Tuesday, May 31, 2011

Friday, May 20, 2011

6/18国際シンポ「制度と運動――哲学の権利をめぐる問い」



連続国際シンポジウム「福岡でフランス哲学を!」第3回

《制度と運動――哲学の権利をめぐる問い》

日時:6月18日(土)10時‐18時

場所:九州産業大学15号館15103教室(詳細はこちら)

アクセス:

 電車:JR鹿児島本線・博多駅から上り普通電車で約15分、「九産大前」駅下車、徒歩約1分

 バス:天神バスセンター(1番のりば)から都市高速経由で約20分→「産業大学南口」下車、徒歩約2分

主催:九州産業大学 国際文化学部 藤田研究室(お問い合わせは、hfujita[at]ip.kyusan-u.ac.jpまで)

***

第一部:映画上映「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」(西山雄二監督)

 約90分程度の上映時間を予定しています(10:00-11:30)。上映後、シンポ発表者による討論、観客からの質疑応答の時間があります(11:30-12:30)。


第二部:シンポジウム「制度と運動――哲学への権利をめぐる問い」(14:00-18:00)

発表はフランス語およびドイツ語(発表の翻訳配布、質疑は通訳あり)

講演者紹介

アルノー・フランソワ 「シンポジウムとは何か」
1978年生まれ。トゥールーズ第二大学准教授。ベルクソン『創造的進化』の校訂版編者として著名(2007年)。著書・編著に『ベルクソン『創造的進化』を読む』(2010年)、『ベルクソン、ショーペンハウアー、ニーチェ。意志と真理』(2008年)や小著ながら要を得た『ベルクソン』(2008年)などがある。若くして、ヨーロッパ圏における人文科学研究者養成のためのフランス語圏組織(OFFRES)語の共同代表、エラスムス・ムンドゥス・マスター「ユーロフィロソフィー」コーディネーター、国際ベルクソン学会書記などを兼務。


後藤正英(ごとう・まさひで) 「大学の教養教育における倫理と宗教」
1974年生まれ。佐賀大学文化教育学部准教授。近代ドイツ哲学、近代ユダヤ思想。共著に『ユダヤ人と国民国家』(岩波書店、2008年)や『グローバル・エシックス』(ミネルヴァ書房、2009年)など。論文に「シュトラウスとローゼンツヴァイク ―20世紀ユダヤ哲学の系譜― 」(『思想』岩波書店、2008年12月号)、「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」(『スピノザ―ナ』第11号、2011年)など。翻訳:シェリング「自然哲学体系への草案序説」(『シェリング著作集1b』、燈影舎、2009年)など。


西山雄二(にしやま・ゆうじ)  「哲学の/と無償性La gratuité de/et la philosophie」
1971年生。首都大学東京准教授。国際哲学コレージュのプログラム・ディレクター。著書に、『哲学への権利』(勁草書房、2011年)、『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(御茶の水書房、2007年)、『哲学と大学』(編著、未來社、2009年)。ジャック・デリダ、モーリス・ブランショ、カトリーヌ・マラブー、ジャン=リュク・ナンシーなどの著作を翻訳。


藤田尚志(ふじた・ひさし)  「フランスにおける哲学と大学」
1973年生。九州産業大学講師。専門はフランス近現代思想。研究プロジェクトとして、「哲学と大学」と「結婚の形而上学とその脱構築」を進めている。共著に『哲学と大学』(未来社、2009年)や『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)。論文に「ドゥルーズか、ベルクソンか―何を生気論として認めるか」(『思想』岩波書店、2009年12月号)、「言葉の暴力―ベルクソン哲学における比喩の問題」(『フランス語フランス文学研究』第92号、2008年)など。日本フランス語フランス文学会2010年度学会奨励賞受賞。

Saturday, May 07, 2011

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©National Geographic



©National Geographic










Tuesday, May 03, 2011

「絶対的な正義」とは何か(ビンラディン暗殺の日に思う)

どのような美名や名目の下でも、暗殺は暗殺である。

やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと

NEWS ポストセブン 5月3日(火)16時5分配信


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やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと
アンパンマンとやなせたかし氏
コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そ して自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さ ぶられたのか。

「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌 が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生 きていけと励ましてくれたのです」

人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノンフィクション・ライターの神田憲行氏が聞いた。

* * *
やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けるこ と。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大 きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの “正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても 「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。 「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、 突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。

やなせ:うん。だから正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマン なりの正義を持っているかも知れないから。それに正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人 が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに溺れ死 んでしまうかも知れない。それでも助けざるを得ない。

つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆 する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。怪獣を倒すスーパー ヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。

――未曾有の国難といわれています。日本は復興できるのでしょうか

やなせ:(笑みを浮かべて)出来るのに決まってるじゃないか!あの戦争だって日本は焼け野原になって、原爆をニ個も落とされて人が何十年も住めないと言わ れたんだよ。それがあそこまで復興できたんだから。日本人は粘り強く、正しく立派に生きている人たちです。間違いなく復興できますよ!

やなせ氏は震災直後に1000万円を寄付し、さらにグッズの売り上げを寄付にする活動を継続中である。

「被災地の子どもたちがアンパンマンが助けに来てくれると思ってるらしいんだ。だからこうして活動していると知ると、喜んでくれるんじゃないかと思うんだ」

取材後、私(神田)が仙台で被災した従兄弟に小さな子どもが2人いることを話の流れで言うと、やなせ氏は目を見開いて「この事務所にあるオモチャどれでもいいから持って行きなさい。送って励ましてあげなさい」と言ってくださった。秘書の方が丁寧に選んで手渡してくれた二つのオモチャを持つだけで、帰り道の 私の気持ちは温かくなった。

DG情報

Séminaire Deleuze et Guattari
CIEPFC ENS UlmAnnée 2010-2011D’un mille ou mille et unième plateau ?Deleuze et Guattari : sémiotique et politique
Prochaine séance : le 7 mai 2011, de 14h-17h, Ens, 45 rue d'Ulm, Paris, salle Weil
Arnaud Villani


Guattari, L'inconscient machinique (Recherches, 1979, rééd. 2010).Deleuze et Guattari, Mille Plateaux (Minuit, 1980).

Politiques de l'imageAprès avoir l’an dernier travaillé sur les politiques de l’image à partir de Deleuze, de Guattari et de Deligny, nous reprenons cette année la lecture de Mille plateaux (1980), en la croisant avec L’Inconscient machinique de Guattari. Il s’agira de préciser les rapports entre sémiotique et politique, en poursuivant le dialogue avec les sciences sociales, la critique du structuralisme, l’attention aux agencements machiniques.BibliographieGuattari, L'inconscient machinique (Recherches, 1979, rééd. 2010). Deleuze et Guattari, Mille Plateaux (Minuit, 1980).Deligny, Oeuvres (éd. de l'Arachnéen, 2007) et L'Arachnéen (éd. de l'Arachnéen, 2008). Programme des séances 2010-2011
Les séances ont lieu le samedi de 14h à 17h, à l’ENS, 45 rue d’Ulm,Samedi 2 octobre 2010 Salle PasteurSamedi 13 novembre 2010 Salle WeilSamedi 11 décembre 2010 Salle BeckettSamedi 8 janvier 2011 Salle WeilSamedi 5 février 2011 Salle WeilSamedi 5 mars 2011 Salle WeilSamedi 9 avril 2011 Salle WeilSamedi 7 mai 2011 Salle WeilSamedi 4 juin 2011 Salle Weil

Wednesday, April 27, 2011

第一線で続けるということ

内田「マンUは成熟したチーム。特にルーニーはすごい」…インタビュー・マンU編

SOCCER KING 4月27日(水)12時47分配信

26日に、チャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグでマンチェスター・Uと対戦したシャルケのDF内田篤人。0-2での敗戦により、夢の決勝進出は遠のいたが、内田は世界最高峰の舞台で様々なことを感じたようだ。

(…)

-パク・チソンについて

守備をしっかりしてますよね。前に行かせてくれない。前に行けるときはみんなが戻ってるから出すところがない。

アジア人として、負けたくないという意識はないけど、こういう舞台でずーっとやっていることは尊敬します。こういう舞台で、ずっとやっているということはここでやってみないと分からない。マンUで、こういう舞台で毎年やってるのってすごいなって。

Saturday, April 23, 2011

Colloque SPINOZA – DELEUZE (29 et 30 avril)

Colloque
SPINOZA – DELEUZE
Vendredi 29 et samedi 30 avril

Organisé par Anne Sauvagnargues et Pascal Sévérac
avec le soutien du CERPHI (ENS de Lyon - UMR 50 37) et du Ciepfc (ENS de Paris)




Vendredi 29 avril à l'ENS-Ulm

Matin: salle Jules Ferry

9h45: ouverture

10h00 - 10h45: Chantal Jaquet (Paris 1) : « “Un balai de sorcière” (Deleuze et la lecture de l’Ethique de Spinoza) ».

10h45 - 11h30: Pierre Zaoui (Paris 7): « L'immanence spinoziste: un coup de force deleuzien? ».

11h30 - 11h45 : pause

11h45 - 12h30: Laurent Bove (Université de Picardie Jules Verne) : « Spinoza-Deleuze et la question d’Autrui »


Après-midi: Amphi Rataud

14h30-15h15: Ariel Suhamy (La Vie des Idées): « Le cheval de labour et le cheval de course
».

15h15-16h00: Vincent Jacques (ENSAV): « De Différence et répétition à Mille plateaux, métamorphose du système à l'aune de deux lectures de Spinoza ».

16h00 - 16h15: pause

16h15 - 17h00: Pascal Sévérac (Collège International de Philosophie): « La sensation chez Spinoza et Deleuze: percept et affect ».


Samedi 30 avril à l'Université de Paris 1

Matin: salle Cavaillès

10h00 - 10h45: Charles Ramond (Paris 8 / LLCP): « Deleuze lecteur de Spinoza : la tentation de l’impératif ».

10h45 - 11h30: Antonio Negri: « Spinoza et Deleuze: le moment propice ».

11h30-11h45
: pause

11h45 - 12h30: Anne Sauvagnargues (Paris 10): « De l'interprétation à l'éthologie : les deux lectures de Spinoza par Deleuze ».


Après-midi: salle Cavaillès

14h30 - 15h15: Kim Sang Ong-Van-Cung (Université de Poitiers): « Le pouvoir d’être affecté – Modes spinozistes et singularités chez Deleuze ».

15h15 - 16h00: Thomas Kisser (Université de Munich) : « La réalité du penser. L’interprétation de Spinoza par Deleuze ».

16h00-16h15: pause

16h15 - 17h00: Igor Krtolica (ENS de Lyon): « Deleuze, Spinoza et les signes ».

Friday, April 22, 2011

大学の授業

水曜日の一限に(!)、芸術関係の学部で、実験的に「芸術の哲学」というか「芸術と哲学」の講義をやっている。今週は建築について。古代ギリシア建築と中世ゴシック建築について話す。来週は、20世紀の三大建築家とも言われる、ライト、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエについて話そうかと思っている。

それで毎週、授業外に補足のレクチャーをやろうと思っている。木曜5限にDVD観賞会などをしていこうと思っている。今日はフランク・ロイド・ライトについてのDVD。160人いた講義受講者に告知したにもかかわらず、参加者はたったの一人(先週はゼロ)。笑ってしまった。でも、そのたった一人の参加者がえらく興味を持ってくれたようでよかった。彼の話がなかなか面白かったので、来週は彼を授業の壇上に上げて、対話形式で授業を始めてみようかと思っている。

160人のうちの1人。でも、ここにうちの大学で私なりに戦うべき戦いがある気がする。
負け戦だろう。勝つのはいつも時流に乗っていくアクチュアルな「彼ら」だ。だが、それがどうした。

*

今日はその鑑賞会の時間にちょうど「入学前教育」に関する報告会があったので、それに出席せねばならず、親しい学生にお願いして、代わりに観賞会をしてもらった。

「入学前教育」とは、授業を聞く以前に「人の話を黙って集中して聴く」「大学で友達を作る」ことに極度の困難を覚えている一部の学生たちに対して、「友達づくり」と「コミュニケーション能力の向上」を目指して入学直前に行われる教育のことである。企業の新入社員研修――近頃は「社の精神を叩き込む」場ではなく、やさしく、ソフトに行くのだそうだ――のようなものだと思ってもらってもいいかもしれない。私の理解した限りでは、要するに、ここ十数年、絶大な人気を誇っている「自己啓発」である。

学習困難な学生を大学に定着させようという意図に基づいて行われているこの取り組みには全面的に賛成である。プロジェクトの細部には多々改善の余地があるにせよ(なぜ桁外れの予算が請求されるに違いない外部発注なのかなど)、方向性そのものにはまったく異論がない。

しかし、この措置はあくまでも例外的措置として行われるべきものであり、大学全体がこれをモデルとして進んでいくことには危ういものを感じる。

私たちのような小さな大学の教員が忘れてはいけないこと、それは「私たちが手放してはいけないものは何か」ということだ。

受験者減・定員割れ対策、離学(休学・退学)率の低下が、地方私立大学の最優先課題であることは明白だ。問題は、何によってそれを達成しようとするのか、である。もちろん「あれか、これか」の二者択一ではない。「あれもこれも」の多方面からの同時展開が望ましいことは言うまでもない。

だが、本分が忘れられている気がする。何か新しいアクションを起こすことが、大学改革だと思われている。そのための箱モノ行政、外部発注。

学生と教員がお友達になることが離学率に歯止めをかけ、学生の勉強意欲を増進するのだ、と。そのためには、教員はできるかぎり大学にいて、学生の対応(話し相手!)をしなければならない、と。さまざまな小規模大学で、大学教員の「タイムカード制」が始まっている。

しかし、授業をいかに面白くするのか、それが一番大事であろう。そのために会議を減らし、無意味なお役所仕事的書類を減らし、委員会のための委員会を減らすことこそが、最も重要な大学改革であるという気さえする。どうでもいいことに丁寧に行き過ぎ、大切なことに時間が割けない。本末転倒だ。

直球勝負の学問は面白い。そのことを感じさせずに、なんの大学だろうか。
「そこ一番大事なとこ」をフォーカスせずに、なんの大学だろうか。
家や図書館にこもって、時間をかけて、静かに授業準備する、その当たり前のことが当たり前に理解されなくなりつつある。大量の会議に追われ、大量の書類に追われ、大量の講義を受け持たされ、大量の学生の話を聞かされ、責任ある対応を任される…。二週間ゼミに出てこなかった学生に電話をかけ、悩み相談に乗るというのは、私たちにとってもはや他人事の笑い話ではない。完全に日常になりつつある。

「学生は変わった」?「友達が作れなくなった」?「コミュニケーション力が落ちた」?なるほど、そうなのかもしれない。だが、最も変わったのは、大学が置かれた社会的状況・布置である。それまで「大学で教える」ということの意味について、「哲学と大学」というごく当たり前の考えるべき主題について考えをめぐらせてこなかった、「平和」な時代のツケを、私たちは今、支払わされているという思いが拭いきれない。

***

いえ、DVDも面白かったのでむしろお手伝い出来て良かったです。芸学の男の子の話を聞いていたら「芸術の哲学」にも少し興味を持ったので、水曜日の授業も出てみようかなと思っています。

あと友達から先生宛てのメールが届いているのでそのまま転送しておきます。
なんだかえらくかしこまっていますが(笑)、
とにかく「前に受けた哲学より面白かった」「分かりやすかった」、「授業が始まったらいきなり静かになるのがすごい(神奈川の大学は授業崩壊?したりしていたらしいので)」との事でした^^

帰る頃にはうちの大学気に入ってたようなのでちょっと嬉しかったです。

***

本日はf教授の授業に参加させていただき, また温かく受け入れて下さり有り難うございました。
在学中に哲学の授業を履修していましたが, f教授の生徒との触れ合いを織り交ぜた授業方針は
とても新鮮で, 90分をあっという間に感じる授業になりました。
またもし福岡に来た際は挨拶しに伺わさせていただきたいと思います。
本日は有り難うございました。

Friday, April 15, 2011

これまでとこれから

以下の記事を読んでいて思ったこと。

1)ヨーロッパの中でも、世界の中でも、研究の力関係は長期的に見て変わりうるということ。

2)若手研究者の中にも「これまで」に対する感謝の念と「これから」に対する希望を持っている人がどんどん現れてくるといいな、ということ。

それには長期的な研究者育成の視野が多くの人々に――研究者たち自身のみならず、文科省、政府、ひいては国民――共有される必要がある。そのためにはまず、人文研究者が学問の魅力を、自らのパフォーマンスにおいて示すしかない。

本を出してもらえることが決まった。後押ししてくれた人々に感謝しつつ、なんとか「ゴール」に結びつけていきたい。


欧州CL日本人初対決は内田の圧勝。シャルケvs.インテル戦に2つの意義。

Number Web 4月15日(金)12時1分配信

(中略)

■欧州のリーグで3番手の地位が、イタリアからドイツへ変わった!?

 マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたラウールは、こんなことを語っている。

「今夜はみんなにとって歴史的な瞬間になったね。そして、僕はこんな瞬間を味わうためにシャルケに来たんだ!」

 シャルケは、クラブの歴史上はじめてベスト4進出を決めた。

 次は、マンチェスター・ユナイテッドと戦うことになる。

 この準々決勝の結果が意味するのは、ヨーロッパのリーグとして3番手の地位が、イタリアからドイツに代わったということなのかもしれない。

 ドイツの盟主バイエルンではなく、1963年から始まったブンデスリーガの歴史の中で一度もチャンピオンになったことがないシャルケが、セリエAの雄インテルを下したことには大きな意味がある。

 来季以降に与えられるCLの出場権が、ドイツが3枠から4枠に、イタリアが4枠から3枠になることが決定的となったからだ。

 では、日本人にとって、今回の準々決勝は何を意味するのだろうか?

■「これからは僕らが新しい道を作っていく」と長友。

「この結果は受け止めなくてはいけない」としつつ、長友は言葉に力を込めた。

「インテルの一員として、これは僕の大きな経験になると思うので、これから成長は間違いないなと確信しています」

 1992年から始まったCLの歴史の中で、ホームで行われた1stレグで敗れながらも、アウェイゲームで逆転勝ちを収めて次のステージへの進出を決めたのは、わずかに2チームしかない。ファンハールが率いていた往年のアヤックスと、決勝トーナメント1回戦でバイエルンを下した今季のインテルだけだ。この試合に敗れたからといって、偉業を成し遂げた長友の名前が色あせることはない。

 試合後、インテルの広報が取材を切り上げるようにうながす中、長友は「最後に……」と切り出して、感謝を口にした。

「僕らが日本人対決をこの舞台で出来たのもね、本当にこれまで(先輩の)みなさんが道を作ってくれたから。本当に感謝したい。ただ、これからは、僕らが新しい道を作っていかなきゃいけないので。気合を入れて、頑張ります」

■世界最高の右SBマイコンからユニフォームの交換を頼まれた内田。

 対する内田は、試合後にはエトーに「良かったよ」と声をかけられ、ハーフタイムには世界最高の右SBの呼び声高いマイコンに「ユニフォームを交換してくれ」と頼まれたという。喜びを隠さなかった内田は、日本人として初めてベスト4に進んだ感想を求められて冗談まじりにこう語っている。

「(日本のレベルが)上がってきたというか、やれると思うんです。みなさんも、もっとやれるんだっていう記事にしてくれないと(笑)。やっぱり、記者の影響力はすごく強いから。そういうのに乗せられて、選手もどんどん海外に出て、ああやれるんじゃん、って思ってくれば日本のレベルも上がる。海外のレベル高いから、海外に行っても無理だろうって書いたら、選手も行けなくなっちゃう。どうか、ご協力を(笑)」

 そう言って内田は、すっと記者たちに頭を下げた。決して挑発的にならないように。

 日本サッカーのレベルは確実に上がっている。そう気づかせてくれたのがインテルとシャルケによるCL準々決勝だったのだ。

 そんな試合に日本代表の両サイドバックがともに先発フル出場。

 試合後には健闘をたたえ合い、ユニフォームを交換した。

(「欧州CL通信」ミムラユウスケ = 文)

Thursday, April 14, 2011

三池崇史『一命』

三池崇史は『オーディション』しか見たことがなく、まったくいい思い出がないのであるが、小林正樹の『切腹』はとても好きだったので、機会があったら見てみたいと思う。

***

三池監督×海老蔵映画『一命』カンヌ映画祭コンペ部門に出品決定

 市川海老蔵、瑛太出演、三池崇史監督の3D映画『一命(いちめい)』が、『第64回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門に出品されることが14日、発表された。同作は、3大映画祭(カンヌ、ベルリン、ベネチア)のコンペティション部門で、実写版としては初めて3D作品として選出された。三池監督は「いつもと同じ春ならば、どんなにうれしかったことでしょう。でも、だからこそ、しっかり顔を上げ、前進あるのみです」と朗報に応えた。

 同作は、1958年に発表され、1962年に小林正樹監督が映画化(タイトルは『切腹』)された滝口康彦の『異聞浪人記』が原作。貧しくとも、愛する人とともに生きることを願い、武家社会に立ち向かった二人の侍の生き様に、心震える感動の物語を、三池監督が時代劇初の3D作品として再映画化した。市川、瑛太のほかに満島ひかり、役所広司らが出演する。日本での公開は10月に予定されている。

Wednesday, April 13, 2011

東京に原発を…

「東京湾に原発作れ」 ビートたけし提言にネットで喝采

J-CASTニュース 4月12日(火)19時22分配信
 タレントのビートたけしさんの「東京湾に原発作れ」という提言が注目を浴びている。

 2011年4月11日夜に放送されたテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル 春の3時間SP」の収録後の発言を、同日発行のサンケイスポーツや東京スポーツが報じたものだ。

■「都知事になったらよかったのに」

  「福島原発の電力を首都圏が利用しているのに、原発のリスクを地方の県や人に押しつけるのはおかしい。東京湾に作って、東京の人がそれで生活したら、何も文句は出ないはず。都心は地盤が悪いとか言うけど、地震が来ればどこも同じだよ」

 たけしさんのこの持論が掲載されたサンケイスポーツの記事に対し、インターネットでは、

  「よくぞ言ってくれた!」「昔からこの意見に賛成」「正論だ!」
  「これぐらい言わないと、みんな原発についてちゃんと考えない」

など賞賛の声が相次いだ。東京都知事選直後ということもあり、「たけしが都知事になったらよかったのに」という声もあった。

 たけしさんは1996年に発売した著書「落選確実選挙演説」でも同じ考えを訴えていた。東京スポーツによると、たけしさんは、今回の原発事故でこの考えが「案外的を射てきたかもな」とし、

  「1300万人もいる東京に原発を作るとなると、どんな地震が来ても、津波が来ても、完璧に絶対に大丈夫な原発を作るはずだもの。そうすっと、東京都は地方にカネをやんなくてもいいわけだし」

と、東京に原発を作るメリットを説明。

  「やっぱり、地方にリスクを押し付けて、東京だけいい生活をしようってのは虫がいい話なわけでさ。だったら、東京は地方にガタガタ言わせないためにも『お台場に原発を』だね」

と提唱した。

■「皮肉で言っているのに真に受けるな」

 拍手喝采の一方で、「現実問題不可能だろ」「そんなことしたら日本が終わる」「もうちょっと考えて発言してくれよ」など、たけしさんの発言に否定的な声も見られる。

 また、「皮肉で言っているのに真に受けるな」「これは例え話」というように、この発言が「東京湾に原発」の実現が難しいとわかったうえでの皮肉だとする声もある。たけしさんは1999年に都知事選出馬が噂されたとき、「独裁者ならやってもいいな。東京湾に原発を作ったりして」と冗談まじりに出馬を否定していた。

 「東京湾に原発を」という提唱は、これまでも原発の危険性を訴える人たちによって、「そんなに安全というならば、地方ではなく東京に作ればいいではないか」という批判的な文脈でされてきた。2000年4月には、都知事の石原慎太郎氏が原発の必要性を強調するために「東京湾に原発を作っても構わない」と発言し、話題となった。

ゼミ

今年の2年生のゼミは、ライプニッツの『モナドロジー』を日本語で読んでいくことにした。正規の2年生の登録者はわずか三人だが、まあ、別に人数を集めたいわけでなし(集めたいなら、それなりの戦略の立て方もあるわけだが)、それでいいかと。 学生と「わいわい楽しくやりたい」ゼミがあってもいいし、学生と「厳しいながらも楽しくやりたい」ゼミがあってもいいではないか。 このゼミには、今年から私のところで研究生になったsさん、スーパー三年生のy君、h大院生のm君、f大生のsさん、商学部なのになぜか哲学好きな四年生のn君が参加してくれることになり、総勢6~8名でライプニッツの難物に挑む。 これが大学(university)のあるべき姿だ。九州でも、大学の枠を超え、学部の垣根を超え、学年の違いを超えた哲学書講読ゼミは可能なはず。そう信じている。

Tuesday, April 12, 2011

8コマ…

怒涛の新学期である。私の大学の最低担当コマ数は6。今学期、私は8つ担当している。これでもし一年ゼミを言われるままに引き受け、卒論があったら、10になっていたところだ…。語学の10ではない。

というわけで、今年は講義6、ゼミ2である。

月2 近現代フランス思想史講義:デカルトからデリダまで
月3 結婚の脱構築ゼミ:キェルケゴール研究
月4 結婚の西洋哲学史講義:プラトンからデリダまで
月5 教職の哲学講義
火2 結婚の近現代日本史講義
水1 芸術の哲学講義
水3 ライプニッツを読むゼミ
木4 西洋哲学史講義:古代哲学篇

国公立、有名私立の先生方、どうぞ研究にお励みください…。

Sunday, April 03, 2011

送電ロス

「有効な代替案を出せないなら、原発を認めるべき」(主体・起源の問題)
「なるべく節電して、原発をやめるべき」(客体・目的の問題)
このような形での二者択一で議論が進むのはまずい気がする。
送電ロスの問題を考えてみてはどうだろうか(中間・媒質の問題)。

「送電ロスは、距離に比例し、送電電圧を高くするほど小さくなります。そこで日本の電力会社は100万ボルトという世界でもまれに見る高圧の送電線を開発しました。しかしそれでも日本全国では、現在でも総発電量の5%ほどが失われていることになるそうです。2000年度、資源エネルギー庁の概算によれば、全国で1年間約458.07億kWhの損失になるそうで、この数字は、「100万kW級の原子力発電所6基分」の発電量に相当します。
 原子力発電所は、火力に比べ消費地からかなり離れたところにあります。(中略)送電ロスの大部分は原発に関係したものといってもいいくらいです。」

続きを読みたい方はこちら。

昨今の大学における教師と学生の関係――担任制が広がり、その意味で「大学の高校化」は遅かれ早かれ大多数の大学で不可避的となるだろう――についても同じことが言えないだろうか。とてつもなく不毛な送電ロス…。

リターンエース――入学式に思う

付き添う親の数が昔と違って段違いに多い。大学生が「幼児化」したと結論するのは――そう言いたくなる気持ちはよく理解できるが――早計だろう。

「大学選び」が就職活動の第一歩であるのなら、入学式付添いは大学の「品質保証」に対するこれから始まる厳しい「値踏み」の最初の一歩と考えねばなるまい。

私たち大学教員は親の要望に「応える」だけでなく、その要望自体の性質をより深く理解する仕方を提供するという形で、学生とその親に、ひいては社会に「答えて」いかなければならない。

この場合、必要なのはリターンエースである。

Saturday, April 02, 2011

知り続けること

私は知識人がどんな問題にでも口出しできるとは思っていません。けれども、この件に関しては、日本の知識人は少しでも知りうる限りのことを知ろうとする「義務」――とても強い意味で――があると思います。

傷つき、心疲れた人々を和ませ、ほっとさせ、気持ちを癒す。それは大切なことでしょう。「感動秘話」によって、「センセーショナルな映像」によって人を動かす(千羽鶴を折り、支援物資を送る)。それは役に立つことかもしれません。

けれども、そういったこととは違う何か――違うというだけで優劣関係はなく、むしろ含みあう関係でしょう――、「知ること」、「知り続けること」、それもまたやはり大切なのだと思います。感性と知覚を伴った知。

偉そうなことを言っても、私自身、再び始まった日本での日々の生活に追いまくられ、何ができているわけでもありません。友人から送られてくる情報に目を通し続けること。本当にごくささやかな、小さすぎる一歩…。




Friday, April 01, 2011

利害関係

3月28日(月)、パリで行われた西山さんのCIPhのゼミにゲストとして招かれ、発表させてもらった。当日、あらかじめタイトルは用意していかなかったのだが、全体をまとめると、
Négociations - à partir de Derrida
という感じだろうか。日本語ですでに発表したものに、今回のフランス滞在中のユーロフィロゾフィー・ゼミで練ってきたものを加味した。

学生さんたちの滞在記(フランス体験)を読んで、自分の学生たちにも声を掛ければよかったかなあと少し後悔。

でも、最近はリスク管理ばかりうるさく、斬新な発想には極度に保守的な態度を示すという風潮を感じてもいるので、西山さんのような試みはまたいずれ、自分のスタイルが認められてからということにしよう。

私の発表に日本人留学生の数が少なかったということを西山さんはしきりに嘆いておられたが、私は別に気にしていない。フランスの友人edが来て、議論を仕掛けてくれたというだけで十分。むしろ他のフランス人の友人たちに声を掛けなかったことを悔いている。

日本人に限らず、また留学生に限らず、人というのは正直なものである。面白そう(intéressant)、何か起こりそう、と思えば来るし、思わなければ来ない。広い意味で「利害関係(intérêt)がある」と思えば来るし、ないと思えば来ない。そういうものだ。これから国際的に活躍していきたいと望む若手の哲学・思想研究者がそういう姿勢でいいかどうかはともかくとして。

認知度が低いのは仕方がない。実力がないだけのことである。また、実力がないのに、あるふりをしようとも思わないし、無理に獲得しようとも思わない。やりたいことをやり、やれることをやるだけだ。

今までもむしろそれを基本にやってきた。振り返らない。人のせいにしない。自分の直すべきところだけを見つめる。探すべき未来はその先にある。

ひとまず新学期が始まる。

Thursday, March 31, 2011

原発人災のおりですが、いや、だからこそのWINC4月例会のご案内です。

お知らせの転送です。
hf

***

WINC参加者のみなさん。

3月11日の大震災のもと で、 みなさんはご無事ですか。

知り合いやご家族に被災さ れた 方がいらっしゃったりしないでしょうか。

被災地からの報せを聞くだけで、胸がつぶれるような思いがいたします。
まして、直接に被害にあわれた方々の心の傷みはいかばかりでしょう。
かける言葉も見つかりません。
 
震災に加えて、
さらに人災としての大規模原発事故が降りかかってきています。
いたずらな不安ばかりが先走るのは危険ですが、
マスコミには、
この事故が原発行政の転換に結びつかないようにと、
東電のひもつき原発推進派ばかりがコメンテーターとして登場させられ、
あけすけに言説の選別と誘導が行なわれているのを見ると、
空恐ろしいものを感じます。
今回の事故の意味をどのように受けとめられるのか、
この危機を、原発政策の転換に結びつけることができるかどうか、
早晩、この市民社会の力量が問われることになるはずでしょう。
 
ところで、次のWINC四月例会の予定についてですが、
率直に申し上げると、
はたしてそのまま開催可能かどうか、一度は頭を抱えました。
しかし、何人かで話し合っているなかで、
むしろ孤立して狼狽しているよりも、
事態を掘り下げる機会をしっかり持とうではないか、ぜひやろうという結論にいたりました。
それどころか、四月例会のテーマとしてもともと考えていた1950年代論の本来の文脈と、
現在の原発事故が突きつけている思想的課題とが実は深く連関している、

という確信を持つようにもなりました。
だから、
原発人災事故のおりにも関わらず、ではなく、
事故のおりだからこそ、次回例会のお知らせを差し上げ、参加を呼びかけます。
 
つまり、4月16日には予定どおり、
河出書房新社から公刊された鳥羽耕史さんの『1950年代――記録の時代』を課題図書として、
WINC例会を行ないます。
ただし、冒頭でまず、
NHKの1994年のドキュメンタリー映像

『
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(44分)を見ることにします。
これは、まさにいまの原発災厄の起源が、戦後の読売争議や50年代の平和運動の破壊のなかに

あることを
見事に明らかにした作品です。
これをみなさんと共有し、またそれを橋渡しとして、
鳥羽さんの新著が提示する1950年代論のアクチュアリティまで考えてみます。
 
「1950年代の発見と再定義」は、ここ二、三年、重要な主題として浮上してきています。
ブームと呼んでしまうと語弊がありますが、谷川雁や『サークル村』の再評価、
さまざまなサークル雑誌やサークル詩の発掘と復刊、『現代思想』の「特集=戦後民衆精神史」の登場、
そして間近に迫った『人民文学』そのものの復刊などが続いており、
間違いなくこれらの成果があいまって、

1950年代という時代についての見通しが顕著に豊かになりました。
 
今回は、鳥羽さんの、ある意味では実に生真面目な新著を手掛かりとして、
なぜ1950年代が問題であるのかを正面から論じてみる機会としますが、
そこにさらに原発事故の意味を掘り下げるという文脈が、
複雑に絡み合ってくるはずです。
 
提題者のひとりは、
一連の動きの「工作者」でもある
元『現代思想』編集長の池上善彦さんにお願いしました。
池上さんからは、
まさに原発事故も含めた2011年の世界大の状況を見据えつつ、
50年代論の「世界史的意義」について論じるぞ、という予告をいただいています。
もうひとりの提題者は、
松田道雄論などで注目されている若手の論客、

和田悠さんがお引き受けくださいました。

また、著者である鳥羽
耕史さんご本人がお越しになり、

お二人の提題に対してリプライしてくださる予定です。

具体的には以下のようになります。

*********************************

 《WINC四月例会 1950年代論の意義と射程とその切実さ》

■ 日時 2011年  4月 16日(土)午後2時から

■ 場所 東京外国語大 学海 外事情研究所 研究講義棟四階 427

   ※ 東京外国語大学の住所は「府中市朝日町3-11-1」です。

    西武多摩川線 (中央 線武蔵境駅にてのりかえ)多磨駅下車徒歩4分

    あるいは、京王 線飛 田給駅下車北口からの循環バスで5分、

    「東京外国語大 学 前」下車です。

    どちらも少し間 引き されているとはいえ、問題なく動いています。

心配な方は、

東京 外国語大学のホームページ上の案内図を参考にしてくださ い。

   URLは、

http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html

    です。

■ 課題: 鳥羽耕史 『1950年代――「記録」の時代』(河出ブックス、河出書房新社、2010年)

参考映像: 『原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略』(NHK、44分)


■ 
提題者: 池上善彦 さん (失業者、元『現代思想』編集長)
 
         和田悠さん(学振特別研究員、地域社会文化運動「板橋茶論」事務局長、

社会学/社会思想研究)

■ リプライ: 鳥羽耕史さん(早稲田大学、近現代文学)

なお、4月16日は土曜日ですから、計画停電はありませんが、
会場の東京外国語大学では、いずれにしても暖房は入りません。
天候次第ではすこし厚着をして、ぜひともお集まりください。
 

(WINC運営委員会)

Tuesday, March 22, 2011

3/24, 3/28 哲学と大学・パリ編

3月24日(木)18:30-20:30
場所:Centre Parisien d'Études Critiques, 37 bis rue du Sentier, 75002 Paris
国際哲学コレージュ・セミナー
西山雄二(首都大学・東京)
“L'Université comme architecture (ir)rationelle de la philosophie”

28日(月)18:30-20:30
藤田尚志(九州産業大学)による発表“Université conditionnée”(仮題)

原発続報

地域によって、個人によって温度差があり、西日本では日々の生活に追われ、早くも忘れ去られようとしている感もあります。また、被害を受けた地域では、生活再建に向けて、原発どころではないというところもあるかと思います。

ただ、中長期的にみた場合、やはり原発情報、原発災害に対する基本的な知識は大切だと思いますので、それをなるべく多くの方々と共有していきたいと思っています。

というわけで、続きはこちら。