Tuesday, November 28, 2006

混線、混戦-戦場で友に送る手紙

最近年齢の壁やfameないしstatusの壁にこつんと当たる小さな事件が幾つか起こってきている。今自分が置かれている状況と自分にできること、あるいは自分が実現したいと思っていることの間に開きがあるからだ。しかし、それでもなお、弛まず進んでいきたいと願い、日夜努力を続けている。

そんな中で、温かい声を掛けてくださる方々がいてくださって、精神的にとても助かっている。自分の研究のことは自分でやるほかないという以上に、単に自分の事柄なわけだが、状況を変えていこうとすると、求められるのはそういった事柄以上のものだ。しかし、自分の仕事と決して無関係ではない。見知らぬ人が他人を判断する基準は仕事しかないのだから。

他方で、物見高く見ているだけという人々もいる。自分は知らないよ、と。おこぼれには与るけれど、と。 ある程度優秀な学者も含めて、普通はそういうものかもしれない。たぶん「羊たちの沈黙」はいつの時代にもある。彼らはいつも小声で文句を言いながら付き従う。私の努力が実を結ぶのはまだまだ先のことだろうが、そのとき彼らは、今私が時代状況に感じている閉塞感やそれを突破するために払っている努力や犠牲の大きさなど一顧だにせずに、結果だけを平然と受け取るだろう。彼らはいつも小声で文句を言いながら誰かにつき従うだけだからだ。あてにできるのは、研究レベルの努力と制度的なレベルの努力という「両面作戦」で行動を共にしてくれる友人たちだけだ。

しかし、「日本は知的砂漠である」という意見には反対である。教育国家と文化国家の違いも弁えないそのような放言にはルサンチマン以上のものを認められない。言い放つだけならとても簡単だとも思う。大切なのは内側から(繰り返すが研究レベルだけでなく制度的なレベルで)少しずつでも変えていくことだ。そのような努力抜きの「鋭い批判」などに何の意味もない。

aboutに掲げているが、大事なのは嘲笑することでも、慨嘆することでも、呪詛を投げつけることでもなく、理解しようと努めることである。真の理解はやがていつの日か真の変革につながる。

No comments: