Monday, June 17, 2024

コルシカの文化雑誌『ROBBA』にエッセイを寄稿しました!

昨年末ひょんなことからコルシカに行くことになり、ご縁があってToni CasalongaさんとNicole Casalongaさんという高名な芸術家ご夫婦と出会いました。彼らとの縁をとりもってくださった友人たちに誘われて、コルシカの伝統的な詩Chjam'è rispondiのイベントに参加したのは、12月30日のこと。とても印象深い夜となりました。

その後、数か月経って、友人を介してご連絡をいただきました。無形文化遺産への登録を目指しておられるとのことで、推薦の文章を一筆書いてもらえないかとのことでした。コルシカの伝統的な音楽についてまったく何も知らない素人が何かを言うのは非常にためらわれましたが、微力でもお役に立てればということで、ささやかながらエッセイのようなものを書かせていただきました。

Quand un philosophe japonais découvre le Chjam'è rispondi (rivistarobba.com)


大意は以下のとおりです。

2023年12月30日、私は一介の旅行者として、ピーニャのオーディトリアムで開催された年次総会で偶然chjami è rispondiに遭遇した。他の旅行者と少し違ったかもしれないのは、私がフランスの哲学者アンリ・ベルクソンという時間の哲学者を研究する日本人だったということだ。chjami è rispondiに身を委ねながら、私は日本の伝統では何に該当するのかを考えていた。連歌は8世紀に生まれた伝統的な詩の形式であり、複数の人が長句と短句を交互に詠んで一つの詩を作る。1,000行、10,000行にも及ぶという点、あるいは軽快さや重厚さなど様々な表現が含まれるという点でも、キヤミ・エ・リスポンディと似ているが、このコルシカの伝統的な芸術は、歌われるという点、そして何よりも今なお生き生きと人々の生活に根差して生きているという点で異なっているように思われる。実際、芸術シーンと生活シーンの間に、これほど相互侵入や相互浸透が見られることは珍しい。私が体験したイベントでは、聴衆の一人が突然即興で歌い始め、フェスティバルの後、ピーニャのバー兼レストラン「カーサ・ムジカーレ」のテーブルまで、その掛け合いは続いた。

ベルクソンが持続概念を説明した有名な言葉を思い出してみよう。「砂糖水を用意しようと思ったら、何をするにしても砂糖が溶けるのを待たなければならない。それ(=待たなければならない時間)は、私の焦りと一致する。つまり、私自身の持続時間のある部分と一致するのであり、それは自分の意志で長くしたり短くしたりすることはできない」(『創造的進化』)。ある意味で、chjami è rispondiはpaghjellaよりもベルクソン的な持続時間に近い。3声のためのポリフォニックな歌であるパジェッラでは、各歌手は全体を調和させるために他の2人の歌声に注意深く耳を傾ける。これに対して、chjami è rispondiにおいて詩人たちの創造性は、まさにゲームを出し抜く方法にある。この即興詩的な馬上槍試合は、こうして「待つ」ことの時間性を露呈する。時間の本質とは、遅れとともに逃れ去るものの中にある。

最後にまたしてもベルクソンを引用しよう。「彼らがすべきことはただ存在することである。似ていたいという欲望はすでに似ていることであり、われわれが自分のものにする言葉は、われわれ自身のうちに響きを聞いたものである」(『道徳と宗教の二源泉』)。chjami è rispondiの歴史は、世代から世代へと口伝で受け継がれるという仕方でコルシカ文化に常に存在してきた響きと呼びかけの良い例ではないだろうか?いつの日か、このはかない声楽芸術が、私たちの無形遺産の一部として、その声を響かせる日が来ることを願ってやまない。

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