Thursday, May 28, 2009

たかが入門書、されど入門書

「映画俳優」でなく「テレビ俳優」を志すとしても(前日のポスト参照)、入門書を馬鹿にするなかれ。細かい書き方が気になる。アリストテレスはプラトンの敵、それはそのとおりなのだが、もうちょっとニュアンスがほしい。例えばこういう入門書は感心できない。

《アリストテレスは、プラトンの弟子、アレクサンドロス大王の家庭教師として知られる。ギリシアのポリスが限界を迎えた時代を生きたアリストテレスの考えは、師プラトンとは鋭く対立するものだった。》(貫成人(ぬき・しげと 1956-)『図説・標準 哲学史』、新書館、2008年、24頁)

この後、貫氏はすぐさま、アリストテレスの中心的な学説「1.四原因説」「2.実体」「3.実践三段論法」「4.『詩学』」「5.形而上学」を解説していくが、そこでは先の伝記的記述は何の意味も持たない。すると、先の数行は、たとえ著者の意図がそうでないとしても、「私は意味ないと思うけど、出版社の意向なので、一応哲学者の生涯など事実関係にも最低限言及しておきます」という姿勢に見えてしまう。

私は哲学史の授業である哲学者を取り上げるときは、必ずまずその哲学者を一つのイメージで捉えられるように配慮する。味気ない伝記的事実を淡々と最初に与えたところで、学生たちが興味を持つはずもない。まずその哲学者についての一つの中心的なイメージを与え、多少なりとも興味を持たせた後で、重要な伝記的事実を彼の哲学と密接に結び付く形で与えるからこそ、学生は興味を持ちうるのである。

(だからこそ、私は熊野純彦氏の『西洋哲学史』(岩波新書、2006年)全二巻を断然支持する。内容は平均的な学生たちには少し難しすぎるだろうけれども、彼がやろうとしていること――一つのイメージを与えることから始める――は正しい。)

そして「対位法」ということを重視する。例えば、初期ギリシア哲学に関する授業では、真っ青なエーゲ海の写真を見せて、自然哲学者たちの自然や宇宙への関心をイメージづけ、その次の授業では、カプリ島「青の洞窟」の神秘的な濃い青の写真を見せて、南イタリアのピュタゴラスやヘラクレイトスを解説する、といった風に。

あるいは、ソクラテスの生きたアテナイとプラトンの生きたアテナイの大きなずれから、二人の哲学の違いを説き起こしてみたり、師への思いからエクリチュールとの関係に悩む人プラトンと書きまくる「教授」アリストテレスを対比的に見ることから始めたり。

哲学とは学説の歴史、概念の歴史、たしかにそのとおりなのだが、それを語るのは人であり、それを聴くのも人である。池田晶子のように大向こうに媚びる自称「哲学書」も嫌だが、誰に向かって話しかけているのか分からない、物知りだが味気ない「標準」哲学概説書にも――特に貫氏ほどの人であればこそ――がっかりさせられる。

Wednesday, May 27, 2009

「俳優」より「映画俳優」と言われたい

浅野忠信のインタヴューから一部抜粋させていただく。テレビと映画の関係は、哲学の世界では、ジャーナリズムとの距離感ということになるのだろう。映画界の世代間のバランスや国際化について語っていることにも注目してほしい。

――10年ほど前からテレビドラマなどに出演しなくなっていますが、なぜでしょうか?

浅野: 最初の頃はテレビにも結構出演していましたが、マネージャーと喧嘩することも多く俳優を辞めたいと思う時期もあったんですよ。それと僕の感覚ですが、テレビはシステムに縛られて撮影している感じがして、撮って放映されて、また撮ってすぐ放映されてというサイクルが自分に合わなかったんですよね。映像という意味では同じですが少し機械的というか。

 逆に映画は感情的につくる印象が強かったんですよ。撮影は本当に大変で、徹夜してまた次の日も朝早くて。それでもいい大人が時には喧嘩しながら、同じ目標に向かって頑張る姿がなんだかすごく自分の中で信用できることに思えましたね。僕が若い頃に関わった映画の中には、公開されるか分からない作品も結構あって、それでもみんながむしゃらに撮り続けているのを肌で感じて、この世界だけでやりたいと思うようになりました。

 実際に映画中心の活動になると、今度は映画スタッフから「これからもお前は映画だけでやれよ!」と愛情を込めて言ってくれるようになったんです。すごく大切にしてくれるし、そう言われると、いまさら俺がテレビでやってもしょうがないかなと思うんですよね(笑)。

俳優より「映画俳優」と言われたい!! 

――では、俳優というより「映画俳優」と言われる方がうれしいのでしょうか。

浅野: はい、ありがたいです。20代の頃から多くのベテラン共演者の方に「浅野君は映画俳優として頑張ってね」と言ってもらってここまで来ました。誰かが映画俳優と呼んでくれることで、映画一筋でやっていけることを示せていると思います。

――映画監督も若い人が増え、助監督経験を踏まずにいきなり監督ができる環境にもなっています。ひと昔前とは大きく変わっている現状をどう思いますか?

浅野: それは全然ありだと思います。ただ、若い監督は、映画しかない時代からやっている人たちの経験や知識を機会があるなら学ぶべきだと思います。今の技術しか知らずに映画を撮るのはもったいないと思います。

 もちろん、その逆も言えます。ベテランの映画人も新しい技術や映像を学ぶべきだと思います。自分の世界に固執せずに映画の持つ自由さを受け入れるべきで す。お互いがリスペクトし合って相乗効果を生む必要があると思います。僕も俳優として壁を作らずに、若い人たちの野心的な撮影の仲間に入れもらいたいし、 ベテラン監督の持つ手法もきちんと教えてもらいたいです。

 それと、海外とも手を組んでどんどん映画を作るべきだと思います。特にアジアは距離も近いので、もっと仲良く映画を撮ってほしい。どうしても日本は閉鎖的な部分があり、海外の人と話をすると、そこを指摘されるのでまず閉鎖的なところを取っ払うのがいいと思いますね。

 多少、騙されることや変だなと思うことがあっても、それは最初だけですから、慣れて相手を理解すれば、解消されていくと思います。違和感はあるかもしれ ないですけれど、それならなおさら早いうちに解消したほうがいい。世界中の人と一緒に作品を作れるのが映画の良さだと思うので。

(写真/菊池 友理、文/永田 哲也=日経トレンディネット)

Tuesday, May 26, 2009

アテナイの学堂

というわけで、アリストテレスである。プラトンに講義三回分を費やし、身も心も疲れたと思っていたが、考えてみれば、哲学の歴史は真面目にやれば重量級ハードパンチャーの連続だ。またもや入門書・概説書の類を読みふけり、原典を可能な限りフォローし、画像を探しまくる(今時の学生たちには必要なのだ、目を休ませる偶像が…)。

ラファエロの有名な「アテナイの学堂」。今道大先生は1502年完成とされているが(『アリストテレス』、講談社学術文庫)、1509-10年が正しいようである。「美の巨人たち」は、この絵が、数十メートルしか離れていないシスティーナ礼拝堂で同時に進行中だったミケランジェロに対する讃嘆の念から、ある重要な変更を加えたことを指摘していて興味深かった。番組HPにはこうある。

「ラファエロの受けた衝撃の強さを知るヒントが、この下絵の中に隠されています。当初ラファエロは、中央階段部分を広く開ける構図を考えていました。 しかし実際の作品はこうなります。

そう、当初予定していなかった人物が、そこに描かれたのです。 右手にペンを持ちながら考え込む男・ヘラクレイトス。 このギリシャの哲学者のモデルこそ、ミケランジェロなのです。絵全体のなかで、前方のほぼ中央に描かれたミケランジェロ。それはラファエロがミケランジェロを、最大限に評価した現れでした。天才が天才に魅了されたのです。研究者「ラファエロがミケランジェロの描きかけの天井画を見たことは間違いないでしょう。それ以降、彼の描くタッチが明らかにミケランジェロの影響を受けるようになるのです。一番判るのは、ミケランジェロをモデルにした、ヘラクレイトスです。あれはミケランジェロのタッチで描かれています。ヘラクレイ トスのタッチが、周りに描かれた人々とは全く違うのです。ミケランジェロは天才だということを、みんなにアピールするために、ラファエロは絵の真ん中に、ミケランジェロをどうしても描きたくなったんだと思います。」」


しかし、素朴な疑問が生じる。ラファエロがそんなにミケランジェロに入れあげたのなら、なぜプラトン=ダヴィンチに匹敵するアリストテレスの位置を与えなかったのか。Wikiを見ても、アリストテレスのモデルについて説明がない。

こちらのブログに書いてあったことが説得力がある気がする。つまり、

「その右隣がアリストテレスです。最初そのモデルはミケランジェロだったらしいですが、ダ・ヴィンチと並ぶのが嫌だった彼がラファエロにクレームをつけたそうです。それで、ラファエロは急遽、画面手前にミケランジェロをモデルとしたヘラクレイトスを加えたそうです。」

なるほど、それで、ミケランジェロはskoteinos(闇の=晦渋な=気難しい)として知られるヘラクレイトスに…。からかいつつも、その重要性はしっかり認め、違った形で中心的な場所を与える。ラファエロのようなしなやかな知性に見習いたいものです。

Monday, May 25, 2009

二人の哲人王(納富プラトンと藤沢プラトン)

プラトン関係は実に多い。

田中美知太郎『ソクラテス』、岩波新書、
藤沢令夫(のりお 1925-2004)『プラトンの哲学』、岩波新書、1998年。
納富信留(のうとみ・のぶる 1965-)『プラトン 哲学者とは何か』、NHK出版、2002年。

先の『ソフィスト』はよかったが、こちらの田中の本は正直いいとは思わなかった(冗長に思えた)。藤沢の書くものはいつも明晰な印象がある。納富さんのはこれまた素晴らしい。

例えば、藤沢も納富さんも、プラトン思想にとって「三十人政権」――ペロポネソス戦争でアテナイが敗北し、民主派と抗争してきた寡頭派が貴族制ポリス・スパルタの勢力をバックに樹立した政権で、クリティアスやカルミデスらプラトンの縁者が主要メンバーであった――が持つ決定的な意味を強調するのだが、この事件をどう描き出すかによって、深みが全然違ってくる。

藤沢さんのはこう。《この「三十人政権」は、スパルタの勢力をバックに独裁権力と化し、戦時中の非行者を処罰する仕事を拡大して、反対派や反対派の疑いのある者を次々と捕えて処刑するという、恐怖政治を現出させた》。

非常にオーソドックスな描き方である。そうではあるが、しかし、これだけのことであれば、なぜプラトンが後に『カルミデス』という掌編を書き、カルミデスやクリティアスを俎上に乗せたのかよく分からなくなる、とおそらく納富さんは考えた。

これに対して納富さんはこう描く。《プラトンは、同時代や後世の多くの人々のように、クリティアスを「悪人」として非難して切り捨てることはできなかった。それは、単に彼が身内であったからではない。クリティアスが政治に臨むにあたって抱いていた基本的な考えの多くを、プラトン自身も共有していたからである。(…)

若き日のプラトンがクリティアスに共鳴したのは、理想と現実の両面における政治への基本姿勢であったと考えられる。とすると、クリティアスが行なった政治の失敗とは何であったのかを問い直すことが、プラトンにとっては決定的な重要性をもったことになる。クリティアスの考えを吟味することは、プラトンにとってある意味で、自己の吟味に他ならなかった。》

藤沢さんの『国家』篇における「哲人王」の描出――「太陽」「線分」「洞窟」の三大比喩の手際の良い紹介――はさすがだが、「哲学と政治」といった場合の「政治」があまりにも薄いのはまさに以上の点に関係していると考えざるを得ない。

しかし納富さんの本にも瑕疵がないではない。「対話」「現実」「生」と題された三部構成のうち、第二部「現実」で『カルミデス』、第三部「生」で『ソクラテスの弁明』を中心的に取り上げるのであれば、結局「哲人王」思想に至るまで――一応『国家』も引用されている――、至ってもなお、プラトンは「父」離れ(乳離れ?)していないことになる。それは彼が最後の節のタイトルを「ある絶対的なものとの出会い」としていることからも明らかだ。

《プラトンは、ソクラテスという絶対の視点から現実を見ることを知ってしまった。それは、哲学から生を見つめることであった。》

「私がこれから書くのは、〈プラトン〉という名の下にさまざまに語られる思想ではなく、プラトンその人、その生である」。それはよい。問題は、納富プラトンがあまりにソクラテスと近すぎることにある。これでは、イデア論もソクラテスという絶対の視点から引き出されることになってしまわないか。この点は、藤沢プラトンが「ソクラテス的基層」と呼ぶものからいかにテイクオフしていくのか――『饗宴』で初めて登場するイデア論をソクラテスがディオティマからの伝え聞きとして語るのは、プラトンがここにためらいがちな自らの思想の第一歩を記しているのだ――を手堅く描いていて説得力がある。

Sunday, May 24, 2009

お答え4(ベルクソンとハイデガーにおける哲学史の読み直しという作業)

日哲発表後の共同討議でのコメントも採録しておく。ちなみに、これは私が博論のある註で記した内容を簡略化したもの。これを別様に展開したエッセイとして次のものも参照されたい。

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「哲学史を読み直す」という主題でさまざまな興味深い論点が提出された今日の共同討議では、たびたびベルクソンとハイデガーの名が挙がりました。二人はかなり異なる形で哲学の歴史と向き合い、ひいては「ことば」そのものとかなり異なる姿勢で接してきたわけですが――「哲学史を読み直す」という営為は、「言語」の問題と格闘するという営為と切り離せません――、考えてみれば、そもそも二人の哲学する根本気分(Grundstimmung)そのものが違うのではないかと思います。

ハイデガーは有名な『形而上学の根本諸概念――世界・有限性・孤独』(フライブルク大学における1929-1930年冬学期講義)において、ノヴァーリスによる哲学の定義――「哲学とは本来郷愁(Heimweh)であり、随所に、家に居るように居たいと欲する衝動である」――を引きつつ、こう語っています。

《哲学はある根本気分において生起する。哲学的概念把握はある感動に根ざしており、この感動はある根本気分に根ざしている。》

続きは各人で読んでいただくことにして、ハイデガーにおける哲学することの根本気分が「郷愁」であることは、彼の哲学史の読み直しの作業――かつてVorsokratikerと呼ばれ、現在では「初期ギリシア哲学者」と呼ばれる者たちへの執拗な回帰――、そして彼の言語観――言語は存在の家である――と直接的に結びついています。

では、他方で、ベルクソンにおける哲学することの根本情動は何でしょうか。繰り返し語られるそれは、快楽(plaisir)とは区別された歓喜(joie)です。例えば、「哲学的直観」という論文末尾の有名な一節にはこうあります。

《生活の利便にのみ向けられた応用によって、科学は私たちに快適を、せいぜい快楽を約束してくれます。しかし、哲学は、すでに歓喜を私たちに与えてくれます。》

他にも幾らでも例を挙げることができることは、ベルクソン研究者なら周知のことですし、この「歓喜」が時として――とりわけ「神秘的直観」と結びつく場合には――「狂喜」に近いものとなることも戸島先生が指摘された通りです。

むしろ私が指摘しておきたいことは、この根本情動が、先のハイデガーの場合と同じように、と同時に正反対の方向に、ベルクソンを哲学史、そして言語の問題へと向かわせるということです。すなわち、ベルクソンにおける哲学することの根本情動が「歓喜」であることは、彼の哲学史の読み直しの作業――科学の歴史と密接に絡み合ったものとして描き出されるそれ――、そして彼の言語観――言語は生成変化の交通手段(transport)である――と直接的に結びついている、ということです。郷愁や回帰ではなく、歓喜であり前進(marche en avant)なのです。

以上が、ベルクソンとハイデガーにおける哲学史の読み直しという作業について、私であれば言うであろうことのごく簡単な概要です。

Saturday, May 23, 2009

ソフィストの時代――哲学教師と哲学者の狭間

日本有数のフェティシズムの専門家が偶然、私がずいぶん前――八年前!――に書いたポストを読んでくださる。ありがたいことですが、ブログなんて信じてはいけません(笑)。

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ここしばらく西洋哲学史の授業準備のために、ほとんど新書ばかりだが、古代哲学関係を読み漁っている。

斎藤忍随(にんずい 1917-1986)『知者たちの言葉――ソクラテス以前』、岩波新書、1976年。

ヘラクレイトスとエンペドクレス、デモクリトスを集中的に扱った好著。各セクションの冒頭に哲学者たちの言葉を引いておき、その注釈(多く非ハイデガー的な)という形をとっているのも好感が持てる。

ソフィスト関係
・田中美知太郎(1902-1985)『ソフィスト』(初版1941年)、講談社学術文庫、1976年。
・廣川洋一(1936‐)『イソクラテスの修辞学校――西欧的教養の源泉』(初版1984年)、講談社学術文庫、2005年。
・廣川洋一(1936‐)『ギリシア人の教育――教養とはなにか』、岩波新書、1990年。
・ジルベール・ロメイエ=デルベ『ソフィスト列伝』、文庫クセジュ、2003年。
・納富信留『ソフィストとは誰か』、人文書院、2006年。
・納富信留「ソフィスト思潮」、『哲学の歴史』第1巻所収、中央公論新社、2008年。

納富先生のは、パースペクティヴの取り方が実に素晴らしい快著である。何が素晴らしいと言って、「ソフィスト」をヘーゲルのように「真の哲学誕生に至る重要な一契機(前段階)」としてでも、ニーチェのように「反哲学」の英雄として取り上げるのでもなく、「著名な哲学者の生涯や思索を取り扱う場合とは大きく異なる意義をもち、異なる接近を必要とする」ものとして描き出すというパースペクティヴが素晴らしい。私たちが「大学の哲学関連の教師」ないしは「哲学研究者」と「哲学者」の狭間にいるという現実から往々にして目を背けながら、他方で、グローバリゼーションや資本主義やその他諸々の「ソフィスト」的現実を容易に批判する傾向があるだけに、このパースペクティヴはいっそう際立つ。

《私たちも、自身がソフィストである可能性に直面しながら、それを批判し自らが哲学者となることによってしか両者の対は明らかとならない。ソフィストとの対決は、哲学の成立をかけた争いなのであり、その主役は、あなた、そして、私自身なのである。ソフィストとは誰か、それは、私たち自身の生の選択において哲学問題となる。》

田中美知太郎のは、納富先生の本から教わったのであるが、初版が戦前=1941年のものであることに注目されたい。これも実に良書でした。

《さきにソピステースの徳育や弁論術が、別に我々から軽蔑されたり、嘲笑されたりするようなものではないことを述べた。無知は彼らだけのことではなく、むしろ我々においていっそう暗黒だからである。誇張された言葉で正邪善悪を云々する声は天下に満ち満ちているけれども、我々はそれが何であるかを深く考えたことはないのである。》

廣川氏のは、狭義の「ソフィスト」というより、イソクラテスを代表とする「古代の修辞家」を通して「教養」とは何かを考えるというもので、これはこれで重要な問題である。

《ギリシャ的教養における二つの理念は、哲学思想の領域では、道徳的・実践的な価値が学問・知識の対象とならないことを主張し、人間の行為や生き方に関わる問題を厳密な学知――数学・幾何学などに代表される――と同列に考えることを否定する立場(イソクラテス)と、実際生活における言論と行為の指針となるべき価値の規範もまた、あるいはむしろこれこそ最もよく厳密な学知として把握されるべきものとする立場(プラトン)として理解することができるだろう。》

氏が新書の序文でアラン・ブル-ムを引いていることからも端的に窺えるが、「ソフィスト」にせよ、「修辞家」にせよ、《哲学と大学》を考えるうえで大変興味深い。

Friday, May 22, 2009

お答え3(場所の記憶、記憶の場所)

6)発表の第一部の総題が「場所の記憶」と題されているのは何故か?

知覚とは知覚の場所であるということがベルクソンの純粋知覚論において決定的に重要である。しかし、純粋知覚論が記憶理論による補完を要請するものである以上、実際には、つまり『物質と記憶』全体の理論的な布置としては、最初から記憶の問題系のほうへ方向づけられている。したがって厳密には、知覚とは知覚の場所の記憶である。「幻影肢」の例が重要であるとともに、おそらくはベルクソン哲学の枠内では扱いえない理由がここにある。これについては拙論(「現象と幻想――ベルクソンのデジャヴとメルロ=ポンティの幻影肢」)を参照されたい。


7)第二部の総題で言われている「記憶の場所」とは、引用10で記憶に対して「日付」と共に与えられている「場所」と同じものと考えてよいのか?

まず引用文を再現しておこう。

「意識と同じ広がりを持つこの真の記憶は、我々の諸状態が生じるにつれて、そのすべてを留めおき、それぞれを次々に並置するのだが、その際この記憶は、各々の事実に場所(place)を与え、それによって日付(date)を刻む。[運動的・習慣的]記憶のように不断に再開される現在の中でではなく、決定的な過去の中でまさに現実に活動している(se mouvant bien réellement)」(MM, III, 168)。

「真の記憶」は、「各々の事実に場所を与え、それによって日付を刻む(laissant à chaque fait sa place et par conséquent lui marquant sa date)」と言われている。ここで記憶は、事実に場所を与えるものとされている。この議論を「言い方」「比喩」にすぎないと考えるなら、私の発表は単なるソフィスムである。

記憶が日付をもった取り替えのきかない記憶に場所を与え、空間を下から支える(sous-tendre)のでなければ、我々が現実の知覚世界と捉えているものの大半は成立しない。記憶は事実に場所を与えることで、自ら場所をもつ=生起する(avoir lieu)。二つの「記憶の場所」は密接に関係しているが、厳密に同一のものではない。知覚論がextension概念に、記憶の議論がtension概念に収束し、そのキアスムのうちにベルクソン的場所論――私が「内在的論理学」と呼び、「超図式論」と呼ぶもの――が描き出されている。

Thursday, May 21, 2009

スーリエ『共和国の哲学者たち――『形而上学・道徳雑誌』(RMM)とフランス哲学会(SFP)の知的冒険(1891-1914)』

友人のlfが自分の書いた紹介文を教えてくれたのでご紹介。

ステファン・スーリエ『共和国の哲学者たち――『形而上学・道徳雑誌』(RMM)とフランス哲学会(SFP)の知的冒険(1891-1914)』、クリストフ・プロシャッソン序文、レンヌ大学出版局、2009年。

Stéphan Soulié, Les Philosophes en République - L'aventure intellectuelle de la Revue de métaphysique et de morale et de la Société française de Philosophie (1891-1914), préface de Christophe Prochasson, Presses universitaires de Rennes, 2009. 18 €, 627 pages, ISBN : 978-2-7535-0756-2

レンヌ大学出版局(PUR)のサイト上で、イントロダクションを読めます。


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RDV à la RMM

L'auteur du compte rendu : Laurent Fedi, ancien normalien, agrégé de philosophie et docteur de la Sorbonne, est l'auteur de plusieurs ouvrages sur la philosophie française du XIXe siècle, parmi lesquels Le problème de la connaissance dans la philosophie de Charles Renouvier (L'Harmattan, 1998) ou Comte (Les Belles Lettres, 2000, Rééd. 2006).

A la fin du XIXe siècle, on assiste en France à une renaissance des études philosophiques et à une expansion institutionnelle sans précédent.

La vocation civique et pédagogique de la philosophie contribue à façonner autour de 1900 une nouvelle figure du philosophe universitaire. En même temps, la redéfinition de la mission de la philosophie comme structuration de l’espace public donne une impulsion au monde des périodiques. Lorsque, en 1891, Xavier Léon et Elie Halévy décident de créer leur revue, qui voit le jour en 1893 sous le nom de Revue de métaphysique et de morale, ils ne sont affiliés à aucun courant de pensée déterminé, si ce n’est au rationalisme de leur professeur du lycée Condorcet : Alphonse Darlu. Ces jeunes gens issus de la bourgeoisie juive cultivée, à l’abri du besoin, s’entourent de contributeurs réguliers, anciens condisciples ou amis. L’esprit de discussion domine, et devient une véritable pratique philosophique. Puis le cercle s’élargit, et la revue devient un lieu d’échanges interdisciplinaires et même d’échanges internationaux, avec le premier Congrès international de philosophie, en 1900. Une communauté philosophique prend forme et se concrétise par la création, en 1901, de la Société française de philosophie (SFP).



C’est cette aventure intellectuelle que Stéphan Soulié reconstitue dans cet ouvrage qui illustre la vitalité actuelle de l’histoire culturelle appliquée à la «République des professeurs», un domaine balisé, entre autres, par Christophe Prochasson (le préfacier), Jean-Louis Fabiani, Christophe Charle et Dominique Merllié. La principale qualité de ce travail tient sans doute à la manière dont l’auteur tire parti de la masse des archives dépouillées, pour nous faire assister d’aussi près que possible à la genèse de cette activité éditoriale, éclairée dans ses aspects les plus concrets, et nous faire vivre cette dynamique de «socialisation» du travail philosophique autour de 1900. L’organisation de la production philosophique est saisie sur le vif, et cet éclairage contextuel amène une compréhension plus fine des enjeux théoriques. Si la parole philosophique se rattache à des lieux qui la font exister et lui imposent aussi des conditions objectives d’élaboration, on peut dire que cet excellent livre nous invite dans ces lieux et nous en fait découvrir les secrets.


La philosophie était concurrencée et menacée d’éclatement par l’autonomisation des sciences humaines et par la spécialisation des savoirs. Dans ces conditions, défendre la «métaphysique» signifiait prendre position contre le scientisme et pour l’indépendance de la philosophie en tant que recherche d’une vérité supérieure et remontée réflexive vers la région des principes (une conception bien représentée par l’idéalisme critique de Léon Brunschvicg). Défendre la morale, d’autre part, c’était suggérer l’influence de la raison pratique sur le réel et la société, et mettre ainsi en valeur l’horizon civique de la philosophie.


L’inscription sociale et politique de ces philosophes est d’ailleurs largement démontrée dans cet ouvrage. Des attentes républicaines de la bourgeoisie juive parisienne à l’engagement dreyfusard de certains intellectuels comme Darlu (un professeur discret mais influent, modèle de rigueur et de droiture pour la jeunesse), sans oublier Couturat qui milite pour une langue internationale, S. Soulié montre la RMM proche des questions d’actualité (une rubrique y est d’ailleurs consacrée aux «questions pratiques»). On découvre avec intérêt la personnalité de Xavier Léon, à la fois animateur d’un salon philosophique où la libre conversation échappe aux excès d’une institutionnalisation desséchante, et habile médiateur qui utilise son entregent pour renforcer la position de la philosophie dans les institutions d’enseignement (bien qu’il n’ait jamais été lui-même fonctionnaire de l’Instruction publique). L’auteur insiste sur la figure du philosophe sociable. Cette petite république philosophique, avec ses revues et ses congrès, pouvait symboliser une cité idéale, harmonieuse et pacifiée, fondée sur une éthique de la discussion réglée.


Techniquement, les fondateurs de la RMM et de la SFP règlent l’échange discursif en fixant un nombre limité d’intervenants, en mettant en débat une question précise, en excluant les réactions bassement polémiques et en cherchant à clarifier les points de divergence au lieu de viser un impossible consensus. La RMM accueille une pluralité de talents philosophiques : des spiritualistes et des sociologues, des rationalistes et des philosophes catholiques, des bergsoniens et des anti-bergsoniens. Ce parti pris pluraliste, parfois difficile à assumer (voir les frictions provoquées par le sectarisme d’Alain), permet des dialogues féconds, par exemple entre métaphysiciens et sociologues (Bouglé, Lapie et Parodi ayant joué un rôle de passeurs plutôt efficace). Le rôle régulateur et modérateur joué par Xavier Léon est bien mis en évidence, notamment dans la querelle du bergsonisme. Régulation, censure informelle : tout cela apparaît quand on se penche sur les recensions, mais mieux encore quand on pénètre, comme le fait l’auteur, dans ce qu’il appelle joliment le «clos des correspondances». Le discours de revue, codifié et diplomatique, laisse en effet échapper des enjeux qui se manifestent plus catégoriquement dans les échanges privés. «On peut ainsi saisir la parole philosophique sur ses marges, au point de contact entre discours technique et représentations extra-discursives» (p.259). La socialisation du travail philosophique pose la question d’une production collective de la vérité. Parmi ses résultats les plus visibles, il y a la constitution de l’épistémologie, un domaine qui doit beaucoup à la collaboration entre philosophes et savants. S. Soulié note à juste titre que Poincaré, Milhaud, Le Roy, ont largement développé leur vocation philosophique grâce à cette nouvelle organisation du travail réflexif. Il y a aussi le Vocabulaire technique et critique dont la rédaction, supervisée par Lalande, s’étale sur vingt ans : une entreprise collective de clarification de la langue philosophique qui répond au besoin d’une communauté savante en voie de constitution. Malgré ces réussites, les contributeurs de la RMM n’ont pas réalisé complètement leur ambition. Leur intellectualisme incarne une position plutôt défensive et contraste avec le succès du bergsonisme qui atteint des domaines très divers et fait de l’ombre à la philosophie traditionnelle. L’auteur s’interroge sur les raisons de ce demi-échec et rappelle que de nombreux contributeurs étaient spécialisés (Couturat en logique, Bouglé en science sociale…). Effectivement : si le programme de la revue était doctrinalement ouvert, la volonté de structurer une communauté philosophique sur le modèle des communautés scientifiques impliquait un cadre essentiellement universitaire. Cette orientation de la philosophie vers une pensée professionnelle, pourrait-on ajouter, faisait écran aux nouveautés qui n’étaient pas solubles dans l’institution, comme la pensée nietzschéenne, introduite en France principalement par le canal de revues littéraires…Laurent Fedi( Mis en ligne le 19/05/2009 )


Wednesday, May 20, 2009

お答え2(経験の転回点)

2)レジュメの中に「経験の自己転回(経験一般から人間的経験へ)」とあるが、これは有名な「経験の曲がり角」の一節を指しているのか。

そのとおりです。

「しかしまだひとつ最後の企てを試みねばなるまい。それは、経験をその源泉にまで求めに行くこと、といううよりはむしろ、経験が私たちの実利のほうに屈折して固有な意味の人間的経験になるその決定的な曲がり角を超えたところまで、それを求めに行くことであろう。カントが証明したような思弁的理性の無力は、根本的にはおそらく、身体的生活の必要に隷属した知性の無力に他なるまい」(強調ベルクソン)。


3)ちなみに、関連していると思うのでmurakamiさんの疑問にもここでお答えしておきます。「
hfさんがイマージュの自己生成の局在化時に出現するのが(カント・フッサール的)超越論的な主観性だというのに対し、戸島先生は、現にできあがった世界(という仮象)の手前で、それを生み出す「生成する実在」に視点をとるという話し(という風にぼくはお二人を理解した)。ドゥルーズの名前が出てこなかったがやはりドゥルーズなのだろうか。」

経験の折りたたみから人間的経験、したがっていわゆる「感性のアプリオリな形式」も含め、あらゆる「理念的なものの発生」の可能性が開けてくる、というとたしかにドゥルーズもそのラインである(というか、ドゥルーズがベルクソンから影響を受けているというだけの話だが)。しかし、違いも間違いなくある。この違いが私の昨年のベルクソン国際シンポでの発表の主題(「ドゥルーズかベルクソンか。何を生気論と認めるか」)であった。そのときの論文も含め、いずれ公刊されるので、ここではごく大雑把に言えば、ドゥルーズはサルトルの「非人称的な超越論的領野」のほうに近く、『物質と記憶』を読む時もそのラインで読んでいる。そしてまさにここに違いが生じるわけです。


4)「一気にd'emblée」という言葉が「持続の相の下に」という意味になるのはなぜか


「知覚や記憶の中に一気に身を置く」という繰り返される表現の中の「一気に」という語は、瞬間的な時間の短さを示しているのではなく、むしろ位相の断絶を強調しており、その語源的な意味「in volareその中を飛ぶ」ととったほうがよい。哲学的直観の中で捉える、したがって「持続の相の下に」いる。


5)レジュメには「『物質と記憶』第1章の純粋知覚論における身体図式、潜在的行動としての知覚、そして第4章のextension概念を通じて、カント的空間とは異なる「知覚の場所」が描き出される」とあるが、「知覚の場所」という必要があるのか。単に「知覚」ではダメなのか?

本発表の強調点は、「純粋知覚」とは「知覚が置かれること」であり、「純粋記憶」とは「記憶が置かれること」であり、「イマージュ」とは「措定そのもの」であるという点にある。引用した一文、

「身体が宇宙の中で絶えず占めている場所(place)によって、我々の身体は、我々がそれに対して働きかけうる物質の諸部分と諸様相を表示する。」

はこのことをよく示している。「知覚」とは「知覚の場所」のことなのである。

Tuesday, May 19, 2009

生まれ来る子供たちのために(国公立大の授業料を引き下げよう!)

勝間和代のクロストークより。

「国公立大の授業料を引き下げよう!」(5月17日)

付けられたコメント(勝間さんによって選ばれたもの)も賛否いろいろだ。それらのほうもよく読んでほしい。

「国の施策は、少子化を解消しようと出産から幼少期までの手当てを厚くするものばかりが目につきますが、本当にお金のかかるのは中学以降であり、この世代で運悪く親が失職してしまえば、進学はかなり難しいものとなってしまいます。」

Monday, May 18, 2009

お答え1(純粋記憶の無為)

昨日の発表後に、あるいは私的に出た質問に答えておこう。

1)ベルクソンは記憶は消滅しないと言っているようだが、世話をしてくれる子供も忘れている痴呆症の老人に若年期の記憶ばかりが鮮明に蘇ってくるのは、ベルクソンによれば、なぜか。

知覚と記憶の関係:我々は、火急の必要とは無縁の純粋記憶に対しては目隠し(遮眼革)を付され、直接行動に役立つ現在の知覚のほうに目を向けさせられ、競走馬のように生きている。夢想や夢、精神的な病気は、この目隠しが緩んだ状態で生じる。ここまではどの研究者も一致している。

私が今回の発表で強調した点の一つは、《純粋記憶が身体に対して完全に無力だとする説(知覚が能動性のすべてを握っているとする説)では、「内在的感性論」の後を受けているはずの「内在的論理学」の企図は十分に説明できない。純粋記憶は身体に対して完全に「無力impuissant」なのではなく、現在の直近の関心から絶えず逸れうる「無為désoeuvré」なのだ》ということである。

上の質問は私の意図に完全に合致する。知覚システム(脳・身体)自体が生から遠ざかろうとしている(痴呆)ときに、知覚が力を振り絞ってもう一度生に復帰しようとした時、「知覚の論理」からすれば、手近の最も火急の現在に必要な記憶(近親者の再認)であるはずではないか。なのに、そこにではなく、現在とは何の関係もない遠い過去(青春の日々)に戻ってしまうという事態を、「純粋記憶無力説」は説明できない。

私は純粋記憶は無力なのではなく、無為と解釈すべきだと考える(そのテクスト根拠は発表で提示した)。つまり火急の関心と結びつくわけではないが、かといって生とまったく無関係でもなく、潜在状態で滞留している純粋記憶にはやはり生気が宿っており、別の視点から生物に新たな生の一面を見させることに資するものだと考える。

先のケースに関する私の解釈はこうだ。知覚が純粋記憶を探そうとするのはいいだろう(純粋記憶は決して自分を「売り込み」はしない)。だが、どの純粋記憶がその呼びかけに応じるのか――「イマージュ想起」の可能性の条件――という部分で、火急の利害とは一見無縁の、しかし当の生命体にヴァイタリティを再付与し、生きる喜びを再び持たせようとする記憶が選ばれるには、「知覚の論理」から逃れた何かが必要である。つまり純粋記憶の無為が。青春の日々を思い起こすことは、現在の火急の必要にとっては迂遠で、無意味とも思われよう――大学における哲学教育、人文学教育、教養教育がそう見えるであろうように。

無為(désoeuvre)は決して無力(impuissance)ではない。ただ、火急の必要から逃れてぶらぶらしているのである。それは決して無意味ではない。ここに私はベルクソン哲学の重要な対立項として私がこれまでの論文で何度も強調してきたもの、すなわち「功利性utilité」と対立し、それを絶えず鋳直す「効力efficacité」があると見る――私が発表の最後に触れた時事問題は、もちろん私の私的な感想を超えて、ベルクソン哲学そのものと結びついているがゆえに言及したわけだ。

純粋記憶もまた、生命力の一部なのである限り、私がsur-vieと呼ぶものにほかならない。生命は種の保存に関わるだけではない。明らかに種を乗り越えて進もうとする過剰で、過激な側面を持っている。従って生命とはsurvie(生き残りを賭けた戦い、サバイバル)であるだけでなく、常にすでに既成のvie自体を乗り越えて(surréalismeのようなsur)進もうとする超‐生sur-vieなのである。

sur-vieはsurvieから見れば明らかに遠回りをしたり、無駄と思われることもする。実際、失敗も後退もするだろう。だが、それは決して「無意味」ではない。「無力」とも違う。

純粋記憶を身体に対して完全に無力と考えると様々な困難が生じる。特に、明らかに精神的な要素を色濃く持つ(「超意識」とも呼ばれる)エラン・ヴィタルとの関係はどう考えるのか。異なる理由からではあるが「純粋記憶無力説」に立つドゥルーズも、故・石井敏夫先生も、この点を説明できないように思われる。

Sunday, May 17, 2009

祭りの後

本日何とか無事に発表を終える。コメントを頂戴した方は勿論、会場にわざわざ足を運んでくださった方々、立ち見までしていただいた方々、「聴きに行けないけどごめんね」と気を遣って下さった方々、本当にありがとうございました。

非常にタイトな条件の中でつくったものとしては、話の「内容」はまあまあの出来だったと自分では思っている。少なくとも自分が今までに書いた『物質と記憶』論(博論の1つの章も含めて4つほど書いた)の中では最も遠くまで進み、少しずつではあるが全体像をすっきりと見通せるようになってきた。去年ブラジルでやった講演はポルトガル語にまで翻訳されたのだけれど、今読み返すと相当恥ずかしい。dmに悪いことをしてしまった。

今回の発表の問題は「形式」。まず、レジュメの形式。完全原稿コピーはどうしても嫌で――「聴く」という哲学的な体験を重視したいので――、各セクション毎に、1)話の流れの要約、2)引用、3)論点を配置。自分なりにすっきり整理したものをつくったつもりだったのだが、mk御大から「話はクリアでよかったが、レジュメが読みにくかった」と言われてしまった。

次に、口頭のパフォーマンス。やはり疲れていたり、寝不足が続いていたりすると、滑舌がいくぶん悪く、少し引っかかるところが何回かあった(でも元気な時は読み上げが早すぎると言われることもあるので、一長一短かもしれないが…)。

これは今回、文章のレベルが低かったこととも関係している。発表で「諸事物~」みたいな翻訳をそのまま使ってはダメだ。

理想はやはり一度聴いて(それも完全原稿のコピーなしで、レジュメか、引用一覧程度で)分かるようなもの。

ymさんからも「今日みたいな感じでやりたいんだったら、アドリブじゃないと」と言われてしまった。今までは読み上げ式でも聴きやすいように文章に工夫をしてきた(つもり)なのでそんなことをいわれたことはなかったのだが、今回はそのへんの努力が足りなかった。

就職後の研究スタイル、リズムを確立しないといけない。

Friday, May 15, 2009

いよいよ

学会発表は日曜日。授業準備に追われてここまでまったく準備ができなかったのだが、本当に大丈夫なんだろうか。初年度なのだから慎重にやめておこうという気持ちと、いやそんな中でも何とか研究を続けていけるように今から訓練しておかねばという気持ちのせめぎ合いで、結局チャレンジすることにしたのだが、さてどうなることか。

Thursday, May 14, 2009

説教と講演、そして講義

樋口和彦『聖なる愚者』(創元社、2002年)を読んだ。著者はユング派のプロテスタント。どこかで聞き覚えのある名前だと思っていたら、同志社大学神学部で36年間教えていたそう。もしかすると講演会とか聞いたことがあるのかもしれない。京都にいた学部生の頃は、実にいろんな分野の実にいろんな人の講演を聴きに行った。

《私は説教と講演とはまったく違うものだと思っている。しかし、一致しているところも多くある。どちらも話す人は一人で、聴衆はいつも黙って聞いている。それでいて、両方ともつねに双方コミュニケーションである。実際、話すこちらが下手でも、受け取る人々が温かく聞いてくれると、こちらもつい嬉しくなって、結果としては思ったよりよい話ができるようである。しかし、どうしてもあちら様がおよびでないときには、さっさと諦めて早々に切り上げるに越したことはない。

そうは思っても、準備をしていないときほど、もう一度聴衆を感激させたいと、下手な新米の飛行機の操縦士のように何度も何度も着陸を繰り返し、やがてだんだんと話がくどくなって、ついに終えられなくなり自滅することもある。これは、なんといっても悲惨である。

ただ、私の経験から言うと、講演では自分が「今日はうまくできた」と思ったときは、だいたい聴き手も喜んでくれているようであるが、説教はその反対で、自分が「うまくできた」と思ったときは、実は駄目なときである。むしろ「うまく言えなかった」とさんざんな思いで講壇を降りたときのほうが、あとから「よかった」と感じてもらえることが多いようで、これはまことに不思議なものである。その差はどこにあるのだろうか。

講演の目的は、自分の考えを人に上手に話すことであって、あくまでも自分が中心である。聞いている人も、その話を聞いて自分に何かが付け加わるから、得をしたようで嬉しいのである。しかし、どうも説教はそうではないようだ。

私は、説教は聴いている人の持っている何かを、つまりその人の拠って立つ自信のようなものを、ひとつひとつ取りはずしていくような作業だと思っている。その人のそれまでの人生で最も大切にしてきたものを、はずしていくのである。人が悪いと言えば、そうとも言える作業である。なにしろ説教は、自分が語るのではなく、「神が語る」のであり、神の声が人間の言葉の中から聴き取れなくてはならないからである。》(2‐4頁)

大学の「講義」は、いやより正確には、私の大学の「講義」は、説教なのだろうか、講演なのだろうか。少し考えてしまう今日この頃である。

Tuesday, May 12, 2009

カナダ

カナダの研究者と本を贈り合おうといって数ヶ月経つのだが、お互いに相手の本を受け取れないという奇妙な状態が続いていて困っている。

こちらの本が相手に届かないのは、お願いしていた先生がお忙しかったからで、それは仕方がないのだが、その後再三の催促(すみません…)によって郵送されたはずで、未だに届かないというのは分からない。

さらに分からないのは向こうの郵送物で、「すでに一か月前に出した」とメールをくれているので…。大学内で行方不明になっているのか?

Monday, May 11, 2009

ルターその4:ひとくちに「宗教改革の結婚論」といっても…

ひとくちに「宗教改革の結婚論」と言ってもさまざまである。周知のように、ルターが「95カ条の提題」を「城門に打ち付けた」(かどうかも議論の的なのだが)のは、当時城門が大学の掲示板代わりに用いられていたからであり、彼としては学術的な討論を呼びかけただけであった。

したがって、一般の人々の生活に直接的な影響を与えたという意味での「宗教改革」は、むしろカールシュタットやメランヒトン、アウグスティヌス隠修士会のガブリエル=ツヴィリンクといったヴィッテンベルクでのルターの同調者たちが、彼らなりの福音主義に基づいて具体的な改革運動を始めたことに端を発するのである。

結婚についても同じことで、たしかにルターはすでに「バビロンの幽囚」や「ドイツのキリスト者貴族に与える書」のなかで《結婚は神が制定したものであり、司祭が結婚することは神の意にかなうことだ》と主張してはいたが、司祭や修道士たちの結婚を実際に認め、奨励し、自ら実践し始めたのは、前述の急進的改革者たちだったのである。

司祭兼修道士であったカールシュタット自身が結婚したとの通知にルターは驚いた。《理論から過激で理論的には稚拙なものが生まれ、それが理論を追い越し、理論をあるいは後押しし、あるいはより精緻な方向へ、あるいは別の方向へ修正させる》という現象の一例であろう。

小牧治・泉谷周三郎『センチュリーブックス(人と思想9) ルター』(既出)にこうある。

《ルターにとって、敵は、教皇側の勢力だけではなかった。ルターに同調した人々のなかからは、まだ急進主義的傾向は消えていなかった。いやむしろ強まっていた。カールシュタットは、ヴィッテンベルクを追われて、オルラミュンデの教会に移ってから、ますます急進的になっていった。彼は幼児洗礼をやめ、聖徒の画像と教会音楽を非難し、ミサにおけるキリストの現在を否定し、牧師に結婚を義務づけるにいたった。こうしたカールシュタットの急進主義は、ルターには、人間の内面を軽視し、外面的なものを過度に重要視する新しい律法主義のように思われた》(93頁)。

Sunday, May 10, 2009

ルターその3:結婚テーブルトーク(十字架としての結婚)

引き続き宗教改革における結婚論。宗教改革と結婚が深い関係をもっていることは、大学人程度の教養があれば誰でも知っている。後はそれをいかに深められるか。日々是努力。

まず、ルターを英雄的な改革者にしすぎず、しかし着実に新しかった「世俗化」的な側面を見落とさないよう、警戒しておく必要がある。彼による結婚の「宗教改革的転回」の意味を見定めるためには、次のような「亭主関白」(笑)と同時に子供への目線も心にとめておく必要がある。「子供」に対する視線がパウロの結婚論にほぼ欠けていたことを想起しよう。

《ルターの夫婦観は、ドイツ人らしい「亭主関白」であった。彼によれば、夫は妻の頭であり、妻は夫を愛し、その命令に服従すべきである。もちろん夫は妻を親切に指導すべきであるが、夫は根本的には妻を支配すべきであった。これは当時としては一般的な夫婦観であった。

ルターは結婚して、結婚が神の恵みであると感じた。彼は語っている。「わたしは全世界のすべての教皇の神学者よりも富んでいる。なぜなら、わたしは満ち足り、そのうえ結婚によってすでに三人の子供を与えられたが、教皇の神学者たちは子供を与えられていないからである」》(小牧治・泉谷周三郎『センチュリーブックス(人と思想9) ルター』、清水書院、1970年、101頁)。


ここで、ローマ的結婚とは異なり、子供は家系の維持のためのものと考えられていない(ように見える)。

*

スティーヴン・F・ブラウン『〈シリーズ 世界の宗教〉 プロテスタント』(原書2001年、五郎丸仁美訳)、青土社、2003年。
藤代幸一編訳『ルターのテーブルトーク』、三交社、2004年。

前者は味もそっけもない概説書の典型である。が、苦痛をおして読む。努力とはつまらないものを我慢して読むことでもある(ほんとの努力は「考える」ことだけどね)。面白いものばかり読むのを努力とは言わない。

後者は、「在来の『卓上語録』にまつわるイメージから脱却し、新しい時代、新しい読者に対応できるように」、編集部からの提案でTischredenを「テーブルトーク」としたそうだ(「あとがき」、277頁)。最初ギョッとしたが…。中身は、徳善氏の本より「人間臭い」ルターの「原典による信仰と思想」という感じ。結婚についても、もちろん一項が割かれている。

が、結婚に関するルターのテーブルトークの数々は、冗談のつもりだったのか、周りのレベルにあわせたのか、率直に言って言葉が汚く("furtz lecher"(屁の穴)!)、理論的な中身としても、パウロ的視座――姦淫や売春に対する「良薬」としての結婚――とさほど変わりがない。

《そもそもキリスト教徒でありたいと願うわれわれは、聖パウロも「神は淫ら者や姦淫する者を裁かれるのです」(「ヘブライ人への手紙」13:4)と言うよう に、神の言葉に公の命令を見ている。(…)神の慈悲による良薬は、結婚ないし結婚生活に入るという希望である。しかしながら売春を罰せずに大目に見たら、結婚生活という薬や希望をなぜ必要としようか?》(6924←ワイマール版ルター全集中の卓話の通し番号)

『テーブルトーク』の中では、次のような宣言が唯一いわゆる「ルター的」な結婚観をほんのわずか垣間見せるものであった。やはり彼の論文(前出)を読まないといけない。

「神は結婚生活の上に十字架をつくられた。そしてその上には、教皇と悪魔は結婚生活に敵意を抱いているとの言葉が響き渡る」(1008)

Saturday, May 09, 2009

ルターその2:ヘッセンのフィリップの重婚問題(約束、誓いの重要性)

ルターの結婚観を語る上で、「ヘッセンのフィリップの重婚問題」は一つの試金石となるだろう。例えば、カルヴァン派と思しき論者はこう言う(後に見るように、この本はいろいろ教えてくれるが、それはカルヴァンの結婚論についてではない)。

《結婚を否定する形式主義との戦いはなされたが、結婚そのものの意義がそれによって積極的に打ち立てられてきたわけではなかった。一つの例にルターの場合がある。ルターは一修道女と結婚し、平和で敬虔な家庭を作った。それはプロテスタントの家庭生活の模範といってもよい。だが、彼は結婚についての明確な理念や理想を持っているわけではなかった。彼の保護者であり、プロテスタント諸侯の旗頭であるヘッセンのフィリップが、妻をもう一人持とうとしたとき、ルターは反対ができなかったのである。それは、権力者に頭が上がらなかったからではない。ただ、積極的な結婚観がなかったため、誤った結婚観を是正できなかったのである》(渡辺信夫『センチュリーブックス(人と思想10) カルヴァン』、清水書院、1968年、78頁)

しかし、日本のルター派の本丸『ルターと宗教改革事典』(既出)はこの間の経緯をこう説明する。

《ルターは、結婚のサクラメント化や、独身が功績とされること、近親結婚の禁止に洗礼の名親まで含めるようなことには反対したが、その他の多くの点ではそれまでの戒めを踏襲した。当時ヘンリー8世の離婚および再婚の問題があり、それを理由にイングランド教会はローマ教会から独立(34年)したが、ルターはその離婚に反対した。彼は約束を重視して離婚を退け、問題のある場合に「離婚よりも重婚を選ぼうと思うほど」だと述べた(「教会のバビロン捕囚について」、同第3巻)。しかしヘッセンのフィリップの重婚問題(40年)では、ルターをはじめ改革の陣営の者たちが了解を与えたということが明らかになって、非難を受けた。ルターは懺悔を聴く牧師として、良心の悩みに対する秘密の勧告のつもりであったし、またフィリップについての充分な情報も持っていなかった。いずれにしても、ルターは公に重婚について反対の書を著し(42年)フィリップはそれによってシュマルカルデン同盟の指導的役割から脱落した》(112頁)。

だが、この弁護も少し苦しいだろう。私見では次のものが一番穏当だが、理解すべきはまさに「いろいろと考えた末」に「いいかげん」であった理由なのだ。

《ルターの晩年に、ヘッセンのフィリップに重婚問題が起こった。ヘッセンのフィリップは19歳のときゲオルク公の娘と結婚したが、その後も女性関係が乱れていた。しかし福音主義者になってからは、良心の呵責を感じて、聖餐に臨めないほどだった。当時フィリップは一人の女性に愛情を感じ、結婚することを望んだ。しかし彼には妻があった。それでフィリップはこの問題についてルターに相談した。

これに対してルターは、離婚は姦淫の理由以外には認められないと考えた。そしていろいろと考えた末、旧約聖書のダビデやソロモンの例に倣って、フィリップが第二夫人をもつことは良心に恥じることではないと忠告した。

だが、当時の国法は、第二夫人を禁止していた。それゆえ第二夫人との結婚は秘密にされなければならなかった。ところが新しい花嫁の母が秘密にすることを拒んだので、事件が世間に知れ渡ってしまった。それでルターは、フィリップの相談を受けたのは懺悔室の中だったと嘘をついた。その嘘もばれて、ルターの評判は著しく悪くなった。この重婚問題に対するルターの態度はたしかにいいかげんであった。この点でルターの態度が人々の非難を浴びたことは当然のことと思われる。

また、この事件は、ルターの評判を落としただけでなく、福音主義の運動にも悪い影響を与えた。というのは、フィリップは、そのあとで、皇帝から許してもらう条件として、シュマルカルデン同盟に新しい諸侯を加入させないと約束したからである。フィリップはこの同盟の中心人物であっただけに、この約束は不幸な政治的影響をもたらした。》(小牧治・泉谷周三郎『センチュリーブックス(人と思想9) ルター』、清水書院、1970年、110-111頁)。

ルターの結婚論の中に混乱したものがあったのか、ad hominemに語っていたということなのか。ルター自身をもっと読まないと分からないが、時間がとにかく足りない。 いずれにしても、約束、誓いの問題が結婚論の一つの核心であることだけはたしかである。

Friday, May 08, 2009

宗教改革における結婚論(ルター)

結婚論、パウロの次は、1500年ほど飛んでしまうのだが、前期ですべて終わらせねばならないので、仕方がない。次に重要なモーメントは勿論、「宗教改革」である。手近な本(大学図書館にある本)ばかり読みあさる。

最も役に立ったのは、
日本ルーテル神学大学ルター研究所編『ルターと宗教改革事典』、教文館、1995年の「結婚と家庭」の項(110-113頁)

および
徳善(とくぜん)義和『マルチン・ルター――原典による信仰と思想』、リトン、2004年の「結婚」の項(200-203頁)である。

前者では、ルターの大きな功績は、教会聖職者の独身制の批判と結婚の秘蹟化の批判であったが、他の多くの点では急進的すぎることはなかったと簡潔にまとめられ、後者ではそれが原典で読める。

本来はこちらを読まないといけない。ルターの関係主要著作:
「キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト者貴族に与える書」(1520年)、『ルター著作集』第1集第2巻、聖文舎。 「修道誓願について、マルティン・ルター博士の判断』(1521年)、同第4巻。 「ドイツ教団の諸君に、誤った貞潔を避けて、正しい貞潔を選ぶことを勧める」、同第5巻。 「結婚問題について」、同第9巻。

このトピック長くなります。

Thursday, May 07, 2009

二人の中期プラトン(藤沢説と池田節)

哲学史の授業のために、プラトンに関する本を幅広く読んでいる。池田晶子『考える人――口伝(オラクル)西洋哲学史』(初版1994年、中公文庫1998年)さえも。

私は池田のような文体、哲学する姿勢が基本的には好きではない(理由は省略)。しかし、中身に関して面白いと思えばいつでも取り入れるという気持ちだけは持っていたいと思う。また、今、自分が教えている場所にあっては、彼女のようなスタイルこそが求められているのではないかという気持ちも常にどこかで持っていたほうがいいのだろう。

例えば、藤沢令夫が『プラトンの哲学』(岩波新書)で描く初期プラトンから中期プラトンへの変化は、おそらくオーソドックスだと思うのだが、あまりにも「まっとう」すぎる(これは文句ではない)。かといって、以下のような池田説にどれほどの思想性があるかというとこれはかなり怪しいが…。しかし何かある気もする。

藤沢説(せつ)の核心は「中期プラトン=ソクラテス的問答法の延長線→イデア論のプラトンへ」
池田節(ぶし)の核心は「中期プラトン=ソクラテス的産婆術との訣別→エクリチュールのプラトンへ」

どちらが正しいのか。あるいはどちらもが正しいとして、どのように両立するのか。

*

≪若きプラトンが描いたと思われる初期の対話篇『ソクラテスの弁明』や『クリトン』におけるソクラテスという人物は、ふてぶてしくはあるが、しかし毅然とした人物として描かれている。法廷で弁じられる「正義」をめぐる論説、牢獄での老友クリトンとの最期の対話は、その場面設定の劇的(ドラマティック)さによって、若きプラトンにとってソクラテスという人間の生涯とその終幕が、それだけで衝撃だったことを物語っている。プラトンはこの巨大で異様な人物を仰ぎ見、そして決意したのだ。彼の言行を記し遺すべし、と。

ところが、中期の著作群と目されるものを見ると、ソクラテスの立ち居振る舞いが、妙に戯画的になってくる。『ゴルギアス』に見られるように誰の目にも明らかに「食えない」やりとりをしたり、あるいは『饗宴』では偏執的とも言えるほど論理的に語る一方で、美少年を追いかけまわすというユーモラスな対比を見せる。平然と毒杯を仰いだ神々しいソクラテスが、やたら騒がしいソクラテスに変わるように思われるのだ。

描くプラトンの何が変わったのか。いや、こう問うべきだろう。今やはっきりと現れてきたプラトンのプラトンらしさとは何か、と。文章家プラトンは、生涯を通して、認識と創造、論理と詩、つまりは哲学と芸術の間を揺れていた。揺れつつ両者を統合し、あれら美しくも逞しい哲学の文体を自身のものとしえたのだ。

師とは別の道を通って同じ真理を表してみせようという、一弟子の決意表明。プラトンは、ソクラテスの論理に導かれて真理に開眼し、同時に、その「産婆術」の厳密さゆえの限界も見て取った。論理が認識にもたらすものは、論理によってもたらされるもの以外では決してない。しかもそれが、人生と社会に役立つものに限られるならば、私たちの精神の豊穣な側、例えばホメロスの絢爛たる物語に惹かれるこの心は何だ?――プラトンは、いわば師のうわまえをはねた。論理と心中した男の姿を文章で物語ることで、彼が生きた以上にその真理を表現してやろうと決めたのだ。

中期の大作『国家』。思想を軸にした堅固な構成に支えられ、旺盛に論じまくるソクラテスは、もはやソクラテスであってソクラテスではない、あるいはソクラテスでなくてもよい。認識しつつ創作する、書くことが楽しくて仕方がない。≫

Wednesday, May 06, 2009

持参金って…

まあ、おそらく人文系の恩恵はほとんど無いとは思うが…。

<ポスドク>1人採用で5百万円…文科省が企業に「持参金」
5月6日11時46分配信 毎日新聞

 博士号取得後に任期付き研究員(ポスドク)として大学や公的研究機関で働く人たちの民間企業への就職を増やそうと、文部科学省が、ポスドクを採用した企 業へ1人につき500万円を支給する。国策としてポスドクを増やしながら受け皿不足が指摘される中、「持参金」で企業側の採用意欲を高める狙い。文科省が 企業対象の事業を実施するのは珍しく、09年度補正予算案に5億円を計上した。

 政府は90年代、高度な研究人材を増やそうと、大学院を重点化し博士号取得者を増やした。博士の受け皿となるポスドクは1万6000人を超えたが、企業への就職は進んでいない。日本経済団体連合会の06年調査で、技術系新卒採用者のうち博士は3%だ。

 文科省の調査によると、ポスドクの6割以上は企業への就職も視野に入れているが、企業側の技術系採用は修士が中心で、85%が「過去5年にほとんど採用していない」と答えている。企業側が「食わず嫌い」している状態だ。

 文科省の新施策では、まず企業からポスドクの活用方針や業務内容、支援策などの採用計画を募集。科学技術振興機構で審査した上で、採択された企業に対し てポスドク1人につき500万円の雇用経費を支払う。支援期間は1年間だが、「使い捨て」にならないよう、終了後のキャリア構想も審査するという。文科省 は「実際に採用した企業からのポスドクの評価は高い。何とかよい出会いを増やしたい」と話している。【西川拓】

Tuesday, May 05, 2009

ロック魂(こどもの日に)

西山雄二さん、CIPhのドキュメンタリーフィルムを鋭意作成中だそうです。机の上だけではなく、外に飛び出していく。ペーパーを読んだり聴いたりだけでなく、映像も音も使って哲学してみる。



人に厭味を言ったり、揚げ足取りをするのではなく、自分で新しい動きを起こしていく。いいなあと思います。「ロック」ってそういうことですよね。

西山さんとその仲間たちのパリでのシークレット・ライヴ聴かせてもらったことがあります。あれも面白いなと思いました。こっちは原稿を仕上げるのにひいひい言ってるのに、横で飄々とギター弾いてる(笑)。

思えば先日亡くなったこの人もそんな人でしたね。

***

こんにちは、西山雄二です
現在製作中のドキュメンタリー映画に関してお知らせを差し上げて
います。

昨年夏、7人の関係者にインタビューをおこない、デリダが創設した「国際哲学コ
レージュ」に関する取材をおこないました。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/09/post-121/
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/09/post-124/
効率化や収益性が重要視されるこの時代に、哲学がなぜ必要なのか、どのような制度
で必要なのか、などを聞いてきました。
そして、デリダが「国際哲学コレージュ」をどのような思いで創設したのか、その今
日的意義は何か、についても問うてきました。

予告編ができましたので、YOUTUBEに掲載しました。
http://www.youtube.com/watch?v=Ps4VhUAhxSc&feature=channel_page
お時間のあるときに、どうぞご覧ください。
また、興味関心がある方に紹介していただけると幸いです。

Monday, May 04, 2009

結婚というアポリア

あまりに基本的なことではあるが、繰り返し言っておかねばならないのは、《実際に結婚しているかどうか》、《結婚経験があるかないか》はひとまずどうでもいい、ということである。

同じことを裏から言えば、《自分は結婚するつもりがないから関係ない》、あるいは《「婚活」がうまくいって「(すごろくの)上がり」だか ら、もう解決済みの問題だ》とは言えないということである。《不倫や離婚を何度も経験しているから、「逃走=闘争」できている》とも言えない。私が「結婚の脱構築」と呼んでいるのはそういうもののことではない。人生も哲学もそんなに単純ではないのだ。

と同時に、人生も哲学ももっと単純なものだ。私が言いたいのは、結婚という愛・性・家族を「制度づけるもの」が問題として人生の前に横たわっているという単純な事実に驚かないのか、ということである。

《結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。》(キェルケゴール)

《結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。》(モンテーニュ)

これらを単純な人生訓と思うなかれ。これらの格言は結婚という「制度づけるもの」の両義性を語っているのだ。

Sunday, May 03, 2009

結婚の脱構築?

《君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる。》ソクラテス

ソクラテスの妻クサンチッペの「悪妻伝説」は、今では「後世の作り話がほとんど」というのが定説のようである。それでも、結婚と哲学は長らくほとんど「二律背反的」な関係にあったといっていいだろう。それはおそらく、プラトンが「哲学」および「哲学者の生き方」を作り上げたということと決して無関係ではあるまい。

…というような具合に、私の「結婚の形而上学とその脱構築」は始まるのだが、しかし、我々はまだこんな風に真剣に話を提示する段階には至っていない。その前に解いておくべき誤解が山のようにあるからである。

*

「結婚の哲学をやろうと思っています」と言うと、たいてい茶化したような、冷やかな反応が返ってくる。大学論以上に、である。思想家も理論家もまだまともに手をつけていない、にもかかわらず人間の生の中心にかかわる問いだからこそやる価値があるはずではないか。「知的冒険」などと称しても、所詮はすでに価値を認められたものにしか手をつけない哲学研究者が実に多い。

「結婚の脱構築」なのだというと、「フリーセックス」ですか、「不倫」ですか、とくる。前世紀初頭に無理解と戦いつつ理論的地位を 固めた「精神分析」に興味をもつと称する現代思想系の人々までもがそうなのだから呆れてしまう。彼らはフロイトやラカンから一体何を学んだのか。

あるいは、もう少しましな人々はこういう。「結婚なんてもう終わってる制度でしょう」。数年前まで「国家」についてよく聞いたセリフだ。ついこの間も「大学」について聞いた。「大学なんていずれなくなるでしょう。」人は間違えることがある。それはいい。でも何度も同じ間違いを繰り返してはダメだ。この「終わらなさ」、これらの制度のしぶとさ、執拗さをこそ分析しなくてどうする。

Saturday, May 02, 2009

結婚と笑い


《結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。》アーサー・ゴッドフリー


思うに、愛でも性でも家族でもなく、結婚について考えたいのは、私が「笑い」を愛するからではないか。クラシックも好きだが、コメディほどではない。歌舞伎も嫌いではないが、落語ほどではない。

愛や性や家族に関する格言と、結婚に関する格言を比べてみてほしい。おそらくは絶対的な違いが一つある。それは、苦み走ったユーモアが最も冴えわたるのは結婚の格言だ、ということだ。

悲壮めかしたハイデガー論や死と不安の実存哲学が好きでない理由もこんなところにあるのだろう。ハイデガーの皮肉な笑いは嫌いではないが、それを聴きとれない「音痴」のハイデガー屋が多すぎる。

ベルクソンに欠けているのは「性」の問題ではなく、「性差」の問題だとかつて書いたことがある。私なりの答えが結婚論である。と同時に、ベルクソン哲学と結婚論をつなぐものがある。それは単純でありながら単純でない生であり、一筋縄ではいかない笑いである。

《あらゆる真面目なことのなかで、結婚というやつが一番ふざけている。》(ボーマルシェ)

Friday, May 01, 2009

ベネディクト16世「コンドーム発言」の神学的根拠(ストア派的起源?)

元イエズス会士の友人が、「コンドーム」についての教会の「失言」をめぐる哲学雑誌(Philosophie Magazine)への寄稿を送ってくれました。私自身の意見はともかく大筋はこんな感じ。

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聖書に曰く"Qui retient ses lèvres est avisé." (Prov. 10:19)、しかしまた、聖書に曰く"Celui qui ménage sa verge hait son fils." (Prov. 13:24)、ベネディクト16世は、コンドーム問題については後者を選んだようだ。さる3月18日、ローマからカメルーンに向かう機中で「コンドームを配ることではエイズ問題は克服できない」と語った。コンドームが不特定多数との性交渉を助長するとの理由などから使用に反対した発言だったが、世界保健機関(WHO)や各国政府、一部カトリック教会からも「非科学的」「人命軽視」との批判が相次いだ。

メディアを駆使した大規模ミサで庶民的な人気を博したカリスマ的な指導者ヨハネ=パウロ2世に対して、知的営為によって深刻な問題を解決しようとする学者肌の現教皇。前任者もたしかにコンドーム反対の立場だったが、彼は少なくともコンドームが「問題を深刻化した」とは言わなかった。理性と信仰の新たな結びつきを謳って出発した新教皇の口からこのような発言が漏れようとは。しかし、少なくともこの件に限って言えば、彼の「失言」は、哲学の欠如からではなく、哲学の過剰から来たものだ。

この半世紀来、教会は「自然法」概念の復権に力を貸し与えてきた。理性は生まれながらに普遍的な道徳原則を見出しうるものであり、このような法則は人類に共通の財産、信者と非信者の議論と相互理解のための場というわけである。生命科学の発展に沿う形で、ヴァチカンはますますこの自然主義的な方向性を強めてきた。女性の出産サイクルなど――最近は「婚活」から「産活」に話題が移ろうとしている!――生物学的プロセスはすべからく、尊重すべきある「目的」によって規定されていることを理性は認めねばならない、ゆえにセクシュアリティと再生産を人為的・意図的に分離するあらゆる試み(避妊・中絶)は非難されるべきだ、と。ここまでは新教皇も同じである。

パウロ6世およびヨハネ=パウロ2世が自然法に依拠したのは、彼らの神学的な参照先がトマス・アクィナスの『神学大全』だったからである。「差異の合理的思想家」トマス・アクィナスにとって、人間理性は神的本質についていかなる直観も持ち得ない。天と地の区別は絶対であり、自然法は永遠の法ではない。

これに対し、ベネディクト16世が依拠する「全体性の神秘的思想家」アウグスティヌスをはじめとする教父たちは、明確な区別をやんわりと拒む。人間理性はすでに神的な光に浸っており、理性の発見する諸原理はすでに神的である。

人間精神を神的ロゴスにまで高めつつ、このロゴスを恒常的に宇宙を定める力にするという教父たちの身振りは、実は純粋にキリスト教的なものではない。人間とは隈なく神的かつ合理的な宇宙の中の小宇宙だとするストア派的である。そしてここに問題の鍵がある。自然のまったき合理性の名のもとに性的活動を再生産(生殖)に限定するという身振りは、ストア派の厳格な一夫一婦婚道徳に由来する。ストア派的な神的=人的ロゴスがありとしあらゆるものの原因であり規範である以上、賢者はそこに記された法を読み取り、ただ「自然に従う」だけでよい。

だが、中世に始まる西洋近代の合理性は、理性が己の自律と同時に己の限界を見てとったときに生まれたはずのものである。その自律と限界を超えてなされる発言は妥当性を欠くという自戒、これこそ、ハーバマスとの対談も含めて、一連の発言において新教皇が認めないものなのである。科学技術の発展において勝利すると同時に、形而上学的な越権行為においては厳しく制限された近代的理性に対抗して、ベネディクト16世は、自然とその創造者、人間理性と神的ロゴスを同一の運動に含みこむストア派的な全体的理性に回帰しようとする。神的なロゴスに連なり、全体を直観する人間理性からすれば、存在の位階秩序を乱す技術的理性は部分的で偏ったものであり、コンドームは「問題を深刻化する」ものでしかない。

たしかに、トマス・アクィナスも「反自然的」な振る舞いについて語っているが、彼は天と地、永遠の法と自然法の間に不可逆的な亀裂が生じ始めた地平においてそうしていたのであり、この亀裂を埋めうるのはただ、神の恩寵だけだ、としていたのである。ヨハネ=パウロ2世はこの伝統を継いで、個人的なキリスト信仰に根ざしたスピリチュアリスト的な態度を堅持した。

これに対し、ベネディクト16世は、キリストへの信仰ではなく、人間理性と宗教を同時に含みこみ規定する偉大な永遠のロゴスによって道徳を基礎づけようとする。「あたかも神が存在しないかのように」、全体的な自然の秩序へと回帰することで、信仰から独立した道徳を打ち立てようとしているかのようだ。

Thursday, April 30, 2009

便り

とてもお忙しい方から気にかけていただいて、メールを頂戴するのは本当にびっくりもし、嬉しくも思います。どうもありがとうございました。

哲学と大学に関する例の仏語版、海外の友人たちから反響が聞けて嬉しいかぎりです。先述の重要なドゥルージアンpm、フランスで博論準備中のイタリア人cz、フランスBernayで大学の先生をしているad、ギリシャの大学の先生da、元イエズス会士のフーコー研究者で今は哲学系ライターで何とか食いつないでいるpc、リールの高校の先生夫婦lp&cp。懐かしい友人たち。

大学のseuilをどうにか越えた人たち、越えようとしている人たち、別の道を選んでいった人たち…。「既定路線」に乗っかってあっさり「就職」を決めていった(「先生たち」の力で決められた)人たちにはたぶん分からないであろう思い。「制度づけるもの」が哲学的な問題として実際に生きられる。

Wednesday, April 29, 2009

ローマの女性たち(続き)

最近、新書ばっかり(笑)。

時間がないので、ごく簡単に言えば、「堕落」の原因を問う以前に、ローマ主義者塩野七生は、『ローマ人への20の質問』(既出)で、それは「堕落」ではなく、解放された女性の在り方だったのだ、それがキリスト教道徳によって縛られていくことになるのだ、と説く。例えば、アウグストゥスが成立させた「ユリウス姦通罪法」は、女性たちの逞しい戦略(自分は娼婦だと言い張る)によって実際には骨抜きにされていたのだと見る。

他方で、弓削達は『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書)で、もう少し陰影に富んだ見方をしている。「堕落」はたしかにあったが、それは当時の男性上位社会の「徒花」であったのだ、と。

いずれにしても、キリスト教側から単純に「堕落したローマ」という見方をしない点で、塩野と弓削は一致している。

そのうえでいえば、塩野の見方はいささか単純すぎる。ローマ女性は、ギリシア女性に比べて、財産権が確立し、経済的自立を達成しており、宴への同席が認められ、家政全般を取り仕切っていたから、ローマ女性の地位は「強く確固としたものでした」というが、それが相対的な自立にすぎなかったこと、「イエ」の存続のための結婚にあっては女性自身が一つの「財産」であったことも強調されるべきだろう。

初代皇帝アウグストゥスの娘ユーリアは、『愛を考える』(既出)では、「結婚後も複数の愛人を持ち、その愛人の一人と皇帝暗殺を企てて流刑になった」と述べられ、「当時のローマは堕落と退廃に満ちていた」ことの代表例とされているが、おそらく弓削の次のような見方のほうがよりニュアンスに富んでいる。

《高い教育を受け、知性と教養にあふれたエリート女性たちは、一握りの支配層の家族に連なり、巨万の富に支えられ、夫たちのように政治や軍事に時間をとられることがなかった[直接関与することができなかった]から、文学を愛し、政治の話に耳を傾け、市井の情報に通じていった。彼女たちが、いつまでも男の言うなりになる女性であり続けることはできなかった。彼女たちは解放され、自立する。

 そのような女性の一人に、アウグストゥス帝がスクリボニアから産んだ娘ユーリアがいた。父皇帝の政治の道具として使われ、初めはマイケナス将軍に嫁ぎ、やがてはリウィア皇后が先夫から生んだ息子、二代目皇帝ティベリウスと結婚させられた。父によって政略結婚はさせられたが、夫に縛られることなく、誠に自由に振舞い、性的にも解放された女性となった。ユーリアの「身持の悪さ」は、男性社会の頂点に立つ父アウグストゥスの逆鱗に触れ、ついに追放された。》

塩野は、さすがのアウグストゥスも姦通を刑法で罰するなどとは非ローマ的で野暮な過ちを犯したというのだが、アウグストゥスが既存の法を強化しただけだということを見れば(弓削、136頁)、彼女のいうローマ的な截然とした公私の別も少なくともこの点には及んでいないようだと考えたほうがいいのだろう。

Tuesday, April 28, 2009

ローマの女性たち

『愛を考える』(既出)第4章は、キリスト教的(パウロ的)な愛概念の出現を際立たせるべく、一世紀までのローマを「堕落と退廃に満ちていたようにも思われる」が、「古代地中海世界での性をめぐる事情は、1世紀後半を境に少しずつ変化が起きている」という。

この主張の根拠として引用されているのが、本村凌二の『ローマ人の愛と性』(講談社現代新書、1999年)である。「彼[本村]によれば、性にまつわる事柄を『汚らわしい』ものとして忌み嫌う意識が、だんだん強くなっている。『言い換えれば、性的事象を日常世界から排除する意識、あるいは異常なものとみなす意識が、徐々に表れ出てきているのである』[本村]」。

もちろん第4章全体を通じて「キリスト教が性概念の変革を引き起こした」などという単純な主張はなされていない。1世紀後半にパラダイムチェンジがあり、「このような変化の時期に、キリスト教は地中海世界に広まっていった」とされている。「性的不品行から離れるようにしなさいという倫理的な教えや結婚に関する記述が、新約聖書の書簡にしばしば見られるのも、このような風潮を反映していたと考えることができる」。問題は、「堕落と退廃」が満ちた原因である。

Monday, April 27, 2009

思考と体格(と政治経済)

塩野七生(ななみ 1937-)の『ローマ人への20の質問』(文春新書、2000年)より。

《発掘した人骨の研究によれば、ローマ帝国盛期の体格に戻るのは、中世の一千年を経て後のルネサンス盛期になってからなのです。体格は生活水準の反映でもある。ローマ時代の部屋が広々としているのに中世の部屋が狭いのは、そこに住む人の体位に適合するように造られたからでしょう。そして、体格の良かったローマ人が生きていた時代の半ば以上は、悪帝とされる人々が統治していた時代だったのですよ》

思考はどうなのだろう。思考と体格(と政治経済)。「健全な肉体に健全な精神が宿る」が完全に誤っているということは、「思考と体格には何の関係もない」ということを必ずしも意味しない。

Sunday, April 26, 2009

パウロにおける愛の概念

関西学院大学共同研究「愛の研究」プロジェクト編『愛を考える キリスト教の視点から』(関西学院大学出版会、2007年3月)を読んでいる。

特に、
辻学による第2章「隣人愛とイエス、初期キリスト教」
嶺重淑(みねしげ・きよし)による第3章「愛の讃歌 第一コリント書13章にみるパウロの「愛」の理解」
大宮有博(ともひろ)による第4章「パウロは性と結婚についてどう考えていたか 第一コリント書7:1-7を手がかりに」
中道基夫による第10章「キリスト教式結婚式の変遷と愛による神聖化」
あたりが参考になる。例によって細かいところはいろいろあるが、一つだけ。

第一コリント書13章におけるパウロの「愛」の表現に「矛盾」が見られる、という主張についてである。論者の論点はこうだ。
1)13章8節では、愛のみが滅びることのない永遠のもので、それ以外のものは過ぎ去っていく一時的なものだと強調されている。
2)しかるに、その直後、13章13節では、愛以外にも信仰と希望も「存続する」と言われている。
3)1と2は明らかに矛盾だが、重要なのは、矛盾してまでパウロが何を訴えようとしたかである。それは「信仰、希望、愛は永遠である」というよく知られた(しかしながらパウロの思想にはそぐわない)表現を用いることで、愛の永遠性を信仰や希望とともにまず思い起こさせ、そのうえで愛の偉大性をあらためて印象づけようとすることであった。

この論点に至るまでに、著者は従来の様々な解釈を提示し、一つずつその難点を示して却下していくのだが、その最後のものが我々には最も妥当なものに思われる。すなわち、

《「存続する」という表現が終末論的な意味で用いられていることはもはや否定できないであろう。そこで、7節には「(愛は)すべてを信じ、すべてを望み…」とあることからも、愛は信仰・希望を内包しており、そのためにこのような表現になっていると解することができるかもしれない。》

著者がこの解釈を退ける理由は次のようなものだ。

《しかしそうすると、異なる意味で用いられているとはいえ、2節では信仰に対する愛の優位性が明確に述べられている点が説明できず、またそのような理解では、ここまで強調されてきた、他のあらゆる霊的賜物に対する愛の絶対性自体が否定されることになる。》

そうだろうか。まず、2節における「信仰に対する愛の優位性」は、「存続するか否か」を決める基準になり得るようには思われないし、信仰や希望が愛とともに存続するとしたところで、「他のあらゆる霊的賜物に対する愛の絶対性」が否定されることになるとも思えない。異なる層・相を孕む統一体が存続するというだけの話ではないのか。

何より決定的に思われるのは、著者自ら指摘しているように、

《ここで愛と並列されている信仰と希望は、異言や預言などの他の霊的賜物とは質的に区別されている(…)。(…)これら3つのものがここでは統一体として捉えられていることは、これら3つの主語に対して[「存続する」を意味する]単数の動詞(menei)が用いられていることからも確認できる。》

という事実である。したがって第3章の第3セクションには同意できないのだが、そこに至るまでの二つのセクションはきわめて手際よくまとめられていて感心した。授業でも使わせていただきます。

Saturday, April 25, 2009

哲学者の土曜日…

研究室および我が家のマテリアルな整備。郊外にある大型家具店をめぐり、必要なものを買い揃え…。あっという間に夕方。

少しでも時間があると授業の準備。結婚論講義はキリスト教前篇、パウロを扱う。

夜は福岡まで遊びに来て下さったmgさんと、もう一人のmgさんとともに夕食。刺激を与え与えられ。

Friday, April 24, 2009

エラスムス × UTCP

エラスムス、もう私たちの手を離れて独り歩きを始めているようだ。遠隔通信とか、人文系の単体の講演としては、すごいことになっている(松本さんによる報告はこちら)。

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エラスムスとUTCPのジョイント(西山さんによる報告はこちら)。少しずつ、少しずつ、新しい世代が、みんなが意識的なわけではないけれど、これまでの「腑分け」――例えば「駒場的なもの」と「本郷的なもの」、例えば「国公立的なもの」と「私立的なもの」といったような――を制度の外からばかりでなく、制度を通して、制度のうちから、変えていこうとしている。そんな印象をもっている。

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遠く離れてしまい、今は体力的にもきついので(村上さん、すごいです)、その試みの多くには参加できないのだが、心から成功をお祈りしています。

Thursday, April 23, 2009

アナスの『プラトン』

ただし、アナスの話に戻れば、彼女の言っていることに全面賛成なわけではない。彼女の『一冊でわかるプラトン』を買ったのは、その第4章「愛、セックス、ジェンダー、哲学」を私の結婚論講義で用いるためだったのだが、大筋には合意できても、細かいところが気にかかる。

例えば、『饗宴』の有名なソクラテスとアルキビアデスの話をアナスはこう書いている。

《アルキビアデスはソクラテスに助言者になってもらいたくて、彼を誘い、性的関係にもちこむ決心をする。しかし、屈辱的なことにそれは失敗する。アルキビアデスがそのそぶりを見せ、ソクラテスと同じ一つの外衣を羽織って一夜を過ごすときでさえ、である。ソクラテスはただ、「もしぼくがほんとうにアルキビアデスをよりすぐれた人間にできるのであれば、このほうが単なるセックスよりずっとすばらしい価値があるだろう」とコメントを残すばかりである。》(65頁)

しかし、実際のソクラテスの言葉は、このように積極的な形でセックスと問答法の価値をはかりにかけたりはしていない。その前で立ち止まっている。

「愛するアルキビアデス、僕が本当に君の主張するとおりの男だったら、そうしてもし僕のうちに君を向上させるような何かの力でもあるのだったら、君は実際馬鹿じゃないということになるだろう。

すると、君はきっと君の美貌よりもはるかにすぐれた名状しがたき美を僕のうちに看取しているにちがいない。もし君がそういうものを看取して、僕とそれを共 有しよう、そうして美を美と交換しようとするのなら、君は僕から少なからず余分の利益を得ようと目論んでいるわけだ。それどころか、君は単に見せかけの美を代価として真実の美を得ようと試みる者、したがって実際君は青銅をもって黄金に換えようと企んでいる者だ。

がとにかく、優れた人よ、もっとよく考えてみたまえ。僕には何の価値もないということに君が気がつかないといけないから。」(『饗宴』218d-219a)

ソクラテスは確かに、アナス解釈の前提に当たる部分(もしぼくがほんとうにアルキビアデスをよりすぐれた人間にできるのであれば)を述べている(僕が本当に君の主張するとおりの男だったら、そうしてもし僕のうちに君を向上させるような何かの力でもあるのだったら)。

しかし、アナス解釈の帰結(このほうが単なるセックスよりずっとすばらしい価値があるだろう)に当たる部分で実際にソクラテスが「黄金vs青銅」「真実の美vs見せかけの美」として比較しているのは、「問答法vsセックス」ではなく、「ソクラテスの問答法(君を向上させるような何かの力、君の美貌よりもはるかにすぐれた名状しがたき美)vsアルキビアデスの美」である。

このソクラテスの言葉の中に、ただこの言葉だけに沿って、先に見たアナスのような解釈を見出すのは難しいように思う(むろん、他の対話篇に助けを求めるのなら話は別であるが、それではアルキビアデスのこの逸話を特権視することはできなくなる)。

少ない言葉で、入門者向けに意を尽くすのはとても難しいことだというのは十分理解しているので、批判するつもりは毛頭ないが。

Wednesday, April 22, 2009

叢書の地政学ふたたび

最近読んでいる本。

ジュリア・アナス、『1冊でわかる 古代哲学』、岩波書店、2004年9月。
ジュリア・アナス、『1冊でわかる プラトン』、岩波書店、2008年12月。

哲学の専門家として、「1冊でわかる」シリーズを読んでいるなどと公言するのは、私も人並みに恥ずかしいのであるが、しかしジュリア・アナスには前から勝手に親近感を覚えている。というのも、彼女のプラトン「国家篇」についての詳細な読解の仏語訳がPUFでマシュレが(フランシス・ヴォルフとともに)監修していた叢書から出ているのだ。

Julia Annas, Introduction à la République de Platon, préface de Jacques Bruschvicg, traduction par Béatrice Han, PUF, coll. "Les grands livres de la philosophie", 1994.

それに、入門書だろうが、手軽な新書本だろうが、いい本はいい本だ。それから裨益を被っていることを堂々と言えないのはむしろ哲学に携わる者としておかしいとも思っている。

例えば日本人でもフランス人でも、他の著書はコレクション(叢書)名を明記しているのに、クセジュだと明記しない人がいる。白水社とかPUFとか書く。

前から言っているようにどのコレクション(叢書)から出ているかは、その本の思想史的な位置づけを知るための重要な手がかりになる。だから私は自分の研究論文に、他の研究者の著作や論文を引用する際には、それがどんなにマイナーな叢書・雑誌であれ、あるいは「入門的」と称されている叢書、「異端的」と見なされる雑誌であれ、できるかぎり明記するようにしている。

制度への眼差しは、実はこんなところにも表れている。誰にも気づかれないけど(笑)。

Tuesday, April 21, 2009

「評価」を評価する

いろんな人からいろんな反応をいただけて嬉しいかぎりです。ysさんは、『哲学と大学』に関連して、ザルカの雑誌の最新号を教えてくださいました。

Cité, "L'idéologie de l'évaluation", PUF, mars 2009.

特に経済思想や行動理論の専門家(ベルクソンについても論文があります)
Emmanuel Picavet, "Les universités françaises, victimes de l'idéologie de l'"enseignement supérieur""
が興味を惹きます。読んでみたいですね。

「評価」を評価する、と言えば、大学評価学会年報の創刊号を忘れるわけにはいきません。

『「大学評価」を評価する』、大学評価学会、晃洋書房、2005年。大学評価学会のHPはこちら。

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人を評価してばかりではいけませんね。昨日、昨年勤めていた非常勤先の公式アンケート結果が返ってきました。一番高かった(4.6)のが「教員の熱意」「教員の声は聞き取りやすかったですか?」で、「説明の仕方は分かりやすかったか」(4.4)、「受講の意義」(4.3)より下って(笑)。あの崩壊寸前のクラスを立て直すために金八先生を故意に演じたのを理解しろというのも無理な話なのかもしれないけれども。他の項目もほぼすべて4点台前半。

4を切った項目が二つだけあって、
「到達目標の内容が身についたか」(3.8)
「授業の進度と課題を出すタイミングは合致していましたか?」(3.8)

前者は「ねらいや学習目標は理解できたか」(4.4)との落差、
後者は「小テストの実施は授業の理解に役立ちましたか」(4.3)との落差が気にかかる。特に後者に関しては、「宿題の答え合わせを次の時間中にできないことがときどきあったのでなるべく出した次の時間にやってほしいです」という指摘には真摯に答えないといけない。

自由記述欄は、肯定的な意見が5、消極的な意見・提言が2。
・夏学期から授業をもっていただいてたら良かったと思います。大学の授業というより高校の英語の授業みたいな感じでした。
・教科書は分かりにくかったが先生の説明は丁寧でしかも繰り返して下さったのでとても分かりやすく前期から先生だったらよかったのにと思いました。小テストもとても役立ちましたし、メリハリのついた学習ができました。ありがとうございました。
・きつかったです。他科目との兼ね合いを考えると、もう少し課題を少なくしたほうがよかったと思います。
・前期とは違い、とても有意義な授業でした。先生のおかげでフランス語がきらいにならないですみました。ありがとうございました。
・大変だったけど、めっちゃ面白かったです。
・宿題の答え合わせを次の時間中にできないことがときどきあったのでなるべく出した次の時間にやってほしいです。
・みんなのやる気を出させてくれました。

書いてくれたみなさんありがとう。今後の授業に活かします。

Sunday, April 19, 2009

熊野純彦×西山雄二、もう一つの哲学と大学

先日行われた『哲学と大学』刊行記念イベントの報告です。

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大学の授業はまだまだ手探りが続きそう。「哲学」の授業ばかりなので自分の専門に近いという意味ではいいが、準備にかなりの時間がとられる。

語学の授業はその場での体力はかなり使うが、事前の準備はさほど要らなかった。専門の演習は多少準備が必要だが、やはりそれほど違いはない。

学部の講義、それも授業内容以前に、まず興味を持たせる(そして絶えず興味を惹き続ける)努力を必要とする環境での講義はなかなか難しい。

Saturday, April 18, 2009

結婚の形而上学とその脱構築に向けて(2)

ハイデガーが引いていた逸話とは、アリストテレスの『動物部分論』に見出されるものである。

《ヘラクレイトスについてひとつの言葉が語り伝えられています。これは彼の前に押しかけてゆこうとした他所の人たちに、彼がいったという言葉です。人々が彼に近づきながら見ていると、ヘラクレイトスはパン焼き窯で身を暖めています。彼らは驚いて立ち止まりました。しかもとりわけ彼らが驚いたのは、ヘラクレイトスが彼らに向かって「ここにもまた神々は在(おわ)します」と語って、ためらっている人たちを室内に招き入れようとしたからであり、また彼らにそのような気を起こさせたからです。》

偉大な哲学者は絶えず何かしら驚嘆すべき境位に身を置いているはずだと勝手に信じ込んだ人々が、ヘラクレイトスの住まいにまで押し掛けてきたものの、彼の住まい/佇まいを一目見て、失望する――ここにもまた、前に述べた「気づかないことへの気づき」がある。直ちに踵を返そうとする客人たちの顔に裏切られた好奇心を読んだヘラクレイトスは、彼らに再び、しかし今度はより哲学的な好奇心を生ぜしめようとして、こう言うのだ、「ここにもまた」と。ハイデガーはこの一句を次のように解釈する。

《「ここにもまた」、パン焼き窯のそばに、このありふれた場所に、そこはいつも、どんなものでも、どんな状態でも、どんな行為でも思考でも、親しくまた寛げて、すなわち心安く、「またそこにもすなわち」、心安さをめぐって、「神々が在す」のです。すなわちヘラクレイトスは「(心安い)居所が、人間にとって、神(という心安くないもの)の生成のための広場である」というのです。》

ハイデガーはパン焼き窯の間近まで来ながら、その傍を素通りする。たしかに彼は、「倫理」を「社会的動物としての人間のありよう(倫)を筋道だてて考える(理)」何かと見なすだけでは満足しない。ethicsとは、ギリシア語のēthos(習俗、性格)に由来し、個人的には「よく生きること」の実現、社会的には人間関係一般を規定する規範や原理の確立を目的とする学問だ、というだけでは満足しない。

「エートス(ethos)は滞在、すなわち住まいの居所を意味する」とし、「ethosという語の基本的な意味に従って、倫理学(Ethik)という名称が、人間の居所をよく考えるということを意味するなら」と語っていたのは、間違いなく『ヒューマニズム書簡』である。

だが、まさにその『ヒューマニズム書簡』において、「心安いもの」「ありふれたもの」は、存在に酔える哲学者たるハイデガーの視線の中では、あくまでも心安くないもの、すなわち存在の生成のための広場、「まさしく日常的なありふれた場所」にすぎない。「パン焼き窯のそばにいながら、パンを焼こうともしない」ヘラクレイトスを見て、ハイデガーはこう言い切るのだ。「彼は体を暖めているだけです。こうして彼は、彼の生活のまったくの困窮を表しています。寒そうに縮こまっている…」。

しかし、ヘラクレイトスの視線の先にあったのが、タレスのように星々ではなく、まさしく「心安いもの」「ありふれたもの」「日常的なもの」そのものであったとしたら、どうであろうか。そして、タレスの転落――accidentの語源accidere(起こる)はcadere(落ちる)に由来する――と同様に、ヘラクレイトスの住まいと佇まいもまた、理論的なものの荘重さを転落させ、しかしそれと同時に、「気づかないことへの気づき」によって理論と実践の関係の核心へと私たちを近づけてくれるものであったとしたら、どうであろうか。存在の思惟へと上昇し高揚していくハイデガーの「根源的倫理学」に抗して、それを転落させ、理論的な思考そのものの方向性を転回させ、日常的なものの思惟へと私たちを手繰り寄せるéthique accidentaleとでも呼ぶべきものがあるのだとしたら。

ここで倫理学が哲学の対立項になっていないのは明らかである。繰り返す。哲学が驚きから始まるとすれば、倫理学は失望から始まるのではないか。そして倫理学とは哲学の対立項ではなく、その折り返し、襞、転回そのものである。

マシュレが、ヘラクレイトスのパン焼き窯(に関するハイデガーの解釈)とサルトルのアブリコット・カクテルを対置することによって、『ささやかなこと。日常的なものの轍と波立ち』で描き出そうとしていたのは、「日常的なもの」というささやかで退屈な出来事の連続がいかに哲学の手をすり抜けていくか、しかし哲学がいかに執拗に追いすがろうとするか、であった。

私たちはこれを受けて、『ヒューマニズム書簡』における「倫理学」の位置と動きに注目することで、ハイデガーに拠りながら、ハイデガーの「根源的倫理学」にéthique accidentaleを対置する。ethosが滞在、住まいを意味し、ethicsが人間の居所をよく考えることであるなら、日常生活の現象学こそがそれにあたるのでなければならない。

ところで、卑近な日常生活の重要な一断面、日常を制度づけるものは、ハイデガーだけでなく、現象学だけでもなく、これまでのところ哲学自体が扱いかねているとは言えないだろうか。

Friday, April 17, 2009

遅ればせながら…

それにしてもバリバールという人は本当に律儀な人だ(少なくとも私にとっては)。長らく気づかずにいたが、彼の発表に対してした質問に論文末尾で答えてくれていたのをつい最近まで気づかなかった。しかももうその質問を思い出せない…

Thursday, April 16, 2009

結婚の形而上学とその脱構築に向けて(1)

哲学が驚きから始まるとすれば、倫理学は失望から始まる、と言えないだろうか。

哲学の祖タレスは、夜空を見上げ、天体の運行(驚嘆すべきものextra-ordinaire)を観察するのに熱中するあまり、井戸に落ちてしまったという有名な逸話がある。トラキア出身の侍女はそれを見て、「ご主人様は熱心に天のことを知ろうとなさるが、目の前のことや足元のことには気がつかない」と笑ったというのである。

「哲学者は世間知らず、机上の空論家」とはよく言われることだが、実は、博識なハンス・ブルーメンベルクが『トラキアの侍女の嗤い』(1987年)で思い起こさせてくれたように、プラトンからニーチェに至るまで、哲学者たち自身が好んでこのタレスの逸話を語ってきたということはあまり知られていない。この「気づかないこと」への「気づき」、特異な――理論的知そのものの起源が問題になっているのだから――「無知の知」は何を意味するのだろうか。

哲学が躓くまさにこの地点で、倫理学――あるいはドゥルーズがスピノザに関する小著の副題とした用語を借りるなら「実践哲学」――が胎動を始める。しかし、哲学と倫理学は対立する二項ではない。倫理学とは哲学の折り返し、襞、転回そのものである。

*

ハイデガーは『ヒューマニズム書簡』の中で「存在の真理を、明在するものとしての人間の原初的な要素と考えるような思考」を「根源的倫理学」という語で名指しつつも(ナンシーがこの語を注釈している)、次のように述べている。

≪存在の真理を問い、その際、人間の本質の居所を、存在から、そしてまた存在へと規定する思考は、倫理学でもなければ、存在論でもありません。≫

存在への回想、それは、理論的でも実践的でもない、そんな分別めいた区別以前に生じる思考だ、というお得意のハイデガー節である。しかし、私たちは、ハイデガーが基礎存在論、さらには「存在への思惟」の高みへと
荘重に目をやる、その直前の挙措に注目したい。彼は、「倫理学」を根底から考え直すべく、第一の逸話ほど有名ではないもう一つの逸話を引き合いに出していた。

Wednesday, April 15, 2009

エラスムス―共に哲学すること

エラスムスの講義模様。松本さんによる報告の続き。

特にフランス哲学系の若手研究者のみなさん、自分の専門に関係のある講義も、そうでない講義も、お時間の許す限り、どうぞ足をお運びください。

ヨーロッパの先生が来ることは珍しくありません。ヨーロッパの学生たちの哲学しようとする姿勢をじかにその目で見てください。可能であれば、彼らと言葉を交わし、議論してみてください。

ヨーロッパの教員・学生と日本の教員・学生が入り乱れて共に哲学すること、それがこのエラスムスの一番の目的だと私は個人的に思っています。

Tuesday, April 14, 2009

一区切り

現代フランス政治哲学研究会@本郷も、なんとか(本当に何とか)責任を果たした(かな)。今回はゴーシェの宗教論と教育論。次回はゴーシェの心理学。

エラスムスもなんとか終わった。私の回も盛況だったので(来てくれた学生さんたちありがとう!)、一応責任を果たせたとホッとしている。会の模様はこちら。

と休む間もなく、授業の準備にまた精を出している。「哲学」という彼らが日常生活で経験してこなかった思考の面白さ、厄介さをどう分かりやすく、退屈させずに伝えるか。これを真面目に追求することはおそらく自分のためにもなると思う。

しかし周りを見ていると、優秀な若手研究者が優れた成果を、しかも続々と挙げていて、この運命の不公平さにはなんかめげるなあ。

Monday, April 13, 2009

訂正

何日か前に仏語で出たUTCPブックレットの話をしましたが、題名など違っていました。訂正します。

「哲学と大学」パリ・シンポ→「哲学と教育」パリ・シンポ
Philosophie et Universite a l'age de mondialisation→Philosophie et Education: Le droit a la philosophie

Sunday, April 12, 2009

エラスムス

私の授業でも、ヨーロッパ側以上の人数の日本人が出席し、頑張ってついてきてくれていました。毎回予想を上回る出席数で嬉しい限りです。

今日は朝2限に「生物の丹精=産業。ベルクソン的器官学」について話したあと、お昼をみんなで一緒に食べて、4限に「ポストドゥルーズ的読解に向けて。ベルクソンにおける言語の問題」について授業。なかなか鋭い質問も出たり、専門の研究者の間で丁々発止のやり取りがあったりと、面白い展開でした。

明日は現代フランス政治哲学研究会@本郷。何の因果か(いやすべて自分のせいですが)、この忙しい時期に発表が回ってくる…。

Saturday, April 11, 2009

エラスムス

エラスムス@東京。S新聞が取材に来ていた。われわれの活動が少しでも知られるのはいいことですね。

一つ目の講義は「生気論と目的論」に関するもの。明日は、organologieと言語論。

Thursday, April 09, 2009

少しの反響

とても忙しい日々。驚きと悪戦苦闘の連続。

その中で嬉しい便りがありました。「哲学と大学」パリ・シンポの成果をまとめた論集 Philosophie et Université à l'âge de mondialisation (『哲学と大学』日本語版とは別物)を読んでくれた、フランスのある重要なドゥルージアンから

「Merci pour le livre sur la mondialisation que je viens de lire, c'est un très bon numéro, une approche très intéressante qui permet d'éclaircir vraiement la globlisation au Japon, Italie, France : c'est dommage que je n'en ai pas une épreuve numérique, car je l'aurais donné à mes collègues de l'UTM pour réflexion car nous sommes sur ce sujet justement dans la...... 10ème semaine de grève !!! ps : je retiens ton concept d'alter-rationalisme, très pertinent, qui pourrait s'appliquer aux humanités face aux sciences justement」

という反応が返ってきたのです。単なる儀礼的な言葉と言えばそれまでですが、ふだんあまり率直に褒めない人だけに嬉しかったですね。

Saturday, April 04, 2009

ひとつ前のお返事

京都情報はこちら。

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昨日の「お返事」ではワンステップとんでいて少しわかりにくいと。順番が逆ですけど、その前のお返事の一部を。

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Xさん、いやあ厳しいですね。ありがたいです。これからも辛口コメントをよろしくお願い致します。

マシュレ、ラディカル・斬新・面白いという点から評価することはできない、むしろ退屈だと言ったつもりですよ。ただ、理論と実践の関係についての執拗な問いかけに、僕個人は自分の興味関心の「系譜」を思い出した、と書いただけです。

大学論についても、ラディカル・斬新・面白いという観点から擁護する必要は感じません。団塊ジュニア前後である私たちの世代は、それまでの世代とはかなり違う形で、大学がはらむ問題に直面せざるを得なかった、それを自分の切実な問題として考えざるを得ないし、できるならば哲学的な問題として取り上げたかった、そしてそれを試してみた、それだけのことです。これまでなされなかった一歩を踏み出すとき、それが力みかえって滑稽に見えるのは仕方がない、そう諦めています。

我々の世代は、基本的にまじめでナイーヴではないかと思いますよ。と同時に、Xさんの世代が斜に構えることを基本的スタンスとするのもまた一つの時代精神でしょうけど。

もちろん、そのことを踏まえた上で、それにしても、青臭い「真面目さ」だけで――ただ、従来の人文系研究者に典型的な「不真面目さ」「不良気取り」でも何も変わらなかったではないかとは言っておきますよ――、あるいは「古き良き啓蒙精神」だけで、あるいは「新しく斬新なデリダの大学論」だけで乗り切れるような問題ではない、それはそのとおりでしょう。そして私は自分の論文の後半部でデリダをとりあげ、真正面から批判してもいますし、自分のそのスタンス自体にも決して満足しているわけではありません。

まあ私としては「じゃあこれまでの日本の哲学者はグレフに相当するムーヴメントを起こしたのですか」と言いつつ、ダメな我々若手に喝を入れ、手本を示してくださるべく、Xさんにも「哲学と大学」の動きに加わっていただければと願う次第です。

Thursday, April 02, 2009

お返事

お返事と別の文章に仕立て直す余裕がありません。もちろんお名前は伏せて、私のメールをほぼそのまま使わせていただきます。

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私のほうこそ、もう少しユーモアをもった書き方ができなかったものか反省しております。新天地での生活、エラスムスも含め大量の授業の準備などなど初めてづくしで、まだ四月が始まったばかりなのにもうかなり疲れています。

マシュレと大学論、いずれも私にとっては重要な問題であり、Xさんのような鋭い哲学的な視点をお持ちの方からのご意見はとても貴重でした。

いずれもう少し発展させてご返答に当たる投稿を致しますが(いつになることやら)、ひとまず簡略なお答えを。

マシュレ、やはり地味・穏当、さらには退屈さをすら感じさせるものが核にあるというのはたしかにそうだと思います。一番「ラディカル・斬新・面白い」感じがするのは初期の『ヘーゲルかスピノザか』と『文学生産の理論のために』ですが、ネグリのような獰猛な理論的野蛮さも、バリバールのような流行を敏感に察知し、的確かつ華麗な問題構成にまとめあげる能力もマシュレにはありません。

しかし、何かがあります。ヘーゲルのような(それでいて反ヘーゲル的な)鈍重さ、粘り強さ、文学でいえば、彼がよく引くムージルのような執拗さと退屈さ。それは、たぶん即「つまらない」ということとも違うだろうと思います。彼の「ささやかなことpetits riens」に対するこだわり(目新しさへのある種の無関心・無頓着)の中に答えが見いだせないか、と投稿の続きで示唆しようとしていたのです。

私はマシュレからこの理論と実践の関係への執拗な関心を、「哲学と哲学史は切り離せない」という形で受け取り、さらに「哲学と制度づけるもの(ce qui institue)との関係を問わねばならない」という形で発展させていこうと思っています。大学論はその一部ですし、結婚論も、そうは見えないでしょうが(笑)、そうです。

ソクラテスはまさに対話・論争を通じて鍛え上げられてきた「饗宴のネットワーク」の中にいた人、スピノザを「メール(書簡)や地方研究者ネットワークの中にいた人物」と見ています。哲学と「制度づけるもの」はいつの時代も関係していた。それを社会学とは違う形で考慮に入れることは哲学にとって重要だ、と。

ドゥルーズのようなモンスターの出現も、ノルマルやアグレグという制度の存在抜きには語れないと思っています。彼がヴァンセンヌにいたことも偶然ではないし、XさんがY大にいることもそうです。「大学にいなくても自分は哲学し続けていただろう」、あるいはXさんのおっしゃるように

「大学を通して私が育てられたという事実は忘れるわけにはいきませんが、私にとって、哲学は大切ですが大学はそれほどの重要性をもたないので、この連辞でものを考えることにあまり意味を見い出せません。」

という意識はかなりの哲学者(日本人だけではなく)が共有していると思いますが――独法化に抵抗したか否かにかかわらず、あの時期に日本で著名な哲学者が哲学的に大学を論じなかったことはその兆候ではないでしょうか――、私はもう少し唯物論的です。ですから哲学と大学の関係を現代の哲学者として問うのは、「闘争共同体」追求の果てに学問の本質が大学という場所から逃れ去るとする当のハイデガーに抗して、「歴運的」だとさえ思っています。

哲学と大学を同一視するつもりも等値だとするつもりもありませんが、現代において哲学が大学とそう簡単に手が切れるとか独立しているという意識を持つべきではないと自戒しているのです。

では具体的にどうすべきか。私にとっての暫定的な結論が、拙論の「制度に関する考察の必要性を説く第一部」と「デリダを批判的に読む第二部」という構成になったわけです。

そのうえで、しかし、独法化の時代に苦しいご経験をされ、かつ哲学的に高い見識をお持ちのXさんから見て、我々のささやかな冒険がユーモアをもって「思考を強制する」ところまでいかなかったとすれば、それはとても残念なことであり、私自身今後の課題としていきたいと思います。

私の稚拙な議論に付き合っていただいて本当に感謝しています。あらためてお礼を申し上げます。

Monday, March 30, 2009

マシュレ、『ささやかなこと。日常的なものの轍と波立ち』

つい最近会った友人と哲学談義をしていると、「けっきょく君はPierre Machereyの弟子なんだね」と言われた。そのとおりである。

リール第三大学名誉教授マシュレ(1938-)は、アルチュセールの弟子と言われたり、その文脈で言及されたりすることに警戒感を示す。バリバールやランシエールと違って、現代思想系の派手な舞台に引っぱり出されることをあまり好まないからだ。

では彼がひとり閉じこもり、自らの存在と思惟の奥深くに沈潜し続けていただけかというと、まったくそんなことはない。彼はリールという地方都市で、大学の同僚、高校の哲学教師、院生や学生などとともに、多年にわたって自分のセミネールで地道な共同作業を続けてきた。

この彼の「実践」面での地味さは、「理論」面の地味さと表裏一体の関係にある。マシュレは主に、1)スピノザ研究、2)哲学と文学の関係に関する研究、3)19世紀・20世紀フランスにおける哲学実践に関する研究、4)マルクス主義研究を行ってきた。たぶん多くの現代思想系研究者にとって、彼の仕事は、ラディカルさを欠いた、地味で穏当なもの、さらには退屈なものという印象をさえ与えるかもしれない。

しかし私は逆にこう問いたい、彼らのほうこそラディカルであることを唯一無二の価値基準とするある種の強迫観念にとらわれてはいまいか、と。私はフランス現代思想をドイツ観念論と比べるより、ヘーゲル左派に比較することのほうに関心がある。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルではなく、フォイエルバッハやシュティルナー、ブルーノ・バウアーといった、後にマルクスによって「超批判主義」として批判されることになる面々である(これについては最近書いた仏語版の大学論で言及してあるので、ご関心のある方はどうぞ)。

そうではなく、「前衛のための前衛」でも、ある時期の丸山のように「後衛」と韜晦してみせるのでもないポジショニングこそ、マシュレの選択した位置ではないか。地味なうえに、一見雑多にも見える彼の哲学的営為の総体を支えているもの、それはまさに理論的なものと実践的なもの、pratiqueとthéoriqueの関係についての執拗な問いかけにほかならない。そしてこの問いかけには系譜がある。

pratiques théoriquesはアルチュセールにとって重要な鍵語であり、後にそれはバリバールとルクールがPUFで指揮した叢書の名となった(この重要な叢書は現在、彼らの弟子のカルサンティとルブランに引き継がれている)。マシュレはアルチュセールの「名」とは違って、この実質的な代名詞には大いに執着を示している。私のこのちっぽけなブログの名もそこに端を発しているわけだ、知っている人には言わずもがなのことだけれども。だから初めに言ったように、「けっきょくマシュレの弟子」「そのとおり」なのである。

そのマシュレが彼の最新刊を送ってくれた。
Pierre Macherey, Petits riens. Ornières et dérives du quotidien, éd. Le bord de l'eau, coll. "Diagnostics", 2009.

私はベルクソン研究者としても、「無 néant」や「空虚 vide」、「隔たり écart」などの間の概念布置を考える上で、このpetit rienは案外重要なものではないか(『創造的進化』に登場する)と考え、昨年のシンポにおける発表でも言及したし、先日行われたベルクソン研究会でも触れたのだが、それはともかく。

本書の表題は、ひとまず『ささやかなこと。日常的なものの轍と波立ち』とでも超訳しておこうか。petits riensは本当に難しい。「なんでもないもの」「取るに足りないこと」「些細なことども」「ちょっとしたこと」などなど。否定のニュアンスをどれくらい入れ、と同時に肯定のニュアンスもどれくらい入れられるか、どの翻訳を選ぶにしてもポイントはそこにあるだろう。

「つまらない」という単語自体には否定的なニュアンスしかないが、「つまらないものですが…」という定型表現になると、一筋縄ではいかなくなる。rienも、それだけだと単なる否定だが、petitが加わるとかなり陰影に富んだ表現になる。Simon Critchleyのある著書のタイトルを借りれば、very little...almost nothingとでも言うべきもの、空間、あるいは場所が生じるのである。(続く、たぶん)

Thursday, March 26, 2009

エラスムス2009詳細

すでに関連サイトやブログなどによっても紹介されていますが、こちらでも。

概要とhttp://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_1030.html

詳細です。http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/pdf/20090324news_01.pdf

講演会もございます。http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/pdf/20090324news_02.pdf

どうぞ奮ってご参加くださいませ。hf

Tuesday, March 24, 2009

Erasmus mundus 2009

みなさま、ようやくerasmus mundusの詳細が固まり、全容をご紹介することができるようになりました。
詳細はこちらまで。

フランス哲学、フランス語で哲学・思想を展開することに関心をもつ人々にはぜひとも参加していただきたいと思います。私たちフランス哲学・思想に関係する若手が、私たち自身の歴史を少しずつ変えていく、そのような試みに自ら積極的に身を投じていただければ幸いです。hf

Thursday, March 19, 2009

他山の石

やはり昨年9月に思っていたこと。

*

どんなに「つまらない」思想家でも、最低三つ(三著書ないし三論文)読むまで全体的な評価を下してはいけないと思っている。そして、そのような視線はとても大事だとも思っている。

思想業界には、「誰某はつまらない」と名前単位(思想家単位)でばっさり切り捨てることが自分の見識の高さを物語ると思っている人々が多くいる。それが商業的に効率的で、見映えもいいからだろう。

だが、大事なのはそこから自分がヒントを得られるかどうか、それだけだ。「誰某の何とかという著作はここはいいが、ここは問題だ」、そういう言い方を心がける。見栄えが悪く、鈍重な印象を与えるかもしれないが、それがなんだろう。他人の研究に対するこのミニマリスト的な視線と、いろいろな解釈の存在を知り、それらを検討したうえで、自分の解答を導き出すという自分自身の研究姿勢とは、表裏一体の関係にあると思う。

評価は他人に示すより、自分の糧にすることが重要だ。

「僕が何かを自分のために生かすことというのは、人のことを見て学ぶことが多いんですよね。自分のなかから何かを生み出していくことっていうのは、あんまりない。人の行動を見ていると、すごく気になることがたくさん見えてきて、それを自分に生かすというやり方で、まあずっと、すごくいやらしいやり方ですけど、そうやって、今の自分があるような気がするんですよ。そうやっていくと今の自分ができた、みたいな。そのなかから自分の信じているものなんかが生まれてきて、それを生かしていく。

(…)要は『これを今、人が見ていたら許さないだろうな』という行動は、なるべくしないようにはなっていきましたよね。人のことも見ながら、自分を作ってきた。(…)アメリカに来てまた想像していたものと違う世界があったわけです、そこに。まあ、いいことも悪いことも。アメリカでは、分かりやすい。特にはっきりと答えが出るので。それは僕にとっては、すごく助けになりましたね。

『あっ、ああやってやらなければいいんだ』ということが、あまりにもたくさんあって。 あのね、こうした方がいい、というのは難しいですよ。答えが出づらいんですよ。でも、明らかに、『それはまずいよね』という中には、はっきりとした答えが、たくさんあるので」(イチロー)

Wednesday, March 18, 2009

四行教授(老人よ、荒野を目指せ)

朝日新聞が頑張って出しているGlobeという紙内紙の話を少し前にしたが、3月16日付で《なぜ東大からノーベル賞が出にくいか――「四行教授」のぬるま湯の罪》という記事が出ていた。頷けるところもあるが、全体としてがっかりさせられる記事だ。

「エリート教育」の話を強調してきたので、もしかすると東大とかノーベル賞といったものに関心を持っていると思われているかもしれないが、実はあまり関心がない。東大生は、これは挑発でもなんでもないが、私の定義する「エリート」の範疇には入らないし、ノーベル賞は私の専門である哲学・思想研究には(いずれにしても近年では)縁がないからである。しかも「なぜ東大からノーベル賞が出にくいか」など、読まなくてもはじめから論の筋道も結論も見えている話ではないか。

それでもこの記事が目を引いたのは、「四行教授」という(私にとっては)謎の言葉ゆえであった。

《四行教授とは、履歴書に「東京大学卒、東大助手、東大助教授、東大教授」(これからは[…]5,6行になる人も多いだろうが基本的には変わらない)の4行しかないという、純粋培養の道を歩んだ人のことだ。[…]。東大に限らず、役所、企業にもある硬直化した日本の組織の特徴をよくあらわしている。》

私の知る東大の諸学科には四行教授はいないように思うが、五六行教授はけっこういるようだ。しかし、では、国立私立を問わず、他の有力大学を見渡して、どこが胸を張ってそうでないといい張れるのだろうか。要するに、日本では(フランスでも)教授の大学間移動がまだまだ少ないというだけの話だ。

《いったん東大に入れば優越意識に駆られる。なぜわざわざ外に行くのか、とリスクをとろうとしない精神構造になりがちだ。しかし、チャレンジを避けるのは、世界のトップになれる可能性を摘んでいることに等しい。ぬくぬくとした羊水にくるまれた、ひ弱な秀才で終わってしまう。残念なことだ。》

これは、あるいはかつては当てはまったかもしれないが、現在の事態をまったく読み違えている議論である。問題はこうだ。何度も言うように、昔から大学への就職は困難だというが、現在のほうが桁違いに困難である。大学院が増え、院生が増え、博士号取得者が増え、そして少子化でポストは減る一方だ。哲学などの「食えない」学科は、とりわけ中小の大学で敬遠され、よりポストが減る構図である。

すると、大学院に入る際に、学びたいことと同時に、あるいはそれ以上に、「就職」のことを意識するようになる。研究がいかに浮世離れしたものであり、研究者が世事に疎いといっても、有力大学の大学院への進学を考えるようになるのはいわば当然であろう。

その結果、有力大学の院生ほど競争を強いられ、目の色を変えることになる(この点、中小の大学の院生がはじめから諦めるというか、「のんびり」ムードなのは、また別の深刻な構造的問題である)。発表を出来るかぎり多くし、論文を量産せねばならない。教歴をつけて、博論をできるかぎり短期間で書いて…。

海外留学が就職に絶対的なプラスになるならするが、留学しなくても就職できるなら、まずは就職が重要だ。のんびり「武者修行」などとんでもない――すでにこの院生たちのピリピリムードからして昔とは大違いだということが分からないのだろうか。もちろん、悪化の一途をたどるそのような状況を踏まえたうえで、しかしながら、院生たちの自然発生的な自閉・鎖国傾向、私が先に「天動説」と呼んだものを批判しつつ、「地動説」を支持し、鼓舞していくことは必要である。だがそれは、誤った現状認識に基づいて誤った非難を投げつけることとは違う。

著者の言う「ぬくぬくとした羊水」は、いつの時代も同じ温度であったわけではない。「リスクをとろうとしない精神構造」も、「チャレンジを避ける」理由も常に同質的であったわけではない。著者の家系・経歴は、《私自身、医者一家に生まれ、東大医学部を卒業後、助手になってから、初めて米国に留学した》というものだ。だが、彼が「冒険」できたのは、しっかりとした財政的な基盤、家族の(もちろんプレッシャーと背中合わせの)精神的・物理的援助があってこそだということ、今教授職にある者たちも多かれ少なかれ「時代」という風に背中を押されてきたのだということを忘れて、抽象的な精神論などぶってもらっては困るのである。

最大の問題点は、72歳にもなって、しかも数々の重要なポスト――UCLA教授、東大教授、日本学術会議会長、内閣特別顧問――を歴任してきたにもかかわらず、著者は少なくともこの記事の中で何一つ具体的な施策を提言できていない点にある。「東大教授がノーベル賞をとれない」ことが問題であるというなら――著者は東大教授も務めた――、「人づくりこそが日本にとって最も重要な課題」だというなら、自分が東大教授であった頃の知見や反省点を踏まえて、「グローバル時代の今」、東大は、若者は、具体的に何をするべきなのかを、それを問題としているこの記事の中で、簡潔にではあれ言うべきであろう。

次のような言葉は美しい。しかし、「自分」が抜け落ちている。いや、誇示すべき「自分」は記事の中でいやというほど誇示されているのだ――私は東大を飛び出し、アメリカで成功し、東大教授になれた、などなど。だが、問題の渦中にいる若者に対して真摯な「自分」が抜け落ちている。著者は「『既得権』をもつ方々の英断」に期待したいという。ならば、著者のせめてもの責務は、何を期待したいのかを言うことであろう。「既得権」を十分に持っているあなたが抽象論をもとにした説教話をして、どうするのだ。

《たとえノーベル賞には届かなくても、若いうちから世界の一流に身近に接し、薫陶を受け、多様な優れた若い研究者と切磋琢磨する環境で研究する。[…]到達できるかどうかは別にして、チャレンジする。自分はどの程度の位置にいるのかを知り、自分を探すのだ。若者は荒野を目指さないのか?

優秀な学生は多くてもチャレンジ精神が薄いように感じる。グローバル時代の今こそ「既得権」をもつ方々の英断と、若い人々の勇気に期待したい。日本の将来はここにかかっている。》

繰り返すが、この言葉が間違っているというのではない。問題は、これが彼の「問題」であるようには思われないということである。荒野を目指すかどうかは若者の問題であって、彼らに任せればよい。若者に荒野を目指してほしいのであれば、老人ができることは、若者が荒野を目指したくなるように、目指しやすくなるように、自分なりの尽力をすることである。それこそが、若者に荒野を目指してほしい老人にとっての「荒野」であろう。老人よ、荒野を目指せ。

私たちは近々、少しでも日本の若手フランス哲学研究者がフランス語でヨーロッパの若手研究者たちと議論できるような機会をつくろうと試みるだろう。これが今の私たちなりのささやかな答えであり、ささやかな「荒野」である。

Tuesday, March 17, 2009

鷲田、カント、フィロネンコ、ブノワ

久しぶりにフランス語に関する頁を更新。フランス語を勉強し(直し)たい人はどうぞ。

複数の目的のために幾つもの本を並行して読む。哲学概論や哲学史の授業では「聴く」ということを一つのテーマにしたいと考えており、そのため鷲田清一の『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(TBSブリタニカ、1999年)を読んでいる。

すると、ふと反論というか、疑問が浮かんできて、それが今度、日本哲学会で行なう発表の一つの軸になるかもしれないと思い、なぜか(私には直線的な連関なのだが)カントと関連書を読み耽る。

カント「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786)

Emmanuel Kant, Qu'est-ce que s'orienter dans la pensée?, préface de Ferdinand Alquié, introduction, traduction et annotation par Alexis Philonenko, Vrin, 1re éd. 1959; repris dans la coll. "Textes et Commentaires", 2001.

Jocelyn Benoist, Kant et les limites de la synthèse. Le sujet sensible, PUF, coll. "Epiméthée", 1996.

フィロネンコの注釈は出来がいい。初版から実に42年(!)を経て、なお再刊される価値がある。

彼は1932年の生まれらしいから、初版の時には27歳。1968年生まれのブノワのこの博論も1994年に書きあげられ、1996年、つまり28歳の時に刊行されている。

一つの軸は見つけた、というか博論で書いていたのを思い出したが、これでは博論からほとんど進んでいない。さらに読書を続けてみる。…すると、授業準備が進まないことに気づく(笑)。

Sunday, March 15, 2009

KY=空気の読み過ぎ(町へ出よう、書を捨てずに)

「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉はとても甘美だ。大衆民主主義社会にあって、おそらく誰もが首肯したくなるフレーズ。そこから「象牙の塔」批判、「講壇哲学」批判まではほんの一歩だ。

フランス人の友人が書いた68年論の帯には"La philosophie est dans la rue !"(哲学は街路にこそある!)とある。そういえば、構造主義者たちは、"La structure ne descends pas dans la rue !"(構造が街路に降り立つことはない!)と批判されたのではなかったか。

街に出て、例えば「浮浪者」「派遣社員」「不法滞在外国人」と呼ばれたりもする人たちと、時には寝食を共にしながら、共闘する。その誠実さにはもちろん賞賛の言葉以外にない。

しかし…。「空気に過敏な論壇」という構図、「さまざまなる意匠」や「掘っ立て小屋の思想」という構図は、ここでもまたあてはまるのではないか。

書を捨てるのでもない、町へ出ないのでもない、そんな態度は不可能だろうか。

中谷巌を支持するわけでは全くないが、以下で問題にされている事柄には興味がある。KY=空気の読み過ぎは論壇にも学会にも共通する「日本的」な原理なのかもしれない。

***朝日新聞3月14日付朝刊より抜粋。

■空気に過敏な論壇
 論壇の停滞が久しい中、経済論壇は、不景気で逆に活況を呈したといわれる。
 だが、経済紙で経済論壇の時評を担当している東大教授の松井彰彦氏は、疑問も感じている。一つが論壇と学界が、「水と油」の関係になってきていること。学界の最前線では、中谷氏が単純化するような野放図な市場主義が礼賛されてきたわけではないのに、学者が大学に閉じこもっていることもあって、研究知識の蓄積が論壇に反映されない。その構造こそが問題だという。
 「気になるのは、日本の論壇に、KYならぬ『空気を読みすぎる』傾向があること。例えば今こそ自由の価値とは何かの議論をすべきなのに、構造改革批判のムードに覆われて、やりにくい気配を感じる」という。
 主張の変更が問題にされると、学者がますます発言しなくなる恐れもある。同志社大教授の浜矩子氏は、変えないこと、真理の前に謙虚であることとの間でバランスが不可欠だとし、そのうえで人々の側に立って臆(おく)せず発言するべきだ、と話す。

Saturday, March 14, 2009

保育園から大学まで

Michel Fichantから次のような情報が回ってきた。日本の哲学者にとってさまざまな意味で重要だと思うので、翻訳しておく。昨今激化しているフランスの大学のストは、決して大学教員の特権的な身分保証のためだけの動きではなく、事は中等教員の身分変更、ひいては教育全般にも関わるものなのだ、という点を中等教育教員に説明するための文章である。

この文章で「国民教育省」が槍玉に挙げられているのは、「高等教育・研究担当省」だけが問題になっているのではないと強調するためである。フランスの教育制度の名称は内閣が代わるたびにマイナーチェンジする。この件に関する必要最低限の詳細はこちら。

***以下翻訳

初等・中等教育の教員養成課程
改革反対に共に立ち上がろう

現在、すべての大学が大規模な抗議行動とストライキにさらされている。パリでは、後期の大部分の授業が開始されなかった。数日来この動きは激しさを増しており、多くの大学が封鎖されるに至っている。ドーフィーヌで、ソルボンヌで、ナンテールで、サンドニで、ヴィエタヌーズで、教育活動の大部分が、ときにはすでに六週間にわたって、停止している。教員・事務職員・学生のストは増え続け、実に多くの組合やさまざまな組織に支持されている。何が問題となっているのだろうか。研究資格を持つ教員の資格変更に関する改革だけが、そしてその改革に対して既得権益を守ろうとするギルド的と見なされてよい防御反応だけが問題になっているのだろうか。事実はまったく異なる。数カ月来、大学関係者が総意として[ensemble de la communauté universitaire]求めているのは、とりわけ国民教育省[フランスの文科省]の教員養成・採用に関する現今の改革案の撤回である。現在、この件に関して、関係省庁に対して六カ月以上にわたって要請され続けているにも関わらず、ヴァレリー・ペクレスとグザヴィエ・ダルコスはあらゆる議論を拒否している。通称「採用試験の修士課程化」と呼ばれるこの改革案は特に以下のことを提案している。

1)これまで採用試験合格後、一年間与えられてきた研修期間を削除すること。新規採用教員は、したがって、一年目から生徒たちの前で通常の職務を行なうことになる。

2)これまで教員養成において認められてきたさまざまな次元の訓練が縮減されること(現行案によれば、例えば、今後採用される語学教員は決して当該言語を話す実践的な能力によって評価されることはない)。

3)あらゆる学問分野のあらゆる中等教員採用試験において、学科試験を一つ減らし、代わりに「教育の世界に関する知識」という試験が導入されること(今後採用される教員は、数学であれ、国語であれ、歴史であれ、語学であれ、専門分野の勉強時間を減らして、ある中学や高校の内規、すなわち国民教育省大臣の深遠な奥義を学ぶことになる)。

4)今後、修士課程の二年目に教員採用試験を組み入れること。したがって、今年の受験者は、一方で十月[フランスでは新年度の開始月]から研究者として研究を行ない、修士論文を執筆して、翌年の六月の諮問に合格すると同時に、他方で、一月に筆記、六月に口述が行われる教員採用試験の準備もしなければならない。このことが必然的に意味するのは、

・教員採用試験も修士論文も中途半端なものになるだろうということであり、これは「修士課程化による教員養成のレベル向上」を謳う国民教育省の目標にとってむしろ正反対の帰結をもたらすものである。

・従来より給料を得られるのが一年遅くなるわけだから、そのような延長された研究を継続する財政的な手段を持たない学生たちが不利を蒙ることになるだろうということ。

・不可避的に、かなりの数の「採用待機者 reçus-collés(註)」、つまり修士号は取得したが、採用試験には不合格となる学生たちが出てくるだろうということであり、彼らは国民教育省が増やし続けている非正規教員枠の労働力として利用されることになる。ここ数年採用試験で募集される教員数は目の眩むほど激減しているが、この傾向は続き、より安価で不安定な身分に留め置かれる教員の数の増加によって埋め合わされることになる。

明日の中学や高校は、その結果、教育という同じ使命を担うはずの教員が、一方では国家公務員であり、他方では、生徒たちが心穏やかに学ぶのに必要な、知的活動を行なう余裕をもはや享受できない、未来の不確かな臨時職員であるような場所になっていくだろう。中学や高校の職場の雰囲気は、生徒ばかりか、学校の全職員のやる気を削ぐ、殺伐としたものになるだろう。

このような政策は、教員の養成・知的訓練にとって後退であり、社会的な損害である。事は国のあらゆる構成員に関わる以上、中等教育の教員たちは、生徒の父母同様、このような政策に無関心でいられないだろう。この破壊的な現行案に対して三月に行われるデモ行進に多く参加されんことを。

最初のデモ行進「保育園から大学まで」は、3月11日(水)に行われる予定です。パリでは、レピュブリック広場を14時30分に出発します。3月11日のデモはすべての大学都市で予定されています。

Friday, March 13, 2009

素直な背伸び

「もっと頭を下げれば聴いてもらえるのにね」。そういった考え方がどうしても好きになれない。

別に私はひねくれた人間でも、高飛車な人間でもないので、もっともだと思う批判を受ければ素直に反省する。必要があれば自説を撤回しもするし、謝罪が必要であればする。

また、他人が土下座して前に進むことをとやかく言うつもりもない。人生は一度きりであり、自分が取りたい道をとればいいではないか、そう思っている。だから私も自分の進みたい道を進む。

言われるべくして言われていないことは言われねばならない。ただそれだけのことだ。もちろん、より説得的な言い方を工夫し続けても行くつもりだけれど…。

素直な背伸びを続けていきたい。そう願っている。

Thursday, March 12, 2009

時間の延び縮み(圓生の凄さ)

授業をするときでも、発表をするときでも、理想は、自分の語りたいことを制限時間にあわせて伸縮自在に操れることであろう。

*

六代目三遊亭圓生。昭和の大名人の一人である。持ちネタの数は有に三百を超えていたというが、弟子で新作落語の雄、圓丈によれば、その記憶力の凄さは数だけの問題ではなかった。

「50分の噺を30分で演るときには、ふつうは途中で切ってしまう。噺を再構成して、いったん短く縮めてしまうと、もう元には戻せない。でも、噺をばらばらにして、好きに取り出せたのが圓生です。あれは通常の記憶力ではない。さらに何段階も上の、次元の異なる記憶です」。

圓生自身は自伝『寄席育ち』のなかで、事もなげにこう言っている。「抜こうと思えば抜ける、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。それが当たり前のことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃァありません」。

この尋常ならざる噺の再構成の自在さは、いかにして培われたのか。圓丈は語る。

「圓生の凄さは、その稽古量です。歳をとれば、どんどん噺を忘れてゆくものですが、圓生は三百を超える持ちネタを片っ端からエンドレスで稽古し続けていた。少しでも時間があれば、稽古が始まる。ごちゃごちゃ口が動き始めるんです。僕らは努力して稽古をしますが、無意識で自然のうちに稽古できるようになるまで努力をしたのが圓生です」。

高座が終わって帰りの車に乗り込む。そのドアが閉まった瞬間に、圓生の噺の稽古、独り語りが始まるのが常だったという。

以上の話は、前述の『落語 昭和の名人決定版』第4巻に収録されている。

Wednesday, March 11, 2009

オーギュスト・コントの時代の生理学と心理学

Anne Devarieuxは、19世紀フランス哲学の、比較的若い、おそらく私と同年代くらいの研究者である。メーヌ・ド・ビランに関する博論を書き(Maine de Biran, l'individualité persévérante, Jérôme Millon, 2004)、ビランを久々に文庫化した(De l'aperception immédiate. Mémoire de Berlin (1807), le Livre de poche (LGF), coll. "Classiques de la philosophie", 2005)。

ENSで行われた『進化』ワークショップでは、私と同じセクションで « Évolutionnisme et psychologie : Maine de Biran, Gabriel Tarde et Henri Bergson » について発表した(『ベルクソン年鑑』第4巻所収)。関連するトピック(タルドのビラン論に序文を付したのが彼女であった)を2004年9月24日に書いていたので、興味のある方はどうぞ。

そのadがシンポに参加すると知らせてきたのでご紹介。ちなみに、主催者の一人Laurent Clauzade は L'idéologie ou la révolution de l'analyse, Gallimard, coll. "tel", 1998. という優れたアンソロジーを編んでいる。

Physiologie et psychologie au temps d'Auguste Comte

Journée d'étude, le 27 mars 2009, de 13h30 à 17h30.
Organisée par Laurent Clauzade (Univ. de Caen) et Vincent Guillin (Collège de France)

- A. Devarieux (Université de Caen), « "Ce qui touche le moi sans être lui" :la psychologie physiologique de Maine de Biran ».
アンヌ・ドゥヴァリユー《「自我であることなしに自我に触れるもの」。メーヌ・ド・ビランの生理学的心理学》

- J.-G. Barbara (CNRS UMR 702 & RESHEIS)« Les recherches de physiologie cérébrale au temps de Comte ».
バルバラ《コントの時代の大脳生理学研究》

- L. Clauzade (Université de Caen)« La théorie cérébrale d'un naturaliste chrétien: H. M. D. de Blainville ».
クローザッド《あるキリスト教的博物学者の脳理論:ブランヴィル》

- V. Guillin (Collège de France)« Le rôle de la phrénologie dans la sociologie comtienne : le cas de l'égalité des sexes ».
ギヤン、《コント社会学における骨相学の役割:性的平等の場合》

- T. Dixon (Queen Mary University, London) « The Science of the Brain and the Religion of Humanity : Comte and Altruism in Victorian Britain ».
ディクソン、《脳科学と人類教:コントとヴィクトリア朝イギリスの利他主義》

Avec le soutien de l'équipe Identité-Subjectivité (Univ. de Caen), de la Maison d'Auguste Comte (Paris), et de la Chaire de philosophie des sciences biologiques et médicales (Collège de France).

Lieu : Collège de France, Salle 411, Pl. M. Berthelot, 75005 Paris

Tuesday, March 10, 2009

哲学入門一歩前

「哲学入門一歩前」という(たしか廣松渉の)言葉は結構気に入っている。その理由については前にこのブログ(の前身であるHP)に書いた。

*

来年の授業を練っている。担当する7コマで一つの哲学教育のcursusを構築できればと願っている。

1年次に基礎ゼミで思考訓練を施しつつ、哲学史(知識)と哲学概論(概念の操作)で哲学研究の基礎を学ぶ。

2年次にフランス近代思想史演習(デカルトとライプニッツ)

3年次にフランス近現代思想史(デカルトからデリダまで)・フランス現代思想史演習(ベルクソンとドゥルーズ)

4年次に卒論ゼミでまとめとしてのフランス思想・哲学研究

私の奉職する大学に限らず、昨今どこの大学の学生にも難しすぎる感じもするが、それはやり方次第かもしれないとも思っている。知の離乳食から通常の栄養摂取へ――少なくとも一年目は、周りの意見をいろいろ伺った上で、自分の思うような形で授業を展開してみたい。それでダメなら、さらに周りの意見を取り入れていこうと思う。

偉そうなことを言っても、私自身の鍛え直しが先決である。そういうわけで、最近は手当り次第に入門書とギリシャ哲学関連の著作を読みあさっている。

・中村雄二郎、『哲学入門――生き方の確実な基礎』、中公新書、1967年(氏42歳の著作)。
・松浪信三郎、『哲学以前の哲学』、岩波新書、1988年(氏75歳の著作)。

・中村雄二郎ほか、『思想史――歴史的社会を貫くもの』、東京大学出版会、第二版1977年(初版1961年)。
・ラッセル、『西洋哲学史1 古代哲学』、みすず書房、1970年(原書1946年、刊行時74歳)。
・熊野純彦、『西洋哲学史 古代から中世へ』、岩波新書、2006年(刊行時48歳)。

・ディオゲネス・ラエルティオス、『ギリシア哲学者列伝』全3巻、加来彰俊訳、岩波文庫。
・『シャトレ哲学史I ギリシア哲学』、藤沢令夫ほか訳、白水社、1976年(原書1972年、刊行時シャトレ47歳)。
・内山勝利、『哲学の初源へ――ギリシア思想論集』、世界思想社、2002年(刊行時60歳)。
・古東哲明、『現代思想としてのギリシア哲学』、ちくま学芸文庫、2005年。

個別の哲学者については数が多すぎるので省略。

Monday, March 09, 2009

『哲学と大学』刊行間近

昨年来、西山雄二さんを始め、友人・知人たちと続けてきたプロジェクトが、いよいよ未来社から、『哲学と大学』というタイトルの論集として刊行されることになった。論集全体は、近代の哲学的大学論を総覧する第一部と、人文学の制度的矛盾を考察する第二部という構成をとっている。

昨年四月に行なった発表を基にした私の論文「条件付きの大学」は、第二部に属しつつ、第一部的な面も含んでいる。フランス人哲学者たちによる大学論不在の原因をフランスの高等教育・研究制度の特殊性に求めつつ、彼らの「沈黙」の意味を問う前半部と、ほぼ唯一例外的に大学論に取り組んでいるデリダの『条件なき大学』を取り上げて批判的に読解して見せる後半部からなるからだ。

デリダを読まずに「批判」する人々――彼らはえてして純粋な哲学研究を自称する――と、きちんと読まずに盲信する人々(ないしは自論の権威づけに利用する人々)――彼らはえてして活動家を自負しており、理論的な内心の不安を抱えている――の両方を同時に叩く戦略を展開してみた。

「哲学はすべての人に開かれてあるべきだ」、高らかにそう宣言する人々は、純哲系にも現代思想系にも多い。一般の人々からも賛同を得やすいこの手の発言は、しかし、哲学の唯物論的な基礎――日本の場合には大学――に目をやることなしになされる場合、ポピュリズム以上の意味を持たない。

哲学はすべての人に開かれてあるべきだとして、まずはそう論じる少なからぬ人々が拠点としている大学において哲学はどう開かれてあるべきなのか、そのことが論じられねばならない。

哲学は偏在する、それはそのとおりである。しかし、至る所に同じ仕方で在るのではない。要するに、心安らかに哲学の偏在性を唱える人々(往々にして大学人)には、論じる「自分」、自分が思索を展開するために拠って立つ「場」に対する感覚というものが抜けているのである。

大学における哲学教育を考えるうえでも、哲学者の大学論の系譜を辿る教科書としても最適な本書、店頭配本は23日の週になるとのことですので、ぜひお買い求めください(価格は2400円)。

Sunday, March 08, 2009

ラヴェルの夕べ

知らなかったが、ベルクソンについて幾つかの研究書を書いているアラン・パヌロは、ルイ・ラヴェル協会(association Louis Lavelle)の書記 secrétaire らしい(ちなみに、JLVBが会長)。その彼からのお知らせ。

Poésie et métaphysique
Le vendredi 20 mars 2009,
École Normale Supérieure, Salle des Résistants, 45, rue d’Ulm, Paris 5e
Entrée libre

14 h / Jean-Louis Vieillard-Baron : Discours d’ouverture
14 h 15 / Frédéric Worms : « La poésie de Jean Wahl »
15 h / discussion
15 h 15 / François Chenet : « Philosophie et poésie : une admirable concordia discors »
16 h / discussion puis pause
16 h 30 / Souâd Ayada : « Hafez, poète et philosophe »
17 h 15 / discussion
17 h 30 / Bernard M.-J. Grasset : « Poésie, philosophie et mystique »
18 h 15 / discussion puis cocktail

Saturday, March 07, 2009

m&m

同世代でありながら、仕事でははるか先を行っているという人々がいる(この年になれば、すでに年下にもそういう人々がいる)。

h大のmさん(のブログ)とh大のmさん(のHP)。同い年(のはず)の二人のmさんは、私より少し年上だが、仕事では何倍も上である。

このお二人、違いもいろいろあるのだが(批判の表現の仕方など)、共通点も多いように思う。何より仕事への真摯な打ち込み具合が似ている。家庭は大丈夫なんだろうかと余計な(実に余計な)心配をしたくなるほどだが、まずはその前に学者としての自分の心配をしないといけない。やはりこのくらい頑張らないと一流の学者にはなれないのかも。

しかし、今日も引っ越しの後片付け。primum vivere...

Friday, March 06, 2009

蔵書の荷解きをする(ベンヤミンとは別の仕方で)

新天地に着いた。ようやくネットにつながったので、段ボール箱に囲まれながら、必要なメールを書きまくっている。

もう何度目の長距離引っ越しだろう。大阪から京都、京都から東京、東京からリール、リールから東京、そして…

年をとるほど引っ越しが辛くなる。捨てるに捨てられないもの(あらゆるレベルで)が溜まり、ますます身動きが取りにくくなるからだ。文化が埃との絶えざる闘争であるとすれば、人として生きるということもまた、「降り積もるもの」に対する不断の抵抗であると言えるかもしれない。

若かりし頃、ベンヤミンの「蔵書の荷解きをする」にごく当然のものとしてのシンパシーを抱いていた。ことと思っていた。

《蔵書の荷解き作業を中途でやめるのがどれほど難しいかということほど、この作業の魅力をはっきり物語るものはありません。昼どきに作業を始めたのが、やっとの思いで最後の箱に近づく前に、真夜中になっていました。》

ベンヤミンのこのエッセイの初出は1931年だから、39歳のときのものということになる。元気だな…そもそも荷解きだけでも単純に疲れるのに。ともかく、結婚し、子供が出来ると、夢中で荷解きしまくれるのは一つの特権であることに嫌でも気づかされる。

《本来、遺産相続こそ蒐集を始めるための最も有力な方法であります。と申しますのも、蒐集家が自分の所蔵物に対してとる態度は、もともと、有産者がその財産に対して抱く責務の感情に由来しているからです。蒐集家の態度とは、したがって、最高の意味では相続人の態度なのです。》

子供より古書が大事と思いたい(必ずしも思っているわけではないわけだ)人間はいいのだが、ふつう子供がいると、相続人の立場に立つよりも、いずれ「役に立たないガラクタの山」として相続される(嫌な顔をされる)であろう自分の蔵書の行く末に思いを馳せるものではなかろうか。

蒐集という行為の反時代的な性質について語り、蒐集にとって「夜」の時代がやってきていることを語ると同時に、ベンヤミンは個人の行為としての蒐集の終わりについても語っている。「蒐集という現象はその主体を失うことによって自身の意味も失う」。しかし、子供や連れ合いがいる場合、蔵書としての意味は失われても、マテリアルなガラクタとしての「意味」は否応なく彼らにのしかかるのである。

蒐集家の幸福を「私人=金利生活者 Privatmann の幸福」と言い換えるベンヤミンは、特権階級がパトロンとして支えてきた芸術でも、大衆がファン・マニア・おたくとして支持するポップカルチャーでもない、過渡期の何かにきわめて敏感であった。しかし、この視点からは見えないものも当然ある。そこそこ裕福な金利生活者は「負の遺産」にそれほど怯えなくてもいいわけだ。

《さて、最後の木箱の本を半ば空け終えたところで、時刻はもうとっくに真夜中を過ぎてしまっております。今私の頭の中を満たしているのは、ここまでお話ししてきたこととは別の考えです。いや、考えといったものではなく、さまざまなイメージ、さまざまな思い出なのです。実に多くのものを見出したさまざまな都市の、さまざまな思い出…》

ここでもまた、今の疲れ切った私は共感することができない。蔵書の荷解きをしつつも、連れ合いと子供と共に新たな生活に飛び込んで、「降り積もるもの」に抗い続けた一日の終わりに、さまざまなイメージ、さまざまな思い出は、残念ながら私にはまったく浮かんでこない。夢の中ででもなければ。Sogni d'oro...

Wednesday, February 25, 2009

ポスト・ドゥルーズ的方向性の模索(ベルクソン研究における)

『フランス哲学・思想研究』の最新号がようやく届いた。

『創造的進化』百周年を記念して世界各地で行われた会議に関する私の報告は、本来書くべき人が辞退し、頼まれてやむなく書いたものであることを明言しておく。

*

鈴木さんの『ベルクソン読本』書評、これもまた状況に押されて書かれたとはいえ(あるいはそのゆえにいっそう)、非常に目配りの利いたものである。

1990年代以降の(「ここ数十年」(151)という引用は誤記である)ベルクソン研究の世界的な動向を「ポスト・ドゥルーズ的方向性の模索」と特徴づけた私の小文に対し、鈴木さんは日本の研究の現時点での到達点を示すこの『読本』にはそれが欠けている点を鋭く指摘している。

《本書[『読本』]において印象的であるのは、ドゥルーズによるベルクソン解釈とは別の方向への読解の力強さと、檜垣論文を唯一の例外として、ベルクソン・ルネサンスの起爆剤の一つであったはずのドゥルーズによるベルクソン解釈との本格的な対峙とそこからの創造的な引き延ばしの作業の不在である。「ポスト・ドゥルーズ的方向性の模索」を内実あるものにするためにも必須のその作業には未だ機が熟していないということであるかも知れず、特により若い世代の研究課題として何時の日か本書の続刊にこそ結実するものであることをドゥルーズ読みの一人としては願う。》(同)

「ポスト・ドゥルーズ的方向性の模索」は、いずれヘーゲル的な理性の狡知が不可逆的な仕方で達成するはずの方向性であり、現時点ですべてのベルクソン研究者に共有された問題意識ではない。現時点では少なからぬベルクソン研究者が依然として完全にドゥルーズ的な問題設定の内にあるか、それ以前的であるかであることは否みがたい事実である。

そもそも、日本に限らず、人文系の研究者には、流行りの思想あるいは伝統的・制度的にコード化された(哲学科的・倫理学科的・仏文科的などなど)テーマ設定にうっかり乗るか、自分のきわめて個人的な(しかも恣意的な)主題選択にこだわるかする人がきわめて多く――無反省的で享楽的な研究姿勢が悪いと言っているのではまったくなく、そのような姿勢ばかりであることが問題だと言っているのである ――、しばしば「今この研究分野の地平そのものを刷新するために研究されるべき問題」といった視点が欠けている。

「ポスト・ドゥルーズ的方向性の模索」はその種の「今この研究分野の地平そのものを刷新するために研究されるべき問題」である。

ヘーゲル的な理性の狡知といったのは、いずれにしても時間が経てば個人の嗜好や思惑を超えて模索が開始されるものというほどの意味で、それは鈴木さんの指摘する「ドゥルーズによるベルクソン解釈とは別の方向への読解の力強さ」の中にすでに胚胎しているかもしれない。

しかし、それを「未だ機が熟していないかもしれない」現時点で意識化するためには、もっと直接的に「ドゥルーズによるベルクソン解釈との本格的な対峙とそこからの創造的な引き延ばしの作業」が必要である。

我々の日本ベルクソンプロジェクト(Project Bergson in Japan 2007-2009)の力線の一つがまさにこれであり、カミーユ・リキエは2007年度シンポに関してCritique誌(2008年5月)で、私の名を引きつつ、Bergson (d') après Deleuze(ドゥルーズによる/ドゥルーズ以後のベルクソン)を模索する動きが日本でも始まっていることを指摘してくれたのだった。2008年度シンポに引き続き、今年度(2009年度)もこの線を探っていく。

「ポスト・ドゥルーズ的」という言葉は、構成的であると同時に統整的であり、事実確認的であると同時に行為遂行的である。

*

「研究の方向性を考える」ということは、「大きなことばかり言って、具体的な問題を考え抜くということをしない」ということを意味しない。個別的で具体的な問題を扱っていく以外に研究の地平の刷新などありはしない。

研究をするということと、研究環境に働きかけるということは同じことではないにしても、無関係のことではない。

逆に、研究の方向性を考えないことと業界の方向性を考えないこと――エクスキューズとしての(行動しないための)中立主義・客観主義・無関心主義・似非禁欲主義――もかなりの程度相関している。

Tuesday, February 24, 2009

ベルクソン的政治学はあるか?

慌ただしい日々を送っています。しばらく続きます。

バタバタしている間に過ぎてしまったが、こんなのもありました。特に、ジャンヴィエのドゥルーズ的『二源泉』読解に興味がある。日本ではまだあまり活発化していない「ポスト・ドゥルーズ的な方向性の模索」ですが、世界では少なくとも半歩は(ドゥルーズ的読解の発展・延長として)進んでいる。私が見ようとしているのはさらにその先の地平。

Ecole doctorale en philosophie près
le FNRS
CIEPFC (ENS-Paris)
Société des amis de Bergson


Y A-T-IL UNE POLITIQUE BERGSONIENNE ?


JOURNÉES D'ÉTUDES AUTOUR DE
LES DEUX SOURCES DE LA MORALE ET DE LA RELIGION


Le vendredi 13 et le samedi 14 février 2009 à l’Université de Liège
Salle de l'Horloge
Place du XX Août, 7
(Bâtiment central, aile des Jésuites, 2ème entresol)


Présentation

On a vu dans Les deux sources de la morale et de la religion, à juste titre, la philosophie sociale de Bergson. Fondé sur la distinction de la société close etde la société ouverte qui renvoie aux deux modes d'être en société vers lesquelspeuvent tendre les hommes, Les deux sources analyse en effet la moralité et lareligion en tant qu'elles sont constitutives du lien social. Selon cette lecture, la philosophie sociale bergsonienne consiste à penser cette distinction depuis l’image de l'élan vital, soit dans le cadre d’un vitalisme. Clôture et ouverture seraient les deux tendances contraires prises par la vie sur la ligne de l'humanité : l'une refermée sur soi, l'autre coïncidant avec son être créateur. Les deux sources nous présente une alternative posée à la vie par l'intermédiaire de l'être humain : une première voie qui conduit l'humanité sur une pente analogue à celle de l'animalité, par l'institution d'obligations restreignant son activité – et, partant, celle de la vie – à sa propre reproduction statique ; une seconde voie, mystique, qui aspire l'humanité dans une dynamique créative, portant la vie à son plus haut degré d'intensité ontologique. La philosophie sociale de Bergson est ainsi fondée sur une métaphysique vitaliste définissant la tâche normative de l'humanité : ouvrir la société à une fusion avec l'élan vital, c'est-à-dire rendre la vie à son être propre. A l'occasion de la réédition critique aux Presses Universitaires de France des Deux sources de la morale et de la religion, les journées d'études organisées les 13 et 14 février 2009 à l'Université de Liège tenteront de proposer une autre lecture du dernier grand livre de Bergson. Notre hypothèse est la suivante : l'originalité des Deux sources est de poser la distinction entre société close et société ouverte pour en problématiser l'articulation. Cette problématisation n'est autre que celle de la liberté humaine, à mi-chemin entre la nécessité de l’instinct animal rivé à son objet et la liberté pure du mystique en pleine coïncidence avec le mouvement de la vie divine. Elle pose la question des modalités d’une transformation émancipatrice de l'ordre social constitué, c’est-à-dire de la constitution d’une société d’hommes libres. En ce sens, Les deux sources de la morale et de la religion élabore, non seulement une philosophie sociale, mais également une politique. Cette politique, distincte de la métaphysique de l'élan vital, pense la question de la liberté humaine à partir de la tension irréductible qui la définit, entre clôture et ouverture, reproduction statique et création dynamique. Il ne s’agit pas de rejeter la métaphysique de L'évolution créatrice ou la philosophie sociale des Deux sources, mais d'en déplacer les enjeux sur le terrain de la politique, dans le sillage des travaux récents sur Bergson qui insistent sur la finitude de l'élan vital et la considèrent comme constitutive de sa puissance créatrice. L'objectif de ces journées est donc de proposer une nouvelle lecture du grand ouvrage de 1932, visant à situer la philosophie de Bergson dans le champ de la pensée politique contemporaine. On tentera de déterminer à quelles conditions (problèmes, concepts, notions) les images de l’élan vital fini et de la tendance peuvent constituer, ou non, une ressource pour penser lapolitique. A cette fin, nous suggérons différents types d'approches particulièrement fécondes :

- une première approche qui, en amont, inscrit la pensée bergsonienne de la politique dans le champ des pensées de l'émancipation pour en déterminer les reprises et les déplacements conceptuels dans Les deux sources.

- une deuxième approche qui, en aval, aborde l'héritage critique des questions politiques des Deux sources dans la pensée contemporaine (Sartre, Merleau-Ponty, Deleuze, mais aussi Lévi-Strauss, Clastres, etc.), pour en dégager les éventuelles solutions aux difficultés rencontrées par Bergson.

- enfin, les approches qui, à l’écart de l’historiographie, entendent simplement faire usage des thèses de Bergson pour penser des problèmes pratiques actuels. Plus largement, il s'agira d'éprouver la pertinence d'un vitalisme radical, qui articule finitude et création, pour penser les processus politiques d'hier et d'aujourd'hui.

Ces journées d’études relèvent du programme des activités de l’Ecole doctorale en philosophie près le FNRS (Belgique). Elles font partie des activités deformation doctorale et la participation peut être officiellement valorisée en ECTS. (Florence Caeymaex et Antoine Janvier, FNRS, Service de philosophie morale et politique de l’Université de Liège)

Programme

Vendredi 13 février, Salle de l'Horloge

9h15 : Accueil

9h30 : Frédéric KECK (CNRS/EHESS), Bergson dans la société du risque

10h30 : Antoine JANVIER (FNRS/ULg), Ecart émotif et création politique : une lecture deleuzienne des Deux sources

11h30 : Caterina ZANFI (Univ. Bologne), Le sujet dans la société ouverte

12h30 : Pause

14h30 : Ghislain WATERLOT (Univ. Genève), Le luxe et la simplicité dans lapensée politique de Bergson

15h30 : Johannes SCHICK (Univ. Würtzburg), The relation of intuition and emotion in Bergson's philosophy

16h30 : Fin de la journée

Samedi 14 février, Salle de l'Horloge

9h15 : Accueil

9h30 : Grégory CORMANN (ULg), Drôle de guerre entre hommes et choses : habitude, émotion, réaction en impasse

10h30 : Yala KISUKIDI (Univ. Lille III), L'universalisme et la question des droits de l'homme dans Les deux sources

11h30 : Arnaud FRANCOIS (Univ. Toulouse-Le Mirail), Créer des situations nouvelles : linéaments d'une politique bergsonienne

12h30 : Clôture par Florence CAEYMAEX (FNRS/ULg)

Sunday, February 22, 2009

決定力とは何か

別にスポーツ選手の善良無垢を信じているわけではない。にもかかわらずアスリートの世界は正直だ。結果が数字で出るからだ。人文系の学者の世界はどうだろう?論文数?学生の人気?著書が売れた数字?測りにくいのは確かだ。

でも誰も自分の心に嘘はつけないだろう。

話していて悲しい気持ちになるのは、自分に嘘をついている人。年齢も肩書も世間の評価も関係ない、その嘘は話していればわかる。

*

毎日新聞記事から

「どうしてプレッシャーを感じないんですか」。五輪開幕前日の記者会見。地元ラジオ局「中国国際放送」の姜平記者(32)は北島選手に質問した。頭に思い浮かべていたのは、陸上百十メートル障害で五輪連覇を狙う中国代表の劉翔選手(25)。自国の国民的英雄と同じように、日本中の期待を背負う北島選手には、大きな重圧がかかっているはずだと考えたという。「この五輪を楽しみにしていた。レースでいい結果を残したいという強い気持ちがあれば、無用なプレッシャーはかからない」。姜記者の目を見据えながら、北島選手はそう答えた。

*

北島選手と「北島康介 夢、はじまる」(学習研究社)の著者・折山淑美さんへのインタヴューから。

北島 そうですね。本番を想定しながら、戦略も考えています。以前は何も考えてないでトレーニングをすることもあったけど、最近は想定しながらやっていますよ。

折山 そこまでできるようになったっていうのが、うれしいよね。

北島 泳ぎに対して疑問を抱く暇もなかったですからね、今まで。「今日はだめだったな」とか「この泳ぎはしっくりくるな」とか、少しでも思うことが大切なんだと思います。少しずつ確認しながら、だめでもいいイメージを持って。練習ってつらいですから。足を一歩踏み出すのも、水に入るのも嫌なときもあるし。そういうときはできるだけ、自分が一番になることやオリンピックのコースに立っているところを考え、気持ちのトーンを下げないようにしています。気持ちをいかに高いところに持っていくかというのも、一つのトレーニングだとぼくは思っています。

Friday, February 20, 2009

必要?

昨日は、フランス政治哲学読書会@本郷でゴーシェの二回目。前回は政治哲学(人権論)だったが、今回は宗教論。次回(4月11日の予定)は宗教論の残りと、おそらくは教育論。

*

「ブログ見てますよ」というのは割とよく言われることなのだが、そしてそれはそれですでにありがたいことなのだが、いろいろ指摘してくれると助かる。

「普通の若手研究者のことを言ってくれているときとそうでないときで、共感できたりできなかったりする」と率直な意見を言ってくれた人もあれば、「それは要は目線を上げさせようとしているんだよね。もし文句を言う人があるとすれば、それはあごの筋肉を鍛えられて苦しいから文句を言ってるっていうことじゃないかな」と言ってくれた人もあり。

「ブログに書いていることにはみんな賛同してくれるでしょう?」ともよく言われるのだが、そして賛同の意を表してくれる人も確かに少なくはないが、まあ賛成ばかりでもないのです。

実際、私がフランス語で書く・話すことばかりを過度に強調していると思っている人はかなりいる。「日本語だってそう捨てたもんじゃないよ。けっこうメジャーな言語だよ」から、「どうせ数年たてば翻訳機械が登場して外国語の問題なんてすべて解決されるのに御苦労な事ですね」まで、いろんなレベルで反論される。

うーん、私としては「観客でも批評家でもなく」というエッセイの中で簡潔ながらきちんとした形で定式化したので、そして常々そのエッセイを参照してほしいと言っているので、ブログでは断片的に(カウンターパンチの形で)しか書かないのだが、それがよくないのだろうか。

あまり気が進まないが、エッセイを敷衍するか。

Friday, February 13, 2009

チャレンジ―教養教育の

先に見た「Globe」の特集の中には、私がこれまで強調してきたエリート教育の問題について、イタリアのスクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレや教養教育に関するレポートもあったが(「イタリア、ピサ。ディエゴ・スカラベッリの1日。」「これだけ勉強すると、自分が本当に何を学びたいか、はっきりわかる」)、
今日は別の記事に注目したい(「時間管理からカードの使い方まで 「大学生になる」ための教育」)。

《初年次教育が始まったのは、学生運動の嵐が吹き荒れた後の72年。大学の大衆化が急速に進み、様々な背景を持つ学生が入学し始めた。どうやって学習意欲の高くない学生を定着させるか、全体のレベルをどう底上げするか、大学が競うように知恵を絞り始めた時期だった。今の日本と、状況は似ている。》

前にも言ったが、この段階から卒論レベルまで、それぞれの段階で、いかに知的なショックをうまく与えていけるか、自分を試そうと思っている。「学部教育の4年間、再構築のとき」という記事で描かれている「高度教養教育」――「教養的な知識よりも専門知識が重視される社会になったが、むしろ専門が見えてきた後でこそ、社会にとって必要なことを学ぶべきだ」(阪大教授・小林傳司)――、すなわち一定の専門的知識を身につけ、社会にまもなく出て行く学生(全学部の後期~大学院前期の学生)に対して、専門教育以外に必要とされる知識や能力を与える教育の試みに注目していきたい。

《旧制高校の解体、戦後一般教育の形骸(けいがい)化と崩壊。教養教育の土壌の希薄さ。そして、学部教育そのものの不透明な行方――。日本の教養教育はどこへ向かうのか。早稲田大教授(教育社会学)の吉田文は「今は、4年間のプログラムをどうつくるかという段階。1年次の学生にとって大学での学習に必要なことを学ぶ初年次教育などの比重が高くなっている。学生の多様化への対応が認識されるようになり、準備教育的な教養教育が高まっている。さらに、環境や情報技術など、現代的な課題に対する共通の認識や理解が必要で、それが新たな教養教育になる可能性がある」と展望している。》

Thursday, February 12, 2009

学ぶ、とは?

朝日新聞の新たな試み、"Globe"の第8号の特集「学ぶ、とは?」が面白いと教えていただいた。

2月9日付の夕刊「池上彰の新聞ななめ読み」でも指摘されていたが、

《「グローブ」には、高級紙を目指そうという高い誇りが感じとれます。あえて活字を横組みにしたところにも、冒険精神を感じ取れます。(…)印刷が美しく、内容が「高級」なら、新聞広告も高い料金設定が可能になるのか。(…)興味は尽きません。》

ずいぶん前に指摘したが(penses-bêtes japonaisの2004年11月2日「ジャーナリストAへの手紙」)、新聞も商売であるという観点に立てば、「タブロイドでいこう」という流れはもともと一般的で不可逆的な全世界的傾向ではあるが、こうして「高級紙」としての生き残りの道が模索されていることに希望を見出したい。新聞の運命やいかに?新聞にとって学ぶ、とは?

Wednesday, February 11, 2009

内向き

このあいだ、「天動説」「地動説」の話を書いたところ、

地動説(成人式の後に)(2009年1月13日のポスト)
天動説(2009年1月20日のポスト)

知り合いの先生から「本当ですか、詳しくきかせて下さい」と言われた。

2009年2月10日付の「朝日新聞」夕刊の記事。この「トレンド」は、哲学研究と無関係ではないでしょう。

***

「日本文化の発信」現状は 自然体?いえ「内向き」深刻

 外務省や国際交流基金をはじめ経済産業省や文化庁も海外への「日本文化の発信」に力を入れているが、実際の文化の国際交流は、そう簡単ではないだろう。それを考えさせられたのが、1月末、東京で相次いで開かれた二つのシンポジウムで、世界における「日本」がテーマになった。

 一つは、「いま“日本”とは? 現代を疾走する3人に聞く」(24日、ジャポニスム学会主催)。パネリストはパリ国立高等美術学校教授で造形作家の川俣正、ルーブル美術館ランス分館を建設中の建築家・妹島和世、海外でも豊富な展覧会経験を持つ画家の中村一美の3氏。いずれも外国でも知られる50代のアーティストだ。

 刺激的だったのは、川俣氏の「日本らしさを売り物にする作家は残らない」という発言。和服からアニメまで、外国でイメージされ求められる「日本らしさ」にあわせ、評価されるとわかる範囲で作品を作ることを批判。「藤田嗣治の時代にはそれが戦略として必要だったが、今では安易な手段。村上隆氏はその例と言えるのでは」

 中村氏は、自分にしか意味のないものを描くことで普遍性を目指すという。妹島氏の「日本的なものを目指したことはないが、結果として日本的と言われる」というのが共通意見だ。もはや日本らしさから脱却しているのだろう。

 司会を務めた美術史家の宮崎克己氏は、「現在は作り手が自然体になった。日本のイメージもくっきりしなくなった」と締めくくった。

 英国の国際文化交流機関・ブリティッシュ・カウンシル主催のシンポジウム「今日の世界における国際文化交流の意義」(26日、国際交流基金共催)では、交流の中身について話し合われた。

 国際交流基金の小倉和夫理事長は「相撲を見てもわかる通り、日本文化は日本人だけのものではない。能や歌舞伎を学ぶ欧米人も多い」「文化発信には受信側の事情を知ることが重要」。心配になったのは、セゾン文化財団の片山正夫常務理事の「この20年で日本のアーティストは完全に内向きになって、外国から招待されても行こうとしない場合も多い」という発言だ。

 先のシンポの川俣氏たちの世代は、海外で作品を見せることで自らを成長させてきたからこそ、日本にこだわらないと言える。作り手が自然体になるのはいいが、海外への関心が薄れることは、文化発信以前のもっと深刻な国内問題かもしれない。(古賀太)

Tuesday, February 10, 2009

トレンド

一月の頭に思っていたこと。

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日本のトレンドに乗っても仕方がない。哲学研究の守旧派も現代思想派も、自分が同じゲームを反復し、同じ規則に縛られ続けていることに気づかない。


それ自体が世界のトレンドを生み出している大きなうねり、それに乗るのではなく、うねりと格闘し、うねりそのものを生み出す動きに参与すること。


タカシロタケシ、結婚でさらに有名に…。98年1月の日経産業新聞のインタビュー。「日本が大好きなんだが、創作活動となると米国の方が圧倒的に仕事がしやすい。クリエーターを支えるビジネスの基盤があるからだ」

「流行商売をやっているのにトレンドがほとんどない東京にいてもしょうがないでしょう」

「トライ&エラーをくり返し、自分に最適なやり方を探す。まだ、なにが正しいかはわからないですけど、様子見だけはしていません」

今年、私はまた別の戦略を展開していく。様子見だけはしていません。

Sunday, February 08, 2009

研究のスピード

昨年9月頃に思っていたこと。

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最近「これは話しておかないと」と思うことが少ない。「それより自分の研究をどうにかしないと」と思う。それでも、「業界」に対する視線というものはあるし、それは忘れてはいけないと思っている。そういうスタンスで綴ることにすれば、少しは書けるかもしれない。

《藤井システム 崩壊の危機》という新聞記事(2008年9月9日付朝日新聞夕刊)の一節。

「昔は新手の引き出しがたくさんあった。危機が訪れたのは渡辺竜王や村山五段ら研究好きの世代が出てきた最近5年くらい。研究のスピードが恐ろしく速くなった。昔は研究は自分一人でやるものだったが、最近はグループで調べた内容がメールなどを通してすぐに広まる。1回指した手順がすぐに研究され尽くしてしまう」(藤井九段)

まだまだベルクソン研究はそこまでは行っていないのだが、しかしその予兆は明らかにある。ごく少数だとしても、我々の世代の意識的な人々の間では、研究の手順が一段階上がったと感じる。

ただ、ベルクソンに限らず、哲学研究では、まだまだ「研究書(二次文献)なんか」という「原典至上主義」も根強い。だが、このような考えは、結局のところ自分の活動(研究)自体を否定するようなもの(あるいは自分を大哲学者と見なすようなもの)ではないか。個人の信条とするのは自由だが、一般論として語られうるものではないように思う。

たとえ過去の大哲学者がそういう身振りを見せているとしても、私たち現代の思想研究者がそれを真似るのは意味が違う。「昔は練習なんかせずに、二日酔いで試合に出てホームランを打った」といった類の話を信じるのと同じである。それが事実であったかどうかなどどうでもよい。現代スポーツにそんな感覚は通用しないと言っているのである。

論文集や雑誌を読むとき、我知らず西洋人のものから読み、アジア人やアフリカ人のものを後回しにしてはいないだろうか?おそらくそんな「順序」に気付きもしなかったという西洋哲学研究者がほとんどだろう。だが、ここにも先ほどと同じ無意識の「(自己)否定」が働いているのだ。それに対する「精神分析」的介入を行なうために、今年のベルクソン・シンポジウムは企画されている[シンポ前に書いていたので現在形]。