Tuesday, October 25, 2011

10/25 仙台のこと。

シンポ一日目の翌日、朝9時半の電車に乗って仙台へ。

海外研究者に震災のことを間近に見て、何かを感じ、考えてほしいと願っていたから、
ほぼ全ての参加者を連れていった。

この企画が成立したのは、ひとえに東北大学のベルクソン研究者、村山達也さんのご尽力のおかげである。震災の爪痕を観に行くという行為は、ともすれば、人の心を傷つけかねない。とてもデリケートな行為である。記して深い感謝に代えたい。

そして、感じたことを率直に書きつけておきたい。不愉快に感じられる方にはあらかじめお詫び申し上げます。

***

震災後、半年が経った。すでに、なのか。まだ、というべきか。

連れて行っていただいたキリンビール工場裏の堤防までの住宅地は、曇り空、時々雨がちらつき、時々はきれいに晴れ渡っていて、いずれにしても何もなかった。

残っているのは、設計図のように構造を示す、家の床下部分だけ。がれきはほぼすべて撤去されていた。

入口らしきものはあり、たまに表札と壁もあり、入口へと続く小さな階段もあって、しかしその後には広々としたひたすら何もない空間がある。私たちは家々を「訪れる」。

あるひとは「現代のポンペイみたい」と呟いた。

家であったところには草がかなり生えてきている。家であった場所に、床下の「区画」に沿って、何か作物が植えられているところもあった。生命のたくましさというか、カタストロフが来ても、それでも自然は、ひとは生きていく。

でもね、と別の人が「呟く」。広々とした何もないこの空間では大きな声を出せないのだ。

「それは知性や仮構作用の限界かもしれない。この鉄棒の折れ曲がり方を観てごらん。とんでもない力がこれに加えられたことを示してる。」たしかに、澄み切った青空のもとで、ポンペイの遺跡のように整然と、けれども、恐るべき自然の力の爪痕がはっきり見て取れる。

なまなましくはなく、けれど何か…奇妙な感じ。

考古学の調査現場のようにきれいに片づけられ、わずかに残った車の残骸に、私たちの何人かが近づこうとすると、尻ポケットに手を突っ込んで近くに佇んでいた青年が、いたたまれないように、いらつくように、短く言葉を発した。彼と私たちは、同じ場所にいながら、同じ時間と空間を共有してはいなかった。

私たちが立ち去ろうとした時もまだ、彼は家であった場所に立って、やはり尻ポケットに手を突っ込んで、無理に胸を張るように、海のほうを眺めていた。


その後、やはりタクシーで、近くの小高い神社跡?へ。そこから眺めると、さらに広大な何もない空間が広がっていた。丘の上には木の慰霊塔が何本か、その足元には数々の花。小さな天使の像。小さな子どもに何かあったのだろうか。

そして、あんどーなつが一袋。誰が好きだったんだろうか、あんどーなつ。


感傷・良心の呵責・偽善…。そういったものと手を切ることは不可能だろう。
faire avec, vivre avecという言葉があるけれど、それしか言えない。

本当に時間がなくて、連れて行ったいただいた村山さんと田村さんには多大なご迷惑をおかけしてしまったけれど、行ってよかったと感謝している。

どうもありがとうございました。

Monday, October 24, 2011

10/24 シンポ第一日も無事終了!

午前の第一セッションは、デュムシェルさんが「カタストロフ」(正確には「道徳的カタストロフ」)、アルノー・フランソワが「リスク」と「決断」の概念をめぐってきわめて興味深い議論が交わされた。予見不可能性を論理的に突き詰めていく一つの方向性がここにある。
ボワソナード・タワー26階からの眺め

第1セッションの模様

安孫子先生の『笑い』と『二源泉』をつなぐ読解も非常に示唆的であった。知的なもの、喜劇的なものだけでなく、最後「苦み」で終わる『笑い』の議論に「悲劇的なもの」の思考を読み取るという、パスカリアン安孫子先生らしい発表だった。

午後の第二セッションは、一転して「非現代的」、一見すると「形而上学的」?、でも実は現実と切り結ぶ「出来事と人格性」というテーマ設定。人選も、若手(もう中堅?)の代表格のお二人、平井さんと増田さん。どちらも非常に緻密に論理の糸を辿りながら、骨太の議論をするというお手本のような発表。

ヨハネス・シックはベルクソンとレヴィナスという、私とかぶる発表。かと思っていたら、彼は『物質と記憶』のベルクソンと前期レヴィナスにおける「痛み」概念の取り扱いだったので、ほっと一安心。

すべての発表が出来事の超越性と内在性の境界線をめぐるものだったと言っていいのではないか。
アルノーと安孫子先生、平井さんと増田さんがベルクソン内在的に、内在の哲学の観点から、デュムシェルとシックはより超越性の側も取り込んだ議論ということで、全体のバランスも良かったし、
議論もかなり多く出た。はるばる北海道や熊本や和歌山から来てくださった聴衆の方々もいて、30~40名はいたのではないか。宣伝期間が短かったことも考慮に入れれば(ポスターを発送したのが実質10日前くらい)、月曜日に終日行なったフランス語の学術イベントとしては悪くなかったと思う。

この一日目の模様はビデオ撮影され、法政大学のウェブ上に公開される予定らしい。
自分が喋っている様子は見たくないが、多くの人々に開かれた学術会議の今後の可能性としては重要だと思う。

さて、次は木曜日!みなさん、京都でお会いしましょう。

Sunday, October 23, 2011

10/23 若手研究者セミナー無事終了!

本日3時から5時半まで、ベルクソン・シンポのプレ・イヴェントがあり、
若手研究者の方々の熱のこもった発表に対して、
海外研究者たちからも一様に賛嘆の声が上がっていた。

今回発表をためらってしまった方々もぜひ次回はチャレンジしていただきたい。

未来はあなたがたのものです。
チャンスをぜひ自分のものにしていってください。

さあ、明日、月曜日10時からいよいよシンポが始まる。

多くの方々のご参加をお待ちしております。

Saturday, October 22, 2011

10/23 「ベルクソンと災厄」若手研究者セミナー

20111023日(日) @東京・法政大学、58年館2 国際日本学研究所セミナー室
PBJ Project Bergson in Japan 4回国際シンポジウム

ベルクソンと災厄
今、『道徳と宗教の二源泉』を読み直す

プレ・イベント:若手研究者セミナー

プログラム

15h00-15h20  北夏子(きた・なつこ): 『創造的進化』第一章と第四章のアナロジーの関係について

15h20-15h40  天野恵美理(あまの・えみり) : 『物質と記憶』における「時間」の形成

15h40-16h00  小野浩太郎(おの・こうたろう): ベルクソンにおける連帯と友愛について」

16h00-16h20  磯部悠紀子(いそべ・ゆきこ) : ベルクソン哲学における揺れの問題

16h20-16h40  橘真一(たちばな・しんいち): ベルクソンとの対照によるシモンドンのinformation概念の考察

16h40-17h00  全体討議

発表者紹介


北夏子(きた・なつこ): 『創造的進化』第一章と第四章のアナロジーの関係について
筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻所属。ベルクソンの思想を、スペンサーの思想を体系的に知ることで整理することを目指している。直近の論文は、「contracterからcontribuerへ」(『ホモ・コントリビューエンス研究』、第1号、ホモ・コントリビューエンス研究所、2011年)、「ベルクソン『創造的進化』第四章における絵画をめぐってーベルクソンとスペンサー」(哲学・思想論叢、第29号、筑波大学哲学・思想学会、2011年)。

天野恵美理(あまの・えみり): 『物質と記憶』における「時間」の形成
 京都大学哲学専修修士課程。主要業績は特になし。今年度、『物質と記憶』について修士論文執筆予定。
現在、関心があるのは、『物質と記憶』の統合的理解について。『物質と記憶』のヴァリアントと決定稿との比較研究など。

小野浩太郎(おの・こうたろう) :ベルクソンにおける連帯と友愛について
法政大学人文科学研究科哲学専攻博士課程およびパリ第一大学哲学科博士課程所属。特にベルクソンの道徳・社会哲学と実証主義の関係に関心を持ち、博士論文では、ベルクソンと20世紀初頭の哲学者たちおよび社会学者たちを道徳の観点から接近させ、『道徳と宗教の二つの源泉』を思想史の中に位置づけることを目標とする。論文に『Frédéric Rauh et Gustave Belot –Autour de la morale positive des philosophes』(フランス哲学・思想研究 2011年)がある。

磯部悠紀子(いそべ・ゆきこ):ベルクソン哲学における揺れの問題
聖心女子大学大学院博士課程在籍。20099月より2年間、ロータリー財団国際親善奨学生としてリール第3大学に留学。フレデリック・ヴォルムス氏の指導のもと、論文「ベルクソン哲学における揺れの問題」にて2011年にMaster2の学位を取得。ベルクソン哲学のいくつかの中心概念を手がかりに、必ずしも明言されてはいない思考の動きを解釈することに研究の主眼を置きつつある。フランス語論文「ベルクソンとリクール:リクールの『再認の行程』におけるベルクソン的再認の概念」(『フランス哲学・思想研究』第15号、2010年)。

橘真一(たちばな・しんいち):「ベルクソンとの対照によるシモンドンのinformation概念の考察」
大阪大学人間科学研究科博士後期課程。おそらく日本で唯一ジルベール・シモンドンを専門とする院生。シモンドンは現在、自然哲学として読解することが主流になりつつある。が、その先で、シモンドンをある生命の哲学として読む道を探求している。直近の学会発表に「トランスダクションについて――シモンドンの哲学的射程」(日仏哲学会、2011年)、「シモンドンにおける時間性について」(日仏哲学会、2010年)、「ベルクソンとシモンドン――個体化論比較からの一考察」(ベルクソン哲学研究会、2010年)。ポール=アントワーヌ・ミケル「生命力と合理性の間――カンギレムの『正常と病理』を巡る考察」を翻訳(『年報人間科学第32号』、2011年)。書評として、「ジャン=ユーグ・バルテレミー『シモンドンあるいは発生的百科全書主義』」(『年報人間科学第30号』、2009年)、「キース・アンセル・パースン『ジェルミナル・ライフ――ドゥルーズの差異と反復』」(『年報人間科学第29号』、2008年)。



Friday, October 21, 2011

10/23 Table ronde des doctrants (PBJ2011)

Le dimanche 23 octobre 2011 à l’Université Hosei (Tokyo)
4e colloque international du PBJ (Projet Bergson au Japon)

Bergson et le désastre
Lire Les deux sources de la morale et de la religion aujourd’hui au Japon

Table ronde des doctrants

Programme

(tous les titres sont prévisoires)

15h00-15h20  Natsuko KITA : « Des rapports entre les analogies utilisées dans les chapitres 1 et 4 de L’évolution créatrice »

15h20-15h40  Emiri AMANO : “ De la formation de « temps » dans Matière et mémoire

15h40-16h00  Kotaro ONO : « La solidarité et la fraternité chez Bergson »

16h00-16h20  Yukiko ISOBE : « Le problème de l’oscillation dans la philosophie de Bergson »

16h20-16h40  Shin’ichi TACHIBANA: « Une réflexion sur le concept d’information chez Simondon à la lumière de Bergson »

16h40-17h00  Discussion générale

Présentations des intervenants

Natsuko KITA: « Des rapports entre les analogies utilisées dans les chapitres 1 et 4 de L’évolution créatrice »
Doctorante du département des sciences humaines et sociales de l’Université de Tsukuba. L’intérêt principal de ses recherches est de confronter la pensée de Bergson à celle de Spencer par la connaissance systématique de leurs œuvres. Ses articles publiés tout dernièrement sont les suivants : « De contracter à contribuer »(Recherches sur Homo-contribuence, n°.1, Institut Homo-contribuence, 2011),  « Sur l’œuvre d’art du quatrième chapitre de l’évolution créatrice de Bergson –Bergson et Spencer » (MISCELLANEA PHILOSOPHICA, n°.29, Association philosophique de l’Université de Tsukuba, 2011)

Emiri AMANO: «De la formation de « temps » dans Matière et mémoire »
Étudiante en master de philosophie de l'université de Kyoto. Je n'ai pas de travaux principaux. Cette année je compte écrire mon mémoire sur Matière et mémoire.
Je m’intéresse maintenant à la compréhension intégrale de Matière et mémoire. Je travaille, par exemple, sur la comparaison entre les variantes et le texte définitif de Matière et mémoire.

               Kotaro ONO: « La solidarité et la fraternité chez Bergson »
                         Doctorant de l’Université Hosei au Japon et de l’Université Paris 1 en France. Intérêt
                         d’étude : la philosophie morale et sociale chez Bergson et le positivisme. Objectif de
                         thèse : situer Les deux sources de la morale et la religion dans leur contexte historique en
                         les confrontant avec la morale des philosophes et celle des sociologues au début du
                         20e siècle. Article : « Frédéric Rauh et Gustave Belot –Autour de la morale positive
                        des philosophes », Revue de Philosophie Française, Société franco‑japonaise de
                        philosophie, 2011.

Yukiko ISOBE: «Le problème de l’oscillation dans la philosophie de Bergson »
Doctorante à l’Université du Sacré Cœur à Tokyo, diplômée de Master 2 en 2011 à l’Université Charles de Gaulle Lille 3 sous la direction de M. Frédéric Worms, boursière de la Fondation Rotary de l’année 2009-2010 et 2010-2011.
Centre d’intérêt : l’interprétation des courants cachés de la pensée de Bergson en partant de certaines notions centrales bergsoniennes.
Etudes récentes en français : « Le problème de l’oscillation dans la philosophie de Bergson » (mémoire de Master 2, 2011) ; « Bergson et Ricœur : L’idée bergsonienne de la reconnaissance dans Parcours de la reconnaissance de Paul Ricœur » (Revue de Philosophie Française, Société franco-japonaise de philosophie, no. 15, 2010).

Shin’ichi TACHIBANA : « Une réflexion sur le concept d’information chez Simondon à la lumière de Bergson »
Doctorant au département des sciences humaines de l’Université de Osaka. Il est probablement l’unique étudiant à se spécialiser dans la pensée de Simondon au Japon. Actuellement, la tendance principale est à interpréter Simondon comme un philosophe de la nature. Mais en avant de ce courant, il est en train de rechercher une voie par laquelle lire Simondon comme un philosophe de la vie.
Interventions récentes : «Sur la transduction : la portée de la philosophie de Simondon» (Société franco-japonaise de philosophie, 2011) ; «Sur la temporalité chez Simondon» (Société franco-japonaise de philosophie, 2010) ; «Bergson et Simondon : Une réflexion par la comparaison de leurs théories de l’individuation » (Société Japonaise d'Etudes Bergsoniennes, 2010). Traduction en japonais: Paul-Antoine Miquel «Entre vitalité et rationalité : Réflexions autour de l’ouvrage de G. Canguilhem : le normal et le pathologique » (présenté à Osaka dans le programme de EuroPhilosophie, 2010). Comptes rendus : «Jean-Hugues Barthélémy, Simondon ou L’encyclopédisme génétique, 2008, Paris, PUF» (Annales des sciences humaines de l’université de Osaka, Tome 30, 2009) ; «Keith Ansell Peason, Germinal Life : The Difference and Repetition of Deleuze, 1999, London, Routledge» (Annales des sciences humaines de l’université de Osaka, Tome 29, 2008).

Thursday, October 20, 2011

国際シンポ「ベルクソンと災厄」情報(第三日)

20111029日(土) @福岡・九州産業大学、15号館15103
PBJ Project Bergson in Japan 4回国際シンポジウム

ベルクソンと災厄
今、『道徳と宗教の二源泉』を読み直す

3日:政治・戦争・技術
4章「結びの考察――機械学と神秘学」を読み直す

講演者紹介

セッション5.戦争・技術・抵抗

司会:金森修(かなもり・おさむ)
東京大学情報学環・教育学部教授。専門:フランス哲学・科学思想史。単著『〈生政治〉の哲学』、編著『科学思想史』他。

檜垣立哉(ひがき・たつや)  「ベルクソンのテクネー論――生命のテクネーとは何か」
1964年生まれ。大阪大学人間科学研究科教授。博士(文学)。専門:現代フランス哲学・日本哲学・生命論。著作:『ベルクソンの哲学』(勁草書房、2000年)、『ドゥルーズ』(NHK出版、2002年)、『賭博/偶然の哲学』(河出書房新社、2008年)、『瞬間と永遠』(岩波書店、2010年)、『西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫、2011年)。

カテリーナ・ザンフィ(Caterina Zanfi  「『二源泉』における機械化と戦争」
1982年生まれ。ボローニャ大学ならびにマルク・ブロック研究所(ベルリン)所属。スプリング・ヒル・カレッジのイタリア・センターで哲学を教える。2011年、リール第3大学との共同指導プログラムで、後期ベルクソンと同時代のドイツ哲学の関係について博士号を取得。現代人間学の全領域におけるベルクソンの受容、ならびに技術の問題に関心を抱いている。『ベルクソン、技術、戦争』を執筆し(同書でカステリオンチェロ哲学賞を若手奨励部門で受賞)、ベルクソン哲学についてのフランス語・イタリア語・ドイツ語での論文がある。ベルクソンのマドリッド諸講演のイタリア語訳も行っている。

チプリアン・ジェレル(Ciprian Jeler)  「抵抗に抵抗する――抗いがたいものと頼るべきもの
1979年生まれ。アレクサンドロル・イオン・クーザ大学博士課程修了研究員。ベルクソンにおける行動作用(action)の問題を扱った論文により哲学博士号取得(シャルル・ド・ゴール=リール第三大学において)。論文に、ハイデガー、ニーチェ、ベルクソンに関するものがある。現在は生物学の哲学について研究を進めている。


セッション6.記憶の政治学

合田正人(ごうだ・まさと)  「純粋記憶の解釈学」
1957年生まれ。明治大学文学部教授。スピノザ以降のユダヤ系思想家たちの系譜を軸として近現代の西洋思想史を研究している。著書に、『レヴィナスの思想』(1988年、弘文堂)、『レヴィナスを読む』(1999年、NHK出版)、『ジャンケレヴィッチ』(2004年、みすず書房)、『吉本隆明と柄谷行人』(2011年、PHP新書)などがある。ベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』『物質と記憶』『創造的進化』(いずれも筑摩書房)の訳者でもある。

アルノー・ブアニッシュ(Arnaud Bouaniche)  「「灰の時間」――フッサール、ベルクソン、バシュラール、そして刷新の問題


藤田尚志(ふじた・ひさし)  「記憶しえぬものの記憶――ベルクソンとレヴィナス
1973年生。九州産業大学講師。専門はベルクソンを中心とするフランス近現代思想。サブプロジェクトとして、「結婚の形而上学とその脱構築」と「哲学と大学」を進めている。共著に『哲学と大学』(未来社、2009年)『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)。最近の論文に「ライシテの彼岸と此岸フランス現代思想における宗教の問題」(『日仏社会学会年報』第20号、2010)、「デジャヴをめぐって:偽なるものの力と記憶の無為ドゥルーズか、ベルクソンかIII」(科研費中間報告書『記憶と実存〜フランス近現代文学におけるネオ・ジャクソニスム的傾向〜』)、20103月)、「ドゥルーズか、ベルクソンか何を生気論として認めるか」(『思想』岩波書店、200912月号)、「言葉の暴力ベルクソン哲学における比喩の問題」(『フランス語フランス文学研究』第92号、2008年)など。日本フランス語フランス文学会2010度学会奨励賞受賞。〔英・仏語業績に関しては、フランス語版講演者紹介参照のこと〕

Wednesday, October 19, 2011

国際シンポ「ベルクソンと災厄」情報(第二日)

20111027日(木) @京都・京都大学、百周年時計台記念館・国際交流ホールI
PBJ Project Bergson in Japan 4回国際シンポジウム

ベルクソンと災厄
今、『道徳と宗教の二源泉』を読み直す

2日:宗教―第2章「静的宗教」・第3章「動的宗教」を読み直す

講演者紹介

セッション3.動的宗教とカタストロフ

フレデリック・ヴォルムス(Frédéric Worms)  「カタストロフに対する二つの答え ベルクソンから私たちへ
1964年生まれ。現在リール第三大学現代哲学史教授。エコールノルマルシュペリウール(パリ)「現代フランス哲学国際研究センター」代表、国際ベルクソン学会会長、ベルクソンの著作の校訂版、および『ベルクソン年報』の責任編集者。近著に『ベルクソンと生の二つの意味』 Bergson ou les deux sens de la vie (PUF 2004)、『フランスの20世紀哲学』 La philosophie du XXe siècle en France. Moments (Gallimard, 2009)、『ケアの時』 Le moment du soin. A quoi tenons nous? (PUF, 2010). 同時にカタストロフィーと正義についての研究グループにも参加し、Esprit誌で二つの特集を組んだ(2008 et 2011)。

杉村靖彦(すぎむら・やすひこ)  「〈生〉の証人――哲学的なものと宗教的なものの間で:〈災厄後〉という視点からの『二源泉』再読
1965年生まれ。京都大学文学研究科准教授(宗教学専修)。現代フランス哲学(リクール、レヴィナス、デリダ、アンリ等)と京都学派の哲学の双方を発想源としつつ、現代における宗教哲学のあり方を探る研究を続けている。主な日本語の業績としては、『ポール・リクールの思想』(創文社、1998年);「哲学者の神」(『岩波講座宗教4 根源へ』、岩波書店、2004); 「宗教哲学へ証言という問題系から(1)(2)」(『哲學研究』585, 586号、京都哲学会、2008年);「<ポスト哲学的>思索と<宗教的なもの>―現代フランス哲学と京都学派の哲学から」(『宗教研究』363号、日本宗教学会、2010)等。〔フランス語の業績については仏語紹介欄を参照のこと〕



セッション4.神秘主義の問題

岩野卓司(いわの・たくじ)  「笑い、神秘経験、死――べルクソンとバタイユ」
1959年生まれ。明治大学法学部教授。哲学、宗教、文学、精神分析等における学問区分、真理観、概念使用がはらむ境界や限界をめぐる研究。現在遂行中の課題は、現代における終末論の研究とジョルジュ・バタイユにおける神なき神性の研究。主な著作としては、『ジョルジュ・バタイユーー神秘経験をめぐる思想の限界と新たな可能性』(水声社、2010年)や『語りのポリティクス』(共編著、彩流社、2008年)。主な論文としては、「精神分析の新しい衣服」(『I.R.S.――ジャック・ラカン研究』(2)、日本ラカン協会、20035月)や「「神の死」とジョルジュ・バタイユにおける体験の思想」(『フランス哲学思想研究』 (8)、日仏哲学会、20039月)、「ニーチェとナショナリズム――同一性と非同一性」(『明治大学教養論集』(415)、20073月)や「『死』と『破滅(カタストロフ)』をめぐって――『社会批評』の時代にけるバタイユとヴェイユの対立、そしてそのひとつの帰結」(『水声通信』(34)、20118月)など。〔フランス語の業績については仏語紹介欄を参照のこと〕

ギラン・ヴァテルロ(Ghislain Waterlot)  「ただ神秘学だけがなお我々を救いうるのか?――ベルクソンにおける技術力と神秘的生の関係に関する考察」
1964年生まれ。ジュネーブ大学哲学・倫理学教授。ロマンド系統神学倫理学研究所所長。宗教と政治の関係、宗教的・神秘的経験について研究している。専門は、ルソーとベルクソン。著書:『ベルクソンと宗教』 Bergson et la religion (dir.) PUF, 2008 ;『ルソーの政治神学』 La théologie politique de Rousseau (dir.), PUR, 2010 ;『世界戦争に相対する神秘』 La mystique face aux guerres mondiales (dir. avec D. de Courcelles), PUF, 2010 ;『神秘神学から神秘的なものへ』 De la théologie mystique à la mystique (dir.), numéro spécial de la Revue de Théologie et de Philosophie, n°142, III-IV, 2010. 近刊に、『ベルクソンにおける神秘的なものの賭け金』 Les enjeux de la mystique chez Bergson : entre philosophie et théologie, H. Champion.

フロランス・ケメックスFlorence Caeymex)  「神秘学・科学・政治――人類にとっての三つの道?」
1971年生まれ。学術研究財団F.R.S.-FNRS(ベルギー)の研究員。リエージュ大学における「規範の政治哲学と批判哲学」の研究ユニットを共同指揮。現在は、現代哲学史に基づいて、実践や政治哲学の諸概念において、生や生命的なものに訴えることがどのような帰結をもたらすかを研究し、生政治概念に適切な哲学的定義を与えることを目指している。著書に『サルトル、メルロ=ポンティ、ベルクソンSartre, Merleau-Ponty, Bergson』(Olms, 2005)があり、サルトルやベルクソンに関する多くの論文を雑誌や論文集に発表している。近刊予定の『ベルクソン年報V』(PUF)で特集「政治的ベルクソン Bergson politique」に参加した。