一度深夜番組で見て、かなり印象に残った番組だったので、記事の一部をご紹介。
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山田孝之は大丈夫なのか――『山田孝之の東京都北区赤羽』で見せる苦悩
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こうした作品はフェイク・ドキュメンタリーと呼ばれるものです。ドキュメンタリー調ではあるものの、それは設定ありき(フェイク)だからそう呼ばれます。おそらく『山田孝之の東京都北区赤羽』も、(当事者は口にせずとも)後にそう評価されることになるでしょう。真剣に見ているひとにとっては、この話はなんとも興ざめのことかもしれません。
ただ、『容疑者、ホアキン・フェニックス』や『山田孝之の東京都北区赤羽』が面白いのは、たとえそれが設定のあるドキュメンタリーだったとしても、その撮影期間はホアキンにしろ山田にしろその人生を生きた「事実」が存在することです。
しかも、すべてが「フェイク」とは言えません。居酒屋・ちからの元マスターと悦子ママ、強面のおじさん・ジョージさん、占い師・赤羽の母、タイ料理屋のワニダさんなどなど、赤羽のおかしな面々はいつもどおりの奇行で山田に接します。そこにウソはありません。彼らと接している山田の顔に浮かび上がる困惑した表情にも、おそらくウソはありません。
もちろん、だれにとっても明白な「真実」や「真相」があると信じるひとには、この作品の「事実」は「ウソ(フェイク)」として納得できないものかもしれません。しかし、ホアキン・フェニックスにしろ、山田孝之にしろ、その期間「おかしくなった」という見なされ方をして、その情報が出回る現実があるのは、やはり「事実」なのです。
フェイク・ドキュメンタリーの面白さとは、このあたりにあります。観る方はそれがフェイク(創りもの)だと了解していながらも、徐々にその独特のリアリティに引き込まれていき、ついには「まさか本当にこれは……」などと思い始めてしまいます。フェイク・ドキュメンタリーの真の勝負はここからです。虚実を混交させていくのです。(・・・)