Monday, April 25, 2005

ベルゲン学会の報告(三日目)

最終日(4月24日)の午前中は、「自我と主体性」「アレントと政治」「ハイデガーと古代哲学」の三部門に分かれて、第四セクションが行われた(10.00-13.00)。以下、私が参加したIVa, IVcについて報告する。残念ながらかなり疲れていたので、ほとんど覚えていない。

一つ目は、知人Joona Taipaleの発表。フッサールの発生的現象学における自我の概念について。これが初めての発表ということで緊張していたが、大過なくこなしていた。

二つ目は、Dan Zahaviの「時間と自己」に関する発表。ナイサーやストローソンの分析系、リクールやマッキンタイアーの解釈学系、そして「メルロ=ポンティ、アンリ、サルトル、フッサール」(どういう並べ方なんだ?)などの現象学系における「自己」概念を比較していた。

三つ目は、友人Jussi Backmanの発表(実はすでに昨年のCollegiumで使ったもの)。ハイデガーの1930-31年講義の未刊草稿を元に、パルメニデス、プラトンの"Instant"概念に関するハイデガーの理解を彼の哲学のみならず西洋形而上学の中心と捉えるかなり野心的な論文。

昼食は、再びフィンランド人哲学者たちと(13.oo-14.00)。非印欧言語である日本語とフィンランド語による「哲学」の困難と可能性について激論。

午後は、Lenの講演。『盲者の記憶』を中心に、デリダの最晩年の動向を「形而上学の脱構築からキリスト教の脱構築へ」という動きとして捉えようという興味深いものだったが、残念ながら、飛行機の時間のことがあったので、最後まで聞くことができずに、会場を後にした。

***

最後に、大会全体に関する総括的なコメントを。全体の動向としては、昨年はハイデガーが多かったようだが、今年はメルロ=ポンティ(アンリ、ナンシー)などフランス系が増えていたそう。別にテーマで発表を募集しているわけではなく、自由投稿なので、これはまったくの偶然であるようだが。

発表の質は、日本と比べてそれほど変わるとは思えない。ただし、彼ら全員が母国語ではない共通言語の英語でやっているという点は改めて強調しておきたい。歴史的・政治的に複雑な過去を抱えるこの地域では、それぞれお互いの言語を多かれ少なかれ理解することができるものの、「ニュートラル」な英語を用いているのである。英語のレベルは個人差が非常にあるが、ここでもまたサッカーと同じことが言える。スペイン・マジョルカの大久保嘉人はこう言っている。


スペインで活躍するには、スピードが一番大切。やっぱりリーガは速い。特に、上のチームがそう。攻守の切り替えっていうのが、すごく速い。でも技術とかは、そこまでだと思う。むしろ日本人の方が足元とかうまい。日本人の方が柔らかいし。外人は、固いから。でも、試合になるとこれが違う。試合だとこっちの奴の方が、うまい。精神的な部分の違いなのか…
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/column/200503/at00004230.html

同様に、北欧の哲学者たちもここぞというときの議論に強い(ただし、粘り強いが、それほどプッシュは強くない。ラテン系のようなファールすれすれのあざとい議論はない)。

私たち日本の人文系研究者(Humanities)も、東アジアで同様の試みが少しでも多くできるようになれればいいですね。そのために、一緒に打開策を模索していきましょう。

Sunday, April 24, 2005

ベルゲン学会の報告(二日目)

二日目(4月23日)の午前中は、「現象学、医学、精神医学」「メルロ=ポンティにおける具体・受肉をめぐって」「技術と合理性の問題」「現象学のリミット」の四つに分かれて、一般発表の第二セクションが行なわれた(09.30-12.45)。以下、私の参加したセクションIIaについてのみ報告する。

私は二番手の予定だったのだが、大会直前にプログラムが変わり、一番手になった。①前日のドンチャン騒ぎの後での早朝の発表であること、②私の発表の表題がかなりテクニカルであり、いわゆる「純粋哲学系」ではなく他学問とのインターフェイスを扱う「応用系」部門に入れられてしまったこと、などから予想されたとおり、当然参加者は少ない。おそらく十人弱ではなかったか。どうしても短くならなかったので、あらかじめ断りを入れて、35分喋った。反応はそこそこよかった気がする。しかし、何より嬉しかったのは、Lenが来てくれたことである。人目を引く主題を選んで、話の分からない大勢の聴衆が来てくれるより、テクニカルでも本質を突く主題を選んで、話の分かる聴衆が少数でも来てくれたほうが嬉しい(もちろんベストは、話の分かる聴衆が大勢来てくれることであるが、私のような駆け出しの身ではそれは望外のことである。)

というわけで、私の発表は、ベルクソンとメルロ=ポンティによる「デジャヴ」と「幻影肢」という二つの現象の取り扱いを通じて、彼らの知覚理論の本質的な差異と、それが依拠している時間・空間概念の本質的な差異を浮き彫りにするよう努めた。質疑応答は、一つがメルロ=ポンティにおけるこの現象の両義性(物理的には存在しないが、感覚的には存在する)の取り扱いについて、もう一つは、Lenによるものだが、私の発表の底流にある、ベルクソン・ドゥルーズの「内在哲学」路線とデリダの「超越論哲学」路線とを融合させようとする試みの射程・妥当性に関するものであった。

次のFinn Nordtvedtはノルウェーの外科医で、幻影肢に関する自身の症例研究を元に、哲学の博士論文を準備している。哲学的な概念操作には不安定さが残るものの、医者特有の手際の良さで、見事に切り抜けていた。私にとっては幻影肢に関する具体的なエピソードを聞けたことが何よりの収穫であった。幻影肢には幻影痛が伴う場合も少なからずあるのだが、幻影肢以外の部位に現れる感覚ないし苦痛もまたきわめて幻覚的なものであり、この後者の場合の「局部定位localisation」を哲学的にどう考えるかというのはきわめて興味深い問題である。

(①一人の哲学者の思想体系が世界のあらゆる問題を解決してくれると信じるのがいささかナイーヴにすぎるのと同じように、ひとつの症状ないし現象が肉体の哲学ないし身体論に根本的な解明をもたらしてくれるとする考え、たとえば「幻影痛がすべての苦痛現象の鍵である」という言い方は未だ大雑把すぎる。一般に、ある一つの症状ないし現象が哲学的に興味深いものとなるのは、それが哲学的に何を明らかにしてくれるのかが明確にされたときである。幻影肢の現象はとりわけ局在性を問題とすることから、空間概念の再考を要請する。メルロ=ポンティによる「位置の空間性」と「状況の空間性」の区別は、身体空間の根源的な状況性を明らかにしてくれる。あらゆる苦痛は(少なくともベルクソン的観点からすれば)多かれ少なかれ感覚であり、あらゆる感覚(sensation)は多かれ少なかれ運動感覚(kinaesthetic sensation)なのである(pain as sensation-emotion(mood/modus), pain as impotence of movement(motu)-immobility)。

②幻影肢に随伴し、他の局部に現れる感覚・苦痛のもつ空間性は、果たして幻影肢の持つ空間性と同じ性質のものか?)

三番手のFrederik Svennaeusは、「ハイデガーにおける欝の問題。調律・疎外・世界内存在」と題して、もっぱら前期ハイデガーにおけるmoodの問題(1927年の『存在と時間』における不安、1929-30年冬学期の『根本概念』講義における孤独など)を基礎存在論・時間論との関係から検討した。質疑応答では、Heimwehに関するヤスパースの博論やフロイトのUnheimlichとの関連を問う質問、moodと時間・空間概念との関係(むろんDidier Franckが『ハイデガーと空間の問題』で示したように『存在と時間』以来潜在はしていたわけだが、後期に至ると空間概念が前面に出てくる。もう一方で、不安や孤独といった存在様態の分析はまったく影を潜めてしまうが、この二つの現象には何らかの関連があるのか)といった質問が出た。

四番手のMarja-Liisa Honkasalo(University of Linköpping and Helsinki)は、人類学者。彼女の発表"Agency and human suffering as phenomenological problems"は全体の構成がいささか混乱しており、その趣旨をすべて理解できたとは言いがたいが、ポイントはおそらく≪「現象」が文化・歴史・階級・性差などによって異なって現れるものならば、現象学は人類学と協力して研究を推し進めることができる≫という点にある。彼女は苦痛や惨めさなどの現象の文化的多様性に着目し、英語などの言語におけるsuffering, enduringなどのingをagentと捉えて、この苦痛理解をキリスト教文化に固有のものと理解しようとしている(?)。これを論証しようとして、イタリアの人類学者Ernest de Matino(1908-1965)の"La crisi della presenza"分析に依拠していた。なかなか面白そうなのだが、いかんせんまとまっていないのと、基本的な現象学理解に不十分な点があったのが惜しい(たとえば、質疑応答で突っ込まれていたが、ハイデガーの世界内存在をGeworfenheitと対立させるといった点は明らかに初歩的なミスである。ただし、これは私が擁護したのだが、ハイデガーの被投企性をサルトル的な理解と対立させて、前者が未だ十分に実存論的・人類学的でないとすることは可能であろう。もちろん、ハイデガーは望んでそうしたのであり、サルトルのハイデガー理解が一面的にすぎたというだけの話なのではあるが)。

昼食は、Rudolf Bernetと一緒に食べる。彼とも、一昨年のCollegiumですでに知り合っていたのである。雑談ばかりして、彼の最近の関心や肝心の私の仕事の話をしなかったのが今となっては悔やまれる。アドヴァイスをもらういいチャンスだったのだが。

午後はまず、「自己性のアノマリー」「現象学と性差」「情動と傷つきやすさ」の三つに分かれて、一般発表の第三セクションが行なわれた(13.45-16.00)。以下、私の参加したセクションIIIaとIIIbについてのみ報告する。

一つ目は、IIIaのEgil Olsvik(PhD.Student, Univ. of Bergen)の発表を聞いた。精神病者の「非了解性」への現象学的アプローチに関するものであったが、質問はpassive synthesisと区別されるpassive symptomに集中していた。

二つ目は、IIIbで発表した知人のLinda Fisher(カナダ人で、現在はブダペストで教えている)を聞きにいった。Phenomenology of Genderと区別されるGendered Phenomenologyに関する発表であった。私は、ジェンダー的現象学の困難について質問したのだが、あまり理解されなかった。

三つ目は、再びIIIaに戻って、Lisa Källの発表を聞いたはずなのだが、疲れのせいか、残念ながらほとんど何も覚えていない。

コーヒーブレイクをはさんで、Theodore Kisiel(Northern Illinois University)の、ある意味できわめて「アメリカ的」な発表を聞いた(16.15-17.30)。彼の発表がアメリカ人の典型だというのではない。しかし、アメリカ人以外にできない芸風であることはたしかであり、アメリカ人哲学者の一つの「型」ではある。言ってみれば、スパイダーマンとバットマンが、ジェイソンとフレディーの連合と戦うような生き生きとした哲学である。ベルゲン大学哲学科の秘書の方も聞いておられて、「この発表は楽しかった」とおっしゃっていたが、うなずける。ハリウッド映画をいたずらに敵視すべきではない。

こうして二日目の日程を終了した後、7時半からレストランPa Hoydenでディナー。私と連れ合いは、finnophileないしlaponophileなので、フィンランド人哲学者たちと同席する。JussiやJoona、デリダにおける悪や神学の問題を研究しているJari Kauppinen、そして前述の秘書の方と楽しく団らんのひととき。秘書の方(お名前を聞かなかった)はアメリカ人で、スウェーデンにいた頃、ノルウェー人のご主人と知り合われたとか。その後、ドイツ・リューベック出身(ここもハンザ同盟ね)で現在ハンブルク大学で勉強しているという学部生の女性も加えて、ドイツ話。大部分はまだまだ宵の口という感じで残っていたが、我々は翌日のこともあり、結局、十二時半くらいまでいて退席。結局、十二時半くらいまでいて退席。

Saturday, April 23, 2005

ベルゲン学会の報告(初日)

2005年4月22日から24日にかけて、ノルウェー第二の都市ベルゲンで行われた北欧現象学協会の第三回年次大会に参加してきた。私個人としては、4月23日のセクションIIa "Phenomenology, Medicine and Psychiatry"で、「Between Phainomena and Phantasmata: Bergson's 'Déjà-vu' and Merleau-Ponty's 'Phantom limb'」と題した発表を行なった。旅行にまつわる話などはpense-bêteに書くとして、ここでは大会の様子などを報告しておこう。

(ちなみに、海外の哲学事情に詳しくない人のために一言付け加えておくと、
①昨今の英語圏(北欧も含む)の哲学業界では、一般的な呼称としての「現象学」は「大陸哲学」というのとさほど違いはない。そういうわけで、今回のベルゲン学会でも「アレントと政治」といった、狭義の現象学とは無関係のセクションがあったり、あるいは一昨年・昨年と二年続けて私が参加したCollegium Phaenomenologicumでも、一昨年のテーマが「ベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ」、昨年のテーマが「カント、シェリング、ハイデガー」であったりしたわけである。「現象学」という語がより広範な意味を持ちうるという点に関して、もう少し理論的な説明がほしいという方は、ハイデガー『存在と時間』の第7節を読まれることをお薦めする。それから、

②「大陸系哲学と分析哲学の対立などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の哲学的伝統を持っているし、分析哲学はそもそも大陸哲学(ウィーン学派)から派生したものだ」という正論もあるが、これは「ヨーロッパとアメリカの文化的差異などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の文化的伝統を持っているし、そもそもアメリカ文化はヨーロッパ文化から派生したものだ」と言うのと同じで、原理論としては正しいが、世界の哲学界の現状を正確に捉えているとは言えない。アメリカ文化とヨーロッパ文化の間にきわめて具体的な差異が見られるように、グローバルに見れば、「分析系」と「大陸系」の対立は、諸大学の哲学部(ないし関連学部)のポストをめぐる争いというきわめてマテリアルな形で存在している。
 もちろん、この対立を乗り越えようとする試みもまた確かに存在する。私が今回の訪問で知り合ったデンマーク・コペンハーゲン大学教授で、北欧現象学会の創設者の一人であるDan Zahaviが所長を務めるDanish National Research Foundation: Center for Subjectivity Researchもそのような方向性で動いているようだ。)

2001年5月にデンマーク・コペンハーゲンで創設された「北欧現象学協会(Nordic Association of Phenomenology)」は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドなどの現象学者が所属する団体である。年次大会は、第一回がデンマーク・コペンハーゲン、第二回がスウェーデン・ストックホルム、そして今回第三回がノルウェー・ベルゲンで行なわれた(来年はアイスランドで行なわれる予定である)。現在、会員数が全部あわせても60人程度、日本のさまざまな哲学関連の学会から見れば確かに規模は小さく見えるが、北欧諸国の人口規模や、いわゆる「大陸系哲学」を取り巻く厳しい状況を計算に入れれば、それほど悪い数字ではない。

では、内容を簡単に見ておこう。三日間、毎日、一つか二つの講演(一時間前後の発表と30分弱の質疑応答)と、三つか四つの一般発表(25分前後の発表と20分程度の質疑応答、コーヒーブレイクも含め、全部で三時間強)がある。一般発表はいくつかのセクションに分けて同時進行で行なわれ、発表者はドクター、ポスドクの学生を中心に、しかしながら哲学科教授、助教授や、心理学者・人類学者・医者など他学部からの参加者も含まれる。

初日(2005年4月22日)の午前は、フッサール・アルヒーフ所長のRudolf Bernet(ルーヴァン・カトリック大学)の講演"Bergson on a Present Folded Back on the Past"。ベルクソン『物質と記憶』の時間論の大筋をたどる、きわめて啓蒙的なレクチャー。ただし、Len(Leonard Lawlor、メンフィス大学)の指摘に窮したとおり、「持続」との関係がまったく触れられていないなど、ベルクソンの専門家でないことからくる「脇の甘さ」はあったかもしれない。

昼食は、大学のラウンジで、Jussi BackmanやJoona Taipale(共にヘルシンキ大学)と、片言のフィンランド語で冗談を言い合いながら、そそくさと済ませる。ランチタイムは一時間もない。たっぷり二時間はとり、ワインも飲むフランス流とはかなり趣が違う。

午後はまず「現象学と心理学」「現象学の方法論」「芸術と美学」「レヴィナスと倫理」の四つのセクションに分かれて一般発表が行なわれ(12.45-16.00)、Sara Heinämaa(ヘルシンキ大学)の人格と性差への現象学的アプローチに関する講演が行なわれたが(16.30-17.45)、私は翌日の準備のこともあったので、セクションIa「現象学と心理学」の最初の二つの発表しか聞いていない。

コペンハーゲン大学のPhD学生Rasmus Thybo-Jensenは、メルロ=ポンティにおける心理学と現象学の一体性(分離に対する批判)を強調した。大半の質疑応答は、哲学(現象学)と科学(心理学)の差異を超越論的なものと経験的なもの、アプリオリとアポステリオリの差異と同一視する態度に対する異議であった。

同じくコペンハーゲン大学のPhD学生Thor Grünbaumは、運動感覚的経験(kinaesthetic experience)の性質に関する哲学的・心理学的考察を展開した。質疑応答では、感覚と苦痛の差異を強調する発表者に対し、感覚の本質的な運動性と苦痛の被運動性との根源的な統一性の観点から、幾つかの問題提起がなされた。

18時から20時くらいまで大学のラウンジでレセプションがあり、私はもっぱらLenやLinda Fisher(中央ヨーロッパ大学、ハンガリー・ブダペシュト)との再会を喜び、地元ベルゲン出身だというGunnar Karlsen(ベルゲン大学)に北欧の哲学事情を聞いたりして過ごした。みんなはその後、地元のバーに移って二次会に突入したのだが、私は翌日の発表のため遠慮した。

Saturday, April 16, 2005

『神学的転回』(5)後期メルロとレヴィナス(下)

では、同じ目的(志向性の超出 dépassement de l'intentionnalité)・同じ戦略(現象学を見えないものに向かって開くこと ouverture de la phénoménologie à l'invisible)から出発しながら、なぜメルロ=ポンティとレヴィナスの間にこのような根源的な相違が生じてくるのか。前者は存在論を擁護し形而上学を糾弾しているが、後者は形而上学を擁護し存在論を糾弾しているといった程度の指摘で満足することはできない。事は現象学運動の方向性そのものに関わるのである。

直接的で具体的な争点は一にかかって、超越性を無条件的に主張するのか、見えるものを忍耐強く問い続けるのか、という点にある。どちらかを選ばねばならない(entre l'affirmation inconditionnelle de la Transcendance et la patiente interrogation du visible, l'incompatibilité éclate ; il faut choisir.)。むろん我々の問いが哲学的かつ現象学的なものたることを望むのであれば、恣意的な裁断など問題外である。方法に関する問いを導きの糸として先鋭化することで、答えるように努めるほかはない。

では、方法論のレヴェルにおいて見られる、メルロ=ポンティとレヴィナスとの相違とは何か。メルロ=ポンティの方法論には、発見的手法(heuristique:与えられた課題に対して段階的に評価を進め、自己発見的に解を見出す方法)に付き物の脆さがある。誰もが感じることのできる経験の豊かさへと接近するために、それを表現する言葉そのものをも手探りで探求を続け、性急な断定や理念の誘惑に屈することなく、他者に対して注意深い眼差しを投げかけ続ける、言ってみればミニマリスト的な手法である。知性はここでは、プルーストにおけるように剥き出しのまま、感性的なものを深く捉えにやって来る。何物も仮定することなく、経験のうちで最も逃れ去りやすいものをただひたすら解明しようと欲する、メルロ=ポンティの飽くなき意志は、現象性を間近に思考し、それに浸されよう(penser au plus près de la phénoménalité pour mieux être habité par elle)とする点において、あくまで現象学的であり続ける。絡み合いは何物も排除することなく、世界の深みに眼差しを開く。

これに対して、一挙に私を奪い去る他者性の鉛直は、現象学的というよりは形而上学で神学的的なアプリオリを示している。サイコロには仕掛けがしてあり、決断はすでになされており、背景には信仰が厳かに立ち上る(les dés sont pipés, les choix sont faits, la foi se dresse majestueuse à l'arrière-plan.)。読者は、絶対者の峻厳に打たれ、洗礼志願者(catéchumène)のような立場に置かれて、もはや聖なる託宣や尊大な教義の開陳に黙して耳を傾けるよりほかない。
欲望とは絶対的に他なる者の欲望である[…]。欲望にとって、観念と合致しないこの他者性はある意味を持つ。他者性は、他者の他者性として、いと高き者の他者性と解される。(原書文庫版 p. 23)

すべてはあらかじめ準備されており、一挙に与えられる。そして、この「すべて」はすべて伝統的な聖書の神に由来するものなのである。これは、超越論的な自我をその限界まで裸性に導こうとする「還元」に対する裏切り以外の何物でもないではないか。神学という放蕩息子とそのお供たちの厳かな帰還ではないか。あたかも自明のことであるかのように、神学がほとんど魔術的・秘儀的に意識の最も親密な場所を占めることを哲学は黙って見過ごすことができようか。

むろんレヴィナスの有り余る才能や傑出した独創性を否定することが問題なのではなく、彼の現象学的な方法論の一貫性(cohérence méthodologique et phénoménologique)を問い直すことが問題となっているのである。たとえば、欲望は大文字化され、極限まで強調されているが、いかなる経験に即してそうされているのか。言うまでもなく形而上学的な独断にすぎない。一方で知性主義的合理主義(rationalisme intellectualiste)の精神に忠実たることを宣言しつつ、他方で「形式論理学」と彼が名づけるものを乗り越えようとしているようだが、「欲望」や「他者」の大文字化による総称化・実体化はどうするつもりなのか。高みの次元を考慮に入れるのはいいとして、なぜ「いと高き者=神」と同一視されねばならないのか。

この種の形而上学的な独断の積み重ねによってレヴィナスの思想体系が構築されていくとすれば、その方法論は解釈学的循環と折り合いをつけることはできても、現象学的なものではありえない。「たしかに現象学に固有の光(と)の戯れからは逸脱している」といったレヴィナスの「自白」ではまったく不十分である。教育的配慮からか護教論的配慮からかはともかく、彼の現象学の用い方は、経験の核心に他者の鉛直を据えようとする彼の試みとともに、まったく歪曲に満ちたものであって、現象学から形而上学への明白な移行ないし転向を示しているにすぎない。結局のところ、最初の形而上学的・神学的前提があまりに膨大なものなので、「取るか、捨てるか」が唯一の回答にならざるをえない。

本書『フランス現象学の神学的転回』は、近年開拓されたこれらの神学的な地盤に関する調査とともに、その大元になった急激な方向転換(embardée)にまで立ち返り、この方向に進まない可能性を思考しようとする。これによって、レヴィナスが大きく開けた突破口とともに、後期ハイデガーが繊細な手つきで見せた幾つもの切れ目にも、神学的な底意のあることが理解される。神学は否定的な形でも介入しうるのであり、存在論的な不安とむすびつくこともあるのである。

Friday, April 15, 2005

『神学的転回』(4)後期メルロとレヴィナス(上)

絡み合い(l'entrelacs)と鉛直(l'aplomb)

1.メルロ=ポンティにおける絡み合いの探求

『見えるものと見えないもの』に代表されるような後期メルロ=ポンティの探究の核心には、古典的な表象の哲学はもちろんのこと、フッサール現象学ですらも捉えるには至らなかったものを捉えようとする試みがある。たしかに、フッサールの「地平」概念は、このような試みの先駆であると言えるが、「この語を厳密にとらねばならない」とメルロ=ポンティは言う。地平は、絵や地図、さらには空間性のように、可視性ないし一般性の半透明(translucide)の空間に還元されるものではない。



フッサールが事物の地平について――誰もが知っている事物の外的な地平について、それからそれらの「内的な地平」、事物の表面がその境界線を示すにすぎない可視性に満ちたあの謎の暗闇について――語ったとき、この「地平」という語を厳密に受け取らねばならない。地平とは天でも地でもなければ、細々した物の寄せ集めでもないし、[...]何か「意識のポテンシャリティ」のシステムといったものでもない。地平とは、ある新たなタイプの存在であり、ある多孔質の、プレグナンツ[知覚された像などが最も単純で安定した形にまとまろうとする傾向を指すゲシュタルト心理学の用語]あるいは一般性を備えた存在(un être de porosité, de prégnance ou de généralité)であり、地平がその前で開かれる人間は、そこに取り入れられ、含まれている。その人の身体や遠景は、ひとつの同じ身体性ないし可視性一般に参画しており、この身体性ないし可視性は、その身体や遠景の間で、地平さえも超えて、その皮膚の手前で、存在の深奥に至るまで、支配している。(原書p. 193)
絡み合いとして解された地平は、可視的なもののうちで私の視覚によって為されるあらゆる限定を横溢し、事物の「肉」たる潜伏(latence)のうちにすべての可視的なものを包み込んでしまう。というのも、可視的なものは決して純粋なものではなく、常に不可視性に触れているからである。同様に、私の視覚は、一度かぎり決定的に画されるものではなく、身体性のうちに刻み込まれるものだからである。絡み合いとはしたがって、一方で世界の肉による可視的なものの横溢、他方で身体性による私の視覚の横溢という二重の横溢の運動である。世界の肉、可視的なもの、身体性、私の視覚というこの四つの項がキアスムをなし、その交差点には絶えず、「あるいは彷徨し、あるいはまとめられる」可視性の神秘的な出現が認められる。

(ちなみに、ジャニコーが挙げている64年の初版と、私の手元にある(判組みを変えたらしい)2002年版とでは、頁数がほぼシステマティックに二頁ずつずれている。これも注意されたい。)

ルノー・バルバラスは、その博士論文『現象の存在について。メルロ=ポンティの存在論について』(Renaud Barbaras, De l'être du phénomène. Sur l'ontologie de Merleau-Ponty, Grenoble : Jérôme Millon, 1991.)の第1章において、『見えるものと見えないもの』において素描された存在論が、『知覚の現象学』がその中に囚われになっていた二元論、すなわち未だ古典的な「反省性」概念と「前反省的」ないし自然的なその相補物との二元論をいかに超出したかを見事に示した。実際、前期メルロ=ポンティの思考は、隅々まで自然と文化(nature et culture)の対立によって貫かれている。逆に、存在のエレメントとしての肉(「エレメント」は古代哲学の「四大」やバシュラール的な意味において理解されねばならないし、「存在」自体、純粋な贈与としてではなく、絡み合いとして捉えられた限りでのものである)の探求に専心することで、後期メルロ=ポンティは、反省的なものと前反省的なものの分割に先立ち、自我の他我への対面の手前にある次元に到達しようとする。この次元にあっては、私の身体性は、間主観的なものとなる。だからこそ間主観性の骨組みは、世界の生地と分かちがたいのである。あらゆる鳥瞰(surplomb)の思考は、この複雑な生きた身体性の次元を捉えそこなう。大文字の他者の鉛直(aplomb)もまた、間主観性の細やかな繊維を断ち切ってしまう。

2.レヴィナスにおける鉛直的思考

レヴィナスの代表作『全体性と無限』は、ただ単に後期メルロ=ポンティの哲学的探究と同時代であるばかりでなく、フッサール現象学のある種の欠陥が提起するまったく同じ問題に対して答えようとする試みであるという点まで同じである。志向性は、反省性を「還元する」までには至らない。世界への出現も、他者の接近も、ラディカルな超越論的観念論による自我意識の普遍的な構成を解明しようとする試みにあって、十分な注意が払われたとは言いがたい。レヴィナスは、「地平」概念の純粋に志向性的な意味を超出することを目指したが、少なくとも用語的なレヴェルでは、メルロ=ポンティのそれと酷似している。

志向性の分析とは、具体的なものの探求である。観念は、それを規定する思考の直接的な眼差しのもとで捉えられた場合、この素朴な思考の知らないうちに、この思考によって疑われぬ地平のうちで、立ち尽くしたままでいることが明らかになる。これらの地平こそが具体的なものに意味を与える――これがフッサールの教えの要点である。フッサール現象学において、文字通りに受け取った場合、これらの疑われぬままの地平はそれら自身、対象を目指す思考と解釈されるのではないか、といった問いは重要ではない。(原書文庫版、p. 14.)

メルロ=ポンティと異なり、レヴィナスはフッサールを扱う際にかなりの自由裁量を行使し、それを率直に表明しているといった違いを除けば、少なくとも志向性の地平を乗り越えることを目標としている点で、そして実は、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たろうとすることを戦略としている点でもまた、両者の試みは一致している。この戦略はハイデガーによって創始され、「現れないものの現象学」のうちにその完成形を見出し、デリダやミシェル・アンリによって継承発展させられている。

しかし、『全体性と無限』に代表されるようなレヴィナスの思考の核心には、「鉛直aplomb」と呼ぶほかない思考態度がある。ここでは「厚かましさ、ずうずうしさ」といった心理学的な意味ではなく、自我や存在から同性(mêmeté)を一挙に奪い取り、「無限」観念の優位を断固として主張するその哲学的な姿勢を意味する。

Thursday, April 14, 2005

『神学的転回』(3)マルクス主義的現象学、リクール

解放(Libération)に続く戦後の十年は、フランス現象学にとって試行錯誤の続く十年間であった。この時期に問題となっていたのは、とりわけ現象学とマルクス主義の関係である。

サルトルは、はっきりと政治的な時期に入り、現象学から撤退した。以前彼が実践していた現象学的存在論は社会的・弁証法的な現実に対して抽象的にすぎたと認めたのである。

チャン・デュック・タオに代表されるような、現象学とマルクス主義を融合させようという試みにしても、マルクス主義によって現象学をその悪弊たる抽象から「救い出す」という姿勢は鮮明であった。現象学の扱う質料(matière)、なまのhylèは、文化的な産物であって、その中立性は疑わしいものであり、十分に弁証法的でもなければ、人間の労働によって変化させられうるものでもない、というのがその理由であった。たしかに現象学的還元は、意味・方向の贈与(donation de sens)を通じて人間的でダイナミックな真理へと導いてくれるものではあるが、フッサールにあっては一種の「全面的な懐疑論scepticisme total」にまた再び落ち込まないから抜けきってはいないというわけである。こうした試みは結局のところ、本格的に現象学をマルクス主義と統合しようというよりは、現象学の周囲にcordon sanitaire(伝染病の流行している地域の周辺に設けられる防疫線ないし予防線)を構築しようとするものにすぎない。

(ジャン=フランソワ・リオタールの『現象学』やジャン=トゥッサン・ドゥザンティの『現象学入門』(Jean-Toussant Desanti, Introduction à la phénoménologie, Gallimard, 1963 ; repris dans la coll. "Idées", 1976 ; disponible maintenant en Folio.)においては、繊細な手つきで、フッサール現象学に対するマルクス主義的批判が行なわれている。

ちなみに、リオタールの名著『現象学』(初版1954年)は、少なくとも私が手元に持っている1961年の第4版と、2004年の第14版ではテクストが若干違っている。たとえば、ジャニコーがここで引いている"scepticisme total"という言葉は、前者の版ではscepticisme destructifとなっており、引用符はついていない(したがってジャニコーは1954年の版を参照させているが、これは正確ではない)。

また、新版では、「Nous avons pris le parti d'écrire intentionalité comme rationalité plutôt qu'intentionnalité.」という註が付されているが旧版にはなかったり、あるいは「フッサールからハイデガーに至る遺産もあるが、また裏切りもある」という旧版の表明の「裏切りtrahison」が新版では「変成mutation」に変更されていたり、といった例には枚挙に暇がない。いつの時点でテクストが変更されたのか、何度も変更されたのか詳細は不明だが、1965年に初版が出た邦訳はそれ以前の古い版に拠っているので、引用されるときには注意されたい。)


この時期の重要な地殻変動は、むしろもっと目立たない形で生じている。1950年、ポール・リクールは、『イデーンI』の翻訳を刊行したが、リクールの付した序論は重要である。リクールは、とりわけフッサールの超越論的観念論の意味に対する戸惑いを隠していない。単なる主観的な観念論が問題になっているにすぎないのか?しかし、未だ「世界的」なあらゆるアプリオリの徹底的な還元を行なう直観の哲学によって、フッサールは相対主義からもカント主義からも解放されているように思われる、と。リクールは、フィンクの解釈がもたらす次のようなパースペクティヴを共感をもって描いているが、それを積極的に採用したわけでもない。つまり、心理学的な志向性も、ノエシス・ノエマ関係も超えて、フッサールは、志向性の第三の意味、すなわち世界の起源の「生産的」で「創造的」な解明を見出したのだという解釈である。

リクールは後年、『他者のような自己自身』において提出することになる問いをすでにこの1950年の段階で定式化しているわけだ。主体性が間主体性と合致するのは還元のどのレベルにおいてであろうか、と。「最もラディカルな主体は神であろうか」と何気なく洩らしている言葉を聞き逃すことはできない。神学的転回は明らかにこの種の問いかけに胚芽として含まれているわけだが、とはいっても、リクールはいつものように慎重な姿勢を崩さない。現象学から神学への一歩を彼が意志的に踏み出すことはない。いずれにせよここでもまた、フッサールの残した諸困難がいかに大きなものであるかが明らかになったわけであり、我々はその分析を、とりわけ現象性の核心に住まう根源的なものという形で逆説的に姿を現す超越性という形而上的な概念を導きの意図にして、本書において深めていくことになる(une question directrice, métaphysique par excellence, celle de la Transcendance se révélant paradoxalement dans un originaire logé au coeur de la phénoménalité)。

言い換えれば本書の課題とは、還元の意味、間主体性によるアプローチ、生活世界の概念的な地位、現象学と形而上学の関係などなどが交錯する諸問題が、大きく分けて二つの方向へと収束し、と同時にある種の「解決」を見るのはなぜかを理解することである。二つの方向性をキーワードで示せば、それぞれ「絡み合いentrelacs」と「鉛直aplomb」になる。

Wednesday, April 13, 2005

『神学的転回』(2)前期メルロ=ポンティ

他方で、メルロ=ポンティもまた、サルトルが出会い、避けたとまでは言わないものの、かわそうとした諸困難とより忍耐強く、より慎重に取り組んだものの、完全に解決するには至っていない。メルロもまた、サルトル同様、「事象そのものへ」の現象学の回帰は、「意識への観念論的な回帰とは絶対的に区別される」ものだと宣言し、代表作『知覚の現象学』の出発点に、「発生的現象学 phénoménologie génétique」に関する後期フッサールの仕事を置こうとしている。現象学の特権的な対象たる「形相的なものl'eidétique」は「諸本質を実存のうちへ」置き入れ、世界内存在(l'être-au-monde)の錯綜性、間主体性の錯綜性に開かれることを可能にするから、というのがその理由である。記述の厚みは方法論的な正当性の薄さをカバーし、志向性の分析は前反省的なコギト(cogito préréflexif)を発見するために用いられる。目的は手段を正当化する、というわけだ(La fin justifie en quelque sorte les moyens.)。こうして実存主義的現象学が出現する。

しかし、サルトルにせよ、メルロ=ポンティにせよ、フッサールの遺産から、言ってみれば名前を借りているだけで、その実質を与え返すrestituerことに成功しているわけではない。

(ちなみに、ジャン=フランソワ・マルケに『与え返し。ドイツ哲学史研究』という優れた論文集がある(Jean-François Marquet, Restitutions. Etudes d'histoire de la philosophie allemande, Vrin, 2001.)が、このタイトルは、まさにrestituerという語の繊細なニュアンスに注意を払った用法である。マルケは言っている。
周知のように、キュヴィエにとって、ある生きた有機体の全体は、「その各部分の各断片によって見分けられる」。そうであってみれば、ある一つの要素から、今日では失われてしまった一品種のサンプルを復元する=与え返すrestituerすることも可能であろう。本書に収めた諸研究もまた、同様の意図をもっている。毎回ある一つの問いから出発して、ある哲学的営為(ここでは、カントからハイデガーまでのドイツ哲学に限られるが)の「秘密の建築構造」の総体を復元する=与え返すこと、である。私の仕事は、こう言ってよければ、哲学的古生物学paléontologie philosophiqueのようなものだ。

マルケには他にも玄人好みの渋い作品がある。こういう思想家が日本に紹介されないのは残念だ。)

メルロは『知覚の現象学』序文で次のように述べているが、これはほとんど、「フッサールは一度も観念論的形而上学から自由になったことはない」と認めるようなものである。
長い間、それも最も最近のテクストにおいてもなお、還元は超越論的意識への帰還として提示されている。世界は、この超越論的意識の前では、完全に透明なものとして展開され、一連の統覚によってすみずみまで生気づけられている。そして哲学者は、これらの統覚の成果から遡って統覚を再構成する、という仕事を課せられることになろう。

実際、メルロ=ポンティの予感していたとおり、実存的なものを救い出すという口実のもとに志向性に依拠したとしても、依然として思惟作用(cogitatio)が中心的な役割を果たす哲学の地平やその諸前提から抜け出すには至らない。この障害となっている岩盤を吹き飛ばすのに必要であったのは、ハイデガーとのより真剣で、より根本的な対決であって、後期フッサールの再評価を促すためにハイデガーをルアー(囮)として用いることではない。結局、若き日のサルトルや前期メルロ=ポンティにとって、フッサールは、現象学的方法がもたらした絶対的で創設的な新しさのcaution(保証人・担保・お墨付き)としての役割を演じていたのである。だが、「たしかにこういう悪い面はあるが」といった純粋に修辞的な譲歩や、後期フッサールの「悪い変化」について語ることでフッサールへの本質的な批判を最小限にとどめ、フッサールへの言及を全般的に神聖化することにしか役立たない奇妙なゲームはやめるべきである。

無論そうはいっても、フッサール受容のこの第一段階において、サルトルとメルロ=ポンティが果たしたすぐれてポジティヴな役割を否定するのは適切ではないであろう。フッサールの思想に忠実であれ不実であれ、サルトルの『想像力』やメルロの『知覚の現象学』といった知的で挑発的な仕事が生み出され、これらの作品がフランスにおける現象学研究を活性化し、ひいてはフランス哲学自体を豊かなものにしたことは否定しがたい事実である。また、実存主義的現象学による伝統的な表象の哲学や新カント主義との断絶は、少なくともこの点では、フッサール自身が引き起こした地殻変動(ハイデガーもまた継承すると同時にずらした)を正確に反映している。

Tuesday, April 12, 2005

ジャニコー、『神学的転回』(1)

では早速、第1章「転回の輪郭」から見ていくことにしよう。

1960年代から90年代までの30年間のフランスにおける現象学的研究は、60年代後半から70年代前半の構造主義全盛時には陰に隠れていたものの、ポール・リクールやミシェル・アンリによる真剣かつ執拗な取り組みや、エマニュエル・レヴィナスによるきわめて独創的な展開とその世界的な認知のおかげで、その後徐々に理論的な豊穣さを見せ始め、その成果や一貫性が80-90年代になって現れてきた。この理論的な豊穣さのすべてが「神学的転回」という名称で要約可能なわけではないし、戦後フランスの現象学運動を≪サルトルやメルロ=ポンティ、あるいはデュフレンヌの無神論的現象学から、リクールやアンリ、あるいはマリオンの「スピリチュアリスム」的現象学への移行≫として捉えるだけで満足するわけにもいかない。しかし少なくとも出発点として、賞賛的であれ侮蔑的であれいかなる価値判断も方法論的批判もなしに、次のことだけは確認できるであろう。すなわち、l'ouverture à l'invisible, à l'Autre, à une donation pure ou à une "archi-révélation"といった特徴が、60年代以前の現象学第一世代(フッサール・ハイデガー受容の第一段階)から60年代以後現在までの世代を隔て、rupture avec la phénoménologie immanenteを画するものなのだ、と。

この第一章の狙いは、以上の歴史的パースペクティヴの論拠を示し、理由を挙げることにある。神学的転回の理論的な可能性の条件を理解するために、まずはその少し前へと時間を遡って始めることにしよう。これは単なる方法論的な慎重さではなく、la spécificité et les de la première "percée" phénoménologique françaiseをより正確に捉えることで、後の世代との対比をより鮮明に捉えるためである。

フッサールという衝撃、サルトルという怒号

いかに半世紀を経た我々の眼から見てフランスにおけるフッサール受容の第一段階がsimplificatriceなものであるとはいえ、やはり新たな方法論への渇望にも似た関心と類稀なる才能の幸福な出会いが当時のフランス思想界にもたらした衝撃は見過ごしえない。この点で最も意義深いテクストは、1939年に執筆され、のち1947年に『シチュアシオンI』に収められた「フッサール現象学の根本的な一概念:志向性Une idée fondamentale de la phénoménologie de Husserl : l'intentionnalité」である。40-50年代の「現象学的存在論ontologie phénoménologique」の動きのいわばマニフェストの役割を演じたこのテクストの中で真っ先に目を引くのは、その反観念論(anti-idéaliste)的な性格である。精神の吸収・統合能力を分析し賞賛していたラランド、ブランシュヴィック、メイエルソンら、講壇哲学の主流を占めていたいわゆるphilosophie réflexiveの流れに抗して、サルトルは、"なにか堅固なものquelque chose de solide"を求めた。かといって、粗雑な感覚論(sensualisme)にも、客観主義(objectivisme)にも、あるいはベルクソン型(我々の知覚のactualitéと「イマージュ」のvirtuelな総体を区別する)のより繊細な実在論("un réalisme de type plus subtil, à la Bergson (distinguant entre l'actualité de notre perception et l'ensemble virtuel des images)" )にも回帰するわけにはいかない。まさにこのような状況下で、新たな、ほとんど奇跡的な解決策をもたらしてくれたのが、「志向性」の概念だったのである。これにより、観念論/実在論の二者択一、と同時に主観/客観の二項対立も、その手前で生じている相関関係、「いかなる物理的なイメージも与ええないこの還元不可能な事実」によって乗り越えられてしまったのである。

(少しだけ詳しく言えば、「志向性intentionnalité」とは、意識は常に何かのほうへ向かう意識としてしか存在しない、という意識の存在様態を指す語である。したがって何物にも向かわず自律的に自分だけで存在する純粋意識などというものは存在しないし、また客観的に存在する対象・客体といったものも、この志向性以前には主体に知られることはない。この意味で、主観・客観の二項対立は、両者を隔てると同時に結びつける相関関係によって先行されているのである。La célèbre formule : "Toute conscience est conscience de quelque chose." proclame que la pseudo-pureté du cogito est toujours prélevée sur une corrélation intentionnelle préalable.)

サルトルのこの怒号にも似たマニフェストの魅力的な加速度は、実際には数々の理論的な問題点を覆い隠すのに役立っている。そのうちで最も重大な問題点は、「とりわけ情動の領域において具体的なものと出会い、それを与え返すことは、形相的記述という方法によって、いったいどうやって本質主義に再び落ち込むことなく可能になるのか comment la méthode de la description va-t-elle permettre de rencontrer et de restituer le concret, en particulier dans le domaine affectif, sans retomber dans l'essentialisme ? 」というものである。

(少しだけ詳しく言えば、情動生活というものは、決して一枚岩的なものではなく、多数多様の特異な強度からなるあるダイナミズムによって活気を与えられているもので、現われ・現象の「形相eidos」の描写を事とするとフッサール現象学の網の目にはきわめて引っかかりにくい。無論だからこそ、フッサールも執拗に意識のこの側面に取り組み(Phantasia, conscience d'image, souvenir, Millon, 2002)、後期フッサールは「生活世界」へ向かうわけであるが。)

では、プルーストがあれほど繊細に描き出した「intermittences du coeur」はあまりに内面的なものとして諦めねばならないのか。たしかにサルトルは『存在と無』序論において、多少この問題を取り上げてはいる。存在者がそれを顕現する一連の現象に還元されるとしても、志向性によって捉えられる現象の存在は物的なものではない(Si l'existant est réduit à une série des apparitions qui le manifestent, l'être du phénomène intentionnel n'est pas "chosique".)。したがってこのような存在の固有の超越性を、観念論に再び陥ることなく、守らねばならない。だが、フッサールの意識構成の試みは、フッサール自身認めているように、一種の超越論的観念論(idéalisme transcendantal)の復興に手を貸すものである以上、サルトルは譲歩を余儀なくされ、フッサールは結局カント主義を乗り越えることができなかったのだと認めることになる。当時サルトルの関心を占めていたもの、すなわち対自の直接的に見出される諸構造(自己意識の非定立的な諸様態)の記述(la description des structures immédiates du Pour-soi qui sont autant de modalités sui generis, non thétiques, de la conscience(de) soi)を手に入れるべく、フッサールのアポリアをひとまず棚上げにすることを可能にしてくれたのは、ハイデガーの前存在論的了解(compréhension préontologique)であった。

すでに、1936年に書かれた『自我の超越性』において、サルトルは、フッサール的なコギト(「toute légèreté, toute translucidité」)をデカルト的なコギトから切り離すと同時に、超越論的な自我の古典的なテーゼへのフッサールの回帰(とサルトルが考えたもの)を批判していた。つまり一方ではフッサールの「括弧入れépokhè」を保持しつつ、他方では、『論理学研究』の直観的なラディカルさから『イデーン』における新たな観念論へのフッサールの「悪しき」変化(すでに『論研』の内部においてすら見られる変化)を攻撃したわけである。サルトルは、あまつさえ自我を「世界の存在être du monde」と捉えさえし、我々の超越性と世界との前もっての相関関係にほかならない炸裂した志向性(une intentionnalité éclatée, corrélation préalable entre notre trasncendance et le monde)へと遡る。

こうしてその「変化」の理由を深く突き詰めることがなかったゆえにフッサールに関しては幾多の曖昧さを残しつつも、超越的な(自我的でないnon égotique)意識を「非人称的な自発性spontanéité impersonnelle」として展開することによって、サルトルは、史的唯物論と共犯関係を結びうるラディカルな現象学を構築しえたのであった。

(現象学者サルトルに関しては、ドゥルーズが早くから注目していた。非人称的自我に関する記述は、『哲学とは何か』は言うまでもなく、『差異と反復』『意味の論理学』において繰り返し現われているし、すでに1964年の小文「彼は私の師であった」において、les lacs de non-être, les viscosités de la matièreといった哲学素に注目し、人間の実存を世界における「穴」という非存在と見なすサルトルのハードで貫入的な実存主義を、襞と襞の折りたたみと見なすメルロ=ポンティと対比させている。En assimilant l'existence humaine au non-être d'un "trou" dans le monde, "petits lacs de néant" disait-il, Sartre devançait un existentialisme dur et perçant, tandis que Merleau-Ponty insiste plutôt sur des plis et des plissements pour s'engager de son côté dans la voie d'un existentialisme plus tendre, plus réservé. また、かなり最近になってからではあるが、再評価も徐々に進んでいる。たとえば、現象学系の雑誌Alterの特集号(Sartre phénoménologue)を参照のこと。)

Monday, April 11, 2005

New Deal

このポストは、ごく簡単に言えば、こういうブログをやる意味自体を問い直すことを目的としている。もう少し詳しく言えば、哲学以外(政治的・経済的・社会的・文化的・教育的事象)に関する私の考察の妥当性・射程を問い直すことを目的としている。

自分の意見の妥当性・射程を正確に知るというのはなかなか難しいものだなどと言うと、「何を今さらその歳になって」と言われそうだが、残念ながら今の私にはまだまだきわめて難しいと正直に認めなければならない。

カントとスピノザの間で

一方では、市民の積極的な政治参加・意見表明は(その質の高低を問わず)常に重要である。この一般的な観点からすれば、HPやブログに私的な形で、政治や教育に関する私見を表明すること自体は間違ってはいないと思うし、とりわけ現在の日本のような状況においては非常に重要であるという考えに変わりはない。慎重・確実を期すあまり結局何も言わないという姿勢は、単なる無為同様、決して事態を動かすことはないと思うからである。だからこそ私自身、少なからぬ時間を割いて、日本のニュースをフォローし、日本の政治・経済・社会・教育状況について考えるのみならず「発言」しようとしているわけだ。 この点では、カントが「啓蒙とは何か」の冒頭で述べていた"Sapere aude !"、「敢えて賢かれ!」、つまり自分自身の理性・悟性を用いる勇気を持て、が私のモットーである。

しかし他方で、もし仮に自分のこの「発言」が単なる友人間でのおしゃべり、言いっ放しの放談、結局のところ平凡きわまりないドクサ(臆見)であることを超えて、なんらかの理論的で普遍的な価値を獲得することを望むのであれば(公的publicな形で、雑誌・大学紀要等に発表publicationしようというのであればなおさらのこと)、それなりの準備・覚悟がいるということもまた確かである。「床屋政談」は、いくら積み重ねてみても、その性質をいささかたりとも変えるわけではないからである。だからこそ私自身、少なからぬ時間を割いて、「床屋政談」から一歩でも先へ進み、本当の政策論議や理論的考察に近づくために模索を続けているわけである。この点では、スピノザが時に書簡の結びに用いた言葉"Caute !"、「用心せよ!」、つまり(この言葉を私なりに流用すれば)政治・教育問題を論じるにあたっても哲学の諸問題を論じるときと同様の手続きを取ることで方法論的な慎重さを欠かぬよう気をつけよ、が私のモットーにならねばならない。

カントとスピノザのこの二つのモットーの間での悪しきアポリアの作り方はこうである。「何も言わないよりましだから、とりあえず何でもいいから言ってしまえ」という無知の蛮勇主義者に対して、「どうせ床屋政談にとどまるのであれば、時間と労力をかけるに値するであろうか?」とだんまりを決め込む理知の無為主義者。

カントとスピノザの二つのモットーの間に織り成される正しいアポリアにおいては、逆に、これら二つの誘惑を同時に退けることが問題となる。一方では、「時間がないから」「これは私の本来の仕事ではないから」という理由で、あるいは「平凡な床屋談義ではない何か完璧に独創的なものが生まれるまでは沈黙を守りたい」という理由で、専門領域以外への発言を控えることが態度として因襲化しないよう気をつけねばならない。しかし他方では、「時間がないし、私本来の仕事でもないけれど、とにかく何かを言わねばならないし、言わずにおれないから」という理由で、自分の発言の平凡さや質の低さ(主題に関する確実で広範な知識の欠落、思索の浅さ:論理の飛躍・論拠の不確実さ・論証の不十分さ、など)に言い訳をするようなことがあってはならない。

要するにカントの「敢えて賢かれ!」とは、あくまでも理知の蛮勇であって無知の蛮勇や理知の夢精ではないし、スピノザの「用心せよ!」とは、あくまでも理知の自制であって理知の無為や理知の無声ではない。前者は競技に参加することを奨励するが、だからといって参加者の放埓を奨励しているわけではないし、後者は思考が力強く走り出す前に必要な弾みをつけるためのテイクバックであって、単なる後ずさりではないのである。

しかしこういった予備的な考察は、抽象的なレベルでいくら展開してみても、虚しい言葉遊びにすぎない。では、毎日の仕事が終わった後の限られた時間と残された労力の中で、具体的にどうやって満足に足る言説を紡ぎ出しうるのか。これを考えない限り、結局のところこのようなブログをやって何か発信している気になっても、所詮は自己満足にすぎない。


Pas du gribouillage à l'article

実際、毎日の仕事が終わった後の限られた時間と残された労力の中で、具体的にどうやって満足に足る言説を紡ぎ出しうるのか。たしかに、gribouillage(下手くそな殴り書き)とarticle(論文)の間には埋められない隔たりがある。しかし、このことは両者がまったく無関係だということを意味するのではない。両者の間には、言ってみれば否定的・批判的・héautonomeな関係がある。そもそも暴論を書こうと思って書いているわけではない以上――この点は決定的に重要である。もし暴論でよいと思って書いているのなら、話はまったく違ってくるし、これほど悩む理由はまったくなくなる――、暴論が正論になる唯一の道は、暴論が暴論である所以の特徴を一つ一つ消し去っていくこと、なぜ殴り書きになってしまっているのかを否定的・批判的に考え抜くことである。pasという語が「否」であると同時に「一歩」であることを思い出すならば、私たち自身のモットーは、今のところ、Pas du gribouillage à l'articleとでもなるだろうか。

héautonomieというのは、カントが『判断力批判』序論第5節で、判断力の特性を規定する際にautonomieと区別するために用いた語である。カントの区別を一言で言えば、autonomieとは常に他に対する自立=自律であり、自と他の直接的な規定関係であるのに対し、héautonomieとは常にまず自分自身にのみ関わる自立=自律であり、徹底した自と自の関係から間接的に他への規定関係が生じる。

(少しだけ詳しく言えばこうなる。自然の法則をひとたび発見すれば、あとはそれを機械的に適用すればよいだけといった悟性や理性の場合と異なり(規定的判断力)、判断力はケースバイケースで判断するので(反省的判断力)、理性や悟性がその対象に対して直接的に規定的であるという意味でautunomeなのに対して、判断力はその対象に対して間接的に規定的である(その対象に対して反省が生じるために自分自身に法則を指定する)という意味でhéautonomeなのである。)

ここで我々にとって重要なのは、暴論がひたすら自分を突き詰めていくことによって正論になりうる可能性である。この意味では、暴論のautophagieによる理論的考察の生成の可能性と言ってもよい。では、暴論の自己批判は、いかにして遂行されるのか。別に答えを持ち合わせているわけではないが、少なくともひとつ自分自身に向かって戒めておきたいことはある。

たしかにあらゆる思想は現状に対する不満から生まれる。しかし重要なのは、その後育つかどうか死産かどうかを意に介さずとにかく生みまくることではなく、数少ない本当に生まれた子供を見極め確実に育てることである。言いたい放題の殴り書きは自分の憂さ晴らしにはなるかもしれないが、それだけなら生みっ放しの無責任な親と同じである。

たとえシーシュポスの岩のように倦まず弛まず思考を練り上げていくほかないのだとしても、怠け方をではなく、よりよい岩の押し上げ方を考え続けなければならない。

Sunday, April 10, 2005

Apparition de l'inapparent

ここでは率直に現在までの私の仕事の進捗ぶり、というよりテイタイ(手痛い停滞)ぶりを総括して、少しでも前に進む材料にできればと思う。

私の研究の中心的な主題は「ベルクソンにおける身体corps概念」である。ベルクソン哲学といえば、通常、持続や記憶、エラン=ヴィタルといった諸概念が有名である。「身体corps」などというのは、はたして一定以上のconsistenceを備えた、積極的に取り上げるに足る概念なのであろうか。ここでは、メルロ=ポンティが『自然』についてのコレージュ・ド・フランスでの講義において序論として述べた言葉をパロディしてみたい気に駆られる(Cf. Maurice Merleau-Ponty, La Nature. Cours du Collège de France, établi et annoté par Dominique Séglard, éd. Seuil, coll. "Traces écrites", 1994, pp. 19-20)。

Peut-on valablement étudier la notion de "corps" ? N'est-elle pas autre chose que le produit d'une histoire au cours de laquelle elle a acquis une série d'acceptions qui ont fini par la rendre inintelligible ? N'est-il pas bien vain de chercher dans un sens unique le secret du mot ? Ne tombe-t-on pas sous la critique de Valéry lorsqu'il disait, à peu près, que la philosophie n'est que l'habitude de réfléchir sur des mots, en supposant que chaque mot a un sens, ce qui est illusoire puisque chaque mot a connu des glissements de sens.
Il faudrait s'attacher à l'histoire des méprises sur le sens du mot. Mais ces changements ont-ils été fortuits, n'y aurait-il pas un quelque chose qui a toujours été visé, s'il n'a pas été exprimé, par ceux qui employaient les mots ? Recherchons le sens primordial, non lexical, toujours visé par les gens qui parlent de "corps". Il y a corps partout où il y a une frontière entre vie et non-vie, sens et non-sens, mais où, cependant, il n'y a pas d'esprit. Corps est plutôt cette frontière même. Est corps ce qui a un sens, sans que ce sens ait été posé par la pensée. C'est l'hé-autoproduction d'un sens. Le corps n'est donc pas tout à fait la même chose qu'une simple chose ; elle a un intérieur, se détermine du dedans ; d'où l'opposition de "corporel" à "réel". Et cependant le corps n'est pas non plus tout à fait de l'homme ; elle n'est pas instituée par lui, elle s'oppose à la coutume, au discours.
Le corps est un objet énigmatique, un objet qui n'est pas tout à fait objet ; elle n'est pas tout à fait devant nous. Elle est notre sol, non pas ce qui est devant, mais ce qui nous porte.

きわめて乱暴な言い方をすれば、メルロ=ポンティの功績は、意識現象を中心的な研究対象とした前期フッサールに対して、後期フッサールの未刊草稿群を用いつつ、身体現象、とりわけ知覚を中心的な研究対象として、現象学の研究領野の拡大を図ったと言える。我々の試みは、身体現象、とりわけ知覚の特性に関するさらにいっそうラディカルな分析が実はベルクソンの中に見出されるのではないか、という仮説を提示することにある。

ベルクソンを現象学の伝統との対比の中で読むということは決して恣意的な試みではない。『ベルクソン年鑑』第二巻(2004年)の特集が「ベルクソンと現象学」であることを例に挙げてもよいが、ここでは
むしろ現象学の側から例をとることにしよう。

ドミニック・ジャニコーの佳作『フランス現象学の神学的転回』(1990年)は、ジャニコー自身が述べているように、フランス現代思想に関するヴァンサン・デコンブの見事なサーヴェイである『同と他』への一種の「追伸」(un post scriptum à la talentueuse rétrospective de Vincent Descombes, Le même et l'autre)であるが、より正確に言えば、同じジャニコーの小論("Rendre à nouveau raison? Dix ans de philosophie française (1979-1989)", in La philosophie en Europe, sous la direction de R. Klibanski et D. Pears, Gallimard, 1993, pp. 156-193.)やエリック・アリエズの『現象学の不可能性』がフランス現代思想一般を扱っているのに対して、タイトルが示すとおりフランス現象学の伝統に焦点を合わせている。

この著作においてジャニコーは、メルロ=ポンティが突然の死に見舞われた年であると同時に、レヴィナスが代表作『全体性と無限』を刊行した年でもある1961年を転回点と位置づけている。世界内存在の了解から歴史的存在としての人間に迫ろうとしたサルトルやメルロ=ポンティの世代に対して(その意味で、コルバンが創出しサルトルが継承したDaseinの仏訳がréalité humaineであったことには、ハイデガー理解の成否という文脈を超えて、もっと積極的な評価が与えられてよいのかもしれない)、それ以後、とりわけレヴィナスに始まり、ジャン=リュック・マリオン、ミシェル・アンリと続くフランス現象学の「王道」においてはむしろ、過度に観念論的ないし端的に形而上学的な超越性への依拠・回帰が見られる。この転回の方法論的な諸前提を明るみに出すこと、すなわちこの変動はいかなる代償を支払って成し遂げられたのか、その争点と限界とは何か、現象学のあらゆる側面に考察をめぐらすことで他の道を探ることは果たして可能かを問うことが、この著作の目的である。

 我々はこのパースペクティヴの取り方全般には完全に賛同するが、ただ一点、次のような点にはより細心の注意が払われるべきではないかと考える。

Se tournant vers "l'inapparent", la phénoménologie s'est mise en quête d'une manifestation originaire ou de la révélation de l'Autre comme tel, jusqu'à se faire la servante d'un discours plus ou moins explicitement théologique.

まさにこのl'inapparentの取り扱いにすべてがかかっている。現象、現れるものの分析のradicalisationは、現象と非現象の境界のよりラディカルな画定へと向かう。現れつつ現れないもの、現象が最も不透明に現れ出る場所にこそ現象の現象性を求めねばならない。そして、その可能性を我々はベルクソンのうちに探ろうというのである。この点で、ジャニコーが『転回』の第1章で「展開」以前の状況を素描し、最終章「新たな方向性 Réorientation」で「転回」以後の新たな可能性を探るべく再び出発点として依拠しているのがフッサールとともにベルクソンであることはきわめて興味深い。ここでは少し詳しくその論旨をたどってみよう(pp. 75-91.)。

(本書に対する諸々の批判(たとえば、J. Colette, "Phénoménologie et métaphysique", in Critique, nos 548-549, 1993.)や、それに対するジャニコーの反論をまとめた続編『炸裂する現象学』(1998年)は、ここでは取り上げない。)

(続く)

Friday, April 08, 2005

哲学の翻訳、翻訳の哲学

G.W. Leibniz, L’Harmonie des langues, présenté, traduit et commenté par Marc Crépon, édition du Seuil, coll. "Points", 2000.

何度確認しておいてもよいことだが、どんな書物も状況の産物fruit de circonstancesである。状況の産物でないような、いかなる書物もない。

本書もまた、「哲学における翻訳の重要性」という、より大きなテーマに連なる状況の産物である。本書は、Seuilという人文系大手出版社の売れ筋文庫Pointsの、Essaisというシリーズ(série)の一冊として刊行されているが、最も重要な書誌情報は、「この著作は、アラン・バディウとバルバラ・カッサンの監修下で刊行されている」という一文である。同じSeuilに、Ordre philosophiqueという別の叢書をもっている(例えば、ドゥルーズのベーコン論『感覚の論理学』の簡略版はこの叢書から刊行された)この二人は、明記されているわけではないが、どうやらEssaisの中に「シリーズの中のシリーズ」とでも言うべき、自分たち専用のシリーズを持っているようである。

バディウとカッサンのこの「シリーズ」の特徴は、重要な哲学的テーマに関するテクストを対訳版で、関連資料や語彙を付して提供することにある。例えば、ハイデガーが取り上げなおした中世存在論の枢要概念に関するトマス・アクィナスとフライベルクのディートリヒの決定的なテクストに、中世哲学の第一人者アラ ン・ド・リベラが解説を付した『存在と本質』(1996年)。あるいはまた、現代フランスを代表する政治哲学者バリバールが、近代認識論の祖ジョン・ロックの『人間悟性論』のとある一章とその仏訳に、近代西洋哲学全般を規定する「意識」と「自己」という概念の創出を見て取ろうとする『自己同一性と差異』(1998年)。他にも、パルメニデスの希仏対訳、スピノザの羅仏対訳、ルターやシュライエルマッハー、ニーチェの独仏対訳、ベンサムの英仏対訳などがある。

「オリジナルのテクストをとにもかくにも自分で、原語で、読む。現在の日本の思想界に最も欠けていると思われるこの誠実な態度が、フランスでは当たり前のように、現在第一線で活躍する哲学者たちの号令の下に、大手人文系出版社の、しかも文庫本で出版される、という形で実行されている」といった形の問題提起をすれば、「事態を誇張しすぎている」といった反駁の声が確実にあがるであろう。だが、日本の事態の深刻さを指摘するのは簡単だ。皆さんが廉価で入手しやすい代表的な哲学書の対訳版を一つでも挙げてくださることができればそれでいいのである。たった一つでも!

学部生時代から極端な専門化の一途をたどり、アリストテレス専門家はデカルトを知らず、デカルト研究者はフッサールを知らず、フッサール学者はネグリを知らない、という「哲学の縦割り行政」は根本的な問題の一つであるが、ここではそれが専門言語の一本化・秘教化として姿を現しているのである。

1)専門言語の一本化 「君はギリシャ語も読めずにアリストテレスを論じるというのかね」という哲学教師の嫌味を私は不当だとは思わない。それは至極まっとうな意見であり、語学のできない哲学者は心を入れなおして、真摯に語学の勉強に取り組むべきである。

しかし他方で、対立が「語学のできない表層的なゼネラリストか(現代思想家に多い)、特定の語学はできるが広範な視野を持たない専門家か(各分野の哲学者)」というレベルにとどまってしまうならば、それはきわめて不毛だと言わざるを得ない。そして、残念ながら、このレベルを超えた状況に今の日本がいるとは到底言えない、ということは最低限どんな立場の哲学者でも認めるところであろう。なぜなら私たちの国の哲学institutionは言語教育の重要性を看過するようにできているからである。これが次の問題、すなわち私が「専門言語の秘教化」と呼ぶ問題である。

2)専門言語の秘教化 「君はドイツ語も読めずにカントを論じるというのかね」という哲学教師の嫌味を私は不当だとは思わない。それは至極まっとうな意見であって、語学のできない哲学者とは端的にナンセンスである。

しかし他方で、現在の日本の哲学のinstitutionには、言語的なトレーニングを与える場が決定的に不足している。外国語で哲学の授業を行なう外国人教師がほとんどおらず、外国語で論文を書く習慣もない状況で、学生たちはどうやって哲学のツールとしての外国語(それは一般的な外国語の修練とはかなり異なる)の訓練ができるというのか。一部の意識ある学生たちが「手弁当で」「竹槍で」やるしかない状況なのです、残念ながら、と悲しげに首を振り微苦笑を浮かべつつ、大先生たちはおっしゃる!また、とりわけ哲学科においては、海外で修行を積んだ者が必ずしもより高い評価を受けるとは限らず、小判鮫よろしく先生の後ろに密着していた者が教授になるという不可解なる「人事慣習」が横行していないとも限らない。

マルクスをもじって言えば、意識が制度を規定するのではなく、制度が意識を規定するのである。必要は発明の母である。制度なしに大学における哲学が存在し得ないならば、「必要悪」としての制度をせいぜい活用しなければならない。したがって重要なのは、学部における外国語の習得をより本格化させ、哲学研究の根幹に「言語」を据えると同時に、大学院入試により高度の語学能力を要する試験を導入することだ。生き残りをかけて必死な大学の哲学科が安易な簡素化に生存の希望を託すようなことがもし万が一あれば、後で悔やんでも悔やみきれない禍根を残すことになるだろう。だが、私たちの政府は目先の帳尻あわせを優先し、国の宝であるべき国立大学を天下り官僚という「解体業者」たちに売り払ってしまった。こんな重大な過誤を見過ごした国民は自分の子孫たちがツケを支払わされる羽目になるということを十分に意識しているのであろうか。

専門研究にあまりにも入り込みすぎた結果、それ以外のものが見えなくなってしまった痛ましい研究者たちは言うまでもなく、アクチュアルな問題に対する広い視野を誇るはずの現代思想家たちさえもが、制度論的な視点を見事に欠落させているのはどうしたことであろうか。意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定するというマルクスの言葉を好んだ「批評家」が大学の哲学について罵詈雑言以外に語ることかくも少なく、建設的な意見に関しては皆無であったという事実は兆候的である。

さて、そうは言うものの、たしかにフランスと日本では、状況は-哲学の置かれた社会的地位も、出版状況も-かなり異なる。フランスは、大統領や大臣が演説の中で文学者や哲学者を当たり前のように引用し、それを聴衆がさして奇異としない国柄である。哲学者の発言が、他の知識人に比べて、さほどの遜色なく通用する国である。すでに中学・高校から、自国の哲学者デカルトのみならず、プラトンやカントのテクストにたとえ形だけではあっても目を通し、どれほど貧弱なものであろうと一家言もつことが端的に時間と労力の無駄だとは判断されない国である。

出版事情に関して言えば、哲学が高校で教えられることと相まって(むろん日本のかつての「倫理」の授業のような知識詰め込み教育ではなく、テクストを読みながら複数の概念を実地で学習・議論していく型の教育である)、毎年相当量の哲学書(リライトされたものではなく、オリジナル)が高校生・大学生向けに刊行され、それによりある程度の採算が見込まれることによって、 例えばプラトン『プロタゴラス』の複数の翻訳が文庫本で出版される国である(むろん、それらのほとんどが読まれずに中高生の本棚の肥やしになるだけであったとしても、それはそれで文化的な意義を持つ。彼らがいつかその『プロタゴラス』を手に取らないと誰に言い切ることができよう)。否定的側面が多々あることを承知で言えば、アグレガシオン(高等教育資格試験制度)が毎年複数の哲学者・テーマを課題とするために、それらの哲学者の著作が定期的に復刊され、課題となったテーマに関する研究が参考書として刊行されるという「制度」が、出版に関する限りで言えば、ある種の「好循環」を生んでいる国である。

現在の日本では、「日本語とギリシャ語の対訳版でプラトンを出版することに何の意味がある。どうせ学生たちは読めないのだから」とおそらくはプラトン研究者すら言うだろう。「そのような対訳版を廉価で出版するのはリスクが大きすぎる。一般読者は買わないだろうから」と比較的経営状態の安定 した大手出版社すら言うだろう。だが、日本の哲学者の言い分も、日本の出版社の事情も脇に置かせてもらって、「理念を振りかざす青二才の屁理屈」と軽くいなされることを承知で言えば、やはり対訳を廉価で出版することには見過ごせない哲学的な価値がある。原書を、原語で、ゆっくり読んでいくことの重要さが今の日本ほど必要とされている国もまたないということに、彼らは気づいているのだろうか。スロー・フード、スロー・ライフが重要であるように、スロー・リーディングにもまた、測り知れない哲学的な重要性があるのである。

もちろん、売れ筋の本を仕掛けていくことにも意味がある。商業的にはこちらのほうがメリットが大きいことは、私のようなど素人でもよく承知しているつもりである。2004年現在で言えば、ネグり+ハートの『帝国』関連書籍や、デリダ=ナンシー系列のイタリア人脈などを積極的に仕掛けていくことにはむろん大きな思想的意味もある。だが、率直に言って、これは現代思想かぶれの学生・若年サラリーマン向けだという印象を拭いきれない。ジジェクやバトラーの思想が大学を超える大きなムーヴメントをアメリカや、とりわけ日本において、引き起こしたという証言を私は寡聞にして知らない。そして、かつてのバルトのときと同じように、性急に出版された悪訳をつかまされるのは、最も熱心な信者たちなのだ。

現代の平均的な日本のサラリーマンが真っ先に読むべきなのは、そして繰り返し熟読玩味すべきなのは、16歳の少年が16世紀に書いた『喜んで隷属することに関する論文』であり、19世紀末のとある地方代議士が書いた『怠ける権利』である。これらの本を廉価版で提供することこそ、2004年現在の日本で最も大胆かつ壊乱的な営為なのであって、最先端の現代思想を輸入することはただそれら本物の思想を輝かせ(そして同時に自らをも輝かせようと する)ことによってしか価値がない。本物の思想はいつの時代にもアクチュアリティを失わない。ただ現在においてしかアクチュアルでない本は、これらの書物に束の間当てられるスポットライトに過ぎない。

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 本書には、ライプニッツ(1646-1714)が1679年から1710年にかけて、すなわち彼が33歳から64歳までの間に書いた言語と国民性の関係に関する三つの試論、主題的に関連する書簡からの抜粋や各種関連資料、キーワード解説、参考文献一覧が収められている。(2004年9月20日)