Thursday, June 02, 2011
仏文学会
5/27(金) 夕方に到着。立川の駅の中のホテルに泊まる。映画が見放題ということで『おとうと』を見始めるが、途中で耐えられなくなり、挫折。山田洋次ってこんなにひどかったっけ??
中田秀夫の『インシテミル』は最後まで見たが、実にくだらない映画。「ダメな映画を盛り上げるために、簡単に命が捨てられていく」という流行歌の一節があったが、まさにそのとおり。『バトルロワイヤル』とか『ライアーゲーム』とか『カイジ』も同じ路線だが、株、FX、宝くじ、ロト…、〈賭博〉の一般化の影響だろうか。
同じように、カジノの場面が出てきても、ゴダールの最新作『ゴダール・ソシアリスム』(原題Film socialisme)は素晴らしい。パンフレットには、以前のように「美しい画面が奇跡的に出てきて映画にしてしまう」という戦略でなく、ハンディカムの粗雑なイマージュを使った新たな時代に突入した、みたいなことが書いてあった。たしかに荒々しい画面もあったけれども、美しさは十分に健在であると感じた。子どもの被選挙権に関する最後のくだりなんか、60‐70年代の政治的ゴダールへの回帰も思わせる。
5/28(土) 午前中は委員会出席。ちゃんと仕事もしてます。というか、大学でも研究でも、この手の仕事が多すぎる…。お昼はtさんとロージナ。昼から研究発表。第一部は、k君のド・メーストル、デリダのヴァレリー論、プルーストの「信念」論、プルーストとラスキン論。第二部は、ルソー『新エロイーズ』論二本、b君のブランシュヴィック論(!)。
s先生にお会いして、遅れている原稿についてお小言をいただく。本当にすみません…。
懇親会、いろんな人と話す。尊敬するmさんとも久しぶりに少しお話しできてうれしかったです。
ブログ見てます、と言われると、いまだにドキッとする。ごく数少ない友人に向けて書いているつもりなので…。いや、もちろん、どなたに見ていただいてもいいんですけど…。
二次会、nさんに誘われ、大人数の飲み会。ホテルに泊まるつもりが、どこも満杯で、結局、nさんの新居に泊めていただくことに…。
5/29(日) 朝、シンポに参加。「今、フランス語フランス文学に何ができるか」、大変興味深かった。プルーストの吉川先生、バルザックの柏木先生、ラブレーの宮下先生、フランス語の古石先生。司会のおっしゃるとおり「四番バッターを並べた」メンバーで、時間が全然足りない。芸達者というのはこういうことを言うんだろうなあ。一流の学者はさらっと喋らせてもいいこと言う。
お昼はgさんやtnさんと和やかにバーミヤンで。初めて少し長くtnさんとお話しした気がする。gさんもそうだが、頭のいい駒場の人たちというのは、自分とはまったく違う世界に生きているのだなあと改めて実感。
昼からワークショップに参加。フランス人たちの「最近の文学における植物への生成変化」に参加。「動物」がよく取り上げられる昨今だが、植物も重要である。私の質問は的確だった――不毛な批判ではなく、発表をさらに広い議論へつなげていくための質問――と思うのだが、発表者には今一つ通じていなかったようで残念。まあ、こういうことはよくある。さらに、クロスの精度をあげていかないと。
総会後、某出版社の某さんと自著の刊行について相談。別の出版プロジェクトについても少し話す。すべて苦しいけれども、まだ死んではいない。
Tuesday, May 31, 2011
空回り
その挙句に、ついに今までしたことのない失敗を犯してしまった。論文集の原稿を「落として」しまった。最後の締切に間に合わなかったのである。これまでおぜん立てをしてくださった皆様に本当に申し訳ない。
自分としても、これまで考えずに放置してきた大きな問題について、考えをまとめる願ってもないチャンスだったのだが、精神的・身体的不調によって断念せざるをえなかった。
また、それとは別に、フランス語で書いた論文を論文集に載せてもらおうと打診したら、その論文集も締め切ったところだった。
他にもいろいろ悲しいこと、嫌なことが重なり、どうしようもない。
Friday, May 20, 2011
6/18国際シンポ「制度と運動――哲学の権利をめぐる問い」

《制度と運動――哲学の権利をめぐる問い》
日時:6月18日(土)10時‐18時
場所:九州産業大学15号館15103教室(詳細はこちら)
アクセス:
電車:JR鹿児島本線・博多駅から上り普通電車で約15分、「九産大前」駅下車、徒歩約1分
バス:天神バスセンター(1番のりば)から都市高速経由で約20分→「産業大学南口」下車、徒歩約2分
主催:九州産業大学 国際文化学部 藤田研究室(お問い合わせは、hfujita[at]ip.kyusan-u.ac.jpまで)
***
第一部:映画上映「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」(西山雄二監督)
約90分程度の上映時間を予定しています(10:00-11:30)。上映後、シンポ発表者による討論、観客からの質疑応答の時間があります(11:30-12:30)。
第二部:シンポジウム「制度と運動――哲学への権利をめぐる問い」(14:00-18:00)
発表はフランス語およびドイツ語(発表の翻訳配布、質疑は通訳あり)
講演者紹介
アルノー・フランソワ 「シンポジウムとは何か」
1978年生まれ。トゥールーズ第二大学准教授。ベルクソン『創造的進化』の校訂版編者として著名(2007年)。著書・編著に『ベルクソン『創造的進化』を読む』(2010年)、『ベルクソン、ショーペンハウアー、ニーチェ。意志と真理』(2008年)や小著ながら要を得た『ベルクソン』(2008年)などがある。若くして、ヨーロッパ圏における人文科学研究者養成のためのフランス語圏組織(OFFRES)語の共同代表、エラスムス・ムンドゥス・マスター「ユーロフィロソフィー」コーディネーター、国際ベルクソン学会書記などを兼務。
後藤正英(ごとう・まさひで) 「大学の教養教育における倫理と宗教」
1974年生まれ。佐賀大学文化教育学部准教授。近代ドイツ哲学、近代ユダヤ思想。共著に『ユダヤ人と国民国家』(岩波書店、2008年)や『グローバル・エシックス』(ミネルヴァ書房、2009年)など。論文に「シュトラウスとローゼンツヴァイク ―20世紀ユダヤ哲学の系譜― 」(『思想』岩波書店、2008年12月号)、「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」(『スピノザ―ナ』第11号、2011年)など。翻訳:シェリング「自然哲学体系への草案序説」(『シェリング著作集1b』、燈影舎、2009年)など。
西山雄二(にしやま・ゆうじ) 「哲学の/と無償性La gratuité de/et la philosophie」
1971年生。首都大学東京准教授。国際哲学コレージュのプログラム・ディレクター。著書に、『哲学への権利』(勁草書房、2011年)、『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(御茶の水書房、2007年)、『哲学と大学』(編著、未來社、2009年)。ジャック・デリダ、モーリス・ブランショ、カトリーヌ・マラブー、ジャン=リュク・ナンシーなどの著作を翻訳。
藤田尚志(ふじた・ひさし) 「フランスにおける哲学と大学」
1973年生。九州産業大学講師。専門はフランス近現代思想。研究プロジェクトとして、「哲学と大学」と「結婚の形而上学とその脱構築」を進めている。共著に『哲学と大学』(未来社、2009年)や『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)。論文に「ドゥルーズか、ベルクソンか―何を生気論として認めるか」(『思想』岩波書店、2009年12月号)、「言葉の暴力―ベルクソン哲学における比喩の問題」(『フランス語フランス文学研究』第92号、2008年)など。日本フランス語フランス文学会2010年度学会奨励賞受賞。
Saturday, May 07, 2011
Tuesday, May 03, 2011
「絶対的な正義」とは何か(ビンラディン暗殺の日に思う)
やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと
NEWS ポストセブン 5月3日(火)16時5分配信
コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そ して自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さ ぶられたのか。
「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌 が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生 きていけと励ましてくれたのです」
人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノンフィクション・ライターの神田憲行氏が聞いた。
* * *
やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けるこ と。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大 きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの “正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても 「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。
やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。 「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、 突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。
やなせ:うん。だから正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマン なりの正義を持っているかも知れないから。それに正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人 が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに溺れ死 んでしまうかも知れない。それでも助けざるを得ない。
つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆 する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。怪獣を倒すスーパー ヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。
――未曾有の国難といわれています。日本は復興できるのでしょうか
やなせ:(笑みを浮かべて)出来るのに決まってるじゃないか!あの戦争だって日本は焼け野原になって、原爆をニ個も落とされて人が何十年も住めないと言わ れたんだよ。それがあそこまで復興できたんだから。日本人は粘り強く、正しく立派に生きている人たちです。間違いなく復興できますよ!
やなせ氏は震災直後に1000万円を寄付し、さらにグッズの売り上げを寄付にする活動を継続中である。
「被災地の子どもたちがアンパンマンが助けに来てくれると思ってるらしいんだ。だからこうして活動していると知ると、喜んでくれるんじゃないかと思うんだ」
取材後、私(神田)が仙台で被災した従兄弟に小さな子どもが2人いることを話の流れで言うと、やなせ氏は目を見開いて「この事務所にあるオモチャどれでもいいから持って行きなさい。送って励ましてあげなさい」と言ってくださった。秘書の方が丁寧に選んで手渡してくれた二つのオモチャを持つだけで、帰り道の 私の気持ちは温かくなった。
DG情報
CIEPFC ENS UlmAnnée 2010-2011D’un mille ou mille et unième plateau ?Deleuze et Guattari : sémiotique et politique
Prochaine séance : le 7 mai 2011, de 14h-17h, Ens, 45 rue d'Ulm, Paris, salle Weil
Arnaud Villani
Guattari, L'inconscient machinique (Recherches, 1979, rééd. 2010).Deleuze et Guattari, Mille Plateaux (Minuit, 1980).
Politiques de l'imageAprès avoir l’an dernier travaillé sur les politiques de l’image à partir de Deleuze, de Guattari et de Deligny, nous reprenons cette année la lecture de Mille plateaux (1980), en la croisant avec L’Inconscient machinique de Guattari. Il s’agira de préciser les rapports entre sémiotique et politique, en poursuivant le dialogue avec les sciences sociales, la critique du structuralisme, l’attention aux agencements machiniques.BibliographieGuattari, L'inconscient machinique (Recherches, 1979, rééd. 2010). Deleuze et Guattari, Mille Plateaux (Minuit, 1980).Deligny, Oeuvres (éd. de l'Arachnéen, 2007) et L'Arachnéen (éd. de l'Arachnéen, 2008). Programme des séances 2010-2011
Les séances ont lieu le samedi de 14h à 17h, à l’ENS, 45 rue d’Ulm,Samedi 2 octobre 2010 Salle PasteurSamedi 13 novembre 2010 Salle WeilSamedi 11 décembre 2010 Salle BeckettSamedi 8 janvier 2011 Salle WeilSamedi 5 février 2011 Salle WeilSamedi 5 mars 2011 Salle WeilSamedi 9 avril 2011 Salle WeilSamedi 7 mai 2011 Salle WeilSamedi 4 juin 2011 Salle Weil
Wednesday, April 27, 2011
第一線で続けるということ
内田「マンUは成熟したチーム。特にルーニーはすごい」…インタビュー・マンU編
SOCCER KING 4月27日(水)12時47分配信
26日に、チャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグでマンチェスター・Uと対戦したシャルケのDF内田篤人。0-2での敗戦により、夢の決勝進出は遠のいたが、内田は世界最高峰の舞台で様々なことを感じたようだ。
-パク・チソンについて
守備をしっかりしてますよね。前に行かせてくれない。前に行けるときはみんなが戻ってるから出すところがない。
アジア人として、負けたくないという意識はないけど、こういう舞台でずーっとやっていることは尊敬します。こういう舞台で、ずっとやっているということはここでやってみないと分からない。マンUで、こういう舞台で毎年やってるのってすごいなって。
Saturday, April 23, 2011
Colloque SPINOZA – DELEUZE (29 et 30 avril)
Colloque
SPINOZA – DELEUZE
Vendredi 29 et samedi 30 avril
Organisé par Anne Sauvagnargues et Pascal Sévérac
avec le soutien du CERPHI (ENS de Lyon - UMR 50 37) et du Ciepfc (ENS de Paris)
Vendredi 29 avril à l'ENS-Ulm
Matin: salle Jules Ferry
9h45: ouverture
10h00 - 10h45: Chantal Jaquet (Paris 1) : « “Un balai de sorcière” (Deleuze et la lecture de l’Ethique de Spinoza) ».
10h45 - 11h30: Pierre Zaoui (Paris 7): « L'immanence spinoziste: un coup de force deleuzien? ».
11h30 - 11h45 : pause
11h45 - 12h30: Laurent Bove (Université de Picardie Jules Verne) : « Spinoza-Deleuze et la question d’Autrui »
Après-midi: Amphi Rataud
14h30-15h15: Ariel Suhamy (La Vie des Idées): « Le cheval de labour et le cheval de course ».
15h15-16h00: Vincent Jacques (ENSAV): « De Différence et répétition à Mille plateaux, métamorphose du système à l'aune de deux lectures de Spinoza ».
16h00 - 16h15: pause
16h15 - 17h00: Pascal Sévérac (Collège International de Philosophie): « La sensation chez Spinoza et Deleuze: percept et affect ».
Samedi 30 avril à l'Université de Paris 1
Matin: salle Cavaillès
10h00 - 10h45: Charles Ramond (Paris 8 / LLCP): « Deleuze lecteur de Spinoza : la tentation de l’impératif ».
10h45 - 11h30: Antonio Negri: « Spinoza et Deleuze: le moment propice ».
11h30-11h45: pause
11h45 - 12h30: Anne Sauvagnargues (Paris 10): « De l'interprétation à l'éthologie : les deux lectures de Spinoza par Deleuze ».
Après-midi: salle Cavaillès
14h30 - 15h15: Kim Sang Ong-Van-Cung (Université de Poitiers): « Le pouvoir d’être affecté – Modes spinozistes et singularités chez Deleuze ».
15h15 - 16h00: Thomas Kisser (Université de Munich) : « La réalité du penser. L’interprétation de Spinoza par Deleuze ».
16h00-16h15: pause
16h15 - 17h00: Igor Krtolica (ENS de Lyon): « Deleuze, Spinoza et les signes ».
Friday, April 22, 2011
大学の授業
それで毎週、授業外に補足のレクチャーをやろうと思っている。木曜5限にDVD観賞会などをしていこうと思っている。今日はフランク・ロイド・ライトについてのDVD。160人いた講義受講者に告知したにもかかわらず、参加者はたったの一人(先週はゼロ)。笑ってしまった。でも、そのたった一人の参加者がえらく興味を持ってくれたようでよかった。彼の話がなかなか面白かったので、来週は彼を授業の壇上に上げて、対話形式で授業を始めてみようかと思っている。
160人のうちの1人。でも、ここにうちの大学で私なりに戦うべき戦いがある気がする。
負け戦だろう。勝つのはいつも時流に乗っていくアクチュアルな「彼ら」だ。だが、それがどうした。
*
今日はその鑑賞会の時間にちょうど「入学前教育」に関する報告会があったので、それに出席せねばならず、親しい学生にお願いして、代わりに観賞会をしてもらった。
「入学前教育」とは、授業を聞く以前に「人の話を黙って集中して聴く」「大学で友達を作る」ことに極度の困難を覚えている一部の学生たちに対して、「友達づくり」と「コミュニケーション能力の向上」を目指して入学直前に行われる教育のことである。企業の新入社員研修――近頃は「社の精神を叩き込む」場ではなく、やさしく、ソフトに行くのだそうだ――のようなものだと思ってもらってもいいかもしれない。私の理解した限りでは、要するに、ここ十数年、絶大な人気を誇っている「自己啓発」である。
学習困難な学生を大学に定着させようという意図に基づいて行われているこの取り組みには全面的に賛成である。プロジェクトの細部には多々改善の余地があるにせよ(なぜ桁外れの予算が請求されるに違いない外部発注なのかなど)、方向性そのものにはまったく異論がない。
しかし、この措置はあくまでも例外的措置として行われるべきものであり、大学全体がこれをモデルとして進んでいくことには危ういものを感じる。
私たちのような小さな大学の教員が忘れてはいけないこと、それは「私たちが手放してはいけないものは何か」ということだ。
受験者減・定員割れ対策、離学(休学・退学)率の低下が、地方私立大学の最優先課題であることは明白だ。問題は、何によってそれを達成しようとするのか、である。もちろん「あれか、これか」の二者択一ではない。「あれもこれも」の多方面からの同時展開が望ましいことは言うまでもない。
だが、本分が忘れられている気がする。何か新しいアクションを起こすことが、大学改革だと思われている。そのための箱モノ行政、外部発注。
学生と教員がお友達になることが離学率に歯止めをかけ、学生の勉強意欲を増進するのだ、と。そのためには、教員はできるかぎり大学にいて、学生の対応(話し相手!)をしなければならない、と。さまざまな小規模大学で、大学教員の「タイムカード制」が始まっている。
しかし、授業をいかに面白くするのか、それが一番大事であろう。そのために会議を減らし、無意味なお役所仕事的書類を減らし、委員会のための委員会を減らすことこそが、最も重要な大学改革であるという気さえする。どうでもいいことに丁寧に行き過ぎ、大切なことに時間が割けない。本末転倒だ。
直球勝負の学問は面白い。そのことを感じさせずに、なんの大学だろうか。
「そこ一番大事なとこ」をフォーカスせずに、なんの大学だろうか。
家や図書館にこもって、時間をかけて、静かに授業準備する、その当たり前のことが当たり前に理解されなくなりつつある。大量の会議に追われ、大量の書類に追われ、大量の講義を受け持たされ、大量の学生の話を聞かされ、責任ある対応を任される…。二週間ゼミに出てこなかった学生に電話をかけ、悩み相談に乗るというのは、私たちにとってもはや他人事の笑い話ではない。完全に日常になりつつある。
「学生は変わった」?「友達が作れなくなった」?「コミュニケーション力が落ちた」?なるほど、そうなのかもしれない。だが、最も変わったのは、大学が置かれた社会的状況・布置である。それまで「大学で教える」ということの意味について、「哲学と大学」というごく当たり前の考えるべき主題について考えをめぐらせてこなかった、「平和」な時代のツケを、私たちは今、支払わされているという思いが拭いきれない。
***
いえ、DVDも面白かったのでむしろお手伝い出来て良かったです。芸学の男の子の話を聞いていたら「芸術の哲学」にも少し興味を持ったので、水曜日の授業も出てみようかなと思っています。
あと友達から先生宛てのメールが届いているのでそのまま転送しておき
なんだかえらくかしこまっていますが(笑)、
とにかく「前に受けた哲学より面白かった」「分かりやすかった」
帰る頃にはうちの大学気に入ってたようなのでちょっと嬉しかったです。
***
本日はf教授の授業に参加させていただき, また温かく受け入れて下さり有り難うございました。
在学中に哲学の授業を履修していましたが, f教授の生徒との触れ合いを織り交ぜた授業方針は
とても新鮮で, 90分をあっという間に感じる授業になりました。
またもし福岡に来た際は挨拶しに伺わさせていただきたいと思います。
本日は有り難うございました。
Friday, April 15, 2011
これまでとこれから
1)ヨーロッパの中でも、世界の中でも、研究の力関係は長期的に見て変わりうるということ。
2)若手研究者の中にも「これまで」に対する感謝の念と「これから」に対する希望を持っている人がどんどん現れてくるといいな、ということ。
それには長期的な研究者育成の視野が多くの人々に――研究者たち自身のみならず、文科省、政府、ひいては国民――共有される必要がある。そのためにはまず、人文研究者が学問の魅力を、自らのパフォーマンスにおいて示すしかない。
本を出してもらえることが決まった。後押ししてくれた人々に感謝しつつ、なんとか「ゴール」に結びつけていきたい。
欧州CL日本人初対決は内田の圧勝。シャルケvs.インテル戦に2つの意義。
Number Web 4月15日(金)12時1分配信
(中略)
■欧州のリーグで3番手の地位が、イタリアからドイツへ変わった!?
マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたラウールは、こんなことを語っている。
「今夜はみんなにとって歴史的な瞬間になったね。そして、僕はこんな瞬間を味わうためにシャルケに来たんだ!」
シャルケは、クラブの歴史上はじめてベスト4進出を決めた。
次は、マンチェスター・ユナイテッドと戦うことになる。
この準々決勝の結果が意味するのは、ヨーロッパのリーグとして3番手の地位が、イタリアからドイツに代わったということなのかもしれない。
ドイツの盟主バイエルンではなく、1963年から始まったブンデスリーガの歴史の中で一度もチャンピオンになったことがないシャルケが、セリエAの雄インテルを下したことには大きな意味がある。
来季以降に与えられるCLの出場権が、ドイツが3枠から4枠に、イタリアが4枠から3枠になることが決定的となったからだ。
では、日本人にとって、今回の準々決勝は何を意味するのだろうか?
■「これからは僕らが新しい道を作っていく」と長友。
「この結果は受け止めなくてはいけない」としつつ、長友は言葉に力を込めた。
「インテルの一員として、これは僕の大きな経験になると思うので、これから成長は間違いないなと確信しています」
1992年から始まったCLの歴史の中で、ホームで行われた1stレグで敗れながらも、アウェイゲームで逆転勝ちを収めて次のステージへの進出を決めたのは、わずかに2チームしかない。ファンハールが率いていた往年のアヤックスと、決勝トーナメント1回戦でバイエルンを下した今季のインテルだけだ。この試合に敗れたからといって、偉業を成し遂げた長友の名前が色あせることはない。
試合後、インテルの広報が取材を切り上げるようにうながす中、長友は「最後に……」と切り出して、感謝を口にした。
「僕らが日本人対決をこの舞台で出来たのもね、本当にこれまで(先輩の)みなさんが道を作ってくれたから。本当に感謝したい。ただ、これからは、僕らが新しい道を作っていかなきゃいけないので。気合を入れて、頑張ります」
■世界最高の右SBマイコンからユニフォームの交換を頼まれた内田。
対する内田は、試合後にはエトーに「良かったよ」と声をかけられ、ハーフタイムには世界最高の右SBの呼び声高いマイコンに「ユニフォームを交換してくれ」と頼まれたという。喜びを隠さなかった内田は、日本人として初めてベスト4に進んだ感想を求められて冗談まじりにこう語っている。
「(日本のレベルが)上がってきたというか、やれると思うんです。みなさんも、もっとやれるんだっていう記事にしてくれないと(笑)。やっぱり、記者の影響力はすごく強いから。そういうのに乗せられて、選手もどんどん海外に出て、ああやれるんじゃん、って思ってくれば日本のレベルも上がる。海外のレベル高いから、海外に行っても無理だろうって書いたら、選手も行けなくなっちゃう。どうか、ご協力を(笑)」
そう言って内田は、すっと記者たちに頭を下げた。決して挑発的にならないように。
日本サッカーのレベルは確実に上がっている。そう気づかせてくれたのがインテルとシャルケによるCL準々決勝だったのだ。
そんな試合に日本代表の両サイドバックがともに先発フル出場。
試合後には健闘をたたえ合い、ユニフォームを交換した。
(「欧州CL通信」ミムラユウスケ = 文)
Thursday, April 14, 2011
三池崇史『一命』
***
三池監督×海老蔵映画『一命』カンヌ映画祭コンペ部門に出品決定
市川海老蔵、瑛太出演、三池崇史監督の3D映画『一命(いちめい)』が、『第64回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門に出品されることが14日、発表された。同作は、3大映画祭(カンヌ、ベルリン、ベネチア)のコンペティション部門で、実写版としては初めて3D作品として選出された。三池監督は「いつもと同じ春ならば、どんなにうれしかったことでしょう。でも、だからこそ、しっかり顔を上げ、前進あるのみです」と朗報に応えた。
同作は、1958年に発表され、1962年に小林正樹監督が映画化(タイトルは『切腹』)された滝口康彦の『異聞浪人記』が原作。貧しくとも、愛する人とともに生きることを願い、武家社会に立ち向かった二人の侍の生き様に、心震える感動の物語を、三池監督が時代劇初の3D作品として再映画化した。市川、瑛太のほかに満島ひかり、役所広司らが出演する。日本での公開は10月に予定されている。
Wednesday, April 13, 2011
東京に原発を…
J-CASTニュース 4月12日(火)19時22分配信
タレントのビートたけしさんの「東京湾に原発作れ」という提言が注目を浴びている。
2011年4月11日夜に放送されたテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル 春の3時間SP」の収録後の発言を、同日発行のサンケイスポーツや東京スポーツが報じたものだ。
■「都知事になったらよかったのに」
「福島原発の電力を首都圏が利用しているのに、原発のリスクを地方の県や人に押しつけるのはおかしい。東京湾に作って、東京の人がそれで生活したら、何も文句は出ないはず。都心は地盤が悪いとか言うけど、地震が来ればどこも同じだよ」
たけしさんのこの持論が掲載されたサンケイスポーツの記事に対し、インターネットでは、
「よくぞ言ってくれた!」「昔からこの意見に賛成」「正論だ!」
「これぐらい言わないと、みんな原発についてちゃんと考えない」
など賞賛の声が相次いだ。東京都知事選直後ということもあり、「たけしが都知事になったらよかったのに」という声もあった。
たけしさんは1996年に発売した著書「落選確実選挙演説」でも同じ考えを訴えていた。東京スポーツによると、たけしさんは、今回の原発事故でこの考えが「案外的を射てきたかもな」とし、
「1300万人もいる東京に原発を作るとなると、どんな地震が来ても、津波が来ても、完璧に絶対に大丈夫な原発を作るはずだもの。そうすっと、東京都は地方にカネをやんなくてもいいわけだし」
と、東京に原発を作るメリットを説明。
「やっぱり、地方にリスクを押し付けて、東京だけいい生活をしようってのは虫がいい話なわけでさ。だったら、東京は地方にガタガタ言わせないためにも『お台場に原発を』だね」
と提唱した。
■「皮肉で言っているのに真に受けるな」
拍手喝采の一方で、「現実問題不可能だろ」「そんなことしたら日本が終わる」「もうちょっと考えて発言してくれよ」など、たけしさんの発言に否定的な声も見られる。
また、「皮肉で言っているのに真に受けるな」「これは例え話」というように、この発言が「東京湾に原発」の実現が難しいとわかったうえでの皮肉だとする声もある。たけしさんは1999年に都知事選出馬が噂されたとき、「独裁者ならやってもいいな。東京湾に原発を作ったりして」と冗談まじりに出馬を否定していた。
「東京湾に原発を」という提唱は、これまでも原発の危険性を訴える人たちによって、「そんなに安全というならば、地方ではなく東京に作ればいいではないか」という批判的な文脈でされてきた。2000年4月には、都知事の石原慎太郎氏が原発の必要性を強調するために「東京湾に原発を作っても構わない」と発言し、話題となった。
ゼミ
Tuesday, April 12, 2011
8コマ…
というわけで、今年は講義6、ゼミ2である。
月2 近現代フランス思想史講義:デカルトからデリダまで
月3 結婚の脱構築ゼミ:キェルケゴール研究
月4 結婚の西洋哲学史講義:プラトンからデリダまで
月5 教職の哲学講義
火2 結婚の近現代日本史講義
水1 芸術の哲学講義
水3 ライプニッツを読むゼミ
木4 西洋哲学史講義:古代哲学篇
国公立、有名私立の先生方、どうぞ研究にお励みください…。
Sunday, April 03, 2011
送電ロス
「なるべく節電して、原発をやめるべき」(客体・目的の問題)
このような形での二者択一で議論が進むのはまずい気がする。
送電ロスの問題を考えてみてはどうだろうか(中間・媒質の問題)。
「送電ロスは、距離に比例し、送電電圧を高くするほど小さくなります。そこで日本の電力会社は100万ボルトという世界でもまれに見る高圧の送電線を開発しました。しかしそれでも日本全国では、現在でも総発電量の5%ほどが失われていることになるそうです。2000年度、資源エネルギー庁の概算によれば、全国で1年間約458.07億kWhの損失になるそうで、この数字は、「100万kW級の原子力発電所6基分」の発電量に相当します。
原子力発電所は、火力に比べ消費地からかなり離れたところにあります。(中略)送電ロスの大部分は原発に関係したものといってもいいくらいです。」
続きを読みたい方はこちら。
昨今の大学における教師と学生の関係――担任制が広がり、その意味で「大学の高校化」は遅かれ早かれ大多数の大学で不可避的となるだろう――についても同じことが言えないだろうか。とてつもなく不毛な送電ロス…。
リターンエース――入学式に思う
「大学選び」が就職活動の第一歩であるのなら、入学式付添いは大学の「品質保証」に対するこれから始まる厳しい「値踏み」の最初の一歩と考えねばなるまい。
私たち大学教員は親の要望に「応える」だけでなく、その要望自体の性質をより深く理解する仕方を提供するという形で、学生とその親に、ひいては社会に「答えて」いかなければならない。
この場合、必要なのはリターンエースである。
Saturday, April 02, 2011
知り続けること
傷つき、心疲れた人々を和ませ、ほっとさせ、気持ちを癒す。それは大切なことでしょう。「感動秘話」によって、「センセーショナルな映像」によって人を動かす(千羽鶴を折り、支援物資を送る)。それは役に立つことかもしれません。
けれども、そういったこととは違う何か――違うというだけで優劣関係はなく、むしろ含みあう関係でしょう――、「知ること」、「知り続けること」、それもまたやはり大切なのだと思います。感性と知覚を伴った知。
偉そうなことを言っても、私自身、再び始まった日本での日々の生活に追いまくられ、何ができているわけでもありません。友人から送られてくる情報に目を通し続けること。本当にごくささやかな、小さすぎる一歩…。
Friday, April 01, 2011
利害関係
Négociations - à partir de Derrida
という感じだろうか。日本語ですでに発表したものに、今回のフランス滞在中のユーロフィロゾフィー・ゼミで練ってきたものを加味した。
学生さんたちの滞在記(フランス体験)を読んで、自分の学生たちにも声を掛ければよかったかなあと少し後悔。
でも、最近はリスク管理ばかりうるさく、斬新な発想には極度に保守的な態度を示すという風潮を感じてもいるので、西山さんのような試みはまたいずれ、自分のスタイルが認められてからということにしよう。
私の発表に日本人留学生の数が少なかったということを西山さんはしきりに嘆いておられたが、私は別に気にしていない。フランスの友人edが来て、議論を仕掛けてくれたというだけで十分。むしろ他のフランス人の友人たちに声を掛けなかったことを悔いている。
日本人に限らず、また留学生に限らず、人というのは正直なものである。面白そう(intéressant)、何か起こりそう、と思えば来るし、思わなければ来ない。広い意味で「利害関係(intérêt)がある」と思えば来るし、ないと思えば来ない。そういうものだ。これから国際的に活躍していきたいと望む若手の哲学・思想研究者がそういう姿勢でいいかどうかはともかくとして。
認知度が低いのは仕方がない。実力がないだけのことである。また、実力がないのに、あるふりをしようとも思わないし、無理に獲得しようとも思わない。やりたいことをやり、やれることをやるだけだ。
今までもむしろそれを基本にやってきた。振り返らない。人のせいにしない。自分の直すべきところだけを見つめる。探すべき未来はその先にある。
ひとまず新学期が始まる。
Thursday, March 31, 2011
原発人災のおりですが、いや、だからこそのWINC4月例会のご案内です。
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***
WINC参加者のみなさん。
3月11日の大震災のもと で、 みなさんはご無事ですか。
知り合いやご家族に被災さ れた 方がいらっしゃったりしないでしょうか。
被災地からの報せを聞くだけで、胸がつぶれるような思いがいたします。 まして、直接に被害にあわれた方々の心の傷みはいかばかりでしょう。 かける言葉も見つかりません。 震災に加えて、 さらに人災としての大規模原発事故が降りかかってきています。 いたずらな不安ばかりが先走るのは危険ですが、 マスコミには、 この事故が原発行政の転換に結びつかないようにと、 東電のひもつき原発推進派ばかりがコメンテーターとして登場させられ、 あけすけに言説の選別と誘導が行なわれているのを見ると、 空恐ろしいものを感じます。 今回の事故の意味をどのように受けとめられるのか、 この危機を、原発政策の転換に結びつけることができるかどうか、 早晩、この市民社会の力量が問われることになるはずでしょう。 ところで、次のWINC四月例会の予定についてですが、
率直に申し上げると、 はたしてそのまま開催可能かどうか、一度は頭を抱えました。 しかし、何人かで話し合っているなかで、 むしろ孤立して狼狽しているよりも、 事態を掘り下げる機会をしっかり持とうではないか、ぜひやろうという結論にいたりました。 それどころか、四月例会のテーマとしてもともと考えていた1950年代論の本来の文脈と、 現在の原発事故が突きつけている思想的課題とが実は深く連関している、
という確信を持つようにもなりました。 だから、 原発人災事故のおりにも関わらず、ではなく、 事故のおりだからこそ、次回例会のお知らせを差し上げ、参加を呼びかけます。 つまり、4月16日には予定どおり、 河出書房新社から公刊された鳥羽耕史さんの『1950年代――記録の時代』を課題図書として、 WINC例会を行ないます。 ただし、冒頭でまず、 NHKの1994年のドキュメンタリー映像
『原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(44分)を見ることにします。
これは、まさにいまの原発災厄の起源が、戦後の読売争議や50年代の平和運動の破壊のなかに 見事に明らかにした作品です。
あることを
これをみなさんと共有し、またそれを橋渡しとして、 鳥羽さんの新著が提示する1950年代論のアクチュアリティまで考えてみます。 「1950年代の発見と再定義」は、ここ二、三年、重要な主題として浮上してきています。 ブームと呼んでしまうと語弊がありますが、谷川雁や『サークル村』の再評価、 さまざまなサークル雑誌やサークル詩の発掘と復刊、『現代思想』の「特集=戦後民衆精神史」の登場、 そして間近に迫った『人民文学』そのものの復刊などが続いており、 間違いなくこれらの成果があいまって、
1950年代という時代についての見通しが顕著に豊かになりました。 今回は、鳥羽さんの、ある意味では実に生真面目な新著を手掛かりとして、 なぜ1950年代が問題であるのかを正面から論じてみる機会としますが、 そこにさらに原発事故の意味を掘り下げるという文脈が、 複雑に絡み合ってくるはずです。 提題者のひとりは、 一連の動きの「工作者」でもある 元『現代思想』編集長の池上善彦さんにお願いしました。 池上さんからは、 まさに原発事故も含めた2011年の世界大の状況を見据えつつ、 50年代論の「世界史的意義」について論じるぞ、という予告をいただいています。 もうひとりの提題者は、 松田道雄論などで注目されている若手の論客、
和田悠さんがお引き受けくださいました。
また、著者である鳥羽耕史さんご本人がお越しになり、
お二人の提題に対してリプライしてくださる予定です。
具体的には以下のようになります。 ******************************
《WINC四月例会 1950年代論の意義と射程とその切実さ》
■ 日時 2011年 4月 16日(土)午後2時から
■ 場所 東京外国語大 学海 外事情研究所 研究講義棟四階 427
※ 東京外国語大学の住所は「府中市朝日町3-11-1」です。
西武多摩川線 (中央 線武蔵境駅にてのりかえ)多磨駅下車徒歩4分
あるいは、京王 線飛 田給駅下車北口からの循環バスで5分、
「東京外国語大 学 前」下車です。
どちらも少し間 引き されているとはいえ、問題なく動いています。
心配な方は、
東京 外国語大学のホームページ上の案内図を参考にしてくださ い。
URLは、
http://www.tufs.ac.jp/access/
です。
■ 課題: 鳥羽耕史 『1950年代――「記録」の時代』(河出ブックス、
参考映像: 『原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(NHK、44分)
■ 提題者: 池上善彦 さん (失業者、元『現代思想』編集長)
和田悠さん(学振特別研究員、地域社会文化運動「板橋茶論」
なお、4月16日は土曜日ですから、計画停電はありませんが、 会場の東京外国語大学では、いずれにしても暖房は入りません。 天候次第ではすこし厚着をして、ぜひともお集まりください。 (WINC運営委員会)
Tuesday, March 22, 2011
3/24, 3/28 哲学と大学・パリ編
場所:Centre Parisien d'Études Critiques, 37 bis rue du Sentier, 75002 Paris
国際哲学コレージュ・セミナー
西山雄二(首都大学・東京)
“L'Université comme architecture (ir)rationelle de la philosophie”
28日(月)18:30-20:30
藤田尚志(九州産業大学)による発表“Université conditionnée”(仮題)
Sunday, March 20, 2011
WHOのHP上での声明
19 March 2011 -- WHO is not advising general restrictions on travel to Japan. However, travellers should avoid travel to the areas most affected by the earthquake and tsunami because of disruptions to essential services, such as transport and electric power, and the ongoing disaster relief activities. WHO is providing answers like this to the general public's frequently asked questions concerning exposure, food, shelter and individual protective measures on the radiation incident in Japan.
トゥールーズからの黙祷
L'hommage aux sinistrés du Japon
rassemblement
Quelque 300 personnes ont participé, hier soir, à un rassemblement silencieux, au Capitole, afin de manifester symboliquement leur soutien aux sinistrés du Japon.
Le rassemblement très digne hier place du Capitole soir était organisé à l'initiative de l'association culturelle Midi Pyrénées Japon. Dans l'assistance on note la présence de Pierre Cohen, maire de Toulouse, et de nombreux élus du conseil général et régional qui ont témoigné un peu plus tôt dans la journée, leur soutien aux sinistrés du Japon. Pierre Haymard, consul honoraire du Japon à Toulouse, est aux premiers rangs. Et puis, il y a ces anonymes, émus, qui témoignent leur grande tristesse, perlée d'inquiétude. Comme Toshiko qui vit en France depuis sept ans avec son mari et leurs enfants. Toshiko a toute sa famille au Japon. Elle est originaire de Hamamatsu, une ville proche du Mont Fuji, très sismique. « La terre tremble encore tous les jours. Un autre tremblement de terre est toujours possible. J'ai aussi beaucoup d'amis à Tokyo dit Toshiko. Là-bas, les aliments commencent à manquer. Il y a des coupures électriques fréquentes. C'est aussi difficile de faire ses courses que de retirer de l'argent dans les banques car les ordinateurs ne fonctionnent pas et il peut y avoir des erreurs informatiques. Cet été, j'irai chercher mes parents pour les vacances afin qu'ils profitent de leurs petits-enfants ».
Noe Mishimura est étudiante en espagnol et en art du spectacle, du théâtre et du cinéma au Mirail. Ses grands parents vivent à Fukushima et son grand frère vient de rentrer à Nagoya. « Le peuple japonais est un peuple très fort. Là-bas, personne ne montre sa souffrance, dit-elle. Le soutien moral que les étrangers nous apportent est très important. Je ne veux pas céder à la tristesse. Je veux être une digne représentante de mon pays ».
Saturday, March 19, 2011
原発災害に関するWHO・IAEA声明
学会・研究会での海外からの研究者招聘、近日のものはすべて中止で致し方ないとして、もう少し先の微妙な時期のものはどう判断すべきか、彼らとどう話し合うべきか迷っておられる方々も多いのではないかとお察しします。
そもそも話し合おうにも、十分な判断材料がない。一方で、努力はしているのでしょうが、日本政府・東電が十分な情報を迅速に出しているようにも思われず、特にここ数日、メディアが――峠を越えたという印象を与えたいのか、直接被害にあっていない人間の災害への関心・緊張はそれほど長く続かないのか――、情報を正確に、十分な量、迅速に伝えていないように思われます。
他方で、海外(少なくともフランス)の政府は、自国の(原発をたくさん抱えている)状況との差異化を図りたいのか、国民に最大限の配慮をするために故意に被害を大きめに見積もっているのか、いずれにしてもメディアはフランス国民にとっての重大な関心事への注意を喚起したいのか、非常に深刻なバージョンを伝えているように思われるからです――その後、こちらも注意の程度はやや薄まりつつあります。
そんな中、WHOとIAEAから現時点での原発事故のリスクに関する重要な声明が出されました。詳しくはこちら。
もちろん海外研究者招聘にあたってポイントとなるのは、「現時点」ばかりでなく、「これから起こること」なので、直接の説得・交渉材料にはなりませんが、少なくとも錯綜している情報を落ち着かせる契機にはなるのではないかと期待しています。
Thursday, March 17, 2011
Tuesday, March 15, 2011
月曜ゼミ
最初の2時間は、ベルクソンとドゥルーズについて。
ズラヴィシュヴィリやジジェクを引用しながら進めたが、
最初の一時間は、ドゥピュイの近著に基づいて
「カタストロフィ」について話した(近頃ずっと、彼やヴィリリオのことを考えていた)。
Jean-Pierre Dupuy, Pour un catastrophisme éclairé, éd. Seuil 2002; repris depuis dans la coll. "Points essais".
ベルクソン研究者は知っておかねばならないが、
この本はベルクソンの「可能的なものと現実的なもの」などに基づいて、
独自のカタストロフィ論を展開している。
その後、ベルクソンとドゥルーズの「出来事」概念の差異について話した。
「アクチュアリティ(時代)と切り結ぶ」というとき、
反時代的(イナクチュエル)な手法を取らねばならない。
反時代的とは時代に背を向けるということではなく、
時代の流れに乗らないということである。
要するに、「流れに棹差す」という語の
正統的な用法と流布している誤った用法の間で戯れなければならないわけだ。
後半は、まず一時間、ベルクソンの人文学論から、
「有用性」概念の刷新を目指すという話。
最後に、ロシア人の学生、中国人の学生の発表とそれに関する議論に2時間。
それぞれの国における哲学と大学(ないし制度)の関係の歴史・実情を話してもらい、
自分なりに哲学的な分析を試みてもらった。
中国人(香港人)の彼は、ドイツ観念論・超越論哲学と現象学の専門家なので、
超越論哲学の観点から見る教育の重要性、とりわけ「自己発生」(auto-engendrement)
の概念を軸に、カント、フィヒテの教育論などを引用しつつ語ってくれた。
明日の朝、Guillaume Sibertin-Blancと急きょ、ゼミをやることにした。
彼がStéphane Legrandと書いたフランスの知的状況の制度的批判についての本と、
デリダの『条件なき大学』に関する読解を行なう予定である。
困難な状況下でも、日本の人文学が頑張っているところを見せないといけない。
Monday, March 14, 2011
Sunday, March 13, 2011
原発続報
全体的になるべく読みやすくなるように文章の区切りなど手を加えてみました。時々刻々の情勢分析以外の、後から読んでも役立つと思われる項目には――もちろん情勢分析の中にも後から読んで思考の役に立つ部分は多々ありましたが――タイトルを付しています(たとえば【英語による情報収集】など)。
特に被曝防御マニュアルの部分は、地域に関わりなく、皆様ご一読されておくことをお勧め致します。
批判と支援
これは地震・津波や、原発関連の被害(被曝)などに対する複合的な漠然とした怖れなのでしょう。もちろん彼らの気持ち(自然発生的な恐怖・本能的かつ合理的な警戒感)は分かりますし、人命がかかった問題である以上、こちらとしても絶対に大丈夫などと簡単に安請け合いできるわけもありませんが、裏方として準備してきたという側面から見ると正直かなり残念な気持ちです。
*
ネット上で交わされている大量の言葉のやり取りの中に「天災か人災かの議論や政府批判は後回し。まずは救助・支援だ」という言葉が数多くありました。たしかに不毛な水掛け論をしている場合ではありません。しかし、「批判」か「支援」かは明らかに不毛な二者択一です。
原発問題がまだ終わっていない(それどころか深刻化している)以上、政府の一挙手一投足に注目することは当然のことですし、(別に日本に限らず)「大本営発表」というものに対するごく常識的な警戒感があれば、政府筋ではない複数の情報源からさまざまな情報を得て自分なりに判断し、場合によっては、彼ら政府の行動に対して、言論で「批判」し、方向修正を促そうとするのも当然のことです。
それを人に放棄させる権利は誰にもないでしょうし、自ら放棄することはカントの言う「敢えて賢かれ(自分の頭で考えよ)」の啓蒙精神を放棄していることになるでしょう。
政府の言動を注視するというのはごく健全な市民精神です。それを「監視」とネガティヴにのみとれば、あとは「黙従」しかなくなるでしょう。それは健全な「批判」を偏執狂的な「非難」と取り違えることです。
「批判」か「支援」かではなく、「支援」につながる「批判」、「批判」と緊密に結びついた「支援」が今大切であるように思います。
(ヤフーのサイトに「東北地方太平洋沖地震に関するチェーンメールなどへの注意について」というページがあり、「チェーンメール、電子掲示板、ミニブログなどで誤った情報が流れて」いるので、「報道や行政機関のWebサイトなどの信頼できる情報源で真偽を確かめ、これらのチェーンメールなどに惑わされないように」、また「チェーンメールを転送することはいたずらに不安感を煽ることにつなが」るので、「チェーンメールを受取った時は、速やかに削除して転送をやめ」るように勧告されています。これは総務省の勧告でもあり、妥当な勧告でもありますが、誤った情報であるかないかは一人一人が自分の責任において判断するほかはなく、事実そうやって判断しているのではないでしょうか。私たち一人一人の思考の力を基本的に信頼し、と同時に、互いに対する健全な批判精神を保ち続けることを奨励するのでなければなりません。)
国際シンポ「エコソフィー」(ドゥルーズ=ガタリ的環境哲学)
Colloque international « Écosophie »
Mercredi 16 mars 2011, Jeudi 17 mars 2011 : Université Paris Ouest Nanterre La Défense, Salle des colloques, Bâtiment B
Vendredi 18 mars : INHA, Salle Vasari
Sous la direction scientifique de Manola Antonioli
Contact : antonioli.manola@wanadoo.fr
Site : http://pagesperso-orange.fr/
Entrée libre, dans la limite des places disponibles
Institutions partenaires :
v Équipe « Esthétique » de l’EA HAR 4414, Histoire de l’art et des représentations, Université Paris Ouest Nanterre La Défense
v Équipe de recherche « Éthique, Technologies, Organisations, Société » (ETOS), Institut Télécom/ TEM Research
v Institut National d’Histoire de l’Art (INHA)
Programme
Mercredi 16 mars 2011 – Université Paris Ouest Nanterre La Défense (Nanterre)
Matin
Présidente de séance : Manola Antonioli
Écologie urbaine et géographie
9h00 : Manola Antonioli (philosophe, Équipe « Esthétique » de l’EA HAR 4414, Histoire de l’art et des représentations, Université de Paris Ouest Nanterre La Défense)
Ouverture du colloque
9h15 : Thierry Paquot (philosophe, IUP, Université Paris XII)
« Quelle(s) urbanisation(s) pour l’écologie ? »
10h00 : Chris Younès (philosophe, École d’architecture de la Villette-GERPHAU)
« Corythmes et écosophie urbaine »
10h45-11h00 : PAUSE
11h00 : Anne Querrien (sociologue et urbaniste, directrice de la rédaction de la revue Multitudes)
« La ville durable en Europe »
11h45 : Stefania Bonfiglioli (philosophe, Université de Bologne-Italie)
« Nature et identité humaine : le concept de paysage entre géographie et philosophie »
12h30-14h00 : DÉJEUNER
14h00 : Frédéric Astier (philosophe, MSH Paris Nord), Alice Cartier (historienne, « Centre de recherches en histoire du XIXe siècle » et MSH Paris Nord), Anne Legrand (musicologue, MSH Paris Nord)
« Territoires, art et politique dans les contestations noires américaines autour de 1968 »
14h45 : Hervé Regnauld (géographe, Université Rennes 2)
« La pensée spatiale de Peter Sloterdijk »
15h30-15h45 : PAUSE
Environnement et politique
Président de séance : Hervé Regnauld
15h45 : Pierre Zaoui (philosophe, Université Paris VII)
« Comment inventer un catastrophisme écologique joyeux ? – Relire Guattari »
16h30 : Fabrice Flipo (ingénieur et philosophe, Equipe de recherche ETOS, Institut Télécom/TEM Research)
« La décroissance : une pensée anti-moderne ? »
17h15 : Augustin Fragnière (philosophe et spécialiste de l’environnement – Institut des politiques territoriales et de l’environnement humain, Lausanne)
« Liberté et écologie : amis ou ennemis ? »
18h00-18h30 : DÉBAT ET CONCLUSION DE LA JOURNÉE
Jeudi 17 mars 2011 – Université Paris Ouest Nanterre La Défense
Écologie entre droit et philosophie
Présidente de séance : Anne Sauvagnargues
9h00 : Hicham-Stéphane Afeissa (Philosophe, Collège International de Philosophie)
« Politique, idéologie et sémantique dans la deep ecology d’Arne Naess »
9h30 : Pierre-Antoine Chardel (philosophe, Equipe de recherche ETOS, Institut Télécom/TEM Research & CERSES, CNRS / Université Paris Descartes)
« Écosophie et écoéthique : lecture croisée de Félix Guattari et de Tomonobu Imamichi »
10h00 : Marie-Angèle Hermitte (juriste, Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales – Paris)
« La nature comme objet de droit »
10h30-10h45 : PAUSE
10h45 : Christiane Vollaire (philosophe)
« Esthétique industrielle versus théologie »
11h15 : Bernard Andrieu (philosophe, Université de Nancy)
« L’écologie corporelle est-elle une philosophie ? »
11h45: Jean-Philippe Pierron (philosophe, Université de Lyon)
« L’imagination environnementale. De l’esthétique à l’éthique de l’environnement »
12h15 : Valérie Marange (philosophe et psychanalyste, Paris)
« Gregory Bateson : penser avec son corps »
12h45-14h00 : DÉJEUNER
L’animal et l’animalité
Président de séance : Hicham-Stéphane Afeissa
14h00 : Anne Sauvagnargues (philosophe, Université Paris Ouest Nanterre La Défense)
« Ritournelle et devenir-animal »
14h30 : Anne Dalsuet (philosophe)
« Quel droit reconnaître aux animaux ? Le problème du bien-être animal »
15h00-15h30 : Questions du public
15h30-15h45 : PAUSE
15h45 : Karen Houle (philosophe, University of Guelph, Canada)
« Devenir-animal et devenir-végétal »
16h15 : Isabelle Autran (sociologue, responsable d’édition des Presses Universitaires de Paris Ouest)
« La constitution de l’animal : contre la réification et l’utilitarisme »
Éthique environnementale
Présidente de séance : Anne Dalsuet
16h45 : Gérald Hess (philosophe, Faculté des géosciences et de l’environnement, Université de Lausanne – Suisse)
« Vers une éthique intégrative de l’environnement »
17h15 : Baptiste Lanaspèze, écrivain et éditeur, directeur de la maison d’édition Wildproject
« L’éthique environnementale de J. Baird Callicott »
17h45-18h30: Questions du public et conclusion de la journée
Vendredi 18 mars 2011 – INHA
Esthétique et imagination environnementales
9h00 : Roberto Barbanti (philosophe, Université Paris VIII), Silvia Bordini (historienne de l’art, Université La Sapienza-Rome), Lorraine Verner (historienne de l’art, École supérieure d’art de Rueil-Malmaison)
« Art, paradigme esthétique et écosophie »
9h30 : Laurent Keller (photographe et architecte ; Agence « Photo Vista » - Lyon)
« Les représentations photographiques du cadre de vie : paysage, architecture, urbanisme »
10h00: Alain Engelaere et Francine Garnier (artistes)
« Création sur site : façonner un paysage »
10h30 : Christian Sorg (artiste peintre)
« Le promeneur de la Sierra »
11h00-11h15
11h15 : Bruno Heuzé (journaliste, Paris)
« Signalétiques sonores : une autre écologie des espaces »
11h45 : Aliocha Wald Lasowski (philosophe, Université Catholique de Lille)
« Le piano écosophique : Schumann, Fauré et Guattari »
12h15-13h00 : Questions et conclusion du colloque
Saturday, March 12, 2011
Thursday, March 10, 2011
ハンガリーにおける哲学者迫害について
「哲学と大学」の関係を考えるということは、こういった問題を考えることでもある。
「哲学と大学」研究会メンバーでもある大河内泰樹さんのお知らせより。
*
昨年政権交代の起こったハンガリーで、アグネス・ヘラーら前政権に近いとされる「リベラル派」「左派」の哲学者が政府やメディアによる攻撃にさらされています。やや詳しい情報はこちらを見てください。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/~
この件について、このたび北海道大学の高幣先生、
https://ssl.form-mailer.jp/
つきましては、関係する学会・研究会・
大河内 泰樹
Wednesday, March 09, 2011
頂きもの(フランス編その2)
私 は前からミケルのエピステモロジーは面白いと言っているのだが、日本ではイマイチ理解されていない。ちなみに、エピステモ系の人たちと言うのは、やはり エピステモ系という独特の雰囲気――率直さ、気取らない感じ、飾り気のなさ、あっけらかんと議論できる感じ――を持っていて、私はとても好きである。ミケ ルもそういう一人であるが、彼が私に書いてくれた「献辞」に似たようなことが書いてあって笑ってしまった。背表紙を大雑把に訳しておくと。
《本書は生命的なものに関する一つのテーゼを主張しようとする。それは、〔「生命」と「生物」を区別し、前者を哲学者に、後者を科学者に割り振るのが通例 となっているが〕生命的なものに取り組むのは哲学者というのは単純に間違っているということである。科学者が必要な仕事をした後でなければ、哲学者にはこ の問題に関して何も言うべきことはない。
この主張をさらにラディカルに展開してみれば、生命的なものには物理的な諸側面があるということになる。こうして一つのパースペクティヴが描き始められ る。生命的なものの問いに取り組むにはまず、意識の観点は根源的なものではないということを受け入れる必要がある。見かけに騙されないようにしよう。すべ てが意識の言葉から始まるわけではないのだ。
すべては、ある一つの身振り、ある一つの体系化しようとする身振りから始まる。その体系化的な身振りこそが科学のそれであり、その身振りは私たちを意識の 世界の外へと押しやる。つまり、意識(conscience)の世界と科学(science)の世界の間を行き来するこの転倒の動きを解釈することなく、 それに耳を傾けることなしに、生命的なものを理解することなどできはしないのである。こうして新たな自然の形而上学が生まれ始める。もはや存在者(一般) の存在(一般)ではない、ある存在者のある存在についての哲学が。》
Paul-Antoine Miquel, Maître de Conférences HDR à l'Université de Nice, est notamment l'auteur de Comment penser le désordre ? Fayard, Paris, 2000. Biologiques du vieillissement, en collaboration avec Ladislas Robert, Kimé, Paris, 2004. Bergson ou l'imagination métaphysique, Kimé, 2007. Qu'est-ce que la vie ? Paris, Vrin, 2007. Biologie du XXIe Siècle, évolution des concepts fondateurs, Dir P A Miquel, Préface de Noble, De Boeck, 2008.
Tuesday, March 08, 2011
頂きもの(フランス編)
今年は死後70年ということで(?)とPUFは謳っているけれど、要するにベルクソンの校訂版の刊行作業が完結したということで、2011年はまたもや大々的なベルクソン・イヤーになる模様。この本は絶版になって久しいMélangesから主要な論文・書簡を抜き出し、研究的な註を付したもの。索引も充実していて便利である。
また、『精神のエネルギー』と『思考と動くもの』から幾つかの論文が単体として校訂を付して刊行された。
たとえば、
Henri Bergson, La conscience et la vie, édition réalisée par Arnaud François, PUF, coll. "Quadrige", janvier 2011.
アルノー・フランソワの丹念な仕事ぶりを知る人には、彼の手になる校訂版はすべて「買い」であることは言うまでもない。
ごく厳密に言えば、これらの単体バージョンと既刊の論文集バージョンでは註や序文に若干の異同があるようである(まったく同じものもある)。
*
一つ強調しておきたいのは、ヴォルムスのéditorialな功績である。私は自分の研究を展開することばかりが学者の仕事であるとは思わない。優秀な若手を集め、校訂版を作るという地味な作業を課すことで、彼ら一人一人を「プロデュース」するとは言わないまでも――彼らは一人一人実力を持った若手であり、そんなものを必要とはしていない――、長期的に見て必ずや「肥やし」となる仕事を与え、彼らの仕事の「作法」を厳しく縛るのではなく、ごくゆるやかな縛りをかけて、あとは彼らの自発性に任せ、彼らの活躍を「後押し」しする。それも立派な仕事である。
ドゥルーズは哲学史的研究を非難したと思われているが、彼が非難したのは、「従属の脱個人化=脱個性化」であって、「愛の脱個人化=脱個性化」ではない。
日本のベルクソン研究の現状はどうだろうか。マラルメ研究の大家による個人全訳は、それはそれでよいと思う(私はいかなる翻訳も、質さえ保証されれば、刊行されればよいと思う)。だが、これでまた、近年の学問的な達成が反映された、学術的な校訂版全集が一歩遠のいたことだけは確かであろう。
Monday, March 07, 2011
頂きもの(日本編)
つい機会を逃しておりましたが、幾つかまとめてご紹介させていただきます。
西山雄二『哲学への権利』、勁草書房、2011年2月。
伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学――もうひとつの19世紀フランス宗教史』、勁草書房、2010年11月。
前者は「哲学と大学」関係で、後者は「宗教的なもの・政治的なもの」関係で、お二人の活動、程よい距離感で見てきたと思います。溢れる情熱、パワフルな行動力、目配り、気配り、努力にいつも感心させられてきました。その成果が奇しくも同じ出版社、同じ編集者から。どちらも私たちと同世代の若手研究者のエネルギーに触れられる作品として、自信を持ってお勧めできます。
宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』、岩波新書、2010年4月。
ヘンドリック・ド・マン『社会主義の心理学』(川口茂雄訳)、柏書房、2010年4月。
前者は、現代の日本社会をフランス現代政治哲学の観点からきわめて鮮やかに、しかもきわめて分かりやすく読み解いて見せる好著。後者は、今ではほとんど忘れ去られてしまった感のある、しかしながら初期リクールやティリッヒなどに大きな影響を与えた、20世紀前半の思想家の翻訳という地道で好感のもてる労作。どちらも私の「政治的なもの」に関する考察を深めていくうえで大変参考になりました。
Sunday, March 06, 2011
ドゥルーズと音楽(追加情報)
Deleuze et la musique – Un séminaire nomade
Mercredi 9 mars 2011 – ENS Paris – Salle Dussane
19h-21h: ECOUTES ET PROJECTIONS
I - 19h-20h 30 : Les cours de Gilles Deleuze
Introduction Pascale Criton et Anne Sauvagnargues : à propos des cours et en référence à la posture expérimentale et « collective » proposée et argumentée par Deleuze dans son article « En quoi la philosophie peut servir à des mathématiciens ou même à des musiciens – même et surtout quand elle ne parle pas de musique ou de mathématiques ».
1) Ecoute: La ritournelle et le galop : cours du 20 mars 1984
2) Extrait d’un Interview de Félix Guattari (France Culture)
3) Extraits du cours de Gilles Deleuze de juin 1987 (film de Marielle Burkhalter)
Echanges avec le public
II – 20h 30 - 21h : Extrait de « Qu’est-ce que l’acte de création » Conférence à la Fémis (1987)
Saturday, March 05, 2011
パリ・ブランショ・コロック
Université Paris-Ouest Nanterre La Défense
(Salle des colloques, Bâtiment B)
Organisation : Manola ANTONIOLI - Alain MILON, AVEC LE SOUTIEN DE L’EA 4414 HAR-CREART-PHI
La collection « Résonances de Maurice Blanchot », Presses Universitaires Paris Ouest
9, 10 et 11 MARS 2011, COLLOQUE INTERNATIONAL : LES ROMANS ET LES RECITS DE MAURICE BLANCHOT
Université Paris-Ouest Nanterre La Défense
(Salle des colloques, Bâtiment B)
Organisation : Manola ANTONIOLI - Alain MILON, AVEC LE SOUTIEN DE L’EA 4414 HAR-CREART-PHI
La collection « Résonances de Maurice Blanchot », Presses Universitaires Paris Ouest
PROGRAMME
MERCREDI 9 MARS 2011
• 9h00 - Ouverture du colloque par Manola ANTONIOLI et Alain MILON
• 9h30 - Françoise Collin (Paris) : « Le mystère de la narration »
I — PENSER L’ECRITURE
Président de séance : Arthur Cools
• 10h15 - Anne SAUVAGNARGUES (U. de Paris Ouest) : « Blanchot et la
pensée du dehors : la figure du récit »
11h00-11h15 – Pause
• 11h15 - Laura MARIN ( U. de Bucarest, Roumanie) : « D’une voix
absente, mais qui parle là »
• 12h00 - Renato BOCCALI ( IULM, Milan, Italie) : « La parole aveugle.
L’apocalypse ou le moment spectral dans l’écriture de Blanchot »
12h45-14h00 Déjeuner
II — LE ROMAN E(S)T LE RECIT
Président de séance : Renato Boccali
• 14h00 - Pierre MADAULE (Paris) : « L’événement du récit »
• 14h45 - Antoine PHILIPPE (U. de Porto Rico) : « Le roman est le récit »
14h45-15h00 – Pause
• 15h00 - Solange GIL (U. de Barcelone/Paris 3) : « Négation totale du
récit ou le récit contre la mort ? »
• 15h45 - Alain MILON (U. de Paris Ouest) : « Merleau-Ponty/Blanchot :
dialogue sur l’acte de nomination entre La Prose du monde et Thomas
l’Obscur »
16h30-17h30 : Débat final et conclusion de la journée
JEUDI 10 MARS 2011
III — LES ESPACES NARRATIFS
Président de séance : Éric Hoppenot
9h00 - Arthur COOLS (U. d’Anvers) : « L’imaginaire au singulier. La
vitre, l’escalier »
9h45 - Hugues CHOPLIN (UTC) : « La logique des espaces dans l’écriture
blanchotienne »
10h30 - Gary D. MOLE (U. Bar-Ilan, Israël) : « Le dernier entretien : la
pensée épuisée et l’épuisement du sujet »
11h15-11h30- Pause
IV — L’ATTENTE L’OUBLI
Président de séance : Gary D. Mole
11h30 - Eric HOPPENOT (U. de Paris IV) : « Genèse de L’Attente l’oubli »
12h15 - Rosanna CUOMO (U. de Naples, Italie) : « L’attente l’oubli.
L’écriture en éclats »
13h00 -14h30 : Déjeuner
V — LA MORT ET LE MOURIR
Président de séance : Hugues Choplin
14h30 - Yue ZHUO (U. de Yale-USA) : « Le papillon de nuit et la rose :
Bataille et Blanchot autour de L'Arrêt de mort »
15h15 - Caroline SHEAFFER-JONES (U. New South Wales, Australie) :
« La rencontre : L’Instant de ma mort de Maurice Blanchot »
16h00 - Claudine HUNAULT (Paris) : « L’Instant de ma mort »
16h45-17h30 : Débat et conclusion de la journée
VENDREDI 11 MARS 2011
VI — L’ETRANGE ET L’ETRANGER
Président de séance : Maxime Decout
9H00 - François BREMONDY (Institut d’Etudes Judiciaires, Tours) : « Le
don de vision étrange. Étude du Très-Haut »
9H45 - Tomas SWOBODA (U. de Gdansk, Pologne)
: « L’œil obscurci »
10h30-10h45 Pause
VII — UNE ECRITURE ET UN SUJET FRAGMENTAIRES
Président de séance : Caroline Sheaffer-Jones
10h45 - Hanna BALINT (U. de Budapest, Hongrie) : « Les modalités de
l’écriture fragmentaire »
11h30 - Maxime DECOUT (U. de Lyon 2) : « Maurice Blanchot : Je ou
comment s’en débarrasser »
12h15 - 13h00 : Clôture du colloque par Alain MILON


