Saturday, February 20, 2010

ハイデガーの講義(2)

ハイデガーの『古代哲学の根本諸概念』の訳者で学習院大学教授・佐近司祥子さんは、後書きにこう書いておられる。

《ところで、この入門講義の受講生は何人で、単位取得に成功したものは何人だったのだろう。[…]ハイデガーがギリシア語に堪能だったことは当然だとしても、問題は受講生である。受講生の側にもかなりのギリシア語の素養が必要だったはずである。1926年ごろの、ドイツの大学生はラテン語ばかりでなく古代ギリシア語も習得していたのだろうか。[…]

この講義原稿は、その編者が編者後記で書くところによると、「初期学級の学生と全学部の聴講者を相手に行なわれた概説講義のものである」という。言ってみれば、今日、日本の大学でほとんど見られなくなった、あの一般教養科目の一種として行なわれた哲学入門の講義だったのだろう。

それもあって、これも編者後記によれば、この種の講義に関しては、当時のベルリンの文部省がかなり内容を指定していたものらしい。だからこそ、哲学者やその時代についての情報提供を無視したがっていたハイデガーも、結局最小限の情報提供を[…]行なわざるを得なかったのだ。

ところで現在、私たちの文部省は、哲学入門の内容に口を挟んできたりはしない。大学側が、自発的に、学生に評判が悪くて受講者が少ないとか、だから経済効率が落ちるなどの理由で、哲学の講義のみならず、哲学科という看板まで下ろしていくのである。

たとえ運よく哲学の講義が残ったとしても、他の学問のお役に立てる哲学入門を目指すことが、大学と講師の間の暗黙の了解事項となっている。これは、ハイデガーの講義から一世紀近く経った今、文部省が狡猾になり、大学人は、ハイデガーのような自由を目指す気骨をもてなくなった結果のように思える。》(『古代哲学の根本諸概念』、410頁)

佐近司氏同様、「ハイデガーが、こういった一般教養科目的な入門講義においてさえ、彼独自の哲学を展開してやまなかったという、その力量を感じてほしい」と私も思う。さて、私自身はどんな哲学入門をすることになるのだろうか。

2 comments:

agalma said...

藤田さんは学部学生ではなかつたとしてもご存知でせうが、

講義は教授の特権で普通の先生には講義が許されていません。

全く関係ない学部の学生や社会人も講義を聞くのは自由ですが、演習に出席し、評価を受けることが許されなければ単位は貰へません - 最近の大学制度変更で、エラスムスの留学生など希望者には講師が口頭試問をして評価することもありますが。

学生に必要なのは自分の言葉で表現することTextWiedergabeで、先生にも勿論それが要求されます。

大抵高校の時にギリシア語やラテン語を履修しますし、してない学生は2年以内に大学で行はれるどちらかの試験に合格するのが哲学科などの学生の条件です。

hf said...

補足情報ありがとうございます。