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Monday, January 06, 2014

【クリップ】演歌 形変わらぬため「今の日本人の心に添わない」との指摘も

演歌 形変わらぬため「今の日本人の心に添わない」との指摘も

2013.12.30 07:00

 演歌歌手・北島三郎(77才)の紅白“引退”のニュースは大きな衝撃をもって受け止められ、北島の存在感と日本人にとっての紅白、そして演歌の力を改めて考えさせられた。演歌は、聴き手にも生きざまを求める。人生の機微を味わうことで演歌の世界により入っていけるのだ。
 北島を“兄さん”と慕う演歌歌手・前川清(65才)は最近、それを強く思うという。
「若いうちは感じなくても、仕事に就いたり、数々の出会いと別れを繰り返し、人生経験を重ねることで体感として歌詞の意味を理解できるようになっていく。私には、29才になる娘がいるんですが、最近、ぼくの『花の時・愛の時』(作詞・なかにし礼)を“いい歌”と言ってくれるようになりました」(前川)
 前川自身も『花の時・愛の時』を歌っていた30年前は、「また逢えるのに、今すぐに逢いたくて」という歌詞の意味がわからなかった。
「『花の時・愛の時』は、恋愛の歌詞ですが、65才になってさまざまな人の死という別れを経験して、この歌詞がグッとしみるようになりました。さっきまで会ってた人は、もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。そんな大切な人を思いやる気持ちが込められていると思います」(前川)
 年を重ねると演歌がよくなる理由は、人生経験を重ねることで、それまで見えなかった人間の業が見えてくるからなのだ。社会心理学者の碓井真史さんもこう話す。
「演歌で歌われるのは、故郷、酒、恋、失恋、結婚、親子、別れ、死、涙といったもので、若いころには、よくわからないものばかりです。人生経験を積むうちに、これらを深く味わうことができるようになり、演歌が好きになるのでしょう」
 現代は情報過多社会とよくいわれる。テレビのバラエティー番組にはテロップがあふれ、スマホで簡単に何でも調べることができる。
 1月1日発売予定の北島の新曲『人道』の作詞を担当し、千昌夫(66才)の『北国の春』など多くの演歌を手がけてきた作詞家のいではくさんは、聴き手が好む歌詞の傾向が変わってきたと指摘する。
「若い年代層であればあるほど、情報を詰めこまないと、聴き手が感情移入しにくい。あれもこれも説明してあげないといけない。行間を埋める想像力がない。社会に出て、人との関係に悩んだり、つらい思いをして投げやりになったり、そういう出口の見えないトンネルでもがき苦しむ体験は、人として成長するために大切なものです。だけど、今は世の中全体が、そういうことを体験しにくい社会になっている。だから、演歌の良さがわからない人が増えているのでは」
 年齢を重ねても、演歌を自分の歌として受け止められない。『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)著者で、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんは、演歌の社会における位置が変わってきているのかもしれないと指摘する。
「日本人の心を表現する仕方が変わってるのに、演歌の形はあまりにも変わってない。かつて北島さんが歌った、ふるさとや農村は、そのままの形では今の日本人の心に添わない」
 現在は、『会いたくて 会いたくて』などリアルな女心を歌う西野カナ(24才)の歌が、ギャル演歌と呼ばれている。
※女性セブン2014年1月9・16日号

Sunday, January 05, 2014

【クリップ】演歌好きの米国歌手「五木ひろしはプリンスそっくり」と断言

演歌好きの米国歌手「五木ひろしはプリンスそっくり」と断言

2011.03.05 07:00


「演歌+ソウルでエンソル、演歌+ブルースでエンブル。僕の演歌はリズミカル。老若男女に受け入れられる曲だと思います」
 褐色の大男が演歌をR&Bのリズムにアレンジし、情感たっぷりに歌いあげる。もともとアメリカの軍人だったというフレディー・スネディコー(49)は、今では神戸の型破りなシンガーソングライターとして知られている。
 フレディーが海軍の一員として横須賀基地に赴任したのは1981年。除隊後は帰国予定だったが、音楽仲間から「日本はバブル! キミの演奏技術ならいっぱいお金をもらえる」と引き止められた。東京でもんたよしのりらのバックでギターを演奏し、1993年頃から仕事の場を神戸に移した。彼が語る。
「1995年の阪神淡路大震災で被災して、僕は怪我もなく無事だったけど、友人を亡くし、大好きな神戸の街が倒壊していく様子も目の当たりにした。でも、あの地獄から復興し今では昔以上にきれいな神戸に戻った。僕にとって神戸はマイタウン。ずっと神戸に住みたいと思うようになりました」
 神戸に腰をすえて音楽活動を開始。演歌と出会ったのは2005年。妻の実家が経営する健康ランドの余興として洋楽を演奏していたところ、お客さんから「演歌も歌って」といわれて歌い始め、次第に演歌の魅力に取りつかれていった。
「演歌は自然に日本語で感情が乗せられる歌です。その演歌がお年寄りにしか聴かれていないのは悲しい。新しい演歌のジャンルを作れば若者も聴いてくれると思って『エンソル』や『エンブル』を作りました。そもそも演歌はR&Bのリズムに近い。例えば、五木ひろしの感情を込めてコブシをきかせる歌い方はプリンスにそっくりなんです。決して意外な組み合わせではない」(フレディー)
 代表曲『関西空港』にノックアウトされる人が“圧倒的多数”だ。
【プロフィール】
フレディー●1962年1月、アメリカ・アラバマ州生まれ。父親が音楽プロデューサーという音楽一家に育つ。1981年に海軍の一員として来日し、除隊後はKANやもんたよしのりらのバックバンドを務める。2007年から『エンソル』などのCDを自主制作で販売。神戸を中心に歌手活動を続けている。
撮影■谷口圭一
※週刊ポスト2011年3月11日号

Saturday, January 04, 2014

【クリップ】鉄道発達と反比例し演歌衰退 リニア開通で演歌滅亡の危惧も

鉄道発達と反比例し演歌衰退 リニア開通で演歌滅亡の危惧も

2013.12.28 07:00


<国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった>
 ノーベル賞作家・川端康成も『雪国』で綴ったように、鉄道は、日本の四季折々を肌で感じられる乗り物だった。明治学院大学教授で、鉄道事業に詳しい原武史さんはいう。
「例えば、北海道で5月に函館本線に乗れば、桜が咲き、春紅葉も見られ、その向こうには、まだ雪の残る駒ケ岳や羊蹄山が眺められる。そんな四季折々の自然をダイレクトに味わえるのが鉄道の魅力なんです」(原さん・以下「」内同)
 だが、1964年に開通した東海道新幹線を皮切りに、山陽、東北と日本各地で新幹線が開通。現在、交通インフラは50年前と比べて、格段に便利になっている。
 原さんは、この便利さこそが、演歌を衰退させたと指摘する。例えば、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』(作詞・阿久悠)。別れを決意した女がひとり、上野から夜行列車に乗り、吹雪の中、連絡船で北海道を目指す歌詞だ。
 発売は1977年で、もちろん東北新幹線はまだ開通していない。上野から青森まで12時間半。そこから連絡船で津軽海峡を渡ることさらに4時間。函館まで実に16時間以上を要する長旅だった。
「そんな不便な時代だったからこそ、多くの人があの歌に共感しました。でも今は、鉄道連絡船が廃止され、ほとんどの人が飛行機を利用するようになった。その感覚しか知らなければ、あの歌の良さはわかりません」
 歌詞に登場する「海鳴り」という言葉は、凍てつき荒れ狂う津軽海峡の冬と主人公の心象を想起させ、続く「こごえそうな鴎」に、聴く者は、愛する人と別れ、寂しさと哀しみに震える自分自身を重ね合わせる。
 車窓から流れる風景、そこに横たわる時間と浮かんでは消える感慨──それらが一体となってあの歌の世界観を醸成しているのだ。
 だからこそ、原さんは、交通インフラの発達と反比例して、ますます演歌が衰退するのではないかと危惧している。
「十数年後には、リニア新幹線が登場する。品川~名古屋間の8割以上はトンネルで、景色も見えない。リニアが開通したら、演歌は滅亡してしまうかもしれません」
 2013年12月20日には、『津軽海峡・冬景色』に登場する上野・青森間の寝台特急の廃止が決まった。日本人の情緒を育んできた古き良き昭和の思い出が、またひとつ消える。
※女性セブン2014年1月9日・16日号

Friday, January 03, 2014

【クリップ】八代亜紀「ロックやポップ歌手は表現者、演歌歌手は代弁者」

八代亜紀「ロックやポップ歌手は表現者、演歌歌手は代弁者」

NEWS ポストセブン 2013年12月31日(火)16時5分配信
 今年の紅白歌合戦では北島三郎が大トリを務めるが、1979年と1980年の2年連続で紅白の大トリを務めた“演歌の女王”八代亜紀(63才)が当時を振り返りながら、演歌の魅力を語ってくれた。

「『雨の慕情』は、1980年のレコード大賞もいただきました。授賞式では、8000人のお客さんの前で、“雨々ふれふれ♪”を振りつけしながら、みんなで大合唱したのを覚えてます」(八代・以下「」内同)

 1980年以降も、石川さゆり(55才)『天城越え』(1986年)、島倉千代子さん(享年75)『人生いろいろ』(1987年)、美空ひばりさん(享年52)『川の流れのように』(1989年)と、日本人なら誰でも口ずさめるヒット曲が演歌から続々と生まれた。それは今のように100万枚売れても聴いたことのないような流行とは違う。子供から大人までが最後の歌詞まで歌えるようなものだった。

 演歌は、よく「日本人の心」といわれる。その所以のひとつは、聴いた人が「自分だけの歌」と思えるからだろう。

 そのため、演歌歌手は、ロックやポップの歌い手とは違う、別の力が必要とされている。八代が言う。

「ロックやポップは自分の思いを伝える“表現者”だけど、演歌は“代弁者”なんです。聴いてくれる人の心を大切にして、その情念、呼吸、息遣いをつかんで離さないように歌い上げる。だから、言葉のひとつひとつをきっちり伝えなければならない。演歌は、ごまかしがきかないんです」

 そう言うと、八代は、本誌記者の前で、「つらいよ」という言葉を2通りの方法で表現してみせた。ひとつは、思いっきりつらそうな声で、もうひとつは、優しく労わるような声で。

「悲しい歌を悲しい気持ちで歌うと人は引いてしまう。でも、少し明るく歌うことで、逆に心の奥に響くんです」

※女性セブン2014年1月9・16日号

Wednesday, December 19, 2012

Thursday, November 01, 2012

Saturday, October 27, 2012

songs


最近のちょっといい曲。このあいだANAに乗ったら、山下達郎特集をやっていた。もちろん好き嫌いはあるだろうが、古びない音作りに情熱を傾けているのは確か。結局、いい歌手の歌はどれもその人らしさをもっている。それが「どれを聴いても同じに聴こえる」原因だ。好きな人にはそれがたまらず、嫌いな人にはそれがたまらない。でも、それでいいのではないか。

彼は、目指してきたのは常に、「美しいメロディと強いビート」だと言っていた。論文とか書くものも結局それなのかな。奇を衒わずに、自分に書けるかぎりの美しく強いものを書くこと。思いが通じることを祈りながら。

こっちはもう15年も経ってしまったのか…。時の経つのは早い。と書類を書きながら思う。

Thursday, October 25, 2012

songs


懐かしい名曲をひとつ。訳が少し(かなり?)違う気もするけれど、細かいことは気にせずに。

Thursday, October 18, 2012

ちょっといい歌



友人から教えてもらいました。少しくどいくらいですが、大切なことを丁寧に説明しようとしている歌だと思います。

昔、『フィラデルフィア』という映画を「美学的につまらない」といった人を思い出します。私は、「君の意見は分からないじゃないけど、この映画の大切なポイントはそこではない。美学的観点から映画を見ることが映画のすべてではない」と言いました。

どんなものに対してでも、くだらないことにけちをつけるより、いかにいいものをそこに見出してあげられるか。戦うべき真の問題を見誤らないこと、その問題を本当の意味で解決するための方途を探ることが大切だと思います。

Tuesday, September 18, 2012

songs


 2011年12月。

 2012年4月。

 2012年9月18日。








































Sunday, May 27, 2012

songs

やっぱり出発点はこのリュシアン・ボワイエのバージョン。













ベルリンでの1968年ライブバージョン
















60年代風?このアレンジも嫌いではないです。















カントリーフォーク風とでも言うんでしょうか。
2006年バージョン。














映画のサントラバージョン

Wednesday, May 16, 2012

songs

http://pub.ne.jp/sakura2011/?entry_id=4005609
(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)
2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)



浜田省吾の「僕と彼女と週末に」(1982年)が現在、反原発ソングに響くとすれば、
宮沢和史の「島唄」(1993年)は現在、沖縄のアクチュアリティと呼応するものとして聴くべきだろう。


Tuesday, April 24, 2012

Wednesday, March 14, 2012

songs

幾つか見かけたコメントより。「確かに森田童子の雰囲気があるね。歌は手嶋葵の方が上手だと思う­。でも、森田童子の歌い方の不安定な感じが、逆に切なくていい味­出している気がします。手嶋葵の流星は、彼女の心の強さが表れて­いて、そういう意味で女性だけど「男版」という言葉があたってい­ると思います。」「最近見たCMの中では抜群の出来だと感心しています。特に、子供のころの夢と現実の職業とのギャップを誇りと捉えてい­る視点は、若い人たちに勇気を与えるものだと思います。」