇)などで実際にマルクスを読んでいくという形で、途中で三宅芳夫さん(近頃、岩波から『知識人と社会』を出された)を呼んでマルクス主義とサルトルについてフランス文学と交錯させつつ話してもらうなどしながら、一応ハードにやったわけです。≪現代思想≫に興味があった人もなかった人もいましたが、ちゃんと読むというのはこういう形で読むということだ、と実践的に示したかったのです。
しかし、以上のような成果をあげつつ、この会は4月で空中分解しました。私はこういう文脈の上で「つらい」と言っているので、決して、何もせずに「あの人はいい、他の奴は駄目だ」などと高みから物を言っているわけではありません。「つらい」というのは、繰り返しますが、一緒に共通認識の地盤を広げていきたい、「必ずや他の分野の見識ある人の目に止まらないはずはない」「ある専門内で徹底的に面白い研究」を増やしたい、ということです。
いずれにしても、自分の硬直を状況のせい、人のせいにしてはいけない。場所が人を縛り、染め、育てるとはいっても、またそのような「場所」のあり方に敏感であるべきだと考えて、私が実際に「介入intervention」しているとしても、どのような場所を選ぶか、そしてそこでどのように振舞うかは最終的にはその人の責任においてなされるほかはないのですからね。それに、面と向かって批判する以外は「批判」の名に値しないのであって、ここでいうのはお門違いでしたね。また場所を変えることで、頭を切り替えるきっかけを掴みたいものです。
また長くなってしまいました。火だるまの火が少しでも鎮火されればよいのですが。ではまた。
p.s.場所の力、場所の記憶が持つ力。私が行くリールの近郊の町Charleville-Mézièresは、ランボーが生まれた町です。できれば近いうちに「田舎者ランボー」(井上究一郎)について考えてみたいと思います。