Tuesday, September 28, 2004

アグレグ

ssさん、早速の赤ペン先生ありがとうございました。

それにしても、フィヒテですか。これまたヘヴィーなものを読み始めましたね。

最近、目的論(finalisme, téléologie)の歴史に取り組んでいて、「使命Bestimmung」という概念は、重要なのではないかと思っているのです。実際、ベルクソンの「destination」との類似は、すでに指摘されてますし、ベルクソンの『人間の使命』講義も出版されてます(これもアグレグ受験生向けの講義だったわけで、「たかが試験」と侮れません)。

近いうちに、フィヒテの学問論はちゃんと読もうと思ってますが。

これまた「使命」ですが、「学者の使命」「学者の本質」ですね。私はたまたま岩波文庫の復刊を持ってきているのですが、これは「所有propriété」というまったく別のテーマのためです。フィヒテは、カントとともに「著作権」概念を哲学的に精錬したはしりですからね。これについては、いろいろ面白い話があるのですが、またの機会に。

agrégation のシステム

これは私も常々興味を持っている事柄で、これを機会に小文をしたためようと思っておりますが、取り急ぎネットで見つけた以下のサイトをご紹介します。ごく簡単な沿革なら
http://fr.wikipedia.org/wiki/Agr%C3%A9gation
 

試験科目の詳細に関して、89年から93年までの分だけなら
http://www.ac-grenoble.fr/PhiloSophie/rapports_jurys/rapports_de_jury.htm

sujets
に関してなら、1949から1999までですが(Ch.ゴダン作だそうで、あれだけ分厚い本を続々出す上に、こんなことまでやってるとは。。)
http://www.edutemps.fr/fr/PHIprogannales2.htm
 

1802
年から1950年までのアグレグの全合格者リストなどというとんでもないものもあります。
http://www.inrp.fr/she/chervel_laureats.htm
 

リールではいろいろお世話になりました。今度はぜひベルリンに遊びにきてください。

連れ合いに言質を取られたことでもあり、ぜひ行かせていただこうと思っております。ssさんは三月末までのご予定でしたっけ?ではでは、長文乱文失礼。hf

ブラノフ、『マルクスにおける貨幣概念』

Suzanne de Brunhoff, La monnaie chez Marx, Editions sociales, Paris, coll. « Problèmes », 1re éd. 1967 ; 2e éd. 1973.

シュザンヌ‐シモーヌ・ド・ブランノフは経済学者で、現在directeur honoraire de recherche au CNRS。ネット上でざっと見た限り、今でもATTACKなどの活動に積極的に関わっているようだ。幾つかの著書を挙げれば、

-Capitalisme financier public (influence économique de l’Etat en France 1948-1958), S.E.D.E.S., 1965.

-L’Offre de monnaie (critique d’un concept), éd. Maspero, 1971.

-La Politique monétaire : un essai d’interprétation marxiste (avec la collaboration de Paul Bruini), PUF, coll. « Sup » série « L’Economiste » no. 30, 1974

マルクス貨幣論研究の歴史における本書の位置づけについては、フィリップ・アンソニー・オハラPhillip Anthony O'Hara2000年現在、オーストラリアPerthにあるCurtin University of Technology の経済学部Associate Professor)が、アニトラ・ネルソンの著書(Anitra Nelson, Marx's Concept of Money: The God of Commodities. London and New York: Routledge, 1999.)に関する書評(Money and Credit in Marx’s Political Economy and Contemporary Capitalism)のなかで簡潔にまとめてくれている。

http://www.cbs.curtin.edu.au/files/cbsstaffpublications/Money_and_credit_in_marx_s_political_ecomony_and_contemporary_capitalism.doc

 それによれば、近年マルクスの貨幣・信用分析に関する良質の論文は何十本と発表されているが、モノグラフィーとしてはわずかに三冊を数えるばかりである。

 1967年に初版、1973年に新たに「あとがき」を付して第二版が公刊されたド・ブランノフの『マルクスにおける貨幣』こそ、まさにその先陣を切った輝かしい書物である。早くも1976年にはDuncan Foleyの序文を付して英訳版"Marx On Money"が出ていることからも、その先見の明並びに分析の確かさが覗える。この小冊子は「はじめて幾千もの学者たちをマルクスの貨幣分析へと誘ったきわめて重宝な研究(serviceable work)」であり、そこでド・ブランノフは、マルクスの貨幣に関する「一般性のある」「完全な」理論を、次いで貨幣資本の循環(circuit of money capital)、信用、そして経済循環(business cycle)を研究している。

ほとんど二十年余り後の1990年、Pichit Likitksomboonは、ケンブリッジ大学において、Bob Rowthorneのもと、Marx's Theory of Money: A Critiqueで博士号を取得した。彼もまた、マルクスの業績における貨幣の中心的役割を認めているが、それがいかに弁証法的方法にもとづいているかを強調している点で、またさらにはマルクスの貨幣分析の不十分さを批判し改良のための研究プログラムを提案している点で、ド・ブランノフとは大きく異なっているLikitksomboonは、とりわけ資本主義の主要な矛盾、経済恐慌・循環(cycles)の出現、資本の循環(circuit)、非生産的活動(unproductive activities)や財政的不安定性(financial instability)に関して、分析を進めようとしているようである。

そして、最後の三番目の著作が、書評の主要対象であったアニトラ・ネルソンの『マルクスの貨幣概念』である。ネルソンは、初期のいわゆる疎外論的な諸著作から、Grundrisse『経済学批判』を経て、資本論三巻に至るまでのマルクスの分析を概観・批判している。彼女の主要な仮説は、マルクスの貨幣理論は次の二つの理由から疑わしいものだというものである。第一に「money-commodity(金)」 にもとづいているがゆえに、そして第二に唯物論的であるというよりは観念論的である弁証法的方法を採用しているがゆえにである。ここからして、マルクスは おそらく資本主義下における貨幣に関する現実的で実際的な分析を発展させることに失敗したのではないか、という結論が出てくる。しかし、幾人かの近代マル クス主義者たちは、当然のことだが、「commodity-money理論や過度に弁証法的な方法を避けようと努めつつ、総じてより好意的な見方をとっている。(この後、ネルソンの著作の詳細な要約があるが割愛)

バリバールは、「物心性の仮象を生み出す商品と通貨の流通についての最良の叙述」として、彼の『マルクスの哲学』初版のなかでは、« Le langage des marchandises », in Les rapports d’argent, PUG/Maspero, Paris 1979.とともに、この『マルクスにおける貨幣』を挙げていたが、『マルクスの哲学』第二版では、これを削除し、代わりにアラン・リピエッツのLe monde enchanté. De la valeur à l’envol inflationniste, La Découverte/Maspero, Paris, 1983.を挙げている。

また、ドゥルーズ=ガタリは、『ミル・プラトー』の中で、彼らが「銀行権力pouvoir bancaire」と呼ぶもの(世銀や各国の中央銀行など)の諸相に関して、ド・ブランノフの『貨幣供給L’Offre de monnaie(surtout pp. 102-131)を参照させつつ、こう言っている。「貨幣-融資の流れ、すなわち貸付金(monnaie de crédit)が取引の総額(masse)を参照させるとして、銀行が管轄するのは、この造り出されたmonnaie de créditを、切片的な=個々の所有されるmonnaie de paiementに変換すること、つまり、それ自体切片化された=個別の財を購入するための金属通貨ないしは国定通貨に変換する作業だということになる(金利の重要性はそこに関係する)。したがって銀行が管轄するのは二つの貨幣の変換、すなわち支払通貨の切片を等質な集合(=monnaie de crédit)に変換すること、また支払通貨を何らかの財に変換することである」(邦訳、259-260頁)。

Monday, September 27, 2004

哲学の「重み」

 加藤周一は、『読書術』(初版光文社1962年、再版岩波同時代ライブラリー1993年)のなかで「抄録」の危険性についてこう言っている。

「絶えず抄録ばかりを読んでいると、物事をはじめから終わりまで考える習慣がなくなるかもしれません。 要領らしきものだけがわかって、全体がわからない。いや、要領がわかればよいほうで、そういうことを繰り返しているうちに、与えられた全体から自分で要領 を取り出すという、おそらく人間の知的な能力のなかで、もっとも大切な能力がにぶくなってくる可能性さえあります」(115頁)。

この「抄録」を、「チャート式思考法」と置き換えたら、どうなるだろうか。「抄録だけで出来上がっている人間の頭」にとって、物事に「浅薄にしか触れないという習いの性となるのを避けがたいでしょう」(同上)。別に浅田彰だけではないし、柄谷行人、東浩紀、山城むつみ、などなどだけではない。日本の思想界全体に蔓延する傾向である。

  チャート式に頼るということが問題なのではない。その意味では、上に挙げた人々は皆、自分で自分なりの要領を取り出すという「人間の知的な能力のなかで最 も大切な能力」を失ってはいない。問題は、思考のなかにはあたかもチャート式しか存在しないかのように見なす、情報量の圧縮と思考の密度を取り違える、「要するにカントというのは」と三言で片づけられることが評価されるべきことであるかのような雰囲気こそが問題なのだ。そして、このチャート式の態度は、実に旧制高校的遺制の生き残りである加藤周一ら旧「岩波文化人」から現在の最も「クール」な現代思想のスターたちに至るまで、見事に一貫している。「物事をはじめから終わりまで考える習慣」、執拗に徹底的に思考する態度こそが「哲学」の根幹を成すものであってみれば、日本の思想界に蔓延するきわめてアメリカ的な、プラグマティスト的な、効率のよい「思考術」と見事な親和性を示して見せた日本の「掘立小屋の思想」(柄谷)こそ、その対極にあるはずのものであり、柄谷が「建築への意志」を語りたいならば、まず彼の論述スタイル=思考スタイルから変えねばならないはずではないか。この意味で、福田和也の指摘はきわめて正鵠を射ている。

「柄谷行人氏の批評の力は、抽象化による徹底性にある。(…)この批評文の魅力は、一つの概念や通念を単純に否定するだけでなく、連鎖的に論理の足場を崩していくスリルと徹底性にある。だが論理の徹底性が、そのまま柄谷氏の批評の魅力となっているわけではない。論理が縦横無尽に活動する様子を、あたかも現在、 眼前で展開されているかのように叙述してみせる文章の仕掛けにこそ魅力がある。(…)この効果を生み出すために柄谷氏は、文章から余計な装飾やエピソードを剥ぎ取って、あたかも裸形の思考がそこにあるかのように装った。(…)その工夫の中核をなすのが、文章の抽象性であることは言うまでもない。(…)柄谷氏の批評文は、観念と概念、一般性と普遍性、単独性と個別性、社会と共同体といった語彙を併置して、その差異を批評意識の立脚点にし、ドラマトゥルギィを作り出している。批評文は、並置された言葉の差異を様々な角度から論じ、またその差異の視点から多様な通念を分析するという形で構成されており、二項対立の内在的エネルギーによって批評文は動いていくために、読者は批評文の「外部」を忘れて、叙述に身を預けることができる。二つの言葉は、単に批評というドラマを作り出すために並べられたのであるから、並置される語に柄谷氏が付与した意味は、批評の文脈を離れればほとんど意味がない。ただ氏の批評文の中での、今一つの語との差異にのみ批評性があり、またその差異にのみ拘ることで柄谷氏の批評は卓越した抽象力を獲得した」(福田和也、「柄谷行人氏と日本の批 評」、『甘美な人生』所収、初版1995年、新潮社。ちくま学芸文庫版、2000年、25-27頁)。

し たがって柄谷を「形而上学的エッセイスト」、あるいは彼自身が望むように「批評家」と称することはできる。しかし、彼を「思想家」、ましてや「哲学者」と呼ぶことはできない。そこには真の思考がもつある種の「重さ」が欠けているからだ。penserはpeserと同じ語源を持つ。彼が過去の自分の議論を否定しながら軽やかに移動するのは、単に、同じ場所に居続けることを可能にする確固とした議論が展開できなかったからにすぎない。

こう言えば、おそらくすぐにニーチェやドゥルーズを持ち出してくるであろう反論が予想される。柄谷の思考は「軽やか」な思考の「舞踏」なのだ。重苦しい「形而上学」とは縁を切った新たな「思考」なのだ、と。しかし、フランス現代思想の精華たる「ドゥルーズ・フーコー・デリダ」と「ヌーヴォー・フィロゾーフ」たちが異なるように、やはり思考の質の違いというものがある。「日本の土俵のなかで考えるならば、相対的に柄谷は優れている」といった言い訳は止めるべきなのだろう。問題は、その土俵そのものの「傾き」なのだから。

Saturday, September 25, 2004

タルド、『メーヌ・ド・ビランと心理学における進化論主義』

Gabriel Tarde, Maine de Biran et l’évolutionnisme en psychologie, avertissement d’Eric Alliez, préface d’Anne Devarieux, Institut d’édition Sanofi-Synthélabo, Paris, collection « Les Empêcheurs de penser en rond », 2000.

1882年にとある学会で発表されて以来、実に一世紀以上入手不可能なものとなっていたガブリエル・タルドの論文「メーヌ・ド・ビランと心理学における進化論主義」が、事実上ほとんど初版のような形で、今回「ガブリエル・タルド著作集」の一環として刊行されることになった。

1876年、すなわちメーヌ・ド・ビラン(1766-1824) の死後ほぼ五十年後に執筆されたこのタルドの論文は、「努力」というビラン哲学の原初的事実に関する最初期の、そして重要な批判的分析の一つである。この 論文はまた、タルドに捧げられたオマージュのなかで用いられたベルクソンの言葉によれば、「哲学者たろうとしてでなく、そのようなことを考えることすらな しに」哲学者であったタルドの思想界へのはじめての正式な参加を示すものでもある。こうしてタルドは「われわれにかくも多くの地平を開いてくれたのであっ た」。

同時代人たちを揺り動かしていたさまざまな議論の光の下でメーヌ・ド・ビランに問いかけることで、この研究は、ある概念の歴史における一つの重要な契機を明らかにしてくれる。その概念とは、19世紀の思想家たちの思想に執り憑いていた「力force」の概念である。このタルドの研究は、「信仰」と「欲望」という彼の二つの原理を介して、ビランの「努力」概念からベルクソンの「動的図式」概念へと導くことによって、「力」概念の歴史の「ミッシング・リンクmaillon manquant」を埋めてくれる。『メーヌ・ド・ビランと心理学における進化論』は、社会学者のなかで最も存在論的な人物[タルド]と、心理学者のなかで最も形而上学的な人物[ビラン]との出会いの証言である。

「なぜ(メーヌ・ド・ビランは)、反作用(réaction)によってしか自我の日付を記入させないのであろうか、すでに印象(impression)がかくも明らかにこのことを前提しているというのに?なぜだろう、この自我をあらゆる異質性の疑いから免れさせるためであるというのでなければ?統一性(unité)という大きな威光がこの深遠な思想家をこれほどまで魅了していたということがまざまざと見て取れるではないか!だが、精神生活に穿たれたなんと多くの差異があることか!」

Eric Alliezについて贅言を費やす必要はなかろう。アンヌ・ドゥヴァリウー(Anne Devarieux)は、「メーヌ・ド・ビランにおける運動と感性の管理」に関する博論を出版している。