まど・みちおさん死去=詩人、童謡「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」―104歳
時事通信 2月28日(金)11時26分配信
子供向けの優れた詩を多く残し、「ぞうさん」などの童謡で知られる詩人、まど・みちお(本名石田道雄=いしだ・みちお)さんが28日午前、東京都内の病院で老衰のため死去した。104歳だった。山口県出身。
戦前、小学生の時に台湾へ渡り、台北工業学校を卒業。台湾総督府に勤務する傍ら、雑誌「コドモノクニ」などに詩や童謡を投稿。北原白秋に認められ、本格的に児童文学の世界へ進んだ。工場勤務などを経験しながら詩作を続け、1951年作の「ぞうさん」が團伊玖磨氏の作曲で全国に広まった。他に「やぎさんゆうびん」「一年生になったら」など今も親しまれている童謡の歌詞を多く書いた。
時事通信 2月28日(金)11時26分配信
子供向けの優れた詩を多く残し、「ぞうさん」などの童謡で知られる詩人、まど・みちお(本名石田道雄=いしだ・みちお)さんが28日午前、東京都内の病院で老衰のため死去した。104歳だった。山口県出身。
戦前、小学生の時に台湾へ渡り、台北工業学校を卒業。台湾総督府に勤務する傍ら、雑誌「コドモノクニ」などに詩や童謡を投稿。北原白秋に認められ、本格的に児童文学の世界へ進んだ。工場勤務などを経験しながら詩作を続け、1951年作の「ぞうさん」が團伊玖磨氏の作曲で全国に広まった。他に「やぎさんゆうびん」「一年生になったら」など今も親しまれている童謡の歌詞を多く書いた。
戦前、小学生の時に台湾へ渡り、台北工業学校を卒業。台湾総督府に勤務する傍ら、雑誌「コドモノクニ」などに詩や童謡を投稿。北原白秋に認められ、本格的に児童文学の世界へ進んだ。工場勤務などを経験しながら詩作を続け、1951年作の「ぞうさん」が團伊玖磨氏の作曲で全国に広まった。他に「やぎさんゆうびん」「一年生になったら」など今も親しまれている童謡の歌詞を多く書いた。
<まどさん死去>命の輝き、子供へ…100歳超えても創作
毎日新聞 2月28日(金)11時25分配信
「ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね」。28日、104歳で亡くなった詩人、まど・みちおさんの代表作の一つ「ぞうさん」(作曲・団伊玖磨)は、1952年にNHKラジオで初放送され、瞬く間に国民的愛唱歌となった。
【訃報】まど・みちおさん104歳=詩人「ぞうさん」
この歌詞の意図についてまどさんは後年、詩人で小説家の阪田寛夫氏(故人)の問いに答えて、「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と説明した(「まどさんのうた」阪田氏著、童話屋)。鼻が長いねと悪口を言われた時に、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って返したというのだ。
人も動物も地球上のすべての存在がそれぞれに尊く、あるがままの姿が大切なのだ、という思いを強く抱いていたまどさん。子供たちにも分かる易しい言葉で命を輝かせる作品を多く手がけた。
創作意欲も旺盛で、100歳を超えても入院生活の中で絵を描いたり詩の創作に取り組んだりした。
9歳で台湾に渡り、土木技師として台湾総督府に勤務。太平洋戦争中は南方を転戦。その間、戦争協力詩2編を制作していたことが後に研究者によって明らかになり、まどさんは痛惜の念を隠さなかった。
92年に出版した「まど・みちお全詩集」には該当の2編を収録したうえで、「あとがきにかえて」として「昔のあのころの読者であった子供たちにお詫(わ)びを言おうにも、もう五十年も経(た)っています。懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりにも手遅れです。(略)私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました」と記し、話題となった。
まどさんは近年、アルツハイマー病などで東京都内の病院で入院生活を送っていた。一昨年ごろから手が動かしづらくなったが、看護師に頼んで日々の新発見を日記に書きとめていた。【山崎明子、内田久光】
【訃報】まど・みちおさん104歳=詩人「ぞうさん」
この歌詞の意図についてまどさんは後年、詩人で小説家の阪田寛夫氏(故人)の問いに答えて、「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と説明した(「まどさんのうた」阪田氏著、童話屋)。鼻が長いねと悪口を言われた時に、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って返したというのだ。
人も動物も地球上のすべての存在がそれぞれに尊く、あるがままの姿が大切なのだ、という思いを強く抱いていたまどさん。子供たちにも分かる易しい言葉で命を輝かせる作品を多く手がけた。
創作意欲も旺盛で、100歳を超えても入院生活の中で絵を描いたり詩の創作に取り組んだりした。
9歳で台湾に渡り、土木技師として台湾総督府に勤務。太平洋戦争中は南方を転戦。その間、戦争協力詩2編を制作していたことが後に研究者によって明らかになり、まどさんは痛惜の念を隠さなかった。
92年に出版した「まど・みちお全詩集」には該当の2編を収録したうえで、「あとがきにかえて」として「昔のあのころの読者であった子供たちにお詫(わ)びを言おうにも、もう五十年も経(た)っています。懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりにも手遅れです。(略)私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました」と記し、話題となった。
まどさんは近年、アルツハイマー病などで東京都内の病院で入院生活を送っていた。一昨年ごろから手が動かしづらくなったが、看護師に頼んで日々の新発見を日記に書きとめていた。【山崎明子、内田久光】