Monday, October 31, 2005

Sho SAITO

Né en 1968. Ancien étudiant à l'Université de Kyoto. Maître de Conférences d'études des langues et cultures à l'Université d'Osaska. Auteur de Humboldt no Gengo-kenkyû. Yûkitai tositeno Gengo (Recherches linguistiques de Humboldt. Langage comme organisme), Presses universitaires de Kyoto, 2001.

Ses articles écrits en allemand:
- "A. F. Bernhardi und W. v. Humboldt. Eine negative Auswirkung der allgemeinen Grammatik", in Neue Beiträge zur Germanistik (Japanische Gesellschaft für Germanistik), Bd. 3/5, 2004, pp. 75-91.
- "Zur Analytik des Sprachphänomens", in T. Ogawa, G. Rappe, M. Lazarin (eds.), Interkulturelle Philosophie und Phänomenologie in Japan. Beiträge zum Gespräch über Grenzen hinweg, Iudicium Verlag (München), 1998, pp.85-106.
- "Der "Menschliche Ursprung" der Sprache und die "Leibniz-Aesthetische Hülle" bei J. G. Herder", in Herder-Studien (Herder-Gesellschaft Japan), Bd.2, 1996, pp. 30-46.

Pour en savoir plus, voir son site: Sho Saito Webseite Posted by Picasa

Kiyonobu Date

これからは少しずつ、友人たちの仕事を相互に紹介するように心がけていきたい。ちなみに、pense-bêteその他で、私が表明している個人的な政治的・社会的・哲学的見解に、彼らが必ずしも賛同しているわけでないことは言うまでもない。

まず、pense-bêteにも名前を連ねていただいている、伊達(手戸)聖伸さん。フランスにおける宗教問題、いわゆるライシテ(脱宗教化・非宗教化・政教分離)問題、特に第三共和政下におけるライックな道徳の専門家である。彼の研究生活および奥様との仲睦まじい日常生活を綴った「kiyonobumie」。ご一読をお勧めします。

Kiyonobu DATE

Ancien étudiant à l'Université de Tokyo. En tant que doctrant à l'Université Lille III, prépare une thèse sur La Morale laïque sous le régime de Troisième République. Dans la Laïcité 1905-2005, Entre passion et raison (Seuil, 2004), Jean Baubérot mentionne son mémoire de DEA sur "La Morale laïque scolaire à travers le cas du département du Nord" (2003).

Pour en savoir plus, voir son Blog (en japonais) :
Kiyonobumie. Posted by Picasa

Sunday, October 30, 2005

近況

一ヵ月半、日本に一時帰国していた。ようやくひと段落着いたので、近況を記す。

2005年9月10日(土)日仏哲学会にて「ベルクソンの身体概念-フランス唯心論の再検討」と題する発表を日本語で行なう。

2005年10月15日(土)日本フランス文学会にて「ベルクソン哲学におけるrythmeとmesureの問題」と題する発表を日本語で行なう。

現在抱えている作業は次のとおり。
・カッシーラーのある論文を仏訳したので、それに付す解説を仏語で執筆中(11月上旬)。
・上記二つの発表を仏語論文として執筆(11月下旬~12月下旬)。
・もう一つ翻訳作業にタッチしているが、正直あまり気乗りがしない。
・来年1月に友人の古代・中世哲学講義での「ベルクソンとアリストテレス」に関する発表の準備。
・来年2月にリールで行なわれる予定の研究会での発表の準備。

Wednesday, August 24, 2005

ギイェルミの偉大さ:翻訳者、教育者、哲学者

 「今、フランスで人気のある、「売れ線」の、「旬」の哲学者っていうと誰なの?」と日本の友人たちによく聞かれる。聞くほうは別に悪意があるわけでもなく、ただ純粋な好奇心か、話題に困ってか、あるいはむしろ親切心か同情心で聞いてくれるのであろう。

 しかし、そういうことはパリの”トレンド・トレーダー”にでも訊いてもらいたい。私は大リーグ通になりたいのではなく、大リーグで勝負したいのである。パンチョ佐藤になりたいのではなく、3Aでも、1Aですらいいから真っ向勝負で自分の力量を試したいのである。ここに記しているのは、その練習メモのようなものかもしれない。

*

 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだという。そんなことなら何十年も前から分かっているのだという。なるほど。しかし私がここでやりたいのは、ルサンチマンを吐き散らすことではない。いかに幼稚で、基本的なことであろうと、具体的に実行可能な対案を模索したいのである。

 例えば、マニュアル本以外に、過去の偉大な(「有名な」ではない)哲学者たちの講義録を可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のさまざまな古典的テーマに関するアンソロジーを可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のクラシックの原語との対訳版を可能な限り廉価で出版すること。

 しかし、古典的なテクストを原典で読むという作業を学生にますます課しにくくなっている(学生・大学・政府の「要望」に答えねばならないから、学生の語学力・読解力が限りなくお粗末なものになってきているから)現状の中では、このような出版では採算がとれないのだという。

 フランスでは、このような採算の見込めない学術書の廉価出版に対しても、しばしば「国立図書センターによる援助」"avec le concours du Centre national du Livre"がなされる。日本では、高価な学術出版に関してこの種の財政的援助が見られるが、廉価の出版に関しては(少なくとも私の知る限り)存在しない。学問とはいったい誰のためのものなのか。すると、こんな答えが返ってくる。

 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだと。そんなことなら何十年も前から分かっているのだと。... da capo senza fine.

*

 哲学的アンソロジーが重要なのは、哲学において教育ということが本質的な位置を占めるからである。教育において哲学が本質的な位置を占めることもまた言うまでもない。「哲学の教育、教育の哲学」という表現が単なる言葉遊びでなく、哲学における最も重要な問題の一つを言い当てている所以である。

 この機会に、ギイェルミ(Louis Guillermit, 1982年死去。生年不明)の優れたアンソロジー『プラトン自身によるプラトン』の紹介をしておこう(Platon par lui-même, éd. de l'Eclat, 1989; repris dans la coll. "GF-Flammarion", 1994.)。


1.翻訳者ギイェルミ
 ギイェルミは、フランス哲学界ではまずもってカント翻訳者として知られている。ヴラン社から出ている『論理学』(1966)、『理論と実践』(1967)、『プロレゴーメナ』(1968)、『判断力批判第一序論』(1975)の翻訳は彼の手になるものである。権威あるEncyclopoedia Universalisの「カント」の項や、定評ある『シャトレ哲学史』第V巻の「カント」の章を執筆したのも彼である。彼のカント研究の集大成的な著作として、死後出版された L'élucidation critique du jugement de goût selon Kant, texte établi et présenté par E. Schwartz et J. Vuillemin, éd. du CNRS, 1986. また、18世紀後半のドイツ哲学ということで言えば、彼の博士論文 Le réalisme de F.H. Jacobi, Aix-Marseille, Publications de l'Université d'Aix-en-Provence, 1982.がある。

(せっかくの機会だから、ギイェルミのヤコービ研究について一言しておこう。

「神秘主義者ヤコービ」という流布しているイメージに対して、ギイェルミは「神秘主義的なものと実証的なものとを逆説的に組み合わせることである種の「実在論」を導き出そうとしたヤコービ」という解釈を対置する。哲学には「経験」を捉えきることはできないとしてその「不当」な権利主張を退け、むしろ神秘主義的なもののうちに経験の核となる客体=対象、すなわち現実的なものを探し求めたヤコービの思考を、ギイェルミは、「非哲学non-philosophies」の系列に属するものと見なす。

実証的なもの(positif)は、ベーコンの与えた意味(もはやそれ以上説明できない最終的な事実が自然の実証的な法則と合致するものと見なされる場合の実証的なもの)を引き継いでいるように思われる(…)。神秘主義的なもの(すなわち、ヤコービ自身が言うように「完全に神秘的なもの」)は、レヴィ=ブリュールの与えた意味(「神秘主義的なものとは、感覚には知覚されえないにもかかわらず現実的な力・影響・作用の存在を信じる場合に言われる」)と同時に、偽ドゥニが創出した狭義の宗教的な意味(「理性的推論ではなく愛による神との結合がもたらす学」)でもありうる。(p. 65, n.2.)
ギイェルミは、ヤコービの実在論(リアリズム)のきわめて独創的なあり方を強調しつつ、その実在論が必然的に経験と信仰との関係に関する反省を促す以上、ヤコービの思想は神学的伝統よりも、むしろ例えばレヴィ=ブリュールによる原始心性の分析など人類学的伝統のほうに近いのだと繰り返し指摘している。以上の記述は(とりわけこの最後の点に関しては)、友人フレデリック・ケックに負っている。彼の博論の註611を参照されたい。http://www.univ-lille3.fr/theses/keck-frederic/html/these_notes.html )


2.教育者ギイェルミ
しかし、ギイェルミには翻訳者以外にもう一つの顔がある。教育者の顔である。ジャック・ピジョーは、『プラトン自身によるプラトン』の序文でこう述べている。

ルイ・ギイェルミが偉大な翻訳者であることは、彼のカントの翻訳によって知れ渡っていた。彼は偉大な翻訳者であり、かつ偉大な哲学者であった。一方を抜きにして他方を語ることはできない。(p. 8.)

これはもちろん、哲学書を正確に翻訳するためには語学力のみならず根本的な哲学的素養が必要であり、哲学書を正確に理解するためには哲学的な素養でだけでなくしっかりとした語学力の裏づけがなければならないからである。より正確にこう言おう。「ルイ・ギイェルミは、偉大な哲学翻訳者であり、かつ偉大な哲学教育者であった。つまりは端的に偉大な哲学者であった」(Louis Guillermit était un grand traducteur de philosophie et un excellent professeur de philosophie, bref un grand philosophe tout court.)と。翻訳・教育・哲学を切り離して考えることはできないのである。

ピジョーはこう続けている。

ルイ・ギイェルミは、かなりの量のきちんと書き下ろされた講義ノートをあとに遺した。生前カーニュ(ノルマル準備クラス)や大学の授業で用いられ、絶えず改良を加えられていたこれらの講義は、彼の学生たちを虜にした。

このギイェルミの教育者としての本領が最もよく垣間見られるのが、彼の講義録『プラトンの教え』(L'enseignement de Platon, 2 tomes, Nîmes, éd. de l'éclat, 2001.)である。第一巻は、『カルミデス』『ラケス』『リュシス』『エウテュプロン』『大ヒッピアス』『小ヒッピアス』を、第二巻は、『ゴルギアス』『パイドン』『メノン』を扱っている(『国家』『ソピステス』を扱う最終第三巻は、2002年刊行予定であったが、未だ未刊)。

第二巻序文で、ジル・ガストン・グランジェはこう述べている。

ルイ・ギイェルミは、私も含め同世代の者たちの中でも抜きん出て優秀な研究者であったが、あまり多くの業績を残さなかった。にもかかわらず、私たちはカントやヤコービに関する彼の仕事を知っている。また、パリやエクサンプロヴァンスでの授業は、学生たちの心に比類なき哲学的遺産を残した。私は学生たちから非常にしばしばその名講義ぶりについて聞かされたものである。(…)

ルイ・ギイェルミは、同世代のプラトン注釈者たちのうちで疑問の余地なく最も優れたもののうちの一人であった――いや、おそらくは最も優れていた。彼の聴衆たる学生に向けられたこれら対話篇の解釈は、彼がいかに深くプラトン思想に馴染んでいたかを示すと同時に、彼の例外的な教育者としての才能をも示している。きわめて適切に『プラトンの教え』というタイトルを付された本書においても、ギイェルミが常々説いていた、話しかけるような、対話のような表現の長所が見出される。


par Jean BlainLire, mars 1995Cette anthologie constituée de textes extraits de l'ensemble de l'œuvre de Platon, regroupés autour des principaux thèmes de sa pensée, est l'une des meilleures introductions qui soient à la philosophie de l'auteur de La République. Ce grand professeur que fut Louis Guillermit, mort en 1982, ne s'y propose - rien de plus mais rien de moins - que de laisser Platon commenter Platon.Ces pages, choisies pour leur caractère exemplaire ou significatif et servies par une belle traduction, s'adressent à tous ceux qui désirent s'orienter dans la lecture d'un des plus grands penseurs de tous les temps.
http://www.lire.fr/critique.asp/idC=30611/idR=210/idTC=3/idG=7

Thursday, June 09, 2005

怠ける権利のために(Le droit à la paresse, à la Nietzsche)

≪挽歌。

――瞑想的生活の後退やときにはそうした生活の過小評価を伴ってくるということは、おそらく我らの時代の長所なのであろう。しかし我らの時代が偉大なモラリストに乏しく、パスカル・エピクテトス・セネカ・プルタルコスがもうほとんど読まれず、労働や勤勉――以前は健康という大いなる女神のお供であった――がときおり病気のように荒れ狂うかに見えるということは、率直に認めなくてはならない。思索のための時間も思索にある安らぎも欠けているので、人はもう相違する見解を吟味しない。それを憎んで足れりとしている。生活速度が恐ろしく増したので、精神も眼も半端なまたは間違った観察や判断に馴らされ、誰もが土地や住民を鉄道によって知る旅行者に似ている。

自主的な慎重な認識態度はほとんど一種の狂気として見下げられる。自由精神は悪評されている。特に学者たちによってだ。彼らは自由精神の物の見方に、彼らの深遠性や蟻の勤勉さが欠けているのを不満として、自由精神を学問の片隅に閉じ込めておきたがっている。ところが自由精神は、孤立した立場から学者・博識者の全召集軍を指揮して彼らに文化の進路や目標を示すというまったく別のさらに高い課題をもっているのである。――

今歌われたような嘆きは、たぶん止むときが来るであろう、そしていつか瞑想の精霊の堂々たる帰還に際して自ずから黙り込むであろう。≫

*

≪活動家の主要欠陥。

――活動家には通常高級な活動が、私のいわゆる個人的な活動が欠けている。彼らは役人・商人・学者として、つまり類的存在としては活動的であるが、はっきりときまった個々の、しかもかけがえのない人間としてはそうではない。この点から見れば彼らは怠慢である。

――彼らの活動がほとんどいつも幾らかは不条理であるということが、活動家の不幸である。たとえば、金を貯めている銀行家にその休みない活動の目的をたずねてはならない。この活動は不条理なのである。活動家は、石が転がるように、機構の無感覚性に従って転がっていく。

――あらゆる人間は、あらゆる時代と同様に、今でもまだ奴隷と自由人とに分かれている。なぜなら、自分の一日の三分の二を自分のために持っていない者は奴隷である。その他の点ではたとえ彼が政治家・役人・学者など何者であろうとしても同じことである。≫

*

≪閑人のために。

――瞑想的生活の評価が下がってきた印として、学者たちは今では一種のせかせかした楽しみを求めて活動家と張り合い、それでしたがってこの楽しみ方を、本来彼らに属しているような、そして事実はるかに多くの楽しみともなるようなやり方よりも高く評価しているかに見える。

学者たちは閑暇を恥じる。しかし閑暇や無為は高貴なものだ。

――無為が実際あらゆる悪徳の始まりであるならば、したがってそれは少なくともあらゆる美徳のすぐ近くにあることになる。暇な人間は常に、活動家よりまだましな人間だからである。

――だが、私が閑暇や無為ということで、諸君を指しているとはまさか思うまいね、怠け者の諸君?――≫(ニーチェ、『人間的な、あまりに人間的な I』、第5章、断章282-284)

Tuesday, May 31, 2005

彼らはその為すところを知らざればなり(Car ils ne savent ce qu'ils font.)

決して誤解しないようにしよう。ニーチェの言う「弱者」は、現在の日本で言うサイレント・マジョリティ、すなわち「強者」のことである。

***

…抑圧された者、蹂躙された者、暴圧された者らが、無力なるがゆえの復讐に燃えた奸計からして、「われわれは悪人とは別なものに、つまり善人になろうではないか!そして善人というのは、およそ暴圧しない者、誰をも傷つけない者、攻撃しない者、報復しない者、復讐を神に任せる者、我々のように隠れて密かに生きる者、あらゆる悪から身を避け、総じて人生に求むるところ少ない者、そして我々と同じように忍耐強い者、謙虚な者、公正な者のことだ」と言って自らを慰めるが、――これは、冷静に先入見なしに聞いたにしても、もともと、「我々弱者は、どうせ弱いんだ。我々は自分の力の及ばないことは何一つしないのが、我々のよいところなんだ」というだけのことにすぎない。

それなのに、この苦々しい事態が、昆虫類(大きな危険に出会うと、「ですぎた」ことをしないようにと上手に死んだふりをする)でさえもっているきわめて低級なこの利口さが、無力からするあの贋金づくりと自己欺瞞のおかげで、諦めのうちにじっと待っているという美徳の装いを身につけてしまったのだ。

まるでそれは、弱者の弱さそのもの――言い換えれば弱者の本質、その働き、その唯一の避けがたく分解しがたい全的現実――が、一つの随意の所業、ある意欲され、選択されたもの、一つの行為、一つの功業であるといったようなありさまだ。

かかる類の人間は、あらゆる虚偽を神聖化することを習いとする自己保存、自己肯定の本能からして、あの選択の自由をもつ超然たる<主体>に対する信仰を必要とするのである。こうした主体(あるいは、もっと通俗的に言えば、霊魂)が、これまでこの地上において最上の信条であったというのも、おそらくはこれが死すべき人間の大多数に、あらゆる種類の弱者や被圧迫者に、弱さそのものを自由と解釈し、彼らの現にある様態を功業と解釈するあの崇高な自己瞞着を、可能ならしめたためであったろう。

ここからなら、その暗い工房の中が丸見えだ。見たところを言いたまえ。今度は私のほうが聞く番だ。

――「何も見えません、それだけによく聞こえます。隅々から用心深い、陰険な、ひそひそ話と囁きあいが聞こえます。嘘を言っているように思われます。どの声音にも、甘ったるい婉曲の味がねっとりついています。弱さをごまかして功業に変えようというのでしょう、きっとそれに違いありません。あなたの言われたとおりです。」

[風太君か(苦笑)。自分の姿を見るようなのだな、きっと。]それから!

――「報復しない無力は<善良さ>に、びくついた卑劣さは<謙虚>に変えられ、憎悪を抱く相手に対する屈従は<従順>(つまり彼らの曰くでは、この屈従を命ずる者に対する従順、――この者を彼らは神と呼んでいるのですが)に変えられます。

弱者の退嬰ぶり、弱者にたっぷり備わった怯懦そのもの、戸口でのその立ちん坊ぶり、その仕方なしの待ちぼうけぶり、それがここでは<忍耐>という美名で呼ばれます。それはまた徳そのものとも言われるらしいのです。

それに<復讐できない>が<復讐したくない>の意味に、おそらく宥恕という意味にすらなっています(「彼らはその為すところを知らざればなり――ひとりわれらのみ彼らの為すところを知るなり!)。それにまた、「敵に対する愛」についても話しています――しかも汗だくでやっています。」

もうよい!もう結構!(ニーチェ、『道徳の系譜』、第一論文、第13-14節)

Thursday, May 26, 2005

思想のマッチ(l'allumette de pensée)

 もう一つ別な自己防衛の機略は、できるだけ稀にしか反応しないこと、自分の「自由」、自分のイニシアティヴをいわば取り外され、単なる反応薬になりさがるという憂き目に会いそうな状況や関係から身を引くことだ。書物とのつきあいを例にとろう。つまりはただ書物を「ひっかきまわして検索する」ことだけしかしない学者は――並の文献学者で日に約二百冊は扱わねばなるまい――しまいには、自分の頭でものを考える能力をまったくなくしてしまう。本をひっかきまわさなければ、考えられないのだ。彼が考えるとは、刺激(――本から読んだ思想)に返答するということ――要するにただ反応するだけなのだ。こういう学者は、すでに他人が考えたことに然りや否を言うこと、つまり批評することに、その全力を使い果たしてしまって――彼自身はもはや考えない…自己防衛本能が、彼においては、ぐにゃぐにゃになってしまったのだ。そうでなければ、書物に抵抗するはずだ。学者――それは一種のデカダンだ。――わたしは自分の目で見て知っているが、天分あり、豊かで自由な素質をもつ人々が、三十代でもう「読書ですりきれ」、火花――つまり「思想」を発するためには人に擦ってもらわねばならないマッチになりさがっている。――一日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光とともに輝いているのに、本を読むこと――それをわたしは悪徳と呼ぶ!(ニーチェ、『この人を見よ』、「なぜわたしはこんなに利発なのか」、第8節)

Monday, May 23, 2005

Parrains de la Cosa deleusiana


photo d'ensemble des participants du séminaire Deleuze.
Lors de la dernière séance (11 mai 2005) Posted by Hello

Hero Suarez Posted by Hello

Olivia Navarro Gonzalez Posted by Hello

Razvan Amironesei Posted by Hello

Ludovic Duhem Posted by Hello

Arnaud Francois Posted by Hello

Guillaume Sibertin-Blanc, co-organisateur du séminaire Posted by Hello

Arnaud Bouaniche, co-organisateur du séminaire Posted by Hello

Sunday, May 22, 2005

エリート教育の問題(補遺)

 今日、France Musiqueというクラシック中心のラジオを聴いていると、現在、École normale de musique (Paris)でピアノを勉強している日本人の若手ピアニスト関本昌平さん(1985-)の演奏が聞こえてきた。

 (ちなみに、エコール・ノルマルのサイトを見る限り、レベルの違いこそあれ、ソルボンヌ文明講座と同じ傾向の商売っ気があるような気がする。)

 インタヴューは、通訳のフランス語がアジア人(日本人?)風のかなりきつい訛りで、聞き取りにくかったが、その中で、「日本ではかなり若い頃から厳しい練習を積なねばならず、また少年少女向けの多くのコンクールがあるようだが、それについてはどう思うか?」という少し皮肉交じりの質問に対して、関本さんはおおよそのところこんな風に答えていた。

「たしかに日本ではかなり早くから厳しい練習を始めますし、また子供向けのたくさんのコンクールがあります。もしコンクールで賞を取るといったことだけを目的として厳しい練習を積まねばならないとしたら、それは良いこととは言えないでしょう。でも、コンクールに向けていろいろな曲を練習してレパートリーを広げることができ、これまで知らなかった未知の作曲家、未知の奏法、ひいては未知の自分に出会える機会と捉えれば、コンクールはそれほど悪いものではないのではないでしょうか」。

 哲学のエコール・ノルマルも「コンクール」の一つである(実際、フランス語では、入学試験にも「コンクール」という言葉を用いる)。ノルマルに入学するためには、高校卒業後、特別の準備クラス(カーニュ)に入って、専門の勉強を行なう。大学は通常の学生が行くところ、グラン・ゼコールは研究者ないし教育者予備軍のための教育機関である。

*

 2003年12月に行われ、前述の関本さんも4位入賞した浜松国際ピアノコンクールの審査員チョウ・グォアンレン(中国)は、こんなことを言っている。  
チョウ審査員は「浜松が世界レベルのコンクールに育ったことを確信しています。特に若いピアニストの演奏レベルが上がっているのには驚き。今日も、18歳のピアニストがいましたが、あの年であれだけの演奏をするのは素晴らしいことです。みんな指の動きがとても早くて驚いています」と述べた。
 会見ではなぜ浜松国際ピアノコンクールが短期間の間に国際的に評価を受けるようになったのか、といった質問も飛んだが、チョウ審査員は「市制80周年の記念に、ピアノコンクールを創設という発想が浜松ならでは。市を上げてコンクールに取り組んでいることが大きい。中村審査委員長とのコンビネーションもよく、関係者が一丸となっているから」と発言。ステーン=ノックレベルグ審査員は「ウィーンやパリでオーディションを行っていることで、ヨーロッパの若い才能から逆に注目されるという効果を生んでいる」と、海外からの注目度が最近上がっていることを指摘した。

こういったことは、日本の高等教育機関も、「国際的な競争力」を云々したければ、徐々に検討していくべき課題であろう。こういった制度改革のことを考えるとき、昨年のプロ野球改革ほど典型的な事の成り行きを示したものはない。一年半ほど前に、各球団オーナーがご大層に言っていたことを一つ一つ思い出し、そして今日のプロ野球の姿を見てみればいい。

Friday, May 20, 2005

デーゲーム(上)

エリートについて書いたが、あれはあくまでも制度に関するものであり、人間に関するものではない。ひとたび制度が確保されたなら――しかしこれが現在の日本では絶望的に困難なのだ――プロがその中でやることはエリートであろうとなかろうとさほど違わない。したがって大事なのは「世の中にはエリートばかりいるわけではない」といった「庶民の目線」をもつことではない。そういうポピュリズムで世の中が変わるなら、日本はとっくに変わっているはずではないか。

重要なのは、制度改革と個人的な質の向上を区別することである。ここでは、個人としての学者のほうに話を移そう。ここでもまた、スポーツの比喩がヒントを与えてくれる。

スポーツ関連の記事で興味深いのは、技術や練習方法に関するちょっとした記述である。「汗と涙」とか「遺恨勃発」とか、スポーツ新聞の記者によって捏造された人間ドラマはどうでもいい。スポーツが提起する中心的な問題は身体技術の問題(そしてそれに関連する限りでの≪精神的な技術≫の問題)であって、感情は副次的な付随物にすぎない。

2005年5月18日の日ハムとの交流戦で通算449二塁打を打って、福本豊(阪急)のもつ二塁打の日本記録に並んだ中日・立浪は、「野球エリート」である、とある記事は言う。

エリート、18年目の勲章 抜群の野球センス
 レギュラーを張り続けてきた証しがプロ野球記録として結実した。18歳でプロの世界に飛び込んでから18年。積み上げた二塁打の数は449本に到達した。「野球エリート」。立浪ほどこの言葉が似合う選手はいない。中学時代、大阪の高校野球関係者の関心事は「立浪はどこの高校に行くか」に絞られていたという。強豪、PL学園に進んで1987年には甲子園で春夏連覇を達成。素材の良さは際立っていた。
 立浪を獲得した中田スカウト部長は当時を振り返り、「野球を見る目はもちろん、守備力がずばぬけていた。脱臼してコンバートされたが、15年はショートはいらないと思った」と話した。高校出ルーキーとしては22年ぶりに開幕の大洋(現横浜)戦に遊撃手で先発出場。6回には将来を予感させるかのように、初安打となる二塁打も放った。
 新人王を獲得し、高校出ルーキーでは史上初のゴールデングラブ賞も同時に受賞。故障に泣いたこともあったが、常に中心選手としてチームを引っ張り、1年目など3度のリーグ優勝も経験した。輝ける野球人生。しかし、「今は誇れるものは何もない。終わってから、最高のプロ野球人生を送れた、と思えるように頑張りたい」と立浪は言い切る。“挑戦”はこれからも続く。(了)[ 共同通信社 2005年5月18日 22:18]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050518-00000056-kyodo_sp-spo.html

なるほどそうなのだろうが、正直言って、つまらない平凡な記事だ。こちらのほうが面白い。
1メートル73、70キロ。決して体格に恵まれていない。試合前、“恋人”の平沼打撃投手を相手に緩い球でスイングの速さを確かめる。数分後、距離を約10メートルに縮めて速球を打ち込む。目を慣らすため。一歩間違えば大怪我ににつながるから相棒は1人。「練習でいい当たりはいらない」。プロで生き抜くための知恵の結晶が大記録につながった。(…)決して才能だけでは頂点には立てない。本塁打のように派手ではない。だが、だれにも踏み込めない聖域を作り上げてみせる。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050519&a=20050519-00000025-sanspo-spo

(ちなみに普段は笑わせる福本だが、この日のコメントは真面目。 「記録達成は彼の広角打法のたまもの。記録に並ばれて寂しいというより、二塁打記録が脚光を浴びてうれしい。今後もどんどん記録を伸ばしてほしい。」 [ 共同通信社 2005年5月18日 22:16 ] )

まったく偶然だが、同日の記事。こちらは、今のところ大記録とは縁がないが、阪神・桧山である。


出場機会が減った今季。外野の守備練習を終えた後、何度もショートの位置に立っていた。誰に指図を受けたわけではない。ひたすら、フリー打撃の打球を追っていた。「打球は速いし、これが目慣らしになるからね。回転とかも全部違ってくるし。バッティング練習だけだと分からないし、鈍らないようにね」。バッターボックスに生きる男が、そこに生きがいを見つけるため―。オフの自主トレ中には、携帯電話の動画で、自分のバッティングを撮影したこともあった。「小さいけど、肩の動きとか分かるから」。ひっそりと、それでも重い汗を流す。華やかな世界に身を置きながら、地道に踏みしめる一歩を忘れない。この信念が、マンモスを揺るがした。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050519-00000015-spnavi_ot-spo.html

練習時は試合のときより速い球で練習する。試合で完全なプレーをそつなくこなすためだ。

デーゲーム(下)

奥田民生(というかユニコーン)の歌に『デーゲーム』というのがある。少し気だるくもの悲しい歌だが、プロ野球の二軍選手の感じがとてもよく出ている。

個人としての学者の話をするとき、「二軍」の話をしないわけにはいかない。

「悪循環のために、慎重は憶病に映り、強気は雑に映ってしまう。何をやってもすべてが裏目に出た。」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000005-dal-spo

救世主ブラウン 初先発初勝利
 スポットライトへの強い渇望が、1人の助っ人を救世主へと変えた。窮地に追い込まれていた猛虎を救ったのは、5回1失点で初白星をつかんだ阪神・ブラウンの右腕。来日初先発のマウンドは、連敗ストップの歓喜のフィールドと化した。
 「(お立ち台は)信じられないぐらい素晴らしい。これだけのファンに囲まれて自分でも何を言っていたか分からない。もう一度感じてみたい、いい気分だったよ」。五回につかまったものの、きっちりとゲームを作って打線の援護を導いた。勝因を振り返った時、そこには「さぼったりせずに練習できた」という鳴尾浜の日々がある。開幕直前に襲われた風邪の影響でまさかの2軍スタート。ただ、心の支えがあった。
 海を渡る決意を固めたとき、1枚のDVDを手に取った。「好きな映画だからアメリカから持ってきたんだよ。日本に来てからも見てるんだ」。ケビン・コスナー主演の「BULL DURHAM(さよならゲーム)」という野球映画だ。
 「3Aの選手の生き方を描いた映画なんだ。僕も長かったからね」。長いバス移動や人もまばらなスタンド。栄光の日を思いながら過ごす地味な生活。プロ入り7年でメジャーでの登板はわずか4試合、0勝に終わった。映画を眺めながら思い返した日々。ただ、あの時を忘れたくない。辛かったが、そこには夢があった。下積みの苦労を忘れない男だからこそ、この日が待っていた。
 バッグにしまい込んだウイニングボール。“メジャー初勝利”の大切な証しだ。「宝物の一つになるよ。これからも勝っていきたいね」。いつか、こういう日が来ると信じていた。聖地を埋めた虎党のハートを射抜き、マンモスの揺れを肌で感じる。異国で用意されていた晴れ舞台。簡単に手放す気はない。[5月5日 11時0分 更新]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050505&a=20050505-00000005-dal-spo

Thursday, May 19, 2005

Aux Macherey


le fameux Seminaire de Pierre Macherey. A la dernire seance (18 mai 2005). Posted by Hello