Suzanne de Brunhoff, La monnaie chez Marx, Editions sociales, Paris, coll. « Problèmes », 1re éd. 1967 ; 2e éd. 1973.
シュザンヌ‐シモーヌ・ド・ブランノフは経済学者で、現在directeur honoraire de recherche au CNRS。ネット上でざっと見た限り、今でもATTACKなどの活動に積極的に関わっているようだ。幾つかの著書を挙げれば、
-Capitalisme financier public (influence économique de l’Etat en France 1948-1958), S.E.D.E.S., 1965.
-L’Offre de monnaie (critique d’un concept), éd. Maspero, 1971.
-La Politique monétaire : un essai d’interprétation marxiste (avec la collaboration de Paul Bruini), PUF, coll. « Sup » série « L’Economiste » no. 30, 1974
マルクス貨幣論研究の歴史における本書の位置づけについては、フィリップ・アンソニー・オハラ(Phillip Anthony O'Hara。2000年現在、オーストラリアPerthにあるCurtin University of Technology の経済学部Associate Professor)が、アニトラ・ネルソンの著書(Anitra Nelson, Marx's Concept of Money: The God of Commodities. London and New York: Routledge, 1999.)に関する書評(Money and Credit in Marx’s Political Economy and Contemporary Capitalism)のなかで簡潔にまとめてくれている。
http://www.cbs.curtin.edu.au/files/cbsstaffpublications/Money_and_credit_in_marx_s_political_ecomony_and_contemporary_capitalism.doc
それによれば、近年マルクスの貨幣・信用分析に関する良質の論文は何十本と発表されているが、モノグラフィーとしてはわずかに三冊を数えるばかりである。
1967年に初版、1973年に新たに「あとがき」を付して第二版が公刊されたド・ブランノフの『マルクスにおける貨幣』こそ、まさにその先陣を切った輝かしい書物である。早くも1976年にはDuncan Foleyの序文を付して英訳版"Marx On Money"が出ていることからも、その先見の明並びに分析の確かさが覗える。この小冊子は「はじめて幾千もの学者たちをマルクスの貨幣分析へと誘ったきわめて重宝な研究(serviceable work)」であり、そこでド・ブランノフは、マルクスの貨幣に関する「一般性のある」「完全な」理論を、次いで貨幣資本の循環(circuit of money capital)、信用、そして経済循環(business cycle)を研究している。
ほとんど二十年余り後の1990年、Pichit Likitksomboonは、ケンブリッジ大学において、Bob Rowthorneのもと、Marx's Theory of Money: A Critiqueで博士号を取得した。彼もまた、マルクスの業績における貨幣の中心的役割を認めているが、それがいかに弁証法的方法にもとづいているかを強調している点で、またさらにはマルクスの貨幣分析の不十分さを批判し改良のための研究プログラムを提案している点で、ド・ブランノフとは大きく異なっている。Likitksomboonは、とりわけ資本主義の主要な矛盾、経済恐慌・循環(cycles)の出現、資本の循環(circuit)、非生産的活動(unproductive activities)や財政的不安定性(financial instability)に関して、分析を進めようとしているようである。
そして、最後の三番目の著作が、書評の主要対象であったアニトラ・ネルソンの『マルクスの貨幣概念』である。ネルソンは、初期のいわゆる疎外論的な諸著作から、Grundrisse『経済学批判』を経て、資本論三巻に至るまでのマルクスの分析を概観・批判している。彼女の主要な仮説は、マルクスの貨幣理論は次の二つの理由から疑わしいものだというものである。第一に「money-commodity(金)」 にもとづいているがゆえに、そして第二に唯物論的であるというよりは観念論的である弁証法的方法を採用しているがゆえにである。ここからして、マルクスは おそらく資本主義下における貨幣に関する現実的で実際的な分析を発展させることに失敗したのではないか、という結論が出てくる。しかし、幾人かの近代マル クス主義者たちは、当然のことだが、「commodity-money」理論や過度に弁証法的な方法を避けようと努めつつ、総じてより好意的な見方をとっている。(この後、ネルソンの著作の詳細な要約があるが割愛)
バリバールは、「物心性の仮象を生み出す商品と通貨の流通についての最良の叙述」として、彼の『マルクスの哲学』初版のなかでは、« Le langage des marchandises », in Les rapports d’argent, PUG/Maspero, Paris 1979.とともに、この『マルクスにおける貨幣』を挙げていたが、『マルクスの哲学』第二版では、これを削除し、代わりにアラン・リピエッツのLe monde enchanté. De la valeur à l’envol inflationniste, La Découverte/Maspero, Paris, 1983.を挙げている。
また、ドゥルーズ=ガタリは、『ミル・プラトー』の中で、彼らが「銀行権力pouvoir bancaire」と呼ぶもの(世銀や各国の中央銀行など)の諸相に関して、ド・ブランノフの『貨幣供給L’Offre de monnaie』(surtout pp. 102-131)を参照させつつ、こう言っている。「貨幣-融資の流れ、すなわち貸付金(monnaie de crédit)が取引の総額(masse)を参照させるとして、銀行が管轄するのは、この造り出されたmonnaie de créditを、切片的な=個々の所有されるmonnaie de paiementに変換すること、つまり、それ自体切片化された=個別の財を購入するための金属通貨ないしは国定通貨に変換する作業だということになる(金利の重要性はそこに関係する)。したがって銀行が管轄するのは二つの貨幣の変換、すなわち支払通貨の切片を等質な集合(=monnaie de crédit)に変換すること、また支払通貨を何らかの財に変換することである」(邦訳、259-260頁)。