代読はすでに幾分か、自分が書くことになるであろうものの朗読なのかもしれない。
幾つかのすでに輪郭のはっきりした人格が出会うのではない。出会いが人格をつくりあげ、呼び声が主体性を貫いて構成する。反人間主義(anti-humanisme)ではなく、非人間主義(an-/in-humanisme)とでもいえばいいのだろうか。それも真正面からの、ステレオタイプ化した意味での「実存主義的」な出会いではない(サルトル本人はむしろ違っていたのではないかという可能性は強い)。現代においては、斜めからの、すれ違いざまの、通りすがりの、振り向きざまの出会いこそが大切なのではないか。
空港や大学のような、人が絶えず行き交う、しかし奇妙にがらんとした場所、雑踏であると同時に静寂を湛えた空間に私がひどく惹かれるのは、それが現代という時代を、しかしながらそのアクチュアリティにおいてではなく、その差延的な反時代性(intempestivité)、時代錯綜性(anachronie)において引き立たせる空間であるからに違いない。
人間関係全般が希薄になったと嘆いてばかりでは仕方あるまい。そのような現代における人と人との真の「出会い」が可能になる制度をこそ夢想しつつ、既存の制度を脱構築するのでなければならないだろう。私が狭義の西洋哲学研究の傍らで展開したいと思っている三つの問い――哲学と大学の関係、結婚の脱構築、旅行の哲学――は、様々なレベルでそこに斬り込もうとするものである。
*
西山雄二さんのドキュメンタリーフィルム『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』(Le droit à la philosophie : les traces du Collège international de Philosophie)が今、全国を巡っている――彼とは、哲学と大学、旅など多くのテーマが共通するのだが、それは措こう。私もようやくそのフィルムを見ることができたので、ここにその印象を、まだ観ていない人のための配慮を施しつつ、ごく簡単に記しておくことにする。
1)表現手法の旅
まず、独りの思想・文学研究者が制度についてのドキュメンタリー映画を撮ってしまったという事実に単純に驚いてしまう。イマージュや映像を文学研究の対象とすることはもはや研究の一ジャンルとして確立したが、自分がイマージュや映像を主たる表現媒体として研究成果を発表しうると、実例をもっていったい誰が示しえただろうか。たぶん前例はほとんどない。
国際哲学コレージュ(CIPh)というフランスの一高等教育制度についての考察を思想研究者が映像化することにどんな意味があるのか。Bruno Clémentはインタヴューの中で、デリダがCIPhを創設した精神はCIPhに「意味sens」ではなく、「奥行き、立体感relief」を与えてきたと述べていたが、インタヴューの内容だけでなく、インタヴューされる者たちの顔、身振り、手――握手を交わす手と手――の映像はまさに、CIPhの活動の「意味」ではなく、「奥行き」を観る者に与える。
思想研究はどこかの時点で必ずエクリチュールを通過するとしても、エクリチュールが最終地点であると誰が決めたのか。表現手法がイマージュや、さらには行動であっていけない決まりはどこにもない――フランソワ・シャトレが自らを「哲学のプロデューサー」と規定し、盟友ドゥルーズがその「プロデューサーの哲学」を興味深い形で引き出してみせたことを思いだしておこう(2009年1月26日の「哲学のプロデューサー、プロデューサーの哲学」、27日「プロデューサー目線」、また『思想』ベルクソン生誕150年特集(2009年12月号)の132頁を参照のこと)。
映像(イマージュ)はこうして「奥行き」とともに、ごく限られた専門家だけでなく、広く一般の聴衆を哲学と制度の問題の考察へと導くことに役立つ。嘘だと思うなら、一度この映像を見てみればよい。そして自分の書きものが達しうる読者層と較べてみるとよい。『哲学への権利』は研究手法において、思想・文学研究の表現方法において実験的な旅を試みている。いや、「実験的な旅」とは冗語的にすぎよう。実験(experiment)の語源が「貫く」を意味するギリシャ語peíreinに由来する以上、その名に値するほどの「旅」は、常にすでに幾分か「実験」であるのだから。
2)表現内容・表現主体の旅
次に、『哲学への権利』が、決して単なる「お説拝聴」のドキュメンタリーに終わっていないことを強調しておこう。一日本人思想研究者が対等にCIPhの中心的なメンバーたちに問いかけ、この特異な制度の長所だけでなく、「問題点Les problèmes」をも引き出しえている。これはとりわけ、従来の日本の、とりわけ現代思想系の研究者たちに見られなかった姿勢である(「CIPhとデリダ」のセクションは、あるいはさらに突っ込んでもよかったかもしれない)。
この作品はCIPhという制度が描いてきた「軌跡traces」、その「奥行き」を、限られた「手段moyens」(限られた時間・資金、限られたテクニック・言語能力など)で辿り直すことによって、日本の思想・文学研究全体が辿ってきた軌跡や奥行きをも逆照射する一種の「旅」である。私たち思想研究者はこの映像を、自分自身の辿ってきた軌跡や奥行きとひき比べることなしに、決して他人事としては見られないだろう。
3)上映運動という旅
最後に強調しておくべきは、『哲学への権利』が単なる一映像作品の名ではなく、西山雄二という恐るべき行動力を発揮し続ける個人がその映像作品をもって、日本全国のみならず、世界各国を巡回する運動そのものの名であるということだ。前出のBruno ClémentがCIPhはデリダの諸著作と同じように彼のoeuvre(作品)の一つである、と述べていたが、全世界に散らばる友人や知人のネットワークを駆使して織り上げられた上映運動としての『哲学への権利』もまた、西山雄二のoeuvreだと言える。
だが、さらに一歩を進めてこう言うことに西山はきっと反対しないはずだ。そうではない、人々を貫き、人々をつなぐ『哲学への権利』という映像作品および作品上映運動――握手する手と手――は、おそらくは西山雄二という個人から出発したのではないし、CIPhという運動自体すら、おそらくはデリダから出発したのではない。デリダをも貫いて流れ来たった力、思考の力の旅こそがoeuvreの真の「作者auteur」なのであり、これこそ「哲学」にほかならないのだ、と。
インタヴューの中で、François Noudelmannは、デリダに敵対的な思想的ポジションをとる人たちをも積極的にCIPhに迎え入れることをデリダが繰り返し強く勧めていたと語り、それをデリダがcontre-signatureという概念で表現していたと述べていた。公式の文書により多くの正当性を与えるためになされる「副署」であると同時に、文字どおりには「反対の意を表しつつサインする」ことをも意味しうるこの語こそ、CIPhを表現し、またCIPhをめぐる映像作品である『哲学への権利』、そしてその上映運動を表現するのに最も適した語であるかもしれない。
デリダに何の関心もなく、むしろ彼の諸著作を真剣に読んだこともなく毛嫌いしている人々、CIPhと聞いただけでデリダ派の牙城と考えてしまう人々、哲学と制度の関係についてあまり考えたことのない「職業的」哲学者たちこそ、各地の大学で行なわれている上映会をぶらりと観に行かれるべきであろう。その身振りこそ、今まさに動きつつある現代世界の思想に必要なcontre-signatureの一つであろう。
Saturday, December 26, 2009
Friday, December 25, 2009
代読(2)クリスマスに思う
「冬の兵士」とヴェトナム戦争
帰還兵たちが自らの戦争体験を語る「冬の兵士公聴会」(Winter Soldier Investigation)がはじめて行なわれたのは、実はイラク戦争の時ではない。1971年のデトロイト、反戦ヴェトナム帰還兵の会(VVAW : Vietnam Veterans Against the War)によるものが初めであった。マーク・レイン(Mark Lane)という人物が「冬の兵士」という名称を提案したとされているが、この名称にはどのような意味が込められているのだろうか?
「冬の兵士」とは
1776年、合衆国は独立戦争において敗北の危機に瀕していた。ジョージ・ワシントンの軍隊は敗戦を重ね、退却を余儀なくされた。その地で部隊は厳寒の冬に苦しむことになる。十分な食糧と衣服が支給されないまま、2000人の兵士が発疹チフスや腸チフス、赤痢や肺炎のために命を落とした。脱走者も出始め、指揮官のワシントンでさえ諦め始めていたそのとき、偉大な革命家トマス・ペインの言葉が部隊を奮い立たせた。
ひとびとの熱気を支えに勇ましく進軍していくのが「夏の兵士」だとすれば、「冬の兵士」とは、冷え切った世論を前に、ともすれば「裏切り者」扱いされかねない困難な状況下で、真に祖国のため、世界のために行動できる人々のことに他ならない。
このトマス・ペインの詩からスピンして「冬の兵士」という言葉が出来たのだという。冬の兵士とは、最も過酷な状況にあって、本当の意味で祖国のことを思い、精神的な意味で「前線で体を張る」、そういった人々のこと、心の声に耳を傾ける者たちのことであろう。証言者の一人、ハート・バイジェスはこう言っていた。「自分はいま、兵士(soldier)ではなく、魂の戦士(soulja)です。…魂の戦士は弾丸ではなく、言葉をもつ。教条ではなく、心の声に耳を傾ける」。
応答と責任
ここでわざわざ「冬の兵士」の系譜を辿ってみたのは、いかなる政治的行為も何らかの形での「応答response」であり、そのような「応答可能性=責任responsability」なしに政治はありえないということを確認するためであった。IVAWは言ってみればVVAWの放った呼びかけを受け止め、それに応えたのであり、私(たち)はささやかながら、斜めから、すれ違いざまに、通りすがりに、IVAWの呼び声を聴いたのである。
パスカルは「イエスの神秘」において、こう述べていた。「落ち込んだりしないように。もしお前が私を見出していなければ、私を探したりはしないはずだから」。ベルクソンの一節「やがて自分のものになるはずの言葉は、すでに自らの内部にその反響を聞いていた言葉なのである」は、パスカルの言葉と完全に響きあう。わずかであれすでに見出しているからこそ探せるのであり、かすかであれすでに反響を聞いているからこそ自分のものにしようと思うのである。「あんな風になりたい」という憧れに身を焦がし、決心を固め、行動に移る人は、模倣者であると同時に、すでに少しだけ創造者と化している。動的行動の発生は、事後的・遡及的にしか見出されえない。いかなる出会いにも言えることだが、奇妙な因果性がある。本当に出会うためには、すでに出会っていたのでなければならないのだ。
この話の続きは、私の論文でどうぞ(笑)。
帰還兵たちが自らの戦争体験を語る「冬の兵士公聴会」(Winter Soldier Investigation)がはじめて行なわれたのは、実はイラク戦争の時ではない。1971年のデトロイト、反戦ヴェトナム帰還兵の会(VVAW : Vietnam Veterans Against the War)によるものが初めであった。マーク・レイン(Mark Lane)という人物が「冬の兵士」という名称を提案したとされているが、この名称にはどのような意味が込められているのだろうか?
「冬の兵士」とは
1776年、合衆国は独立戦争において敗北の危機に瀕していた。ジョージ・ワシントンの軍隊は敗戦を重ね、退却を余儀なくされた。その地で部隊は厳寒の冬に苦しむことになる。十分な食糧と衣服が支給されないまま、2000人の兵士が発疹チフスや腸チフス、赤痢や肺炎のために命を落とした。脱走者も出始め、指揮官のワシントンでさえ諦め始めていたそのとき、偉大な革命家トマス・ペインの言葉が部隊を奮い立たせた。
今こそ魂が問われるときである。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠ざかるだろう。しかし、今立ち向かう者たちこそ、人々の敬愛と感謝を受ける資格を得る。専制政治は地獄にも似て、容易に克服されることはない。それでも私たちは、この慰めを手にする。闘いが困難であればあるほど、勝利はより輝かしいものとなる。夏の兵士と冬の兵士
“These are the times that try men’s souls. The summer soldier and the sunshine patriot will, in this crisis, shrink from the service of their country; but he that stands it now, deserves the love and thanks of man and woman. Tyranny, like hell, is not easily conquered; yet we have this consolation with us, that the harder the conflict, the more glorious the triumph.” (Thomas Paine’s first Crisis paper, written in December 1776)
ひとびとの熱気を支えに勇ましく進軍していくのが「夏の兵士」だとすれば、「冬の兵士」とは、冷え切った世論を前に、ともすれば「裏切り者」扱いされかねない困難な状況下で、真に祖国のため、世界のために行動できる人々のことに他ならない。
このトマス・ペインの詩からスピンして「冬の兵士」という言葉が出来たのだという。冬の兵士とは、最も過酷な状況にあって、本当の意味で祖国のことを思い、精神的な意味で「前線で体を張る」、そういった人々のこと、心の声に耳を傾ける者たちのことであろう。証言者の一人、ハート・バイジェスはこう言っていた。「自分はいま、兵士(soldier)ではなく、魂の戦士(soulja)です。…魂の戦士は弾丸ではなく、言葉をもつ。教条ではなく、心の声に耳を傾ける」。
応答と責任
ここでわざわざ「冬の兵士」の系譜を辿ってみたのは、いかなる政治的行為も何らかの形での「応答response」であり、そのような「応答可能性=責任responsability」なしに政治はありえないということを確認するためであった。IVAWは言ってみればVVAWの放った呼びかけを受け止め、それに応えたのであり、私(たち)はささやかながら、斜めから、すれ違いざまに、通りすがりに、IVAWの呼び声を聴いたのである。
パスカルは「イエスの神秘」において、こう述べていた。「落ち込んだりしないように。もしお前が私を見出していなければ、私を探したりはしないはずだから」。ベルクソンの一節「やがて自分のものになるはずの言葉は、すでに自らの内部にその反響を聞いていた言葉なのである」は、パスカルの言葉と完全に響きあう。わずかであれすでに見出しているからこそ探せるのであり、かすかであれすでに反響を聞いているからこそ自分のものにしようと思うのである。「あんな風になりたい」という憧れに身を焦がし、決心を固め、行動に移る人は、模倣者であると同時に、すでに少しだけ創造者と化している。動的行動の発生は、事後的・遡及的にしか見出されえない。いかなる出会いにも言えることだが、奇妙な因果性がある。本当に出会うためには、すでに出会っていたのでなければならないのだ。
この話の続きは、私の論文でどうぞ(笑)。
Thursday, December 24, 2009
代読(1)
私は友人のJAZZ/朗読ライヴを告知しただけなのですが、ご丁寧なコメントをいただき、誠にありがとうございます。
*
考えてみれば「代読」とは興味深い行為だ。誰かの書いたものを代わりに読むという行為。むろんそれがあまり大きな意味をもたない場合もあるだろう。哲学の学会で発表を代読されて感動する、などということはまずないように思う。
だが、『冬の兵士』朗読会では感動した。内容だろうか。それもあるだろう。イラク戦争のドキュメンタリー本の朗読でも感動するかもしれない。しかし、その場合は、読み手の能力に大きく依存するだろう。今回はしかし、朗読のプロでない市井の人々が朗読し、それが確実に何かを伝え得たのだから、〈声の複数性〉ということに意味があったように思う。
それにまず、ドキュメンタリー本を誰か一人が読み聴かせるという朗読会ならば、私は行こうと思わなかっただろう。なぜだろうか。たぶん独りの人格が大きすぎ、強すぎる(trop imposant)のだ、今の私の衰弱しきった政治感覚にとっては。
そのことに真正面に向かい合いすぎると逃げたくなることがある。真正面すぎる〈出会い〉には疲れてしまう。斜めから、すれ違いざまの、通りすがりの出会いが、私だけでなく、今の日本人の政治感覚にとって重要ではないかと思ったりもする。フランス語で「声」を意味するvoixは、投票の際の「票」をも意味する。かつて(2002年5月のいわゆるルペンショックの時)そのことをめぐって短い雑文を書いたことがあった。
行き交い、響き合い、消えてゆく声の政治。だからこそ、イラク戦争の帰還兵たちの〈証言〉を、彼らのさまざまな〈声〉を、年齢・性別の近い人々のさまざまな〈声〉が代わりに読み上げるということになんとなく漠然と興味をもったのではなかったか。
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考えてみれば「代読」とは興味深い行為だ。誰かの書いたものを代わりに読むという行為。むろんそれがあまり大きな意味をもたない場合もあるだろう。哲学の学会で発表を代読されて感動する、などということはまずないように思う。
だが、『冬の兵士』朗読会では感動した。内容だろうか。それもあるだろう。イラク戦争のドキュメンタリー本の朗読でも感動するかもしれない。しかし、その場合は、読み手の能力に大きく依存するだろう。今回はしかし、朗読のプロでない市井の人々が朗読し、それが確実に何かを伝え得たのだから、〈声の複数性〉ということに意味があったように思う。
それにまず、ドキュメンタリー本を誰か一人が読み聴かせるという朗読会ならば、私は行こうと思わなかっただろう。なぜだろうか。たぶん独りの人格が大きすぎ、強すぎる(trop imposant)のだ、今の私の衰弱しきった政治感覚にとっては。
そのことに真正面に向かい合いすぎると逃げたくなることがある。真正面すぎる〈出会い〉には疲れてしまう。斜めから、すれ違いざまの、通りすがりの出会いが、私だけでなく、今の日本人の政治感覚にとって重要ではないかと思ったりもする。フランス語で「声」を意味するvoixは、投票の際の「票」をも意味する。かつて(2002年5月のいわゆるルペンショックの時)そのことをめぐって短い雑文を書いたことがあった。
行き交い、響き合い、消えてゆく声の政治。だからこそ、イラク戦争の帰還兵たちの〈証言〉を、彼らのさまざまな〈声〉を、年齢・性別の近い人々のさまざまな〈声〉が代わりに読み上げるということになんとなく漠然と興味をもったのではなかったか。
Tuesday, December 22, 2009
新たな出会い(その3)
12月19日(土)なんとか四コマの補講をこなし、某氏に連れられ、九州日仏学館へ。館長はじめスタッフの方々にご挨拶。今後ともよろしくお願い致します。
その場で、日仏学館にお願いしようと思っていた3つほどあるプロジェクト「福岡でフランス哲学を」(PFF : Philosophie Française à Fukuoka)(笑)がいずれも前進。
2010年3月中旬:とある映画上映会開催(か?)
2010年3月27日(土):フランス哲学に関する国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
2010年11月20日(土):結婚の脱構築をめぐる国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
その後、某氏とふたたび夜の福岡バー巡り。たまに飲むのは好きです。
それにしても、見ず知らずの方に「ブログ読んでます」とか言われると、どきっとしますね…。心臓によくないので、そっと見守ってやってください。たまに檄文調のものがありますが、あれは別人(?)が書いてますので、気にしないで下さい。
その場で、日仏学館にお願いしようと思っていた3つほどあるプロジェクト「福岡でフランス哲学を」(PFF : Philosophie Française à Fukuoka)(笑)がいずれも前進。
2010年3月中旬:とある映画上映会開催(か?)
2010年3月27日(土):フランス哲学に関する国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
2010年11月20日(土):結婚の脱構築をめぐる国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
その後、某氏とふたたび夜の福岡バー巡り。たまに飲むのは好きです。
それにしても、見ず知らずの方に「ブログ読んでます」とか言われると、どきっとしますね…。心臓によくないので、そっと見守ってやってください。たまに檄文調のものがありますが、あれは別人(?)が書いてますので、気にしないで下さい。
Friday, December 18, 2009
来し方行く末
年末までに論文を二本仕上げないといけないのだが、今は絶望的に忙しい。明日土曜日も補講が4コマ(講義2コマ)あり、今日はその準備に忙殺されている。
別に自分が特別忙しいと思っているわけではなく、ただ作業量が自分の処理能力を超えているというだけの話である。このブログからリンクさせていただいている少し年上の友人たちは、もちろん私以上に多くの研究外の仕事を抱えながら、日々の研究を怠っていない。本当にすごい、といつも思う。一歩でも近づければ、と願っている。
年末だからというのでもないだろうが、大量のメールに交じって、来し方行く末を知らせる便りが二つ。遠く懐かしい人から、私がリールで奮闘していたことをフランス人たちが今も覚えていると伝えるメール、そして恩ある人から未来についてのメール。みな忙しく自分の生活を送っている中で、世界のどこにいても、覚えていてもらえるというのは本当に嬉しいこと。感謝しています。
別に自分が特別忙しいと思っているわけではなく、ただ作業量が自分の処理能力を超えているというだけの話である。このブログからリンクさせていただいている少し年上の友人たちは、もちろん私以上に多くの研究外の仕事を抱えながら、日々の研究を怠っていない。本当にすごい、といつも思う。一歩でも近づければ、と願っている。
年末だからというのでもないだろうが、大量のメールに交じって、来し方行く末を知らせる便りが二つ。遠く懐かしい人から、私がリールで奮闘していたことをフランス人たちが今も覚えていると伝えるメール、そして恩ある人から未来についてのメール。みな忙しく自分の生活を送っている中で、世界のどこにいても、覚えていてもらえるというのは本当に嬉しいこと。感謝しています。
Tuesday, December 15, 2009
後悔はしていない――新たな出会い(その2)
師が走る。授業準備、学生たちの指導およびメンタル・ケア、種々の会議、事務作業、家庭サービス…。委員も早くも押し付けられ…。
そして最後に、残された体力と気力を振り絞って、研究。それも自分自身の、ではない。並行して進行する諸々のプロジェクトの実現に向けての努力、連絡・調整…。それに大の苦手の校正(今日ようやくゴーシェの校正が終了)。
さらに、こんなイベントにも無関係ではなかったり。
そんななか、プロジェクトの成功に向けて、地道なネットワークづくりのために行ってきました、12月12日(土)、九州仏文学会@西南学院大学。西南もはじめて行ったが、関西で言うところの「関西学院大学」のような、おしゃれな感じ。懇親会ではいろいろな人々と少しずつ知り合うことができました。
来年の福岡シンポのビラ配りに行くというだけのつもりだったのだが、いきなり委員にさせられてしまった。身がもたないので、あまりこき使われたらやめてしまいます。
今やっているさまざまな活動について、その一瞬一瞬をいつか振り返ったとき、「後悔はしていない」と言い切れるだろうか。
*
阪神・赤星、決死のダイブは後悔なし(クリップ) 2009.12.9 20:59
さらに、こんなイベントにも無関係ではなかったり。
そんななか、プロジェクトの成功に向けて、地道なネットワークづくりのために行ってきました、12月12日(土)、九州仏文学会@西南学院大学。西南もはじめて行ったが、関西で言うところの「関西学院大学」のような、おしゃれな感じ。懇親会ではいろいろな人々と少しずつ知り合うことができました。
来年の福岡シンポのビラ配りに行くというだけのつもりだったのだが、いきなり委員にさせられてしまった。身がもたないので、あまりこき使われたらやめてしまいます。
今やっているさまざまな活動について、その一瞬一瞬をいつか振り返ったとき、「後悔はしていない」と言い切れるだろうか。
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阪神・赤星、決死のダイブは後悔なし(クリップ) 2009.12.9 20:59
「泣いたら、いろんなことを後悔すると思った。貫き通そうと思った」。記者会見の間、赤星が涙を見せることはなかった。
9月に脊髄(せきずい)を損傷した。家から出られないほど症状は重かった。いくつもの病院を巡ったが、返ってくる答えは厳しいものばかり。シーズン終了 後、球団から引退をすすめられた。約1カ月「人生で一番苦しかった」と言うほど悩み抜き、決断した。現役への未練はもちろんある。「若い選手に負けていな い。けがさえなければ、まだまだできる気持ちがあった」と33歳は言った。
脊髄(せきずい)損傷のほかに首や腰、さらには手足にしびれが出る。「言葉に表せないくらいしんどかった。首の痛みで眠れない」。ここ3年間は常にけがとの闘いで「最後の3年間が9年分に感じるくらい長かった」とつぶやいた。
けがをしたのは9月12日、雨の甲子園だった。右中間の当たりに頭から飛び付き、赤星のプロ生活が終わった。「夢であのシーンが出てくる。野球人の本能でやった。後悔はしていない」。この言葉に、この日一番の力がこもっていた。
Monday, December 07, 2009
備忘録的に。
1)12月中旬までにゴーシェ翻訳校正。来年二月にようやく出るそうです。
2)12月中に某雑誌に投稿予定の論文完成(日本語)。
3)12月中に第三回シンポ原稿完成(仏語)。
4)来年1月中にエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表(ベルクソン&メルロ)を論文化(日本語およびフランス語)。
5)来年1月中にネオジャクソニスム研究会のためのデジャブ論文(ベルクソン&ドゥルーズ)執筆(日本語)。
6)来年1月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップ(英語)。
7)来年3月の福岡シンポのための発表原稿準備(日本語およびフランス語)。
8)来年4月のエラスムスのための授業準備(フランス語)。
2)12月中に某雑誌に投稿予定の論文完成(日本語)。
3)12月中に第三回シンポ原稿完成(仏語)。
4)来年1月中にエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表(ベルクソン&メルロ)を論文化(日本語およびフランス語)。
5)来年1月中にネオジャクソニスム研究会のためのデジャブ論文(ベルクソン&ドゥルーズ)執筆(日本語)。
6)来年1月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップ(英語)。
7)来年3月の福岡シンポのための発表原稿準備(日本語およびフランス語)。
8)来年4月のエラスムスのための授業準備(フランス語)。
Sunday, December 06, 2009
新たな出会い(その1)
11月5日(土)、西日本哲学会@九州大学・箱崎キャンパス
午前中は補講で自大へ。うちの学生はとりわけtrustとfriendlinessを混同しやすいので、一緒にご飯を食べに行ったり、といったことはこれまで極力避けてきたし、これからもそのつもりだが、土曜日にわざわざ補講に来てくれたということで、ゼミの学生たちに、お気に入りの店Cafe Edomachoにて、昼ご飯をおごる。
その後、バスで九大へ。初めて足を踏み入れた。60回記念のシンポジウムが黒田亘の哲学について。なんという渋さ…。黒田の因果性・志向性についてのよく知られたテーゼが俎上に載せられ、隠された存在論が指摘されるなど興味深かったが、一番印象深かったのは、お世辞抜きで切れ味鋭い提題を行なった三人の(必ずしも年齢に拠らない)若々しさであった。新しい土地で、新しい人々と知り合って知的刺激を受けるのはいつも楽しい。
夜は懇親会。いろんな方とお知り合いになれたのが良かったが、なかでもkm先生とはじめてお会いして、少しお話しできたのは嬉しかった。哲学と教育の関係について同じ情熱をもっていると直感した。y大のfさんと長々とハイデガー&ベルクソンについて議論できたのもよかった。
nnさんのグループと二次会。彼と同年代の友人ばかりだったからか、かなりくだけたノリで、楽しかった。その後、某先輩におしゃれっぽいバー?クラブ?(おじさんの行くやつではなく)に連れて行っていただいたが、…歳をとったと痛感した。クラブ音楽は嫌いではなかったが、若者の華やぎに疲れてしまう。
12月6日(日)、引き続き西哲@九大。昼から三つの発表を聴く。スピノザの勉強になった。家に帰るなり、子供のお守。ご飯を食べて寝かしつけ、授業準備に取り掛かる。ドゥルーズとグールドの話はいよいよ佳境。こっちの夜の方がより刺激的だと思うのだから、まあ歳をとった。
午前中は補講で自大へ。うちの学生はとりわけtrustとfriendlinessを混同しやすいので、一緒にご飯を食べに行ったり、といったことはこれまで極力避けてきたし、これからもそのつもりだが、土曜日にわざわざ補講に来てくれたということで、ゼミの学生たちに、お気に入りの店Cafe Edomachoにて、昼ご飯をおごる。
その後、バスで九大へ。初めて足を踏み入れた。60回記念のシンポジウムが黒田亘の哲学について。なんという渋さ…。黒田の因果性・志向性についてのよく知られたテーゼが俎上に載せられ、隠された存在論が指摘されるなど興味深かったが、一番印象深かったのは、お世辞抜きで切れ味鋭い提題を行なった三人の(必ずしも年齢に拠らない)若々しさであった。新しい土地で、新しい人々と知り合って知的刺激を受けるのはいつも楽しい。
夜は懇親会。いろんな方とお知り合いになれたのが良かったが、なかでもkm先生とはじめてお会いして、少しお話しできたのは嬉しかった。哲学と教育の関係について同じ情熱をもっていると直感した。y大のfさんと長々とハイデガー&ベルクソンについて議論できたのもよかった。
nnさんのグループと二次会。彼と同年代の友人ばかりだったからか、かなりくだけたノリで、楽しかった。その後、某先輩におしゃれっぽいバー?クラブ?(おじさんの行くやつではなく)に連れて行っていただいたが、…歳をとったと痛感した。クラブ音楽は嫌いではなかったが、若者の華やぎに疲れてしまう。
12月6日(日)、引き続き西哲@九大。昼から三つの発表を聴く。スピノザの勉強になった。家に帰るなり、子供のお守。ご飯を食べて寝かしつけ、授業準備に取り掛かる。ドゥルーズとグールドの話はいよいよ佳境。こっちの夜の方がより刺激的だと思うのだから、まあ歳をとった。
Friday, December 04, 2009
授業
今日は、自分の大学の気になる先生の授業を覗きに行った。イギリス人の先生なのだが、英語のグループワークの仕方が巧みだという評判を小耳にはさんだので、自分の授業の何かの参考になるかと思って授業見学を申し出たのである。
彼は私と同じで、授業に対してはっきりとした「プリンシプル」をもっている。モチベーションのある学生を自分の授業に惹きつける努力を最大限行なったうえで、要求度の高い授業をしようという基本姿勢である(カリキュラムの構成上、不可避的にそうでない学生が集まる授業には、もちろん別のプリンシプルをもって臨む)。
私からすると小声で早口の英語だが、学生たちは確実に指示を理解し、こなしていく。チーム別の英語でのプレゼン。パワーポイントもすべて英語で作成。英語のレベルはまちまちだが、フランス語関係者としては、英語を使ってプレゼンをさせられるというだけで羨望を覚える。先生の求心力が高いと、いろんなことをさせられるのだと再認識させられる。
*
授業は、英語教授法に関するテキストを使って、学生と一緒に「いかに英語を教えるか」を考えるという、メタ的な授業で面白そう。授業後半では、「では、この授業自体を改善するにはどうしたらいいか?」と自己言及度がさらにアップ。問いかけの一つに「例えば、私があなた方との関係をもう少し親しみやすいものにすれば、あなた方のモチベーションは上がるでしょうか?」というものがあり、彼はそちらへと議論を収束させていく。
彼の考えでは、教師と学生のしっかりした関係を構成する要素は四つある。
1)trust(信頼)
2)fairness(公平さ)
3)availability(どれくらい学生のために時間を割いてくれるか)
4)friendliness(親しみやすさ)
最近の学生は4を重要視するようだが、自分の考えでは1~4の順に重要度は低くなる、そう彼は言っていた。私もまったく賛成である。「けれど、これは私のオピニオンにすぎません。皆さんのオピニオンを来週までに書いてきてください。これが宿題です」。最後まで見事に準備され、見事にコントロールされた授業だった。90分の密度が濃い。
もちろん「信頼」ですらも入口にすぎない。それを通じて、どれほど学問の世界の魅力を伝えられるか。そこからが本当の勝負である。どこまで行けるだろうか。
研究も大切だが、授業も大事にしていきたい。私が今そこに照準を合わせざるを得ないレベルにあっても、真剣に取り組んでいれば、授業も必ず何かを与えてくれる。そう思っている。
彼は私と同じで、授業に対してはっきりとした「プリンシプル」をもっている。モチベーションのある学生を自分の授業に惹きつける努力を最大限行なったうえで、要求度の高い授業をしようという基本姿勢である(カリキュラムの構成上、不可避的にそうでない学生が集まる授業には、もちろん別のプリンシプルをもって臨む)。
私からすると小声で早口の英語だが、学生たちは確実に指示を理解し、こなしていく。チーム別の英語でのプレゼン。パワーポイントもすべて英語で作成。英語のレベルはまちまちだが、フランス語関係者としては、英語を使ってプレゼンをさせられるというだけで羨望を覚える。先生の求心力が高いと、いろんなことをさせられるのだと再認識させられる。
*
授業は、英語教授法に関するテキストを使って、学生と一緒に「いかに英語を教えるか」を考えるという、メタ的な授業で面白そう。授業後半では、「では、この授業自体を改善するにはどうしたらいいか?」と自己言及度がさらにアップ。問いかけの一つに「例えば、私があなた方との関係をもう少し親しみやすいものにすれば、あなた方のモチベーションは上がるでしょうか?」というものがあり、彼はそちらへと議論を収束させていく。
彼の考えでは、教師と学生のしっかりした関係を構成する要素は四つある。
1)trust(信頼)
2)fairness(公平さ)
3)availability(どれくらい学生のために時間を割いてくれるか)
4)friendliness(親しみやすさ)
最近の学生は4を重要視するようだが、自分の考えでは1~4の順に重要度は低くなる、そう彼は言っていた。私もまったく賛成である。「けれど、これは私のオピニオンにすぎません。皆さんのオピニオンを来週までに書いてきてください。これが宿題です」。最後まで見事に準備され、見事にコントロールされた授業だった。90分の密度が濃い。
もちろん「信頼」ですらも入口にすぎない。それを通じて、どれほど学問の世界の魅力を伝えられるか。そこからが本当の勝負である。どこまで行けるだろうか。
研究も大切だが、授業も大事にしていきたい。私が今そこに照準を合わせざるを得ないレベルにあっても、真剣に取り組んでいれば、授業も必ず何かを与えてくれる。そう思っている。
Thursday, December 03, 2009
法のイメージ(アレクサンドル・ルフェーヴル)

ずっとうっすら思っていたことを、数日前、ふと思いたって、実行に移してみた。大学のまったく別の学部に同じ姓の先生がいらっしゃるので、おそるおそるその先生にこの件に関してメールを送ってみたのである。
すると…届いていた!
Alexandre Lefebvre, The Image of Law. Deleuze, Bergson, Spinoza, Stanford University Press, coll. "Cultural Memory in the Present", 2008.
この間、ベルクソンとドゥルーズの政治哲学における比較をやったばかりだが、これは読んでおくべきだったかも…。
Wednesday, December 02, 2009
のんびり繋がっていく
かなり遅れて出した宿題のような夏休みの日記に書いたように、8月13日に『冬の兵士』朗読会に偶然参加した。
反戦活動に予期されるような暑苦しさもなく、京都的な、のんびりまったりした、けれど決して流されないぞという気持が心地よかった。まさに「かぜのね」にふさわしい。
何人かの普通の人たちが、それぞれの年齢に近いイラク占領に関係した人々――兵士、女性兵、兵士の家族たち、イラクの子供たち――の証言を読み上げる。ただ、それだけのことが、私たちの心を打つ(京都人たちによる朗読風景は上記ページより。私の姿も一部映ってますね…)。
…という話を、その数日後、福岡から遠からぬ町に住む、仲のいい、知り合いの牧師さんに興奮冷めやらぬうちに話した。いや、話したことさえ忘れかけていたのだが、最近会ったとき、今度自分の教会でも、朗読会をやってみることにしたと言っていた。
話 してみるものだなあ。開かれて繋がる、とまでかっこよくは行けないのであるが、のんびり繋がっていくのだなあ。こういうことも「哲学」と関係なくはないだろうと思い、こちらのページにも書いた次第。
反戦活動に予期されるような暑苦しさもなく、京都的な、のんびりまったりした、けれど決して流されないぞという気持が心地よかった。まさに「かぜのね」にふさわしい。
何人かの普通の人たちが、それぞれの年齢に近いイラク占領に関係した人々――兵士、女性兵、兵士の家族たち、イラクの子供たち――の証言を読み上げる。ただ、それだけのことが、私たちの心を打つ(京都人たちによる朗読風景は上記ページより。私の姿も一部映ってますね…)。
…という話を、その数日後、福岡から遠からぬ町に住む、仲のいい、知り合いの牧師さんに興奮冷めやらぬうちに話した。いや、話したことさえ忘れかけていたのだが、最近会ったとき、今度自分の教会でも、朗読会をやってみることにしたと言っていた。
話 してみるものだなあ。開かれて繋がる、とまでかっこよくは行けないのであるが、のんびり繋がっていくのだなあ。こういうことも「哲学」と関係なくはないだろうと思い、こちらのページにも書いた次第。
Friday, November 27, 2009
大学の無関心、無関心の大学
大学に就職し、辞令をもらってから、半年以上経った。包み隠さず言えば、その間、大学について考えることが極端に減った。就職が決まるまでは、あんなにも大学をめぐる問題に対する哲学者たちの反応の鈍さに憤慨し、自分はそうなるまいと思っていたのに、である。
大学のグランド・デザインに直結する今回の事業仕分けですら、恥ずかしながら、新聞で読んだ程度で、詳しく調べることはしなかった。もちろん言い訳はいくらでもできる。体調がすぐれない中で、私は私なりに教育と研究に全身全霊を傾けているつもりである。だが、そういうことが問題ではないのだ。
*
無邪気な無関心(研究・教育が忙しいので…)、怠惰な無関心(自分はもう「一丁上がり」だし関係ないから)、ニヒリズム(どうせそんなこと知ったって…)は、政治的去勢の裏返しである。また逆に、ポスドクという不安定な状況にいることを強いられているにもかかわらず、大学問題を理論的に考察しようとせずに、ただルサンチマンを養殖しているだけの人々(「なんであの程度のやつが就職できて、自分が…」)も問題である。大学就職後の無関心と、就職前の無関心、大学の人文科学研究は二つの無関心の挟み撃ちに遭っている。
理系の著名な科学者たちが声を大にして発言していることはメディアでも伝わってきた。おそらくメディアが伝えていないだけで、文系の著名な科学者たちも積極的に発言しているに違いないが、私は寡聞にしてあまり知らない。
*
仲間が、とりわけ優秀な仲間がいて、共に考えるよう誘ってくれるというのはとても幸せなことだ。現在、UTCPを中心に幅広い活躍を続けている西山雄二さんは、大学と人文科学の問題をここ数年、哲学的な仕方で追究されてきた方だ。
彼が最近書いた二つの小文と一部抜粋をご紹介しておきます。
・【現場報告】大学の未来像 ― 行政刷新会議「事業仕分け」
・国家と人文学――「新しい教養」の行方
「自分の大学」のことを考えようとしている人はたくさんいる。自大・自学部・自学科・自専攻の維持・発展(弱小私立大学の場合には、その前に「生き残り」)を願って、大変な役職を引き受け、煩雑な委員会活動を誠実かつ真摯にこなし、大学の運営に携わっておられる方々はたくさんいらっしゃる。それはそれでとても大切なことだが、それはごく限定的な自己防衛本能にすぎないとも言える。
「大学というものそのもののありようはどうなのか」という問いになると、とたんに腰が引けてしまう。あの無邪気な常套句「大学なんか潰れても哲学(文学研究)はやっていける」は、実は思想的な弱腰の裏返しにすぎない。「大学なんか潰れても自然科学はやっていける」などと言っているまともな自然科学者がどこにいるだろう。はっきり言ってそれは「核戦争で文明が破壊され尽くしても、人間は生き残る」というのと同程度の真理性しかもたない。
哲学が真理の探究であると同時に、真理を探究する者をどう育成するかという教育の問いでもあり、制度をめぐる政治的な問いでもあるというのは自明のことだ。哲学・教育・政治の三位一体である。この三つ組がアクチュアリティへの対応・適応を越えて、反時代的なものに自らを高めねばならない(何度でも言うが、反時代的とは反動的・保守的ということではない)。
問題はここにある。「無関心」とは端的な無関心だけを指すのではない。表面的には(自分の意識としては)大学に関心をもっている「自己保存欲」、アクチュアリティに追従しているにすぎない右往左往の対応もまた、病根の深い「無関心」なのである。
大学をめぐる問題は、大学の中のこの広義の「無関心」と闘い、大学人に自覚を促しつつ(これがとても大変な作業であることは重々承知したうえで)、大学の外や周囲にいる人々と共に考えていくのでなければならない。
絶えず頭をもたげ、優勢を占めようとする自分の「無関心」と闘い続けること。
大学のグランド・デザインに直結する今回の事業仕分けですら、恥ずかしながら、新聞で読んだ程度で、詳しく調べることはしなかった。もちろん言い訳はいくらでもできる。体調がすぐれない中で、私は私なりに教育と研究に全身全霊を傾けているつもりである。だが、そういうことが問題ではないのだ。
*
無邪気な無関心(研究・教育が忙しいので…)、怠惰な無関心(自分はもう「一丁上がり」だし関係ないから)、ニヒリズム(どうせそんなこと知ったって…)は、政治的去勢の裏返しである。また逆に、ポスドクという不安定な状況にいることを強いられているにもかかわらず、大学問題を理論的に考察しようとせずに、ただルサンチマンを養殖しているだけの人々(「なんであの程度のやつが就職できて、自分が…」)も問題である。大学就職後の無関心と、就職前の無関心、大学の人文科学研究は二つの無関心の挟み撃ちに遭っている。
理系の著名な科学者たちが声を大にして発言していることはメディアでも伝わってきた。おそらくメディアが伝えていないだけで、文系の著名な科学者たちも積極的に発言しているに違いないが、私は寡聞にしてあまり知らない。
*
仲間が、とりわけ優秀な仲間がいて、共に考えるよう誘ってくれるというのはとても幸せなことだ。現在、UTCPを中心に幅広い活躍を続けている西山雄二さんは、大学と人文科学の問題をここ数年、哲学的な仕方で追究されてきた方だ。
彼が最近書いた二つの小文と一部抜粋をご紹介しておきます。
・【現場報告】大学の未来像 ― 行政刷新会議「事業仕分け」
私的関心に引きつけると、会場では人文社会科学に限定した議論もなされた。人文社会科学系の研究者は研究教育の必要性を語る言葉をもつように促されている が、さらに高等教育の政策論まで見据えた展望や論理を磨き上げることも大事だ。私たち人文社会科学系の研究者は学問と社会をつなぐ言葉や理念をどの程度 もっているだろうか。大学に対して経済合理主義的な評価がなされる現実を前にして、私たちの現在と未来を包み込むような説得的で実効的な理念をどの程度 もっているだろうか。
・国家と人文学――「新しい教養」の行方
最後のセッションだけあって、質疑応答は白熱し、「評価をどう考えるべきか」「国家との関係において大学とは左翼的なものであるのか」「フィクションの権利の危険性をどう考えるのか」といった質問が相次いだ。なかでも、「日本でも韓国でも一部の大学のみが国家から資金援助されて、残りの大多数の大学や学生 は貧しい状態で喘いでいる。この格差を私たちはどう考えるのか」という問いが印象的だった。大学論に必要なことは、大学が多種多様な現実で構成されていることを自覚し、モノローグ的な「私の大学論」の誘惑に陥らないことである。大学に関係する者はまず自分の限定的な立場を自覚することで、大学を批判的な公共空間として創造することができるだろう。*
「自分の大学」のことを考えようとしている人はたくさんいる。自大・自学部・自学科・自専攻の維持・発展(弱小私立大学の場合には、その前に「生き残り」)を願って、大変な役職を引き受け、煩雑な委員会活動を誠実かつ真摯にこなし、大学の運営に携わっておられる方々はたくさんいらっしゃる。それはそれでとても大切なことだが、それはごく限定的な自己防衛本能にすぎないとも言える。
「大学というものそのもののありようはどうなのか」という問いになると、とたんに腰が引けてしまう。あの無邪気な常套句「大学なんか潰れても哲学(文学研究)はやっていける」は、実は思想的な弱腰の裏返しにすぎない。「大学なんか潰れても自然科学はやっていける」などと言っているまともな自然科学者がどこにいるだろう。はっきり言ってそれは「核戦争で文明が破壊され尽くしても、人間は生き残る」というのと同程度の真理性しかもたない。
哲学が真理の探究であると同時に、真理を探究する者をどう育成するかという教育の問いでもあり、制度をめぐる政治的な問いでもあるというのは自明のことだ。哲学・教育・政治の三位一体である。この三つ組がアクチュアリティへの対応・適応を越えて、反時代的なものに自らを高めねばならない(何度でも言うが、反時代的とは反動的・保守的ということではない)。
問題はここにある。「無関心」とは端的な無関心だけを指すのではない。表面的には(自分の意識としては)大学に関心をもっている「自己保存欲」、アクチュアリティに追従しているにすぎない右往左往の対応もまた、病根の深い「無関心」なのである。
大学をめぐる問題は、大学の中のこの広義の「無関心」と闘い、大学人に自覚を促しつつ(これがとても大変な作業であることは重々承知したうえで)、大学の外や周囲にいる人々と共に考えていくのでなければならない。
絶えず頭をもたげ、優勢を占めようとする自分の「無関心」と闘い続けること。
Thursday, November 26, 2009
『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」

『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」が発売されました。
小規模の特集はともかく、本格的な特集としては、1994年以来になると思います。
ベルクソン研究を外へと開いていこうとする興味深い鼎談、力の入った論文の数々、現時点でのベルクソン研究の到達点が概観できるサーヴェイや研究書誌もあります。
ぜひお買い求めください。詳細内容はこちら。
Sunday, November 22, 2009
ジャネのために(pour Janet)
シンポは無事に終わった。バタブラ研(と一部で呼ばれているらしい)と同じ日にぶつかってしまうというアクシデントを差し引けば、むしろ予想以上の集客だったと言える。来ていただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。
フロイト-ラカン愛好者でない者を見つける方が難しいフランス現代思想業界で、「死んだ犬」扱いされているピエール・ジャネからアンリ・エーへと至る流れ――ごく広い意味での「ネオ・ジャクソニスム」の系譜――に光を当てた、このような反時代的シンポの重要性はもっと強調されていい。
ちなみに、このシンポのために、俊英と評判の高い立木康介氏の「シャルコー/ジャネ」(中央公論新社版『哲学の歴史』第9巻所収、2007年)も読んだが、かなりがっかりした。
まず、エレンベルガーの『無意識の発見』のように、あえて挑発的図式化を意識的に引き受けた史的著作に対して、実に無邪気にそれを再転倒してみせる感性を疑ってしまう。フロイトはロマン主義者でなく、啓蒙主義者である?事実誤認だと言っているのではない。フロイトが啓蒙主義者なのだとすれば、彼の啓蒙主義はいかなる特徴をもつのか、大切なのはそれを簡潔にであれ言うことであり、さらに大切なのは、仮にジャネがロマン主義者なのだとすれば、いかなるロマン主義者であるのかを言うことではないのか。教科書的な腑分けを単純にひっくり返してみせること自体に大した意味はない。理論的な争点だけがそのような操作に意味を与えうるのである。むしろ違う形で形成されたフロイトとジャネの「科学主義」の共通点と差異にこそ焦点を当てるべきだったのではないのか。
フロイトの啓蒙主義自体が問題となっているのに、「実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は」とほとんどオートマティスムのようにラカンを引き合いに出してしまう初歩的な論理的ミスもさることながら、フロイト主義隆盛への単純なカウンター(エレンベルガー)に対して単純に流行を(しかも、よりにもよって最も凡庸なラカン像を)対置してみせる批判的=批評的意識のなさは痛々しい。「徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した」などと書くようでは、ラカン派はやはりドグマティックと言われても仕方がない。繰り返すが、重要なのはいかなる理性の側に取り戻したのか、である。
次に、ロマン主義/啓蒙主義の図式にのっとったまま、単にフロイトを擁護するだけでなく、返す刀でジャネをばっさりと斬り、しかもその凶刃で、付近にいたベルクソンまで手にかけてしまう無思慮さも法外である。「ベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」ことをジャネのロマン主義とフロイトの啓蒙主義の分岐点に据えたいらしい立木氏は、フロイトの数多くの宗教論・オカルトへの言及を完全に忘れているように見える。仮に、ジャネもフロイトもともに「しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」が、両者の関心のもち方、方向性は完全に異なる、といった論旨が展開されるのであれば、まだしも百歩譲ってこの一節を好意的に解釈しようとできるが、後続の文章の中にそういった記述は残念ながら見出されない。
理性と非理性の単純な境界線、単純な価値評価を踏み越えたところにこそ、まずそのごく基本的な理論的意義が認められるべきフロイトを、是が非でも単純な「理性の側」に奪取しようとするその姿勢がまさにフロイト的でない。ドゥルーズの論文集のタイトルをもじって言えば、「批判的かつ臨床的」な視点からフロイト(およびラカン)とジャネ(およびベルクソン)の関係が論じられる中で、ジャネの可能性の中心が簡潔にであれ示唆されることを期待していた読者が目にするのは、ジャネとベルクソンの微妙な関係というごく基本的な事柄すらわきまえない、セカンドハンドの資料から書きあげられた匂いの濃厚な文章である。
最後に、この文章の最大の問題点は、シャルコーやジャネへの愛がほとんど感じられないことである。「本当はフロイトかラカンについて書きたかったのに…」という感じが全編に溢れていて、読む者を辛くさせる。不憫なシャルコーやジャネのためのみならず、立木氏自身のためにも辛くなるのである。まさか誤解もあるまいが、シャルコーやジャネを絶賛する文章でなければ、と言っているのではない。ただ、「そんなに魅力のない対象だと思っているなら、なぜ執筆を引き受けたのか」と読者に思わせるような文章を立木氏ほどの人物が書くべきでないと言っているのである。幾ら才能があっても、いや才能ある人だからこそ、こういうものを書いてはいけない。死者のためにも、読者のためにも、自分自身のためにも。いかに歪んだ愛でもいい、愛ある対象について人は書くべきだ。
「歪んだ愛」ということで言いたいのは、例えば、ドゥルーズが「敵について書いた唯一の著作」と認めるカント論のように、明白な理論的争点を上品な形で(死者が悲しまないような仕方で)提出するのならばそれはよい、ということである。日本の思想業界は論争を好まない。特に、亡くなった先生や友人などの著作やテーゼでも反駁されようものなら、大変な騒ぎである。だが、それでは思想は発展しないだろう。愛は媚を売る「やさしさ」とは違う。
「ジャネのために」書かれたものを読みたい方は、上記シンポの報告書が公刊されるはずですので、そちらをご覧ください。
フロイト-ラカン愛好者でない者を見つける方が難しいフランス現代思想業界で、「死んだ犬」扱いされているピエール・ジャネからアンリ・エーへと至る流れ――ごく広い意味での「ネオ・ジャクソニスム」の系譜――に光を当てた、このような反時代的シンポの重要性はもっと強調されていい。
ちなみに、このシンポのために、俊英と評判の高い立木康介氏の「シャルコー/ジャネ」(中央公論新社版『哲学の歴史』第9巻所収、2007年)も読んだが、かなりがっかりした。
《実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は、このエレンベルガーの見方に真っ向から対立している。「無意識は一つの言語として構造化されている」というラカンのテーゼは、エレンベルガーによってもっぱら「パトスの復権」として読まれたフロイト的無意識を、徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した。逆に、この点でもベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせているところを見れば、むしろ彼のほうがロマン主義的な感性への親和性をもっていたのではないかと疑わずにはいられない。》俊英と評判の高い人がこんな凡庸なことを書いてはいけない。三つある。
まず、エレンベルガーの『無意識の発見』のように、あえて挑発的図式化を意識的に引き受けた史的著作に対して、実に無邪気にそれを再転倒してみせる感性を疑ってしまう。フロイトはロマン主義者でなく、啓蒙主義者である?事実誤認だと言っているのではない。フロイトが啓蒙主義者なのだとすれば、彼の啓蒙主義はいかなる特徴をもつのか、大切なのはそれを簡潔にであれ言うことであり、さらに大切なのは、仮にジャネがロマン主義者なのだとすれば、いかなるロマン主義者であるのかを言うことではないのか。教科書的な腑分けを単純にひっくり返してみせること自体に大した意味はない。理論的な争点だけがそのような操作に意味を与えうるのである。むしろ違う形で形成されたフロイトとジャネの「科学主義」の共通点と差異にこそ焦点を当てるべきだったのではないのか。
フロイトの啓蒙主義自体が問題となっているのに、「実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は」とほとんどオートマティスムのようにラカンを引き合いに出してしまう初歩的な論理的ミスもさることながら、フロイト主義隆盛への単純なカウンター(エレンベルガー)に対して単純に流行を(しかも、よりにもよって最も凡庸なラカン像を)対置してみせる批判的=批評的意識のなさは痛々しい。「徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した」などと書くようでは、ラカン派はやはりドグマティックと言われても仕方がない。繰り返すが、重要なのはいかなる理性の側に取り戻したのか、である。
次に、ロマン主義/啓蒙主義の図式にのっとったまま、単にフロイトを擁護するだけでなく、返す刀でジャネをばっさりと斬り、しかもその凶刃で、付近にいたベルクソンまで手にかけてしまう無思慮さも法外である。「ベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」ことをジャネのロマン主義とフロイトの啓蒙主義の分岐点に据えたいらしい立木氏は、フロイトの数多くの宗教論・オカルトへの言及を完全に忘れているように見える。仮に、ジャネもフロイトもともに「しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」が、両者の関心のもち方、方向性は完全に異なる、といった論旨が展開されるのであれば、まだしも百歩譲ってこの一節を好意的に解釈しようとできるが、後続の文章の中にそういった記述は残念ながら見出されない。
理性と非理性の単純な境界線、単純な価値評価を踏み越えたところにこそ、まずそのごく基本的な理論的意義が認められるべきフロイトを、是が非でも単純な「理性の側」に奪取しようとするその姿勢がまさにフロイト的でない。ドゥルーズの論文集のタイトルをもじって言えば、「批判的かつ臨床的」な視点からフロイト(およびラカン)とジャネ(およびベルクソン)の関係が論じられる中で、ジャネの可能性の中心が簡潔にであれ示唆されることを期待していた読者が目にするのは、ジャネとベルクソンの微妙な関係というごく基本的な事柄すらわきまえない、セカンドハンドの資料から書きあげられた匂いの濃厚な文章である。
最後に、この文章の最大の問題点は、シャルコーやジャネへの愛がほとんど感じられないことである。「本当はフロイトかラカンについて書きたかったのに…」という感じが全編に溢れていて、読む者を辛くさせる。不憫なシャルコーやジャネのためのみならず、立木氏自身のためにも辛くなるのである。まさか誤解もあるまいが、シャルコーやジャネを絶賛する文章でなければ、と言っているのではない。ただ、「そんなに魅力のない対象だと思っているなら、なぜ執筆を引き受けたのか」と読者に思わせるような文章を立木氏ほどの人物が書くべきでないと言っているのである。幾ら才能があっても、いや才能ある人だからこそ、こういうものを書いてはいけない。死者のためにも、読者のためにも、自分自身のためにも。いかに歪んだ愛でもいい、愛ある対象について人は書くべきだ。
「歪んだ愛」ということで言いたいのは、例えば、ドゥルーズが「敵について書いた唯一の著作」と認めるカント論のように、明白な理論的争点を上品な形で(死者が悲しまないような仕方で)提出するのならばそれはよい、ということである。日本の思想業界は論争を好まない。特に、亡くなった先生や友人などの著作やテーゼでも反駁されようものなら、大変な騒ぎである。だが、それでは思想は発展しないだろう。愛は媚を売る「やさしさ」とは違う。
「ジャネのために」書かれたものを読みたい方は、上記シンポの報告書が公刊されるはずですので、そちらをご覧ください。
Monday, November 09, 2009
記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~
11月21日(土)1時より、明治大学駿河台キャンパスにて行なわれるシンポの宣伝です。
明治大学ネオ・ジャクソニスム研究会連続シンポジウム
「記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~」
第一回 ベルクソンとジャネ
「「差異と反復」の前夜 ─ メーヌ・ド・ビラン:努力とオートマティスム」
合田 正人 (明治大学)
「ジャネとネオ・ジャクソニスム : 創造と過去保存の心理学をめぐって」
田母神 顯二郎(明治大学)
「ジャネとベルクソン」
松浦 宏信(リール第三大学)
「ベルクソンとドゥルーズ : デジャ・ヴュの問題をめぐって」
藤田 尚志 (九州産業大学)
日時
11月21日(土) 13:00~17:30
会場
明治大学駿河台校舎リバティータワー LT1084教室
*
私自身の発表は、ベルクソンとドゥルーズにおけるデジャヴについて、先日のセッションでエリーが喋った側面と自分が話したコメントを自分なりの視点でまとめ直し(もちろんエリーの承諾はとってあります)、さらに一歩進めるつもりです。先日のエリーとのセッションに来られなかったという方も是非どうぞ。
なお、第二回は12月5日(土)の予定だそうです。
明治大学ネオ・ジャクソニスム研究会連続シンポジウム
「記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~」
第一回 ベルクソンとジャネ
「「差異と反復」の前夜 ─ メーヌ・ド・ビラン:努力とオートマティスム」
合田 正人 (明治大学)
「ジャネとネオ・ジャクソニスム : 創造と過去保存の心理学をめぐって」
田母神 顯二郎(明治大学)
「ジャネとベルクソン」
松浦 宏信(リール第三大学)
「ベルクソンとドゥルーズ : デジャ・ヴュの問題をめぐって」
藤田 尚志 (九州産業大学)
日時
11月21日(土) 13:00~17:30
会場
明治大学駿河台校舎リバティータワー LT1084教室
*
私自身の発表は、ベルクソンとドゥルーズにおけるデジャヴについて、先日のセッションでエリーが喋った側面と自分が話したコメントを自分なりの視点でまとめ直し(もちろんエリーの承諾はとってあります)、さらに一歩進めるつもりです。先日のエリーとのセッションに来られなかったという方も是非どうぞ。
なお、第二回は12月5日(土)の予定だそうです。
Sunday, November 08, 2009
受賞
2009年11月7―8日、仏文学会@熊本大学に参加してきた。フランス文学からはますます遠ざかる一方なのだが、中世文学から現代文学・思想に至るまで、たまにこうして勉強させてもらえるのはいいことだと感謝している。哲学だけでなく、他領域に実際に関わっていることは重要だと感じる。
学会でしか会えない友人(afさん頑張ってくださいね)、二次会以後にしか会わない知人(笑)などと会えるのも本当に嬉しいこと。
さて、あまりいいことのない最近だが、朗報が。
2010年度学会奨励賞に選ばれた。仏文学会は巨大組織だ。各支部からの推薦で4名候補者が選ばれ、それぞれ三名の専門家に審査を委嘱した結果、二人の受賞者のうちの一人として私が選ばれたとのこと。素直に嬉しい。
これに驕ることなく、弛まぬ精進を続けていく所存です。これまでお力添えをいただいた方々に厚く御礼申し上げますとともに、これからもご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い致します。本当にありがとうございました。
学会でしか会えない友人(afさん頑張ってくださいね)、二次会以後にしか会わない知人(笑)などと会えるのも本当に嬉しいこと。
さて、あまりいいことのない最近だが、朗報が。
2010年度学会奨励賞に選ばれた。仏文学会は巨大組織だ。各支部からの推薦で4名候補者が選ばれ、それぞれ三名の専門家に審査を委嘱した結果、二人の受賞者のうちの一人として私が選ばれたとのこと。素直に嬉しい。
これに驕ることなく、弛まぬ精進を続けていく所存です。これまでお力添えをいただいた方々に厚く御礼申し上げますとともに、これからもご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い致します。本当にありがとうございました。
Saturday, November 07, 2009
新生児の泣き声にも“訛り”(クリップ)
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト11月 6日(金) 16時15分配信 / 海外 - 海外総合
生まれたばかりの男の子の赤ん坊(資料写真)。新生児の泣き声には、訛りに似たイントネーションがあり、自分の母国語と同じような“メロディ”で泣くという研究が2009年11月に発表された。 |
新生児は子宮の中で言語を覚え始め、生まれたときには既にその言語特有のアクセント、いわば“訛り”のようなものを身に付けているという研究が発表された。
胎児は耳で聞くことで言語に慣れていくという見解は特に目新しいものではない。誕生直後の新生児が複数の異なる言語を耳にすると、ほとんどの場合、母親の胎内で聞こえていた言語に最も近い言語を好むような態度を示すことが複数の研究で既にわかっている。
ただし、言語を認識する能力と発話する能力とはまったく別のものである。
ドイツ、ビュルツブルク大学発話前発育・発育障害研究センターのカトリーン・ヴェルムケ氏が率いる研究チームは、フランス人とドイツ人各30人、計60人の健康な新生児の泣き声の“メロディ”を調査した。
ただしヴェルムケ氏によると、このメロディ、つまりイントネーションは、厳密に言えばアクセントとは異なるという。アクセントとは、単語の発音の仕方に関連するものだ。
一般的に、フランス語を母国語とする人は語尾を上げ、ドイツ語を母国語とする人は逆に語尾を下げるということが知られている。また、メロ ディ(話し言葉のイントネーション)が言語の習得において決定的に重要な役割を果たすということもわかっている。「ここから、新生児の泣き声の中から何ら かの特徴があるメロディを探すというアイデアを思いついた」とヴェルムケ氏は明かす。
今回の研究に参加した新生児の泣き声のメロディは、胎内で聞いていた言語と同じイントネーションをたどっていた。例えば、フランス人の新生児は泣き声の 最後の音が高くなった。「胎児や乳幼児がメロディを感じ取り再現することから、人間の言語習得の長いプロセスが始まることは明らかだ」とヴェルムケ氏は語 る。
また今回の発見で、言語の発達プロセス以上のことが明らかになる可能性もある。「乳幼児の泣き声などの発声をさらに分析すれば、人間の祖先がどのようにして言語を生み出したのかという謎の解明にも役立つかもしれない」。
この研究結果は2009年11月5日発行の「Current Biology」誌に掲載されている。
Matt Kaplan for National Geographic News
Wednesday, November 04, 2009
訃報
10月29日に五代目三遊亭円楽、11月1日にレヴィ=ストロース逝去の報があったばかりですが、11月3日、『ベルクソンの霊魂論』(創文社、1999年)の著者・清水誠さんがお亡くなりになったとのことです。謹んでご冥福をお祈り致します。
Saturday, October 31, 2009
続く。
ようやく、予定されていたイベントのすべてが終わった。若いさわやかな人たちとの付き合いはいつも楽しい。
しかし仕事はまだまだ続く(まあすぐに大学の仕事に引き戻されるんだけどね)。今日も一つ、岩波の校正を終えたばかり。
1)校正の仕事あと二つ。
2)大学紀要次号の校正がいきなり。なんでこんなに早いの。でも、可能なかぎり直したい。いつまでも、どんな評価に対しても、そこから何かを汲み取る努力を続けたい。
3)11月21日の「ネオジャクソニスム研究会」にお誘いいただいたので、おそらく参加する予定。
4)12月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップしつつ英訳。
5)1月までに今回のエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表を論文化。
6)来年3月のパリ・シンポのための発表原稿準備。
7)同時期にCIEPFCで、ドゥルーズとグールドについて発表をさせてもらうつもり。
8)同時期にトゥールーズ大学で、ベルクソンについて発表させてもらおうかな。
9)デリダ大学論の翻訳のお手伝い。
しかし仕事はまだまだ続く(まあすぐに大学の仕事に引き戻されるんだけどね)。今日も一つ、岩波の校正を終えたばかり。
1)校正の仕事あと二つ。
2)大学紀要次号の校正がいきなり。なんでこんなに早いの。でも、可能なかぎり直したい。いつまでも、どんな評価に対しても、そこから何かを汲み取る努力を続けたい。
3)11月21日の「ネオジャクソニスム研究会」にお誘いいただいたので、おそらく参加する予定。
4)12月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップしつつ英訳。
5)1月までに今回のエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表を論文化。
6)来年3月のパリ・シンポのための発表原稿準備。
7)同時期にCIEPFCで、ドゥルーズとグールドについて発表をさせてもらうつもり。
8)同時期にトゥールーズ大学で、ベルクソンについて発表させてもらおうかな。
9)デリダ大学論の翻訳のお手伝い。
Thursday, October 29, 2009
阪大でのワークショップ
昨日は、エリーと私がデジャヴ現象についてのベルクソンとドゥルーズの解釈から出発して、絡み合うセッションを展開。分かる人には非常にスリリングな概念的な探究だったはず。聴衆は少なかったけれど、駒場や本郷の優秀な若手研究者が来てくれたのは嬉しい収穫。中身はこんな感じ。
1)鈴木さんによるDの潜在性概念の要約・整理・幾つかの疑問の提示
2)エリーによるデジャヴの病理学的研究史概観(特にジャネ)、およびBがその中で占める戦略的な位置、彼の解釈のポイント。
3)私のBデジャヴ解釈とメルロの幻影肢解釈の比較
4)エリーによるDのデジャヴ解釈のポイント。ランシエール、バディウによるD潜在性概念の批判
これらの発表は、議論の大筋も含めて、『死生学研究』の特集として収録されるはずなので、お楽しみに。
*
明日は最後のイヴェント。ベルクソン物理学研究の精鋭・三宅岳史さんが「哲学者の時間は存在するのか」について、現時点での研究の到達点を示し、エリー・デューリングが「現代美術における空間の使い方」のほうへと話を発展させる。一見関係のない話を、司会の檜垣立哉さんがどう絡ませていくのかはお越しいただければ分かります。関西方面の皆様、14時から阪大人間科学部です。ぜひお越し下さい。
1)鈴木さんによるDの潜在性概念の要約・整理・幾つかの疑問の提示
2)エリーによるデジャヴの病理学的研究史概観(特にジャネ)、およびBがその中で占める戦略的な位置、彼の解釈のポイント。
3)私のBデジャヴ解釈とメルロの幻影肢解釈の比較
4)エリーによるDのデジャヴ解釈のポイント。ランシエール、バディウによるD潜在性概念の批判
これらの発表は、議論の大筋も含めて、『死生学研究』の特集として収録されるはずなので、お楽しみに。
*
明日は最後のイヴェント。ベルクソン物理学研究の精鋭・三宅岳史さんが「哲学者の時間は存在するのか」について、現時点での研究の到達点を示し、エリー・デューリングが「現代美術における空間の使い方」のほうへと話を発展させる。一見関係のない話を、司会の檜垣立哉さんがどう絡ませていくのかはお越しいただければ分かります。関西方面の皆様、14時から阪大人間科学部です。ぜひお越し下さい。
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