Thursday, January 18, 2007

哲学と政治

ヤミナ・ベンギギの『移民の記憶』についての告知メールをいただきましたので、pense-bêteのほうをご覧ください

哲学を政治から切り離そうとする人々はこう主張する。「いったい誰が、数学者に政治を論じるよう求めるだろうか。政治は政治学者に任せておけばよい。哲学者は哲学をすることだけが任務なのである」と。日本のみならずフランスにも多くいるタイプである。

なるほど餅は餅屋であり、床屋政談などに大した意味はない。一市民として政治的な言論を行なうのは結構だが、それはすでにもはや哲学ではない、と。だがしかし、そのような物言いは、哲学という営みと、哲学科で行なわれているアカデミックな活動を我知らず同一視してしまっている。

アカデミズムを徒に敵視する人にも、アカデミズムに頑なに立て籠もろうとする人にも、あまりに個人的ルサンチマンが見えすぎる。問題はそんなところにはないのだ。

《なるほどひとは、哲学に、精神がおこなう快適な商売を見たくなるのも致し方ないのかもしれない。今度はコミュニケーションに倫理を提供することができる社会性、しかも西洋の民主主義的な会話を糧とする不偏不党の社会性だ、というわけである。

しかし、近代哲学に救いがあるとするなら、近代哲学は、古代哲学が都市国家の友ではなかったように、資本主義の友ではないという点を挙げねばなるまい。

そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する。

なぜなら、哲学が呼び求めるような人種は、芸術同様、純粋だと主張されるような人種ではなく、ある虐げられた、雑種の、劣った、アナーキーな、ノマド的な、どうしようもなくマイナーな人種だからだ。》(ドゥルーズ、『哲学とは何か』)

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