前々から思っていたのだが、自分が「ベルクソンとドゥルーズはどこでどう道を分かつのか」を単純な発展史観ではない形で考えようとする姿勢を強めるにつれて(それは言い方を変えれば、これまでドゥルーズの寄与ばかりが言われ絶賛されてきたベルクソン研究においてドゥルーズ的読解の功罪を客観的に捉え直そうとすることでもあるだろう)、「ドゥルーズ=ガタリ」という言い方を無視できなくなってきた。
ドゥルーズ研究者がガタリの存在を無視しなくなったこと、これはよいことである。数年前までは、フランスの若手はガタリを完全に無視していた(これは実は今でも根強い)。しかし、今は少なくとも"PC"としてはガタリに言及するのがドゥルーズ研究の「作法」となっている。
しかし、単なるPC,作法の域を出ていない。「本来ならばガタリに言及すべきであるが、これは別の機会に譲りたい」的な形式的エクスキューズを、「D/G研究の零地点」であるはずの『ドゥルーズ/ガタリの現在』の中で、何度目にしたことだろう。
ガタリの寄与は何なのか。こうして分けて書くことが作法に適わないというなら、DだけのときとD=Gの作動様態とは具体的にどこがどう「哲学的に」違うのか。今年度、アンヌ・ソヴァニヤルグが始めようとするセミネールは、狭義のD=Gの作品だけでなく、G単体の作品(が上位に置かれていることに注目)、ネグリらとの共作、D単体の作品を扱おうとしている点で、この問題を扱うことができるはずである(彼女はやらないかもしれないけれど)。あまたある訓詁学的アプローチや勇ましいスローガンや過激な文字が躍っているだけの政治的アプローチはもちろんアカデミックないしジャーナリスティックな存在意義をもつとしても、現在のドゥルーズ研究に最も必要な挙措はこれではあるまいか。
さらに言えば、この研究を彼女はある種の美学研究として行おうとしているように見える(プログラムの詳細が明らかにされていないので、これは推測の域を出ない)。「千と一つ目のプラトー」というタイトルは、ドゥルーズ研究の臨界点に立つと同時に、そのアカデミックな枠を超え出ようとする意志をも見せているように思われる。今後の動きを見守りたい。パリにいる留学生の方々には出席をお勧めする。
Deleuze et Guattari
CERPHI ENS-LSH Lyon / CIEPFC ENS Ulm
Année 2008-2009
DELEUZE et GUATTARI : d’un mille et unième plateau
1er novembre 2008 – de 14-17h à Ulm, Salle de philosophie du pavillon Pasteur
1ère séance : Des flux aux plis d’image
Nous analyserons les dispositifs de subjectivation, proposés dans
Félix Guattari, avec Suely Rolnik, Micropolitiques, 1986 ;
Gilles Deleuze : L’Image-mouvement et L’Image-temps (Minuit, 1983 et 1985) ;
Programme des séances 2008-2009
Les séances ont lieu le samedi de 14h à 17h, à l’ENS rue d’Ulm
1 novembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
15 novembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
13 décembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
17 janvier 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
7 février 2009 – Ecla – Grande salle.
7 mars 2009 – Ecla – Grande salle.
4 avril 2009 – Ecla – Grande salle.
2 mai 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur.
6 juin 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur.
Après avoir pratiqué de 2005 à 2008 la lecture systématique de Mille plateaux, plateau par plateau, puis s’être intéressé l’an dernier aux ponctions textuelles et aux connexions logiques, en recoupant la liste des catégories du dernier des Mille plateaux avec le reste du livre, nous abordons cette année un mille et unième plateau : celui de la poursuite disjonctive des modes de subjectivation, des flux et plis d’image dans les années 1980.
Nous lirons ainsi, selon le principe de connexion et d’hétérogénéité :
De Félix Guattari : La révolution moléculaire, Paris, Recherches, coll. « Encre », 1977, rééd. UGE, coll. « 10/18 », 1980 ; Les Années d’hiver 1980-1985, Paris, Barrault, 1986 ; Cartographies schizoanalytiques, Paris, Galilée, 1989 ; Les trois écologies, Paris, Galilée, 1989 ; avec Toni Negri, Les nouveaux espaces de liberté, Paris, Dominique Bedou, 1985 ; avec Suely Rolnik, Micropolitiques, 1986, tr. du brésilien par Renaud Barbaras, Paris, Les Empêcheurs de penser en rond, 2007.
Et de Gilles Deleuze : L’Image-mouvement et L’Image-temps (Minuit, 1983 et 1985) ; Foucault, Minuit, 1986 ; Le Pli, Minuit, 1988.
Contact : Anne Sauvagnargues
Tuesday, October 28, 2008
Sunday, October 26, 2008
近刊など
まずはSAB(Société des Amis de Bergson)のサイトがようやく(本当にようやく…)立ち上がりました。トップページ右上にあるのはベルクソニアンには見慣れた図。ブラジルでアルノーと会ったとき、この「発見」にとても満足していたっけ。サイトはまだ立ち上がっただけですが、それでも喜ばしいことではあります。実りあるベルクソン研究の中核基地として機能してほしいなと願っています。
それから今回のパリ滞在で約一年ぶりに自分の中の新刊・近刊情報を更新できたので、友人・知人の本を幾つかご紹介。
・Guillaume Sibertin-Blanc, Philosophie politique (XIXe-XXe siècle), PUF, coll. "Licence", septembre 2008, 248p.
ギヨームはドゥルーズの政治哲学について博論を書いた優秀な元ノルマリアン。政治哲学の概説本という装いのもとに、実際にはけっこう野心的な国家論。
・Aliocha Wald Lasowski, Pensées pour le nouveau siècle, éd. Fayard, septembre 2008, 567p.
アレックスは元々ヌーデルマン系の華やかな世界が向いていたので、今回のインタヴュー集はまさに彼の本領発揮といったところ。ヌーデルマンがやってるvendredis de philosophieのアシスタントをしばらくやってたので、そこで知己を得たのでしょう。アルーシュ(ラカン派の)、バディウ、カッサン、カスー=ノゲス、ドゥギー、デコンブ、ドゥティエンヌ、フロランス・デュポン(渋いね、ラチニストを選ぶなんて。たしか私はメデイア関係で彼女を読んだ)、パスカル・アンジェル、ゴーシェ、グリッサン、ゴドゥリエ、マルスラ・イアキュブ(マニグリエの奥さん)、フランソワ・ジュリアン、ブリュノ・ラトゥール、マシュレ、マリオン、ナンシー、ネグリ、ポンタリス、ランシエール、レイノーなどなど。今のフランス現代思想を広く知りたい若手にお勧めです(特に日本であまり知られていない人のをよく読むように)。その意味でこの手のインタヴュー集は貴重。
・ Luc Peterschmitt, "Le programme « baconien » des chimistes de la Royal Society, Methodos, vol. 8 (2008) : Chimie et mécanisme à l'âge classique.
リュックはバークレイを中心とする近世科学史の若手研究者。この雑誌Methodosはリール大学のもので、たしか3号くらいからオンライン化されました。彼は最近出版された科学史系の本の一章も書いていたけれど、その題名を残念ながら思い出せません。
それから今回のパリ滞在で約一年ぶりに自分の中の新刊・近刊情報を更新できたので、友人・知人の本を幾つかご紹介。
・Guillaume Sibertin-Blanc, Philosophie politique (XIXe-XXe siècle), PUF, coll. "Licence", septembre 2008, 248p.
ギヨームはドゥルーズの政治哲学について博論を書いた優秀な元ノルマリアン。政治哲学の概説本という装いのもとに、実際にはけっこう野心的な国家論。
・Aliocha Wald Lasowski, Pensées pour le nouveau siècle, éd. Fayard, septembre 2008, 567p.
アレックスは元々ヌーデルマン系の華やかな世界が向いていたので、今回のインタヴュー集はまさに彼の本領発揮といったところ。ヌーデルマンがやってるvendredis de philosophieのアシスタントをしばらくやってたので、そこで知己を得たのでしょう。アルーシュ(ラカン派の)、バディウ、カッサン、カスー=ノゲス、ドゥギー、デコンブ、ドゥティエンヌ、フロランス・デュポン(渋いね、ラチニストを選ぶなんて。たしか私はメデイア関係で彼女を読んだ)、パスカル・アンジェル、ゴーシェ、グリッサン、ゴドゥリエ、マルスラ・イアキュブ(マニグリエの奥さん)、フランソワ・ジュリアン、ブリュノ・ラトゥール、マシュレ、マリオン、ナンシー、ネグリ、ポンタリス、ランシエール、レイノーなどなど。今のフランス現代思想を広く知りたい若手にお勧めです(特に日本であまり知られていない人のをよく読むように)。その意味でこの手のインタヴュー集は貴重。
・ Luc Peterschmitt, "Le programme « baconien » des chimistes de la Royal Society, Methodos, vol. 8 (2008) : Chimie et mécanisme à l'âge classique.
リュックはバークレイを中心とする近世科学史の若手研究者。この雑誌Methodosはリール大学のもので、たしか3号くらいからオンライン化されました。彼は最近出版された科学史系の本の一章も書いていたけれど、その題名を残念ながら思い出せません。
Saturday, October 25, 2008
告知
私の関係しているイベントの告知です。
1)来月11月24-25日にパリENSおよびCIPhで「哲学への権利―グローバル化時代における研究教育制度の脱構築」と題して日欧共同フォーラムが催されます。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/11/forum_philosophie_et_education_1/
純粋に制度論として(哲学と大学を相互に外在的なものとして)論じるのではなく、哲学の本質と切り結ぶものとして大学という制度を論じようという試みです(というのが私の理解です)。この期間フランスにいらっしゃる方はぜひご参加いただければ幸いです。二日目の夜は打ち上げがありますので、各国の参加者たちと交流を深めていただければと思っています。
2)現在すでに第1回目を終えましたが、朝日カルチャーセンターで合田正人先生と私たちベルクソン・プロジェクトチームの面々による「ベルクソン哲学総検証――生誕150年を前に」が行われています。注目すべきは、狭義の哲学業界の研究者と合田先生の豊かな人脈との稀有なコラボレーションというところでしょう。先日終わったベルクソン・シンポとはまた一味違った研究の広がりをお見せすることができるのではないかと思っています。途中からの申し込みも可能ということですので、関心がおありの方はぜひご参加ください(詳細は朝カルにお問い合わせください)。
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=30448&userflg=0
1)来月11月24-25日にパリENSおよびCIPhで「哲学への権利―グローバル化時代における研究教育制度の脱構築」と題して日欧共同フォーラムが催されます。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/11/forum_philosophie_et_education_1/
純粋に制度論として(哲学と大学を相互に外在的なものとして)論じるのではなく、哲学の本質と切り結ぶものとして大学という制度を論じようという試みです(というのが私の理解です)。この期間フランスにいらっしゃる方はぜひご参加いただければ幸いです。二日目の夜は打ち上げがありますので、各国の参加者たちと交流を深めていただければと思っています。
2)現在すでに第1回目を終えましたが、朝日カルチャーセンターで合田正人先生と私たちベルクソン・プロジェクトチームの面々による「ベルクソン哲学総検証――生誕150年を前に」が行われています。注目すべきは、狭義の哲学業界の研究者と合田先生の豊かな人脈との稀有なコラボレーションというところでしょう。先日終わったベルクソン・シンポとはまた一味違った研究の広がりをお見せすることができるのではないかと思っています。途中からの申し込みも可能ということですので、関心がおありの方はぜひご参加ください(詳細は朝カルにお問い合わせください)。
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=30448&userflg=0
Sunday, October 12, 2008
祭りの後
パリ・シンポの件、自分の準備云々ではなく、ちょっと行けなくなるかもしれません。それでも、よいシンポであることに変わりはありませんので、行ける方はぜひご参加くださいませ。
*
第2回ベルクソン国際シンポ、成功裡に終わりました。昨年が打ち上げ花火だったとすれば、今年は実験室のようにうちとけた機能的な空間が開かれたように思います。
アジアにシフトしたこのシンポの聴衆は予想通り、昨年の半分くらいだったでしょうか。西洋哲学に関心をもつ人々は往々にして無意識的な西洋志向をもっているからではないかと、私は個人的に思っています(それ以外にも様々な要因が絡み合っているのでしょう)。
この思い込みを直接、外側から叩くのではなく、ベルクソン研究にとって本質的で活発な議論を積み重ねていくことで、内側から、我々自身のうちに潜むそのような意識を少しずつでも変えていく。そのために、これからも数年おきにこの種の試みを続けていきたいと思っています。
*
ちなみに、私のinterventionはどれもたしかに長かったですが(それはアルノー・フランソワも同じことです)、だらだらとコメントしたつもりはありませんよ(私も無駄な質問は大嫌いです)。1)フランス風の哲学的interventionがどういうものかを学生に見せるということ、2)一日の流れという垂直的連関と、三つの発表に共通する争点(もちろん私が見た限りでの)という水平的連関とを見やすい形で一般聴衆に提示することを目指して、意図的にやりました。
もちろんそれが成功したかどうかは別問題ですが、往々にして議論がその後、他の人たちによって引き継がれたところを見ると、何らかのproblématisationには成功したのではないかと思っています。
去年は出来なかったのですが、今年はなんとかシンポ概要をここでまとめておきたいと思っています。
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第2回ベルクソン国際シンポ、成功裡に終わりました。昨年が打ち上げ花火だったとすれば、今年は実験室のようにうちとけた機能的な空間が開かれたように思います。
アジアにシフトしたこのシンポの聴衆は予想通り、昨年の半分くらいだったでしょうか。西洋哲学に関心をもつ人々は往々にして無意識的な西洋志向をもっているからではないかと、私は個人的に思っています(それ以外にも様々な要因が絡み合っているのでしょう)。
この思い込みを直接、外側から叩くのではなく、ベルクソン研究にとって本質的で活発な議論を積み重ねていくことで、内側から、我々自身のうちに潜むそのような意識を少しずつでも変えていく。そのために、これからも数年おきにこの種の試みを続けていきたいと思っています。
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ちなみに、私のinterventionはどれもたしかに長かったですが(それはアルノー・フランソワも同じことです)、だらだらとコメントしたつもりはありませんよ(私も無駄な質問は大嫌いです)。1)フランス風の哲学的interventionがどういうものかを学生に見せるということ、2)一日の流れという垂直的連関と、三つの発表に共通する争点(もちろん私が見た限りでの)という水平的連関とを見やすい形で一般聴衆に提示することを目指して、意図的にやりました。
もちろんそれが成功したかどうかは別問題ですが、往々にして議論がその後、他の人たちによって引き継がれたところを見ると、何らかのproblématisationには成功したのではないかと思っています。
去年は出来なかったのですが、今年はなんとかシンポ概要をここでまとめておきたいと思っています。
Saturday, October 04, 2008
二つのシンポ
いよいよ来週後半は第2回のベルクソン・国際シンポ(詳細はこちら)。みなさまお誘い合わせのうえ、ぜひご来場を賜りますようお願い申し上げます。
そして、再来週はパリでデリダについて話します。公の場でデリダについて詳しく話すのは初めてで、それも錚々たるメンバーに囲まれて話すのに、自分のシンポの準備やら何やらでまったく準備ができていませんが…ともかく宣伝しておきます。ビッグ・ネームが揃っている好企画ですので、私の発表はともかく、フランス在住の方々はぜひお越しください。
LA PHILOSOPHIE DANS LE MOMENT DES ANNEES 60
17-18 OCTOBRE 2008
Colloque International
organisé par le CIEPFC (Ulm) et le CIPh
Ecole Normale Supérieure, 45 rue d’Ulm, 75005 PARIS
Direction : Patrice Maniglier
Le Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), en collaboration avec le Collège International de Philosophie, organise, dans le cadre de son Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’, organise une série de quatre double journées d’étude sur toute l’année 2008. Cette série se propose de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel. Chaque double journée porte sur une dimension par lesquelles les années 60 ont constitué un événement transversal pour la pensée : scientifique, politique, esthétique, philosophique. Chacune est constituée de deux journées d’étude : la première porte sur un livre, la seconde sur des aspects thématiques.
Cette troisième double journée revient sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Si il est vrai qu’il se caractérise par la manière dont la philosophie s’y est mise sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses concepts, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser.
Conformément à la méthodologie éprouvée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.
La première journée reviendra sur l’œuvre de Jacques Derrida pendant les années soixante, en s’appuyant sur deux livres majeurs, L’écriture et la différence et De la grammatologie.
La seconde proposera de requalifier l’événement des années soixante en tant qu’il a transformé le sens et la pratique même de la philosophie, l’identité et les méthodes de cette discipline, l’image qu’elle convie de la pensée, le rapport à son histoire et à ses textes, et enfin l’idée même de métaphysique qui a peut-être, curieusement, trouvé dans les années soixante un sens nouveau et particulièrement actuel.
PROGRAMME
VENDREDI 17 OCTOBRE 2008
DERRIDA DANS LE MOMENT DES ANNES SOIXANTE
ENS, 45 rue d’Ulm, Salle des Actes
Matin : 9h30 – 12h30
Frédéric Worms (Lille III, ENS-Ulm) : Le moment de la différence.
Igor Bucharles (Lille III) : De la différence à la différance
Hisashi Fujita (JSPS/Univ. Hitotsubashi) : La déconstruction du mariage dans le De la Grammatologie et au-delà.
Après-Midi : 14h30 -18h
Patrice Maniglier (University of Essex) : Térontologie saussurienne : ce que Derrida n’a pas lu dans le Cours de Linguistique Générale
Catherine Malabou (Paris X Nanterre) : Pourquoi la grammatologie n’a pas été une science.
Pause : 16h-16h30
Vladimir Safatle (Universidade Federal de Sao Paulo) : L’écriture sans scène. Lacan au-delà de la métaphysique de la présence.
Peter Dews (University of Essex) : Déconstruction et dialectique négative : une rencontre manquée.
SAMEDI 18 OCTOBRE 2008
LES ANNES SOIXANTE : UN MOMENT PHILOSOPHIQUE
ENS, 29 rue d’Ulm, Salle Jules Ferry
Matin : 9h30-12h30
Jean-Christophe Goddard (Toulouse-Le-Mirail) : Une nouvelle image de la pensée.
Pierre Macherey (Lille III) : Spinoza 1968 : deux lectures alternatives et complémentaires (Guéroult et Deleuze).
François Rastier (CNRS) : La linguistique des textes philosophiques : du « structuralisme » à la linguistique des corpus numériques.
Après-Midi : 14h30-18h
Jean-Michel Salanskis (Paris X Nanterre) : Derrida et la philosophie analytique.
François Laruelle (Paris X Nanterre) : Qu’est-ce qu’une science générique ?
Pause : 16h-16h30
Table ronde : A quoi pourrait-on reconnaître une « métaphysique continentale » ?
Elie During (Paris X Nanterre), Patrice Maniglier (University of Essex), Quentin Meillassoux (ENS Ulm), David Rabouin (CNRS).
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PROGRAMME GENERAL
« Le moment philosophique des années 60 »
Colloque International 2008
organisé par le CIEPFC (Ecole Normale Supérieure)
et le Collège International de Philosophie
Direction : Patrice Maniglier
Le Collège International de Philosophie, en collaboration et dans le cadre du Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’ du Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), organise sur toute l’année 2008 un colloque de quatre jours répartis sur toute l’année 2008 intitulé : « Le moment philosophique des années soixante ». Cette série se propose de faire le point sur les recherches en cours et de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel.
Il ne s’agit pas de revenir sur les années 60 sur un mode historique et commémoratif, mais d’en rouvrir l’héritage en posant d’emblée, à titre méthodologique, deux thèses. Premièrement les années 60 ont véritablement constitué un événement transversal pour la pensée dans toutes ses dimensions : scientifique, politique, esthétique, philosophique... Il n’est pas nécessaire de supposer qu’on puisse unifier cet événement dans un seul nom, une seule thèse, et encore moins une seule œuvre, pour reconnaître la consistance d’un « moment », avec ses circulations multiples, ses oppositions constituantes, et la propagation d’une force de rupture. Les années 60 ont eu le sentiment de faire date dans l’histoire de la pensée et ce n’était pas seulement illusion. Qu’elles aient été correctement qualifiées en leur temps est en revanche sujet à caution. Deuxièmement, de ce moment, nous sommes toujours les contemporains, au sens où les questions posées restent ouvertes et que ce qui s’est passé ne peut être accompli qu’aujourd’hui, dans l’après-coup qui conditionne l’historicité de la pensée. Des années 60, nous proposons de chercher donc ce qui est toujours actif.
Cependant, s’il ne s’agit pas faire le musée ou la commémoration d’une séquence de la pensée, il ne s’agit pas non plus de la rejouer telle quelle. On s’intéressera donc à la possibilité de requalifier l’événement en quoi ont consisté les années 60 dans les différents domaines de la pensée, de le qualifier autrement que de la manière dont il l’a été par ses acteurs, animés qu’ils étaient par un événement qui était à côté de celui par lequel ils se croyaient portés. Il s’agira donc de réunir, faire connaître, et faire dialoguer entre elles, les recherches récentes qui, de manière encore dispersée, ont été amenées à reconsidérer les enjeux épistémologiques autant que politiques, esthétiques et enfin proprement philosophiques de la conjoncture des années soixante.
En ce sens, on peut donc dire que cette série de colloques propose une contribution à ce qui pourrait être une histoire structurale, puisque symptômale, du « structuralisme », dépassant les oppositions factices entre pensées de la structure et pensées de la différence, montrant que l’événement dépassait déjà les noms même qu’on lui donnait, et qu’il garde, encore aujourd’hui, quelque chose d’excessif, et qui nous fait penser.
L’année 2008 n’est pas anodine : 1968 a précisément constitué ce point de rupture dans lequel les années 60 à la fois se réalisent et se renversent, ce point dans lequel l’accomplissement semble exactement coextensif à son inversion. C’est en ce point que nous souhaitons pouvoir nous tenir.
Les quatre journées s’intituleront : « Un moment épistémologique » ; « Un moment politique » ; « Un moment philosophique » ; « Un moment esthétique ».
Chacun d’entre eux succèdera à une journée qui aura lieu à l’Ecole Normale Supérieure, portant sur un livre majeur de cette décennie, soit dans l’ordre : La pensée sauvage de Claude Lévi-Strauss (direction : Frédéric Keck), Pour Marx de Louis Althusser (direction : Stéphane Legrand et Guillaume Sibertin-Blanc), De la Grammatologie de Jacques Derrida (direction : Frédéric Worms), Discours Figure de Jean-François Lyotard (direction : Elie During).
Calendrier
Conférence introductive de Frédéric Worms : « L’idée de moment en philosophie : le cas des années 60 » (samedi 16 février 2008) .
I. « Les années 60 : Un moment épistémologique » (22 mars 2007)
II. « Les années 60 : Un moment politique » (17 mai 2007)
III. « Les années 60 : Un moment philosophique » (18 Octobre 2007)
IV. « Les années 60 : Un moment esthétique » (13 Décembre 2007)
La première journée, consacrée au « Moment épistémologique », se propose de revenir sur les enjeux épistémologiques des années 60. Le moment philosophique des années 60 se caractérise en effet par la manière dont la philosophie s’est mise sous condition des savoirs, dans une conjoncture où les sciences humaines rêvent de leur formalisation en même temps qu’ils ne cessent de faire valoir leurs enjeux sinon politiques, du moins critiques. Cette journée se propose de revenir sur la manière dont les découvertes scientifiques ou (plus modestement) théoriques qui ont eu lieu parfois bien avant – en linguistique, en anthropologie, en psychanalyse, mais aussi en mathématique ou en biologie – ont pu contribuer au renouvellement de la pensée philosophique dans les années 60. L’ambition de cette journée n’est pas tant historique que prospectif : il s’agit de mettre en évidence l’actualité sinon des réponses du moins des questions qui ont été posées, par les disciplines théoriques, à la philosophie, et que celle-ci a su accueillir.
Les recherches récentes en histoire des sciences ont en effet apporté une lumière nouvelle sur les véritables enjeux et la véritable nature des grandes manœuvres théoriques qui ont été associés notamment au « structuralisme ». Cependant, il n’existe pas encore de tentative pour prendre la mesure des transformations que ces recherches apportent à l’image globale qu’on peut se faire de ce que la philosophie doit au champ théorique. Cette journée voudrait contribuer à ce travail, en mettant en évidence ce qui n’est au fond rien d’autre qu’une autre histoire du structuralisme, requalifié quarante ans après avec d’autres concepts que ceux par lesquels il fut déclaré et aussitôt condamné.
Programme
Matin : Ruptures théoriques ?
Bernard Laks (Paris X-Nanterre) : Actualité du saussurisme : linguistiques structurales et théories cognitives.
Yves Duroux (ENS-Cachan) : L’opération d’Althusser : comment l’épistémologie invente une nouvelle science.
Pierre-Henri Castel (CNRS/IHPST) : L’épistémologisation de la psychanalyse dans les années 1960: remarques croisées sur Lacan et Bion.
David Rabouin (CNRS/REHSEIS) : Structuralisme en mathématiques et sciences humaines : un malentendu ?
Apres-Midi : Paradigmes épistémologiques ?
Alberto Gualandi : La question de l’humain entre philosophies de la nature et sciences de la vie.
Alan Schrift (Grinnell College, USA) : Nietzscheanism as Epistemology: The French Reception of Nietzsche in the Sixties (Le nietzschéisme comme épistémologie: la réception française de Nietzsche dans le moment philosophique des années 60”)
Jean Petitot (CNRS/CREA) : Structuralisme et Morphodynamique.
Alain Badiou (ENS-Paris) : Le concept de modèle, quarante ans après.
La seconde journée sera consacrée aux enjeux politiques. Alors que se multiplieront les commémorations de Mai 68, il s’agira non pas seulement d’opposer, à la ferveur équivoque de la commémoration, la froide analyse de l’historien, mais bien encore de réévaluer les véritables enjeux, du point de vue de la philosophie, des grands mouvements ou phénomènes politiques caractéristiques des années 60, même si leur importance ne fut pas nécessairement perçue par les contemporains.
Quels furent les événements ou processus politiques qui ont suscité, ou qui auraient dû, en droit, susciter, un véritable renouvellement de la philosophie, au-delà même de la philosophie politique, jusqu’au sens même de l’engagement philosophique ? En quoi la conjoncture politique singulière des années 60 a-t-elle constitué un moment pour la philosophie ? Mais aussi en quoi les pratiques politiques ont-elles pu être nourries par ce moment philosophique ?
Cette question signifie plusieurs choses. Premièrement, quelles furent, parmi les expériences politiques mûries dans les années 60, celles qui nourrirent le profond renouvellement que la philosophie eut alors le sentiment de connaître ? En quoi la décolonisation, par exemple, a-t-elle été porteuse d’enjeux philosophiques qui se formulent dans la pensée d’un Sartre ou d’un Lévi-Strauss, et en quoi éventuellement une relecture de la décolonisation permet aujourd’hui de relire ces recherches ? En quoi les vicissitudes du mouvement ouvrier au niveau mondial et la diversification des significations et des pratiques de la « révolution » a-t-elle pu nourrir la pensée d’Althusser, de Foucault ou de Bourdieu ? Comment les transformations dans les mœurs, la sexualité, les rapports de sexe ont-ils déterminé la reformulation, plus ou moins immédiate, de questions philosophiques classiques, chez Deleuze ou Lyotard par exemple ? Et même, plus lointainement, en quoi l’expérience politique si singulière de Mai 68, a-t-elle pu déterminer, de manière plus ou moins manifeste, le cheminement ultérieur des pensées comme celles de Derrida ou, plus récemment, de Badiou ? Il s’agit donc pour une part de réinterpréter les relations entre l’activité philosophique et les pratiques politiques, afin de mieux éclairer et l’un et l’autre, au-delà des anathèmes rapides, des amalgames faciles et de la lecture purement idéologique qu’on fait souvent de ces rapports.
Mais il s’agit aussi de laisser une place pour les possibles qui ne furent pas actualisés. Et la question signifie, alors, deuxièmement : qu’est-ce qui, parmi les expériences abouties dans les années 60, aurait dû être porteur, même si ce n’a pas été le cas, de profonds renouvellements de la philosophie ? Qu’est-ce qui, dans les années 60, est encore en attente de sa caractérisation en pensée ? Il s’agit peut-être alors de faire voir comme événements, et comme événements indissociablement philosophiques et politiques, ce qui n’apparut pas forcément comme tel aux contemporains. Evénements discrets, mais fondamentaux, qui engage le devenir de la philosophie sans qu’elle s’en soit forcément rendue compte.
Enfin, la question du moment politique, en philosophie, des années 60, signifie troisièmement : qu’est-ce qui, dans les œuvres philosophiques arrivées à terme dans les années 60, est encore porteur d’enjeux politiques valables dans notre actualité ? En quoi ces œuvres éclairent-elles la question politique telle qu’elle se pose pour nous aujourd’hui, et peut-être telle qu’elle se posera désormais pour tous, en ce sens qu’elles auraient ménagé une place pour la découverte d’un de sens possibles, d’un des modes d’existence, de la politique en général ? Il s’agira donc d’analyser quelques usages contemporains en politique de la philosophie des années 60.
Bien sûr, à travers ces questions, il s’agira d’interpréter Mai 68, événement symbole précisément parce qu’il est équivoque et qu’il est impossible de trancher entre ses différentes significations, événement à la charnière des siècles, où le vingt-et-unième siècle s’annonce dans la grammaire du dix-neuvième, à moins que ce ne soit le dix-neuvième qui cherche à mourir dans une phrase aurorale. Pour la philosophie, il n’importe pas de trancher sur le sens historique de Mai 68 : il importe de savoir ce qu’il emporte de décisif pour la pensée aujourd’hui.
Programme
Matin (10h-13h) :
Patrice Maniglier (University of Essex) : Introduction : De la Théorie à la Pratique : 68 et le structuralisme.
Mauro Pedruzzi (Université de Milan) : Derrida l’Européen : La responsabilité et l’aporie.
Mathieu Potte-Bonneville (CIPh) : Du sable à la bataille : Foucault avant 68
Laurent Jeanpierre (IEP Strasbourg) : Des occupations : portrait théorique d’un répertoire politique réactivé.
Après-Midi (15h-18h) :
Jean-Claude Milner (Paris VII) : Quand Achille rattrapa la tortue
Etienne Balibar (Paris X) : Démocratiser la démocratie.
Ernesto Laclau (University of Essex) : Imaginaires politiques et actions politique : le grand tournant des années 60.
La troisième journée reviendra sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Reprenant la problématisation mise en œuvre dans les précédentes journées, on posera question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années soixante pour la philosophie, celle-ci fonctionnant ici pour ainsi dire comme son propre dehors.
Si en effet la philosophie française des années 60 se caractérise par la manière dont elle se met sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser. Reprenant la problématisation déjà mise en œuvre dans les précédentes journées, cette journée pose la question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années 60 pour la philosophie, mais qu’elle trouverait cette fois dans la philosophie elle-même, et non pas, comme nous en avons fait l’hypothèse dans les journées précédentes, dans le contexte scientifique ou politique.
Conformément à la méthodologie suggérée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.
La quatrième journée concernera les enjeux esthétiques des années 60, et sera l’occasion de poser la question du rapport de la philosophie à la littérature, mais aussi aux pratiques de ce genre incertain qu’on appelle « l’art contemporain » et qui se met en place dans ces années là, ainsi qu’avec les arts populaires comme le cinéma et le théâtre.
L’esthétique occupe une place souvent sous-estimée dans les grands débats qui traversèrent et structurèrent le moment philosophique des années 60 en France. Cependant, alors qu’on aurait pu penser que la vogue du structuralisme et des « philosophies du concept » rejetterait à l’arrière plan la dimension du sensible, il apparaît rétrospectivement que non seulement la littérature et les arts plastiques avaient une part centrale dans ces débats (avec Barthes, la nouvelle critique et le nouveau roman bien sûr, mais aussi avec le théâtre et le cinéma d’un côté, et de l’autre avec les avant-gardes modernistes telles que Supports/Surfaces ou les œuvres de Buren, Toroni et Mosset, entre autres), mais encore que l’étrange mouvement de radicalisation-renversement qui conduisit, pour des raisons internes, de la philosophie des structures à celle de la différence devait rapidement redonner à la question esthétique toute son importance. Le parcours de Lyotard à ce titre anticipe sur le mouvement bientôt réalisé par Deleuze, Barthes ou Derrida. On redécouvre aussi depuis quelques années l’importance de la réflexion esthétique chez Foucault, ainsi que la profondeur du thème de la logique des qualités sensibles mis en avant par Lévi-Strauss. De même, on a été amené à réévaluer les œuvres de Merleau-Ponty et de Mikel Dufrenne dans ce contexte. Il apparaît enfin, aujourd’hui, que c’est peut-être sur le terrain de l’esthétique, et dans un dialogue avec cet espace singulier qu’est celui de l’art contemporain, que les grandes questions, concepts et stylistiques caractéristiques du moment philosophique des années 60 sont le plus activement convoqués, comme en témoignent le travail de Jacques Rancière ou Bruno Latour. Alors que les dehors scientifiques et politiques semblaient déterminants pour le moment philosophique des années 60, il semble aujourd’hui, pour des raisons qui restent à élucider, que l’héritage de la philosophie française des années 60 trouve dans l’esthétique son dehors privilégié.
Le but de cette journée d’étude sera de faire le point sur ces recherches en cours et de mieux comprendre la nature du dialogue étroit mais assez mal stabilisé que la philosophie entretient avec le domaine de la littérature et cet espace singulier qu’on appelle l’art contemporain.
Conformément aux précédents colloques, ce colloque se déroulera en deux temps. Le premier sera consacré à une journée d’étude sur un livre. Il s’agira cette fois de Discours, Figure de Jean-François Lyotard. La seconde journée sera consacrée à un repérage plus général de ces questions.
Conformément aussi à la méthodologie mise en place lors des précédentes journées, il s’agira avant tout de requalifier les véritables lieux de la question esthétique tels que les contemporains ont pu y prendre part sans en avoir clairement conscience. On s’intéressera donc soit aux grandes transformations dans ce que Jacques Rancière a appelé le régime du sensible, telles qu’elles se manifestent en particulier dans les arts, qui ont pu fonctionner comme conditions pour la constitution de ce moment philosophique, soit à l’inverse de proposer une relecture de certaines de ces œuvres philosophiques qui paraissent éclairer par anticipation les enjeux esthétiques d’aujourd’hui et nourrir les pratiques du sensible autant que celles-ci ont pu conditionner la pensée philosophique.
そして、再来週はパリでデリダについて話します。公の場でデリダについて詳しく話すのは初めてで、それも錚々たるメンバーに囲まれて話すのに、自分のシンポの準備やら何やらでまったく準備ができていませんが…ともかく宣伝しておきます。ビッグ・ネームが揃っている好企画ですので、私の発表はともかく、フランス在住の方々はぜひお越しください。
LA PHILOSOPHIE DANS LE MOMENT DES ANNEES 60
17-18 OCTOBRE 2008
Colloque International
organisé par le CIEPFC (Ulm) et le CIPh
Ecole Normale Supérieure, 45 rue d’Ulm, 75005 PARIS
Direction : Patrice Maniglier
Le Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), en collaboration avec le Collège International de Philosophie, organise, dans le cadre de son Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’, organise une série de quatre double journées d’étude sur toute l’année 2008. Cette série se propose de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel. Chaque double journée porte sur une dimension par lesquelles les années 60 ont constitué un événement transversal pour la pensée : scientifique, politique, esthétique, philosophique. Chacune est constituée de deux journées d’étude : la première porte sur un livre, la seconde sur des aspects thématiques.
Cette troisième double journée revient sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Si il est vrai qu’il se caractérise par la manière dont la philosophie s’y est mise sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses concepts, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser.
Conformément à la méthodologie éprouvée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.
La première journée reviendra sur l’œuvre de Jacques Derrida pendant les années soixante, en s’appuyant sur deux livres majeurs, L’écriture et la différence et De la grammatologie.
La seconde proposera de requalifier l’événement des années soixante en tant qu’il a transformé le sens et la pratique même de la philosophie, l’identité et les méthodes de cette discipline, l’image qu’elle convie de la pensée, le rapport à son histoire et à ses textes, et enfin l’idée même de métaphysique qui a peut-être, curieusement, trouvé dans les années soixante un sens nouveau et particulièrement actuel.
PROGRAMME
VENDREDI 17 OCTOBRE 2008
DERRIDA DANS LE MOMENT DES ANNES SOIXANTE
ENS, 45 rue d’Ulm, Salle des Actes
Matin : 9h30 – 12h30
Frédéric Worms (Lille III, ENS-Ulm) : Le moment de la différence.
Igor Bucharles (Lille III) : De la différence à la différance
Hisashi Fujita (JSPS/Univ. Hitotsubashi) : La déconstruction du mariage dans le De la Grammatologie et au-delà.
Après-Midi : 14h30 -18h
Patrice Maniglier (University of Essex) : Térontologie saussurienne : ce que Derrida n’a pas lu dans le Cours de Linguistique Générale
Catherine Malabou (Paris X Nanterre) : Pourquoi la grammatologie n’a pas été une science.
Pause : 16h-16h30
Vladimir Safatle (Universidade Federal de Sao Paulo) : L’écriture sans scène. Lacan au-delà de la métaphysique de la présence.
Peter Dews (University of Essex) : Déconstruction et dialectique négative : une rencontre manquée.
SAMEDI 18 OCTOBRE 2008
LES ANNES SOIXANTE : UN MOMENT PHILOSOPHIQUE
ENS, 29 rue d’Ulm, Salle Jules Ferry
Matin : 9h30-12h30
Jean-Christophe Goddard (Toulouse-Le-Mirail) : Une nouvelle image de la pensée.
Pierre Macherey (Lille III) : Spinoza 1968 : deux lectures alternatives et complémentaires (Guéroult et Deleuze).
François Rastier (CNRS) : La linguistique des textes philosophiques : du « structuralisme » à la linguistique des corpus numériques.
Après-Midi : 14h30-18h
Jean-Michel Salanskis (Paris X Nanterre) : Derrida et la philosophie analytique.
François Laruelle (Paris X Nanterre) : Qu’est-ce qu’une science générique ?
Pause : 16h-16h30
Table ronde : A quoi pourrait-on reconnaître une « métaphysique continentale » ?
Elie During (Paris X Nanterre), Patrice Maniglier (University of Essex), Quentin Meillassoux (ENS Ulm), David Rabouin (CNRS).
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PROGRAMME GENERAL
« Le moment philosophique des années 60 »
Colloque International 2008
organisé par le CIEPFC (Ecole Normale Supérieure)
et le Collège International de Philosophie
Direction : Patrice Maniglier
Le Collège International de Philosophie, en collaboration et dans le cadre du Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’ du Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), organise sur toute l’année 2008 un colloque de quatre jours répartis sur toute l’année 2008 intitulé : « Le moment philosophique des années soixante ». Cette série se propose de faire le point sur les recherches en cours et de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel.
Il ne s’agit pas de revenir sur les années 60 sur un mode historique et commémoratif, mais d’en rouvrir l’héritage en posant d’emblée, à titre méthodologique, deux thèses. Premièrement les années 60 ont véritablement constitué un événement transversal pour la pensée dans toutes ses dimensions : scientifique, politique, esthétique, philosophique... Il n’est pas nécessaire de supposer qu’on puisse unifier cet événement dans un seul nom, une seule thèse, et encore moins une seule œuvre, pour reconnaître la consistance d’un « moment », avec ses circulations multiples, ses oppositions constituantes, et la propagation d’une force de rupture. Les années 60 ont eu le sentiment de faire date dans l’histoire de la pensée et ce n’était pas seulement illusion. Qu’elles aient été correctement qualifiées en leur temps est en revanche sujet à caution. Deuxièmement, de ce moment, nous sommes toujours les contemporains, au sens où les questions posées restent ouvertes et que ce qui s’est passé ne peut être accompli qu’aujourd’hui, dans l’après-coup qui conditionne l’historicité de la pensée. Des années 60, nous proposons de chercher donc ce qui est toujours actif.
Cependant, s’il ne s’agit pas faire le musée ou la commémoration d’une séquence de la pensée, il ne s’agit pas non plus de la rejouer telle quelle. On s’intéressera donc à la possibilité de requalifier l’événement en quoi ont consisté les années 60 dans les différents domaines de la pensée, de le qualifier autrement que de la manière dont il l’a été par ses acteurs, animés qu’ils étaient par un événement qui était à côté de celui par lequel ils se croyaient portés. Il s’agira donc de réunir, faire connaître, et faire dialoguer entre elles, les recherches récentes qui, de manière encore dispersée, ont été amenées à reconsidérer les enjeux épistémologiques autant que politiques, esthétiques et enfin proprement philosophiques de la conjoncture des années soixante.
En ce sens, on peut donc dire que cette série de colloques propose une contribution à ce qui pourrait être une histoire structurale, puisque symptômale, du « structuralisme », dépassant les oppositions factices entre pensées de la structure et pensées de la différence, montrant que l’événement dépassait déjà les noms même qu’on lui donnait, et qu’il garde, encore aujourd’hui, quelque chose d’excessif, et qui nous fait penser.
L’année 2008 n’est pas anodine : 1968 a précisément constitué ce point de rupture dans lequel les années 60 à la fois se réalisent et se renversent, ce point dans lequel l’accomplissement semble exactement coextensif à son inversion. C’est en ce point que nous souhaitons pouvoir nous tenir.
Les quatre journées s’intituleront : « Un moment épistémologique » ; « Un moment politique » ; « Un moment philosophique » ; « Un moment esthétique ».
Chacun d’entre eux succèdera à une journée qui aura lieu à l’Ecole Normale Supérieure, portant sur un livre majeur de cette décennie, soit dans l’ordre : La pensée sauvage de Claude Lévi-Strauss (direction : Frédéric Keck), Pour Marx de Louis Althusser (direction : Stéphane Legrand et Guillaume Sibertin-Blanc), De la Grammatologie de Jacques Derrida (direction : Frédéric Worms), Discours Figure de Jean-François Lyotard (direction : Elie During).
Calendrier
Conférence introductive de Frédéric Worms : « L’idée de moment en philosophie : le cas des années 60 » (samedi 16 février 2008) .
I. « Les années 60 : Un moment épistémologique » (22 mars 2007)
II. « Les années 60 : Un moment politique » (17 mai 2007)
III. « Les années 60 : Un moment philosophique » (18 Octobre 2007)
IV. « Les années 60 : Un moment esthétique » (13 Décembre 2007)
La première journée, consacrée au « Moment épistémologique », se propose de revenir sur les enjeux épistémologiques des années 60. Le moment philosophique des années 60 se caractérise en effet par la manière dont la philosophie s’est mise sous condition des savoirs, dans une conjoncture où les sciences humaines rêvent de leur formalisation en même temps qu’ils ne cessent de faire valoir leurs enjeux sinon politiques, du moins critiques. Cette journée se propose de revenir sur la manière dont les découvertes scientifiques ou (plus modestement) théoriques qui ont eu lieu parfois bien avant – en linguistique, en anthropologie, en psychanalyse, mais aussi en mathématique ou en biologie – ont pu contribuer au renouvellement de la pensée philosophique dans les années 60. L’ambition de cette journée n’est pas tant historique que prospectif : il s’agit de mettre en évidence l’actualité sinon des réponses du moins des questions qui ont été posées, par les disciplines théoriques, à la philosophie, et que celle-ci a su accueillir.
Les recherches récentes en histoire des sciences ont en effet apporté une lumière nouvelle sur les véritables enjeux et la véritable nature des grandes manœuvres théoriques qui ont été associés notamment au « structuralisme ». Cependant, il n’existe pas encore de tentative pour prendre la mesure des transformations que ces recherches apportent à l’image globale qu’on peut se faire de ce que la philosophie doit au champ théorique. Cette journée voudrait contribuer à ce travail, en mettant en évidence ce qui n’est au fond rien d’autre qu’une autre histoire du structuralisme, requalifié quarante ans après avec d’autres concepts que ceux par lesquels il fut déclaré et aussitôt condamné.
Programme
Matin : Ruptures théoriques ?
Bernard Laks (Paris X-Nanterre) : Actualité du saussurisme : linguistiques structurales et théories cognitives.
Yves Duroux (ENS-Cachan) : L’opération d’Althusser : comment l’épistémologie invente une nouvelle science.
Pierre-Henri Castel (CNRS/IHPST) : L’épistémologisation de la psychanalyse dans les années 1960: remarques croisées sur Lacan et Bion.
David Rabouin (CNRS/REHSEIS) : Structuralisme en mathématiques et sciences humaines : un malentendu ?
Apres-Midi : Paradigmes épistémologiques ?
Alberto Gualandi : La question de l’humain entre philosophies de la nature et sciences de la vie.
Alan Schrift (Grinnell College, USA) : Nietzscheanism as Epistemology: The French Reception of Nietzsche in the Sixties (Le nietzschéisme comme épistémologie: la réception française de Nietzsche dans le moment philosophique des années 60”)
Jean Petitot (CNRS/CREA) : Structuralisme et Morphodynamique.
Alain Badiou (ENS-Paris) : Le concept de modèle, quarante ans après.
La seconde journée sera consacrée aux enjeux politiques. Alors que se multiplieront les commémorations de Mai 68, il s’agira non pas seulement d’opposer, à la ferveur équivoque de la commémoration, la froide analyse de l’historien, mais bien encore de réévaluer les véritables enjeux, du point de vue de la philosophie, des grands mouvements ou phénomènes politiques caractéristiques des années 60, même si leur importance ne fut pas nécessairement perçue par les contemporains.
Quels furent les événements ou processus politiques qui ont suscité, ou qui auraient dû, en droit, susciter, un véritable renouvellement de la philosophie, au-delà même de la philosophie politique, jusqu’au sens même de l’engagement philosophique ? En quoi la conjoncture politique singulière des années 60 a-t-elle constitué un moment pour la philosophie ? Mais aussi en quoi les pratiques politiques ont-elles pu être nourries par ce moment philosophique ?
Cette question signifie plusieurs choses. Premièrement, quelles furent, parmi les expériences politiques mûries dans les années 60, celles qui nourrirent le profond renouvellement que la philosophie eut alors le sentiment de connaître ? En quoi la décolonisation, par exemple, a-t-elle été porteuse d’enjeux philosophiques qui se formulent dans la pensée d’un Sartre ou d’un Lévi-Strauss, et en quoi éventuellement une relecture de la décolonisation permet aujourd’hui de relire ces recherches ? En quoi les vicissitudes du mouvement ouvrier au niveau mondial et la diversification des significations et des pratiques de la « révolution » a-t-elle pu nourrir la pensée d’Althusser, de Foucault ou de Bourdieu ? Comment les transformations dans les mœurs, la sexualité, les rapports de sexe ont-ils déterminé la reformulation, plus ou moins immédiate, de questions philosophiques classiques, chez Deleuze ou Lyotard par exemple ? Et même, plus lointainement, en quoi l’expérience politique si singulière de Mai 68, a-t-elle pu déterminer, de manière plus ou moins manifeste, le cheminement ultérieur des pensées comme celles de Derrida ou, plus récemment, de Badiou ? Il s’agit donc pour une part de réinterpréter les relations entre l’activité philosophique et les pratiques politiques, afin de mieux éclairer et l’un et l’autre, au-delà des anathèmes rapides, des amalgames faciles et de la lecture purement idéologique qu’on fait souvent de ces rapports.
Mais il s’agit aussi de laisser une place pour les possibles qui ne furent pas actualisés. Et la question signifie, alors, deuxièmement : qu’est-ce qui, parmi les expériences abouties dans les années 60, aurait dû être porteur, même si ce n’a pas été le cas, de profonds renouvellements de la philosophie ? Qu’est-ce qui, dans les années 60, est encore en attente de sa caractérisation en pensée ? Il s’agit peut-être alors de faire voir comme événements, et comme événements indissociablement philosophiques et politiques, ce qui n’apparut pas forcément comme tel aux contemporains. Evénements discrets, mais fondamentaux, qui engage le devenir de la philosophie sans qu’elle s’en soit forcément rendue compte.
Enfin, la question du moment politique, en philosophie, des années 60, signifie troisièmement : qu’est-ce qui, dans les œuvres philosophiques arrivées à terme dans les années 60, est encore porteur d’enjeux politiques valables dans notre actualité ? En quoi ces œuvres éclairent-elles la question politique telle qu’elle se pose pour nous aujourd’hui, et peut-être telle qu’elle se posera désormais pour tous, en ce sens qu’elles auraient ménagé une place pour la découverte d’un de sens possibles, d’un des modes d’existence, de la politique en général ? Il s’agira donc d’analyser quelques usages contemporains en politique de la philosophie des années 60.
Bien sûr, à travers ces questions, il s’agira d’interpréter Mai 68, événement symbole précisément parce qu’il est équivoque et qu’il est impossible de trancher entre ses différentes significations, événement à la charnière des siècles, où le vingt-et-unième siècle s’annonce dans la grammaire du dix-neuvième, à moins que ce ne soit le dix-neuvième qui cherche à mourir dans une phrase aurorale. Pour la philosophie, il n’importe pas de trancher sur le sens historique de Mai 68 : il importe de savoir ce qu’il emporte de décisif pour la pensée aujourd’hui.
Programme
Matin (10h-13h) :
Patrice Maniglier (University of Essex) : Introduction : De la Théorie à la Pratique : 68 et le structuralisme.
Mauro Pedruzzi (Université de Milan) : Derrida l’Européen : La responsabilité et l’aporie.
Mathieu Potte-Bonneville (CIPh) : Du sable à la bataille : Foucault avant 68
Laurent Jeanpierre (IEP Strasbourg) : Des occupations : portrait théorique d’un répertoire politique réactivé.
Après-Midi (15h-18h) :
Jean-Claude Milner (Paris VII) : Quand Achille rattrapa la tortue
Etienne Balibar (Paris X) : Démocratiser la démocratie.
Ernesto Laclau (University of Essex) : Imaginaires politiques et actions politique : le grand tournant des années 60.
La troisième journée reviendra sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Reprenant la problématisation mise en œuvre dans les précédentes journées, on posera question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années soixante pour la philosophie, celle-ci fonctionnant ici pour ainsi dire comme son propre dehors.
Si en effet la philosophie française des années 60 se caractérise par la manière dont elle se met sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser. Reprenant la problématisation déjà mise en œuvre dans les précédentes journées, cette journée pose la question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années 60 pour la philosophie, mais qu’elle trouverait cette fois dans la philosophie elle-même, et non pas, comme nous en avons fait l’hypothèse dans les journées précédentes, dans le contexte scientifique ou politique.
Conformément à la méthodologie suggérée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.
La quatrième journée concernera les enjeux esthétiques des années 60, et sera l’occasion de poser la question du rapport de la philosophie à la littérature, mais aussi aux pratiques de ce genre incertain qu’on appelle « l’art contemporain » et qui se met en place dans ces années là, ainsi qu’avec les arts populaires comme le cinéma et le théâtre.
L’esthétique occupe une place souvent sous-estimée dans les grands débats qui traversèrent et structurèrent le moment philosophique des années 60 en France. Cependant, alors qu’on aurait pu penser que la vogue du structuralisme et des « philosophies du concept » rejetterait à l’arrière plan la dimension du sensible, il apparaît rétrospectivement que non seulement la littérature et les arts plastiques avaient une part centrale dans ces débats (avec Barthes, la nouvelle critique et le nouveau roman bien sûr, mais aussi avec le théâtre et le cinéma d’un côté, et de l’autre avec les avant-gardes modernistes telles que Supports/Surfaces ou les œuvres de Buren, Toroni et Mosset, entre autres), mais encore que l’étrange mouvement de radicalisation-renversement qui conduisit, pour des raisons internes, de la philosophie des structures à celle de la différence devait rapidement redonner à la question esthétique toute son importance. Le parcours de Lyotard à ce titre anticipe sur le mouvement bientôt réalisé par Deleuze, Barthes ou Derrida. On redécouvre aussi depuis quelques années l’importance de la réflexion esthétique chez Foucault, ainsi que la profondeur du thème de la logique des qualités sensibles mis en avant par Lévi-Strauss. De même, on a été amené à réévaluer les œuvres de Merleau-Ponty et de Mikel Dufrenne dans ce contexte. Il apparaît enfin, aujourd’hui, que c’est peut-être sur le terrain de l’esthétique, et dans un dialogue avec cet espace singulier qu’est celui de l’art contemporain, que les grandes questions, concepts et stylistiques caractéristiques du moment philosophique des années 60 sont le plus activement convoqués, comme en témoignent le travail de Jacques Rancière ou Bruno Latour. Alors que les dehors scientifiques et politiques semblaient déterminants pour le moment philosophique des années 60, il semble aujourd’hui, pour des raisons qui restent à élucider, que l’héritage de la philosophie française des années 60 trouve dans l’esthétique son dehors privilégié.
Le but de cette journée d’étude sera de faire le point sur ces recherches en cours et de mieux comprendre la nature du dialogue étroit mais assez mal stabilisé que la philosophie entretient avec le domaine de la littérature et cet espace singulier qu’on appelle l’art contemporain.
Conformément aux précédents colloques, ce colloque se déroulera en deux temps. Le premier sera consacré à une journée d’étude sur un livre. Il s’agira cette fois de Discours, Figure de Jean-François Lyotard. La seconde journée sera consacrée à un repérage plus général de ces questions.
Conformément aussi à la méthodologie mise en place lors des précédentes journées, il s’agira avant tout de requalifier les véritables lieux de la question esthétique tels que les contemporains ont pu y prendre part sans en avoir clairement conscience. On s’intéressera donc soit aux grandes transformations dans ce que Jacques Rancière a appelé le régime du sensible, telles qu’elles se manifestent en particulier dans les arts, qui ont pu fonctionner comme conditions pour la constitution de ce moment philosophique, soit à l’inverse de proposer une relecture de certaines de ces œuvres philosophiques qui paraissent éclairer par anticipation les enjeux esthétiques d’aujourd’hui et nourrir les pratiques du sensible autant que celles-ci ont pu conditionner la pensée philosophique.
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