3月22日 指導教官からメールあり。カッシーラー論文の仏訳に寄せた長文の解説は評価してもらえたようで、いつも以上のお世辞("parfait", "un beau travail")をかなり割り引いても率直に嬉しい。「君の博論にも何らかの形で絶対組み込めると思うよ」…というわけで、早く博論の全体像が見えるプランを出せ、とのこと。アメとムチねっていう。
恒例のマシュレ・ゼミ。ローゼンバーグについての議論。グリーンバーグやら、ジャッドやら。フランスの標準的な哲学者がマイケル・フリードやロザリンド・クラウスに気づくのは一体いつになることやら。
3月23日 献本の報せ。もちろんすべてお世話になった先生行き。ところで、某出版局の連絡はどうして全部郵便なんだろう?執筆者全員に送っていると手間もコストも馬鹿にならないと思うのだが…。その割りに専門書業界の苦境にご理解賜りたく今回は印税なしでというのは、本格的な財務金融改革に手をつけずに増税する小泉政権のようでなんか納得がいかない。まあ、メールにすると余計に煩瑣になるのかもしれないが。
3月24日 一日中アリストテレス・中世哲学ゼミ。非人間の心理学ということで、動物・ロボット・天使の心理学。圧倒的に知的な発言を聞いていると、なんとも言いようのない精神的高揚を覚える。こうなると学問は舞台芸術に近い。
3月25日 友人を招待。徹夜して翻訳。
3月26日 友人に招待される。徹夜して翻訳。翻訳とは何ぞやてな文章も書きたいのだが、あまりにも疲れていて頭が回らない。普段雑誌を通し読みしたりはしないが、『ユリイカ』の「翻訳作法」特集だけは頭から読み続けている。舌津智之(ぜっつ・ともゆき)さんが、柴田元幸訳の同名小説にひっかけて、「憑かれた=疲れた旅人」とは「翻訳家」の別名なりと論じている。
『憑かれた旅人』(1999)Haunted Traveller
バリー・ユアグローの不条理ショート・ショート累積型小説。「呪われた旅人」と訳したくなる原題だが、あえて「憑かれた」とした訳者の柴田元幸は、もちろん「疲れた」との掛け言葉を意識している。ネット上で読める訳者/著者の往復Eメール書簡によると、ユアグロー自身も邦題のダブル・ミーニングを「嬉しい」と気に入っているようだ。本作品でこの拙文を締めることにしたのは、ある意味、「憑かれた旅人」とは、「翻訳者」の別名であるように思われたからである。原作者に憑依された夢遊病者。自由のきかない金縛り状態で疲弊する創作者…。もちろん、どうせ憑かれる/疲れるなら、その結果印税が入るに越したことはないのだが[…]。(112頁)
憑かれているかはともかく、疲れた旅人であることだけは間違いない。
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