Thursday, March 27, 2008

教育のパラドックス

「教育の哲学、哲学の教育」の日。『現代思想』、増頁特集《教育のパラドックス》、1985年11月号所収の木村敏+柄谷行人の対話《他者に教えること》(188-206頁)読了。幾つかポイントを。

1・「語る‐聞く」という水平で対称的な関係が成立するためには、「教える‐学ぶ」という垂直的で非対称的な関係が先行していなければならない、という例の柄谷節。むろん、「教える‐学ぶ」は「教師‐生徒」に固定されない。「そんな風に考えると、《教育》の問題も、普通そう考えられているのとは違った意味で、にわかに面白く見えてくるんです」(柄谷)。

2・「キチガイ」:「木村さんは、《気》というのは自分と汝との間にある、自分ではどうにもならない雰囲気のようなものであると書かれていたわけですが、《気が違う》というのは相手の気が違っているのではなくて、二人の関係の間で《気》が違うわけですね。だから向こうもそう思っている」(柄谷)。

3・デリダ批判:「パラドックスとか矛盾ということに、非常に重きをおくのです。しかし「語られる」領域でだけ、矛盾というのが大事になってしまうだけで、実際に生きられる領域ではそんなことはどうでもいいわけですよ」。「デリダの場合もそうなんですよ。《差延》というのは「自己差異化」であって、全部そこにもっていくんですけど、[…]神=他者を取ってしまうと、内部のほうにパラドックスを凝縮させる形を取ると思うんですよ。自己関係あるいは「自己差異化」の方にね」。

「いわば世界を一義的に論理的に明快にしようとするデリダの言う形而上学。哲学とはそういうものであり、その哲学を《脱構築》するのだと言うけれど、そうするためにはそういう哲学を前提にしなくちゃいけない。いない相手をつくってそれを攻撃しているということは、実はその人自身がそうだということなんじゃないですか」(柄谷)。前期のロゴス中心主義批判から後期のアポリア主義への動きは、たしかにこういう一面を持っている。

4・精神分析の功罪。「コミュニケーションの原型を、非対称的な「世代」に置いたということが、精神分析の功績だと思います」(柄谷)。

「つまり、治療が出来ないということではなく、また、治療が最終的な目的なのではなく、そういう《教える‐習う》というコミュニケーションの関係において人間は存在しているんだということを徹頭徹尾提起しているのが、精神分析なんじゃないかと思うんです。親子関係から始まり、医者と患者、さらに医者の教育〔教育分析〕までも、すべてそういう関係で見られている。そういうところから見た場合には、一般的なコミュニケーションというのは、虚像ではないとしても抽象的なものであるということを、精神分析は言っているように思うんです」(柄谷)。

「精神分析っていうのは物語を強制される場所なんですよ。[フロイトの「狼男」のように]別に嘘をつくつもりではなくても、どうしてもそうなるんです。結局のところ、うまい物語を自分自身が本気で納得すれば、それが治療だっていうことだと思うんです」(柄谷)。「僕の顔色を見て、木村先生はこういう話をすれば気に入るだろうということが分かるからかもしれないけど、たしかに私の興味のありそうな話をしてくれる。[…]僕らもそれに乗っかって喜んでますけど、治療はそんなことで進みはしないんです」(木村)。

ラカン派の精神分析における教育や愛の問題については、最近UTCPから刊行された

Philosophie et Education: enseigner, apprendre - sur la pédagogie de la philosophie et de la psychanalyse, UTCP Booklet 1, 2008.

所収の原和之とアラン・ジュランヴィル両氏の論考を参照のこと

5・治癒≒学習≒成長:「精神療法で患者が治った場合、精神療法をやったから治ったのか、精神療法をやっているうちに治っちゃったのか、精神療法をやったにもかかわらず治ったのか、その区別がつかないということなんです」(木村)。教育の哲学が必ず念頭に置いておくべき視点。

《親がなくとも、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがった出来損ないが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。》(坂口安吾、「不良少年とキリスト」)

Wednesday, March 26, 2008

読書リスト(現象学)

生き抜いていけるだろうか、このタフな一年を?

四月:「哲学と大学」で発表予定。
5月24日:仏文学会で発表予定「言葉の暴力II」。
六月:某所で発表予定?「bとlにおける物質と記憶II」
九月上旬:フランスの某シンポで発表予定。「ベルクソンとオモダカ」
十月上旬:日本でベルクソンについて発表予定。「ベルクソンの生気論再論」
11月8日:仏文学会で発表予定。「結婚の形而上学とその脱構築」
十一月下旬:フランスの某シンポで発表予定。「フランスの教育哲学」

***

現象学についてはこれまで我流でそこそこ読んではきたのだが、昨日最低限読むべき本のリストを挙げてもらったので、徐々に読んでいくことにしたい。

今のところ、フッサールで言うと、『算術の哲学』関係とフッセリアーナ第23巻にしか興味がないのではあるが、逆に言えば、そこについては最先端の議論までフォローしておきたいと思っている。

現象学の事典類
1・『現象学事典』、弘文堂、1994年。
2・Michael Hammond, Jane Howarth, and Russell Kent, Understanding Phenomenology, Oxford: Blackwell, 1995.
3・ Wörterbuch der phänomenologischen Begriffe, hrsg. von Helmuth Vetter, PhB 555, Felix Meiner Verlag, 2005.
4・John J. Drummond, Historical Dictionary of Husserl's Philosophy, Lanham: Scarecrow Press, 2008.

フッサール関係
1・浜渦辰二(はまうず・しんじ、1952-)、HP。例えば、「空間の現象学にむけて―フッサールによるカント超越論的哲学の改造」や「幾何学的空間と生きられる空間―フッサールから見たカント空間論」など。
2・貫成人(ぬき・しげと、1956-)、専修大のプロフィールWikipedia。例えば、『経験の構造-フッサール現象学の新しい全体像』(勁草書房、2003年)。

3・斎藤慶典(さいとう・よしみち、1957-)、慶応大のプロフィール。氏のレヴィナス論に対する小泉義之さんの書評(講壇的な優雅さ)と一読者の感想(「甘美な愉楽」)の中間が正当な評価である気がする。

4・伊集院令子、『像と平面構成 I ―フッサール像意識分析の未開の新地』、 晃洋書房、2001年。


フッサール『算術の哲学』関係
1・三上真司、「『算術の哲学』に関する批判的考察」、東京大学哲学研究室『論集』3、1984年。

2・坂間毅、「研究ノート:フッサール「計算の哲学」の構想について」、東京大学大学院人文社会系研究科哲学研究室『論集25』、2007年、299-308頁。

3・鈴木俊洋、「初期フッサールの数概念の分析」、『現象学年報』19号、2003年11月、119-128頁。

4・小熊正久(おぐま・まさひさ、1951-)、「フッサールの算術の哲学における心理学的分析」、『山形大学紀要(人文科学篇)』、1985年。

5・小熊正久、「数と数えること―フッサールを手がかりにして」、『山形大学紀要(人文科学篇)』、1997年。

Tuesday, March 25, 2008

有限性をめぐって(4)有限性と出生

体を騙し騙し、イヴェントに出席。

3月17日、水月昭道、『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』に関するワークショップに参加。
3月22日、日仏哲学会に出席。
3月23日、ベルクソン哲学研究会に出席。
3月24日、村上靖彦さん『現象学者レヴィナス』(Lévinas phénoménologue, éd. Millon, coll. "Krisis", 2002)書評会に参加。

***

ベルクソン研究の日。引き続き、有限性概念を考察する。

ハイデガーと言えば「死に臨む存在」――そう思い込んでいる人は少なくないはずだ。だが、『存在と時間』は、自らが答え得ていない問いの存在に少なくとも意識的である。

《しかしながら、死は何といっても現存在の《終末》にすぎない。それは、形式的に見れば、現存在の全体性を差し挟んでいる一方の末端にすぎない。もう一方の《末端》はというと、それは《発端 Anfang》――すなわち《誕生 Geburt》である。

そして誕生と死との《間に》わたる存在者であってはじめて、求められた全体の姿を示すのである。このように見ると、われわれの分析論の今までの見通しは、いかに明確に実存する全体存在を指向していたにしても、また本来的および非本来的な《死へ臨む存在》を一義的に解析していたにしても、なお《一面的》にすぎなかったわけである》(第72節)。


"Allein der Tod ist doch nur das "Ende" des Daseins, formal genommen nur das eine Ende, das die Daseinsganzheit umschließt. Das andere "Ende" aber ist der "Anfang", die "Geburt".

Erst das Seiende "zwischen" Geburt und Tod stellt das gesuchte Ganze dar. Sonach blieb die bisherige Orientierung der Analytik bei aller Tendenz auf das existierende Ganzsein und trotz der genuinen Explikation des eigentlichen und uneigentlichen Seins zum Tode "einseitig""(S. 373).

要するに、「始まりに臨む存在 das Sein zum Anfang, l'être pour le commencement」とでも言うべきものの分析を欠いては実存分析が完了したことにはならない、とハイデガー自身が言明しているわけである。

しかしながら、先に引いた第72節のもう少し先で、ハイデガーは、誕生という契機を死の契機へ、さらには関心としての現存在の存在へと還元してしまう。

《事実的な現存在は、誕生せるものとして実存しており、また誕生せるものとしてすでに――「死に臨む存在」という意味で――死に至っているのである。誕生と死というこの《両端》とそれらの《間》とは、現存在が事実的に実存している限りは、現に存在している。そしてそれらは、ほかでもなく、関心としての現存在の存在に基づいている可能なるただ一つのありさまで存在しているのである。》

"Das faktische Dasein existiert gebürtig, und gebürtig stirbt es auch schon im Sinne des Seins zum Tode. Beide "Enden" und ihr "Zwischen" sind, solange das Dasein faktisch existiert, und sie sind, wie es auf dem Grunde des Seins des Daseins als Sorge einzig möglich ist" (S. 374).

[一文目だけMartineauの訳文を挙げておく。

"Le Dasein factice existe nativement, et c'est nativement encore qu'il meurt au sens de l'être pour la mort" (p. 259).

『存在と時間』は、「現存在と時間性」と題された第二篇の冒頭(第1章)で「全体性 totalité」と「死 mortalité」という二つの異なる問題系を融合している。ポール・リクールは、『記憶、歴史、忘却』(2000年)の中でこの章を「節目になる章 chapitre nodal」と呼び、この融合に違和感を隠せない、としている。死のテーマ系にこだわりすぎることで、可能的存在のその他の側面へ接近する道が閉ざされてしまうのではないか、というのである(p. 465)。

リクールは、『存在と時間』における死に対する態度の「最も強力な弁護 le plus vigoureux plaidoyer」(p. 465)としてダスチュール『死』(1994年版)を挙げ、自身はジャン・グレーシュとともにハンナ・アレントが用いた「出生性 Gebürtigkeit, natalité」のテーマに目配せを投げかけている。

リクール自身は、アレントの「出生性」を喚起しておきたい、とだけ述べて(いつものように?)素通りしているが、ダスチュールは『死』の2007年版において、この問題を自分のものとして引き受け、わずかではあるが展開している(pp. 168-169)。

だが、徹底的なハイデガー主義者であるダスチュールは、なぜ誕生より死を存在論的に優位のものと見なすのかについて、結局のところ明確な解答を与えることが出来ない。

《考慮に入れていなかったとハイデガー自身が認めているこの「始まりに臨む存在」に関する説得力に富んだ分析が、ハンナ・アレントに見出されるということには、したがってまったく疑いの余地はない。にもかかわらず、行動、とりわけ政治的行動は、可死性のパースペクティヴにおいてもまた考察されることを要請していないかどうか自問することは許されよう》。

"Il ne fait donc nul doute que l'on trouve chez Hannah Arendt une analyse convaincante de cet "être pour le commencement" dont Heidegger reconnaît qu'il ne l'a pas pris en compte. On peut cependant se demander si l'action, et en particulier l'action politique, n'exige pas d'être également considérée dans la perspective de la mortalité" (p. 169, nous soulignons).

ここでダスチュールを離れて、アレントの著作に直接取り組むことにしよう。(続く)

Monday, March 17, 2008

申し訳ない。

今日は、某学会関東支部大会があり、多くの友人・知人が発表していたのだけれど、体調がすぐれず、聴きに伺うことができませんでした。

Sunday, March 16, 2008

救いの島(母語を離れる)

《ジッドは言った。「だが、今日のうちにあなたに、ドイツ語に対する私の関係について、いくらか話しておきたいのだ。

私は長いあいだ、ひたすらドイツ語と集中的に取り組んだのだが[…]、その後、十年間、ドイツ語に関する諸々をうっちゃっておいた。英語が私のすべての注意力を奪っていた。

さて、去年コンゴで、ようやくまたドイツ語の本を開いてみた。それは『親和力』だった。そのとき私は奇妙な発見をした。この十年間の休みの後で、読む力は衰えるどころか、かえって進歩していた。その際に」――ここでジッドは強調の意をこめて言った――

「私を助けてくれたのは、ドイツ語と英語の親近性ではない。そうではなく、私が母語から遠ざかっていたという、まさにこのことが私に、外国語をものにするための弾みをつけてくれたのだ。

言葉を学ぶ際に一番重要なのは、どの言葉を学ぶかではない。自分の母語を離れること、これが決定的だ。また、実はそのときはじめて、母語を理解することになる」。

ジッドは航海家ブーガンヴィルの旅行記のなかの一文を引用した。「島を離れるとき、われわれはそれに〈救いの島〉という名を与えた」。

これにジッドは次のような素晴らしい文を付け加えた。「あるものに別れを告げるときにはじめて、われわれはそれに名を与える」》(ベンヤミン、「アンドレ・ジッドとの対話」)

Saturday, March 15, 2008

日本のオペラ、日本的なオペラ

今更ながらに村上さんの2007年5月4日のポストに対するレスポンスを(お忙しいさなか、レスを求めているわけではありませんので)。

村上さんには私もひとかたならぬ敬意と親愛の情を抱いています。近すぎず遠すぎず、今のような(従兄弟のような?)関係を「上方行き」の後も続けていけたら、と私の方は願っています。

村上さんとはお会いして飲んだりもするのですが、なぜかこういう話はあまりしませんね。それはプロ野球選手が飲み会で野球の話をしないのと同じかもしれません。その同じ選手が後輩の選手には経験談を話したり、アドバイスを送ったりすることはあるでしょうけれど。

このブログに書いていることの大半は、同輩や後輩に向けて書かれたものです。

ですから、村上さんの目に「前提条件にすぎないことを何も青筋立てて言わなくても」と映るのは不思議ではありません。ただ、「前提条件を論じる」のも「青筋」もこのブログの基本線なので(笑)。実物の私に会ったことのない方のために念のために言っておくと、私は普段、「青筋」な人ではないです。



さて、《英独仏語で書くことは、普遍性に到達するための条件にすぎない》と、私も思います。それはどんな条件なのでしょうか?必要条件?十分条件?分かりません。ただ、今周りを見渡してみて、哲学する際の使用言語に対する意識が全般的にとても低い、そう思います。

したがって、《ヒンティカやビヨークが凄いのは、彼らの強烈な普遍性への意志ゆえであって、英語はそこに至るための一つのツールにすぎない》、これにももちろん賛成です。

ただ、《ヒンティカやビヨークが凄いのは、英語だからではない》、これは微妙です。英語という契機はそこまで小さくはないと思うのです。現代の偉大な自然科学者は英語で書かずともやはり同じように偉大であったとは言えません。そして私たちが従事しているのは、人文学という科学であるわけです。

ビヨークが仮に英語で歌っていなかったとしても、アイスランド語で彼女の歌世界は完璧に表現されていたかもしれません(本当はこれもそれほど確かなことではありません。あの「ビヨークな英語」も魅力の一部なのですから)。

ともあれ、世界の音楽シーンは間違いなく「ビヨークのいない世界」に変わり、ビヨークはワールド・ミュージックの棚にひっそり並ぶことになっていたでしょう。それは英語を通じてビヨークの魅力を知ることになった音楽ファンにとって耐えがたい欠落であるはずです。アイスランド語では"Tibet, Declare Independence!"もインパクトは薄いでしょうし――私はビヨークの常にpoliticalな姿勢も好きです。

この「英独仏語」という準備的な契機をふたたび強く言うのは、若手研究者が村上さんの言説を誤解して、「だから結局、日本語でまずはいいものを書けばいいんだ」という従来の不毛な二者択一(哲学力か、語学力か)に退行してしまうのを危惧するからです。

でも、一歩進んだ地点を村上さんと共に夢想してみるのも楽しいことです。最近、武満の対談選がちくま学芸文庫で出ましたね。たぶん、村上さんのおっしゃりたいのは、目指すなら武満レベルを目指せ、と。何も意識の低い者を叱咤激励して貴重な時間を浪費する必要はないじゃないか、ということでしょうか。

「世界に認知されること」以上に、「世界にどう認知されるか」が重要というのは本当にそのとおりです。つまり、到達すべき普遍性にもいろいろある、ということでしょうか。そのことを考えるための一つのきっかけになれば。 何週間か前に書いた雑文です。



2008年2月29日付の朝日新聞夕刊に「日本的なオペラ、前面に」という小さな記事があった。

《本場の歌劇場の引っ越し公演は引きも切らず、新国立劇場は主役級に外国人歌手を並べる。そんな時代に全日本人キャストでワーグナーをやる意味は何か。答えの垣間見える公演だった》

という言葉で始まり、

《どんなにグローバリズムが進んでも、民族的形姿はついて回る。日本のオペラ界はそこを武器にしないと生き残れまい。》

と締めくくるこの記事は、いつも頭のどこかで「日本人が日本語で西洋哲学研究をやる意味は何か」と自問している私の興味を引いた。

むろん新聞の舞台評にその答えが書いてあれば苦労はしない。記事の筆者がいう「武器」とは、「日本的無常を漂わせた」簡潔な装置の中で、「日本人としては声量十分だが、欧米の名歌手たちと比べれば非力の感は否めない」歌手がヴォータンを演じるにあたって、「日本人を母に持つ[ので日本人の感性が手に取るように分かる、と言いたいのであろう]ベルギーの若い演出家」が、「考えようによっては、ヴォータンほど哀しい男もいない」という「無力な父のイメージ」を前面に押し出し、全編「大変な愁嘆場」にしてみせるというものだ。

彼の言う「民族的形姿」とはどうも「義理と人情の板ばさみに顔を歪める、まるでやくざ映画の鶴田浩二のような線の細い辛抱役は、日本人が歌ってこそ」といった「優男の悲壮感」であるらしい。これで「こちらも目頭が熱くなる」と言われても、こちらが困ってしまう。



日本語でフィロソフィーをやる意味は何なのか。フィンランド人がフィンランド語で哲学論文を書いたとして、いったい何人の人が読むのか?英・仏・独語が世界の哲学の共通言語である。なぜ日本語でなければならないのか。何のために?誰に読んでもらうために?哲学が科学性・客観性・真理などのために必ずや「普遍」を通過するものならば、より開かれた言語で書くのが哲学者の「義務」でもあるだろう。
デカルトやスピノザがラテン語で書いたように。フィンランド人のヒンティカが英語で書くように。デリダやフーコーが時折英語で話し、書くように。ドゥルーズが自分の書く言語に無頓着でいてもよかったのは、彼がフランス語という比較的メジャーな哲学言語の使用者だったからである。

学生のため?哲学ファンのため?自然科学者は、苦手であっても英語でペーパーを書き、日本語で授業をし、日本語で啓蒙書を書くではないか。なぜ人文科学者はもっぱら日本語で書くのか?

ここしばらく私が日本語でばかり論文を書いているのは、きわめて哲学外在的な理由によるのであって、今のところ、私には日本語で哲学・思想研究を行なう明確な哲学的理由が見つけられていない。

逆に問おう。「日本の哲学」とは何か?「日本的な哲学」とは何か?日本語で書かなければ、あるいは日本の思想家について書かなければ、日本の哲学ではないのか?日本人がやるから日本の哲学なのか?「日本的」とはどういうことか?これもよく分からない。

日本的なオペラ=歌舞伎(あるいは大衆演劇、あるいはやくざ映画)というほど単純なものでないことは確かだ。歌舞伎は日本のオペラにあたるといっていいと思うが、日本的なオペラが必ずしも歌舞伎的なものでなければならないということはない、ということである。

性急に答えを見つけようとして見つかる類の問いでもないだろうし、また実践を伴わない抽象的な「机上の空論」をして見せるつもりもない。自分の研究の歩みを進めることで自分なりの答えを探しつつ、倦まず弛まず問いの形を洗練していきたい。いつの日か満足な答えをその問いに与えられれば。

Thursday, March 13, 2008

68年―40周年

締めに向かって進んでいた「哲学と大学」、体調がさらに悪化し、中座を余儀なくされました。悪しからず。

友人gsbとawlからそれぞれJEとゼミについての告知。

フランスでは若手の友人たち(20代~30代)がシンポの司会を仕切って、上の世代が発表に精を出すのはごく普通のことです(むろん若手ばかりが司会をしているわけでもありませんが)。考えてみれば、こういった催しの実際的な裏方を仕切るのはたいてい若手なのであって、フランスではその彼らに「司会」役を任せることでいわば象徴的に「報いる」わけです。日本はどうでしょう(私は40代を若手とは呼びません。それは世界的な尺度から言って異常です)。このあたり、他のアジア諸国の「長老支配」的傾向からはかなりの程度脱しているとしても、日本にもまだまだ考えるべき点があるように思います。20~30代前半の若手にどんどんチャンスを与える、海外で発表する機会を与える。こういったことを大学横断的に組織していかねばなりません。

あと、フランスではたいてい、朝早くても、会の冒頭に最も重要な人物、目玉を置きます。今回で言えば、最近DG伝記を出したドッスです。日本で国際シンポをやる時は、もちろん日本風(最後に目玉をもってくる。韓国のフランス哲学業界もこの方式でした)でも構いませんが、その場合には海外招待者に位置づけの意味を十分に周知徹底しておいたほうがいいでしょう。

Journée d’études – Université Paris 8 Vincennes/Saint Denis Bâtiment D, amphi D01 Métro Ligne 13 – Saint Denis Université Samedi 15 mars 2008 40 ans après, « la pensée ‘68 » : Deleuze et Guattari

PROGRAMME
MATIN Président de séance : Guillaume Sibertin-Blanc
9h30-10h00 François Dosse (Historien, IUFM Créteil) « Félix Guattari : itinéraire jusqu’à sa rencontre avec Gilles Deleuze (1930-1969) »

10h00-10h30 Manola Antonioli (Docteur en philosophie) « Micropolitique et transversalité »

10h30-11h00 Jean-Claude Polack, psychanalyste et directeur de la revue Chimères. « De la psychothérapie institutionnelle à la schizo-analyse »

11h00-11h15 : PAUSE

11h15-11h45 François Fourquet, Professeur d’économie à l’Université Paris 8. « La subjectivité mondiale. Une intuition de Félix Guattari »

11h45-12h15 Anne Sauvagnargues, Maître de conférences en philosophie de l’art, Ecole Normale Supérieure de Lettres et Sciences humaines, Lyon. « Agencements collectifs, individuations et production de subjectivité : Deleuze-Guattari »

12h15 – 12h45 : Questions du public et débat

12h45-14h00 : Pause déjeuner

APRÈS-MIDI Président de séance : François Dosse
14h00-14h45 Franco Berardi (Bifo), Enseignant à l’Accademia di Brera, Milan « Des millions d’Alices en puissance : communication et politique du désir »

14h45-15h15 Guillaume Sibertin-Blanc, docteur en philosophie ; attaché temporaire d’enseignement et de recherche, Université Lille 3 « L’Anti-Œdipe dans la conjoncture post-68 : à qui se destinait la schizo-analyse ? »

15h15-15h30 Pause

15h30-16h00 Olivier Fressard, Conservateur des Bibliothèques – Université Paris 8. « Informer, communiquer, discuter, créer. Les créations sont-elles irrécusables ? »

16h00-16h30 Frédéric Astier, docteur en philosophie. « Deleuze et l’archive sonore post-68 ; avec diffusion d’extraits audio des cours »

16h30-17h00 Marielle Burkhalter, Maître de conférences à l’Université Paris 8 et documentariste. « Présentation de documents audiovisuels sur les cours de Gilles Deleuze à Vincennes »

17h00-17h45 François Pain, Vidéaste. « Guattari en vidéos. Chaosmose Postmédia »

17h45-18h15 Alain Raybaud, Historien, professeur à l’Institut Vatel. « Mai 68 n’a pas eu lieu »

18h15-19h00 Débat et conclusion du colloque


Politiques du Tout-Monde
Séminaire de l'université de Paris 8 et de l'Institut du Tout-Monde
sous la responsabilité de François Noudelmann


Les murs s'élèvent, les nations se crispent, les généalogies s'ordonnent. Le monde des échanges globalisés est aussi celui des assignations identitaires. Comprendre le tourbillon de la mondialité exige qu'on en finisse avec les antithèses fermées : enracinement vs cosmopolitisme, relativisme vs universalisme. L'infinité des relations possibles et imprévisibles entre les cultures, les lieux et les temporalités conduit à interroger le divers plutôt que l'univers. « La mondialité c’est la quantité finie et réalisée de l’infini détail du réel » écrit Édouard Glissant.

Penser le Tout-Monde requiert autant une esthétique qu'une politique, autant une poésie qu'une philosophie. Le séminaire mobilisera les théories et les imaginaires qui ouvrent de nouveaux paradigmes pour analyser les métamorphoses en cours, leurs rythmes et leurs énergies, leurs périls et leurs horizons. Traces, divagations, greffes, insurrections…

Patrick Chamoiseau: Mondialisation, Mondialité, Pierre-monde
28 mars à 18h30 (Maison de l’Amérique latine, 217 bd Saint-Germain, 75007 Paris)

Alexis Nouss: La beauté et la trace, approches d'une esthétique en suspens
14 avril à 18h30 (Maison de l’Amérique latine, 217 bd Saint-Germain, 75007 Paris)

Wednesday, March 12, 2008

哲学者の土曜日(6)金曜日のデリダ

2.金曜日のデリダ

《脱構築が一つの分析や一個の「批判」と常に区別されるのは、それが言説やシニフィアン表象だけでなく、堅固な構築物、「物質的」な制度に関わるからである。そして、関与的であるために、それは、哲学的なるもののいわゆる「内的」な配列が、教育の制度的形態と条件と、(内的にして、しかも外的な)必然性によって、連接するその場所において、可能な限り厳密な仕方で、作用するのである。制度の概念そのものが、同じ脱構築的な処理を蒙るところまで。》(デリダ)この引用については、2007年3月7日のポスト、および2007年5月23日のポスト



さて、デリダも、私の知る限り少なくとも三度(『弔鐘』、「正しく食べなくてはならない、あるいは主体の計算」と『信と知』)、ヘーゲルの「思弁的な聖金曜日」に言及しています。

が、そういった書誌的な細部を用いたこじつけなどせずとも、今日西山さんが扱ったデリダの大学論(『条件なき大学』、月曜社、2008年3月刊行予定)を一読すれば、この本は心晴れやかな日曜日の本ではなく、金曜日ないし土曜日の本であると断言できるのです。あたかもウィークデーとウィ-クエンドの間で絶妙なバランスを保ちつつ語り続けるラジオのDJのように。

「金曜日ないし土曜日」という妙な言い方をしたのは、デリダが何気なく、しかし執拗に、語っているのは日曜日や金曜日についてではなく――ただし、dimanche(p. 62)やdominical(p. 60)がまったく無意味でもない仕方で登場していることに最小限の注意は向けておく必要があるでしょう――、sabbatやsabbatiqueについて、それも否定的に語っているからです。


非sabbatの時間性

sabbatとは、「安息日」の意であり、キリスト教では「日曜日」、ユダヤ教では「金曜日の日没から土曜日の日没まで」を指します。sabbatiqueはその形容詞形で、repos sabbatiqueは「安息日の休息」であり、année sabbatiqueは「研究のために大学教授や企業の管理職に与えられる長期休暇」のことです。

では、「安息日」が『条件なき大学』に登場するのはどのような文脈においてのことでしょうか?デリダはその第四章で、来るべき人文学に対する7つの提言を行なう際に、その7番目にして最後の提言について、それも二度も、「その提言は安息日的なものではない」と断っています。

"La septième, qui ne sera pas sabbatique, tentera un pas au-delà des six autres vers une dimension de l'événement ou de l'avoir-lieu" (Jacques Derrida, L'université sans condition, éd. Galilée, 2001, p. 67).

"Au septième point, qui n'est pas le septième jour, j'arrive enfin maintenant" (p. 72).

また、第三章では、彼自身の大学論を支える論理を「《かのように comme si》の修辞学」と呼び――"comme"は脱構築の真の問題ないし標的であるとさえ言われます(p. 74)――、それはいかに似ているように見えるとしても、労働のない、「永遠の安息日の休息」「夜の来ない安息日」に満たされた社会といった来るべきユートピアを描くSF小説の論理ではない、と繰り返しています。

"La rhétorique de ce "comme si" n'appartient ni à la science-fiction d'une utopie à venir (un monde sans travail, in fine sine fine, "à la fin sans fin" d'un repos sabbatique éternel, lors d'un sabbat sans soir, comme dans La Cité de Dieu d'Augustin) ni à la poétique d'une nostalgie tournée vers un âge d'or ou un paradis terrestre, à ce moment de la Genèse où, avant le péché, la sueur du travail n'aurait pas encore commencé à couler" (p. 52).


労働時間の脱構築

デリダによるsabbatの頻用は一見すると奇妙なこだわりに見えるでしょうし、私のこだわり方も尋常でない(笑)ように見えることはよく承知しています。が、それは、時間や労働(ないし労働時間)といった概念の脱構築こそが、「哲学と大学」論を現代に通用するものにするために通らねばならない道であると、私もデリダ同様、信じているからです。

時間(heure)とは、「純粋に虚構的な数えうる単位」であり、「時(temps)を制御し、秩序づけ、数え(compte)、物語り(conte)、作り出す《かのように》」であるとすれば、講義、ゼミ、講演、あまつさえ「アカデミック・クォーター」さえもが、労働の時間によって規定されているのです。大学教員の怠慢(?)の代名詞のような時間すら、それ自身ある歴史(例えばスウェーデンの)を持っているのです(もちろん遅刻を擁護しているわけではありません)。

"L'heure reste le compteur du temps de travail hors et dans l'université, où tout, le cours, les séminaires, les conférences, se calcule par tranches horaires. Le "quart d'heure académique" lui-même se règle sur l'heure" (p. 62).

7つ目のポイントが「7日目(=日曜日)でない」と言われてしまえば、デリダのこの本を金曜的だと強弁している私たちには、5つ目のポイント――これは5日目(=金曜日)的ではないのでしょうか?――がどのようなものであるかが気になるところです。

"5. Ces nouvelles Humanités traiteraient, dans le même style, de l'histoire de la profession, de la profession de foi, de la professionnalisation et du professorat. [...] Nous assistons bien à la fin d'une certaine figure du professeur et de son autorité supposée, mais je crois, l'ai-je assez dit, en une certaine nécessité du professorat" (pp. 71-72).

「職業=プロフェッショナル」という概念の歴史――例えば、professionは必ずしもtravailともmétierとも重なりません――、「所信表明 profession de foi」の歴史、「職業化・専門化 professionnalisation」の歴史、「教授職 professorat」の歴史を再検討することを通じて、ある種の「教授」像の終焉と、彼が備えていると想定されていた「権威」の終焉を確認し、と同時に、教授職を維持するある種の必要性=必然性を確認せねばならない、というのがデリダの構想する「新たな人文学」の5つ目の、そしてprofessionという語を強調していた西山さんにとってもおそらくは最も重要な、ポイントです。

このとき、デリダは決して実生活と切り離された真理追求という日曜日的なポジションにいません。彼は、職業として、脱構築という仕事・労働に従事しており、ウィークデーにいるのです。そして、「大学は無条件的に真理を追求できるものでなければならない」というデリダの信仰告白=信条表明は、聖金曜日のpietàにも似た悲痛な響きを伴っています。これがデリダの「哲学と大学」論を金曜日的だと見なす理由です。(続く)

Tuesday, March 11, 2008

哲学者の土曜日(5)日曜日から金曜日へ

二つの目の参照軸は、ネグリ+ハート『帝国』です。この本には様々な読み方があるでしょうが、私にとってこの本の中心概念の一つは、《非物質的労働 travail immatériel》です。

農林水産業中心のパラダイムから産業革命後の工業中心のパラダイムへの移行、社会の工業化を「経済の近代(モダン)化」と呼ぶのが正当だとすれば、人口の大半が第三次産業(サーヴィス業・情報産業)に就いている状態への移行、社会の情報化過程をためらうことなく「経済のポストモダン化」と呼ばねばなりません。そこで生み出される労働やその結果生み出される財の特徴、それが非物質性です。

《サーヴィスの生産が結果としてもたらすのは物質的財や耐久消費財ではないのだから、私たちはこうした生産に含まれている労働を非物質的労働と定義することにしよう。すなわち、それは非物質的な財を産み出す労働――サーヴィス、文化的生産物、知識、コミュニケーションのような――のことである》(アントニオ・ネグリ+マイケル・ハート、『帝国―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』、以文社、2003年、375頁)。

"Comme la production de services ne débouche sur aucun bien matériel ou durable, on définit le travail impliqué dans cette production comme travail immatériel - c'est-à-dire un travail qui produit un bien non matériel tel que service, produit culturel, connaissance ou communication" (Michael Hardt et Antonio Negri, Empire, tr. fr. Denis-Armand Canal, éd. Exils, 2000, p. 355).

もちろん『帝国』に関しても非物質的労働概念についても批判があることは承知しています。前者にはジジェクの批判がありますし――ただし、ジジェクの批判は煎じつめれば《現代に必要なのはマルクスの再読解ではなく、レーニンの反復だ》という相当乱暴なものですが――、後者には例えば宇仁宏幸(うに・ひろゆき)さんの「ネグリの《非物質的労働》概念について」(『現代思想』2003年2月号、119-129頁)がなかなか有効であるように思います――「構成 constitution」概念の失敗が、「労働の自己価値増殖」の過大評価につながっている、という論文後半部の仮設の妥当性は量りかねますが。また、「非物質的労働」概念自体に私自身、留保がないわけでもありません――それが様々な労働過程の均質化を意味する、というのは首肯できないからです。

しかし、ともかくも、現代の政治経済学を考えるうえで、「非物質的労働」概念の《批判》が避けて通れない仕事であることだけは言を俟たないと思います。この概念をはじめとする新たな労働状況の出現が日曜/日常、余暇/労働、家庭/仕事の伝統的な区別を内側から蝕んでいるのです。

《政治的な文脈において生産と再生産の区別が徐々に消えていくことは、時間と価値の計測不可能性を再び際立たせることになる。労働が工場の壁の外に溢れ出すにつれて、労働日という虚構の尺度を維持し、生産の時間を再生産の時間から、あるいは労働時間を余暇の時間から切り離すことはますます困難になる。

生政治的な生産の地勢上にはタイムカードは存在しない。プロレタリアートは、一般性を十全に発現するような形で、あらゆる場所で、あらゆる時間に生産しているのだ》(同上、499‐500頁)。

"L'indistinction progressive entre production et reproduction, dans le contexte biopolitique, illustre aussi - une fois encore - la non-mesurabilité du temps et de la valeur. Comme le travail sort des murs de l'usine, il est de plus en plus difficile de maintenir la fiction d'une mesure quelconque de la journée du travail, donc de séparer le temps de la production de celui de la reproduction, ou le temps de travail du temps de loisir.

Il n'y a pas d'horloges pointeuses sur le terrain de la production biopolitique : le prolétariat produit partout, dans toute sa généralité, toute la journée" (p. 484).

従来自明視されてきた仕事を取り巻く二項対立図式が、科学技術、とりわけ情報技術の発達による時間概念の変化を通じて大きく揺さぶられており、日曜/日常もその例外ではありません。大学教員や哲学者が大学と社会、哲学と社会の関係を考えるに際して、「無用の用」を持ち出すとしても、これまでのような日曜日のamateurism・純粋主義を前面に押し出した形では説得的な議論はなしえないのではないかと思うのです。

大場さんが「《われわれ》とは誰でしょうか?哲学者?大学教員?社会全体?」という批判的な質問を投げかけたとき、念頭にあったのは「大学とは誰のものか」という決定的な問いを抜きに立論すると、哲学者による机上の空論に終わりかねないという危惧ではなかったかと思いますが、私の方からは以上のような方向性(日曜日の脱構築)でお二人の議論は収束しうるのではないかということを申し上げておきます。


日曜日から金曜日へ

しかし、私たちはヘーゲルとそう簡単に手を切れるのでしょうか?ヘーゲルと訣別したつもりで、その実、私たちはよりいっそう否定的なもののもとへと滞留し続けることになるのではないでしょうか?「朝(あした)に笑う者は夕べに泣く」「盛者(じょうしゃ)必衰」に該当するフランス語の諺に「金曜日に笑う者は日曜日に泣く Tel qui rit vendredi dimanche pleurera.」というのがありますが、ここでは「日曜日を笑う者は金曜日に泣く」とでも言ってみたい気分に駆られます。

というのも、実は、ヘーゲルは金曜日についても語っているからです(笑)。1802年に書かれた『信と知』Glauben und Wissenの最後に、

「思弁的な聖金曜日」
speklativer Karfreitag
Vendredi-Saint spéculatif

という言葉があります。聖金曜日とは、キリストがゴルゴタの丘で磔刑に処された受難(Passion)の日です。先に「人生の日曜日」には様々なバリエーションがあると言いましたが、この「思弁的な聖金曜日」の解釈にも様々なヴァージョンがありそうです。例えば、2006年9月にSteffen DIETSCHという研究者が、その一例としてHans Urs von Balthazarという神学者の描き出した終末論的なヘーゲル像をポワチエ大学で紹介したことがあるようです

それはともかく、この「思弁的な聖金曜日」は、『精神現象学』のやはり最後に出てくる

「絶対精神のゴルゴタ」
Calvaire de l’Esprit absolu (仏語のニュアンスについてはこちら
Schädelstätte des absoluten Geistes

とほぼ同義で、純粋概念が、あるいは無の深淵としての無限性が、「無限の苦痛(Schmerz)――歴史的には教養の立場において"Gott selbst ist tot"という感情としてあったところのもの」を単なる一契機として示すことで、有限性を絶対的なものとみなすカントらの「教養の立場」を否定する過程を意味しています。

要するに、「神は死んだ」という感情を最終審級と見なすのではなく、この感情の冷徹な真理性を「絶対的な受難(Leiden)」として受け止めるということは、受難の金曜日を世界の終わりと見なさず、その後に復活が、そして復活祭の無限の反復が待ち受けていると考えることです。

これを私たちの文脈に置き換えて言えば、「無用の用」としての哲学から日曜日が持ちうる楽観的ないしアマチュア的な相貌を剝ぎとり、無限の批判作業が職業(プロ)として行われるべき金曜日の性格を哲学に見てとることだと言えるでしょう。

こうして私たちは、ヘーゲルの大学論からデリダの大学論へと移行することになります。(続く)

Monday, March 10, 2008

哲学者の土曜日(4)日曜日の脱構築

日本の日常:日曜の頽落

要するに、このグローバリゼーション状況下にあって、日曜/日常、聖なるもの/日常的なもの、余暇/労働の伝統的な二項対立図式を保持したまま、利害を超越した大学ないし哲学の真理探究という《無用の用》の側面、《日曜日》の側面を特権視するだけで、絶えずさらなる有用性・効率性・機能性を要求する新自由主義的な言説に対抗しうるのだろうか、ということが大河内さんの問題意識ではなかったでしょうか。

ここで瀬戸一夫『時間の民族史―教会改革とノルマン征服の神学』(勁草書房、2003年)に言及しておきたいと思います。瀬戸氏は、中世ヨーロッパ人の来世信仰は必ずしも我々現代人の理解を超えたものではないと強調し、現代の高等教育を例にとっています。

高等教育が必ずしも成功や幸福の確実な保証とはなりえないにもかかわらず、私たちが若い時期のかけがえのない時間を犠牲にして学業に耐えているのは、そのことによっていつの日か実社会で《成功》や《幸福》に近づくことができるという「信仰」のためではないか。受験戦争に巻き込まれた多くの小中高生、予備校生のメンタリティは、来世を待望しつつ信仰生活を耐え抜く修道僧のそれとさしたる相違はないのではないか。

中世と現代は「来世」=「実社会」、「天国」= 裕福で安定した「老後の生活」、「修道院」=「学校」という対比構造で捉えることができるという瀬戸氏の類比は、プロテスタンティズムに拠らずともカトリックの枠内で資本主義をはじめ現代的生の予定説的な側面を語りうる可能性を示し、上述した古典的な時間の生-権力が今なお脱魔術化されきることなく私たちを呪縛していることを物語ってはいないでしょうか。

現代社会、とりわけ日本社会にあって《神聖》なのはむしろ働く時間であり、日曜日はまた一週間を走り抜けるための《卑俗》な骨休めにすぎません。大学、とりわけ人文学でしばしば見られる「無用の用」の言説、日曜日ないし余暇、真理の客観性・科学性・中立性の魅惑を単純に強調することは、主権(至上権)が行使される週日に行なわれる《労働の聖別sacralisation du travail》に対抗するかに見えて、その実、二項対立図式として同じ地平を共有しており、地平線の向こうへと眼差しを向けさせないという意味では、後者よりたちが悪いとすら言えるかもしれません。

重要なのは、日曜日の脱構築を通じて日常/日曜の対立そのものを内側から解体することです。そのためには、例えば、古今東西のさまざまな「怠けparesse」論を読み直さねばならないでしょう(私の2003年8月のポストも参照のこと)。ネット上でもポール・ラファルグの名著『怠ける権利』を読むことができますので、ぜひご一読下さい。


日曜日の脱構築:世界化と非物質的労働

ここではしかし、フランス現代思想の最前線から二つの参照項を借りて、大河内さんの議論を延長すると同時に、大場さんの議論との接続の可能性をごく手短に示唆するという方途を取ることにします。それら二つの参照項の共通点は、グローバリゼーションに二項対立の形で対抗運動を対置しようとするのではなく、グローバリゼーションそのものの中に現在支配的な傾向とは異なる要素を見出し、その潜在的な力に注目しようとしているところにあります。

一つ目の参照軸は、ジャン=リュック・ナンシーによるグローバリゼーションに関する議論です。

《もし世界化が――価値を普遍的なものとすることによって――価値の生産を転位させる前に、世界化(脱神学化)が価値というものを転位させる――価値を内在化させる――ならば、この両者はともに、「創造」を世界の「理由=根拠の不在」へと転位する。だがこの転位は、存在‐神論的図式、あるいは形而上学的‐キリスト教的図式の場所移動、その「世俗化」ではない。この転位は、この図式の脱構築、空洞化であり、また、賭け=遊動――と危険――の他の空間を切り開く》(『世界の創造 あるいは世界化』、現代企画室、2003年、42‐43頁)。

"Si la mondialisation (la déthéologisation) déplace la valeur - l'immanentise - avant que la mondialisation déplace la production de la valeur - en la faisant universelle -, les deux ensemble déplacent la "création" en "non-raison" du monde. Et ce déplacement n'est pas une transposition, une "sécularisation" du schème onto-théologique ou métaphysique-chrétien : il en est la déconstruction, l'évidement, et il ouvre un autre espace de jeu - et de risque - dans lequel nous entrons à peine" (Jean-Luc Nancy, La création du monde, ou la mondialisation, éd. Galilée, 2002, pp. 55-56).

フランス語では、「グローバリゼーション globalization」という英語の概念を指すのに、通常globalisationは用いず、mondialisationという語を用いますが、ナンシーは通常等価と見なされるこの二つの語の間に錯綜した関係を見出すことでグローバリゼーション状況の分析と批判を同時に行おうとするわけです。ここで重要なのは、「mondialisation=世界化」という概念がグローバリゼーションを横溢しやがて内部から転覆する剰余の契機として考察される際に、「価値」概念が持ち出され、その否定ではなく批判こそが重要だと言われている点です。

価値・効用・有用性は経済的な概念だからと忌避するのではなく、その似非科学的で形而上学的な側面を批判し、価値概念の刷新を図ることが、同時に経済状況への介入となる。我々の文脈で言えば、大場さんの指摘された「大学における質保証」や「評価」の問題を単に忌避ないし呪詛するのではなく、逆にそこで用いられている「質保証」や「評価」といった概念の批判的な検討を行なうことが、同時に教育の政治状況への哲学的な介入となるのではないでしょうか。(続く)

Sunday, March 09, 2008

哲学者の土曜日(3)日曜日のヘーゲル

1.日曜日のヘーゲル

ではさっそく大河内さん、西山さんの発表の核になる部分を振り返り、それを適宜延長することで大場さんの発表との刷り合わせを試みてみたいと思います。

大河内さんの発表「教養・体系・国家:ヘーゲルにおける大学と哲学」の中心を占める鍵概念も、何といっても有名な《生活[人生]の日曜日 Sonntag des Lebens》ではなかったでしょうか。私なら発表タイトルを「日曜日のヘーゲル」(笑)とでも名付けてみたいところです。

コジェーヴにはじまる

周知のように、「人生の日曜日」には幾つかのバージョンがあります(昨年末の日本ヘーゲル学会で入江容子さんという方が《ヘーゲルにおける「人生の日曜日」の問題》と題した発表をされています)。おそらく最も有名な例は、『美学講義』のオランダとドイツの絵画に関する章に出てくるものではないかと思われます。

《人生の日曜日こそがすべてを平等にし、邪悪なものすべてを遠ざける。これほど上機嫌になれる人間が、根っからの悪人であったり、卑しい人間であったりするはずはない》

„In dieser unbekümmerten Ausgelassenheit selber liegt hier das ideale Moment es ist der Sonntag des Lebens, der alles gleichmacht und alle Schlechtigkeit entfernt Menschen, die so von ganzem Herzen wohlgemut sind, können nicht durch und durch schlecht und niederträchtig sein.“ (ヘーゲルの言わんとするところが絵画付きで分かる重宝なサイト

« Le moment idéal réside justement dans cette licence exempte de soucis ; c’est le dimanche de la vie, qui nivelle tout et éloigne tout ce qui est mauvais ; des hommes doués d’une aussi bonne humeur ne peuvent être foncièrement mauvais ou vils » (Esthétique, troisième volume, tr. fr. par S. Jankélévitch, p. 314).

この一節が有名なのは、フランスの小説家レイモン・クノーが1951年に『人生の日曜日』という小説を発表し、その冒頭にこの一節を掲げたからです。これまたよく知られているように、アレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』(1947年)は書き下ろされた「著作」ではなく、作家にして編集者でもあったクノーが編集出版した「講義録」でした。

コジェーヴ≒クノー(イコールではありません)の「人生の日曜日」は、「歴史の終わり」を生きる人間のシニシズムに満ちた平穏な生活を意味しています(実は『美学』にあたってみると、例えばブリューゲルの絵に見られる何とも言えない農民風のおかしみ、ほとんど動物的な陽気さ、といったほぼ完全に異なる意味で使われているのですが…)。

近々(3月10日)、マルコ・フィローニというイタリア人哲学者が同題の著書(Il filosofo della domenica. La vita e il pensiero di Alexandre Kojève, Bollati Boringhieri, Torino 2008.)刊行を機に「日曜日の哲学―20世紀フランス哲学におけるアレクサンドル・コジェーヴ」と題する講演をUTCPで行なうそうですが、何という偶然でしょうか。ヘーゲルにおける「人生の日曜日」がクローズアップされるようになったのは、少なくとも私の知る限り、まさにコジェーヴを通じてのことなのです。


日曜と日常、聖と俗

さて、しかし、大河内さんが発表で主に依拠されたテクスト「ベルリン大学教授就任講義」(1818年)に現れる「人生の日曜日」は、コジェーヴ≒クノー的なそれとはまた違ったものです。

そもそも、日常(Alltag, quotidien)と日曜(Sonntag, dimanche)の関係は、社会組織のみならず、個人の行動原理、精神構造までも少なからず規定しています。フランス語で「日曜日」を意味するdimancheがdies dominicus(主の日 jour du Seigneur)の縮約形であることから分かるように、かつて時間は教会によって支配され、超越的な原理の顕現する特別な日(Sonntag,太陽の日 jour du soleil)を中心として、一週間が組織されていました。世界創造を終えた後の安息日の休息は神聖なもの、信仰者にとっての責務であり、他のすべての日(Alltag)は、日常的なもの(alltäglich)、卑俗なものでした。

岩崎さんも言及されたotiumとnegotiumの伝統的な概念対、すなわち余暇と労働の関係に基づく古典的な「時間の政治学 chronopolitics」――むろん永井陽之助(1924年-)のそれとは必ずしも重ならない意味での――、より正確に言えば時間の生-権力があったわけです。

「ベルリン大学教授就任講義」で、ヘーゲルは日曜と日常のこの伝統的な二項対立を持ち出しています。

《最も偉大な制度のうちの一つであるのは、通常の市民生活において時間が仕事日の仕事と日曜日、つまり必要の関心、外面的な生活の仕事(そこで人間は有限な現実性に沈み込んでいる)と、人間がこの仕事を免れ、彼の目を地上から天へと向け、彼の神性、永遠性、彼の本質を意識することになる日曜日とに分けられていることである》(GW XVIII, 26)。

ただし、プロテスタンティズムの国プロイセンの「中心(Mittelpunkt)の大学」たるベルリン大学に来たことに自覚的であったヘーゲルは、純粋で「無用」な信仰生活を送る役割を担っていた僧侶に代わって、自分の他に目的を持たず、したがって「有用 nützlich ではない」真理の認識を生業とする哲学者が「日曜日」を簒奪することを強調しています。「人生の日曜日」という鍵概念が登場するのはこの文脈においてです。

《哲学との交流は人生の日曜日と見なされうる》(ibid.)。

大河内さんの主張のポイントは、ヘーゲルの「哲学と大学」論は「日曜日」(創世記)の世俗化、「日曜日の機能転換Umfunktionierung」であった、したがって伝統的な「日曜/日常」図式の顛倒でも破壊でもなく、むしろその図式が維持され、純化・脱神秘化を経て強化されさえしたということだと思います。

僧侶に代わって哲学者が「無用の用」のミサを執り行ない、そこでは厳しい脱神秘化、概念化の試練が待っている――「日曜大工」「日曜歴史家」など、アマチュア性を示すために「日曜日」という言葉が用いられることがあり、とりわけ「日曜歴史家」などの場合、ただ単に「プロではない」ということを意味するだけでなく、「利害関係から離れた、特定の教義に縛られない、自由闊達な」という含意をもつこともあります。この意味では、ヘーゲルの言う哲学教授は「日曜哲学者」だということになるでしょう。

しかし、たとえ厳しい脱神秘化や概念の試練が待っているとしても、「人間が平日働き通すのは日曜日のためであり、日曜日を持つのは平日の仕事のためではない」(ibid.)という図式は変わりません。

《大学とは社会における/から切り離された「日曜日」的存在であり、哲学とは大学における/の中でも特殊な位置にある「日曜日」である》として、「無用の用」という言説自体は批判的な検討に付されることなく維持されています。これで現代の大学に突き付けられる新自由主義的な言説に対抗できるのだろうか、と。

大河内さんは冒頭で「ヘーゲルの中に必ずしも答えがあるとは思っていない」と言われ、また最後に「日曜日も大学もかつての意味を失いつつある今、その場所を我々はどこに見出すのか」と問われましたが、それはこのような意味合いにおいてのことだったと思います。(続く)

Saturday, March 08, 2008

哲学者の土曜日(2)教育、哲学の他者?

フーコー・ドゥルーズ・デリダにおける哲学・教育・政治

これが二流・三流の哲学者――カンブシュネールは、magistralités secondairesとか「疲弊しきったパラダイム内部で営まれるクーン的な「通常科学」の意味での「通常の」活動」といったソフトな表現を用いていますが、分かりやすく言えばこういうことでしょう――の教育への受動的な無関心だとすると、二つ目の脱備給は、一流の哲学者による教育の積極的な「否認 désaveu」です。

カンブシュネールは、「冒険的な、すなわち予見不可能で慣習に囚われない思考のみを思考とし、それ以外の哲学的身振りが存続しうると想像することを拒否する」態度の代表例として――まさに西山さんもレジュメの中で指摘しておられましたが――フーコーを挙げています。

《フーコー・ドゥルーズ・デリダ》と並べて語られることも多い三人であり、先ほどの《哲学・教育・政治の三位一体》で言えば、哲学と政治に関しては類似点も多く挙げられますが、殊教育に限って言えば、三人の態度、ポジショニングはまったく異なるといってよいでしょう。

(註:ドゥルーズに関しては、2007年1月17日のポスト「哲学と政治」、デリダに関しては、2007年5月23日のポスト「脱構築とは制度の脱構築である」を参照のこと)。

フーコーとドゥルーズには教育、とりわけ大学などの教育制度に関する言及がほとんど見られず、見られる場合には「規律・訓育としてのdiscipline」の観点から語られるのが常であるのに対し、デリダには教育や制度に関するもっとニュアンスに富んだ数多くの言及、幾つかの著作があります。

この違いは著作や発言だけにとどまらず、彼らの制度的な所属先にも見られます。三人が三人共に、アカデミスムの中心であるソルボンヌにいなかった、大学制度の規範が指し示す囲いの外、いわゆる大学の外部にいたという点では共通していると言えるかもしれませんが、フーコーはクラシカルな王制の遺物であると同時に自由な知的機関でもあるコレージュ・ド・フランス教授であり――ベルクソンやメルロ=ポンティのように、と申し添えておきましょう――、ドゥルーズは実験的な大学として有名であったパリ第8大学に「在籍」したのに対し、デリダはまた別の意味で大学の外にあるENSやEHESSに在籍しながら、国際哲学コレージュを「創設」しました。

デリダもドゥルーズもフーコーも天から降ってきたわけではなく、彼らの天才がある時代の、ある国の、ある制度に育まれ、制度と衝突し、制度との格闘を通じて生まれた偶然と必然の産物であるというごく当たり前のことをよくよく肝に銘じておく必要があります。

三人の「制度」やその中での教育や哲学活動というものに対するスタンスの違いから彼らの哲学自体を眺め直してみることは、単に興味深いという以上の効果を彼らの哲学理解にもたらすであろうという事だけは言っておきたいと思います。

(フランス留学を経験した研究者にすらも、しばしばこの「制度」という視点が抜け落ちているのは、彼らが修士や博士課程からフランスに行き、ただただ真面目に必須授業に出席するか、あるいはあたかもコンサートかミサに通うように高名な哲学者たちの講義や講演ばかりつまみ食いするかの違いはあれ、いずれにしても研究者養成制度の一端を垣間見ただけで――私は別のところで、フランスの高等教育と日本のそれとの決定的差異は「研究者養成制度」と「教育者養成制度」の制度的分離であると繰り返し強調してきました――フランスの哲学事情が分かった気になり、あとは部屋や図書館に閉じこもって独学に勤しむという彼らの生活習慣・思考習慣と関係しています。制度に庇護され、あるいは制度に規定されながら、制度の存在やその在り方に無自覚であるというのでは、ドゥルーズやデリダ、フーコーを勉強している意味が大きく減じるように思えます。)


哲学と教育:他者と出会うこと

カンブシュネールが描き出すこの二つの脱備給のタイプは、実はどちらも日本の哲学・思想研究の現状にそのまま見出されるものです。前者の「教育に対する受動的無関心」は保守的でアカデミックなタイプに見出されますし、後者の「教育の積極的否認」は現代思想系で相対的にジャーナリスティックなタイプによく見かけます。

今日ここでコメントをするにあたって強調しておきたかったこと――残念ながらというべきか、予想通りというべきか哲学科の学生・院生がほとんどいないようですが――、それは《教育の哲学》の必要性です。今日蔓延する放棄(délaissement)、相続人不在(déshérence)、自生的な脱備給(désinvestissement)、ほとんど象徴的な去勢とでも言いたくなるような無関心(désintérêt)に対抗して、《教育の哲学》にふたたび関心をもち、積極的に相続し、批判的に備給するだけでなく、哲学に関心を持つすべての人々に関心を持たせる(intéresser)ことこそが真の《哲学の教育》につながるのだ、ということです。

ただしこの関心=利益(intérêt)は、大河内さんがいみじくも指摘したように、時流におもねった哲学の有用性(utilité)を強調するためのものではなく、短期的な有用性――精神医学であれ脳科学であれ――の限界を批判=境界画定する哲学に内在的な効力(efficacité)を強調するためのものでなければなりません。限界を批判するとはもちろん無意味を宣告するということではまったくなく、どこまでも融通無碍な概念装置であるかのような幻想を捨て去るということです。

例えば、誰の目にも明らかなように、可塑性で何でも説明できると思うのは誤りです。しかし、だからといって、可塑性を無視するだけなら、それもまたさほど哲学的な身振りとは言えないでしょう。より興味深いのは、可塑性概念に何が出来て、それによってどこまで行けるのかという境界画定を行なうことです。概念は規定されることで己の力を十分に引き出すのですから。

大場さんは、大河内さんの発表の最後に出てきた《われわれ》とはいったい何者なのかと問われました。これは、今日のこのシンポジウム全体にとって決定的な問いであったと思います。私もこのコメントの最後でやはりこの問いに戻ってくるつもりですが、ここではひとまず、《われわれ》若手哲学・思想研究者が教育の問題、大学の問題に関心を持ち、その関心を公にしていくこと、教育界・教育学者・大学論者・官僚という哲学にとっての他者の言葉に耳を傾けると同時に、彼らにも耳を傾けてもらう場を持つこと、これがこのイヴェント=出来事の大きな意味であり、大場さんがここにいらっしゃる意義の少なくとも一つではなかろうかということを申し上げておきたいと思います。(続く)

Friday, March 07, 2008

哲学者の土曜日(1)哲学・教育・政治の三位一体

2月24日、シンポジウム《哲学と大学―人文科学の未来》に参加。そこで喋ったことを(時間の都合上喋れなかったことも含めて)ここに再構成しておく。

***

大河内さんが会の冒頭で予言されたように、彼がヘーゲルで《トス》を上げて、西山さんがデリダで《アタック》という展開で前半を終えました。前半の「哲学者の大学論」とは内容的にも形式的にも――パワーポイントの使用といった事だけでなく、語り口そのものの性質が――まったく異なる大場さんの「ヨーロッパの大学制度論」は、その伝でいえば《レシーヴ》ということになるでしょうか。

私の役目は、このレシーヴの意味を明らかにするよう努めること、感性と悟性の間を繋ぐ構想力よろしく、前半と後半の間をつなぐというほとんど不可能に近い課題に挑戦することであります。さて、うまくいきますか。

0.「教育の哲学」が「哲学の教育」に必要である――哲学・教育・政治の三位一体

まず、自分の話から始めさせていただきます。私はフランス哲学・思想を専門とする若手研究者ですが、私の周りを見渡してみて常々不満に思っていることがあります。それは、哲学や思想を研究する者は、常々《自分がどういう場所、どういう状況に身を置いてものを考えているか》ということに意識的、反省的、批判的でなければならないはずであり、哲学・政治・教育はほとんど三位一体とでも言うべき三角形を形成するはずであるのに、現代の哲学・思想研究の物質的・精神的基盤たる「大学」や「研究と教育の関係」といった基本的な事柄に対してほとんど何の自覚も意見も持ち合わせていない人が多すぎはしないか、ということです。

先ほど岩崎さんがおっしゃっていたことですが、大学の独立行政法人化(後の大学法人化)のとき、同じ理論系の「マイナー」学問である地質学や天文学の学者が危機感を募らせて反対運動に加わったのとは好対照に、最もだらしなかったのが人文学、殊に哲学科であったというのは誠に象徴的な話です。

しかし実は、事情はフランスでも同じです。2006年に雑誌『テレマック』で特集「教育を考える」、2007年に雑誌『形而上学・道徳雑誌』で特集「今日、教育を考える」を組んだドゥニ・カンブシュネール(パリ第一大学教授・哲学)は、現在のデカルト研究を先導する一人と見なされていますが、その彼がやはり次のようなことを述べております。

《教育はフランスではなおざりにされた=見捨てられた(délaissée)問題である。個人的に、普通の会話の中でなら、これほど情熱的に語られるトピックもない。それゆえ育児論から教育制度の現状に至るまで、さまざまなジャンルでありとあらゆることが語られてもいる。だが、哲学の分野に限って言えば、事情はそれほど芳しいものではない。

「教育の哲学」は、フランスでは事実上IUFMにしか存在しておらず、したがって厳密な意味での大学には不在であり、こうした一種の制度的な無[néant institutionnel]のゆえに今日では姿を見かけることすら稀になってしまった。》(Denis Kambouchner, "L'éducation, question première", Revue de Métaphysique et de Morale, octobre-décembre 2007, p. 415.)


[註:IUFMはInstituts Universitaires de Formation des Maîtresの略。「教員教育大学センター」「教師教育大学院」「大学付設教師教育部」などと訳されている。]

《この問題に取り組んでいる人々の質云々ではなしに、教育の哲学はフランスでは相対的に恵まれない=相続権を奪われた(déshéritée)分野である。[…]実際、我々の間で、教育の問題が哲学者の興味を引く(intéressent)ことはほとんどない。一つ象徴的な例を挙げれば、LMD制度の準備に関する会合で、哲学科でも教育の哲学に関する部分を増やしてみてはどうかと提案したところ、「それは我々の務めではない」とか「それに取り組むにはIUFMがある」といった発言が同僚の一人からあり、その発言に何人もの賛同者があった。》(Denis Kambouchener, "Les nouvelles tâches d'une philosophie de l'éducation", Le Télémaque, 2006, pp. 45-46. )

カンブシュネールは、このように学校や大学における教育の状況改善・環境整備に対する物理的・精神的な「投資をやめてしまうこと(精神分析で言うところの脱備給) désinvestissement」が現在哲学界を支配しているが、この脱備給には二つのタイプがある、と言います。

一つは、哲学活動の制度的な下部構造の問題です。現在、哲学という活動はたいてい大学で行われることになっていますが、歴史上常にそうであったわけではありません。哲学の年齢は大学の年齢より古い。現在大学で進行している極端な専門分化、細分化(atomisation)は、本来的に体系的な知(エンチクロペディー)であるはずの哲学の広範な弱体化(affaiblissement global)をもたらすと同時に、哲学が長年モデルとしてきた師と弟子の関係を解体し――もはや誰も師の位置を占めることはできない――、教え学ぶということが哲学にとって有している本源的な意味に対する哲学者たちの集団的な無関心(désintérêt collectif)を助長しているというのです。(続く)

Thursday, March 06, 2008

シンポジウム「哲学と大学」

ynさんによるシンポジウム「哲学と大学」の報告文がUTCPサイト上に掲載されたので、興味にある方は是非どうぞ。私のコメントも記憶に残っているうちにこのブログにまとめておきたいと思ってはいるのですが、なにしろ体に無理がきかない状態なので。。

大学論:3月17日に『高学歴ワーキングプア―人文系大学院の未来』の著者水月昭道さんを招いて「哲学と大学」ワークショップが行われますので、お誘い合わせのうえぜひお越しください。日仏の比較に興味のある方は、

マリー・ドュリュ=ベラ、『フランスの学歴インフレと格差社会』、明石書店、2007年12月。

を併読されることをお勧めします。例えばこんな感じ。

《ここ四、五十年来のフランスにおける学業期間の長期化には目覚ましいものがある。中等教育修了後に取得する学位であるバカロレアの保有者の割合は二倍に増えた。この割合は現在、およそ63%であるが、政府はこれを80%にまで引き上げようと目論んでいる。

フランスでは、「さらに多くの」教育を施すことは当然良いことであるとして、とくに高等教育における学業期間の長期化を推進し続ける方針に対して、絶大なるコンセンサスがあるが、本書の意義とは、こうした政治的意向に疑問を呈するところにある。

これまで五十年間で教育レベルは飛躍的に上昇したが、それと同等の社会移動は確認されていない(特に中流階級の子供たちの雇用機会増大は確認されていない)。この事実は何よりもまず、フランスの教育を万能と見なしがちな傾向に反して、雇用を創出するためには学位を生産するだけでは不十分であることを物語っている。つまり、世代の推移に伴う社会移動とは、何よりもまず経済的背景が生み出す雇用環境に左右される、ということだ。

不平等を削減するための唯一の効果的な手段とは、その根源から悪を取り除くことであり、教育の初期の段階から顕在化する、成功から生じる社会的不平等に取り組むことであろう。》(3‐6頁)

教育だけで完結してしまうことの危険、文部省と東大法学部教授の「結託」を非難するだけであれば、政治の世界にありがちな陰謀論に終わってしまう。その陰謀論がどれほど説得力をもったものであろうと、それは所詮陰謀論の域を出ない。その先へ一歩を踏み出すことが明澄な眼差しをもつことにつながる。哲学・教育・政治の三位一体の重要性がそこにある。

Tuesday, February 26, 2008

噺を自分の言葉で語る(アマとプロ)

土曜日、シンポジウム《哲学と大学――人文科学の未来》に参加してきた。その様子はいずれUTCPのサイトで報告されるだろうから、せめて自分の発言くらいまとめておこうと思ったのだが、お馴染の方にはご推察の通り、翌日以降、アトピー症状が急激に悪化し、またもダウンしてしまった。

今日は遠くの病院に行ってきた。これまでは久しぶりの再発ということでステロイドを使っての短期決戦でケリをつけるという戦略だったのだが、それが失敗に終わったので、脱ステロイドという長期的で苦しい療法を選択せざるをえない。ステロイドは長期連用すると依存体質になったり他のところに副作用が出てくる惧れがあるからだ。薬で一時的に抑えるということができなくなると、これから今まで以上に苦しくなる。。

というわけで、自分のコメントの代わりに、ひと月ほど前に書いた雑文。他の仕事も少しずつやってますよ。。

***

九代目林家正蔵(元・こぶ平)の「生きてるうちにしたいこと」という記事を読んだ。「噺を自分の言葉で語る」ことなんだそうである。TBがついていて、「まずは実力をつけたら」「名前ばかり先行している」「名前負けしている」などと好き放題に書かれている。

正直に言えば、私も、八代目正蔵(彦六)が芝居話や怪談話を得意とする端正な話芸の持ち主であっただけに、「九代目はもうちょっと勉強が必要かな」と思う。けれども、話すこと、書くことを職業とし、その意味ではほぼ同じ土俵に上がる者としては、そう簡単に「まずは実力をつけたら」などとは言えない。それは、素人が素人として言う限りで許される言葉である。あるいは、プロとして自分の実力が彼より完全に上であると自覚し、周囲からも認められた限りでようやく許される言葉である。

「誰某は駄目だ」「もっと勉強したほうがいい」――巨大掲示板やsnsに哲学・思想研究に関する「コメント」や「批評」を書きつける。あるいは書きつけないにしても、談義に花を咲かせる大学院生を見ると、暗澹とせざるをえない。彼らは完全に勘違いをしている。彼らは素人ではない。それとも、「観客」や「批評家」でありたいのだろうか。

日本のいわゆる「一流大学」で哲学・思想研究に従事している大学院生と、フランスのいわゆる「グランゼコール」出身の哲学系大学院生を比べた場合、まず真っ先に思うのが前者のアマチュアリズム、後者のプロフェッショナリズムである――「大学」一般や「若手研究者」一般について語ることは本当に難しいとますます実感しているので、問題をここまで限定してみる。

フランスのいわゆる「グランゼコール」の学生たちには国家公務員として給料が支給され、文化機関においては各種の割引が用意されている。それは、彼らが国民のために奉仕する官僚(教員)候補生と見なされているからである。私にとっては、これが「エリート」という言葉の厳密な意味である。日本では旧帝大系や伝統ある私立大学が「一流大学」とされ、「エリート」と呼ばれたりもするが、彼らは少なからぬ入学金・授業料を支払って大学に通っているのである(下表)。この差は当然、学生の意識に決定的な影響を及ぼす。

国立:入学金(約28万円)、学部授業料(約54万円/年)、大学院授業料(約54万円/年)
私立:入学金(約28万円)、文系学部(約100万円前後/年)、文系大学院(約50‐100万円超/年)
(私立では、さらに施設費・実習費・諸会費の三つで約35万円/年がかかる)

《結局、アメリカ、ヨーロッパ諸国は公的資金の拡大を通じて大学拡張を実行したが、日本の場合には、私立大学が拡大し、そのための民間資金の導入が大幅に行われたことになる。その影響はその後も続き、高等教育に投入される公的資金は、GDP(国内総生産)に対する比率で見ると、日本は先進諸国の中では最も低い。》(潮木守一、『世界の大学危機』、185頁)

さらに、フランスの大学院では、研究者養成制度(3e cycle)と教育者養成制度(アグレガシオン試験制度)は、制度的に完全に分離されている。これが日本の大学院との最大の違いである、と私には思われる。フランス人が通常辿るコースは、二十代前半~後半でアグレガシオン免状を取り、教員として生活費を稼ぐことを保証されつつ、研究者養成コースに通う(博士論文を執筆する)、というものである。だが、日本ではこれが出来ない。研究と教育が制度的に完全に分離されていないからである――「制度的な分離」ということを強調するのは、実際にはもちろん学生は両方の制度を利用するからである。

フランスではアグレガシオン免状をとる学力が不足している場合、博士課程に進まず、研究を断念することもままある。これだと早めの進路変更も可能である。日本では二十代後半~三十代半ばで博士号まで取っても就職の見込みがない場合もままある。博士号を取るまでの数年間を自分の研究とまったく関係のないアルバイトをして大半の時間を潰すこともしばしばである。その途方もない忍耐の最終段階まで来て就職がない人々が沢山いるとしたら、それはそもそも大学院増設のプランニングがまずかったのだと言われても仕方がないだろう。

《18歳人口が減少する第一歩を刻んだ平成三年(1991年)から16年が経った今、短大や大学への進学者は予想された通りに激減した。だが、大学院だけは逆となった。少子化などどこ吹く風とばかりに、院生は大量に増殖した。

大学院生の数は戦後最大となり、昨年には26万人を突破した。わずか20年前には、7万人であったことを考えると、これは驚異的な成長率である。「大学院重点化計画」における院生増産が、文部科学省の主導によって”計画的に”達成された結果である。

自然の理に逆らうようなこんなパラドックスが続けば、どこかに歪みが生じることは火を見るより明らかだ。

現在、大学院博士課程を修了した人たちの就職率は、おおむね50%程度と考えていい。学歴構造の頂点まで到達したといってもよいであろうこれらの人たち。だが、その二人に一人は定職に就けず、”フリーター”などの非正規雇用者としての労働に従事している。

こうしたフリーター博士や博士候補が、毎年5千名ほど追加され続けているのが、日本の高等教育における”今”なのである。その生産現場は、もちろん「大学院」だ。》(水月昭道、『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』、光文社新書、2007年、4‐6頁)

私はこういった事態の進展をあたかも「天災」のように語ったり、すべての責任を文科省に押し付ける(同じことだが、何らかの形で回避策を模索しなかった)大学教員に怒りを覚える。その人々が「大学院重点化」が政策として決定された時点で教授であったのであればなおさらである。いつも言うことだが、暴力の振るわれている現場でNO!の声をあげない者はYES!と言っているのと同じである。申し訳ないが、声に出せない良心など良心ではない。



そのうえ、日本の大学の採用基準は、今もなお多くの場合、研究能力(論文の数)であって教育能力ではない(教員選考に際して模擬授業を課す大学が大半とは言えないし、そもそも大学院に大学教員養成用の授業はほぼ皆無である)。大学が「教育者」兼「研究者」としてある者を採用する場合の基準が、その者が「研究者」として行なった活動の質・量のみであるというねじれ――これは大学で行われている教育に何の影響ももたらさないと言い切れるであろうか?

アグレガシオンは様々な問題を抱えつつも(アグレガシオンの審査に携わる教授に学べるパリの学生が有利であると言われるし、「アグレガシオンは真に教育に必要な能力を測っていない」「試験が得意なだけ、器用なだけの学生に有利だ」との批判も根強くある)、国家統一試験であり、最低限形式的に「透明」であり、これを通過した者は最低限の教授能力を持っていると見なされる(長時間の口頭試験、模擬授業がある)。問題を抱えた者が通過してしまうこともあるが、制度の例外をつつき出せばきりがない(たしかにアグレグに落ちた私の友人たちの中には明らかに哲学的能力を備えた者もいる。しかし、マクロの視点を取った場合、アグレグの能力評価は概ね当たっている)。

自分は本当に大学に残れるのか、本当に研究者としてやっていけるのか、本当に大学教員になれるのか不安を抱え、ひとまず授業料を稼ぐためにアルバイトに精を出すか――塾講師や予備校講師で自分の専門を教えられる人がどれほどいるだろう?――、学生支援機構ないしは両親に「甘えて」研究を続けているというどこか後ろめたい気持ち、引け目を抱いたまま二十代・三十代を過ごす日本の人文系大学院生。

アグレガシオン免状を取って自分の教師としての力量を示し、自分の研究分野を教えて給料をもらいつつ、若いうちから誇りを持って研究者としての道を歩み続けるフランスの人文系大学院生――こちらのほうがよほど筋が通っていると思うのだが、どうだろうか。

(誤解のないように言っておくが、フランスの制度にまったく問題がないと言っているわけではない。「そもそも哲学のアグレグの数が激減している」「その結果、アグレガシオンを取った若い教員が正規職に就けず、代用教員の立場に置かれ続けるといった事態が急激に増加している」といった問題は深刻である。だが、研究と教育を制度的に分離するメリットが少なくとも一つある、と言っているのである。)

自分の研究・教育活動を経済基盤として安定的に生活できない者に研究者の自覚(それ以前に一社会人としての自覚)が容易に宿るはずもない。若手サラリーマンが自分の本来の仕事・働きに応じてではなく、上司の裁量(我々で言えば、学生支援機構=旧育英会の援助)によって給金を与えられたり、あるいは副業・アルバイトで、あるいは(残念なことに最も頻繁なケースだが)親の仕送りで、どうにか生活を支えているとしたら、彼らは誇りを持って仕事に臨めるであろうか?

なるほどたしかに日本学術振興会(学振)はおおよそ仕事・働きに応じて奨学金を与えている。ただし、サラリーマンのように基本的に社内にいてプロジェクトチームに入ることで業績アップを狙うというのが相対的競争主義であるのに対して、学振は絶対的競争主義であるという大きな違いがある。ここにはセーフティネットはない。若手研究者は正規雇用サラリーマンよりもフリーターに近い境遇に置かれている。高学歴ワーキングプアの問題は深刻化している。

日本の「一流大学」と呼ばれている大学でさえも厳密な意味で「エリート大学」と言えないのは、このような(純粋に経済的な)理由によるのである。このようなメカニズムを知らずに、このようなメカニズムの来歴や功罪を分析することなしに、大学院生の事をただ「モラトリアム」だ「怠け者」だ「学力低下」だと嘆く(あるいは自分を嘆く)のは実に容易いことだ。

どこから手を着けるべきだろうか、答えははっきりしている。NON RIDERE, NON LUGERE, NEQUE DETESTARI, SED INTELLIGERE.

皆が皆、「哲学と大学」論をやれ、とは言わない。しかし、いやしくも哲学・思想研究を志す者が、自分がどのような場に身を置いてものを考えているかを批判的に自覚することなしに、研究活動を続けていけるものだろうか?いつの日か噺を自分の言葉で語れるようのなるために、プロとしての自覚と誇りを持てるようになるために、今何をなすべきか、決して忘れてならないことは何か。

これは大学教員になったから「一抜けた」となるような問題ではない。たとえ今までそのようにしてこの問題が現に放置されてきたとしても。


■噺を自分の言葉で語る

 今年で45歳になる。平均寿命から考えればもうすでに人生の折り返し地点を通過した。私は15のときに、落語家になった。祖父も父も噺家(はなしか)という家に生まれ育った。(…)

 落語を知れば知るほど、ある程度の基本的な型をマスターすれば、その後は己(おのれ)の魅力のみがその噺家の価値になる。つまり何を話すかではなく誰が語るかなのである。正蔵を襲名する5年前から父が手がけていなかった古典落語を中心に、初心に帰り稽古(けいこ)に通った。

 ここ何年間でいろいろなことが解(わか)ってきた気がする。身についたもの、これからまだまだ覚え習得し、磨きをかけてゆかねばならぬこと。だから常に今週は何を、今月までにはどんな噺を仕上げること、など短い期間の課題と5年後の目標、10年後の理想、20年後の自分の姿を思い描いている。

 現実としてゴールラインが遠くに見え、それを多少なりとも意識してしまう年齢になった。すると不思議なことに肩の力は抜きながら、こうなりたいという噺家像に向かって全力で走れる。

 座布団一枚の制約の中においてどれだけ己の世界を生み出してゆけるのか、その唯一の可能性にかけて、日々生きていきたい。生きているうちにしたいことは、どれだけいい噺を自分の言葉で語れるか、ただそれのみである。

Thursday, February 21, 2008

ヘーゲルの三つの顔

・デュルケム、「ドイツの大学における哲学教育の現状」(1887年)、『デュルケム ドイツ論集』小関藤一郎+山下雅之訳、行路社、1993年、163-215頁。





《ヘーゲルは三つの顔をもっている。第一は、カント、フィヒテ、シェリングなどの哲学を批判的に自己同化して、絶対的観念論として独自の哲学体系を展開した哲学者としてのヘーゲルの顔である。

第二は、イギリスの産業革命、フランスの政治革命に示される世界史の転換期に生きて、祖国ドイツの近代化を目指して故国ヴュルテンベルクの政情を憂えたり、ドイツ憲法論を論じたり、イギリス選挙法改正運動を見守る政論家としてのヘーゲルの顔である。

そして第三は、哲学教師として、ギムナジウム校長として、視学官として、さらにベルリン大学総長として活躍した教育家としてのヘーゲルの顔である。[…]

ヘーゲルにとって、哲学者であることと、政論家であることと、教育家であることは、決して別々のことではない。これらは三位一体であり、このいずれの顔をも無視しないところに、初めて正しいヘーゲル像が結ばれると言わなくてはならない。》(『ヘーゲル教育論集』上妻精(こうづま・ただし)訳、国文社アウロラ叢書、1988年、304、306頁

Wednesday, February 20, 2008

大学だけいじっても

・大場淳、「フランスの大学における〈学力低下〉問題とその対応」、『広島大学大学院教育学研究科紀要』第52号、2003年、371‐380頁。
・大場淳、「フランスのエリート校の新しい入学者選抜制度
・ 園山大祐(2004)「フランス高等教育におけるアファーマティブ・アクションの導入─パリ政治学院の「多様性の中にみる優秀性」に関する一考察」日仏教育学会年報第10号、100-111頁。


・津崎良典、「フランス全国大学評価委員会による教育評価の基準策定に関するノート」(大阪大学『大学教育実践センター紀要』第3号、2006年) 津崎さん論文どうもありがとう!

西山雄二さんがUTCPのブログで、昨今の大学論のうち、雑誌で特集として組まれたものについてまとめてくださっている(「日本の大学の現在―競争による競争のための競争の減失?」、2008年2月15日)。中でも《生存のための闘争》の描写には目をひかれた。

《逆に、法人化以後、国立大学の運営費交付金は毎年1%ずつ削減されており、交付金だけで人件費を充当することができない大学がほとんどである。大学は自助努力で「競争的研究資金」を獲得して、運営の資金をも確保しなければならない。それは、いわば「基本給」が削減され、足りない部分は「歩合制」となり、同じ仲間との競争のなかで「能力のある者」が高い報酬を獲得できるというドラスティックな仕組みである。「競争」といっても、一定の生存が保障された上での競争ではなく、まさにお互いの生存を賭けた競争である。》

大学の問題を考えるとき、社会の問題、政治の問題を同時に考え続けること。下の記事と同じ文脈ではないが、「大学だけいじっても」「学校だけいじっても」「教育問題だけいじっても」という視点は常に必要だと思う。


【9月入学】大学だけいじっても
2007年07月27日08時26分

 大学九月入学が政府の思うように進んでいない実態が文部科学省の調査で明らかになった。

 二〇〇五年度、四月入学以外の制度を導入していた大学百五十三校のうち、四月以外の入学者がいた大学は約四割にとどまり、前年に比べて入学者のいた大学数、全体の入学者数ともに減少していた。

 安倍首相も九月入学を教育再生の柱の一つに掲げ、「骨太の方針2007」に盛り込むなど四月入学からの転換に意欲を見せる。だが、就職の不利が浮き上がるなど、条件整備もないまま旗を振ったところで制度が浸透しないのは当然だろう。

 九月入学は古くて新しいテーマである。一九八七年、中曽根内閣時の臨時教育審議会が答申に「検討課題」として盛り込んで以来、たびたび議論されてきた。

 二〇〇〇年の森内閣では首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が最終報告で「積極的に推進する」とさらに踏み込んだ。安倍首相が義務化を提案する三月の高校卒業から九月の大学入学までの間の社会奉仕活動はこの時、既に示されていた。

 転換の理由は過去の議論も安倍首相の持論も共通している。

 欧米の主流である九月入学に合わせ、互いが留学しやすい環境を整えることで大学の国際競争力を高める。少子化の時代、留学生を迎えやすくして経営の安定につなげる。社会奉仕活動をすることで「公」の意識を育てる。以上に集約されよう。

 だが、理念だけで乗り切れるほど軽い問題ではない。企業の通年採用が増えているとはいえ、新卒採用は三月卒業者に集中している。九月入学制では六月卒業が一般的であり、就職面で大きな不利を被る。

 しかも、日本社会は小・中・高校ともそうであるように「四月入学、三月卒業」が文化・伝統として根付いている。行政はもとより企業の会計年度も四月から翌年三月末までというケースが多い。

 大学の入学制度だけをいじり、社会全体の仕組みに手を付けないのでは混乱を招くだけである。

 社会奉仕活動も、本来は自発的なものであり押し付けは筋違いだ。四月入学のままでも大学のカリキュラムに組み込めば済む話である。また、進学しない若者との公平性をどう保つつもりなのか。

 実現にはあまりに課題が多い。理念先行の安倍改革を象徴する必然性に欠ける政策だ。慎重な議論がもっと必要である。

Tuesday, February 19, 2008

ゆとりを独占する者

2月16日(土)、第7回フランス哲学セミナーに参加。メルロとリクールについての発表を聴く。

最近の仕事。
・「bの転義論」再校。「暴力」概念再考。
・「b&lの物質性」仏語版。「有限性」概念再考。
・「哲学と大学」シンポ迫る。準備。

***

私はゆとり教育そのものに対してはさほど批判的ではない。受験戦争用の詰め込み教育をすべての子供に押し付ける必要はない、という意味においてである。だがまた、「ゆとりの理念はよかったが、実施段階(文科省官僚?日教組?現場の教員?)で間違えた」という言説に加担しようとも思わない。ゆとりの「理念」をあの時点であのような形で言い出したこと自体、やはり楽観的な姿勢だったのではないかと思うからである。

「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」(有馬朗人)。

そういうことは、日本の過剰労働社会の現状を改革することと同時でなければ意味がないどころか、有害にもなりかねないということを有馬氏は自覚すべきだったと思う。ゆとりをもった子どもを、ゆとりのない大人たちの誰が――親、教師、地域共同体?――、面倒を見るのか?親も、教師も、地域共同体も青息吐息の中で、過去最高の利益をゆとりをもって上げ続けているのは誰なのか。

銀行6グループ 最終益3兆円超、過去最高 のど元過ぎて…顧客軽視(産経新聞、2006年5月24日)
租税特別措置の企業減税、半数20年超 既得権化指摘も(朝日新聞、2008年2月17日)
母子家庭 重労働団らん犠牲(東京新聞、2007年12月20日)

教育問題はそれだけを眺めていても決して解決しない。教育の問題は社会の問題であり、政治の問題である。もちろん、この問題に政治的な視点だけをもって取り組むとえてして「利益誘導型」に終わりやすい。哲学的で批判的な分析が必要だ。《哲学・教育・政治》の不可分を言うゆえんである。


「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
2月17日16時4分配信 産経新聞


 「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。

 生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。

 物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。

 生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。

 「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。

 有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」       



 「お前、ゆとりだろ」。ネットの掲示板などで相手をおとしめるため使われる言葉だ。昨年12月、巨大掲示板「2ちゃんねる」のユーザーが中心となって投票した「ネット流行語大賞」では、銅賞に選ばれている。

 中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割-が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。

 だが、「時間を減らしたら、教える側が何もしなくなってしまったのが実情。できた余裕が現場でまったく生かされず、マイナスだけが出てきた」と、今回、30年ぶりに授業時間増に転じる理由を説明する。

 「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。

 「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」               

 ◇

 今年1月16日、東工大のシンポジウムで有馬氏は、ここでも「学力が下がっていると言われるが、全く下がっていないことを証明する」と言い切り、「理工系学生の学力・学習意欲の低下が問題化している」と“弱気”なあいさつをした主催学生を勇気付けた。

 有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。

 一方で中学で学ぶ2次方程式を解ける大学生が3割しかいない例をあげ、「大学はガタ落ちだ」とも認める。

 学力が身についていない。応用型の国際学力調査などで成績が伸びていない現状は否定できない。 冒頭の生徒たちは有馬氏の説明を受け、氏家由希子さん(17)は「ゆとりが目指したものを知らなかった」とし、「有馬先生の考えが、親や地域の人にどれだけ浸透していたのか。納得いかないところもあった」とも。

 「学習指導要領が改定されるなら、本当の狙いがちゃんと分かるようにしてほしい。でなければ誤解が二重になっていく気がする」。佐藤恵里香さん(17)はそう話した。

Saturday, February 16, 2008

有限性をめぐって(3)ダスチュール

さて、続いてダスチュールである。彼女とは何度か食事を共にしたことがあるが、しなやかでたくましい野生の猫、という感じをいつも受ける。これは本を読んだ印象とはかなり違う。というのも、ブーリオーの著作も「教育的」なのだが、ブーリオーの著作にはどこか「ガリ勉」の香りがするのに対して、ダスチュールは「優等生」な感じがするのだ。痒いところに手が届くというか、懇切丁寧というか。野性味、豪快に笑い飛ばすといった雰囲気は著作の中にはない。

著作と実際に会ってみた印象が最もかけ離れていたのはEric Dufourである。姿形だけを見て、彼が新カント派の研究者と言い当てられる人はこの世に存在しないのではないかと思うくらいだ。

とまれ。『死。有限性に関する試論』には2バージョンある。Hatier社の叢書Optiquesから1994年8月に出た版は、biblioまで含めても80頁足らずの小著。



ちなみに、Jean-Michel Besnierに率いられたこの叢書は実に優れた叢書だった。ダスチュールが13年後に振り返った時の言葉を借りれば、

"Cette collection, qui n'existe plus aujourd'hui, était destinée à donner à un large public - allant des étudiants d'université et des élèves de la classe terminale des lycées à tous ceux qui s'intéressent à la philosophie sans avoir reçu de formation spéciale à cet égard - un accès à une réflexion philosophique centrée sur un petit nombre de questions fondamentales. Les livres de la collection "Optiques" devaient porter chacun sur une des notions du programme de philosophie de l'enseignement secondaire et se présenter sous une forme compacte, ce qui veut dire que leur nombre de pages était précisément calibré. / Lorsque l'on m'offrit de publier un essai dans cette collection, en me précisant le cadre dans lequel il s'agissait de s'insérer, j'eus tout de suite envie de participer à cette entreprise..." (La mort, PUF, coll. Epiméthée, 2007, p. 7).

リシールの身体論、バディウの倫理学、バルバラスの知覚論、ピショの優生学をはじめ、他にもMichel Haar, J.-M. Domenach, R. Misrahi, A. Renaut, P. Canivez(エリック・ヴェイユの専門家)など、錚々たる名前が並ぶ。ついこの間言及したレステルの『動物性』もこの叢書である(表紙の美青年ぶり…)。


いつも言うことだが、どの出版社から出ているか、とりわけどの叢書から出ているかはどうでもいいことではない。「叢書の地政学 géopolitique de la collection」とでも言うべきものがあるからだ。叢書によって内容に関する多くのことが事前に分かり、どのような思想の水脈に位置づけられるべきかおおよその見当がつくからである。

この叢書が良質なものだった証拠に、この叢書が消滅した後、次々と他の出版社から再版が決定している。バディウの『倫理』はすでに2003年に「第二版への序」を付してNousという出版社から再刊されているし、レステルも2007年にL'Herneから出た。

2007年9月にPUFの名門叢書エピメテから出た『死。有限性に関する試論』の2バージョンめは200頁を超え、大幅にバージョンアップがなされている。



ブーリオーにとって有限性とは人間の可感的な認識の限界を指していた。ダスチュールにとって、有限性とは死である。「死と有限性とは私にとって本来的に結びついたものだ」(p. 8)。おそらくどちらか一方だけでは駄目で、この両面を見据えないと有限性という概念の十全な把握には到達できないのだが、とまれ。。



人は自分がいずれ死ぬと知っている。通常、この己の死に関する「知」は、人類の本質的特徴の一つに数えられる。宗教、形而上学、総じて文化全般は、死に「打ち克つ」ことを謳う。哲学もその例に漏れない。プラトンからヘーゲルに至るまで、西洋哲学もまた、思考の修練のうちでこそ死と有限性は「乗り越え」られうる、と主張してきたのだった。

そこでダスチュールは、まず古代神話や聖書にまで遡り、「死の彼岸」に関する形而上学的・宗教的・哲学的な思索の歴史をたどり直し、次いで、従来とは異なる死生観、死との関係を紡ぎ出すことが可能であることを示そうとする。

モンテーニュが言うように死と「慣れ親しむ」のでもなく、死をかわそうとするのでもない、第三の道。もちろんダスチュールにとって、それはハイデガーにほかならない。『存在と時間』における「死に臨む存在」などの分析から出発して、死の可能性の条件を、人間存在が自らの有限性を自由に引き受けることと見なす。

死という体験のもつ意味の変化は、無限と有限の関係にも変化をもたらす。従来の「死の形而上学」は常に、死を超越した存在の無限性、神的なものの時間を超越した無限性と対になる形で、人間存在の有限性を考えてきたが、ハイデガー=ダスチュール的な死の思想は、徹底して地上的で、時間的で、身体的である。

…これが本書の骨格であり、それはそれでいいのだが、「有限性」と言えば「死」という思考パターンには正直うんざりしている。哲学者ならぬ哲学屋は荘厳めかすのが好きなあまり、赤ん坊の鳴き声や血にまみれた「誕生」が有限性のもう一つの極であることを忘れているのだ。それだけにいっそうダスチュールが本書の終り近くで「有限性と出生 Finitude et natalité」に一節を割いているのは注目に値する。次回はこの点を見ていこう。

Friday, February 15, 2008

動物性(ドミニク・レステル)

2月14日、UTCPで行われたドミニク・レステルの「動物性」に関する講演に参加。良くも悪くも挑発的で刺激的な議論。[追記:以下、粗雑にまとめてしまったけれど、その後、郷原佳以さんによる的確なまとめがアップされたので、そちらを参照されたい]





チンパンジーがビデオゲームに習熟する、オランウータンが結び目を結ぶ、といった「規格外」の学習を通常の動物生態学者は嫌うのだという。純粋な行動環境が人間によって「汚染」されたのでは、「客観的」な観察が出来ない、と。この種の実在論的・デカルト主義的アプローチは、純粋状態の動物なるものが存在すると仮定し、その上で動物を型にはまったルーチン・反復的行動(comportement)を行なう「機械」と見なしやすい。

レステルは、透明で中立的な観察者という神話を拒否し、動物の創造的で発明に満ちた活動(activité)―規範的な科学者の「常識」から逸れたanecdotes(些細な細部)―に注目する科学者の存在を常に意識する―anthropomorphisme(擬人観)が不可避であるならば無意識に抑圧するのでなく、意識裡に制御するほうを選ぶべきではないか。動物の活動を構成的なものとして意識するだけでなく、その行動に積極的に働きかけ、構成に介入していくという意味で、「複合的な構成主義 bi-constructivisme」こそ、21世紀の動物生態学が採用すべきアプローチであり、20世紀の動物生態学が二つの恥ずべき罪として切り捨ててきたanthropomorphismeとanecdotesを積極的に活用していかねばならない、とレステルは言う。

要するに、人類学でなされたようなある種の解釈学的転回(「ガヴァガイ」など)、方法論的な反省を要請する批判的モーメントを動物生態学にも取り入れねばならない、ということであろう。動物生態学の人類学化、人類学の(かつてのような帝国主義的な形でなく、相対的な)動物生態学化の必要を説いていた。

私の質問は三つ。
1)動物性:科学とエピステモロジーの区別。ご説ごもっとも、でも現場の科学者はこういった正論的エピステモロジーに耳を傾けるんでしょうか。「特異なものの科学science du singulier」は果たして実現可能なのか?

2)人間性:レステルは人間の合理性と動物のそれとの差異を強調していたが、すでに人間の合理性と呼ばれるものの内部にも幾筋もの亀裂が走ってはいないか。動物生態学の人類学(ないし教育学?)への応用可能性はあるのか。

3)機械性(彼がmachinitéと呼ぶもの):テクノロジーの発達は、機械の動物化(animalisation de la machine)を促すとし、アイボの例を出していたが(ちょっと古い…)、そのようなものを機械の動物化と呼ぶのであれば、あらゆるアニミスム化はすでに人類の曙と共に存在していたのではないか。



挑発が好きな人は好きだろうし、嫌いな人は嫌いだろうなという議論だろう。自分の議論に似た部分を感じて(笑)、以て他山の石とすべし。

講演に行く時はいつも関連する書籍を持参し、電車で眺める。今日はこんな感じ。

Dominique Lestel, L'animalité. Essai sur le statut de l'humain, Hatier, coll. "Optiques", 1996.
Thierry Gontier, L'homme et l'animal. La philosophie antique, PUF, coll. "Philosophies", 1999.



フランス語理解を向上させたいという人には、こういった地道な努力(事前に本を読む、ネットで講演者のプロフィールを調べておくといった作業)をお勧めする。

レステルは、夜は日仏会館で「デリダの猫」(L'animal que donc je suis)について(多少批判的な)講演をすると言っていたが、私の現在の体調では一日に二つはとても無理なので断念。来週大丈夫かな…。