Gabriel Tarde, Maine de Biran et l’évolutionnisme en psychologie, avertissement d’Eric Alliez, préface d’Anne Devarieux, Institut d’édition Sanofi-Synthélabo, Paris, collection « Les Empêcheurs de penser en rond », 2000.
1882年にとある学会で発表されて以来、実に一世紀以上入手不可能なものとなっていたガブリエル・タルドの論文「メーヌ・ド・ビランと心理学における進化論主義」が、事実上ほとんど初版のような形で、今回「ガブリエル・タルド著作集」の一環として刊行されることになった。
1876年、すなわちメーヌ・ド・ビラン(1766-1824) の死後ほぼ五十年後に執筆されたこのタルドの論文は、「努力」というビラン哲学の原初的事実に関する最初期の、そして重要な批判的分析の一つである。この 論文はまた、タルドに捧げられたオマージュのなかで用いられたベルクソンの言葉によれば、「哲学者たろうとしてでなく、そのようなことを考えることすらな しに」哲学者であったタルドの思想界へのはじめての正式な参加を示すものでもある。こうしてタルドは「われわれにかくも多くの地平を開いてくれたのであっ た」。
同時代人たちを揺り動かしていたさまざまな議論の光の下でメーヌ・ド・ビランに問いかけることで、この研究は、ある概念の歴史における一つの重要な契機を明らかにしてくれる。その概念とは、19世紀の思想家たちの思想に執り憑いていた「力force」の概念である。このタルドの研究は、「信仰」と「欲望」という彼の二つの原理を介して、ビランの「努力」概念からベルクソンの「動的図式」概念へと導くことによって、「力」概念の歴史の「ミッシング・リンクmaillon manquant」を埋めてくれる。『メーヌ・ド・ビランと心理学における進化論』は、社会学者のなかで最も存在論的な人物[タルド]と、心理学者のなかで最も形而上学的な人物[ビラン]との出会いの証言である。
「なぜ(メーヌ・ド・ビランは)、反作用(réaction)によってしか自我の日付を記入させないのであろうか、すでに印象(impression)がかくも明らかにこのことを前提しているというのに?なぜだろう、この自我をあらゆる異質性の疑いから免れさせるためであるというのでなければ?統一性(unité)という大きな威光がこの深遠な思想家をこれほどまで魅了していたということがまざまざと見て取れるではないか!だが、精神生活に穿たれたなんと多くの差異があることか!」
Eric Alliezについて贅言を費やす必要はなかろう。アンヌ・ドゥヴァリウー(Anne Devarieux)は、「メーヌ・ド・ビランにおける運動と感性の管理」に関する博論を出版している。
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