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Wednesday, August 21, 2024

フランスから書籍を最も安く送る方法

昨夏から一年間フランスに研究滞在しました。長期滞在だけに限れば、前回は2000年から2006年だったので(2011年にも3か月ほど滞在しましたが)、17,18年ぶりのことになります。当然、フランスもいろいろ変わっていました。

いろいろ書いておきたい気もしますが、備忘録的に一つだけ書いておきます。

研究滞在の時に一番大きな問題になるのは帰国の際の書籍送付だと思います。向こうで知り合った大学院生の方から教えていただいたのですが、便利だったのは郵便局(La Poste)の"Livres et brochures"という制度でした。

https://www.laposte.fr/tarifs-livres-brochures


注意点1:フランス語の書籍・資料しか送れない

中身については一切チェックをされなかったので、正直日本語の本を入れても分からないのではないかという気もしますが、それはご自身でご判断ください。私は万が一のリスクを負いたくなかったので、正直にフランス語の本だけ入れました。


注意点2:2キロを超えると、プロ用の支店でないと受け付けてもらえない。

当初はどこの郵便局でも受け付けてくれると思っていたので、5区のrue Linnéに住んでいた私は、最寄りのParis Mouffetard(10 Rue de l'Épée de Bois, 75005 Paris)に行きました。

ところが、バカンス期間(さらに言えば五輪期間)であまりやる気のなさそうな女性は出てくるなり、「ノン、ノン。2キロ以上のLivres et brochuresはプロ用のところでないと扱えない」と告げられました。(そんなことは、上記の説明ページのどこにも書いていない。)

私の場合は、ソルボンヌ大学脇のrue Cujasの支店が一番近いところだと言われました。

炎天下、25キロ超の荷物を抱えてヨタヨタと歩きました。普通に歩けば10‐15分だと思いますが、20‐30分かかりました。

「もっと遅くからしか開かないはずだけど、今日は9時から開いているわ。あなたはラッキーね」と言われていたのに、着いたら閉まっている。「12時開店に変更になりました」と、、



注意点3:自分で麻袋を買って(郵便局には売っていない)、本を入れる。

なぜ麻袋なのか分かりませんが、ともかく郵便局ではそういう説明を受けました。近くの雑貨屋で何枚か購入し、そこに本を詰めます。


これで25キロ前後、料金は50ユーロちょっとです。普通にColissimoで送ると(日本はzone C)、2キロで48ユーロですから、この便がいかに破格であるかが分かると思います。



注意点4最高25キロまで。事前に重量・冊数はきちんと把握しておいたほうがベター

25キロ台なら受け付けてもらえるとは思いますが、担当者による個人差が大きいので、なるべくはみ出ないように持って行ったほうが良いと思います。

私はその場で郵便局員にいろいろ質問・相談しながら記入したかったので、何も記入せずに行きましたが、けっこう時間もかかりますし、担当してくれる方の性格によってはイライラして「自分でやってきて!」となるリスクもありますし、その間列に並んでいる人たちからのプレッシャーもありますので、フランス人と渡り合うメンタル、語学力に自信がない場合は、事前にオンラインで記入・印刷していかれることをお勧めします。


注意点5:いいかげんに入れると、痛い目を見ます。書籍の梱包は丁寧に。

麻袋で送るのですから、どれほど乱暴な扱いを受けるかは想像が出来ます。私はある程度梱包して持っていきましたが、重量オーバーで何冊か抜かねばならなくなり、慌ただしく何冊か詰め直す際、いいかげんに放り込んでしまいました。その結果こうなりました。

このくらいならOKという人はいいですが、私はちょっとショックでした。


注意点6:思ったより速かった!

船便なのか航空便なのか説明ページに一切記載がないので、最悪2~3か月かかると観念していたのですが、二週間程度で到着しました(パリから発送したのが8月6日、福岡で受け取ったのが8月19日)。


以上ご参考までに(2024年8月20日現在)。


Saturday, January 28, 2023

「最先端の将棋を追いかけることで探究心をより持ち続けられる」という信念

【王将戦第3局】羽生、森内、佐藤康九段を育てた「島研」 最先端を走り続ける羽生九段の姿勢 島朗九段に聞く

***一部抜粋

この年代になってさらに若手の大きな壁になっていくというのは、本当に将棋への情熱を持ち続けないとできないですね。棋士は現役時代が長いので、やっぱり情熱を持ち続けることの大変さというのは棋士なら誰でも分かりますし。

羽生さんに関してはそんな杞憂はまったく無用で、ただ将棋への好奇心をただひたすら持ち続けていましたね。その証明として、常に最先端の将棋で若手と張り合ってきた。彼の中に「最先端の将棋を追いかけることで探究心をより持ち続けられる」という信念があるようで、だから衰えないということだと思いますね。

ただ佐藤康光さん、森内俊之さん、この二人の存在、また木村さん、丸山元名人をはじめ、同世代が集団で追いかけてきたというと何ですけれども、羽生さんを緩ませなかったというのもすごく大きいと思いますね。

羽生さんが50タイトルをとった時に、信じられないかもしれないですけど、森内さんまだ無冠、ゼロだったんですよね。いったん二十代で差がつくと、棋士の場合なかなか厳しいんですけど、そこから森内さんが三十代で追走して平成名人を先んじたり、この抜きつ抜かれつのストーリーが、若い時だけでなく今に至っても続いていて、自分の中ではこういうことを見られてすごく幸せだなあと思います。

佐藤康光会長も将棋がずいぶん変革されて、自由奔放な将棋を指されますけど、佐藤さん曰く「羽生さんと普通に本格的にやっても勝てないので、負けるほうが変えるよりしょうがない」って言うんですけど、ただ佐藤さん、それでも総合勝率が7割くらい勝ってるんですよね。それだけ勝っている方が、対羽生戦に闘志を燃やして自分の将棋を変えざるを得ないという、そういった棋士として円熟期を迎えてからの変革はつらいですけど、やっぱり羽生さんの存在が多くのライバルの何かを活性化した。


Tuesday, December 27, 2022

芸は砂の山

「芸は砂の山」

師円生の言葉で、一番印象に残った言葉がこれ!とにかく、今までいろんな噺家を見てきたが、一番稽古していたのがわが円生だった。車の中とか一人になるとすぐ、「ぶつぶつ…」と噺の稽古をする。ホントによく稽古する師匠だった。その師匠に訊いた。

「芸というのは砂の山。いつも少しずつ崩れている。私の芸はここまで上がったと思っても、何もしないとずるずる、ずるずると落ちてくる。そこで、砂が崩れる分だけ稽古をして、上がってやっと前と同じ芸なんだ。だから、もし芸を上げようと思ったら大変だ。砂が崩れる以上の努力で上っていけば、その分だけ少し芸が上がる。芸は砂の山だ。何もしないと芸は下がる。」

(三遊亭円丈『ろんだいえん 21世紀落語論』、244‐245頁)


私のような疲れきった中年研究者には耳の痛い話である。トボトボとでも歩き続けねば。

Friday, February 10, 2017

平尾誠二の、人を叱るときの4つの心得

山中さんが弔辞の中で引用されてました。
①他人と比較しない
②長時間叱らない
③プレーは叱っても人格は責めない
④あとで必ずフォローする

Monday, August 01, 2016

言の葉

私の書いた言葉に励まされてくださる方がいるとは…。

とてもうれしいことです。

最近は疲れすぎていてここにほとんど何も意味のあることを書けません(書く時間も気力もありません)が、またいつか書けるような時間的・精神的余裕を持てるように頑張ります。

Wednesday, March 30, 2016

三浦知良の言葉

「J2でも、横浜FCでもよくそう言われるし、書かれているじゃないですか。でも、パンダじゃなきゃ人は来ないですから。その役割は自負していますよ。僕は客寄せパンダで十分ですよ。だって普通の熊じゃ客は来ないんだもの。パンダだから見に来るんだもの。熊はパンダになれないんだから」


ひとのことをとやかく言うよりも、自分を見つめ直すこと。自分に咲かせられる花は何かと考えること。

Monday, March 14, 2016

吉田隆一の言葉

もちろん、ドルフィーだからこそ出来たわけで、下手に真似すれば、3つとも中途半端になる危険性もある。

≪面白いのは、ドルフィーはバス・クラの技術をアルト・サックスにけっこう転用しているんですね。逆にバス・クラを聴くとアルト・サックスの奏法もちょっと見える。フルートも同様で、構造的奏法的にはまったく異なる3本の楽器を扱うことで、非常に幅広い視点をもつことができたんですね。≫

けれど、イメージはこういう感じで。

Thursday, January 28, 2016

【クリップ】「後でちゃんとやる」が口ぐせ。多忙な”ジャグリング男子”との付き合い方

ジャグリング男子。。



「後でちゃんとやる」が口ぐせ。多忙な”ジャグリング男子”との付き合い方

「後でちゃんとやる」が口ぐせ。多忙な”ジャグリング男子”との付き合い方

“恋バナ収集ユニット”桃山商事のメンバーが、恋愛の悩みに効く1冊を紹介していく新感覚のブックガイド『桃山商事の「恋愛ビブリオセラピー」』!
◆今回のお悩み◆
・彼がいつも忙しくてなかなか会えない
・仕事が繁忙期に入ると、メールの返信もよこさなくなる
・「落ち着いたら旅行にいこう」と何度も言われているが、一度も落ち着いたことがない
・忙しさを理由に家事や子育てに非協力的

●この本がなぜ恋愛と関係あるのか

■「いつも時間がない」男性、あなたの近くにもいませんか?
 今回は、読者のみなさんがおそらく一度は出会ったことのあるタイプの男性について考えていきます。ひょっとしたら、今の彼氏や夫がまさに当てはまる方もいるかもしれません。
 それは「いつも時間がない」男性です。仕事に常に追われていて、なかなか会えないどころかメールの返信さえなくなり、一時的に音信不通になることもしばしば。結婚していても毎日帰りが遅くて、共働きなのに家事や子育てをしない。「ひと段落したら旅行にいこう」と口にはするが、いつまで経っても「ひと段落」する気配がない……こういったタイプの男性です。

■多忙・カードローンの悩み・ダイエットに共通するもの
 ここで取り上げる書籍は、行動経済学者のセンディル・ムッライナタンさんと、エルダー・シャフィールさんの著書『いつも「時間がない」あなたに』です。タイトルだけ見ると、いかにもライフハック系の時間管理術の本に見えます。しかし、本書はそれよりもずっと射程範囲の広いテーマを扱っています。
 これは「欠乏」についての本です。本書によると欠乏とは「自分が持っているものが必要と感じるものよりも少ないと感じること」で、言うなれば「足りていない!」という主観的な感覚です。この感覚はさまざまな問題と直結しています。(・・・)
 このように時間やお金に欠乏を感じている時に、人の心には何が起こるのか。また、それがどのように選択や行動を決定するのかを、著者たちは豊富な研究事例を挙げて論じています。

■欠乏は「処理能力」の低下を招く
 欠乏が人の心に及ぼす最大の影響は、「処理能力の低下」を招くことです。処理能力とは「計算する能力、注意を払う能力、賢明な決断をする能力、計画を守る能力、そして誘惑に抗する能力」のことで、人が意識的に行うほとんどの活動に関係します。
 欠乏が処理能力を低下させるのは、それが人の心を占拠するからです。例えば仕事の締め切り間近で切迫している時には、家にいてもついそのことを考えてしまいます。(・・・)
 これは、バックグラウンドで重いプログラムを開いているパソコンに似ています。重いプログラムはパソコンの処理能力を消費して、動作を鈍らせる。同様に欠乏も、人の心のプロセッサーに負荷をかけ続けることによって、目前の事柄に向けられる心を少なくします。
 忙しい仕事の合間にアマゾンで衝動的に爆買いしてしまうときには、処理能力が低下していて「賢明な決断」ができなくなっているのです。
 次のページでは、欠乏がもたらす具体的な選択や行動についてさらに見ていきます。
多忙な“ジャグリング男子“とは?
■「ほったらかし」の原因となるトンネリング
 欠乏を感じると、人はそのことだけに集中します。仕事で締切を設定することは、時間的な欠乏状態を意図的につくっていることであり、これは欠乏のポジティブな側面です。
 しかし1つのことに集中することは、他のことをほったらかすことにほかなりません。「本やテレビ番組に夢中になりすぎて、隣にすわっている友人からの質問に気づかなかった経験」は誰にでもあるでしょう。いわゆる視野狭窄の状態です。欠乏によって目前の切迫した問題への対処だけに心がとらわれ、視野狭窄に陥ることを、本書は「トンネリング」と呼んでいます。トンネルの内側のものは鮮明に見える一方で、トンネルに入らない周辺のものは何も見えなくなります。

■多忙と欠乏の共犯関係
 このようにトンネリングを起こしている人は、締切が目前に迫った「重要かつ緊急なこと」だけに集中し、放置しても平気な「重要だが緊急でないこと」を先延ばしにします。
 1ページ目で例として挙げた「いつも忙しい男性」にとっての彼女と会う約束やメールの返信、家事、子育て、旅行の計画もこれに当たります。また、仕事中でも、「重要だが緊急でない案件」は後回しにします。「いますぐやらなくてはならないことがほかにある」からです。
 これはローンの借り換えに似ています。昨日から今日に延ばしたことのせいで、今日やろうとしたことが先送りになります。しかし、次にやろうとしたときに前より時間がたくさんあるわけではありません。そこで時間という負債を次々に借り換えていきますが、ローンの利子と同じように、後回しにした仕事を片付けるには、本来かかる時間よりも少しだけ余分な時間がかかります。
 こうして、多忙と欠乏は「手に手を取って」進んでいくのです。

■ジャグリングとは何か
 トンネリングが続くと、やがて著者が「ジャグリング」と呼ぶ状態に突入します。それは「緊急の課題を曲芸並に次から次へとやりくりすること」です。ジャグリングに陥った状況を、著者は次のように記述しています。〈(空中にはたくさんのボールが投げられているが)落ちようとしているボールに集中するせいで、どうしても全体像を見ることはできない。遅れを取り戻そうと躍起になるのをやめたいのはやまやまだが、やるべきことがありすぎて、どうすればいいかわからない。いまはあのプロジェクトの期限を守らなくてはならない。長期的な計画は明らかにトンネルの外だ。〉(本書p.172)
 このように、欠乏は処理能力に負荷をかけて人の心を占拠し、彼を「今」に縛りつけます。明日も時間が乏しいかも知れませんが、それは別の問題なので放っておきます。しかし気付いたときにはそれが「今」の問題としていきなり目前に迫り、焦ってその場しのぎの対応をすることになる……「なぜ、あらかじめ決まっている出来事を、まるで突然の出来事であるかのように受け止めているのだろう?」。
 これが、多くの「いつも時間がない」男性に起こっていることです。
 言うなれば彼らは“ジャグリング男子”なのです(読者のみなさんの中には、“ジャグリング女子”もいらっしゃるかもしれません)。次の頁では、そんなジャグリング男子と付き合うなかで出てくる問題点について考えていきます。
“ジャグリング男子”と付き合うと……
■ジャグリング男子の“ちゃんとやる幻想”
 ジャグリングについて理解しても、「メールを返信する時間くらいあるだろ」と思う方も多いのではないでしょうか。ほかならぬ私もジャグリング男子の一員なのでわかるのですが、我々は「重要だからこそ後に回す」と発想してしまうことがあります。なぜなら自分にとって重要なことほど、対応に必要とする処理能力が大きくなるからです。
 「今はそれをやる時間がない。後でちゃんとやろう。」
 これがジャグリング男子に見られる“ちゃんとやる幻想”です。前のページで見たように、ジャグリング状態にある限りは“ちゃんと”やれる時期など永遠に来ないのですが、渦中にいるとそれがわかりません。こうして書きながら私は、自分の“ちゃんとやる幻想”によって引き起こした仕事上の失敗や、大切な人の信頼を失った不義理な行いをいくつも思い出し、たいへん落ち込んでおります。

■典型的な“ジャグリング男子との別れ”
■徹底的に決断を迫るとどうなるか?
■問題は「時間」ではなく「処理能力」の不足
 Sは当時のことを、「訓練はきついし、その後に控える試験は『不合格なら失職する』から勉強にも必死で、そこに結婚式の手配が重なって、自分のキャパを完全に超えていた」と振り返っています。
 ジャグリング男子に「新たな課題」を突きつけることは、必死なジャグラーに向かってもうひとつ玉を投げ入れることと同じです。とはいえ、「だから彼女や妻が後回しになるのを我慢せよ」というのでは、何の解決にもなりません。大切なのは、何が問題なのかを正確に捉えることです。本書では次のように述べられています。〈人はスケジュールを立てるとき、処理能力を見落とすことが多い。普通考えるのは、やることリストを片付けるのにかかる時間であり、それにかかる処理能力、あるいはかける処理能力ではない。〉 (本書p.250) 
 多くの場合、問題なのは「時間」よりも「処理能力」の不足だと言えそうです。ある調査によると、ふだんは子どもに対して真摯に向き合う「良い親」である人物も、仕事が多忙になると子どもをほったらかす「悪い親」になる傾向があるといいます。
 「良い親」でいるための「心がけ」を実行するには、処理能力が必要なのです。これは「良い恋人」も同じだと思います。

■「ほったらかし」を防ぐための方法
 トンネリングによる「ほったらかし」を防ぐために、著者は次のような方法を提案しています。〈トンネリングはほったらかしを誘発するので、ほったらかされがちなことを一回限りで解決できるようにすることは、とても効果的と考えられる。必ず子どもと時間を過ごそうとしても、あなたの心がけ頼りではうまくいかないが、週一回の親子活動に参加申し込みすれば、毎週最低限のすばらしい時間をともに過ごせる。〉 (本書p.271)  ここで私が思い出したのが、桃山商事のもう一人のジャグリング男子・清田代表とその彼女のことです。清田はフリーのライターなので、仕事の管理を全て自分の「心がけ」だけで行わなければならず、これは普通の会社員よりもジャグリングしやすい環境です。実際に、過去の恋人との付き合いでは、「いつ会えるかわからない」ことが大きな問題となっていました。

■うまくいった“朝活”
 清田と現在の彼女は付き合い出してからほどなくして、平日の出勤前の早い時間に、とある駅近くのカフェでデートするようになりました。2人はこれを“朝活”と呼び、平日は毎日行っています。おしゃべりすることもあれば、それぞれ仕事や読書をするだけのこともあるそうです。
 2人が朝活を始めたとき、私は「いつも『時間がない』清田が、続くわけないよ」と密かに思っていました。ところが驚いたことに1年以上続いており、2人の関係も大変良好な模様です。
 この朝活が成功しているポイントは、最初に「平日は毎朝やる」というシンプルな運用方法を決めたことで、スケジューリングの必要がなくなった点だと思われます。スケジューリングするには処理能力が要りますが、ジャグリング状態にある人はまさにそれが不足しているからです。
 仕事で忙しくなって何も考えられなくなっても、朝起きてとにかくあの店に行けば彼女に会える……。なんて贅沢な環境でしょうか。
 とはいえ起きられない時もあるようですし、時間などの微調整も行っているとのことですが、そういった“緩い運用”も、2人の朝活が優れている点のひとつです。〈欠乏の心理についてひとつ言えるのは、トンネリングに備え、ほったらかしを防ぐ必要がある、ということだ。それはつまり、トンネリングを起こしている一瞬にまちがった選択をしにくいようにうまく舵取りをして、あまり心がけなくても良い行いができるように手はずをととのえ、ただしときどき現状を見直すようにすることである。〉 (本書p.272) 

 もしもジャグリング男子と付き合うことになったら(あるいは付き合っているとしたら)、彼の「処理能力」の一部を解放する方法を二人で考えてみてはどうでしょうか。
 そうした浮いた分の「処理能力」を、自分(彼女・妻・家族)に向くように舵取りをする。本書にはそれを考えるための事例や方法がたくさん書かれています。個人的にも、目からウロコが落ち続けた読書体験でした。腹の底からオススメいたします。

文/森田専務(桃山商事)

Tuesday, December 29, 2015

【クリップ】南海キャンディーズ、今漫才やっても「ボロ負けする」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakanishimasao/20151228-00052887/

以下一部抜粋

コンビ仲は今が一番いい

山里「でもね、コンビ結成以来、今が一番仲はいいと思います。ここ最近ですよね、仲がいいなんて思えるようになったのは。コンビ仲がよかった記憶がない。僕が子どもだったというのもあるんですけど、まずはしずちゃんに対する嫉妬が大きかった。ずっと『努力の量以上に、しずちゃんが売れてる』と妬(ねた)んでましたからね。本当は、相方が売れるなんてメチャメチャありがたいことなんですけどね」

しず「確かに、いろいろ言われたりはしましたね」

山里「しずちゃんが仲間内で旅行に行こうものなら、旅先に『うつつをぬかしてないで、今からおもしろいエピソードを何十個も作ってね』と連絡してましたし。でもね、例えば、その旅行中にしずちゃんがエピソードを20個作りましたと。その間に、僕が40個作っていたんだったら、言う権利もあると思うんです。けど、じゃ、やってるかって言ったらやってないし、僕は僕で酒飲んでるし、悪循環でしたね。僕のダメな癖なですけど、自分がメチャメチャ努力してるって過大評価してるんですよ。それプラス、人に『お前はやっていない!!』と言うことで、自分の“やってる感”を増幅させると言いますか。正味、全然やっていないのに。しずちゃんを怒ってる時が、コンビを前向きに成長させる時間と感じていたというか。あんなのね、錯覚でしかないんですよ。でも、完全にその構図に入ってましたからね。自分の努力不足をそっちのけで逃げてたんです。今、やっとアラフォーになって、そこに気づけたという感じですね」

しず「ま、一つ言えることは、当時は『サメに食われたらいいのに』とは思ってましたね」

山里「いや、ま、当時は本当に思ってたんだと思うんですけど、本来、しずちゃんは人のことを恨むとか憎むと感情を持ったことがない人でしたから。だから、僕とも一緒にやってきてくれたんだと思いますし。あとは、今もコンビが成立していることには、先輩から言葉をいただいたことも大きかったですね。『メッセンジャー』のあいはらさんなんですけど、僕はコンビ同士互いに憎み合ってると思ってたんです。僕はしずちゃんに嫉妬の炎を燃やしてますし、しずちゃんも僕のことを憎んでると思ってたんです。そしたら、ある日あいはらさんから『しずちゃんはお前を嫌ってるどころか、山ちゃんに声をかけてもらってコンビを組ませてもらったので、私から南海キャンディーズを離れることは絶対にないです、と言っていたぞ』と」

しず「いや、私は正直、言ったことをよく覚えてないんですけどね(笑)」

山里「しずちゃんが照れてるのか、あいはらさんが優しいウソをついてくれてるのかは分かりませんけど(笑)、それを聞いて、僕の意識がガラッと変わったのは間違いないですね。しずちゃんが映画に出たりする時も、僕にしたら『映画に出たりしてるから、おもしろいことの一つも出てこないんだよ』と嫉妬から思うわけです。ただ、しずちゃんにしたらエンドロールの“山崎静代”という名前の横に“南海キャンディーズ”という文字を必ず入れてくださいとスタッフさんにお願いしていたと。自分はあくまでも、南海キャンディーズの山崎静代として芸能界にいるんだと。だから、本当にコンビの看板を守っていたのは、どう考えてもしずちゃんなんですけどね」

しず「そこまで意識をしていたわけではないんですけど、考えれば考えるほど、南海キャンディーズという名前、これって何なんやろと。バラバラに活動してた時にも『南海キャンディーズのしずちゃんです』と紹介されるんです。コンビとしてはほとんど一緒にいてなくても。でも、南海キャンディーズがなくなって、しずちゃんだけになったら、それこそ、もっと自分自身がいったい何やねんになるなと。自分の出身地というか、すごく大事な故郷というか、そこがなくなったら自分がなくなる。今になるほど、それを強く感じています」

Monday, February 23, 2015

それぞれの努力

みなさん、それぞれに工夫されてるんですよね。こないだ合同ゼミに来ていただいた、東京経済大学の相澤伸依先生のゼミ・ブログ

授業では、読んできた本について口頭で紹介をします。別途書評(読み上げ原稿ではない)も書いてきて、教員に提出してもらい、添削指導を行います。本を読む習慣をつけつつ、口頭表現力と文章力を鍛えるのが目的です。 ゼミ生が書評を書くのに慣れたら、彼らの文章をこのブログに掲載したいと思います。

一部ビブリオバトル形式を取り入れつつ、添削指導、モチベーションを上げるためにブログに掲載。なるほど。

Thursday, February 19, 2015

ちょっとうれしかったこと

学生のレポートを読んだ感想とアドバイスを送ったら、こんな返事が。


こんにちは。レポートの今後の課題についてのご指摘ありがとうございます。次回にむけて課題を反映できるように準備していきます。『愛の渦』ではないですが、昨日、h先輩と『さよなら歌舞伎町』(KBCシネマ)[20日まで]を観に行ってきました。恋人や兄弟が恋人以上でない人と肉体関係をもつことで、どういった感情がおこるのかについて、ちょっぴり考えられたかなと(映画を1人で観るのも面白いですが、観たあとに友人と感想を言い合うのもいいなと感じました)。

たぶん私たちのような大学に勤めていないと、どうして私がうれしがって、わざわざ引用までしたがるのかは分からないだろう。

先生やゼミを離れて、友人と知的好奇心をもって街に飛び出し、映画や演劇を観る。そして、共に語り合う。たったそれだけのことが、今私が見渡す学生たちの生活になんと欠けていることか。

なるほど時代は移っているのだろう。サブカル系の文化であれば、彼らの一部は日々どっぷりとはまっているのであろう(私の大学ではそれさえも少なく感じるが)。そして、彼らは彼らなりの「正しい」大学生活を送り、人生を謳歌しているだけなのだろう。それはそれでいい。

それでも、私が「ちょっといい」と思う文化的な態度を称揚することは許されるだろうし、それに共感を覚えてくれる学生たちも、いつの時代にも必ず少数ながらいるだろう。それもそれでいいと思うのだ。


Saturday, December 27, 2014

かぜのね

毎年、一年に一度会いたい友人がいるのであるが、なかなか連絡がつかない。

それで、あれやこれやと探索しているうちに、懐かしい名前が。

京都の「かぜのね」さん。

以前、2009年12月2日の項「のんびり繋がっていく」や、「『冬の兵士』朗読会」(2009年12月1日)でご紹介しましたが、知らない方々のためにご紹介(されている文章をご紹介)。


Tuesday, June 24, 2014

誰にでも分かる比喩で説明する(2)オーナーの役割

2*

プロ球団のオーナーが就任後、真っ先にやるべきことは何だろうか?それは現場の激励、視察ではあるまいか。「ご苦労さん、よくやってくれているね。さらに一層の奮起を期待します」などなど。そして、少なくとも現場を自分の目で確認したうえで、自分が野球の素人であるということを肝に銘じたうえで、なすべき緊急の改革があるならば、現場の声にしっかりと耳を傾けながら、その改革を行なっていくというのがあるべき姿勢なのではないのか。

大学の理事長が就任後、真っ先にやるべきことは何だろうか?なるほど、大学の各種施設の視察、それも大事なことには違いない。だが、最も大事なことは、今自らの大学でどのような教育が実際になされているのか、その現場を見ることから始めることではないのか。売り場を実際に見に行かない、現場に足を運ばない経営者に、”健全経営”を云々されても困る。

まともな民間企業のトップなら、そこから始めるはずだ。「まず激励、そのうえで、改善点の具体的な(抽象的な精神論ではない)指摘」が基本中の基本だからだ。大学教員は、勉強しない学生たちにさえ、日々そのように接している。「まず激励、そして具体的な改善の奨励」と。いきなりダメ出しから、それも根拠も論拠もない精神論的な完全否定から入るなどとは、教育産業のトップにあるまじき振る舞いであると言わざるを得ない。

現場を見たこともない、生の野球を見たこともない、球場に足を運んだこともないオーナーに、球団の経営改善ではなく――それは完全にプロ野球選手の仕事ではない――、チームのプレイ改善やファンサービス向上による観客動員アップ――それが唯一選手にできることだ――について、何か有意義なことが言えるだろうか?

教室に足を運んだこともない、実際の講義やゼミの風景を見たこともない理事長に、しかもこともあろうに50年前の自分の(しかもろくに勉強しなかったと公言して憚らない自分の)うっすらとした記憶を頼りに、教育の質向上による志願率アップについて、何か有意義なことが言えるだろうか?

「だいたい、あなたがたのプレイはなっていない。私はプロ野球のド素人であり、かつあなた方のプレイを一度も見たことはないが、あなたたちが一生懸命やっているとは到底思えない。あなた方のプレイに魅力がないから、観客動員が悪いのだ」なんて。

一度も講義やゼミに足を運んだことのない理事長が、「あなたがたの教育に魅力がないから、学生が集まらないのだ」とおっしゃる。そんなことがありえるだろうか?まさか。

ひとくちにプロ野球チームといっても、その内部はさまざまであり、例えば、選手に限ってみても、部門によって大きく性質を異にし、選手の気質も、彼らが抱える問題もさまざまであるという基本的事実すらわきまえないオーナーや球団社長に、「プレイの質改善による観客動員」を云々する資格は果たしてあるのだろうか。

ひとくちに大学といっても、その内部はさまざまであり、学部によって大きく性質を異にし、学生気質も、彼らが抱える問題もさまざまであるという基本的事実すらわきまえない理事長が、あるべき大学像を云々する。それは理のあることだろうか?



学内でも学外でも業務は山積しており、急いで書いたので、言い足りない、不十分な点も多々あろうかと思う。だが、日本にとってのW杯がほぼ終わりつつある(?)現在、経営陣にも分かりやすい、使える比喩を提示しておこうと考えた次第である。もしお役に立つようなことがあれば幸いです。

私は無意味な感情的対立は不毛だと思っています。相手がどれほど非合理的で、むやみに好戦的で、理不尽であろうとも、最後の最後まで、理性的に、時にユーモアをもって、言論で応戦することが学者として正しい在り方だと信じています。

誰にでも分かる比喩で説明する(1)研究と教育の関係

0*

さる大学の大学教員から、「あんたの研究なんかどうでもいいんだ。要はうちの大学でどういう教育をしてくれるのか、それを聞かせてほしい」、そうはっきりと理事長面接で言われたことがある、という話を聞いたことがある。

このようなことを言う理事長は、そもそもまったく教育について理解していない。

私たちは、大学が「教育産業」だということを理解している。そして、教員として可能な限りの努力を行なっている。しかし、上のようなことを言う理事長は、大学が「教育産業」だということを理解していない。どこの民間企業のトップが、自社の業種の特殊性について素人で無知だが、その経営には一家言あるなどと公言するだろうか?

「教育について自分は素人で無知だ。だが企業経営には一家言ある」と公言して憚らない理事や理事長や経営陣を前に、彼らにも分かる言葉遣いで、議論を行なって行かねばならない。現在の私立大学は、そのような状況の中にいることが多いのではないか。以下はそのような現状に鑑みて、私なりにつらつらと考えてみた思索ともつかぬ思索の断片である。

1*

大学経営者の多くが、大学教員から「研究の時間」を奪いさりたがっているように見える。教育とは関係ないと思っているからである。だが、それは間違いであることを、ごくわかりやすい比喩で説明してみる。

優れた研究を行ない、活発に研究業績を発表し、シンポジウムや研究会に招かれる研究者は、ナショナルチーム(プロ野球で言えば侍ジャパンであり、サッカーで言えば日本代表である)に召集される代表選手であり、彼(彼女)が日々教育を行なっている本務校の大学とは、クラブチーム(プロ野球の各球団やJリーグの各チーム)である。

たしかに、研究を活発に行なう研究者は、そうでない研究者に比べて、出張が多く、また学外の(学会や研究会、国際シンポのオーガナイズなど)業務が山積しており、学内的な視点から見れば、不必要な労力を割かれているように見えるかもしれない。だが、そもそも、彼(彼女)が大学のその職に就いたのは、その能力を見込まれてのことであったのであり、まさにその同じ能力が認められているがゆえに、当該研究分野で必要な人材とされているのである。

またたしかに、代表での活躍を重視するあまり、クラブチームで体力温存に走る選手がいるとすれば、それは困りものである。その姿勢は修正されるべきであろう。だが、問題は、代表チームとクラブチームとの間でどのようなバランスを取るかであって、代表かクラブかという絶対的二者択一ではありえないし、ましてや代表で発揮されるべき能力とクラブで発揮されるべき能力が根本的に異なるということではありえない。

つまり、学内で必要とされる「教育能力」と、学外で必要とされる「研究能力」は、発揮の仕方は違うとしても、基本的に同じ能力なのである。香川がマンUと日本代表で違う役割を求められるとしても、発揮すべき能力は同じである。

研究と教育の間に常に「葛藤」があるとしても、決して原理的な「矛盾」が存在しえないのは、ナショナルチームとクラブチームでの活躍の間に常に「葛藤」があるとしても、原理的な「矛盾」が存在しえないのと同じである。

代表に招集されるほどの一流選手は、その能力によって、クラブチームに貢献する。研究で活躍する研究者は、その研究技能でもって、教育に当たるのである。

選手が代表に招集されたことを我がことのように、クラブ全体の名誉として喜び、快く送り出してやる。全面的なバックアップを約束する。それがひいてはクラブチームのためになるのだということを分からないオーナーがいるだろうか?

「あんたの研究に興味はない」と言い放つ理事長は、「あんたの能力に興味はない」と言っているプロ野球チームのオーナーと同じである。

プロ野球チームは、スペシャリスト集団である。彼らの適性を見極め、現在のチーム編成に必要かどうかを(監督や現場の首脳陣とともに)判断するのが、経営陣でありフロントの仕事なのではないのか。

ちなみに、理事長がオーナーなら、理事はフロント(球団社長など)に当たり、学長が監督だとすれば、投手コーチや守備走塁コーチなど、各部門のヘッドが各学部の学部長にあたり、それぞれの学部教員は、投手や野手など各分野のスペシャリストである。

そもそも選手経験のないオーナーや球団社長がプレイを云々すること自体、本来はおかしなことなのであるが、それがまかり通っている以上、議論の土俵には少なくとも乗らねばならない。そして、彼らにしっかりと当たり前のことを理解してもらう必要がある。

Sunday, June 22, 2014

「自分たちのサッカー」…


「侮れないギリシャの不気味」 サッカーダイジェスト特派としてEURO2004優勝を見届けた元編集長が【証言】

SOCCER DIGEST Web 6月17日(火)17時35分配信

「侮れないギリシャの不気味」 サッカーダイジェスト特派としてEURO2004優勝を見届けた元編集長が【証言】
決して一筋縄ではいかない狡猾なヒールが、ギリシャ代表だ。日本代表は覚悟して立ち向かわなければならないだろう。 (C) Getty Images
ギリシャが10年前に得たような確信を、果たして日本代表は…。
(…)
 欧州のトップクラブで活躍するタレントを多数擁するコートジボワールやコロンビアとは違い、特筆すべきスターが見当たらないギリシャは、もしかするとグループCの対戦相手の中で、最も与しやすいと考えられているのかもしれない。

 だが、サッカーの流行り廃りとは関係のない、それでいて勝利には絶対不可欠な要素──規律、団結心、組織力──を、しっかりと、あるいは日本以上に携えているのがギリシャであると、私は思っている。初戦でコロンビアに完敗を喫したとはいえ、あの一戦だけですべてを判断するのは早計だ。

 果たしてアルベルト・ザッケローニに率いられた日本代表は、ギリシャが10年前に得たような確信を、彼らが呪文のように唱える「自分たちのサッカー」に持ち合わせているのだろうか。苦しい時に立ち返るべきスタイルを手に入れたと、本当に胸を張って言えるのだろうか。互いに負けが許されない状況ではなおさら、そうしたファクターが勝敗に大きく影響を及ぼすような気がしてならない。

(…)文:吉田治良

イライラする横パス


<W杯:日本0-0ギリシャ>◇1次リーグC組◇19日◇ナタル
 今大会たくさんチームを見てきて、日本が一番走っていない。例えばスペースに飛び込んだり、相手を引きつけて味方のためのスペースをつくったり、走れないから、そういう動きができない。横にパスを回すだけで、どんなベテランのチームなんだ、日本は。もうスペインや日本のようなパスサッカーは終わったな。足元でパスを受けるだけのサッカーは通用しない。ボールを支配する時間は長いが、縦に出るスピードがないし、裏も取れない。だからシュートまでいけないし、打てない。10人の相手ですら、楽に守れるから疲れないのだろう。
 そもそもシュートへの意識の低さも問題だ。もう本田にはFKを蹴るなと言いたい。彼は止まったボールしか蹴れないのか。FKを蹴るような選手は、流れの中でだって前方が空いたら必ずシュートを打つはず。岡崎も香川もシュートゼロじゃあ話にならない。
 日本以外のチームがみんな素晴らしく見えるよ。よく走るし、戦う姿勢もある。無我夢中になって得点を取ろうとする。感動するんだ。日本はパス、パス、パス…ってイライラする。「自分たちのサッカー」と言ったって、全然通用していないじゃないか。(日刊スポーツ評論家)
【W杯】ザックジャパンの攻撃はなぜ機能しなかったのか? 決定力不足だけでないギリシャを崩せなかった理由
フットボールチャンネル 6月20日(金)13時26分配信

【W杯】ザックジャパンの攻撃はなぜ機能しなかったのか? 決定力不足だけでないギリシャを崩せなかった理由
今重要なのは、目の前の試合を“いかに勝つか”だ【写真:Getty Images】
改めて問う「自分たちのサッカー」とは?
 大会中多く聞かれた「自分たちのサッカー」という言葉。果たして「自分たちのサッカー」とは何なのか。未だ見えない。だが、それが何かを検証するのは大会後でもいいのではないか。今重要なのは、目の前の試合を“いかに勝つか”だ。

 あれだけエリア内に人が密集していたのだ。中にもっと仕掛ければDFが腕を掴む、足を引っ掛ける、など主審に笛を吹かせる機会ができたかもしれない。拮抗した場面を勝ち抜くための“いやらしさ”がまだまだ足りない。

 ザックジャパンは相手が嫌がることをできていただろうか。ギリシャの得意分野でばかり勝負していては、得点を奪うのは難しい。敵の弱点を突く――攻撃の本質を見失っては、本当の意味で攻撃していたとは言えない。どれだけ押し込もうと無意味だ。

 前半で退いたキャプテンの長谷部誠は、エースFWのミトログルをベンチに追いやり、カツラニスのファウルを誘った(意図的かは不明だが)。賛否は分かれるだろうが、長谷部は勝利のために重要な仕事をした。

 ギリシャから失点する可能性はずっと少なくなった。フェアではないかもしれない。だが、実力で上回る相手に勝つためにはそういった狡猾さも時には必要だ。次なる敵はコロンビア。自分たちのサッカーを発揮できたとして勝てる相手ではないのだ。
植田路生

ギリシャ戦ドローにセルジオ越後氏「“自分たちのサッカー”とはこの程度。日本はどの国よりも未熟」

SOCCER KING 6月20日(金)13時2分配信
 ブラジル・ワールドカップのグループリーグ第2節、初戦のコートジボワール戦を落とした日本は同じくここまで勝ち点0のギリシャと対戦し、0─0で引き分けた。
 
 コートジボワール戦のスタメンから香川真司と森重真人を替えて臨んだ日本は、堅守速攻スタイルを貫くギリシャに対してボールポゼッションで上回り、さらに相手が1人退場となったことでその攻勢をより強める試合を繰り広げたが、最後までゴールを割ることができなかった。

 この結果、日本がグループを突破するためにはコロンビア戦の勝利が絶対条件。加えてギリシャがコートジボワールに勝つか引き分けなければならない、という絶望的な状況となった。

 試合後、解説者のセルジオ越後氏はサッカーキングの取材で次のように語った。

「これが実力だ。結果は驚きでもなんでもない。今大会の他の試合を見れば一目瞭然だ。日本はどの国よりも未熟で、どの国よりも走っていないし、迫力がない。にも関わらず、一番期待されている国だ。海外組ブランドが喧伝され、選手たちは大スターのように扱われてきた。ヌルい親善試合と、本当のことを言おうとしないメディア。強化よりも興行に気を取られてきた結果、自分たちの実力が実態以上に大きく見えるようになってしまった。しかし、現実は隠せないということだ」

「『自分たちのサッカー』がどうこうというフレーズが騒がれているけど、一つ答えを出すとすれば、今日のこの試合で見せたプレーが、まさに『自分たちのサッカー』だよ。本来の力を出せていないのではなくて、これが世界における我々の本来の力なんだ。そこを見誤っては成長がない。他の試合をよく見てほしい」
 
「グループステージ突破は、限りなく可能性が低い。コロンビアはメンバーを落としても日本より強い。実力で言えば、グループの1位はコロンビアで、2位はコートジボワールが妥当だ。けれど、突破どうこうではなく、とにかく最終戦には勝って帰ってきてほしい。意地と可能性を見せてほしい。このままでは、本当に何もなくなってしまうよ」
SOCCER KING

前ミラン指揮官、ギリシャ戦の本田のプレーは「少しガッカリした」

W杯期間中、『BBC』で解説者を務めているセードルフ氏 [写真]=VI-Images via Getty Images
ブラジル・ワールドカップのグループリーグ第2節が19日に行われ、グループCでは日本代表とギリシャ代表が対戦。日本はボールを支配し、ギリシャに退場者が出たため、数的優位も得たが、最後まで得点を挙げることはできず、スコアレスドローに終わった。
 イギリスでは同試合を『BBC』で放映。ワールドカップ期間中に同局で解説者を務めている前ミラン指揮官のクラレンス・セードルフ氏が、日本代表FW本田圭佑について言及した。

(…)また、昨シーズン途中から率いたミランで指導をした本田のプレーについては、以下のようにコメントした。

「本田のプレーには少しガッカリした。彼は常に中央でいい位置取りをするが、パスの選択肢を間違えていた。フリーの選手にパスをせず、カットされる場面が目立った。彼は常に相手ゴールから離れた場所でプレーしていたし、日本の攻撃時にも前線にいなかった」

「彼はもう少し速くプレーする必要があるし、私がイタリアで彼の起用に困っていた理由はプレーの遅さだ。彼は昨シーズン終盤に少しプレーが速くなり、やや改善された。だが彼は規律と才能のある選手で、良い左足を持っている」

Thursday, April 10, 2014

【緊急】大学の自治を否定する学校教育法改正に反対する緊急アピール・賛同署名

一橋大学の大河内さんよりご教示いただきました。

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2月に文科省が教授会の権限を制限する学校教育法の改正案を用意しているとの報道がありました。その後実際に法案はまだ出てきていませんが、今国会での成立を目指しているようです。
この間仲間と声明案を用意しており、そろそろみなさんにお見せしようかと思っていたところ、内田樹さんたちが同趣旨のアピールを出し賛同人を集めているのを知りました。当面こちらを応援しようかと思っていますので、賛同いただける方は是非署名いただき、また情報を拡散していただければと思います。

http://hp47.webnode.jp/

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私の周囲でもずいぶんときな臭い雰囲気が漂っております。現状に対しては、理論的な戦いを続けていかなければならないと思っています。たとえそれが蟷螂の斧にすぎないとしても。このあいだの《日本の大学、このごろ焦っていませんか?》シンポの記録が、たとえばその一例です。

皆様におかれましても、ご賛同いただける方はぜひご署名いただければ幸いです。

Tuesday, March 11, 2014

【クリップ】サンド富澤が伝える震災“体験本” メディア伝えない逸話紹介

サンド富澤が伝える震災“体験本” メディア伝えない逸話紹介

オリコン 3月11日(火)19時34分配信
 宮城県出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけしが、10日付の自身のブログで、震災直後に命をかけて被災地で活動していた人々の体験本を紹介している。

サンドウィッチマン、被災地は「まだ大丈夫じゃない」

 気仙沼でのロケ中に震災に被災したことでも知られる富澤は、震災から3年が経つタイミングで「当時、最前線を耐え抜いた方々の話は沢山本にもなっています」と綴り、『津波をこえたひまわりさん~小さな連絡船で大島を救った菅原進~』と『家族のもとへ、あなたを帰す~東日本大震災犠牲者約1万9000名、歯科医師たちの身元究明~』の2冊を紹介。

 『津波をこえたひまわりさん~』は、気仙沼と大島を行き来する連絡船「ひまわり」を運転していた菅原進さんの体験談で、地震当日に津波が押し寄せる中、救命胴衣も付けずに運転しただけでなく、震災2日後からお金もとらずに運行。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた女性を乗せた際には、「みんなにお願いがあります。この赤ちゃんを優先して乗せてやるけど、ゆるしてほしいんだ。おれは、えらい人も有名人も、みんな同じに乗ってもらいたい。でも、この赤ちゃんは、おれたち大人が守ってやらないと、つぶれてしまうほどふにゃふにゃなんだ。特別あつかいさせてくれ。」と乗客らに呼びかけたエピソードなどが語られており、富澤は「この本は漢字も少なく、子供にも読める本です。学校の図書館などに置いてほしい一冊」としている。

 もう一冊の『家族のもとへ、あなたを帰す~』は、膨大な犠牲者が名前を取り戻し、家族のもとに帰ることができた裏側に歯科医師たちの活躍があったことを紹介するもの。さまざまな形の犠牲者を一体一体丁寧に歯科所見をとり続け、身元を明らかにして家族のもとに帰そうとした歯科医師たちの証言が綴られている。さらに、彼らが余震などが続くなか活動できた影には、命がけで守ろうとする福島県警の支えがあったことも伝えている。

 富澤は「これも一部ですが、なかなかメディアでは伝えられない、最前線の歯科医師たちの闘いを知ることができます」と明かし、「今後の防災に活かしていくことが、亡くなった方達への弔いにもなるのではないでしょうか」と呼びかけている。

【クリップ】ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

この日に何かを言うことはとても難しい。


ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

NEWS ポストセブン 3月11日(火)7時6分配信
 東日本大震災から3年。震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。

 * * *
 なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

 だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。

 どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。

 地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。とてもじゃないけど笑えないよってさ。

 よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

 オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

 逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

 それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

 それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。

 人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

 オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

 今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。

 そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。

Sunday, March 09, 2014

【クリップ】ビートたけし 昔よりも今の若手漫才の方が絶対面白いと語る

この間の学者芸人論の余白に。


***


ビートたけし 昔よりも今の若手漫才の方が絶対面白いと語る

2014.01.15 07:00

 年末・年始は、お笑い芸人の漫才やコントが連日テレビで放映されていたが、かつて『ツービート』でお笑い界を席巻したビートたけし氏は、今の若手芸人たちの漫才をどう評価しているのだろうか。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)の中で、詳しく語っている。
 * * *
 お世辞や謙遜でもなんでもなくて、正直オイラが漫才をバリバリやってた時代より、今の若手の実力あるヤツラの漫才のほうが、絶対面白いと思うよ。そういうヤツラに上から目線で物申すのは、カンベンだぜってね。それに同じ漫才でも、オイラがやってた頃のものと今のものじゃ、ゼンゼン「質」が違うんだよな。
 まず「尺」が違うからね。オイラの時代の漫才は、テレビでは7分程度、寄席やストリップ小屋の舞台じゃ15分はやってたんだよ。だけど今のお笑い番組を見てると、ネタは大体4~5分にまとまってるよな。だから、やり方もまったく違ってくるんだよ。
 オイラの頃は、テレビにしても舞台にしても、漫才を始めながら客の顔を見て場の空気を読んで、前振りやスジ振りをしっかりやって、余計な脱線を挟んで温めていって、ってことをステージの上でやってたわけ。だから客のほうも聞いてるうちにジワジワ面白くなってくるし、芸人のほうもドンドン乗ってくるっていう「流れ」が大事だったんだよ。
 だけど、今の芸人にはそんな時間が与えられてないわけでさ。余計なものを全部削ぎ落として、次から次にドンドン「オチ」を繰り出していかないとダメなんだよ。
 昔の漫才と今の漫才の違いってのは、まさしく「レコード」と「iPod」の違いだよな。オイラの頃はレコード針をレコードの上に落としたりするプロセスから、「プチプチッ」ていうノイズまで「味」だって言って楽しんでたわけだけど、今の漫才はアルバムの中でも余計な曲は外して、好きなものだけ抽出して、ピンポイントで取り出してるっていうことだよ。
 まァ、芸のレベルは上がったけど、アナログ的な味はなくなっちゃったよね。そっちのほうが面白くてウケるからそういう流れになってるわけで、今さらジジイがとやかく言うことじゃないけどさ。
※ビートたけし/著『ヒンシュクの達人』(小学館新書)より