「大衆漢方」という言葉があるとずっと思っていたのだが、どうやらネットで検索する限り、存在しないらしい。でも、まあ要するに、科学的な効能のほどは確かではないけれど、昔から効くと言われていて、今でも割とよく飲まれている、そういう漢方薬のことである。
人間は極度につらいとき、何でもいいからすがりたくなる。不満があるとき、他人に訊いてもらって、ただひたすら「うんうん、そうだね。君は何も悪くないよ」と言われたい時がある。その時必要なのは、ただひたすら訊いてあげることである。的確なアドバイスはあまり必要ではない。アドバイスを言ってもいいが、しっかり受け止められることを期待してはいけない。それはそうだ。流血の大惨事になっている患者に対して、「科学的な止血方法を教授してやっているのに、どうして聴かないのだ」などと言ってみても、詮無いことだ。
時々卒業生がやってきては、いろんな話をしていく。会社で上司や同僚にパワハラ・セクハラを受けているとか、結婚してすぐ離婚したとか。
そういう時はもっぱら聴いてあげようとするのだが、本当は、もう少し冷静になってから、自分と周囲の関係を見つめ直してもらいたい、その時のためのアドバイスをしたいと思う。でも、その場で言ってみてもあまり効果がない。だから、ここに書いておく。いつか心に届けばいいなと思いながら。
ここで処方するのは、大衆漢方である。依拠するのは、
加藤諦三『「あなたを傷つける人」の心理』(PHP文庫、2005年)だ。通俗心理学やマニュアル本の愚は十分に理解しているつもりである。けれど、目の前で苦しんでいる人に、いずれは本格的な治療(=より本質的な理解)を受けてもらいたいと願いつつも、ひとまず当座の苦しみを癒す何かが与えられれば、それはそれで悪いことではないとも思う。
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アメリカ発信の俗流心理学の言葉で「毒のある人(toxic people)」という言葉があり、最近では、フランスでもずいぶん流通している。日本でも「毒親」などの言葉を見かけるようになった。近親者や周囲の人々を心理的に汚染し疲弊させる人々のことである。
毒蛇は見るからに気持ち悪く、怖い。だが、毒キノコはどうか。何の前提知識もない子どもにとって、ある種の毒キノコはカラフルで、食べたくなるかもしれない。ある種の毒キノコは、ごく普通のキノコの外見をしているが、猛毒である。
小さい子どものころから毒キノコはいる。子どもの遊びで目隠しをして、その子を回す遊びがある。Aという毒キノコの子どもが、Bという淋しがり屋の子どもに「遊んであげようかー」と言う。淋しがり屋のBは淋しいから遊んでもらえるのがうれしい。そこでCやDやEと皆で一緒に遊びだす。Bは目隠しをされて右に回され、左に回され、吐くまでやられる。
(精神的にきついときに、仕事に精を出すことで忘れようとする場合がある。その時、一緒になって仕事をしてくれる上司や同僚はありがたい。実際以上に献身的で、頼もしく見えるだろう…。)
吐くのを見て、CやDやEは、驚いて逃げだす。そこで一番Bを回して気持ち悪くさせたAという毒キノコの子どもは逃げない。逃げないで何と言うか。「誰がやったの、たぶんXXじゃない?ひどいよねー」と吐いているBに言う。
いじめられたBも、幼稚園の先生も、ひょっとすると毒キノコ自身も、毒キノコを「いいひと」と思い込んでしまう。本当にBをいじめたのは毒キノコAなのである。しかし怒られるのは、CやDやEである。あるいは、事実を告げて「あの人はそんな人じゃない!」とか「そうかもしれないけど、いいところもたくさんあるのよ!」と逆ギレされるのは、FやGやHである。
実はこれは一つの典型的ないじめの構造なのである。いろいろのところに名前の出てしまうような毒蛇タイプのいじめっ子は、実は踊らされた子どもにすぎない可能性がある。本当に悪い、毒キノコタイプのいじめっ子は、いじめっ子としてどこにも名前が出ない。本当にいじめながらどこにも証拠を残さない。
加藤氏は、毒蛇タイプを「愚かなきずな喪失症候群」、毒キノコタイプを「ずる賢いきずな喪失症候群」、そしてその餌食となるタイプを「燃え尽き症候群」と呼ぶ。