Friday, March 23, 2007

プルーストとサント=ブーヴ(2)創造という虹

前回、「けれど、プルーストがあそこまで執拗にサント=ブーヴを批判せずにいられなかった理由を訊ねていくと、二人の距離は必ずしも遠くはない」と思わせぶりなことを言った。このネタで論文を書くつもりはないので(いつか業績作りに困ったら別だが)、ここで簡単に骨子だけ述べておく。

プルーストは『サント=ブーヴに反論する』の中の「サント=ブーヴの方法」という中心的な章の一つをこう始めている。

≪この世で一番言いたく思ってきたことを、突然二度と言えなくなってしまうのでは、と危惧するような時期に、なんなら状況にといってもいいが、私は立ち至っている。感受性の衰弱と才能の破産のせいで、一番言いたかったことというのはもう無理だとしても、その次ぐらいの、きわめて高くきわめて内密な理想と比べれば評価はおのずと低いが、これまでどこでも読んだ憶えはないし、今言わなければ言わずじまいになってしまいそうな、いずれにせよ私たちの精神のさして深からぬ部分に関わると知れた事柄、それをしも言えなくなってしまうのでは、と恐れるわけだ。[…]ここで習い性となった怠惰にとどめを刺し、「光あるうちに仕事をせよ」というヨハネ伝のキリストの良き戒めに従いたいと考える≫(前掲、25頁)。

ここで怠惰と訣別してプルーストが言おうとしているのは、「この世で一番言いたく思ってきたこと」ではなく、少なくとも最低限言っておかねばならないことである。「サント=ブーヴについて、それなりに重要な事柄」(同上)を言おうと決心しているのは、サント=ブーヴの才能の浪費を嘆きもし、また浪費されるほかない才能のあり方というものがあると喝破してみせたプルーストその人である。プルーストはこの並行性に――少なくとも方法論のレベルでは――意識的である。「サント=ブーヴを話題に上せつつ、彼自身がよく使った手だけれども、私はこの人物を、生のさまざまな様相を語るための良き手がかりにしてみたいのだ」。

≪おそらく、『月曜閑談』以後、サント=ブーヴは、単に生活態度を変えただけではなく、強いられてやむなく仕事をする今の生活のほうが、生来、無為に流れやすくて、強制されないと自分の持つ富を放出できないたちの人間には、結局のところずっと多産でもあるし、またぜひ必要なものでもあるという思想に登りつめる――と言えるほど高次な思想ではなさそうだ――辿りつくことになる≫(前掲、36頁)。

才能はまったく発揮しないより浪費されたほうがマシだ、というあまり高尚とは言えない思想――林達夫や浅田彰や、多くのスマートで博覧強記の知識人を想起させる思想――と縁を切り、孤独のうちに籠もり、自分自身と真摯に向き合って文学の仕事に邁進せねばならない。あたかも反面教師に対するように、あたかも自分自身に言い聞かせるように、プルーストは言う。サント=ブーヴは、一度たりとも、詩的感興や文学上の作業には特殊性があり、文学の仕事は、一般の人たちのさまざまな仕事とも、作家自身の、文学以外の仕事とも、まるで違うものだということが分からなかったとおぼしい、と。

≪孤独に浸りつつ、自分のものでもあれば、他人のものでもあるような言葉には、沈黙を命ずる。たとえひとりきりでいようと、自分になりきらないまま物事を判断しているようなとき、私たちが使っている言葉は黙らせてしまう。そして自分自身にあらためて面と向かい合い、おのが心の真の響きを聞き取ってそのまま表現しようとする。それが文学の仕事というものだろうが、サント=ブーヴは、この仕事と会話とのあいだに、どんな境界線も引こうとしなかった。「書くこと…」

実際には、作家が一般読者に提示するのは、ひとりきりで、ひたすら自分のために書いたものであって、それこそが彼自身の作品なのである≫(前掲、34-35頁)。

著者・作家に対するこのような視点は、当然読者との関係、ひいては作品概念をも規定している。

≪…こうして彼[サント=ブーヴ]には、自分の紙上批評が、何かアーチのようなものに思えてくる。起点はたしかに自分の思索や文章の中にあるのだが、終点は読者の心の中にまで延び、讃嘆の念にまで届いていて、そこでようやく虹の円弧も完成するし、色彩も最終的に仕上がるというわけだ。[…]

新聞記事の美は、あげて書かれた記事にあるというわけにはいかない。総仕上げをしてくれる読者の胸裡から切り離されてしまえば、ただの毀れたヴィーナス像にすぎない。そして新聞記事の美は、読者大衆からこそ最終的な表現を汲むものである以上(選りすぐりの大衆であったとしても同じことだ)、その表現にはいつも幾分か通俗的なところがある。あれこれの読者の、声なき賛同を思い描きつつ、新聞寄稿家は自分の言葉の重みを量り、言葉と思索の釣り合いを取ろうとする。したがって彼の作品は、意識的にではないにせよ、他人の協力を得つつ書かれていて、その分だけ、彼独自のものとは言いにくくなっている≫(41-42頁)。


サント=ブーヴを批判しつつ、彼の手法に依拠するとはどういうことか。批評という文学活動の「余技」「灰汁(あく)」のようなものがもつ読者との根本的な対話があるのである。そしてその批評はプルーストが「この世で一番言いたく思ってきたこと」、文学的営為の結晶とすら無関係ではない。このテーゼの論証はしない。これは論文ではないからだ。

最後に、ブーレーズの言葉を引いておく。思えば、ドゥルーズが「より深いというのではないが、別種の、暗黙裡の、(彼は自分の著作の中でしばしばプルーストを引用しているが)言外の関係」をブーレーズと結んでいるものとして指名したのは、マラルメでも、ミショーでもシャールでもなく、プルーストであった(『エクラ/ブーレーズ 響き合う言葉と音楽』、笠羽映子訳、青土社、2006年、299頁)。

≪PB:けれども、小説が進行していくにつれ、形式的な進展がいっそう目立ってきます。それで、『失われた時を求めて』は物語自体についての省察となり、内省は鋭さを増し、芸術創造の核心に触れる問題が扱われていきます。章が進むにつれ、小説としての小説は重要性を失うことが分かります。[…]

彼の結論?文学作品はそれを読む人によって作られるということです。当時としては、そうした記念碑的な作品と向き合う際、人々を面食らわせる結論でした。結局、創造家は、読者を証人とするんです。

――いささか過小評価的な理屈ですね…

PB:そんなことはありません。逆に素晴らしく実り豊かです。プルーストは「作品は、私がそれに与えた意味だけではなく、読者であるあなたが、読むたびに与える意味をも持つ」と指摘していますからね。それは、作者の占有物としての作品を否認することになりますが[言うまでもなく所有の問題系である]、それを読んだり、眺めたり、聴いたりする人のために、作品を昇華することになるのです。

この機会に指摘しておくなら、未完の作品や構想中の仕事はしばしば人々の想像力を豊かにする可能性をもっています。[…]未完の絵をまず嘆賞すべしと言っているのではありません。私が問題にしているのは、示唆に富んだ、意味深いアプローチです。というのも、『失われた時を求めて』の最後の巻は、大急ぎで仕上げられていて、デコボコや矛盾を免れていないのですが、その代わり、文学創造の方法に関する新たな世界を私たちに示してくれているのです≫(上掲、322-323頁)。

Thursday, March 22, 2007

大局観(2)日本と世界

友人たちが最近数ヶ月に刊行した本をまとめて紹介しておく。

Gilles Deleuze, Georges Canguilhem, Il significato della vita, a cura di Giuseppe Bianco, Mimesis Edizioni, nov. 2006.

(友人とはもちろん御大二人ではなく、ビアンコである。なかなか面白い奴なので、トゥールーズに呼ぶようゴダールに提案したら、彼ものってくれた。ゴダールはレン同様、「大局観」ということを本当に理解している数少ない友人だ。大局観を持つのに、年齢も地位も関係ない。)

Arnaud Bouaniche, Deleuze, une introduction, Presse Pocket, jan. 2007.

Philippe Sabot, Lire Les mots et les choses de Michel Foucault, PUF, coll. "Quadrige/Manuels", nov. 2006.


「コレギウムとは何か?」の項に、CPの公式サイトのアドレスを追加しておいたので、興味のある方はどうぞ。去年はデリダ追悼ということで、サリス、ベニントン、ローラー。今年は、解釈学系らしい。テーマは「解釈、言語、イメージ」。

来年2008年のディレクターは、今年のセッション終了直前に公にされる。具体的な募集は来年からになるだろう。

重要なのはここに大挙して日本人の院生が押しかけることではない。それではパリのブランドショップと同じ現象が起きてしまう。

なぜブランド品を買うのか?目に見えない「雰囲気」を身につけるためでなくて、他にあさましい所有欲以外の何があろうか?雰囲気を感じとることが最も大事なのに、集団で、彼らの「地」のスタイル(服装ではなく)で行くことで、まさに求めるべき「何か」を壊してしまう。挙句の果てに、金を払って動物並みに扱われ、見下されて「オトクな買い物」と満足する――こんなことでエレガンスが得られるはずもない。

同様に、むやみに学生を送り込んでも、学生にも向こうにも大したメリットはなく、所期の目的を達成することはできまい。むしろ教官の側が優秀な学生を精選して送り込んだほうがいい。

学生の側にもというのは、悪平等では、実効的な研究者養成は達成できないからである。ここでもまた、大局観が必要なのだ。偽のエリート主義ではない、本物のエリート教育が必要なのである。
(エリート教育という言葉がきわめて評判が悪いことは十分に承知している。そして、呆れる前に、なぜ自分がそれほど毛嫌いするのかを考え抜いてほしいと思っている。誤解を防ぐために言っておくが、私はエリートではなかったし、今でもエリートではない。だからこそ、制度が存在しなかったことを人一倍嘆き、また、そのような制度の確立が研究レベルの向上、独創性の発現のために必須事項であると思っている。
制度がなかったというのは言いすぎだろう。私は私なりの理想の場所、私の分野ではそれでも最も堅固な教育を施してくれる場所を見つけえたのだから。私は大学院を選ぶ際の基準の一つとして、自分のやりたいことを教えてくれる場所ではなく、やりたくないので、一人だと決してやらないであろうことをみっちり仕込んでくれる場所を選んだ。もちろんこういう考えをすべての人に勧めているわけではない。
いずれにせよ、デカルトはラフレーシ学院なしでは育ち得なかったし、デリダやドゥルーズはノルマルに代表されるフランスの堅固な教育・研究制度の「成果」であると私は確信している。堅固な教育・研究制度のないところに稀代の反逆児など現れようもないのである。)

向こうにもというのは、アメリカがせっかく長年かけて作り上げてきたシステムを体験させてもらうのだから、やはり遠慮は必要だということである(アメリカ側の参加学生のレベルはたぶん日本の平均とそう変わらない。それでいい。私たちとは目的が異なるのだから)。

体験は、それがどんな体験でも、貴重なものにしてあげるべきだと思う。コレギウムの体験は彼らにとって生涯忘れられないものとなるだろう。私もまた、サイトの写真を見ると、あの夏を思い出し――2003年、ヨーロッパ中が記録的な猛暑に苛まれていた――、しばし感傷に耽る。

Wednesday, March 21, 2007

大局観(1)地方と中央

今年の業績報告書作成。掲載予定も含めて論文9本(フランス語4本、独語から仏語への翻訳1本、日本語3本、英語1本)、発表は今度のトゥールーズを入れずに5つ(フランス語2つ、日本語3つ)。我ながらよく仕事をした。あとは二三ヶ月に一本のペースで、いかに個々の仕事のレベルを上げていけるか。

***

歳を重ねるほど、失望は深くなる。フランス哲学・思想研究の置かれた現状に関して、大局観を持たない無邪気な人々は四十代だろうが、五十、六十代だろうが、いる。年齢、地位、風評など本当に当てにならないものだ(強調しておくが、研究者としての能力とも直接関係はない)。

むろん、嘆けばいいというものではない。「今、ほんと何もかも駄目だよね」。日本を知的砂漠と評したければそれも結構だが、問題はどこにあるのかという具体的な現状分析、具体的な処方箋の模索がなければ、そんな言葉には何の意味もない。

地方の――といっても、日本有数の大都市なのであるが――学生にも普段聞く機会のない世界標準レベルの哲学的議論、それも代表的なフランス人哲学者とフランス語で行なわれる議論を肌で感じてもらおうと私が提案したことがあった、としよう。

「東京でやったほうがいい。」
「東京でやることは既に決まってるんです。その上で、地方でもやろうということなんです。」
「東京で二回やったほうがいい。私も呼んでくれ。」
「…」

私は地方大学の実態・今どきの学生の平均レベルを知らないわけではない。地方の大学教員の「悲哀」を直接間接に聞いてもいる。けれど、だからといって、希望を失って(あるいは自分本位の希望を胸に)、自分の学生たちの未来の可能性までも奪っていいのか。もしかしたら、気まぐれからシンポジウムに顔を出し、それがきっかけ(ショック療法?)となって真剣な勉強を始めるかもしれないではないか。

戦にはグローバルに勝てばよいのであって、将来への先行投資として「覚悟の負け戦」が一部あってもいい。大局観とはそういうものだ。

人は往々にして理念の力をもはや信じられなくなった者に「枯淡の風」や「泰然自若」を見て取ってしまい、理念の力を信じ続けようと努める者を「幼い」「若い」と評する。だが、私に言わせれば逆である。大局観を持たない者は、精神年齢において、永遠に「幼く」「若い」ままなのだ。



今度のトゥールーズ篇のヴィデオ撮影とは、これのことを言っているらしい。フランス南西部の大学が共同してやっているらしい哲学科修士課程のワークショップの模様を見ることができる(『アンチ・オイディプス』について)。今度のメンバーとずいぶん重なっている。

この地方大学(連合)の健闘、いや奮闘をどう見るべきか。「できない」「無理だ」「意味がない」と言う前に、やるべきことがあるのではないか?やれることがあるのではないか?

私たちは、どこから始めるべきか。何から始めるべきか。人を年齢や地位や風評でしか判断できず、現状を打算や政治的力学、人間関係のしがらみでしか判断できない者たちよ、何度でも繰り返す、哲学の歌を聴け。

Tuesday, March 20, 2007

プルーストとサント=ブーヴ(1)月曜閑談

15日、無事要旨提出。18日、26日の会合に向けて原稿を用意。この二三日は三つの仕事を一挙に片付ける効率のいい仕事の仕方を考え、また少しだけ実践できた気がする。



恋は盲目というが、ファン心理はごく当然の真理までも見えなくさせてしまう。中途半端にアカデミックな「常識」では、ドゥルーズは「当然」ベルクソンより「深く」、マラルメは「当然」ヴェルレーヌより「深く」、プルーストは「当然」サント=ブーヴより「深い」。しかし、問題はむしろその「深さ」が、異なる尺度で測られるべきものに対して強引にただ一つの尺度が押し付けられた結果ではないのか、つまり蜃気楼の産物ではないのかどうかを知ることなのである。

プルースト(Marcel Proust, 1871-1922)「サント=ブーヴに反論する」(Contre Sainte-Beuveはいつ読んでもぎくりとさせられる。とりわけこのブログに書き込んでいるときには。それが月曜であったりするとなおさら。

念のために言っておけば、サント=ブーヴ(Charles Augustin de Sainte-Beuve, 1804-1869)とは、近代批評の父であり、代表作に『月曜閑談』(Causeries du lundiがある(例のごとくGallicaで原本を見られる。この第15巻にはルソーやヴォルテールなどのほかに、ド・メーストルやトクヴィル、サン=シモンらの名前が見える)。

≪友人のために、自分のために、また、おそらくは書かれずじまいになったはずの、長いこと想を練ってきた作品のために、彼としては大事に取っておくつもりだったものが、十年間にわたってことごとく形を成し、次々に世に出ることになってしまった。

貴重な思索をぎっしり収めた貯蔵庫があって、一篇の小説をまわりに結晶させるべき核も、いずれは詩に発展したかもしれない材料も、かつて美しさに感じ入ったことのある事物も容れたまま、書評すべき本を読んでいるサント=ブーヴの思考の奥底からせりあがってくる。


すると彼は、律儀にも、より美しい捧げ物をするためとばかり、最愛のイサク、至高のイフィゲネイアのほうを生贄にしてしまうのである。

十年の間、月曜ごとに打ち上げたあの類なく華やかな花火を作るのに、もっと長続きする書物の原料となるべきものをぶちこんでしまったので、原料は、以後、底をついてしまったのだとも言えよう。≫(『プルースト評論選』第I巻「文学篇」、保苅瑞穂(ほかり・みずほ)編、ちくま文庫、2002年、38頁)。

プルーストとサント=ブーヴの距離が明らかに遠い箇所は論ずるに及ばない――「サント=ブーヴは文学を総体として『月曜閑談』の類と見なしていた」「彼は文学を時間の相の下に眺めていた」「彼の書物は、さまざまな対談相手を招いた一連の社交場といった趣がある」など。プルーストは安心しきって攻撃している。

けれど、プルーストがあそこまで執拗にサント=ブーヴを批判せずにいられなかった理由を訊ねていくと、二人の距離は必ずしも遠くはない。

しかし、それはまた次の機会にしよう。私のプルーストの声が聞こえてきそうだ。まだ大したこともしていないのだから「自己内対話」が大事だというのはそのとおりだが、対話を「作品」に結実させるなおいっそうの努力を、という声が…。お前なりに精一杯のopus magnumを書け、と。

Friday, March 16, 2007

老いたり、ゴト師(晩年の林達夫を聴く)

ネット上で哲学オリンピアードという代物にぶつかる。
国際哲学オリンピアード(International Philosophy Olympiad,
略称:IPO)は、元々1993年にブルガリアで始まったグローバルな哲学教育運動です。次代を背負う若者たちの物の考え方を哲学的に涵養し、訓練することを目的として、参加国の高校生に外国語(英独仏)によるエッセイ・コンテストを毎年一回(通例五月)に実施してきました。日本は、2001年5月に、米国のフィラデルフィアで開催された第九回IPOに初めて参加しました。
実態を知らないので何とも言えないが(というのも往々にして哲学という名称はさまざまなイデオロギーに利用されるから)、理念には興味を惹かれる。しかし、現代の日本の高校生に可能なのだろうか?



やはり一月半ほど前に書いたもの。

***




近くに図書館があるというのはとても幸せだ。かなり定期的に利用している。私は一時期古本屋に精通していたが、この「カセットできく学芸諸家シリーズ」など、図書館でないとお目にかからない気がする。

で、期待して聞いた。なにしろ日本の誇るエンシクロペディストにして軽妙洒脱なエッセイスト林達夫である。

が、失望した。なにしろ話が長いうえに、下手だ。彼の喋り方はいかにもインテリくさい節回しの訥々としたものだが、問題はそこではない。私はそういう喋り方は嫌いではない。肝心の「三つのドン・ファン」の中身がぜんぜん貧相なのである。

まず、前置きに三十分。自分と岩波書店の関わりについて(和辻より年上、とか)。そのうちになんとなくドンジュアンの翻訳の話になるが、これも「前ふり」ではなく、エディションがどうだの、こんな訳もある(鈴木力衛より年上、とか)、あんな訳もある(石川淳も訳していた、とか)、といった話で、ちっとも「三つのドン・ファン」にいかない。それなら「日本のドン・ファン翻訳百面相」とでも題して話せばいいのに。

モリエールの生誕三百周年だから、彼の『ドン・ジュアン』が他の二つ(ティルソ・デ・モリナとモーツァルト)に比してクローズアップされるのは当然だが、そうなるのかと思ったらそうでもない。延々と『タルチュフ』や『守銭奴』の話をやってA面が終わる。つまり、四十五分間、比較にほとんど入らなかったわけだ。それなのに、「僕に言わせりゃ時間が短くって」などとのたまわっている。このテープだけから判断すると、悪しきペダンティストという印象を免れない。以って他山の石とすべし。。

面白かった点。

・ファウストは実在の人物からとられているのに対し、ドン・ファンはティルソ・デ・モリナの完全な創作らしいこと。ただし、ファン(フアン、ホアン)はありふれた名である。

・ティルソ・デ・モリナの『ドン・ファン』は基本的に説教劇で、直前の作『不信堕地獄』と並べてみるとその意味がよく分かる(らしい)ということ。『不信堕地獄』では、道徳心を持たないが神を信じきっている大悪党が死の淵でも神への絶対的な信頼を保ち、道徳心を持ってはいるがどこか神を信じきれていない僧侶を動揺させる。その隙に付け込んだ悪魔は、大悪党が天国へ行く姿を僧侶に見せ、彼の信仰を打ち破る…。このスキャンダラスな演劇に宗教界は騒然となり、自作の援護のために、ティルソ・デ・モリナは、今度は『ドン・ファン』で徹底的な悪党が地獄に堕ちる、という劇を書いた、というわけである。

それ以外は知っていたことばかりだ。つまりモリエールについては昔勉強したこと以上の何も得るものがなかった。

林の結論:モリエールの『ドン・ジュアン』はさまざまに解釈でき、この意味のバロック的多義性、多層性こそが重要だ。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』は「薄っぺら」の一言で片付けられて、ダ・ポンティの寄与とか、キェルケゴールの解釈とか、まるで切り捨てられている。おいおい。

唯一考えつく弁護は、77歳だから仕方がない、ということかしら。もっと若い頃は、もっと話が上手かったのか。ともかくこのテープはお奨めできない。

Thursday, March 15, 2007

ゴト師、林達夫(下)…と資本主義



この頃の林達夫は冴えていた。三木の「剽窃」騒動を、彼は「学問の共有と私有」の問題構成と結びつける。剽窃、広く盗みの問題は、プルードンを引くまでもなく所有権の問題であり、私有財産の問題なのである。

≪資本家的大盗人から同輩的コソ泥に至る一連の、学問を金にしようとする泥棒…金、金、金…学説所有権の擁護の叫びは、だからとりもなおさずこれらの学問泥棒に対する学者の生活権擁護の叫びにほかならないのだ。学問が社会の共有財産であらねばならぬのに、しかもこれをあくまでも神聖なる私有財産視しなければならぬのは、実にここにその根拠をもっているのである。

かくて資本主義社会では「剽窃」も多くこの角度から取り上げられる面を有し、それが「不労所得」を意味し、「窃盗罪」を構成する場合も少なくないのだ。

では、人は何とかしてこの学問的共有と私有との深い矛盾を取り除くことができるであろうか。我々にとって明らかな一事は、かかる矛盾の克服は現在のままでは資本主義的体制の埒内では決してできないということである。

かくて「剽窃」の問題も資本主義の存続する限り、唾棄すべき財産的犯罪の問題として提起せられる一面を常に保持し続けるであろう≫(『林達夫著作集』、第4巻「批評の弁証法」、平凡社、1971年、158-159頁)。

知的所有権以上に哲学的に問題になりうるのが、固有身体の所有ではないだろうか。いずれ「愛と所有:結婚の形而上学とその脱構築」という研究に取り掛かりたいと思っている。



林達夫は、日本の思想界において一流の「ゴト師」であった。例えば、彼の西田論「思想の文学的形態」を見よ。「随筆」と「随想」の区別から始まって、西田哲学を常に生成途上にある哲学行為の「随筆」と規定する手つきの鮮やかさ。

ただ、惜しむらくは、西田論の第二部「思想、文学、教育のフランス的三位一体について」が、単なるフランス論に終わり、この三位一体は我が国でどのように考えられ、とりわけ西田の哲学においてどのように考えられていたのかについて、突っ込んだ考察がなかったことだ。

林達夫の思考には――浅田彰にも言えることだが――ほぼ常に深さ、粘り強さが欠けている。西田は随筆的だがやはり哲学であり、林は哲学的だがやはり随筆なのである。パチプロとゴト師の違いと言えば、冗談にも程があると言われるだろうか。ならば、天才と秀才の違いと言おう。

≪鴎外→あらゆるものを内面的に理解しながらそのどれとも自己をidentifyしようとしない冷たさ、それは「秀才」の悲劇である。捨て身にならない。捨て身にならないですむから、――なぜなら、理解力を示すだけで常人よりはるかにすぐれた業績を残しうるから、「理解力に頼りすぎる」≫(丸山真男、『自己内対話』、みすず書房、1998年、5頁)。

天才とは自分の道において呆れるほど馬鹿になれる人のこと、極道になれる人のことを言う。道を極めると書いて、極道と読む。

Wednesday, March 14, 2007

ゴト師(壮年の林達夫を読む)(上)剽窃…

15日の締め切りが近づいてきた。5月下旬の仏文学会用の発表要旨提出期限である。メタファー論は今のところこれ以上進められない。アナロジーの問題を入れたい。この間の発表でも「メタファー論だけだと、きれいにまとまりすぎてる」と指摘を受けた。そのとおりだ。

rythmeとmesureを組み合わせたときのように、見掛けは似ているけれど実は異質で、しかし緊張関係にあるという二つの項を衝突させることで何かが見えてくる、という手法はスリリングで好きだ。メタファーとアナロジーがそうなるかどうかはまだ分からないが。



2月上旬に書いたもの。

***

さまざまな器具等を使用し、パチンコ店等で不正に出玉を獲得する人を「ゴト師」という。まあ要するに、いかさまをやる人のことと思ってもらえばいいだろう。ここでは、「ゴト師」という言葉をもちろん犯罪的な意味においてではなく、広義の意味で用いる。



林達夫は、広義の意味での「ゴト師」の側に自分を置き入れた。板垣直子の三木清に対する「剽窃」告発騒動のさなか、「いわゆる剽窃」(1933年)という文章で三木を擁護したときのことである。

「もっとも仮借なき《職業的》廓清家(レーニンのいわゆる職業的革命家と同じような尊敬的意味で)」たる板垣直子の「秋霜烈日の如き断罪的方法」に、林達夫は「多少ともかの中世的スコラ的宗教裁判方法に似通う形式主義、機械主義、末梢主義への危険」を嗅ぎ取る。

いわゆる剽窃は日本の今日の現象であるばかりでない。シェークスピアやモリエールやスタンダール。プラトンやデカルト。古来その独創性を以って鳴る西洋の大文豪や大学者のうちにさえ、証拠歴然たる剽窃行為が見出される(しかも当の張本人たちがその正当性を主張している)。

人類社会の共通現象であるとも言えそうで、となると、他人の思想や文句のドロボウ、インチキ師、ゴト師は、無数に世界を横行していることになる。何という恥ずべき、嘆かわしい犯罪的世界!

むろん林達夫はありとあらゆる剽窃を擁護しているのではない。「私がこんなことをいいだしたのは、いわゆる剽窃にはピンからキリまであるということがいいたかったからだ」。そこで林は、板垣夫人とはまったく異なる見解をもつ知識人を引く。アナトール・フランスである。

かつてドーデが剽窃のかどで攻撃されたとき、彼はドーデの擁護者として立ち、有名な「剽窃の擁護」を書いた。詳しく知りたい人のために原典を挙げておく。

Anatole France, "Apologie pour le plagiat", Le Temps, 4 janvier 1891, reprise dans La Vie littéraire, quatrième série, Paris, Calmann-Lévy, 1924, pp. 157-167.

BNFでは原本をウェブ上で読むことすらできる。日本の知識人の端くれとしては羨ましいというほかない。「フランスを羨ましがってばかりいないで、日本の厳しい現実を見たほうがいい」としたり顔で忠告してくれる人もいる。だが、まず夢見るところから始めなくて、この国に何が残されているのか。

アナトール・フランスによれば、剽窃家とは、何でもかでも、他の家から家財でも雑巾でもゴミ箱でも滅茶苦茶に盗んでくる人間のことであって、かかる輩は思想の殿堂に住むに値しない。

「だが、他人から自分に適したもの、得になるものだけを取る作家、選択することを心得ている作家について言うならば、それは立派な人間である」。

また、アナトール・フランスによれば、それは「節度の問題」でもある。「人はミツバチのように他に迷惑をかけずに盗むことができる。だが、穀粒をまるごと略奪するアリの盗みは決して真似してはならぬ」。
つまり剽窃には二つあるのだ。法のレベルに納まるものと、法の概念そのものを揺るがし、ひそかにその根本的刷新を促すものと(アンチゴネーを剽窃の問題から考えることも出来るかもしれない)。

Tuesday, March 13, 2007

自己内対話(ブログに抗するブログ)

murakamiさんからまたまた重要な指摘をいただく。さらに追加情報もいただいた。
http://philosophy.cognitom.com/exec/page/page20050703222358/

他の人に誤解のないように言っておけば、私がmurakamiさんに敬愛の情を抱くのは、彼が彼のフィールドで精力的に活躍されているからであって、彼が私のブログを読んでくれる、あるいはそこに書き込んでくれるからではもちろんない。

思想における友情あるいは愛は、ブログへの書き込みからは生じない。なぜならブログも書き込みも所詮その程度のものでしかないからだ(これは日常会話でも同じである。社交的に振舞うことはどんな場合にも望ましいことだが、そこに過剰な意味を見出すべきではない)。

少なくとも思想の世界では――いや、おそらくありとあらゆるプロフェッショナルの世界でも同様だろう――逆なのだ。大事なのは「人」ではない、「アイデア」だ。あらゆる意味におけるideaである。

したがって思想的ブログにおいて大事なのは、思考の断片的なアイデアが流通すること、最低限、貴重な情報が流通すること、そしてそれらが電脳空間の外で現実化・具体化することだ。実際の「出会い」が、効果的な「出来事」がそこを通じて(そこから、ではないとしても)生じること、それがすべてである。

この「外部」はまた、思想の「外部」でもなければならない。私が、この思想系ブログ以外のブログ(政治・社会系、語学系…)を、区別しつつも、連動させているのはそのためである。ドゥルーズの言うとおりなのだ。

≪ある一つの分野はみな、それぞれの仕方で非なるものと関係している。

芸術は、芸術家でないこの私たちを育成し、覚醒させ、私たちに感覚する仕方を教え、哲学は概念的に理解する仕方を教え、科学は認識する仕方を教える――それだけのことを言っているのではない。そのような教育法が可能になるのは、それぞれの分野に関わっている〈非〉に対して、その分野がそれ自身の側で本質的に関係している場合だけである。

芸術が非芸術を必要とし、科学が非科学を必要としているように、哲学は、哲学を理解している或る非哲学を必要とし、非哲学的理解を必要としているのだ≫(『哲学とは何か』結論)

ここに丸山真男の言葉が反響する。

≪若いうちに、感受の弾力性があるうちに、異質的なものと対決せよ。Stirb und werde ! ≫(『自己内対話』)

私のブログはブログ的ではない。ブログは、私が研究論文としてでなくエッセイという形で言いたいことを載せる最良の形態ではないのだろう。別にそれで結構だ。私にとって、ブログとは「井戸端会議と投瓶通信のあいだ」(penses-bêtes japonais, 2007年2月4日の項)にある何かなのである。

さらに、こうも付け加えよう。時流に抗して、私が思想的ブログでまず突き詰めたいと思っているのは、自己内対話のほうなのだ、と。

≪国際交流よりも国内交流を、国内交流よりも、人格内交流を!自己自身の中で対話をもたぬ者がどうしてコミュニケーションによる進歩を信じられるのか。

論争がしばしば無意味で不毛なのは、論争者がただもっともらしいレトリックで自己の嗜好を相互にぶつけ合っているからである。自己内対話は、自分の嫌いなものを自分の精神の中に位置づけ、あたかもそれが好きであるかのような自分を想定し、その立場に立って自然的自我と対話することである。他在において認識するとはそういうことだ。≫(丸山真男、『自己内対話』。1967年3月の最終講義メモ)

「まず」とわざわざ強調したのは、英語で『日本政治思想史』や『日本の思想』を発表し、座談の名手であった丸山のこの文章内に、不可視の、しかし確固たる「まず」を読み取れない読者のことを慮ってである。私は常に「両面作戦」(pratiques théoriques, 2004年11月1日の項)の支持者である。

Friday, March 09, 2007

制度の唯物論(脱構築の前に構築を!)

まだまだ先だと思っていたら、仏文学会用の論文の締め切りが迫っていた。この数日、慌てて見直し。日仏哲学会よりは紙数に余裕があるので、割と細部まで盛り込める。というわけで、「催眠」論文脱稿。後は結果を待つのみ。



コレギウムとは何か」の項に、尊敬するmurakamiさんからコメントをいただいた。

そうですね、私にもどうすればいいのか分かりませんが、おそらく劇的な治療法はないのでしょうね。

ただ、解決策はないとしても、地道な対処法はあります。例えば、学術雑誌の作り方です。

仏文学会の雑誌『フランス語フランス文学研究』は、学会発表を行なった者の中で選抜を行ない、研究論文を書く権利を与えるのですが、その際、フランス語論文8本、日本語論文4本と定められています。

つまり、日本語論文の数を少なく限定しているのです。仏文学会が本当のところ、どういう「意図」でこの比率を決定しているのかは知りませんが、執筆者に与える「効果」は明白です。掲載されたければ、フランス語で執筆したほうが圧倒的に可能性が上がるのです。

こうして制度が意識を少しずつ変えていき、仏語能力の地道な向上につながっていく、という「制度の唯物論」(笑)があるわけです。

翻って、例えば日仏哲学会の雑誌『フランス哲学・思想研究』はどうでしょうか?

(他の人にも誤解のないように言っておくと、もちろん両雑誌の内容や質を云々しているわけではありません。言語の問題を論じているのです。)

まず言語による「枠」がありません。そうなると、結果は火を見るより明らかです。最新号である第11号を見てみると、仏語論文は公募論文7本中2本。一本はフランス人(前述の西田研究者のDalissierさん)、もう一本は私です。

むろん、これは学会の規模、それぞれのmilieuがもつ雰囲気というものも大きく関係しています。仏文学会は日本のフランス系の学会でおそらく最も規模が大きく、最も国際的に活躍している学会であり(現在の国際仏文学会の会長は、日本の仏文学会の会長である塩川徹也先生です)、フランス語で書くことが半ば自明視されているmilieuです。もともと仏語で書ける人が一定数以上いないと、せっかくの理想的な制度も成り立たないということはあります。

しかし、いずれにせよ、制度の善用とは言わないまでも、制度というものの持つ力をもっと積極的に活用すべきではないか、少なくとももっと意識的になるべきではないだろうか、と私は思っています。日本版アグレグを夢見るのも、そういうところから来ています(これについては、これまで断片的にこのブログに書いてきました)。

哲学科(フランス系)の人は仏文科の人から、仏文科は哲学科から、もっといろんなことを学べるのではないかと私は思っているのですが、なかなかどちらにも聞いてもらえません。ドイツ哲学と独文より親密な関係を築く可能性があるようにも思われるだけに、残念なことです。

コレギウムの話、ご一緒に進めていければこんなに嬉しいことはありません。実はもう若干進めつつあります。今度お会いしたときにでもお話しできれば。 hf

Thursday, March 08, 2007

制度と脱構築(Jean-Luc Amalric情報)

一月ほど前に書いたもの。デリダ・リクール論争についてまとめている途中での副産物。小ネタはすぐにあがるが、大ネタは。いずれまた。

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さて、ジャン=リュック・アマルリックである。

『リクール、デリダ。隠喩の争点』という本を出した叢書"Philosophies"は、きわめて優れた叢書で、私のお気に入りの一つである。例外もあるが、もっぱら若手にある哲学者のあるトピックに絞って書かせることで有名だ。

(日本のように、すでに功なり名を遂げた研究者が入門書的な軽い本ばかり書くのは何重にも無駄だと思う。たまに息抜きに、というのならいいが、そればっかりのような気がするのだ。だいたい大家に限らず、著書でも翻訳書でも、アメリカ同様、入門書が多すぎる。もういいよ、そういうのは。短くてもいいから、一つのテーマに絞って力作を書いてほしい。

誰か、〈ベルクソン研究叢書〉をつくってほしい!グイエのは翻訳が進行中とのことだが、イポリットとかユッソンとかミレーとかアイドジックとか、良書を精選して。『年鑑』とか、良質論文を精選して。

アマルリックを、「モンペリエ大教授」とおっしゃっている方がいるが、私の知る限りでは、彼は職業としては高校(Lycée Joffre)で教え、研究としてはCFPE(Crises et Frontières de la Pensée Européenne, EA738)という研究グループに間接的に所属して、博論執筆に励んでいる若手研究者である。

ネットというのは本当に恐ろしいもので、Jean-Luc Amalricの家計図まで調べられてしまう。それによると、父はJean-Claude Amalricという英米文学者であるようだとか、どうでもいいことまで分かってしまう。政治的な発言を行なっているな、とか。

アマルリックの関係しているCFPEには、私の知っているだけでも、エピステモ系のアナスタシオス・ブレンネール、コント研究のアニー・プチ、ハイデガー研究のマルレーヌ・ザラデールなどがいる。昨年惜しくも夭折してしまったフランソワ・ズラヴィシュヴィリもこのグループに属していたようだ。



ちなみに、フランスの研究機関でよくUMRとか見かけて、「あれは何だ」と思われている方があると思うが、研究単位のことである。私が様々な形でお世話になっているSavoirs, Textes, LangageはUMRだが、これはUnité Mixte de Recherche、上述のCFPEはEAだが、これはéquipe d'accueilの略である。大体、JE→EA→UMRという形で大きくなっていく。例えばこんな感じだ。略称についてはリンクのところにリストを挙げておいたので、参考にしていただきたい。

フランス現代思想やフランス哲学、フランス文学の研究者で、(フランスの)学問制度のことを知らない人がけっこういる。むろん、EAが何を意味するかを知らなければデリダの思想は分からないなどと言っているのではない。だが、それにしてもあまりにも制度ということに鈍感であり、無邪気すぎはしないか。

一方でデリダや脱構築に興味を持っていると言いつつ、他方で制度的なことを知ろうとしないのは矛盾している。デリダほど制度との距離どりを考えた人はいない。

-Peter Trifonas, The Ethics of Writing : Derrida, Deconstruction, and Pedagogy, 2000. プロフィールはこちら
-Tom Cohen, Jacques Derrida and the Humanities: A Critical Reader (Cambridge University Press, 2002).
-Peter Trifonas and Michael A. Peters, Derrida, Deconstruction and Education: Ethics of Pedagogy and Research, Blackwell Publishing, 2004.
-Simon Morgan Wortham, Counter-Institutions: Jacques Derrida And the Question of the University, Fordham University Press, 2006. プロフィールはこちら

彼がどうGREPHに関わったか、どうしてCIPhを創ろうとしたのか、もっと日本でも知られていいはずだ。デリダの訳者たちよ、うすっぺらい本を訳すほうが楽なのは分かるが(薄い本だってすでに大変というのもよく分かるが)、この「暗い時代」にあってデリダの大部の大学論・教育論であるDu droit à la philosophieが本の形でまず訳されるべきではないのか。

脱構築とは何よりもまず諸々の制度の脱構築である。学問とは研究者の頭の中だけで抽象的に構築されていくものではなく、それ自体歴史的に形成されてきた具体的な制度の上で、ほとんど唯物論的に形成されていくものなのだ。博論一つ取ったってそうだ(笑)。その自覚なしに、その自覚を実際に示す実践なしに、脱構築とは笑わせる。

Wednesday, March 07, 2007

サクラサク(Master Mundusの結果)

Master Mundus、どうやら日本人が複数名(主要リストに2名、補欠リストに1名)、通ったようです。告知・宣伝にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

受かられた皆様、栄えある第一号として思う存分、そして思い残すことのないよう、研鑽を積んできてくださいね。プロになりたいなら、本物のプロになりたいなら、二年間くらい猛烈に勉強する時期があってもいいと思います。

残念ながら届かなかった方、気を落とさずに。来年またチャレンジするつもりで、お励みください。



今回の結果(暫定的な合格発表)がウェブ上で公開されています。主要候補全15名のうち、南米が5名(ブラジル3、アルゼンチン2)、アジアが5名(中国3、日本2)、ロシア2名、カナダ・レバノン・ゲオルギア各1名という結果でした。南米・アジアはほぼ予測どおりでしたが、中東が1、合衆国がゼロというのは少し驚きました。

おそらく何らかの方針なり、各地域のinvisible quotaがあるのでしょうが、来年度以降徐々に「枠」を増やしていけるように、日本のフランス哲学研究者が共同で何かアクションを起こせればいいですね。

いつか、仏独英語で世界標準レベルの哲学的な議論をできるのが、当たり前とは言わずとも、珍しくはなくなる、もう語学力か哲学力かなどという議論がナンセンスでしかなくなる、そしてその結果、このMaster Mundusの有り難味が徐々に薄れていく、そんな日を夢見て。 hf

Tuesday, March 06, 2007

コレギウムとは何か?

3月2-3日、学習院大学人文科学研究所で行なわれたMichel Dalissier氏の「ベルクソンの読者としての西田」講演会を拝聴。すでにメールではやりとりしていたtm氏やys氏と初めて対面。年来のCollegium Japan構想を実現すべく、少しずつ動いていきたい。

***

まず、コレギウムのことを説明しておかねばならないだろう。正式名称はCollegium Phaenomenologicumである(公式サイトはこちら)。ジョン・サリスやジャック・タミノーがほぼ三十年前に創設したものだ。

アメリカの大陸系哲学研究者たちの夏のささやかな祭典と言っていいと思う。毎年7月中旬から8月上旬の三週間、イタリアのチッタ・ディ・カステッロ――ペルージャからそれほど遠くないところにある何もない田舎町だ。強いて言えば、モニカ・ベルッチを輩出した(笑)――で、行なわれるバカンスを兼ねた合宿である。

参加はアメリカ全土の教授レベル数人、助教授・講師・ポスドクレベル十数人、院生四十人程度。主催者・参加者は毎回かなり変わる。ベースはアメリカ人だが、院生には何割かヨーロッパ中の学生が混じる。私は2003,2004年の二年続けて参加したが、アジア人は私一人だった。

三週間で三人の哲学者の幾つかのテクストを読み、レクチャーコースを聴き、議論する。大体フランス(現代思想)系とドイツ系(ハイデガー)が一年ごとに来ている(ようにも思われる)。例えば2003年はベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ。2004年は、カント、シェリング、ハイデガーという感じである。

何がいいかというと、プログラムの仕方がいい。

月・午前:レクチャーコース(1)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
火・中堅による発表数本
水・午前:レクチャーコース(2)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
木・中堅による発表数本
金・午前:レクチャーコース(3)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
土:遠足
日:オーバーホール

朝は10時開始。レクチャーコースは、午前中まるまる2時間超、一人の哲学者のあるテーマについて一人の大物(ないし有望な中堅)がじっくりと話す。三日間あるからいろんな細部を扱える。いろんな人を呼ぶと幕の内弁当的にカラフルだが、「食い足りない」という現象が往々にして起きるものだが、それを回避できる。

午後は、その人の提示したテーゼについて、あるいは扱われたテクストについてディスカッションする。その際、ポイントは二つある。1)院生を数人程度のグループに分ける。皆で議論というのは効率が悪い。2)各グループに一人、若手研究者(講師、ポスドクレベル)をチューターにつけて、議論の進行役、まとめ役をさせる。議論は往々にして迷走しがちだからだ。

だらだら長くやればいいというものではない。集中してやって、午後は4時で終わり。あとはフリー。院生でサッカーしたりね、イタリアだけに。腰痛めたりとか(笑)。地元のイタリア人も飛び込み参加で、英語のできないイタリア人と、イタリア語のできないアメリカ人の間で、似非英語とインチキ伊語を操って通訳したり。楽しかったな。

しかし、同時に、こんな重量級の議論・濃密なディスカッションが連日立て続けでは、やる方もやられる方も身が持たない。そこで、飛び石にして、間に中堅どころの短い発表ばかりやる日を入れる。こうすることで、中堅も実力を発揮できる場が設けられる。聞くほうも目先が変わって気分転換になる。

こんな濃い一週間の後にはリフレッシュが必要だ。土曜日にはフィレンツェやアッシジなどに出かける。日曜日はゆっくり骨休め。とかいいながら、翌週の予習をしてたけど。

院生にも発表の場が与えられる。この三週間が始まる前日・前々日にPre-Conferenceというのがあり、そこで一人20分程度話すのである。

こういうのが三週間繰り返されるわけだ。大学の枠を超えて、研究者と学生の枠も超えて、ダイナミズムとリラックスの同居した合宿。むろん悪い点は幾らも挙げられるだろうが、私のような何もしていない日本人にそんなことを言う資格も権利もない。

ちなみに、参加費用は教授も院生もすべて自己負担で、報酬なし。自己負担といっても、欧米の場合は大学が負担してくれるわけですが(日本の場合はどうか分かりません)。



特に私が注目したいのは、2004年に参加したときのこと。ディスカッションには一グループだけ、ドイツ語オンリーのグループがあった。日本人同様に外国語のできないアメリカ人だが、ヨーロッパ人に混じって、頑張ってドイツ語を話している人もいた。

これを日本のフランス哲学業界でやりたいのである。規模はもちろんもっと小さくなる。期間もずっと短くなる。けれど、コンセプトとしてはこんな感じのことを、日本で、基本的にフランス語ないし英語で、やりたい。

日本人とフランス人(英米系も)の大物若干、中堅・若手数名、院生二十数名くらいで、例えば夏の一週間、軽井沢あたりに合宿する。連日、フランス語ないし英語で哲学的な議論をする環境を作り出す。これが私の構想するCollegium Japanプロジェクトです。

むろんすぐ始めることはできない。十分な下準備が必要である。まずは、本場のコレギウムを日本人の有望な中堅・若手研究者・院生に発表者・チューター・聴講者として「体験」してきていただくプランを考えている。参加にはアメリカないしヨーロッパの教授二名の推薦書が必要です。そういうわけで、興味のある方は、私までご連絡ください。

文句ばかり言っていても始まらない。具体的に変えていくこと、ほんの少しずつでも。

Friday, March 02, 2007

近況

23日、最近韓国で発表してこられたojamoさんに韓国のベルクソニアンを紹介していただく。どうもありがとうございました。

24日、SAB(Société des Amis de Bergson)、要するに国際ベルクソン学会のcorrespondant étrangerになってくれないかとの打診。もちろん喜んでお引き受けする。

27日、ynさんより、ラクー=ラバルト逝去の報受ける。リールで一度一緒にご飯を食べたことがあったっけ。今はただ、ご冥福をお祈りします。


Les vendredis de la philosophie
vendredi 2 mars 2007 La grammaire politique d'Antonio Negri, avec lui-meme
vendredi 16 mars 2007 Philippe Lacoue-Labarthe
となっています。放送後、一週間はネット上で聞けますし、Podcastも可能です。 念のため、リベラシオン紙掲載のナンシーの追悼文も転送しておきます。では失礼します。

もう一本、深く静かに進行中の企画について、あまり良くないメールをいただく。院生を適当に並べてお茶を濁す、だって!?どうすれば志は理解されるのか?粘り強く、粘り強く。

28日、ようやく「呼びかけ」論文校正提出。できるかぎりレベルを上げようと悪戦苦闘。限られた時間の中でやれることはかなりやったと思うが、あまり満足していない。

遅れに遅れて、今日から「ベルクソンの手」改稿に本格的に取り掛かる。しばらく前から技術論関係の本を読んでいるのだが、まだ新しいアイデアを思いつくまでには至っていない。

例のトゥールーズ遠征、なんとヴィデオ撮影されるらしい。カナル・フィロでオンライン化されるかも、という話。乗り気ではないが、許可した。日本の哲学者がフランスでどんな風に戦っているか、日本でも見られるようになる。少しでも〈時代状況の閉塞〉を変えていければと思ってのこと。笑いたい奴は笑え。

語学能力か哲学能力か、などとありもしない不毛な二者択一で自分の怠惰を誤魔化すのは、いい加減やめるべきだ。両方必要に決まってるじゃないか。