Tuesday, January 30, 2007

ユースから一歩ずつ階段を上がる(エリート教育の問題・補遺)

たぶん気づかれたと思うが、ブログの装いが幾つか変わった。これには、この数ヶ月来進められているBloggerというブログ運営会社とグーグルの提携強化、それによるブログの性能向上が関係している。

性能強化の一つとして、日本のブログではすでに当たり前のものとなっていたラベリングが可能になった。こうなってくると、四つも五つも別名のブログをもっている意味もないようなものだが(今回のように主題がクロスオーバーすることもしばしばあるし)、当面は各ブログの方針を従来どおり維持していくつもりである。

引き続き他のブログ(profileから入る)もご愛顧のほどを。hf


エリート教育」の問題について述べたとき、最後にサッカーの関連記事を付していたが、気づかれただろうか。Mundusのことだけではない。私たちは他領域を参照しつつ、教育の問題、制度の問題をもっと具体的に考えていくことができる。

(ちなみに、今期のテレビドイツ語会話では、昨年のサッカーW杯まで技術委員会のトップだった田嶋幸三JFA専務理事、つまり日本サッカー教育界のドンがインタヴューされ、ドイツ語で話していた

アラビア語会話は会話向きの講師を発掘し、ナビゲーターに落語家を起用して素晴らしい効果をあげている。フランス語会話の製作陣もそろそろ抜本的な改革を真剣に模索しないと、今のままでは駄目だ。

田嶋氏については、宇都宮徹壱氏のいつもながら冴え渡るエッセイ「“総括”で隠されたもの。第5回フットボールカンファレンスより」(2007年1月10日)も参照のこと。そのうえで、私の「スシボンバーの憂鬱」(2004年10月20日)を読んでもらうと、拙いなりに私が何を言いたいのかがわかってもらえるかもしれない。

梅崎の武器は“NOVA仕込み”の仏語
2007年1月29日(月) 10時56分 デイリースポーツ

 大分からフランス2部リーグのグルノーブルに期限付きで移籍するMF梅崎司(19)が28日、成田空港を出発した。U-20日本代表のエースは、31日の入団会見に備えて、語学学校のNOVAに10日間通学。覚えたてのフランス語を駆使して、チームメートのハートをつかむ。

 フランス入国を前に、梅崎は大分で“駅前留学”を済ませた。先に入団したFW伊藤翔(中京大中京高)から「待ってます」と言われて不安は多少和らいだが「言葉の壁が一番。積極的に話をしていきたい」。通訳をつけない裸一貫での移籍だけに、まずはコミュニケーションを図る作戦だ。

 「海外のビッグクラブでプレーしたい。まずはグルノーブルで結果を出す。日本の魂を見せ、一部に引き上げる」。現在、リーグで20クラブ中8位のチームを押し上げた先には、夢見るスペインでのプレーが見えてくるかもしれない。


将来性が海外挑戦の鍵に 森本、はい上がって活躍

 18歳8カ月、森本のセリエAデビューは衝撃的だった。後半39分から少ない時間でチャンスを生かし、鮮烈な同点ゴール。試合後はイタリア人記者に囲まれ「びっくりした。(頭の中が)真っ白になった」と喜んだ。

 引退した中田英以来となるデビュー戦での得点。だが、日本代表で不動の地位を築いていた中田英とは違い、森本にフル代表歴はなく、10代で海を渡った。カターニアのユースで活躍し、はい上がって欧州屈指の舞台で出場機会をたぐり寄せた。

 マリーノ監督は「彼は伸びている最中。特に体の強さが成長している」と目を細める。プルビレンティ会長も「若くて質が高い。この得点を一生の思い出にしないと」。周囲の目は温かく、森本は純粋に才能と将来性を見込まれている。

 森本が所属するマネジメント事務所のモラーナ氏は「今の日本で中田英のように欧州で十分に活躍できる選手を探すのは難しい。クラブは若い内に体力と戦術両面を鍛える必要を感じている」と話す。ジャパンマネー目当てではなく、戦力に育ちそうな逸材を探すクラブが、日本にも関心を示している。

 かつてオランダでプレーした平山や、このオフにフランスに渡った伊藤や梅崎など、若くして海外に挑戦する例は増えている。こうした傾向が今後も続くかもしれない。(共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 17:00 ]


新しい挑戦の道切り開く デビュー戦ゴールの森本

 セリエAに初出場した森本がいきなりゴール。名前の発音が似ているためにサポーターから「マレモート(イタリア語で津波の意味)」と呼ばれる18歳の日本人が、愛称に負けない衝撃的なデビューを飾った。

 主軸FWが出場停止で得たベンチ入りの機会だった。これまでは控えのまま投入されない試合が続いたが、そのたびに「焦りはない。いつでも準備はできている」と話していた森本に、ようやく晴れ舞台が訪れた。

 0-1の後半39分にピッチに立つと、まずは巧みなポストプレーで試合の流れに入った。ユースの試合では活躍を続けているだけに「試合勘は忘れていなかった」と落ち着いていた。

 試合終了間際にゴール前のスペースに忍び込むと、右斜めからのクロスを左足でトラップし、複数の相手DFと交錯しながら右隅へ決めた。「頭が真っ白になった」と驚きと喜びの混ざった表情。チームの仲間にもみくちゃにされながら祝福された。

 これまでセリエAに挑戦した日本人は、フル代表として活躍した実績を引っ提げていた。だが森本は若くして本場へ移り、ユースから一歩ずつ階段を上るという新しい道を切り開いている。マリーノ監督は「無理なく自然に成長している」と、将来が楽しみな日本の若手に目を細めた。(ベルガモ共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 9:51 ]


森本がセリエA鮮烈デビュー=日本人最年少出場とゴールをマーク-伊サッカー

 【ロンドン28日時事】サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)で、カターニアのFW森本貴幸は28日、イタリアのベルガモで行われたアタランタ戦で後半39分からセリエA初出場を果たし、同43分に初ゴールを挙げる鮮烈デビューを飾った。18歳8カ月でのセリエAデビューと得点は日本人選手最年少。ゴールは貴重な同点弾となり、カターニアは1-1で引き分けた。

 欧州の主要リーグで、デビュー戦で得点をマークした日本人選手はMF中田英寿(1998年、ペルージャ)、FW大久保嘉人(2005年、マジョルカ)、FW平山相太(05年、ヘラクレス)に続いて4人目。

 森本は88年5月生まれ。Jリーグ時代にも15歳だった04年に、当時J1東京Vでリーグ最年少出場、最年少得点を果たした。昨年7月に期限付き移籍でカターニアに加入した。北京五輪世代の1人としても期待されている。  [ 時事通信 2007年1月29日 9:31 ]

Thursday, January 25, 2007

ベント・プラドJr.逝去


ベント・プラドJr.が亡くなった。私が『ベルクソン読本』の「世界におけるベルクソン研究の動向」で特筆していた人物の一人である。これで日本にお呼びすることが永遠に叶わなくなった。享年69歳。

今年の十二月にはサン・パウロでも『創造的進化』百周年ブラジル版が予定されており、彼が主催者の一人として名を連ねていた(実質的な責任者であった)だけに、さぞ無念であったろう。ようやくフランスでも彼の仕事が認知されつつあったというのに。

せめてもの手向けに、FAPESP(Fundação de Amparo à Pesquisa do Estado de São Paulo サンパウロ州研究支援財団?)の「おくやみ」を生齧りのポルトガル語から翻訳しておく(したがって正確さは保証のかぎりではありません)。

日本でもせめてベルクソン研究の文脈において彼の業績がきちんと導入され吸収・消化されることを祈ってやまない。



ベント・プラドJr.逝去、享年69歳

FAPESP通信 哲学者のベント・プラドJr.氏が1月12日金曜日の午前1時ごろ、サンカルロスの病院で亡くなった。享年69歳。ブラジルの哲学界を代表する人物の一人であった氏は、サンカルロス連邦大学(UFSCar)の哲学・科学方法論科で教鞭をとっていた。

UFSCarの発表によると、死因は喉頭がんの悪化による心肺機能停止。埋葬は同日、サンカルロスの墓地にて執り行われた。

UFSCar哲学科長 José Eduardo Marques Baioni 氏は、プラド氏をブラジルにおける哲学研究の構築における主要人物の一人であり、「哲学、文学、芸術の間のきわめて興味深い境界領域を、卓越した手腕をもって探求していた、偉大な著述家」であった、と語っている。

ベント・プラドJr.の哲学への最も偉大な寄与の一つは、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンに関する業績である。1965年に諮問を経た彼の博士論文『現前と超越論的領野。ベルクソン哲学における意識と否定性』は、今もこの主題に関する国際的なレフェランスであり続けている[そのとおりである!]。本書は2002年に翻訳され、フランスで出版された。

「ベルクソンをめぐるあらゆる研究は、サルトルやメルロ=ポンティを含む二十世紀のフランス現象学についての研究同様、ベント・プラドの諸研究との対話を続けることを必要とする」とバイオニは語っている。

サンパウロのJaúで生まれた Bento Prado de Almeida Ferraz Júnior は、1961年から1969年までサンパウロ大学で教鞭をとっていたが、軍事独裁政権が倒れ、大統領令によって大学から追放された。同法令によってCaio Prado Júnior、Octavio IanniやFernando Henrique Cardosoなど23人の教員が退職を余儀なくされた。1998年に、USPの名誉教授号を得た。

1970年から1974年まで、プラドは、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究者としてポストドクター職を得た。1977年にUFSCarに入る。

なによりもまず教育者

最近、プラドは、20世紀のフランス現象学とアングロサクソンの分析哲学が共通の根を持ち、繋がりを保ち続けていることを示す研究を展開していた。

「2006年の最後まで彼は授業を続け、大学院の学生を指導し続けていた。2007年度に予定されている哲学科の学部の授業の編成を主に担当するなど、最後までUFSCarに重要な遺産を残した」とバイオニは語る。

「ベント・プラドのおかげで、私は教育的で啓発的な哲学研究というものが存在するという感覚を学びました。したがって彼のおかげで私は、学生と知の間に先生がしゃしゃり出てこない場合に哲学教育というものがあるということを学んだのです[…]。学生自身が「先生」になりえたとき、哲学教育というものは成り立つ。なぜなら、先生とはすべての者に開かれた、無限の研究のサインに他ならないからです。言葉を換えて言えば、ベント・プラド先生のおかげで、私は教え学ぶことに潜む自由の感覚を発見したのです」と、哲学者 Marilena Chauí さんは雑誌『高等研究』(Estudos Avançados)2003年号に発表された論文の中で語っていた。現在USPで教鞭をとる彼女は、かつて1967年にDEA課程に在籍しベント・プラドの指導を受けたのであった。

ベント・プラドはまた、カンピナス州立大学(Unicamp)やサンパウロ州立大学(Unesp)、カトリック司教大学(PUC-SP)などの機関でも研究に従事していた。

ベルクソンの哲学以外に、ベント・プラドJr.氏は、哲学史、認知哲学・言語哲学、心理学・精神分析のエピステモロジーなどの領域で活躍した。代表作には上記の博士論文のほかに、
『幾つかの試論:哲学、文学、精神分析』(Alguns ensaios: Filosofia, literatura e psicanálise),
『誤謬、錯覚、狂気』(Erro, ilusão, loucura
『精神分析の哲学』(Filosofia da psicanálise
などがある。

Friday, January 19, 2007

短すぎる夏の輝きよ―阿部良雄墜つ

個人的な面識はなかったが、常々仏文学者、いや端的に学者の典型のような人だと敬意を抱いていた(2000年6月1日の項。MLの気安さも手伝ってとんでもなく若い)。確か彼がノルマルへの留学第一号ではなかったか。今、仏文科の学生はフランスで博論を書くのがかなり当たり前になりつつある。彼以降の先人たちの地道な、継続的な努力のおかげである。

制度を整えていくには、友愛と信頼に支えられた連携作業が必要不可欠である。

私がフランス詩をいくらか暗誦するようになったのは、フランスに行く一年ほど前だったろうか。友人たちが彼の家に招かれ、詩の暗誦大会などをやって楽しんだ、という話を伝え聞いてからであった。

それまでは「詩を暗誦する」などとはなんとなくスノッブで厭だったのだが、その話を聞いて肩の力が抜けた気がした。そうか、そんな風にワイワイやってもいいのか、それなら自分にも出来そうだな、と。

フランス語の練習ももちろん兼ねていた。詩の暗誦は今もやる。言葉はスポーツと同じだ。やればやっただけ上達するし、やらなければ忘れる。プロとしての心構え。これも私が阿部良雄から(一人合点して)受け取った「教え」の一つかもしれない。

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts!


<訃報>阿部良雄さん74歳=東京大名誉教授、仏文学者
1月18日0時43分配信 毎日新聞

 阿部良雄さん74歳(あべ・よしお=東京大名誉教授、仏文学者)17日、急性心筋こうそくのため死去。葬儀は25日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。自宅は非公表。喪主は妻文子(ふみこ)さん。ボードレール研究で知られ、著書に「西欧との対話」などがある。95年度に和辻哲郎文化賞を受賞。
最終更新:1月18日0時43分

Thursday, January 18, 2007

哲学と政治

ヤミナ・ベンギギの『移民の記憶』についての告知メールをいただきましたので、pense-bêteのほうをご覧ください

哲学を政治から切り離そうとする人々はこう主張する。「いったい誰が、数学者に政治を論じるよう求めるだろうか。政治は政治学者に任せておけばよい。哲学者は哲学をすることだけが任務なのである」と。日本のみならずフランスにも多くいるタイプである。

なるほど餅は餅屋であり、床屋政談などに大した意味はない。一市民として政治的な言論を行なうのは結構だが、それはすでにもはや哲学ではない、と。だがしかし、そのような物言いは、哲学という営みと、哲学科で行なわれているアカデミックな活動を我知らず同一視してしまっている。

アカデミズムを徒に敵視する人にも、アカデミズムに頑なに立て籠もろうとする人にも、あまりに個人的ルサンチマンが見えすぎる。問題はそんなところにはないのだ。

《なるほどひとは、哲学に、精神がおこなう快適な商売を見たくなるのも致し方ないのかもしれない。今度はコミュニケーションに倫理を提供することができる社会性、しかも西洋の民主主義的な会話を糧とする不偏不党の社会性だ、というわけである。

しかし、近代哲学に救いがあるとするなら、近代哲学は、古代哲学が都市国家の友ではなかったように、資本主義の友ではないという点を挙げねばなるまい。

そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する。

なぜなら、哲学が呼び求めるような人種は、芸術同様、純粋だと主張されるような人種ではなく、ある虐げられた、雑種の、劣った、アナーキーな、ノマド的な、どうしようもなくマイナーな人種だからだ。》(ドゥルーズ、『哲学とは何か』)

Tuesday, January 16, 2007

『創造的進化』百周年(英語雑誌投稿募集)

などと言いつつ早速更新である。

***

皆様、今年もよろしくお願い致します。

ベルクソンにご関心がお有りかと思われる方々に一括送信させていただいております。長文メール、あらかじめご寛恕のほどをお願い致します。

ご存知のように本年は『創造的進化』百周年にあたり、11月のコレージュ・ド・フランスにおける大規模なコロックをはじめ、各地で様々なイヴェントが企画されております。

私も若輩者ながら4月にトゥールーズで行われるコロックの主催者に名を連ねさせて頂き、日本の『創造的進化』読解の最前線を担う方々にご協力を仰ぎつつ日本チームでの「遠征」をして参ります。
http://w3.univ-tlse2.fr/philo/article.php3?id_article=100

出版物も例外ではありません。ベルクソン「公認」の名の下に久しく改訳の出なかった英語でも、ようやく『創造的進化』の新訳がアンセル・パーソンのイニシアティヴでWarwick大学から出るようです。

この機会に、英訳者二名が、ウィスコンシン大学出版の"SubStance"という雑誌から『創造的進化』特集号を出すので英語論文を投稿してみないかというお誘いが参りました(下記および添付ファイル参照のこと[添付ファイルはもちろんここには採録されていない])。

この投稿募集を広く告知してよいということなので、こうして皆様にもお知らせする次第です(転送歓迎です)。掲載の保証はもちろん私にもありませんが、チャレンジされてみてはいかがでしょうか?

寡聞にしてこれまでその存在を知りませんでしたが、数号の目次を眺めていると、定期的にフランス現代思想や現代文学、アートなどの特集がある雑誌のようです。
雑誌について:
http://muse.jhu.edu/journals/substance/index.html
雑誌のサイト:
http://www.french-ital.ucsb.edu/substance/category/home/

英・独・仏語で哲学することがますます重要になりつつある昨今――むろん、これは裏を返せば「何故、いかに、日本語で哲学するのか」がますます問われるということでもあります――、こうしたささやかな挑戦を、しかし粘り強く積み重ねていくことも大切なのではないかと思っています。

日本でもさまざまな雑誌で『創造的進化』特集が組まれ、実りある議論が活発に交わされるようになることを心から祈りつつ。

hf

Date:Mon, 15 Jan 2007 00:59:58 +0900
Subject: Bergson's Creative
Evolution CFP

Dear HF,

As you are no doubt aware 2007 is the centenary of Henri Bergson's master-piece Creative Evolution. Please find attached the call for papers for a special issue of SubStance devoted to this text.

The coming year will see a series of events devoted to Creative Evolution at (among others) the University of Warwick, the University of Toulouse Le Mirail, etc. There will also be a new edition of Creative Evolution published by Palgrave Macmillan in 2007, edited by ourselves along with Keith Ansell Pearson.

Please feel free to forward this message to any person who might be interested.

Yours Sincerely,

Michael Kolkman and Michael Vaughan
Department of Philosophy
University of Warwick

Sunday, January 14, 2007

新年

年末から新年にかけて、二つ大きな出来事があった。一つは子供が生まれたことである。これは新鮮な体験で、身をもって(体を張って?)いろいろと考えさせ られる。もう一つはパソコンがクラッシュしたこと。どうやら復活の見込みはないようだ。メアドにしても、書きかけの草稿にしても、パソコンに取り込んで バックアップを取っていなかった録音や写真にしても、もう取り返しはつかない。すでに不便は不便なのだが、これからじわじわと苦労するのだろう。しかし、 これも何かの巡り合わせだろう。もっと精進せよ、という。そういうわけで、当面新しいパソコンではメールもブログもしないことにした。

というわけで、メール返信速度が鈍り、ブログ更新回数が減ることを私の仕事(研究にせよ子育てにせよ)が捗っていることと解して喜んでいただきたい。むろんメールはチェックするし、このブログも更新はするので、たまに見に来ていただけると嬉しい。

「世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし」

という蜀山の狂歌を玄関に貼り出した内田百閒は並べて

「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし(當家あるじ)」

今年もよろしくお願い致します。hf