Monday, February 20, 2006
ベルクソンのアリストテレス論(2)
(1931年のCarteronの翻訳以来、実にほぼ70年ぶりに新しい仏訳が出た(tr. Pellegrin, GF, n°887, 2000 ; 2e éd. revue, 2002.)。日本でも、ハイデガーをして「西洋哲学の根本著作」と言わしめた本書が、文庫本で読めるようになってほしいものだ。
もう一つ、入手しやすくきわめて便利なのが、Press Pocketという出版社が出しているcoll. "Agora - les classiques"である。翻訳は1861年(!)のものであり、最初の2巻分しかないが、自然学に関する問題系を通覧できるアンソロジー(エンペドクレス、デモクリトス、プラトン、デカルト、スピノザ、マルブランシュ、ライプニッツ、パスカル、ヒューム、カント、コント、フッサール、パトチュカ、コイレ、シモンドン)が付されている。原典を読まずに語る風潮が蔓延する昨今、アンソロジーの復権は、「90分で分かる」とか「サルでも分かる」といったお手軽なマニュアル本などよりよほど望ましい。90分で分かってたまるか!)
ペルグラン版は、第4巻(208a29-224a16)に関して、以下のような14の章区分および節題を提案している。
第1章(208a29-209a30)
場所の研究
場所の実在を論証する4つの理由
場所の本性に関する6つの困難
第2章(209a31-210a13)
場所はある場合には形相であるように、またある場合には質料であるように思われる。
これらの同一視がうまくいかないことを証し立てる幾つかの理由
第3章(210a14-210b32)
「ある事物が別の事物のうちにある」と言える8つの場合
第一義的には、ある事物は自分自身のうちには存在しえない
ゼノンのアポリアに対する応答
場所は今度は質料でも形相でもないこと
第4章(210b33-212a30)
場所に認められる6つの点
場所の定義に関する予備的考察
場所の定義
この定義は場所に関する複数の意見を正当なものと認める
第5章(212a31-213a10)
全体の場所
場所の定義は当初[第1章で]想定された諸々の困難を解決する
第6章(213a11-213b29)
空虚の研究
空虚の実在に関する不十分な反駁
空虚を主張する者たちの論
第7章(213b30-214b10)
「空虚」という語が意味するところ
空虚の実在を主張する者たちへの応答
第8章(214b11-216b20)
分離された空虚の実在を反駁する4つの論拠
空虚の実在は運動と相容れない。5つの論拠
可動的なもの(les mobiles)の速さの差に基づく論拠
中間(le limieu)に由来する困難
物体に由来する困難
それ自身において考察された場合の空虚
第9章(216b21-217b28)
物体の内部に空虚はない
アリストテレスの立場
結論
第10章(217b29-218b20)
時間の研究
時間の実在に関するアポリア
時間の本性に関するアポリア:三つの理論
第11章(218b20-220a25)
時間の定義に関する予備的考察
時間の定義
定義に対する5つの補足
第12章(220a26-222a9)
時間の4つの特性
時間のうちに存在すること
時間は停止の尺度である
あらゆる非存在者は時間のうちには存在しない
第13章(222a10-222b29)
「今」という語のさまざまな意味
他の諸々の表現
時間と消滅(corruption)
第14章(222b30-224a16)
時間に関する他の諸考察
時間と魂
時間とはいかなる運動の数であるのか
円環的移動は基準となる運動である
「数とは同である le nombre est le même」ということが意味するところ
***
こうして『自然学』第4巻の目次を眺めただけでも、ベルクソンの時間の哲学にとっての重要性が分かるが、念のため『自然学』全体の構造およびそこに占める第4巻の位置を足早に確認しておこう。
Ce qui constitue une cohérence théorique de la Physique d'Aristote, malgré sa hétérogénéité interne due à l'articulation de sujets différents et à la coexistence de terminologies divergentes, c'est une réelle unité d'objet de la Physique. Comme le souligne Pierre Pellegrin, "la Physique est une étude du changement" (voir l'"Introduction" à sa traduction de la Physique, p. 38).
Contrairement à ce qu'une lecture rapide pourrait laisser croire, dit Pellegrin, les deux parties de la Physique, dont les commentateurs ont proposée depuis l'Antiquité la division entre l'une traitant de la "physique" proprement dite et l'autre du mouvement, ne sont pas si hétérogènes qu'on ne croit. En fin de compte, et indépendamment de la querelle concernant la coupure entre les deux parties, qu'elle soit entre les livres IV et V ou entre les V et VI, la première partie consacrée à des questions générales de physique sert d'introduction à la seconde traitant plus particulièrement du mouvement. Précisons avec Pellegrin : les quatre premiers livres analysent ce que l'on pourrait appeler les caractéristiques générales et les conditions de possibilité du changement, le livre V attaque à même la notion de changement en donnant une définition générale et les principales caractéristiques, et enfin les trois derniers livres développent la théorie aristotélicienne du mouvement, notamment du mouvement local, en proposant, je cite Pellegrin, "une cinématique qui aura une immense importance historique, et en rattachant tout mouvement au mouvement de l'univers produit en dernière instance par le premier moteur immobile" (p. 38).
La lecture du livre II portant sur la causalité que Bergson va entamer plus tard dans son cours de 1902-1903 au Collège de France sera une autre histoire. Ici, nous allons nous concentrer uniquement sur le livre IV et la place qu'il occupe dans l'ensemble de la Physique d'Aristote.
C'est le changement qui va traverser ainsi un champ ouvert entre la physique et le mouvement. Et les notions de lieu, de vide et de temps, telles qu'elles sont analysées tour à tour dans le livre IV, jouent ainsi un rôle de charnière. (à suivre)
Sunday, February 19, 2006
ベルクソンのアリストテレス論(1)
1)フランスの科学的心理学の祖といわれるテオデュール・リボー(Théodule Ribot, 1839-1916)の遺伝に関する1873年の博士論文(L'hérédité, étude psychologique sur ses phénomènes, ses lois, ses causes, ses conséquences.)の副論文は、
Quid David Hartley de associatione idearum senserit (1872).
2)リボーの弟子で、これまた重要なフランスの心理学者・医学者ジョルジュ・デュマ(Georges Dumas, 1866-1946)の博士論文は La Tristesse et la joie (1900) であるが、その副論文はオーギュスト・コントに関する
Quid Augustus Comte de suae aetatis psychologis senserit (1900).
3)現在忘れられがちだが重要な社会学者リュシアン・レヴィ=ブリュール(Lucien Lévy-Bruhl, 1857-1939)の主論文は L'idée de responsabilité (1884)であるが、その副論文はなんとセネカの神概念に関する
Quid de Deo Seneca senserit.
である。
ちなみに、ラテン語の動詞 sentire に関して、友人フレデリック・ケックの博論のnote 149にはこうある。
La thèse complémentaire latine de Lévy-Bruhl s'intitulait Quid de Deo Seneca senserit, qui jouait sur l'ambiguïté du verbe latin « sentire », signifiant à la fois "penser" et "sentir", pour défendre la thèse selon laquelle Sénèque a su donner des éléments pour une conception de la Providence divine réconciliant les voies de la nature et les exigences de la raison, mais sans en avoir réellement démontré les fondements. Cf. ibid., Paris, Hachette, 1884, p. 64 : "Humanior fit Deus, amicus, et semper in proximo. Providentia autem qualis sit, quoque modo se in rerum natura deprehendi sint, optimo Seneca sensit, male demonstravit." C'était déjà réfléchir aux rapports entre lois naturelles et exigences de la liberté à travers le sentiment, réflexion dont l'étude de la mentalité primitive prend le relais.
むろん、senseritを用いたタイトルはきわめてありふれたものであり、ベルクソンがこの語を用いることで言葉遊びをしているとは思えないが。)
というわけで、ベルクソンの博士号申請用副論文 Quid Aristoteles de loco senserit (1889). である。
このアリストテレス論は、最初、Les Etudes bergsoniennes, tome II, 1948, pp. 29-104.にRobert Mossé-Bastide (Rose-Marie Mossé-Bastide) に仏訳が掲載され、のちに全集第二巻ともいうべきMélanges (PUF, 1972) に収められた。
この『補巻』に寄せられたアンリ・グイエの序文によれば(以下、p. IXによる)、「この学則に縛られた業績 ce travail scolaire」をベルクソンは決して自分の仕事と認めず、この小論は博論審査用にわずかに印刷されただけで、その後は彼の著作リストに載せられることもなかったが、にもかかわらず次の二つの点で「意義深い significatif」ものである。
1)哲学的・教説的(doctrinal)・内容(contenu)的な関心:ベルクソン哲学の形成期および前期における、アリストテレスとの対話の重要性。ベルクソンは少なくとも次の年度において直接的かつかなり入念にアリストテレスに関する講義を行なっている。
1885-1886 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
1886-1887 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
1888-1889 クレルモン=フェラン大学文学部における講義
1902-1903 コレージュ・ド・フランスにおける『自然学』第2巻の注釈
1903-1904 コレージュ・ド・フランスにおける『形而上学』第11巻の注釈
このようなアリストテレスとの継続的な関わりの中で、1889年のアリストテレス論は、博士論文主論文との関連でとりわけ興味を惹くものである。なぜなら、「場所 lieu」に関するアリストテレスの諸テクストの分析の狭間から、彼自身の持続の哲学における「空間 espace」概念の位置づけが垣間見えるからである。
2)哲学史的・操作的(opératoire)・形式的な関心:ベルクソン哲学自体に興味のないものでも、ベルクソンのような大哲学者が他の大哲学者についてどのような読解を、どのような手続きを踏みつつ、提示するのか興味のあるところである。この点で、『アリストテレスにおける場所の観念』は、ベルクソンがどのように哲学史にとりくんでいたか、その所作について教えてくれるごく稀な好例である。
引用箇所の選択や、ギリシャ語の原文を採録している幾つかの長い註からは、彼の該博な知識や自分の解釈を正当化する際の繊細な配慮が、彼の他の著書よりもはるかによく見える。ベルクソンの読解は忍耐強いものである。一文一文に立ち止まり、その意味するところが究極的にはどこへ向かおうとしているのか、そこに立ち現れてくる困難はいかなるものであるのかを見定めようとする。
アリストテレス哲学の体系的な首尾一貫性を救おうとするために読むのではなく、そのような似非哲学的な配慮から離れて、そこに姿を現している問いをただひたすら鮮明な形で取り出そうと努めること、これがここでのベルクソンの目的に他ならない。(続く)
Saturday, February 18, 2006
ベルクソン、『アリストテレスの場所論』
***
『時間と自由』すなわち『意識の直接与件に関する試論』は、ベルクソンが1889年に提出した博士号取得のための主論文であり、処女著作として有名であるが、その時の副論文である『アリストテレスにおける場所の観念』は圧倒的に読まれていない。
国家博士号取得のための主論文・副論文の制度はその後も長らく続き、フーコーであれば主論文が『狂気の歴史』で副論文が『カント『人間学』の生成と構造』(未刊行)、ドゥルーズであれば主論文が『差異と反復』で副論文が『スピノザと表現の問題』といった感じで、主論文に自己の哲学的な営為の到達点を示すもの、副論文によりアカデミック("thèse d'érudition"と呼んでいる人もいるくらいである)、より哲学史的、より文献読解的なものを提示するという伝統があった。
とはいえ、ベルクソンの時代とフーコーやドゥルーズの時代の間にもすでに明確な違いがある。それは副論文はラテン語で書かれたという点である。
たとえば、ラヴェッソン(1813-1900)
の有名な『習慣について』(1838年)の副論文は、プラトンの甥でその死後アカデメイア学頭の地位を継いだスペウシッポス(Speusippe)に関する
Speusipii de primis rerum principiis placita qualia fuisse videantur ex Aristotele.
であるし、
ベルクソンが生涯にたった一度献辞を付したその宛先であるラシュリエ(1832-1918)の、これまた有名な『帰納法の基礎』(1871年)の副論文は、
De Natura syllogismi
であり(のちにRevue philosophiqueの1876年5月号に"Les conséquences immédiates et le syllogisme"という表題で掲載され、1907年にEtudes sur le syllogismeという論文集に収められたものの元になったのではないかと思われる)、
最後にブートルー(Emile Boutroux, 1845-1921)
の代表作『自然法則の偶然性について』(1874年)もまた博士論文であるが(これはラヴェッソンに捧げられている)、その副論文は、
De Veritatibus aeternis apud Cartesium.
である(本論文はその後、1927年にブランシュヴィックが序文を書き、カンギレムが仏訳して出版された。1985年の再版は現在でも原則的には入手可能である。Des Vérités éternelles chez Descartes, traduite par G. Canguilhem, Paris : J. Vrin, coll. "Vrin-reprise", 1985.)。
ちなみにきわめて細かい話だが、このとても有益なサイト - sublime, absolument sublime ! - からダウンロードできる"L'histoire de la philosophie"というのは、ブートルーの1908年の著作 Etudes d'histoire de la philosophie の巻頭に置かれた論文である。なんと著作全体がBNFでダウンロードできる。
Friday, February 17, 2006
それから
とはいえ、口からでまかせのお世辞などお手の物の南仏気質。彼らの評価と好意が本当に分かって嬉しかったのは、ゼミを終えたあと。フランスでは通常(少なくとも私の知る限り)、教官や発表者を交えたゼミ後の飲み会などそうそうあるものではないし(教官の性格やゼミの性質にもよるけれど)、実際、彼ら自身も「めったにしない」と言っていたが、「一緒に飲みに行こう」と誘ってくれたこと。みんな何となく残って一緒に喋りたそうだったので、これはよかった。
中身は結局、こんな感じ。
1.『二源泉』の概観
(1)ベルクソン哲学における『二源泉』の位置
(2)各章ごとの争点
2.『二源泉』の一読解:人格・情動・合理性
(1)人格と個人性:ベルクソンからシモンドンへ
(2)情動:ベルクソンとカントにおける「熱狂」概念
(3)新たな合理性に向けて:グランジェの『非合理』を批判する
***
さて、その後は徹夜続きの代償として病気で倒れたり、事務作業に集中したりとろくに勉強できなかったが、今後の予定としては:
1)3月3日にリールで若手ベルクソン研究者の集いがあるので、そこでの小さな発表の準備。ベルクソンとアリストテレスにおける運動と場所の話にしようと思っている。
2)5月18日にやはりリールの有名なマシュレ・ゼミで発表することになっているので、その準備。こちらは遂に本格的にベルクソンの身体概念についての博論の概要を打ち出すことになる。
これから数ヶ月が山場になる。
Tuesday, January 31, 2006
ベルクソンの人格理論
同時進行で発表用原稿も書いている。やはり書き出すと面白くてとまらなくなる。大筋は頭にあるものの、詳細は書きながら「発見」するし、ときにはまったく予想外の発展を見せることもある。こういうときに日頃「無意味な博学」と揶揄されている事柄が役に立つこともある。
どうやら一時間強喋ればもう十分といった感じであるようなので、逆に時間が足りないな、と思い始めている。各セクション20分くらい。
現在は『二源泉』を概観する第一セクションを書いている段階。大体のイメージはできつつあるが、神秘主義についてゴダール(Jean-Christopheのほうね)のものを読みきるには時間が足りないので、第三章の部分はどうするか。
今日は、グイエの論文「創造的人格」を読んだ。哲学史家の本領発揮といった論文で、ベルクソンの人格理論の発展を時代順におさえている。理論的には得るところが少ない。大変失礼ながら、グイエにしてこのレベルかと安心させられる。
『二源泉』が新たにもたらした理論的寄与として、たとえばドゥルーズは情動の理論や哲学的蓋然性を積極的にプッシュしているが、人格性に関してももう少し掘り下げられるのではないか、というのが私の発表で理論的に新しいところである。人格性に関する議論は各章に出てくるが、とりわけ第二章の出来事の「人格性の要素」はきわめて興味深い。私はカントとシモンドンを使う。
Thursday, January 26, 2006
根源の彼方に
次に引用する一節では、「記号」を主題として、それが形而上学的歴史の桎梏から抜け出すことの困難が語られている。簡単に歴史と縁が切れて、新たな思考を始められるとする立場(ここでは新たな記号学・記号論の創設)のナイーヴさに注意を喚起するという態度は、彼の哲学を一貫して貫くものである。
だが、デリダと単なる歴史重視の保守派ないし相対主義を振りかざす懐疑主義者とを隔てる一線は、次の二点において明確である。1)「閉域外のほのかな光を未だ名づけえぬままに垣間見せている断層」、すなわち一時代の閉域を超えて新たに到来しようとするものを正確に捉えようとする注意、2)歴史的相対主義(価値判断停止の恒久化)に落ち込むまいとする意識、がそれである。
以上の方法論的なレベルにおいて見られる超越論的なアプローチは、分析対象の措定の仕方にも現れている。シニフィアンを含む記号、さらにはエクリチュール全般の「外在性」が、それらの概念に存在論的に先行する、という考えがそれである。起源には起源の代補が、差延が先行する、という考えは超越論哲学の過剰なまでの徹底化に他ならない。この意味で、ヴァンサン・デコンブがデリダの思想をフッサール、とりわけハイデガーの「現象学の徹底化」と呼んでいるのは正しい。
*
≪もちろん、これらの概念を捨て去ることが問題なのではない。それらは必然的なものであって、少なくとも今日われわれは、それらなしにはもはや何事も思惟することはできない。まず問題なのは、分離しうるものだとしばしば素朴に信じられている諸概念と思惟の諸態度との一貫した、歴史的な連係を明らかにすることである。記号と神性とは、同じところで同じ時に生まれた。記号の時代は、本質的に神学的である。それは、おそらく決して終わらないであろう。しかしながら、その閉域はすでに素描されているのだ。
"Bien entendu, il ne s'agit pas de "rejeter" ces notions : elles sont nécessaires et, aujourd'hui du moins, pour nous, plus rien n'est pensable sans elles. Il s'agit d'abord de mettre en évidence la solidarité systématique et historique de concepts et de gestes de pensée qu'on croit souvent pouvoir séparer innocemment. Le signe et la divinité ont le même lieu et le même temps de naissance. L'époque du signe est essentiellement théologique. Elle ne finira peut-être jamais. Sa clôture historique est pourtant dessinée.
以上の諸概念の構成する遺産を揺り動かすために今日これらの概念が不可欠であるだけに、なおさらわれわれはそれらを放棄してはならない。閉域の内部において、斜に構えた、常に危うい運動によって、そして自身が脱構築しているものの手前に再び落ち込んでしまうという危険をたえず冒しているひとつの運動によって、危機的で危険な諸概念を慎重で綿密なひとつの言説で包囲し、それらの危機的な概念の有効性の諸条件、場、諸限界を提示して、それらが所属している機構はそれら自身によって脱構成しうるのだということを厳密に指摘せねばならず、また同時に、閉域外のほのかな光を未だ名づけえぬままに垣間見せている断層についても、指摘せねばならない。
Nous devons d'autant moins renoncer à ces concepts qu'ils nous sont indispensables pour ébranler aujourd'hui l'héritage dont ils font partie. A l'intérieur de la clôture, par un mouvement oblique et toujours périlleux, risquant sans cesse de retomber en-deçà de ce qu'il déconstruit, il faut entourer les concepts critiques d'un discours prudent et minutieux, marquer les conditions, le milieu et les limites de leur efficacité, désigner rigoureusement leur appartenance à la machine qu'ils permettent de déconstituer ; et du même coup la faille par laquelle se laisse entrevoir, encore innommable, la lueur de l'outre-clôture.
この場合、記号の概念は範例的なものである。われわれは先ほど、それが形而上学に所属していることを見た。しかしながら周知のように、一世紀ほど前から、記号という主題は、意味作用の運動を意味、真理、現前、存在などからもぎ離すのだと自称していた一つの伝統の、断末魔の苦悶である。[…]われわれが気にかけているのは、[新たな記号論の誕生の成否などではなく]記号の概念――これは(現前の)哲学の歴史の外では決して存在もせず、機能もしなかった――の中でなおも一貫して、また系譜的にこの歴史によって規定されているものである。だからこそ、脱構築の概念、またとりわけ脱構築の作業、その「スタイル」はその本性上、さまざまの誤解や誤認にさらされ続けているのである。
Le concept de signe est ici exemplaire. Nous venons de marquer son appartenance métaphysique. Nous savons pourtant que la thématique du signe est depuis près d'un siècle le travail d'agonie d'une tradition qui prétendait soustraire le sens, la vérité, la présence, l'être, etc., au mouvement de la signification. [...] Nous nous inquiétons de ce qui, dans le concept de signe -- qui n'a jamais existé ni fonctionné hors de l'histoire de la philosophie (de la présence) -- reste systématiquement et généalogiquement déterminé par cette histoire. C'est par là que le concept et surtout le travail de la déconstruction, son "style", restent par nature exposés aux malentendus et à la méconnaissance.
<意味するもの>の外面性はエクリチュール全般の外面性であって、われわれはもっと先で、エクリチュール以前には言語記号は存在しないということを示そうと思う。この外面性なしには、記号の観念そのものが崩壊してしまう。それとともにわれわれのあらゆる世界、あらゆる言語は崩壊するであろうがゆえに、またこの観念の明証性と価値とはある分岐路までは破壊不可能な堅固さを保有しているがゆえに、この観念が、ある一つの時代に所属しているからといって「他のものに移行」せねばならぬとか、また記号を、記号という用語や観念を捨て去らねばならぬとか結論することは、いささか愚かしいことであろう。われわれがここで素描している態度を適切に把握するためには、新たな仕方で「時代」、「一時代の閉域」、「歴史的系譜」という表現を理解せねばならず、まずもってこれらの表現をあらゆる相対主義から引き離さねばならない。≫ (デリダ、『根源の彼方に グラマトロジーについて』、足立和浩訳、現代思潮社、1972年、36-37頁。一部改訳。)
L'extériorité du signifiant est l'extériorité de l'écriture en général et nous tenterons de montrer plus loin qu'il n'y a pas de signe linguistique avant l'écriture. Sans cette extériorité, l'idée même de signe tombe en ruine. Comme tout notre monde et tout notre langage s'écrouleraient avec elle, comme son évidence et sa valeur gardent, à un certain point de dérivation, une indestructible solidité, il y aurait quelque niaiserie à conclure de son appartenance à une époque qu'il faille "passer à autre chose" et se débarrasser du signe, de ce terme et de cette notion. Pour percevoir convenablement le geste que nous esquissons ici, il faudra entendre d'une façon nouvelle les expressions "époque", "clôture d'une époque", "généalogie historique" ; et d'abord les soustraire à tout relativisme." (Jacques Derrida, De la grammatologie, éd. Seuil, 1967, pp. 25-26.)
Thursday, January 19, 2006
Monday, January 16, 2006
1.『二源泉』の位置(1)新たな論理の探求
卑俗な、物悲しい、救いのない話で、精神的に疲弊した。私なりの「大リーグ挑戦」を励ましてくれる方もいれば、こうしてものの見事に脚を引っ張ってくれる人もいる。安心して背中を見せていたらいきなり撃たれたという感じである。疑念を抱くということは誰しもあるものだが、その疑念を客観的に相対化し、最低限度コントロールできるかどうかは知性、すなわち学者に必要不可欠な能力の枢要である、ということだけは付言しておきたいと思う。そもそも私の精神の単純率直さが分からないとは!
これから留学される私の友人たちには、この先きっと色んなことがあるだろうけど、nervous breakdownしないよう精神的なタフさを身につけることをお奨めしておきたい。一人で、海外で、博論準備の重圧に耐えるのはそう簡単なことではない。
*
さて、リズム論文の校閲も終了し、残るは『二源泉』読解である。もう残り一カ月をきってしまった。
以下は、いずれフランス語で書かれる講演の素描である。ベルクソンの『二源泉』をまったく(あるいはほとんど)読んだことがない、しかしベルクソンについて一応の予備知識を持っているという哲学科の学生を聴衆として念頭においている。
*
あまりscolaireな形で、protocoleにのっとって皆さんを眠くさせるのは本意ではないので、一気に主題に入らせていただきます。
ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』の主題とは何か?この一見きわめて容易に見える問いが、実は、『二源泉』をめぐる問いのうちで最も難しいものの一つなのです。
はたして『二源泉』は哲学書なのか?道徳と宗教の歴史的起源を探る歴史書なのか?社会学的・人類学的著作なのか?誰がこれらの問いに完全な答えを与ええたでしょうか?
実はこの諸科学を横断しているところから来る曖昧さこそ、ベルクソン哲学の独創性をなす構成要素の一つなのです。その独創性は、ベルクソン哲学が諸科学と特殊な関係を結んでいるところに由来します。その関係とは一言で言えば、それら諸科学の絶えざる再鋳造の試みとでも言えるでしょうか?
実際、『試論』とは何でしょうか?人間の意識を抽象化して取り出すことに反対し、生のままの具体的な意識を持続の中に見出すことを主眼とする著作だと考えられています。しかし、実際には、人間の意識を粗雑な抽象化によってその本質を毀損することなしには捉えられなかった当時の実験心理学(精神物理学)に対する批判であり、持続概念を用いることによって、意識をより正確に、より繊細に把捉しようとする新たな論理を提出しようとした著作ではなかったでしょうか?
『物質と記憶』とは、記憶を大脳の物理化学的機能によって説明しようとするいわゆる局在化理論に反対し、記憶の真の精神的性質を見出すことを主眼とする著作だと考えられています。しかし、実際には、記憶を粗雑な一対一対応によってその本質を毀損することなしには捉えられなかった当時の大脳生理学に対する批判であり、記憶概念の洗練(運動記憶と想起記憶の区別)によって、心身問題をより正確に把握しようとする新たな論理を提出しようとした著作ではなかったでしょうか?
『創造的進化』についても同じことが言えます。生命進化の過程をすでに進化し終えたものの総体から説明しようとする従来の進化論に反対し、ありのままの生命の流れの原理を「エラン・ヴィタル」の中に
見出すことを主眼とする著作だと考えられています。しかし、実際には、生命進化を粗雑な網の目にかけることでその本質自体を毀損することなしには捉えられなかった当時の進化論に対する批判であり、新たな生命進化の概念である「エラン・ヴィタル」を用いることによって、生命進化の問題をより正確に把握するための新たな論理を提出しようとした著作ではなかったでしょうか?
要するに、ベルクソンとは、合理的説明に非合理的現実をつきつけることで対抗しようとした非合理的・神秘的な哲学者ではなく、粗い網の目しか持たない不十分な合理性に対して、より繊細な網の目をもった計測装置、概念装置の必要性を説く哲学者、したがって当時の合理性の観点からすれば非合理と捉えられるとしても、単に新たな、より広く、より柔軟な合理性を探し求めた哲学者であったということができます。
むろん、すぐに付け加えておかねばなりませんが、彼の試みが成功したかどうかというのはまた別の話です。もし我々がベルクソンは上記の諸分野において新たな「科学」を確立したと言えば、それは言い過ぎということになるでしょう。
しかし少なくとも、彼は新たな「論理」を提出しようとしたということはできるし、またそこにこそ彼の哲学探究の真価を見て取らねばならない。では、ベルクソンの四大著作のうち、前三作の探求した論理が以上にごく簡単に素描したようなものであったとして、最後の大著『二源泉』の探し求めた論理とは、いったいどのようなものであったのでしょうか?(続く)
Monday, January 09, 2006
plan G (続)
友人の招待ですが、とても嬉しく思っています。今後の日本人若手研究者のこともあるから、あまり恥ずかしい事はできないな、とも。気を引き締めてかからねば。日本人研究者もハイテク機械で高名な哲学者の録音ばかりしているわけではなく、なかなかやるじゃないか、と言われるように。
二時間半くらい話せ、ということなので、もちろんきちんと原稿を用意していくつもりです。日本ではどうか分かりませんが、少なくともフランスの哲学分野においては、セミネールで(もちろん学生向けのセミネールではなく、研究者間のセミネールで、ということだが)一つ発表をせよという招待を受けた場合、多かれ少なかれ完成した読み原稿を用意してきているように思います。
しかし、参加者の中には、DEAの学生もおり、『二源泉』が課題として挙げられているということなので、講演の組み立ては以下のようにしようと考えています。
1.ベルクソン哲学における『二源泉』の位置(DEA学生向け)
2.ベルクソン哲学(とりわけ『二源泉』)における身体論の重要性(ベルクソン研究者向け)
3.ベルクソン哲学(とりわけ『二源泉』)における合理性・功利性の取り扱い(社会学者・経済学者向け)
それぞれA4で十二三枚ずつくらい書いていけば、二時間半ということになるでしょう。というわけで、以後しばらくベルクソンの話ばかりになります。
Friday, January 06, 2006
Caute !
これら一連の作業およびそれにまつわることどもを通じて痛感したのは、「慎重に」という姿勢の重要性であった。一つだけさして支障のないものを例として取り上げてみる。
先に言及したエッセイとは、昨年、リールのとある独立系書店の25周年を祝って(2005年5月31日のpostを参照のこと)刊行された小著Ici, là-bas, etc...(ブログを参照のこと)のために執筆したBright future? Quelques réflexions sur les "sans-papiers" à venirのことである。ここで言う「サン・パピエ」とはいわゆる滞在許可証を持たない不法滞在者のことではなく、文字通り「紙なし」の電子空間の到来が決定的な影響をもたらす独立系書店とその未来のことである。
改稿にあたっては、再三再四「中立性」を要望された。もともとが独立系書店の可能性を探るという展望のもとに書かれている以上、当然予想されることだが、改稿は困難であった。そもそもその手の「中立性」など信じてはいないということもあったが。しかし、中立的(毒にも薬にもならない)でない効果をもたらすためにはまさに中立的でなければならない、ということも教えられた。
また、ある種の思想的党派性がなくもない雑誌なので、引用する哲学者の名前一つでリジェクトされる可能性もあると言い含められた。その結果、重要なレフェランスも落とさざるを得なかった。むろん分かる人には分かる目配せはしてある。
かなりタイトなスケジュールで辛かったが、私にとっては実に貴重な体験だった。
*
「初夢」などという過激な小文を正月早々ものしておきながら「慎重に」もないものだと嗤われるかもしれないが、慎重さはすでにスタイルの中にわずかながら努力として顔をのぞかせている。
ホワイトヘッドは、
諸事物の本性のうちにある深みを探索する努力は、どんなに浅薄で脆弱で不完全なものであるか。哲学の議論においては、陳述の究極性に関して、独断的に確実だと単にほのめかすだけでも愚かさの証拠である。
Combien sont superficiels, insignifiants et imparfaits les efforts pour sonder la profondeur des choses. Dans la discussion philosophique, c'est folie que de laisser entendre paraître la moindre certitude quant au caractère définitif de toute affirmation.
と言っている(『過程と実在』、序文)。また、彼は合理主義の口を借りて、
哲学における主な誤りとは、誇張である。
L'erreur primordiale en philosophie est l'exagération.
とも言っている(『過程と実在』第一部・第一章・第三節)。年初にあたって肝に銘じておきたい。
Saturday, December 31, 2005
優しいFWは生き残れない(哲学においても)
ところで前回のようなことをしょっちゅう書いていると、私は傲慢で叩かれたことがないかのように思われるかもしれない。しかし、かなり厳しい目にあっていることも事実である。未だに「こんな程度のフランス語のレベルじゃ出版できる状態じゃないね」と厳しいフランス人の友人に言われたりすると、かなりめげる。そりゃお前はいいよな、と思う。正直腹も立つ。けれど、こればかりは仕方がない。相手の土俵で、相手の流儀で戦っているのだ。手加減してもらって、勝ったことにしてもらって、最後に「よく頑張ったね」などと言われたいためにフランスに来ているわけではない以上、言い訳はできない。
*
友人の間では周知のことだが、私がスポーツネタを話題にする場合には、ほぼ必ずや学問研究の比喩としてである。したがって、以下に書くことは直接サッカーに関することではない。サッカーファンの方々に無駄な時間を使っていただきたくないので、あらかじめお断りしておく。
*
私は「スポーツナビ」の欧州各地のサッカーコラムの愛読者である。これらの記事はすべてフリーランスのライターによって書かれており、もちろん新聞記者の書くものより断然面白い。書くときの緊張感が違うし(彼らは面白いものを書かなければそれまでなのだ)、欧州についての文化的理解の深さも違えば、そもそも欧州サッカーという以前に、サッカーについての理解の深さが違う。
ホンマヨシカさんの「セリエA・未来派宣言」も私が愛読しているコラムの一つである。今日は、2005年12月28日付の記事「優しいFWは生き残れない」を読んで印象に残ったので、ご一読をお勧めしておく。ここではとりわけ印象に残った部分だけを引用させていただく。
いつものようにほほ笑みを浮かべながら質問に答えていた柳沢からは、試合に出場できない悔しさは伝わってこなかった。インタビューが終わった後、日本人ジャーナリストの輪の中に知り合いのジャーナリストを見つけたので、「柳沢から悔しさが感じられないね」と聞くと、「いや、やはりインタビューをしたくなかったようで、そのまま立ち止まらずに行こうとしましたよ」とのことだった。だがそれでも僕が「でも、悔しさが全然感じられないよ」と続けると、面識のないジャーナリストの1人が、「悔しくても、彼はそれを外に出さないタイプだから」と答えてその場を去った。僕にしても柳沢が悔しい思いをしているだろうと重々承知しているのだが、問題は彼がその悔しさを外に表わさない(表わせない)ことだ。 インタビューを受けたくなかったのなら、待ち受けている日本人記者たちには失礼だが、無視して通り過ぎるか、「何も言うことがありません」と立ち去るぐらいの悔しさを表わす行動を見せてほしかった。
この一文を読んで感じることは二つ。
1)一つは「悔しくても、彼はそれを外に出さないタイプだから」と答えてその場を去ったジャーナリスト氏は、質問の真意をなんら理解していない、典型的な日本人ジャーナリストである可能性があるということ。欧州に何年住んでいても、いつまで経っても悪い意味で日本人のままという人がいる。柳沢が周囲に嫌な気分を味わわせまいと悔しい思いをじっと押し殺しているだろうことは百も承知のうえで、彼がイタリアで活躍するために必要な感情表現上の工夫とは何なのかを問うているのだ。日本人が日本人スタイルで仕事をしていて受け入れられる土壌(たとえば寿司屋などの日本料理店ないし海外進出した日本の大企業)で仕事をしている人はよい。また、自分のスタイルや信条を投げ打ってまで成功などしたくないという人も勝手にすればよい。だが、そうでない場合には、時には自分の性格も信条も投げ打ってでも、相手の要求に応えてみせる用意が必要だ。「自分のスタイル」を云々するのはその後でいい。ちなみに、ホンマさんは
今年の初めだったか、スペインリーグのコラムを書いておられる木村氏が、大久保の日本人には珍しいアグレッシブな姿勢を評価されていたのを読み、セリエAでもそれくらいの姿勢(特にFWというポジションでやっていくには)が必要だと、僕は至極納得した。
とも書いておられ、木村さんの当該記事ではないが、大久保に関するKosuke Itoさんの記事(や別の記事の抜粋)を賛意とともに引用させていただいた私としては、意を強くした次第である。
2)二つ目は、この点(悔しさをストレートに表に出すこと)をそのまま哲学研究に応用することは、もちろん(笑)、できないということ。哲学というのは、悪く言えば、鼻持ちならないお高くとまった分野である。日本はいざ知らず、とりわけ欧州では、未だに良家の子女が「修身」として学ぶ学問である。実際、私の知り合いにも、貴族の末裔のような人々がいくらでもいる。この点、私たち哲学研究者の要求される技術は、サッカーにおける上記のような闘争心むき出しのガッツの見せ方とは、100%逆でなければならない。つまり、インテリジェンスとユーモアを兼ね備え、スマートでエレガントでなければならない。
(むろん、両者の差異を相対化することは幾らでもできるが、本質的な差異が残ることに変わりはない。)
このことはサッカーを低く見ることも、哲学を高く見ることも意味していない。哲学に対して皮肉を込めて言っているのでもない。フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングにおいて、何よりもまず優美さが要求されるからといって、彼らにガッツが求められないわけでないのと同じである。ただ、ガッツをまったく別の形で表現しなければ、そのガッツ自体が無意味になってしまう領域・分野というものが存在するのである。
ただ、哲学研究とフィギュアやシンクロの違い、そして哲学とサッカーの共通点の一つは、それが多民族間の「チームスポーツ」だということである。この点はきわめて重要なので、項を改めて書くことにして、ここで言いたかったことを最後に一言でまとめておくとこうなるだろうか。
私たちは競技場に「心優しいFW」を見に来ているのではない。「点取り屋」を見に来ているのである。哲学においても事は同じである。
Thursday, December 29, 2005
自己点検(仏語添削について)
しかし、誰のためのblogなのか、何のためのblogなのか、ということをさらに考えた場合、結局のところ、上に挙げた二つの態度は必ずしも両立しえないものではないのかもしれない、という思いを強めている。自分の活動状況についてより詳しく書くことは、私が思っていた以上に、他人の役にも立つものなのかもしれない。したがって日々の活動報告のようなものを少し増やしていこうと思う。
*
昨日、身体論文の仏訳およびレジュメを終えた(いずれ正式に公刊されることになったら、要約も公開しよう)。とりかかったのが21日だったから、6日で終えたことになる。この間、二度フランス人の友人にチェックしてもらい、議論している。こういう慌しい時期に快くチェックを引き受けてくれたlpに感謝したい。昨日は、論文抜きで、ご飯(pissaladière, tarte à l'oignon du Sud de la France)をご馳走になったので、そのことにも感謝したい(笑)。
今日からリズム論文の仏訳に取り掛かる。こちらはすでに以前始めていたので、できれば年末までに終えたい。そして別の友人edに送る。
仏文の添削というのは――断るまでもないと思うが、以下は私の体験に基づく主観的な体験談ないし内省の結果であって、必ずしも一般性・普遍性をもつものではない――、よほどの仏語の達人でもない限り、ほぼ誰しもやってもらっていることと思うが、複数の依頼相手がいたほうがいい。もちろん渡仏しても最初のうちはそれほど多くの友人がいるわけでもなく、また相手のレベルを選べるわけでもないが、いずれそうなることが望ましい。添削相手によって、出来上がりは一変する。しかし、そのためには自分のフランス語の質を常時brush upしていくことが大切である。逆の状況を考えてみればいいので、日本語初心者が書いた、間違いだらけの論文を直すときと、日本語上級者が書いた論文を直すときとで、同じ原則をもって接しているわけはない。
ちなみに、私はお金を払って添削してもらったことは一度もない。友人に頼んで、あとで一杯おごったり、ご飯をおごったりする程度である。だからプロフェッショナルな添削の良し悪しについてコメントすることはできない。私の場合、直す側は基本的に親切心ないし友情でやってくれているので、添削のやる気は1)こちらの書くものの質と2)相手の忙しさによって決まる。
1)彼らは哲学者であり、面白いものを読まされれば、基本的に知的興奮を覚える人々である。したがってこちらが一定水準に達しているものを書けば、添削にも自然と身が入る。そのためには基本的なところでミスを繰り返してはいけない。サッカーと同じである。名コーチに指導してもらいたければ、あるいは能力ある同僚と共同自主トレをやりたければ、「自分はこの人のトレーニングのために時間を割いてあげてもいい」と思ってもらえるレベルに達していることが必要である。
2)しかし、いくらこちらが努力していい物を書き、相手が興味を持ってくれようとしても、相手が忙しければ駄目である。そして当たり前のことだが、能力のある人ほど忙しい。自分の言いたいことに自分が思いもつかなかった言い回しや面白いコメントをくれることがあるのも、そういう人々である。しかし、彼らには時間の制限がある。こちらも相手のことをリスペクトしているので、もともと長々と意味なく引き止めたりはしないが、そうはいっても相手も忙しく、必ずしもこちらの意図に沿ってくれるとは限らない。そういう場合、友情に満ちていながらも、知的緊張感をもった関係を複数保持しておくことが肝要である。でないと、緊急にヘルプが必要な場合に、お手上げということになる。
添削を頼める友人を複数持っておくことはまた、自分の書く物の分野によって、添削を頼む適任者を選べるという利点を生む。経済的な内容ならslだなとか、少しエピステモ系ならplだなとか、リズムなどの変わった主題ならedだなとか、フランス語を重視したいのでkgだなとか。
そのためには普段の自然な会話がすでに一定程度のレベルを備えていなければならない。フランス語がひどかったり、哲学の知識がなかったりすれば、能力のある誰が助けてくれようか。人が親切心で動いてくれる場合には限りがある。プラスアルファを引き出すのは自分の責任である。つまり結局のところ、普段の努力、不断の努力でほとんどのところは決まっている。「365歩のマーチ」とはそういうことである。
以上のことは自分に自戒をこめて言う。
Saturday, December 24, 2005
365歩のマーチ(Gebrauch der Füße)
"Il en est ainsi de tous les essais encore rudimentaires, dans lesquels la partie principale du travail dépend de l'usage de la raison, qui ne s'acquiert pas de lui-même, comme celui des pieds, par un exercice fréquent" (Kant, Critique de la raison pratique, Conclusion).
「研究の仕事の最も重要な部分が、理性の使用にかかわる試みであっても、もしその試みが粗笨であれば、結果はいずれもこのようなものになるのである。理性の使用は、足の使用と異なり、ただ反復使用したところで、おのずからその使用法が手に入るわけではない。」(カント、『実践理性批判』、結び)
Friday, December 09, 2005
知の末路
国賠訴訟の控訴審判決(今年9月)で仙台高裁は、大学から寮自治会への「人格権」侵害を認め、国側に賠償を命じた。この判決に原告側は「組織としての大学の違法性を免罪する不当判決」として上告。原告団は最高裁勝訴へ向け、全国行脚を続ける(詳細は、URL http://dorouso.hp.infoseek.co.jp/)。
廃寮の背景には独立行政法人化の流れがあった。全国で2番目に小さな国立大学(学生8323人)である山大は生き残りをかけて、文科省通達を強行した。「貧乏人は大学に来るなという圧力は全国で目に見えて深刻化」している。信州大学では今年、休学者の1人に「学内への立入を一切禁止する」との通告が出された。
これ以上愚かなことを続けるつもりなのだろうか。生き残りをかけて死に物狂いの大学のことだけを言っているのではない。国公立大学をそういう状況に追いやることで、日本の知の状況を決定的な壊滅状態に追い込んでおいて、「民営化=合理化」で得をしたつもりでいる日本国民のことを言っているのである。
ほとんどフリーター(派遣社員でもよい)状態でカップメンをすすりながら巨大掲示板に延々と愚劣な極右的言辞を書き込み続ける者、嬉々として小泉政権を支持し続ける薄給のサラリーマン…。自分の政治的行動――何度でも言うが、ノンポリも一つの政治的行動である。自分はノンポリだからなどと悠長に構えているつもりの者は、完全に勘違いをしている。レイプの現場に居合わせながらNoの声をあげない者はYesと言っているのと同じである。――の論理的帰結を考え抜くことのできない者が大半を占めたとき、ファシズムは到来する。
左翼的言説か否かなどどうでもよい。まずは『週間金曜日』の編集長コラム「「下流」の敵は、格差社会実現をもくろむ米国かぶれの為政者にあり」を読んでいただきたい。大筋には賛同できる。
Saturday, December 03, 2005
京大図書館BNC移転問題について
現在、京都大学附属図書館BNC(バックナンバーセンター)の桂キャンパス移転計画が持ち上がっており、それに対する反対運動が組織されている。署名頁はこちら。
大したことではない、どうでもいいじゃないか、必要部分だけ頼んでコピーしてもらえばいいじゃないか、と言う方もいるかもしれない。だが、こういう考え方は、研究活動の創造的な部分の実態をきわめて矮小化して捉えていると言わざるをえない。
学者にとって(少なくとも人文系の学者にとって)、雑誌のバックナンバーを手にとって眺められるということには測り知れない価値がある。研究者であれば、大なり小なり思いがけない発見をしたという経験があるはずだ。
自分の大学ではないから関係ない、という方もいるかもしれない。だが、えてして話はこういう「大したことではない」ところから、「自分と関係ない」と思っていたところから始まるのだ。
ディティールにしか真実は宿らず、実践にしか真実は宿らない。
Friday, December 02, 2005
plan G
正直言って、嬉しい気持ちと不安の両方があります。一方では、もちろん嬉しいに決まっています。友人と言えども、まったく話のできない奴と思われていれば、誘ってくれるはずはないからです。したがってフランス人研究者に伍して対等に扱ってもらえている、という点ではとても喜んでいます。
しかし他方で、不安要素には事欠きません。
たしかに、コロックや研究会(Journée d'étude)など発表者が複数いる場合、あるいは一人で話す場合でも、知り合いのたくさんいるゼミなどで発表するなどの経験は私にもあります。しかし、知り合いがほとんどいないところに乗り込んで行って、私が唯一の「ゲスト」として一人で延々としゃべり、質疑応答に答えねばならないという状況ははじめてです。
しかも発表・質疑応答(もちろん仏語)含めて2時間半!これは未だ博論も仕上げていないような若造にはかなり荷が重い。これまでに呼ばれた講演者のリストを見ていると、はっきり言って場違い、お門違いもいいところ、という感じです(笑)。
また、「哲学と経済学」を主題とするゼミに呼んでくれているので、「ベルクソンにおける経済学の扱い」といった感じのテーマで話すことになっているのですが、これまた門外漢もいいところ。これも気を重くしている大きな要因です。
しかし、そろそろ次のステージにチャレンジするいい機会です。与えられた機会を確実にものにして、次のチャンスにつなげていきたいと思っています。
こういう私的なことを書くことには正直躊躇いがないわけではありません。しかし、私の友人たち、とりわけ私より若い友人たちの参考になればと願っています。
そろそろお客さん的、物見遊山留学生的な立場を脱却しなければなりません。
Thursday, November 24, 2005
日本は文化国家ではない?
国家は費用を出さない、その代わり地方の都合で六・三制さえ五・四制に変えていいなんて、事実上、国家が公教育を放棄したに等しい。教育の自由化・地方分権化を進めるっていうと聞こえはいいけど、実際には、子どもを塾にやる余裕のある人とない人、都市と地方の格差が開く一方だよ。
公教育の理念さえ放棄しようとする国家をもはや文化国家と呼ぶことはできないだろう。教育さえいささかの躊躇いもなく自由化・地方分権化の名の下に――しかしながら実際にはネオリベ的「民営化」の一環にすぎない――叩き売りに付してしまえる国家は、単なる資本主義国家と呼ばざるを得ないのではないか?
義務教育費負担金移譲 高校経費8400億円で代替 地方は反発
自民党の文教制度調査会と文部科学部会は十八日、三位一体改革で焦点となっている義務教育費国庫負担金八千五百億円の削減に対する代替案として、地方交付税で賄っている公立高校の関連経費八千四百億円を地方へ「税源移譲」する案を党執行部に提示した。与党案として検討した上で首相官邸と交渉するよう求めているが、地方六団体や総務省は「改革の趣旨から外れた内容で論外」と猛反発している。
代替案によると、教職員給与費など公立高校の運営関連費は全国で約二兆千億円(二〇〇四年度分)。このうち、地方交付税分は約八千四百億円で、残りは地方税で賄っている。この八千四百億円を地方税へ振り替えることで「地方交付税への依存度が低くなり、地方財政の自立が図られる」としている。
河村建夫調査会長は記者団に対し「交付税が抑制される中で教育費削減の懸念も出ている。まずそちら(高校分)を移譲し、きちっと自主財源で行うべきではないか」と語った。
これに対し、総務省は「『税源移譲は補助金負担金から』という骨太の方針に反する」と批判。全国知事会も「地方交付税は地方の固有財源で、いわば一般財源。まさに形だけの移譲案だ」と切り捨てた上で「もし地方税に振り替えた場合、財政難の自治体は高校教育費を捻出(ねんしゅつ)できない恐れも出てくる」と反論した。
同負担金は昨年の政府・与党合意で税源移譲の対象となった二兆四千億円の中に含まれているが、削減は暫定扱い。地方六団体は一般財源化を求めているが、文科省や中教審は負担金制度維持を主張。同調査会と同部会も制度堅持の緊急決議をしている。(西日本新聞) - 11月19日2時18分更新
また、もう少し一般的にいうと、この意見にはまったく同感である。
小泉みたいなやつが暴走すると、ある種、国権派と真の民権派が最低限綱領では一致しちゃうわけだ。たとえば、教育は国家の義務だというのは、森喜朗や石原慎太郎が言うとおりだし、公共事業の無駄をなくしつつ、しかし、地方でも安心して暮らせるインフラをつくるのが国家の義務だというのは、亀井静香の言うとおりであって、その点では一致せざるをえない。
Monday, November 21, 2005
アメとムチ?
優秀な学生はお望みの学部へ――。東京大(小宮山宏学長)は1~2年の学部前期課程から後期課程に進む際、成績優秀者には、入学したすべての科類から、すべての学部に進学する可能性がある「全科類」枠を06年度の新入生から導入する。一方、導入後、例えば文科1類から従来は全員が法学部に進めたが、成績次第では必ずしも「全入」とはいかない場合も出る。日本を代表する大学がアメとムチで学業のレベルアップを促す異例の取り組みと言え、大学改革がどこまで進むのか注目される。
同大では、入学1年半後に学生の志望と成績によって、後期課程の学部・学科などを決める進学振り分け制度を実施している。従来は文科1類から法学部、文科2類から経済学部、理科3類から医学部医学科には前期課程を終えた全員が自動的に進学できた。
同大が15日発表した06年度入学者募集要項によると、新制度では成績による振り分けを行う。主に成績優秀者の選択肢を増やすため、教養学部後期を除く全学部に「全科類」枠を設け、文系から理系、理系から文系を含め、より自由な進路変更を認める。
例えば、法学部は受け入れ予定数415人のうち、文科1類からは395人(入学定員415人)に絞り、14人を「全科類」枠に割り振る。理科全類を対象とした6人の枠も加えると、文科1類の20人が予定数からあふれる形だ。
全科類枠は学部によって差があり、法、工、医各学部は予定数の1割を下回る一方、最大は4割を超す教育学部までさまざま。同大は「安易な進路変更を奨励するものではない。強い動機と優秀な成績があり、場合によっては進学先の『要求科目』の履修をこなす、かなりハードな努力をすれば、変更も不可能ではなくなるのが趣旨」とくぎも刺している。【長尾真輔】(毎日新聞) - 11月16日9時35分更新
Thursday, November 17, 2005
情動の科学哲学(épistémologie des affects)
ダーウィンの古典的な情動研究から、情動をコントロールする(エクスタシー、 MDMAなど)現代のメディカル・テクノロジーまで、カンギレム=フーコーのエピステモロジーを「情動」という現象に適用しようということであろう。
興味のある方は、彼のサイトをご覧ください。
Tuesday, November 15, 2005
nemo repente turpissimus
上の世代が戦わなかったツケは、下の世代に押し付けられる。その結果、我々は同時に複数の戦線で戦わざるをえない。上は「生意気な」と言うか、「やるならやれば」と言うだけである。周りは無知な呑気さを振りまいているか、勇気を出せずに怯えているかである。少しずつでも「連帯」できる友人の輪を広げていくほかない。
はじめに(2005年2月10日)
New Deal (2005年4月10日)
「連帯」と「世間」(2005年2月12日)
意志的隷従と怠ける権利(2003年8月2日)
「おフランス」と「ここがダメだよ日本人」(2005年2月22日)
哲学の教育、教育の哲学(1)数の問題(2005年2月21日)
哲学の教育、教育の哲学(2)エリート教育の問題(2005年5月9日)
哲学のアグレガシオン、アグレガシオンの哲学(序論断片)(2004年10月11日)
アグレグ(2004年9月28日)
両面作戦(哲学の地政学)(2004年11月1日)
スシボンバーの憂鬱(2004年10月20日)
デーゲーム(2005年5月19日)
「国立大は安い」今は昔? 入学料では私大と逆転
国立大で入学料や授業料の値上げが続いた結果、入学料では国立大の方が私立大より高い“逆転現象”が起きている。充実した施設とともに、国立大の売りだった「安さ」。各大学は「これ以上学生の負担を増やすことがないように」と、国の予算編成を前にさらなる値上げを警戒している。
長崎市で7日、開かれた国立大学協会(国大協)の総会。会長の相沢益男東京工業大学長は「入学料の値上げは断固反対だ」と発言した。今春に授業料の基準となる「標準額」が1万5000円引き上げられたため、「次は入学料」という警戒感を国大協として表した。(共同通信) - 11月14日11時37分更新
cf. 大学は出たけれど2005(2005年5月7日)
授業料減免 全学年一斉に厳格化 大阪府立高 公平性など重視
大阪府教委は十一日までに、来年度から適用基準を厳しくする府立高校の授業料減免制度について、全学年一斉に適用する方針を固めた。九月議会では新入生から段階的に実施する方向で検討していることを明らかにしていたが、公平性の観点や、財政難から早期に全面適用を求める声などもあり、一斉適用を採用することにした。今年度に減免を受けている生徒については、経過措置として新基準で除外されても現行基準(旧基準)で再審査する。
府立高校の年間授業料は全国一高い十四万四千円。平成十六年度で全国トップの24・4%、ほぼ四人に一人が減免を受けている。新制度では両親と子供二人のモデルケースで、これまでは総収入四百三十六万円以下だった全額免除の基準を二百八十八万円以下まで引き下げる。
減免の基準になる収入は、これまで源泉徴収票や確定申告書の控えなどで判断してきたが、不動産などの副収入や複数の収入先がある場合などは把握が難しいため、新制度では住民税の課税証明書をもとに正確な収入を算定する。
運用について府教委は、九月議会で「在校生は現行の減免制度を利用することを前提に府立高校に進学したという事情もある」と答弁。新基準の適用は新一年生からとし、二、三年生については旧基準を適用する方向で検討してきたが、公平性などを欠くことから見直すことにした。
ただし、今年度に減免適用を受け、新制度では除外対象になる生徒については、経過措置として旧基準で再審査を行い判定する。
この場合の適用期限は修業年限プラス一年で、全日制などは平成二十年度、定時制や通信制などは二十一年度、高専は二十二年度まで運用される。
府教委は新基準での正確な収入状況を把握できる書類を基に、これまでの適用者に制度見直しに伴うしわよせが大きくならないように努めるとともに、「収入が多いのに減免を受けているケースがある」といった批判も解消したい考えだ。(産経新聞) - 11月11日15時12分更新
Sunday, November 06, 2005
Invasions barbares
哲学が、あるいは一般的に言って学問が、真理を目指し、普遍性を目指す営為であるなら、それにより見合った手段でなされるべきである。現在、自然科学の分野で英語がスタンダードと化したのは、――愚かなファシストが言うように、英語が「数を数えるのに適している」からでないことは言うまでもない――、世界の歴史的・政治的・経済的な動向がもたらした必然的帰結である。
哲学では、現在、英・独・仏の三ヶ国語が他にぬきんでて、特権的な地位を占めている。もし私たち日本の哲学者が世界の哲学の動向に積極的にコミットしたいと思えば――それ以外に真理や普遍性の探究に参与する方法があるというなら、禅でも日本語でも「日本固有」のものを持ち出せばよい――、好むと好まざるとにかかわらず、これらの言語で読み、書き、話していかなければならない。
この厳然たる事実の哲学的な意味を理解している日本の哲学者はどれくらいいるのだろうか。逆に言えば、日本語でしか思考できないことを思考し、書けないものを書いている哲学者がどれくらいいるのだろうか。そうでなければ、普遍性の探求であり、世界に開かれてあるべきはずの哲学研究を、なぜ日本語という普遍性に開かれているとは言いがたい言語で書くのか(私はもちろんここで各言語の質的優劣を論じているのではない)。
≪ある個人が言語共同体の外にいるとき、その人は社会的な共同体一般からも脱落してしまうことになるのです。なじみのない言葉を話す人はそのままよそ者、すなわち、内的な人間的-道徳的な絆が成り立たない「野蛮人」と思われてしまうのです。
たとえその人が高度の精神文化を身につけていても、今所属している共同体の内部で言語的に理解されないならば、その人はすぐさま「野蛮人」になってしまうのです。オヴィディウスがTristia ex Pontoで、「この地では、わたしは野蛮人だ。というのは、何も分かってもらえないのだから」と述べているとおりなのです。
言語を越えた共同体という思想、すなわち特定の言語の使用により作り出され、まとめあげられるのではないhumanitasという思想が獲得されるまでには、きわめて大きな努力が費やされ、きわめて大きな精神的-道徳的な苦労が必要であったことを、人類の歴史は教えてくれます。
たしかに、この「人間性」という理念は言語を越え出ています。しかし観点を変えれば、言語はこの理念への不可欠の通過点であり、この理念に至るためにぜひとも必要な段階だということになるのです。≫
(カッシーラー、「言語と対象世界の構築」)
Saturday, November 05, 2005
Ce qui nous manque
(Des tours de Babelではハイカルチャーテレビ局の話をした。どうもこういう話ばかりしていると、自分が鼻持ちならない教養主義者のような気がしてくるのだが、しかし教養総崩れの現在の日本を見ていると、やはりどうしてもこのような「反動」的な姿勢をとらざるを得ない。私が教養主義者なのではなく、現在の日本の知識人の平均があまりにも教養を軽視しすぎるのである。)
毎週金曜日の午前9時からは、CIPのFrançois Noudelmannらが監修する"Les Vendredis de la philosophie"という番組がある。今日は、ベルクソンについて、フレデリック・ヴォルムスが50分ほど話した。先週はドゥルーズについて新しい世代(我々の世代まで含めて)が話していた。放送はネット上で一週間だけ聴くことができる(一週間経つと消えてしまうので注意!)ので、興味のある方はどうぞ。
日本では、いかに文化的な放送局であっても、純粋に哲学的な議論のためだけに毎週金曜日の午前9時という時間帯を開放してくれるところがあるだろうか。古くはデモクリトスやエピクテトスから、エックハルトやジョルダーノ・ブルーノを経て、ナンシーやランシエールに至るまで、毎週専門家を呼んで、小一時間しゃべってもらえるところが?
もちろん、こういったことは一方で、国家の文化政策(文化省)のバックアップが欠かせないし、他方で、哲学の新刊書を出す際に宣伝を打ちたいと考えている学術系出版社との協力が欠かせない。フランスの大学界がさまざまな問題を抱えているとしても、こういう側面では日本よりはるかに進んでいる、と言わざるをえない。
すると、こんな答えが返ってくる。フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだ、と。そんなことなら何十年も前から分かっているのだ、と。なるほど。
では、少なくとも、羨むところから始めよう。この放送を聴いて、我々(個人としての我々、制度としての我々、文化国家としての我々)に欠けているものが何かを正確に把握するところから。少なくとも。
しかし、それすらも難しいのだ。なぜならネオリベ的な大学改革に反対している私の友人たちですら、1)フランスにおける哲学の特殊な位置づけに話を還元して事を片付けるか、2)こちらも「現実主義」で対抗すべきなので、古典教育だとか教養主義だとか悠長なことは言っていられない、と考えているようだからである。しかし、果たしてそうだろうか。
Monday, October 31, 2005
Sho SAITO
Ses articles écrits en allemand:- "A. F. Bernhardi und W. v. Humboldt. Eine negative Auswirkung der allgemeinen Grammatik", in Neue Beiträge zur Germanistik (Japanische Gesellschaft für Germanistik), Bd. 3/5, 2004, pp. 75-91.
- "Zur Analytik des Sprachphänomens", in T. Ogawa, G. Rappe, M. Lazarin (eds.), Interkulturelle Philosophie und Phänomenologie in Japan. Beiträge zum Gespräch über Grenzen hinweg, Iudicium Verlag (München), 1998, pp.85-106.
- "Der "Menschliche Ursprung" der Sprache und die "Leibniz-Aesthetische Hülle" bei J. G. Herder", in Herder-Studien (Herder-Gesellschaft Japan), Bd.2, 1996, pp. 30-46.
Pour en savoir plus, voir son site: Sho Saito Webseite
Kiyonobu Date
まず、pense-bêteにも名前を連ねていただいている、伊達(手戸)聖伸さん。フランスにおける宗教問題、いわゆるライシテ(脱宗教化・非宗教化・政教分離)問題、特に第三共和政下におけるライックな道徳の専門家である。彼の研究生活および奥様との仲睦まじい日常生活を綴った「kiyonobumie」。ご一読をお勧めします。
Kiyonobu DATE
Ancien étudiant à l'Université de Tokyo. En tant que doctrant à l'Université Lille III, prépare une thèse sur La Morale laïque sous le régime de Troisième République. Dans la Laïcité 1905-2005, Entre passion et raison (Seuil, 2004), Jean Baubérot mentionne son mémoire de DEA sur "La Morale laïque scolaire à travers le cas du département du Nord" (2003).Pour en savoir plus, voir son Blog (en japonais) :
Kiyonobumie.
Sunday, October 30, 2005
近況
2005年9月10日(土)日仏哲学会にて「ベルクソンの身体概念-フランス唯心論の再検討」と題する発表を日本語で行なう。
2005年10月15日(土)日本フランス文学会にて「ベルクソン哲学におけるrythmeとmesureの問題」と題する発表を日本語で行なう。
現在抱えている作業は次のとおり。
・カッシーラーのある論文を仏訳したので、それに付す解説を仏語で執筆中(11月上旬)。
・上記二つの発表を仏語論文として執筆(11月下旬~12月下旬)。
・もう一つ翻訳作業にタッチしているが、正直あまり気乗りがしない。
・来年1月に友人の古代・中世哲学講義での「ベルクソンとアリストテレス」に関する発表の準備。
・来年2月にリールで行なわれる予定の研究会での発表の準備。
Wednesday, August 24, 2005
ギイェルミの偉大さ:翻訳者、教育者、哲学者
しかし、そういうことはパリの”トレンド・トレーダー”にでも訊いてもらいたい。私は大リーグ通になりたいのではなく、大リーグで勝負したいのである。パンチョ佐藤になりたいのではなく、3Aでも、1Aですらいいから真っ向勝負で自分の力量を試したいのである。ここに記しているのは、その練習メモのようなものかもしれない。
*
フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだという。そんなことなら何十年も前から分かっているのだという。なるほど。しかし私がここでやりたいのは、ルサンチマンを吐き散らすことではない。いかに幼稚で、基本的なことであろうと、具体的に実行可能な対案を模索したいのである。
例えば、マニュアル本以外に、過去の偉大な(「有名な」ではない)哲学者たちの講義録を可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のさまざまな古典的テーマに関するアンソロジーを可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のクラシックの原語との対訳版を可能な限り廉価で出版すること。
しかし、古典的なテクストを原典で読むという作業を学生にますます課しにくくなっている(学生・大学・政府の「要望」に答えねばならないから、学生の語学力・読解力が限りなくお粗末なものになってきているから)現状の中では、このような出版では採算がとれないのだという。
フランスでは、このような採算の見込めない学術書の廉価出版に対しても、しばしば「国立図書センターによる援助」"avec le concours du Centre national du Livre"がなされる。日本では、高価な学術出版に関してこの種の財政的援助が見られるが、廉価の出版に関しては(少なくとも私の知る限り)存在しない。学問とはいったい誰のためのものなのか。すると、こんな答えが返ってくる。
フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだと。そんなことなら何十年も前から分かっているのだと。... da capo senza fine.
*
哲学的アンソロジーが重要なのは、哲学において教育ということが本質的な位置を占めるからである。教育において哲学が本質的な位置を占めることもまた言うまでもない。「哲学の教育、教育の哲学」という表現が単なる言葉遊びでなく、哲学における最も重要な問題の一つを言い当てている所以である。
この機会に、ギイェルミ(Louis Guillermit, 1982年死去。生年不明)の優れたアンソロジー『プラトン自身によるプラトン』の紹介をしておこう(Platon par lui-même, éd. de l'Eclat, 1989; repris dans la coll. "GF-Flammarion", 1994.)。
1.翻訳者ギイェルミ
ギイェルミは、フランス哲学界ではまずもってカント翻訳者として知られている。ヴラン社から出ている『論理学』(1966)、『理論と実践』(1967)、『プロレゴーメナ』(1968)、『判断力批判第一序論』(1975)の翻訳は彼の手になるものである。権威あるEncyclopoedia Universalisの「カント」の項や、定評ある『シャトレ哲学史』第V巻の「カント」の章を執筆したのも彼である。彼のカント研究の集大成的な著作として、死後出版された L'élucidation critique du jugement de goût selon Kant, texte établi et présenté par E. Schwartz et J. Vuillemin, éd. du CNRS, 1986. また、18世紀後半のドイツ哲学ということで言えば、彼の博士論文 Le réalisme de F.H. Jacobi, Aix-Marseille, Publications de l'Université d'Aix-en-Provence, 1982.がある。
(せっかくの機会だから、ギイェルミのヤコービ研究について一言しておこう。
「神秘主義者ヤコービ」という流布しているイメージに対して、ギイェルミは「神秘主義的なものと実証的なものとを逆説的に組み合わせることである種の「実在論」を導き出そうとしたヤコービ」という解釈を対置する。哲学には「経験」を捉えきることはできないとしてその「不当」な権利主張を退け、むしろ神秘主義的なもののうちに経験の核となる客体=対象、すなわち現実的なものを探し求めたヤコービの思考を、ギイェルミは、「非哲学non-philosophies」の系列に属するものと見なす。
実証的なもの(positif)は、ベーコンの与えた意味(もはやそれ以上説明できない最終的な事実が自然の実証的な法則と合致するものと見なされる場合の実証的なもの)を引き継いでいるように思われる(…)。神秘主義的なもの(すなわち、ヤコービ自身が言うように「完全に神秘的なもの」)は、レヴィ=ブリュールの与えた意味(「神秘主義的なものとは、感覚には知覚されえないにもかかわらず現実的な力・影響・作用の存在を信じる場合に言われる」)と同時に、偽ドゥニが創出した狭義の宗教的な意味(「理性的推論ではなく愛による神との結合がもたらす学」)でもありうる。(p. 65, n.2.)ギイェルミは、ヤコービの実在論(リアリズム)のきわめて独創的なあり方を強調しつつ、その実在論が必然的に経験と信仰との関係に関する反省を促す以上、ヤコービの思想は神学的伝統よりも、むしろ例えばレヴィ=ブリュールによる原始心性の分析など人類学的伝統のほうに近いのだと繰り返し指摘している。以上の記述は(とりわけこの最後の点に関しては)、友人フレデリック・ケックに負っている。彼の博論の註611を参照されたい。http://www.univ-lille3.fr/theses/keck-frederic/html/these_notes.html )
2.教育者ギイェルミ
しかし、ギイェルミには翻訳者以外にもう一つの顔がある。教育者の顔である。ジャック・ピジョーは、『プラトン自身によるプラトン』の序文でこう述べている。
ルイ・ギイェルミが偉大な翻訳者であることは、彼のカントの翻訳によって知れ渡っていた。彼は偉大な翻訳者であり、かつ偉大な哲学者であった。一方を抜きにして他方を語ることはできない。(p. 8.)
これはもちろん、哲学書を正確に翻訳するためには語学力のみならず根本的な哲学的素養が必要であり、哲学書を正確に理解するためには哲学的な素養でだけでなくしっかりとした語学力の裏づけがなければならないからである。より正確にこう言おう。「ルイ・ギイェルミは、偉大な哲学翻訳者であり、かつ偉大な哲学教育者であった。つまりは端的に偉大な哲学者であった」(Louis Guillermit était un grand traducteur de philosophie et un excellent professeur de philosophie, bref un grand philosophe tout court.)と。翻訳・教育・哲学を切り離して考えることはできないのである。
ピジョーはこう続けている。
ルイ・ギイェルミは、かなりの量のきちんと書き下ろされた講義ノートをあとに遺した。生前カーニュ(ノルマル準備クラス)や大学の授業で用いられ、絶えず改良を加えられていたこれらの講義は、彼の学生たちを虜にした。
このギイェルミの教育者としての本領が最もよく垣間見られるのが、彼の講義録『プラトンの教え』(L'enseignement de Platon, 2 tomes, Nîmes, éd. de l'éclat, 2001.)である。第一巻は、『カルミデス』『ラケス』『リュシス』『エウテュプロン』『大ヒッピアス』『小ヒッピアス』を、第二巻は、『ゴルギアス』『パイドン』『メノン』を扱っている(『国家』『ソピステス』を扱う最終第三巻は、2002年刊行予定であったが、未だ未刊)。
第二巻序文で、ジル・ガストン・グランジェはこう述べている。
ルイ・ギイェルミは、私も含め同世代の者たちの中でも抜きん出て優秀な研究者であったが、あまり多くの業績を残さなかった。にもかかわらず、私たちはカントやヤコービに関する彼の仕事を知っている。また、パリやエクサンプロヴァンスでの授業は、学生たちの心に比類なき哲学的遺産を残した。私は学生たちから非常にしばしばその名講義ぶりについて聞かされたものである。(…)
ルイ・ギイェルミは、同世代のプラトン注釈者たちのうちで疑問の余地なく最も優れたもののうちの一人であった――いや、おそらくは最も優れていた。彼の聴衆たる学生に向けられたこれら対話篇の解釈は、彼がいかに深くプラトン思想に馴染んでいたかを示すと同時に、彼の例外的な教育者としての才能をも示している。きわめて適切に『プラトンの教え』というタイトルを付された本書においても、ギイェルミが常々説いていた、話しかけるような、対話のような表現の長所が見出される。
par Jean BlainLire, mars 1995Cette anthologie constituée de textes extraits de l'ensemble de l'œuvre de Platon, regroupés autour des principaux thèmes de sa pensée, est l'une des meilleures introductions qui soient à la philosophie de l'auteur de La République. Ce grand professeur que fut Louis Guillermit, mort en 1982, ne s'y propose - rien de plus mais rien de moins - que de laisser Platon commenter Platon.Ces pages, choisies pour leur caractère exemplaire ou significatif et servies par une belle traduction, s'adressent à tous ceux qui désirent s'orienter dans la lecture d'un des plus grands penseurs de tous les temps.
http://www.lire.fr/critique.asp/idC=30611/idR=210/idTC=3/idG=7
Thursday, June 09, 2005
怠ける権利のために(Le droit à la paresse, à la Nietzsche)
――瞑想的生活の後退やときにはそうした生活の過小評価を伴ってくるということは、おそらく我らの時代の長所なのであろう。しかし我らの時代が偉大なモラリストに乏しく、パスカル・エピクテトス・セネカ・プルタルコスがもうほとんど読まれず、労働や勤勉――以前は健康という大いなる女神のお供であった――がときおり病気のように荒れ狂うかに見えるということは、率直に認めなくてはならない。思索のための時間も思索にある安らぎも欠けているので、人はもう相違する見解を吟味しない。それを憎んで足れりとしている。生活速度が恐ろしく増したので、精神も眼も半端なまたは間違った観察や判断に馴らされ、誰もが土地や住民を鉄道によって知る旅行者に似ている。
自主的な慎重な認識態度はほとんど一種の狂気として見下げられる。自由精神は悪評されている。特に学者たちによってだ。彼らは自由精神の物の見方に、彼らの深遠性や蟻の勤勉さが欠けているのを不満として、自由精神を学問の片隅に閉じ込めておきたがっている。ところが自由精神は、孤立した立場から学者・博識者の全召集軍を指揮して彼らに文化の進路や目標を示すというまったく別のさらに高い課題をもっているのである。――
今歌われたような嘆きは、たぶん止むときが来るであろう、そしていつか瞑想の精霊の堂々たる帰還に際して自ずから黙り込むであろう。≫
*
≪活動家の主要欠陥。
――活動家には通常高級な活動が、私のいわゆる個人的な活動が欠けている。彼らは役人・商人・学者として、つまり類的存在としては活動的であるが、はっきりときまった個々の、しかもかけがえのない人間としてはそうではない。この点から見れば彼らは怠慢である。
――彼らの活動がほとんどいつも幾らかは不条理であるということが、活動家の不幸である。たとえば、金を貯めている銀行家にその休みない活動の目的をたずねてはならない。この活動は不条理なのである。活動家は、石が転がるように、機構の無感覚性に従って転がっていく。
――あらゆる人間は、あらゆる時代と同様に、今でもまだ奴隷と自由人とに分かれている。なぜなら、自分の一日の三分の二を自分のために持っていない者は奴隷である。その他の点ではたとえ彼が政治家・役人・学者など何者であろうとしても同じことである。≫
*
≪閑人のために。
――瞑想的生活の評価が下がってきた印として、学者たちは今では一種のせかせかした楽しみを求めて活動家と張り合い、それでしたがってこの楽しみ方を、本来彼らに属しているような、そして事実はるかに多くの楽しみともなるようなやり方よりも高く評価しているかに見える。
学者たちは閑暇を恥じる。しかし閑暇や無為は高貴なものだ。
――無為が実際あらゆる悪徳の始まりであるならば、したがってそれは少なくともあらゆる美徳のすぐ近くにあることになる。暇な人間は常に、活動家よりまだましな人間だからである。
――だが、私が閑暇や無為ということで、諸君を指しているとはまさか思うまいね、怠け者の諸君?――≫(ニーチェ、『人間的な、あまりに人間的な I』、第5章、断章282-284)
Tuesday, May 31, 2005
彼らはその為すところを知らざればなり(Car ils ne savent ce qu'ils font.)
***
…抑圧された者、蹂躙された者、暴圧された者らが、無力なるがゆえの復讐に燃えた奸計からして、「われわれは悪人とは別なものに、つまり善人になろうではないか!そして善人というのは、およそ暴圧しない者、誰をも傷つけない者、攻撃しない者、報復しない者、復讐を神に任せる者、我々のように隠れて密かに生きる者、あらゆる悪から身を避け、総じて人生に求むるところ少ない者、そして我々と同じように忍耐強い者、謙虚な者、公正な者のことだ」と言って自らを慰めるが、――これは、冷静に先入見なしに聞いたにしても、もともと、「我々弱者は、どうせ弱いんだ。我々は自分の力の及ばないことは何一つしないのが、我々のよいところなんだ」というだけのことにすぎない。
それなのに、この苦々しい事態が、昆虫類(大きな危険に出会うと、「ですぎた」ことをしないようにと上手に死んだふりをする)でさえもっているきわめて低級なこの利口さが、無力からするあの贋金づくりと自己欺瞞のおかげで、諦めのうちにじっと待っているという美徳の装いを身につけてしまったのだ。
まるでそれは、弱者の弱さそのもの――言い換えれば弱者の本質、その働き、その唯一の避けがたく分解しがたい全的現実――が、一つの随意の所業、ある意欲され、選択されたもの、一つの行為、一つの功業であるといったようなありさまだ。
かかる類の人間は、あらゆる虚偽を神聖化することを習いとする自己保存、自己肯定の本能からして、あの選択の自由をもつ超然たる<主体>に対する信仰を必要とするのである。こうした主体(あるいは、もっと通俗的に言えば、霊魂)が、これまでこの地上において最上の信条であったというのも、おそらくはこれが死すべき人間の大多数に、あらゆる種類の弱者や被圧迫者に、弱さそのものを自由と解釈し、彼らの現にある様態を功業と解釈するあの崇高な自己瞞着を、可能ならしめたためであったろう。
ここからなら、その暗い工房の中が丸見えだ。見たところを言いたまえ。今度は私のほうが聞く番だ。
――「何も見えません、それだけによく聞こえます。隅々から用心深い、陰険な、ひそひそ話と囁きあいが聞こえます。嘘を言っているように思われます。どの声音にも、甘ったるい婉曲の味がねっとりついています。弱さをごまかして功業に変えようというのでしょう、きっとそれに違いありません。あなたの言われたとおりです。」
[風太君か(苦笑)。自分の姿を見るようなのだな、きっと。]それから!
――「報復しない無力は<善良さ>に、びくついた卑劣さは<謙虚>に変えられ、憎悪を抱く相手に対する屈従は<従順>(つまり彼らの曰くでは、この屈従を命ずる者に対する従順、――この者を彼らは神と呼んでいるのですが)に変えられます。
弱者の退嬰ぶり、弱者にたっぷり備わった怯懦そのもの、戸口でのその立ちん坊ぶり、その仕方なしの待ちぼうけぶり、それがここでは<忍耐>という美名で呼ばれます。それはまた徳そのものとも言われるらしいのです。
それに<復讐できない>が<復讐したくない>の意味に、おそらく宥恕という意味にすらなっています(「彼らはその為すところを知らざればなり――ひとりわれらのみ彼らの為すところを知るなり!)。それにまた、「敵に対する愛」についても話しています――しかも汗だくでやっています。」
もうよい!もう結構!(ニーチェ、『道徳の系譜』、第一論文、第13-14節)
Thursday, May 26, 2005
思想のマッチ(l'allumette de pensée)
Monday, May 23, 2005
Sunday, May 22, 2005
エリート教育の問題(補遺)
(ちなみに、エコール・ノルマルのサイトを見る限り、レベルの違いこそあれ、ソルボンヌ文明講座と同じ傾向の商売っ気があるような気がする。)
インタヴューは、通訳のフランス語がアジア人(日本人?)風のかなりきつい訛りで、聞き取りにくかったが、その中で、「日本ではかなり若い頃から厳しい練習を積なねばならず、また少年少女向けの多くのコンクールがあるようだが、それについてはどう思うか?」という少し皮肉交じりの質問に対して、関本さんはおおよそのところこんな風に答えていた。
「たしかに日本ではかなり早くから厳しい練習を始めますし、また子供向けのたくさんのコンクールがあります。もしコンクールで賞を取るといったことだけを目的として厳しい練習を積まねばならないとしたら、それは良いこととは言えないでしょう。でも、コンクールに向けていろいろな曲を練習してレパートリーを広げることができ、これまで知らなかった未知の作曲家、未知の奏法、ひいては未知の自分に出会える機会と捉えれば、コンクールはそれほど悪いものではないのではないでしょうか」。
哲学のエコール・ノルマルも「コンクール」の一つである(実際、フランス語では、入学試験にも「コンクール」という言葉を用いる)。ノルマルに入学するためには、高校卒業後、特別の準備クラス(カーニュ)に入って、専門の勉強を行なう。大学は通常の学生が行くところ、グラン・ゼコールは研究者ないし教育者予備軍のための教育機関である。
*
2003年12月に行われ、前述の関本さんも4位入賞した浜松国際ピアノコンクールの審査員チョウ・グォアンレン(中国)は、こんなことを言っている。
チョウ審査員は「浜松が世界レベルのコンクールに育ったことを確信しています。特に若いピアニストの演奏レベルが上がっているのには驚き。今日も、18歳のピアニストがいましたが、あの年であれだけの演奏をするのは素晴らしいことです。みんな指の動きがとても早くて驚いています」と述べた。
会見ではなぜ浜松国際ピアノコンクールが短期間の間に国際的に評価を受けるようになったのか、といった質問も飛んだが、チョウ審査員は「市制80周年の記念に、ピアノコンクールを創設という発想が浜松ならでは。市を上げてコンクールに取り組んでいることが大きい。中村審査委員長とのコンビネーションもよく、関係者が一丸となっているから」と発言。ステーン=ノックレベルグ審査員は「ウィーンやパリでオーディションを行っていることで、ヨーロッパの若い才能から逆に注目されるという効果を生んでいる」と、海外からの注目度が最近上がっていることを指摘した。
こういったことは、日本の高等教育機関も、「国際的な競争力」を云々したければ、徐々に検討していくべき課題であろう。こういった制度改革のことを考えるとき、昨年のプロ野球改革ほど典型的な事の成り行きを示したものはない。一年半ほど前に、各球団オーナーがご大層に言っていたことを一つ一つ思い出し、そして今日のプロ野球の姿を見てみればいい。
Friday, May 20, 2005
デーゲーム(上)
重要なのは、制度改革と個人的な質の向上を区別することである。ここでは、個人としての学者のほうに話を移そう。ここでもまた、スポーツの比喩がヒントを与えてくれる。
スポーツ関連の記事で興味深いのは、技術や練習方法に関するちょっとした記述である。「汗と涙」とか「遺恨勃発」とか、スポーツ新聞の記者によって捏造された人間ドラマはどうでもいい。スポーツが提起する中心的な問題は身体技術の問題(そしてそれに関連する限りでの≪精神的な技術≫の問題)であって、感情は副次的な付随物にすぎない。
2005年5月18日の日ハムとの交流戦で通算449二塁打を打って、福本豊(阪急)のもつ二塁打の日本記録に並んだ中日・立浪は、「野球エリート」である、とある記事は言う。
エリート、18年目の勲章 抜群の野球センス
レギュラーを張り続けてきた証しがプロ野球記録として結実した。18歳でプロの世界に飛び込んでから18年。積み上げた二塁打の数は449本に到達した。「野球エリート」。立浪ほどこの言葉が似合う選手はいない。中学時代、大阪の高校野球関係者の関心事は「立浪はどこの高校に行くか」に絞られていたという。強豪、PL学園に進んで1987年には甲子園で春夏連覇を達成。素材の良さは際立っていた。
立浪を獲得した中田スカウト部長は当時を振り返り、「野球を見る目はもちろん、守備力がずばぬけていた。脱臼してコンバートされたが、15年はショートはいらないと思った」と話した。高校出ルーキーとしては22年ぶりに開幕の大洋(現横浜)戦に遊撃手で先発出場。6回には将来を予感させるかのように、初安打となる二塁打も放った。
新人王を獲得し、高校出ルーキーでは史上初のゴールデングラブ賞も同時に受賞。故障に泣いたこともあったが、常に中心選手としてチームを引っ張り、1年目など3度のリーグ優勝も経験した。輝ける野球人生。しかし、「今は誇れるものは何もない。終わってから、最高のプロ野球人生を送れた、と思えるように頑張りたい」と立浪は言い切る。“挑戦”はこれからも続く。(了)[ 共同通信社 2005年5月18日 22:18]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050518-00000056-kyodo_sp-spo.html
なるほどそうなのだろうが、正直言って、つまらない平凡な記事だ。こちらのほうが面白い。
1メートル73、70キロ。決して体格に恵まれていない。試合前、“恋人”の平沼打撃投手を相手に緩い球でスイングの速さを確かめる。数分後、距離を約10メートルに縮めて速球を打ち込む。目を慣らすため。一歩間違えば大怪我ににつながるから相棒は1人。「練習でいい当たりはいらない」。プロで生き抜くための知恵の結晶が大記録につながった。(…)決して才能だけでは頂点には立てない。本塁打のように派手ではない。だが、だれにも踏み込めない聖域を作り上げてみせる。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050519&a=20050519-00000025-sanspo-spo
(ちなみに普段は笑わせる福本だが、この日のコメントは真面目。 「記録達成は彼の広角打法のたまもの。記録に並ばれて寂しいというより、二塁打記録が脚光を浴びてうれしい。今後もどんどん記録を伸ばしてほしい。」 [ 共同通信社 2005年5月18日 22:16 ] )
まったく偶然だが、同日の記事。こちらは、今のところ大記録とは縁がないが、阪神・桧山である。
出場機会が減った今季。外野の守備練習を終えた後、何度もショートの位置に立っていた。誰に指図を受けたわけではない。ひたすら、フリー打撃の打球を追っていた。「打球は速いし、これが目慣らしになるからね。回転とかも全部違ってくるし。バッティング練習だけだと分からないし、鈍らないようにね」。バッターボックスに生きる男が、そこに生きがいを見つけるため―。オフの自主トレ中には、携帯電話の動画で、自分のバッティングを撮影したこともあった。「小さいけど、肩の動きとか分かるから」。ひっそりと、それでも重い汗を流す。華やかな世界に身を置きながら、地道に踏みしめる一歩を忘れない。この信念が、マンモスを揺るがした。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050519-00000015-spnavi_ot-spo.html
練習時は試合のときより速い球で練習する。試合で完全なプレーをそつなくこなすためだ。
デーゲーム(下)
個人としての学者の話をするとき、「二軍」の話をしないわけにはいかない。
「悪循環のために、慎重は憶病に映り、強気は雑に映ってしまう。何をやってもすべてが裏目に出た。」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000005-dal-spo
救世主ブラウン 初先発初勝利
スポットライトへの強い渇望が、1人の助っ人を救世主へと変えた。窮地に追い込まれていた猛虎を救ったのは、5回1失点で初白星をつかんだ阪神・ブラウンの右腕。来日初先発のマウンドは、連敗ストップの歓喜のフィールドと化した。
「(お立ち台は)信じられないぐらい素晴らしい。これだけのファンに囲まれて自分でも何を言っていたか分からない。もう一度感じてみたい、いい気分だったよ」。五回につかまったものの、きっちりとゲームを作って打線の援護を導いた。勝因を振り返った時、そこには「さぼったりせずに練習できた」という鳴尾浜の日々がある。開幕直前に襲われた風邪の影響でまさかの2軍スタート。ただ、心の支えがあった。
海を渡る決意を固めたとき、1枚のDVDを手に取った。「好きな映画だからアメリカから持ってきたんだよ。日本に来てからも見てるんだ」。ケビン・コスナー主演の「BULL DURHAM(さよならゲーム)」という野球映画だ。
「3Aの選手の生き方を描いた映画なんだ。僕も長かったからね」。長いバス移動や人もまばらなスタンド。栄光の日を思いながら過ごす地味な生活。プロ入り7年でメジャーでの登板はわずか4試合、0勝に終わった。映画を眺めながら思い返した日々。ただ、あの時を忘れたくない。辛かったが、そこには夢があった。下積みの苦労を忘れない男だからこそ、この日が待っていた。
バッグにしまい込んだウイニングボール。“メジャー初勝利”の大切な証しだ。「宝物の一つになるよ。これからも勝っていきたいね」。いつか、こういう日が来ると信じていた。聖地を埋めた虎党のハートを射抜き、マンモスの揺れを肌で感じる。異国で用意されていた晴れ舞台。簡単に手放す気はない。[5月5日 11時0分 更新]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050505&a=20050505-00000005-dal-spo
Thursday, May 19, 2005
Thursday, May 12, 2005
続・スシボンバーの憂鬱
1. 「ゆとり教育」に関して
子供が勉強に対する意欲をなくしているという。しかし、親がそもそも偏差値や学校のネームバリューや子供の「将来」(良い会 社に入ること?)にしか興味をもっていないのに、どうして子供が勉強の面白さに気づけようか。要するに、まずは親自身が再教育される必要があるのである。これは別項で 指摘したが(pratiques théoriquesの2005年2月21日の項参照)、教育問題を論じるときに見落とされがちな視点は、親があたかも完成された人間であるかのように 見なされているという点である。
2.海外で活躍する日本人選手と日本人研究者
木本大志さんの「イチローvs.松井秀を前に思う日本人メジャーリーガーの成熟」(2005年05月09日)という記事を読んでいて、改めてこの十年の日本人メジャーリーガーの成熟を思う。
海外のプロスポーツに挑戦するというのは、一つ一つ偏見を打破し、自分の能力を証明していくということである。
去年だったか、オランダ・リーグの韓国人サッカー選手が批判されていた。活躍していないから、というのではない。オランダ人並みにしか活躍していないから、というのである。オランダ人並みにしか活躍しないなら、わざわざ外国人を雇う必要はない、というわけだ。つまり外国人選手に求められているのは、並みの活躍ではない。ずば抜けた活躍なのである。その意味で、次の発言はまったく驚くに当たらない。
ハンセンもベイラーも、ともにこの10年を振り返ったとき、こう言った。「驚きは、日本人がここでプレーしていることじゃない。彼らにそのポテンシャルがあることは、ずっと前から感じていた。ただ、彼らがメジャーのトップ選手となり、レコードブックに名を残すような活躍を見せていること。それは、さすがに10年前には想像できなかった」
先発投手として先陣を切った野茂や、抑え投手として先陣を切った佐々木、外野手として先陣を切ったイチローのような存在が「レコードブックに名を残すような活躍」をしてきたからこそ、その後に続く選手たちに道が開かれたのである。
1995年、野茂が日本人大リーガー初の先発投手として登板。これまでは「ジャイアンツの村上」というわずか数試合に出場しただけの選手が伝説の名前として刻まれていたにすぎない。
し かし野茂が出てきて1995年に16勝し、1996年にノーヒットノーランをしてもなお、それは「日本人は先発投手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、「ハマの大魔神」こと佐々木が抑えとして活躍し、はじめて「抑え投手」としても能力があることが証明された。それでもなお「投手としては使えるが、野手としてはどうか」という疑念があった。
2001年にイチローが来て、いきなり首位打者、ゴールドグラブ、リーグMVPをとってもなお、それは「日本人は外野手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、松井秀喜は勝ち組やSHINJOは負け組となったが、外野手はコンスタントに取られるようになった。
日本人選手は未だ内野手としては完全に能力を認められていない。二塁手として は井口、内野で最も難しいポジションと言われる遊撃手には松井(稼)や中村が挑戦しているが、完全に勝ち取ったと言えるようになるにはまだ時間がかかるだろう。現在の日本人選手の壁は、したがって内野手レベルである。
しかし、未だ挑戦すらされていないさらに困難なポジションがある。それは、キャッチャーである。なぜならキャッチャーはコミュニケーション能力が最も問われる、すなわち「言葉の壁」が最も高いポジションだからである。来年、ソフトバンクス(旧ダイエー)の城島健司が挑戦すると言われているが、はたしてどうなるか。
これらのことはすべて学問研究にも当てはまる。海外で研究に従事する研究者はいちいち能力を証明していかなければならない。ある分野はこなせても、他の分野がだめなら、トータルの力がないと言われてしまう。また、認められやすい分野とそうでない分野がある。語学の壁が相対的に低い自然科学分野にはすでに多くの優秀な学者がいて国際的に認められている。最も語学の壁が高いのは哲学・文学研究である。ここで認められるのはなかなか…。
3.「記録より記憶に残るプレーを」ではなく、「記録によって記憶に残るプレーを」
大リーグに行ったというだけなら、もはや珍しくもなんともない。SHINJOの「記録より記憶に残るプレーを」というのは確かに名言ではある。しかし、記録か記憶かという二者択一にこだわる必要はない。より望ましいのは、そしてもちろんより困難なのは、記憶に残るような記録を残すことである。
試合前の打撃練習。ケージに向かうイチローの背中を見ながら、ベイラーコーチは首を振った。「いったい何人の選手たちが、その記録に挑んできたと思うんだ?ロッド・カルーもできなかった。ジョージ・ブレットもできなかった。ピート・ローズだってできなかった。それを日本人が、さらっとやってのけてしまっ
た。教えるというより、こちらが学ぶことの方が多いよ」
ここまで言われるようになれば、大したものだ。先日、 フランスのテレビで、アインシュタインの特殊相対性理論百周年を祝う番組をやっていた。そう言えば、アインシュタイン本人も、自身の専門領域のみならず平和運動や公民権運動などにおいても、「海外で活躍した選手」の代表例である。物理学者のカク・ミチオが登場してコメントしていたけれど、堂々としたものだった。
Tuesday, May 10, 2005
教育の哲学、哲学の教育(2)エリート教育の問題
以下、どこまでプロスポーツの比喩を学問に適用することが可能か、その限界を常に意識しつつ、展開してみることにする。今回は、エリート教育の問題をこの比喩によって考えてみよう。
1.プロスポーツとしての学問 :エリート教育とは何か?
誤解を防ぐために最初から言っておくが、私がここで「エリート教育」と呼んでいるのは、早い時期からの徹底したスペシャリスト教育、プロフェッショナル教育のことである。「早い時期から」ということで念頭においている対象年齢は、18歳から22歳くらいまでであり、「徹底した」ということで想定しているのは、大学生に与えられる通常レベルの教育以上のハイレベルな教育ということである。
また、対象学問としてはとりわけ人文科学を念頭においている。なぜなら、エリート教育に対して最も拒否反応を示すのが人文系の学者だからである。自然科学ではエリート教育は半ば公然化してきていると言っていい。なぜ人文科学だけが悪しき平等主義、言葉の最も悪い意味での「衆愚政」の弊害を受けなければならないのか。真のエリート教育とは何か。いかなる先入見も排除して考えなければならない。
a.
プロスポーツの将来を真剣に考える者で、エリート教育を疑問視する者はいない(文末のニュースを参照のこと)。サッカーで小中学から訓練を積んでいない超一流のプロ選手などいない。Jリーグには下部組織として小中学生くらいからクラブがあり、衰えたとはいえ国民的スポーツであるプロ野球にはリトルリーグがある。幼い頃からの切磋琢磨によってごく一握りのプロ選手が磨かれていくが、その際、誰も「エリート主義」などと騒ぎ立てはしない。
クラシック音楽についても同じことが言える。たしかに芸術はすべての人に開かれている。しかし、そのことは、クラシック音楽の分野で一流の芸術家を育てあげようとする特別な機関までがすべての人々に開かれているという意味ではない。
(私が単に音楽と言わず、ポピュラー音楽を外してクラシック音楽を例に選んだ理由は、①今現在、ポピュラー音楽の「レベル」「基準」は限りなく資本の論理によって決定されている、②ジャズ、ポピュラー音楽、ロック、パンクは「我流」「無手勝流」とまでは言わないまでも、「反制度」を基本としており(例外はいくらでも挙げられるが、例外であることに違いはない)、学問におけるエリート教育制度のモデルにはなりえない。むろんこれらの理由は美的な価値基準に基づくものではなく、制度の必要の度合いに基づくものである。)
狭義の意味での学問はプロスポーツや職業としてのクラシック音楽に近い、プロフェッショナルな「職業 profession」である。「狭義の意味での学問」とは、ここでは、高等教育と研究者養成という二重の目的を兼ね備えた大学で行われる活動を指す。この狭義の意味での学問の未来を考えるなら、エリート教育ということを真剣に考えねばならない。エリートはどんな国、どんな時代でも評判が悪いものである。しかし狭義の学問の本質を考えるとき、我々は必ずエリート教育の問題にぶつかる。この問題を避けて通ることは、真実から目を逸らすことである。
b.
「私は子供にはエリート教育など与えたくない」という人も当然いるであろう。自然な、ごく普通の教育の信奉者である彼らには、彼らの望む教育を可能な限り、可能な範囲で青少年に与える権利が保障されている。しかし他方で、一流の音楽家になりたいと真剣に願う青少年の願いを圧殺する権利は彼らにはない。したがって一般の音楽教育とエリート音楽家教育を区別しなければならない。「エリート音楽教育が日本に存在することが必要だ」ということは、「すべての人々にそれが制度として押し付けられねばならない」ということではない。一流のクラシック音楽家だけがクラシック音楽を愛しているのでないことは言うまでもないし、一流の音楽家になることが音楽の唯一重要な目標だというのでもない。
しかし、一流のクラシック音楽家、一流のスポーツ選手になりたいのであれば、また国際的に活躍できる一流のクラシック音楽家・スポーツ選手が日本からどんどん輩出されるようになるのを望むのであれば、話は別である。むろんみんなが自由にのびやかに好き放題、無手勝流に練習を積んで一流の芸術家になれるのであれば、それに越したことはない。あらゆる機関などというものは、制約や拘束を課す以上、嫌がられ、嫌われる類のものである。しかしみんながみんな天才であるわけではない以上(この教育における天才主義の問題には後で戻る)、類まれな才能をごく幼い頃からの厳しい練習によってさらに磨きをかけて育て上げていくには、「コンセルヴァトワール」のような機関の存在が不可欠である。したがってエリート養成機関とは、ある種の芸術・スポーツにとって「必要悪」なのである。
同様に、たしかに「国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利がある」が、それは高等教育機関に誰でも入れるということを意味しはしない。
(ここで重要なことを一つ強調しておきたい。たしかに、哲学はすべての人に開かれている。哲学は専門の職業的な哲学者の占有物ではない。誰にでも何かを言う「権利」がある。しかし、このことは誰にでも哲学について何かを判断する「能力」があるということを意味しはしない。物理学や数学についてなら、このような混同は起こりえないのだが、哲学をはじめとして人文系諸科学に関してはほとんど常に起こりうる。現代物理学者は新たな数式や記号を提唱して当該分野の進歩に寄与すると敬意をもって眺められるが、現代哲学者が新たな造語や比喩を提唱しようとすると外野から野次が飛ぶ。「俺たちに分からない議論は、すべて非人間的で、似非知性主義的、エリート主義的、貴族主義的だ」と言わんばかりではないか。
大衆食堂で飯を食っているオヤジがうなる。「こら、キヨハラ、そんなボールもよう打たんのか!」。隣でこっそり飯を食っているプロ野球選手はこういった発言を耳にしても咎め立てはしないだろう。だが、この発言が卑しくもプロの端くれのものであるならば、「じゃあおまえ、打ってみろや」ということになるだろう。そして実際に打てなければ、自分の能力の欠如を恥じてそのような自分の能力を超えた発言は慎むべきである。素人と玄人の決定的な違いがここにある。
政治的な議論でも同じである。インターネット上で言論を展開する者は(私も含め)、あたかもその差異が消え去ったかのような妄想を持ちがちだが、能力の差は厳然としてある。)
もちろん、「一流の芸術家だけが芸術に関わる権利がある」とかいった誤まった「エリート主義」が問題になっているわけでないことは言うまでもない。 ここで、有害無意味な「エリート主義」と必要悪としての「エリート教育」とをはっきりと区別しておく必要がある。エリート主義とは、「エリートは素晴らしい」「エリートには一般人より多くの特権が認められるべきだ」といった単なるイデオロギーであり、エリート教育とは、学問において国際的な競争に勝つのに必要不可欠な国家からの支援を制度化する、単なる教育施策である。エリート主義は平等主義を否定するものであるが、エリート教育は平等主義を否定するものではなく、むしろそれを補完するものである。反エリート主義者の敵は、エリート主義であって、エリート教育ではない。敵を見間違えてはならない。
2.平等主義の陥穽、天才主義の弊害
教育においてこういったスペシャリスト養成を目的とする改革を実現しようとすると、途端に非難の声が上がる。平等主義者の声である。
(ちなみに重要なことなので強調しておくが、教育の哲学が戦うべき相手は二つある。一つは、冷めた目で教育政策を政争の道具としか見ていない教育行政担当者(文科相・文科省官僚)であり、もう一つは、熱い心をもち高い志を掲げてはいるが残念ながら教育の本質を見誤った教育論者である。エリート教育は、むろん異なる観点からではあるが、両者から評判が悪い。
「エリート教育機関の創設などと言えば、世論から反発を食らうに決まっている」という単純な理由から、教育行政担当者は、意識的なポピュリズム戦略に徹している。これに対して、教育熱血漢は、エリート教育の弊害をむしろ指摘するであろう。エリート教育で育てられた野球選手、体操選手、音楽家などなどの性格の「歪み」など指摘するものは誰もいないが、事が学問教育になると、このような議論が出てくることは容易に想像がつく。しかし、これは物事の本質を捉えそこなった無意識的なポピュリズムである。普通の教育を受けても性格の歪んだ人間はいくらでもいるという単純な事実をこの手の議論は忘れている。)
民主主義や機会均等は確かに重要であり、通常の国民教育制度が維持・改善されねばならないことは言うまでもない。しかし、それと同時並行的に高等教育や研究者養成制度がもっとはっきりと確立されるのでなければ、学問研究は天才頼み、「神頼み」の状況になってしまう。平等主義の陥穽は、天才主義の弊害と表裏一体の関係にある。
たしかに、叩き上げのジャズピアニストには、「気取った」(これもまた偏見にすぎないが)クラシック音楽の演奏家にはない魅力があるかもしれない。が、それは二つのまったく異質なものを混同しておいて、無い物ねだりをしているのである。また、茶道や華道の場合に顕著に見られるように、硬直してしまってむしろ弊害のほうが多い制度も確かにある。しかし、完全な制度というものは存在しないからといって、制度自体が存在しなくてもいいということにはならないし、制度の改善を諦めねばならないということにもならない。
モーツァルトはコンセルヴァトワール出ではないとか、田中角栄は小学校しか出ていないのに総理大臣になったとかいう人がいる。しかし、教育を論じるとき一番やってはいけないのは、天才について語ることである。 天才とは自ら規則の体系を作り出す人のことだとカントは言ったが、まさに教育のモデルとして考えるべきなのは、ごく普通の凡人である。一例を挙げよう。大検制度「改革」に関する、『東奥日報』の2003年8月10日付「社説」(!)の一節である。
未来の棟方志功のために大検制度「改革」を心配するよりも、現在の『東奥日報』論説委員の選抜制度を心配したほうがいいのではないかとこちらが要らぬ心配をしてしまいそうな文章だが、平等主義と天才主義はどのような形で結びつくのか、ポピュリズムの論理を典型的な形で示してくれている。国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利があり、学問には広く国境を越えて接すべき根源的性格がある。管理、運営する立場のみからこの問題を偏狭に考えると、後世に甚大な後遺症を残すことになりかねない。
ちなみに、今年は本県の生んだ世界的板画家棟方志功の生誕百年。ここで少し頭をひねって考えてみよう。好奇心旺盛な彼が今、仮にどこかの大学を受けようとしても、現状では大検に合格しない限り、大学の受験資格さえ得られないのだ。あれほどの人間だ。明らかに変な制度ではないか。
大検は専門に大検の受験勉強をしなければ合格は難しいという。これでは板画や油絵をライフワークにしながら、大学にも通って研究を深めたい人の学問の自由は、はく奪されたも同然だ。
逆に言えば、一芸に秀でた学生の入学を促進し、学内の活性化を図ることは、そうした学生の門前払いをせざるを得ない現行制度では、不可能ではないか。これでは大学、学生双方にとって、はなはだ不幸で不都合なことと言わなければならない。
そもそも棟方志功のような版画の天才が大学に入る必要はどこにもない。そして入って学びたいのであれば、そこで要求される条件を満たすべきである。『東奥日報』論説委員は、小泉首相が政治手腕において「あれほどの人間だ」から(どういう意味なのか明確にされていないところが味噌である)、専門の訓練を必要とする入団テストのせいでメジャーリーグに入れてもらえないのは「はなはだ不幸で不都合」だとでも言うつもりだろうか?
異なる能力を混同してはいけない。人間は確かに平等だが、それは個々人が現在持っているあらゆる能力において平等なのではなく、異なる能力を発展させうる潜在的な可能性において平等なのである。こういう事を言うとすぐに、差別だの傲岸不遜だのと言い出す人がいる。しかし、物事の本質を見極めず、理性分別を欠いた意見を押しつけることほど、差別的で傲岸不遜な行為はない。
大学は高等教育の中枢である。「好奇心旺盛」でさえあれば、そして金と暇さえあれば、「専門に受験勉強」をしなくても誰でも入れるカルチャーセンターではない。この論説委員は、大学とカルチャーセンターを勘違いしており、能力の論理と資本の論理を混同している。
(ちなみに、大学における悪しき平等主義の最たるものは、国立大学の授業料の値上げである。国立大学の最大の利点は、金のない人間でも、能力さえあれば、最高の教育を受けられるという点にあった。日本政府および文科省は、「私立大学との格差をなくすため」(!)この政策を徐々に放棄した。現在、国立大学の授業料は年間50万円近くに達している(ちなみに、フランスの国立大学の年間授業料は5万円にも達しない)。さらにあろうことか、小泉政権は、大学法人と称して、大学の「経済的」な効率化を求めている。将来的なさらなる授業料値上げは目に見えているではないか。
ところが、小泉政権に対する異議申し立てが盛んにならないところを見ると、日本人の大半は、この政策の致命的な帰結を気に留めていないらしい。もしかすると「自分たちには関係ない。国立大学の授業料値上げ?そりゃけっこう。みんな苦しいんだから、あいつらだけが優遇されるのは我慢ならない」と思っているのかもしれないが、それによって割を食うのは、金持ちのボンボンや教授の子女ではなく、苦学生たちであるということを日本人は本当に分かっているのだろうか?
最も守られるべき機会の均等が守られず、ポピュリズムに受けのいい偽の平等主義がまかり通る。偽の平等主義がはびこる国で勝つのは、きまって強者である。そして自分を強者と心情的に同一視したがる「弱者」――とにかく暇ならあるとばかりネット上に罵詈雑言を撒き散らしている人々が「精神的弱者」でなくて一体なんであろうか――が、意志的隷従の拡大再生産に邁進する。日本人はニーチェをかつて一度たりとも読んだことがないに違いない。)
ところで、「学生や両親を顧客と考えて弛まぬサーヴィス改善に努めねばならない」とはよく言われることで確かに一理あるが、学問は「職業profession」ではあっても「商売commerce」ではない。これが、大学と予備校の本質的な違いである。大学教育は本質的に資本の論理とは相容れないものなのである。
イチローをモデルにプロ野球の下部組織としてのリトルリーグ改革を考えても仕方がない。天才はおそらく彼(彼女)独自のメソッドを持っているであろうが、その方法論は必ずしも万人向けのものではない。制度とは、それがたとえエリートのためのものであっても、天才をモデルに作ってはいけない。教育制度は、あくまでも「凡人」のためのものであり、高等教育や研究者養成は「プロフェッショナル」のためのものであって、決して「天才」のためのものではない。
また、一芸入学制度はあくまで副次的な制度にとどまるべきであって、これを中心に大学を考えるのは本末転倒である。大学は知名度のある女優を入学させることによって学生の関心を集め、学生数を確保することで「学内の活性化」はできるかもしれないが、そのことによって「学問の活性化」ができているかは大いに疑問だからである。
3.大学院では遅すぎる:プロフェッショナルとしての学問研究の未来を真剣に憂慮するなら、若手エリート養成機関が必要不可欠である
事実を事実として率直に受け止めることから出発するのでなければ、客観的で説得的な論理など創出できるはずもない。
日本の大学にとっての事実とは何か?それは、「大部分の大学生にとって、大学は就職のためのパスポート、証明書にすぎない」ということである。彼らが法学部に入るのは大抵の場合、文系学部で最も偏差値が高いからであって、法学という学問の研究を志してのことではない。経済学部や商学部に入るのは、就職後何らかの役に立つのではないかと思っているからであって、学問としての経済学を学びたいからではない。
究極的に言えば、彼らにとって、無事卒業さえできれば、大学で何を学ぶかはどうでもいいことである。大学は受験戦争という厳しい資格試験を勝ち抜いた褒美としての、これからまたしばらく(退職まで)資本の論理に完膚なきまでに従属する前の「四年間の休暇」である。これは「一流大学」と呼ばれる大学の学生であろうと同じことである。
繰り返すが、これは嫌味でも何でもなく、単なる事実の確認である。理想主義的に、あるいはポピュリズムから否定してみても始まらない。むしろこの単純だが厳然たる事実から出発せねばならない。大学が社会人になるための一般教養なりある程度特化した知識をつけるための機関であることを日本人の多数が望むのであれば、大学人がこれに反対する理由はない。大学をそのように捉える結果、大学がどのような性質のものになろうとも、それは国民が望んだことであり、その責任は国民自身が負うだけのことである。
したがって、日本の高等教育機関たる大学はエリート教育機関ではないし、今後もそうなることはないであろう。東大や京大をエリート大学だと言う人が(東大生や京大生の中にも少なからず)いるが、彼らが間違っているのはこの意味においてである。
ここまで私の論を追ってきた人は、「大学院はまさにそのために、研究者を育成するためにあるのではないか」と言うであろう。それは間違ってはいないが、重要なポイントを一つ見落としている。ここで、スポーツの比喩が再び重要になる。
なぜ大学院では不十分なのか、理由は簡単である。それは、大学院では遅すぎるからである。
スポーツにおいて、18歳から22歳といえば最も重要な成長の時期であるが、研究者においても事情は変わらない。日本の教育行政は、この時期に将来研究者になるべく専門的な努力をすべき若手の研究者に、一般の大学生と同様の教育しか与えないことによって彼らの成長を妨げている。
したがって大学とは異なる(大学内にでも構わないが)新たな機関を創設することが急務の課題である。フランスで言うところのGrands Ecolesのような存在を構想することである。
未来の日本代表を育成 「JFAアカデミー」を発表 日本サッカー界に“超エリート選手”誕生だ!
27日、2006年度から福島県の「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)で開始される中高一貫のサッカーエリート教育プログラム「JFAアカデミー福島」の概要が発表された。会見に出席した日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長は「4人に1人はJリーガーにし、(初年度の)男子は2014年と2018年のワールドカップを、女子は2008年の北京五輪を目指す」と高らかに宣言した。
日本サッカー界の未来を背負って立つ最初の「金の卵」となるのは、男子が中学1年の15人程度、女子は中学1年から3年生15人程度、高校1年生8人程度という少数精鋭。8月下旬から11月上旬にかけて3度の選考試験を実施して選抜される。求められる人材について、田嶋委員長は「特色のあるプレーヤー」と語り、特にポジションにはこだわらず「全員がFWでもいい」と未知なる選手たちの才能に期待を寄せた。
3泊4日の合宿形式など、過酷な選抜テストをくぐり抜けることができた選手たちは、優秀な指導者と専用の寮・練習場など充実した施設の中で、長期的かつ集中的なエリート教育を受ける。またサッカーのみならず、勉強面についても「Jヴィレッジ」の地元となる福島県、富岡町、広野町、楢葉町の公立中学、高校と連携。「真の国際人として社会をリードする人材」の育成を目指した教育を中高一貫で受けることができる。
この教育プログラムは、フランス代表のアンリ、アネルカらを輩出したフランスのナショナルフットボール学院(INF/クレールフォンテーヌ)がモデル。同学院の元校長であるクロード・デュソー氏も来日し、アドバイザーとして指導にあたる予定である。活動拠点となる「Jヴィレッジ」のある福島県も40億円を投じ、万全のバックアップ体制で未来の日本代表選手の輩出を目指す。[4月27日 19時14分 更新 ] http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000018-spnavi-spo
<JFA>エリート教育でフランス協会との提携模索
日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎会長は27日、選手のエリート教育についてフランス協会との提携を模索する考えを明らかにした。中高一貫で選手のエリート教育を目指すJFAアカデミー福島が28日から来年度の募集要項を配布し、本格始動する。川淵会長は「この試みを日本全体に普及させるためにも、フランスのノウハウを吸収したい」と話した。
フランス協会は72年に、今回の福島のモデルの一つとなったナショナルフットボール学院(INF)を設立。13~15歳の選手が寄宿生活を送り、トレーニングを積んでいる。フランス代表・アンリ(イングランド・アーセナル)もINF出身。この世代の育成システムの確立がフランス代表を支えている。日本代表の世界トップ10入りを目指す日本協会も、エリート教育の範とする。
渡欧していた田嶋幸三技術委員長がフランス代表のジャケ元監督と会談し、手応えをつかんでいるという。今秋以降、具体的な調整に入る。【小坂大】[4月27日 20時7分 更新 ]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000121-mai-spo
Sunday, May 08, 2005
大学は出たけれど2005
博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難
博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。
2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。
年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。
政府はこれまで、国内の研究者層を厚くするため、大学院の定員拡大などポスドク量産を推進してきた。しかし、研究職はさほど増えておらず、その弊害が出た形だ。多くは研究職志望で進路が少なく、企業も「視野が狭い」などと採用に消極的で、不安定な身分が問題化している場合が多い。
◆ポストドクター=博士号(ドクター)を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学などに籍を置いて研究を続ける若手研究者。公募型の研究費を得たり任期付きで給与をもらったりして生活している例が多い。(読売新聞)
- 5月2日18時59分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000306-yom-soci
大学は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。
「銃後」「御真影」知らず 大学生、沖縄戦の日も
「銃後(じゅうご)」「御真影(ごしんえい)」といった言葉を知っている学生が減り、近代史に関する日付として6月23日を「沖縄戦終結」、9月18日を「柳条湖事件」、12月8日を「太平洋戦争勃発」と正しく記憶している割合も低下していることが、教育史研究者の岩本努さんの調査で分かった。特に加害の歴史については理解不足が目立った。岩本さんは「中高校で近代史を十分教えず、マスメディアもあまり取り上げない。中国、韓国で反日運動が高まる中、歴史を正しく知らなければ、本当の意味の友好関係を築くことはできない」と話している。岩本さんの講義を受けている中央大の44人、法政大の79人を対象に4月に調べた。(共同通信) - 5月4日16時41分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000084-kyodo-soci
学校は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。これは運転士たち個人の問題ではなく、日本人の間で急速に消滅してしまった連帯心の問題である。連帯心の消滅に至る歴史をひもとくことが火急の課題かもしれない。
「仕事気になった」=救助せず出勤の運転士-「指示なかった」と批判・JR西労組
JR福知山線の脱線した快速電車に乗り合わせたJR西日本の運転士2人が、救助活動せずに出勤していた問題で、27歳の運転士が労働組合の聞き取りに、「現場にいようと思ったが、仕事が気になり、警察の邪魔になるとも思ったので、出勤した」と話していることが4日、分かった。 運転士2人が所属する西日本旅客鉄道労働組合が記者会見し、明らかにした。 同労組は「2人が指弾されても弁解の余地はない」とする一方、「事故現場に残ることを指示しなかった」と同社を批判した。 (時事通信)- 5月4日16時1分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000817-jij-soci
Wednesday, May 04, 2005
『神学的転回』(7)後期ハイデガー(下)
実際には、例えばツェーリンゲン・セミネールや「私の思考の道程と現象学」など、後期ハイデガーの現象学への言及が目立つ箇所は、彼の思考の軌跡の一貫性が問題になっている箇所だ、ということである。だからこそハイデガーのフッサールとの出会いから、周知のフッサールとの相違・対立に至るまで、フッサールの遺産との関係が必ずこれらの議論の中心を占めるのである。ハイデガーの思想の道程の一貫性・統一性を強調しようと思えば、常に彼とフッサールとの共同作業の根底にあった根本的な意見対立を認めざるをえない。例えば、フッサールのブレンターノとハイデガーのブレンターノは、同じブレンターノではない。フッサールが惹かれたのは『経験的な観点からする心理学』(Psychologie du point de vue empirique)のブレンターノであるのに対して、ハイデガーが「哲学を読むすべを教わった」のは『アリストテレスにおける存在者の多様な意味について』(Des significations multiples de l'étant chez Aristote)のブレンターノである。また彼ら相互の評価に関していえば、若きハイデガーは『論理学研究』第6部に惹かれていたが、フッサールはそれにはもはやほとんど意義を認めていなかった。しかしこういったことはすべて、『存在と時間』がフッサール現象学の方法と、とりわけその前提に加えることになる大変動に比べればまったく何でもない。
したがって確認しておくべきことは、一方で、現象学は、その名からしても着想からしても、誰に属するものでも(フッサールにすらも)ない以上、ハイデガーには現象学を自分のものとする十全な権利があるということ、他方で、しかしながらハイデガーが最終的に賞賛する「同語反復的思考」は、フッサールによる構成の試みとはもはや何の関係もないものだということである。なぜならこの後者は、存在者のさまざまな断面(現実存在の主観的な相関物の側まで含めて)のより根本的で、より真、より完璧な認識をきちんと提供しようとするものであったからである。
ジャン=フランソワ・クルティーヌが見事に示したように、後期ハイデガーが最終的に到達した「現れないものの現象学」から振り返ってみるならば、『存在と時間』の段階は、言ってみればはじめて現象の覆いを剥がす方向に進んだものと見ることができる。一種の賓辞の文法という、現象学の解釈学的深化として見なすことはまだ可能であった。しかしながら、『存在と時間』で提示されたハイデガーのプロジェクトの「同語反復的」ラディカル化は、クルティーヌによれば、ただ単にあいまいさに行き着くのみならず、現象の放棄というUnglück、災厄、カタストロフに行き着くことになるのではないか?
こうしてハイデガー思想の謎めいた展開をたどってくると、まさにここから神学的転回の問題のすべてが始まるのだということが分かる。ここにこそ、実証的な現象学プロジェクトと、その始原的なもののほうへの方向転換との間の断絶がある。一方を困惑させるものが他方を満足させる、和解の余地なき選択肢がある。「現れないものの現象学」は、沈黙に縁取られた言葉に耳を傾けるべく、現象の整然としたあらゆる提示を最終的に揺るがし、始原的なものへ、見えないものへ、密やかに佇むものへ向かう。実際、ハイデガーのヘルダーリン解釈を見る限り、彼の「転回」が聖なるものの探求によって条件づけられていることを否定するのは困難である。このハイデガーのKehreなしに、フランス現象学の神学的転回はありえなかった(Sans la Kehre de Heidegger, point de tournant théologique.)。
Tuesday, May 03, 2005
『神学的転回』(6)後期ハイデガー(上)
1961年に現れた二つの著作――レヴィナスの『全体性と無限』と、後期メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』――は、ただ単に完全に同時に現れたというのみならず、まったく同じ問題に取り組み、それぞれなりの仕方で解決を与えようとしている。すなわちフッサール現象学における「志向性」の限界、志向的地平をいかに乗り越えるか、という問題である。どちらも、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たることによってこの難題を解決しようと試みていたのであった。
ところでこの戦略を最初に開始したのは、ハイデガーである。ハイデガー自身はやがて晩年に至って――したがってレヴィナスやメルロ=ポンティの後に――、「現れないものの現象学」という主題のうちにその最良の解決策を見出したと考えた。デリダやミシェル・アンリがその遺志を継いで、やはりそれぞれなりの仕方で、引き続きこの道を切り開いていくことになる。とりわけ本書の中心的な課題として問題になってくる「神学的転回」を担う哲学者たちがこの後期ハイデガーの思想を「開発=活用=搾取exploiter」「収用・占有ex-s'aproprier」ないし「簒奪usurper」しているように思われる以上、ここでその後期ハイデガーの思想の本質を簡潔に把握しておくことはきわめて重要である。
「現れないものの現象学 phénoménologie de l'inapparent」という表現は、ハイデガーの晩年になってようやく現れてきたものである。初出は1973年、ツェーリンゲンのセミネールにおけるもので、最初フランス語で発表された(Questions IV, Gallimard, 1976; tr. Vier Seminare, Klostermann, 1977. プロトコルは、ハイデガー自身によってフランス語で執筆されたことを想起しておこう)。
さて、逆説的にも思えるが、この表現の中でハイデガーの思想にとって本質的な問題を提起するのは、「現れないもの」というテーマの出現ではなく、「現象学」というフッサール的語彙の維持である。
たしかに、「現れないものl'inapparent」という言い回しは両義的ambiguである。一方では、逃れ去るもの、眼差しにはっきりとは現れないものという意味でもありうるが、他方では、(現実存在とは区別される)単なる見かけ(仮象apparence)に還元されないものをも意味しうる。しかしもちろんハイデガーは、俗流プラトン主義的なイデア概念につながりかねない後者の意味を斥ける。
ツェーリンゲン・セミネールは、まさに「いかなる意味で、フッサールには存在の問いがないと言えるのか」(ボーフレ)という問いに答えようとするものである。フッサールは『論研』第六研究を除けば、なおも存在を客観的な与件と見なしているが、ハイデガーは存在の「真理」を「現前の非覆蔵désabritement de la présence」のうちに見て取ろうとしている。
だとすれば、すべてが意識の志向性から説明されるのではなく、むしろ意識こそより根源的に「現-存在の脱自のうちにdans l'ek-statique du Da-sein」位置づけられねばならない。形而上学にも、常識の目にも現れない、この現前の出現が取り集められる瞬間をこそ捉えねばならない。ハイデガーはこのより原初的な思考を「同語反復的思考pensée tautologique」と呼ぶ。
こうして見てくると、「現れないもの」の方へのハイデガーの「転回」の方向性はよく分かる。どこまでも形而上学的な、意識の(志向性の)思考からの(その外への)救出の諸条件を探ること。では、しかしながら、なぜ依然として「現象学」にこだわるのか?ほとんど破壊せんばかりに根本的な変形を加えてまで、なぜ「現象学」を維持する必要があるのか?捨て去ってしまった方が簡単ではないのか?
[ハイデガーが1927年夏学期にマールブルク大学で行った講義『現象学の根本問題』に関して、木田元はその著書『ハイデガー『存在と時間』の構築』(2000)で、こんなことを言っている。
この講義の表題について一言しておきたい。『現象学の根本問題』――文字通りには「根本的諸問題」と複数形――と聴くと、誰しもハイデガーが先生のフッサールの現象学を祖述してみせる、あるいはそれを継承展開してみせようとするのだと思ってしまうであろうが、この講義の内容はフッサールの現象学とはほとんど関わりがない。ハイデガーは『存在と時間』でも「序論」の第七節で「現象学」に言及し、「存在論は、ただ現象学としてのみ可能である」とか、「事象的内容から見れば、現象学とは存在者の存在の学――存在論である」とか、それどころか、「以下に続く考究は、エドムント・フッサールが築いた地盤の上で、はじめて可能になったものである」とか、いかにもフッサールの現象学を忠実に受け継ぎますと言わんばかりの言い方をしてみせている。だが、ハイデガーには、フッサールの現象学をそのまま継承しようなどという気はまったくない。それは、この第七節での「現象学」という概念の解明を見ても分かる。フッサールが読んだら怒り出すにちがいないような解明の仕方である。どうも悪意で見ると、一年後のフッサールの退職後、その後任としてフライブルク大学に推薦してもらうお礼に、<現象学>に義理立てしたと思えないでもない持ち出し方である。
といって、ハイデガーが<現象学>をまったくどうでもよいと考えていたということではない。むしろ彼は、数学から転向してあまり哲学史的素養のない[!]先生のフッサールに代わって、その現象学に哲学史のなかでの位置を指定してやろうという気があったのである。[…]ハイデガーの<現象学>観については、拙著『現象学』(岩波新書)の第IV章をご参看願いたい。(81-82頁)
木田氏一流の軽妙な言い回しだが、要するに――マルクスは「ラディカルであるとは、物事を根本からつかむことである」と言っている――、ハイデガーは現象学をラディカルに、つまり根本から捉え直そうとしているのである。]
Monday, April 25, 2005
ベルゲン学会の報告(三日目)
一つ目は、知人Joona Taipaleの発表。フッサールの発生的現象学における自我の概念について。これが初めての発表ということで緊張していたが、大過なくこなしていた。
二つ目は、Dan Zahaviの「時間と自己」に関する発表。ナイサーやストローソンの分析系、リクールやマッキンタイアーの解釈学系、そして「メルロ=ポンティ、アンリ、サルトル、フッサール」(どういう並べ方なんだ?)などの現象学系における「自己」概念を比較していた。
三つ目は、友人Jussi Backmanの発表(実はすでに昨年のCollegiumで使ったもの)。ハイデガーの1930-31年講義の未刊草稿を元に、パルメニデス、プラトンの"Instant"概念に関するハイデガーの理解を彼の哲学のみならず西洋形而上学の中心と捉えるかなり野心的な論文。
昼食は、再びフィンランド人哲学者たちと(13.oo-14.00)。非印欧言語である日本語とフィンランド語による「哲学」の困難と可能性について激論。
午後は、Lenの講演。『盲者の記憶』を中心に、デリダの最晩年の動向を「形而上学の脱構築からキリスト教の脱構築へ」という動きとして捉えようという興味深いものだったが、残念ながら、飛行機の時間のことがあったので、最後まで聞くことができずに、会場を後にした。
***
最後に、大会全体に関する総括的なコメントを。全体の動向としては、昨年はハイデガーが多かったようだが、今年はメルロ=ポンティ(アンリ、ナンシー)などフランス系が増えていたそう。別にテーマで発表を募集しているわけではなく、自由投稿なので、これはまったくの偶然であるようだが。
発表の質は、日本と比べてそれほど変わるとは思えない。ただし、彼ら全員が母国語ではない共通言語の英語でやっているという点は改めて強調しておきたい。歴史的・政治的に複雑な過去を抱えるこの地域では、それぞれお互いの言語を多かれ少なかれ理解することができるものの、「ニュートラル」な英語を用いているのである。英語のレベルは個人差が非常にあるが、ここでもまたサッカーと同じことが言える。スペイン・マジョルカの大久保嘉人はこう言っている。
スペインで活躍するには、スピードが一番大切。やっぱりリーガは速い。特に、上のチームがそう。攻守の切り替えっていうのが、すごく速い。でも技術とかは、そこまでだと思う。むしろ日本人の方が足元とかうまい。日本人の方が柔らかいし。外人は、固いから。でも、試合になるとこれが違う。試合だとこっちの奴の方が、うまい。精神的な部分の違いなのか…http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/column/200503/at00004230.html
同様に、北欧の哲学者たちもここぞというときの議論に強い(ただし、粘り強いが、それほどプッシュは強くない。ラテン系のようなファールすれすれのあざとい議論はない)。
私たち日本の人文系研究者(Humanities)も、東アジアで同様の試みが少しでも多くできるようになれればいいですね。そのために、一緒に打開策を模索していきましょう。
Sunday, April 24, 2005
ベルゲン学会の報告(二日目)
私は二番手の予定だったのだが、大会直前にプログラムが変わり、一番手になった。①前日のドンチャン騒ぎの後での早朝の発表であること、②私の発表の表題がかなりテクニカルであり、いわゆる「純粋哲学系」ではなく他学問とのインターフェイスを扱う「応用系」部門に入れられてしまったこと、などから予想されたとおり、当然参加者は少ない。おそらく十人弱ではなかったか。どうしても短くならなかったので、あらかじめ断りを入れて、35分喋った。反応はそこそこよかった気がする。しかし、何より嬉しかったのは、Lenが来てくれたことである。人目を引く主題を選んで、話の分からない大勢の聴衆が来てくれるより、テクニカルでも本質を突く主題を選んで、話の分かる聴衆が少数でも来てくれたほうが嬉しい(もちろんベストは、話の分かる聴衆が大勢来てくれることであるが、私のような駆け出しの身ではそれは望外のことである。)
というわけで、私の発表は、ベルクソンとメルロ=ポンティによる「デジャヴ」と「幻影肢」という二つの現象の取り扱いを通じて、彼らの知覚理論の本質的な差異と、それが依拠している時間・空間概念の本質的な差異を浮き彫りにするよう努めた。質疑応答は、一つがメルロ=ポンティにおけるこの現象の両義性(物理的には存在しないが、感覚的には存在する)の取り扱いについて、もう一つは、Lenによるものだが、私の発表の底流にある、ベルクソン・ドゥルーズの「内在哲学」路線とデリダの「超越論哲学」路線とを融合させようとする試みの射程・妥当性に関するものであった。
次のFinn Nordtvedtはノルウェーの外科医で、幻影肢に関する自身の症例研究を元に、哲学の博士論文を準備している。哲学的な概念操作には不安定さが残るものの、医者特有の手際の良さで、見事に切り抜けていた。私にとっては幻影肢に関する具体的なエピソードを聞けたことが何よりの収穫であった。幻影肢には幻影痛が伴う場合も少なからずあるのだが、幻影肢以外の部位に現れる感覚ないし苦痛もまたきわめて幻覚的なものであり、この後者の場合の「局部定位localisation」を哲学的にどう考えるかというのはきわめて興味深い問題である。
(①一人の哲学者の思想体系が世界のあらゆる問題を解決してくれると信じるのがいささかナイーヴにすぎるのと同じように、ひとつの症状ないし現象が肉体の哲学ないし身体論に根本的な解明をもたらしてくれるとする考え、たとえば「幻影痛がすべての苦痛現象の鍵である」という言い方は未だ大雑把すぎる。一般に、ある一つの症状ないし現象が哲学的に興味深いものとなるのは、それが哲学的に何を明らかにしてくれるのかが明確にされたときである。幻影肢の現象はとりわけ局在性を問題とすることから、空間概念の再考を要請する。メルロ=ポンティによる「位置の空間性」と「状況の空間性」の区別は、身体空間の根源的な状況性を明らかにしてくれる。あらゆる苦痛は(少なくともベルクソン的観点からすれば)多かれ少なかれ感覚であり、あらゆる感覚(sensation)は多かれ少なかれ運動感覚(kinaesthetic sensation)なのである(pain as sensation-emotion(mood/modus), pain as impotence of movement(motu)-immobility)。
②幻影肢に随伴し、他の局部に現れる感覚・苦痛のもつ空間性は、果たして幻影肢の持つ空間性と同じ性質のものか?)
三番手のFrederik Svennaeusは、「ハイデガーにおける欝の問題。調律・疎外・世界内存在」と題して、もっぱら前期ハイデガーにおけるmoodの問題(1927年の『存在と時間』における不安、1929-30年冬学期の『根本概念』講義における孤独など)を基礎存在論・時間論との関係から検討した。質疑応答では、Heimwehに関するヤスパースの博論やフロイトのUnheimlichとの関連を問う質問、moodと時間・空間概念との関係(むろんDidier Franckが『ハイデガーと空間の問題』で示したように『存在と時間』以来潜在はしていたわけだが、後期に至ると空間概念が前面に出てくる。もう一方で、不安や孤独といった存在様態の分析はまったく影を潜めてしまうが、この二つの現象には何らかの関連があるのか)といった質問が出た。
四番手のMarja-Liisa Honkasalo(University of Linköpping and Helsinki)は、人類学者。彼女の発表"Agency and human suffering as phenomenological problems"は全体の構成がいささか混乱しており、その趣旨をすべて理解できたとは言いがたいが、ポイントはおそらく≪「現象」が文化・歴史・階級・性差などによって異なって現れるものならば、現象学は人類学と協力して研究を推し進めることができる≫という点にある。彼女は苦痛や惨めさなどの現象の文化的多様性に着目し、英語などの言語におけるsuffering, enduringなどのingをagentと捉えて、この苦痛理解をキリスト教文化に固有のものと理解しようとしている(?)。これを論証しようとして、イタリアの人類学者Ernest de Matino(1908-1965)の"La crisi della presenza"分析に依拠していた。なかなか面白そうなのだが、いかんせんまとまっていないのと、基本的な現象学理解に不十分な点があったのが惜しい(たとえば、質疑応答で突っ込まれていたが、ハイデガーの世界内存在をGeworfenheitと対立させるといった点は明らかに初歩的なミスである。ただし、これは私が擁護したのだが、ハイデガーの被投企性をサルトル的な理解と対立させて、前者が未だ十分に実存論的・人類学的でないとすることは可能であろう。もちろん、ハイデガーは望んでそうしたのであり、サルトルのハイデガー理解が一面的にすぎたというだけの話なのではあるが)。
昼食は、Rudolf Bernetと一緒に食べる。彼とも、一昨年のCollegiumですでに知り合っていたのである。雑談ばかりして、彼の最近の関心や肝心の私の仕事の話をしなかったのが今となっては悔やまれる。アドヴァイスをもらういいチャンスだったのだが。
午後はまず、「自己性のアノマリー」「現象学と性差」「情動と傷つきやすさ」の三つに分かれて、一般発表の第三セクションが行なわれた(13.45-16.00)。以下、私の参加したセクションIIIaとIIIbについてのみ報告する。
一つ目は、IIIaのEgil Olsvik(PhD.Student, Univ. of Bergen)の発表を聞いた。精神病者の「非了解性」への現象学的アプローチに関するものであったが、質問はpassive synthesisと区別されるpassive symptomに集中していた。
二つ目は、IIIbで発表した知人のLinda Fisher(カナダ人で、現在はブダペストで教えている)を聞きにいった。Phenomenology of Genderと区別されるGendered Phenomenologyに関する発表であった。私は、ジェンダー的現象学の困難について質問したのだが、あまり理解されなかった。
三つ目は、再びIIIaに戻って、Lisa Källの発表を聞いたはずなのだが、疲れのせいか、残念ながらほとんど何も覚えていない。
コーヒーブレイクをはさんで、Theodore Kisiel(Northern Illinois University)の、ある意味できわめて「アメリカ的」な発表を聞いた(16.15-17.30)。彼の発表がアメリカ人の典型だというのではない。しかし、アメリカ人以外にできない芸風であることはたしかであり、アメリカ人哲学者の一つの「型」ではある。言ってみれば、スパイダーマンとバットマンが、ジェイソンとフレディーの連合と戦うような生き生きとした哲学である。ベルゲン大学哲学科の秘書の方も聞いておられて、「この発表は楽しかった」とおっしゃっていたが、うなずける。ハリウッド映画をいたずらに敵視すべきではない。
こうして二日目の日程を終了した後、7時半からレストランPa Hoydenでディナー。私と連れ合いは、finnophileないしlaponophileなので、フィンランド人哲学者たちと同席する。JussiやJoona、デリダにおける悪や神学の問題を研究しているJari Kauppinen、そして前述の秘書の方と楽しく団らんのひととき。秘書の方(お名前を聞かなかった)はアメリカ人で、スウェーデンにいた頃、ノルウェー人のご主人と知り合われたとか。その後、ドイツ・リューベック出身(ここもハンザ同盟ね)で現在ハンブルク大学で勉強しているという学部生の女性も加えて、ドイツ話。大部分はまだまだ宵の口という感じで残っていたが、我々は翌日のこともあり、結局、十二時半くらいまでいて退席。結局、十二時半くらいまでいて退席。
Saturday, April 23, 2005
ベルゲン学会の報告(初日)
(ちなみに、海外の哲学事情に詳しくない人のために一言付け加えておくと、
①昨今の英語圏(北欧も含む)の哲学業界では、一般的な呼称としての「現象学」は「大陸哲学」というのとさほど違いはない。そういうわけで、今回のベルゲン学会でも「アレントと政治」といった、狭義の現象学とは無関係のセクションがあったり、あるいは一昨年・昨年と二年続けて私が参加したCollegium Phaenomenologicumでも、一昨年のテーマが「ベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ」、昨年のテーマが「カント、シェリング、ハイデガー」であったりしたわけである。「現象学」という語がより広範な意味を持ちうるという点に関して、もう少し理論的な説明がほしいという方は、ハイデガー『存在と時間』の第7節を読まれることをお薦めする。それから、
②「大陸系哲学と分析哲学の対立などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の哲学的伝統を持っているし、分析哲学はそもそも大陸哲学(ウィーン学派)から派生したものだ」という正論もあるが、これは「ヨーロッパとアメリカの文化的差異などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の文化的伝統を持っているし、そもそもアメリカ文化はヨーロッパ文化から派生したものだ」と言うのと同じで、原理論としては正しいが、世界の哲学界の現状を正確に捉えているとは言えない。アメリカ文化とヨーロッパ文化の間にきわめて具体的な差異が見られるように、グローバルに見れば、「分析系」と「大陸系」の対立は、諸大学の哲学部(ないし関連学部)のポストをめぐる争いというきわめてマテリアルな形で存在している。
もちろん、この対立を乗り越えようとする試みもまた確かに存在する。私が今回の訪問で知り合ったデンマーク・コペンハーゲン大学教授で、北欧現象学会の創設者の一人であるDan Zahaviが所長を務めるDanish National Research Foundation: Center for Subjectivity Researchもそのような方向性で動いているようだ。)
2001年5月にデンマーク・コペンハーゲンで創設された「北欧現象学協会(Nordic Association of Phenomenology)」は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドなどの現象学者が所属する団体である。年次大会は、第一回がデンマーク・コペンハーゲン、第二回がスウェーデン・ストックホルム、そして今回第三回がノルウェー・ベルゲンで行なわれた(来年はアイスランドで行なわれる予定である)。現在、会員数が全部あわせても60人程度、日本のさまざまな哲学関連の学会から見れば確かに規模は小さく見えるが、北欧諸国の人口規模や、いわゆる「大陸系哲学」を取り巻く厳しい状況を計算に入れれば、それほど悪い数字ではない。
では、内容を簡単に見ておこう。三日間、毎日、一つか二つの講演(一時間前後の発表と30分弱の質疑応答)と、三つか四つの一般発表(25分前後の発表と20分程度の質疑応答、コーヒーブレイクも含め、全部で三時間強)がある。一般発表はいくつかのセクションに分けて同時進行で行なわれ、発表者はドクター、ポスドクの学生を中心に、しかしながら哲学科教授、助教授や、心理学者・人類学者・医者など他学部からの参加者も含まれる。
初日(2005年4月22日)の午前は、フッサール・アルヒーフ所長のRudolf Bernet(ルーヴァン・カトリック大学)の講演"Bergson on a Present Folded Back on the Past"。ベルクソン『物質と記憶』の時間論の大筋をたどる、きわめて啓蒙的なレクチャー。ただし、Len(Leonard Lawlor、メンフィス大学)の指摘に窮したとおり、「持続」との関係がまったく触れられていないなど、ベルクソンの専門家でないことからくる「脇の甘さ」はあったかもしれない。
昼食は、大学のラウンジで、Jussi BackmanやJoona Taipale(共にヘルシンキ大学)と、片言のフィンランド語で冗談を言い合いながら、そそくさと済ませる。ランチタイムは一時間もない。たっぷり二時間はとり、ワインも飲むフランス流とはかなり趣が違う。
午後はまず「現象学と心理学」「現象学の方法論」「芸術と美学」「レヴィナスと倫理」の四つのセクションに分かれて一般発表が行なわれ(12.45-16.00)、Sara Heinämaa(ヘルシンキ大学)の人格と性差への現象学的アプローチに関する講演が行なわれたが(16.30-17.45)、私は翌日の準備のこともあったので、セクションIa「現象学と心理学」の最初の二つの発表しか聞いていない。
コペンハーゲン大学のPhD学生Rasmus Thybo-Jensenは、メルロ=ポンティにおける心理学と現象学の一体性(分離に対する批判)を強調した。大半の質疑応答は、哲学(現象学)と科学(心理学)の差異を超越論的なものと経験的なもの、アプリオリとアポステリオリの差異と同一視する態度に対する異議であった。
同じくコペンハーゲン大学のPhD学生Thor Grünbaumは、運動感覚的経験(kinaesthetic experience)の性質に関する哲学的・心理学的考察を展開した。質疑応答では、感覚と苦痛の差異を強調する発表者に対し、感覚の本質的な運動性と苦痛の被運動性との根源的な統一性の観点から、幾つかの問題提起がなされた。
18時から20時くらいまで大学のラウンジでレセプションがあり、私はもっぱらLenやLinda Fisher(中央ヨーロッパ大学、ハンガリー・ブダペシュト)との再会を喜び、地元ベルゲン出身だというGunnar Karlsen(ベルゲン大学)に北欧の哲学事情を聞いたりして過ごした。みんなはその後、地元のバーに移って二次会に突入したのだが、私は翌日の発表のため遠慮した。
Saturday, April 16, 2005
『神学的転回』(5)後期メルロとレヴィナス(下)
直接的で具体的な争点は一にかかって、超越性を無条件的に主張するのか、見えるものを忍耐強く問い続けるのか、という点にある。どちらかを選ばねばならない(entre l'affirmation inconditionnelle de la Transcendance et la patiente interrogation du visible, l'incompatibilité éclate ; il faut choisir.)。むろん我々の問いが哲学的かつ現象学的なものたることを望むのであれば、恣意的な裁断など問題外である。方法に関する問いを導きの糸として先鋭化することで、答えるように努めるほかはない。
では、方法論のレヴェルにおいて見られる、メルロ=ポンティとレヴィナスとの相違とは何か。メルロ=ポンティの方法論には、発見的手法(heuristique:与えられた課題に対して段階的に評価を進め、自己発見的に解を見出す方法)に付き物の脆さがある。誰もが感じることのできる経験の豊かさへと接近するために、それを表現する言葉そのものをも手探りで探求を続け、性急な断定や理念の誘惑に屈することなく、他者に対して注意深い眼差しを投げかけ続ける、言ってみればミニマリスト的な手法である。知性はここでは、プルーストにおけるように剥き出しのまま、感性的なものを深く捉えにやって来る。何物も仮定することなく、経験のうちで最も逃れ去りやすいものをただひたすら解明しようと欲する、メルロ=ポンティの飽くなき意志は、現象性を間近に思考し、それに浸されよう(penser au plus près de la phénoménalité pour mieux être habité par elle)とする点において、あくまで現象学的であり続ける。絡み合いは何物も排除することなく、世界の深みに眼差しを開く。
これに対して、一挙に私を奪い去る他者性の鉛直は、現象学的というよりは形而上学で神学的的なアプリオリを示している。サイコロには仕掛けがしてあり、決断はすでになされており、背景には信仰が厳かに立ち上る(les dés sont pipés, les choix sont faits, la foi se dresse majestueuse à l'arrière-plan.)。読者は、絶対者の峻厳に打たれ、洗礼志願者(catéchumène)のような立場に置かれて、もはや聖なる託宣や尊大な教義の開陳に黙して耳を傾けるよりほかない。
欲望とは絶対的に他なる者の欲望である[…]。欲望にとって、観念と合致しないこの他者性はある意味を持つ。他者性は、他者の他者性として、いと高き者の他者性と解される。(原書文庫版 p. 23)
すべてはあらかじめ準備されており、一挙に与えられる。そして、この「すべて」はすべて伝統的な聖書の神に由来するものなのである。これは、超越論的な自我をその限界まで裸性に導こうとする「還元」に対する裏切り以外の何物でもないではないか。神学という放蕩息子とそのお供たちの厳かな帰還ではないか。あたかも自明のことであるかのように、神学がほとんど魔術的・秘儀的に意識の最も親密な場所を占めることを哲学は黙って見過ごすことができようか。
むろんレヴィナスの有り余る才能や傑出した独創性を否定することが問題なのではなく、彼の現象学的な方法論の一貫性(cohérence méthodologique et phénoménologique)を問い直すことが問題となっているのである。たとえば、欲望は大文字化され、極限まで強調されているが、いかなる経験に即してそうされているのか。言うまでもなく形而上学的な独断にすぎない。一方で知性主義的合理主義(rationalisme intellectualiste)の精神に忠実たることを宣言しつつ、他方で「形式論理学」と彼が名づけるものを乗り越えようとしているようだが、「欲望」や「他者」の大文字化による総称化・実体化はどうするつもりなのか。高みの次元を考慮に入れるのはいいとして、なぜ「いと高き者=神」と同一視されねばならないのか。
この種の形而上学的な独断の積み重ねによってレヴィナスの思想体系が構築されていくとすれば、その方法論は解釈学的循環と折り合いをつけることはできても、現象学的なものではありえない。「たしかに現象学に固有の光(と)の戯れからは逸脱している」といったレヴィナスの「自白」ではまったく不十分である。教育的配慮からか護教論的配慮からかはともかく、彼の現象学の用い方は、経験の核心に他者の鉛直を据えようとする彼の試みとともに、まったく歪曲に満ちたものであって、現象学から形而上学への明白な移行ないし転向を示しているにすぎない。結局のところ、最初の形而上学的・神学的前提があまりに膨大なものなので、「取るか、捨てるか」が唯一の回答にならざるをえない。
本書『フランス現象学の神学的転回』は、近年開拓されたこれらの神学的な地盤に関する調査とともに、その大元になった急激な方向転換(embardée)にまで立ち返り、この方向に進まない可能性を思考しようとする。これによって、レヴィナスが大きく開けた突破口とともに、後期ハイデガーが繊細な手つきで見せた幾つもの切れ目にも、神学的な底意のあることが理解される。神学は否定的な形でも介入しうるのであり、存在論的な不安とむすびつくこともあるのである。
Friday, April 15, 2005
『神学的転回』(4)後期メルロとレヴィナス(上)
1.メルロ=ポンティにおける絡み合いの探求
『見えるものと見えないもの』に代表されるような後期メルロ=ポンティの探究の核心には、古典的な表象の哲学はもちろんのこと、フッサール現象学ですらも捉えるには至らなかったものを捉えようとする試みがある。たしかに、フッサールの「地平」概念は、このような試みの先駆であると言えるが、「この語を厳密にとらねばならない」とメルロ=ポンティは言う。地平は、絵や地図、さらには空間性のように、可視性ないし一般性の半透明(translucide)の空間に還元されるものではない。
フッサールが事物の地平について――誰もが知っている事物の外的な地平について、それからそれらの「内的な地平」、事物の表面がその境界線を示すにすぎない可視性に満ちたあの謎の暗闇について――語ったとき、この「地平」という語を厳密に受け取らねばならない。地平とは天でも地でもなければ、細々した物の寄せ集めでもないし、[...]何か「意識のポテンシャリティ」のシステムといったものでもない。地平とは、ある新たなタイプの存在であり、ある多孔質の、プレグナンツ[知覚された像などが最も単純で安定した形にまとまろうとする傾向を指すゲシュタルト心理学の用語]あるいは一般性を備えた存在(un être de porosité, de prégnance ou de généralité)であり、地平がその前で開かれる人間は、そこに取り入れられ、含まれている。その人の身体や遠景は、ひとつの同じ身体性ないし可視性一般に参画しており、この身体性ないし可視性は、その身体や遠景の間で、地平さえも超えて、その皮膚の手前で、存在の深奥に至るまで、支配している。(原書p. 193)絡み合いとして解された地平は、可視的なもののうちで私の視覚によって為されるあらゆる限定を横溢し、事物の「肉」たる潜伏(latence)のうちにすべての可視的なものを包み込んでしまう。というのも、可視的なものは決して純粋なものではなく、常に不可視性に触れているからである。同様に、私の視覚は、一度かぎり決定的に画されるものではなく、身体性のうちに刻み込まれるものだからである。絡み合いとはしたがって、一方で世界の肉による可視的なものの横溢、他方で身体性による私の視覚の横溢という二重の横溢の運動である。世界の肉、可視的なもの、身体性、私の視覚というこの四つの項がキアスムをなし、その交差点には絶えず、「あるいは彷徨し、あるいはまとめられる」可視性の神秘的な出現が認められる。
(ちなみに、ジャニコーが挙げている64年の初版と、私の手元にある(判組みを変えたらしい)2002年版とでは、頁数がほぼシステマティックに二頁ずつずれている。これも注意されたい。)
ルノー・バルバラスは、その博士論文『現象の存在について。メルロ=ポンティの存在論について』(Renaud Barbaras, De l'être du phénomène. Sur l'ontologie de Merleau-Ponty, Grenoble : Jérôme Millon, 1991.)の第1章において、『見えるものと見えないもの』において素描された存在論が、『知覚の現象学』がその中に囚われになっていた二元論、すなわち未だ古典的な「反省性」概念と「前反省的」ないし自然的なその相補物との二元論をいかに超出したかを見事に示した。実際、前期メルロ=ポンティの思考は、隅々まで自然と文化(nature et culture)の対立によって貫かれている。逆に、存在のエレメントとしての肉(「エレメント」は古代哲学の「四大」やバシュラール的な意味において理解されねばならないし、「存在」自体、純粋な贈与としてではなく、絡み合いとして捉えられた限りでのものである)の探求に専心することで、後期メルロ=ポンティは、反省的なものと前反省的なものの分割に先立ち、自我の他我への対面の手前にある次元に到達しようとする。この次元にあっては、私の身体性は、間主観的なものとなる。だからこそ間主観性の骨組みは、世界の生地と分かちがたいのである。あらゆる鳥瞰(surplomb)の思考は、この複雑な生きた身体性の次元を捉えそこなう。大文字の他者の鉛直(aplomb)もまた、間主観性の細やかな繊維を断ち切ってしまう。
2.レヴィナスにおける鉛直的思考
レヴィナスの代表作『全体性と無限』は、ただ単に後期メルロ=ポンティの哲学的探究と同時代であるばかりでなく、フッサール現象学のある種の欠陥が提起するまったく同じ問題に対して答えようとする試みであるという点まで同じである。志向性は、反省性を「還元する」までには至らない。世界への出現も、他者の接近も、ラディカルな超越論的観念論による自我意識の普遍的な構成を解明しようとする試みにあって、十分な注意が払われたとは言いがたい。レヴィナスは、「地平」概念の純粋に志向性的な意味を超出することを目指したが、少なくとも用語的なレヴェルでは、メルロ=ポンティのそれと酷似している。
志向性の分析とは、具体的なものの探求である。観念は、それを規定する思考の直接的な眼差しのもとで捉えられた場合、この素朴な思考の知らないうちに、この思考によって疑われぬ地平のうちで、立ち尽くしたままでいることが明らかになる。これらの地平こそが具体的なものに意味を与える――これがフッサールの教えの要点である。フッサール現象学において、文字通りに受け取った場合、これらの疑われぬままの地平はそれら自身、対象を目指す思考と解釈されるのではないか、といった問いは重要ではない。(原書文庫版、p. 14.)
メルロ=ポンティと異なり、レヴィナスはフッサールを扱う際にかなりの自由裁量を行使し、それを率直に表明しているといった違いを除けば、少なくとも志向性の地平を乗り越えることを目標としている点で、そして実は、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たろうとすることを戦略としている点でもまた、両者の試みは一致している。この戦略はハイデガーによって創始され、「現れないものの現象学」のうちにその完成形を見出し、デリダやミシェル・アンリによって継承発展させられている。
しかし、『全体性と無限』に代表されるようなレヴィナスの思考の核心には、「鉛直aplomb」と呼ぶほかない思考態度がある。ここでは「厚かましさ、ずうずうしさ」といった心理学的な意味ではなく、自我や存在から同性(mêmeté)を一挙に奪い取り、「無限」観念の優位を断固として主張するその哲学的な姿勢を意味する。
Thursday, April 14, 2005
『神学的転回』(3)マルクス主義的現象学、リクール
サルトルは、はっきりと政治的な時期に入り、現象学から撤退した。以前彼が実践していた現象学的存在論は社会的・弁証法的な現実に対して抽象的にすぎたと認めたのである。
チャン・デュック・タオに代表されるような、現象学とマルクス主義を融合させようという試みにしても、マルクス主義によって現象学をその悪弊たる抽象から「救い出す」という姿勢は鮮明であった。現象学の扱う質料(matière)、なまのhylèは、文化的な産物であって、その中立性は疑わしいものであり、十分に弁証法的でもなければ、人間の労働によって変化させられうるものでもない、というのがその理由であった。たしかに現象学的還元は、意味・方向の贈与(donation de sens)を通じて人間的でダイナミックな真理へと導いてくれるものではあるが、フッサールにあっては一種の「全面的な懐疑論scepticisme total」にまた再び落ち込まないから抜けきってはいないというわけである。こうした試みは結局のところ、本格的に現象学をマルクス主義と統合しようというよりは、現象学の周囲にcordon sanitaire(伝染病の流行している地域の周辺に設けられる防疫線ないし予防線)を構築しようとするものにすぎない。
(ジャン=フランソワ・リオタールの『現象学』やジャン=トゥッサン・ドゥザンティの『現象学入門』(Jean-Toussant Desanti, Introduction à la phénoménologie, Gallimard, 1963 ; repris dans la coll. "Idées", 1976 ; disponible maintenant en Folio.)においては、繊細な手つきで、フッサール現象学に対するマルクス主義的批判が行なわれている。
ちなみに、リオタールの名著『現象学』(初版1954年)は、少なくとも私が手元に持っている1961年の第4版と、2004年の第14版ではテクストが若干違っている。たとえば、ジャニコーがここで引いている"scepticisme total"という言葉は、前者の版ではscepticisme destructifとなっており、引用符はついていない(したがってジャニコーは1954年の版を参照させているが、これは正確ではない)。
また、新版では、「Nous avons pris le parti d'écrire intentionalité comme rationalité plutôt qu'intentionnalité.」という註が付されているが旧版にはなかったり、あるいは「フッサールからハイデガーに至る遺産もあるが、また裏切りもある」という旧版の表明の「裏切りtrahison」が新版では「変成mutation」に変更されていたり、といった例には枚挙に暇がない。いつの時点でテクストが変更されたのか、何度も変更されたのか詳細は不明だが、1965年に初版が出た邦訳はそれ以前の古い版に拠っているので、引用されるときには注意されたい。)
この時期の重要な地殻変動は、むしろもっと目立たない形で生じている。1950年、ポール・リクールは、『イデーンI』の翻訳を刊行したが、リクールの付した序論は重要である。リクールは、とりわけフッサールの超越論的観念論の意味に対する戸惑いを隠していない。単なる主観的な観念論が問題になっているにすぎないのか?しかし、未だ「世界的」なあらゆるアプリオリの徹底的な還元を行なう直観の哲学によって、フッサールは相対主義からもカント主義からも解放されているように思われる、と。リクールは、フィンクの解釈がもたらす次のようなパースペクティヴを共感をもって描いているが、それを積極的に採用したわけでもない。つまり、心理学的な志向性も、ノエシス・ノエマ関係も超えて、フッサールは、志向性の第三の意味、すなわち世界の起源の「生産的」で「創造的」な解明を見出したのだという解釈である。
リクールは後年、『他者のような自己自身』において提出することになる問いをすでにこの1950年の段階で定式化しているわけだ。主体性が間主体性と合致するのは還元のどのレベルにおいてであろうか、と。「最もラディカルな主体は神であろうか」と何気なく洩らしている言葉を聞き逃すことはできない。神学的転回は明らかにこの種の問いかけに胚芽として含まれているわけだが、とはいっても、リクールはいつものように慎重な姿勢を崩さない。現象学から神学への一歩を彼が意志的に踏み出すことはない。いずれにせよここでもまた、フッサールの残した諸困難がいかに大きなものであるかが明らかになったわけであり、我々はその分析を、とりわけ現象性の核心に住まう根源的なものという形で逆説的に姿を現す超越性という形而上的な概念を導きの意図にして、本書において深めていくことになる(une question directrice, métaphysique par excellence, celle de la Transcendance se révélant paradoxalement dans un originaire logé au coeur de la phénoménalité)。
言い換えれば本書の課題とは、還元の意味、間主体性によるアプローチ、生活世界の概念的な地位、現象学と形而上学の関係などなどが交錯する諸問題が、大きく分けて二つの方向へと収束し、と同時にある種の「解決」を見るのはなぜかを理解することである。二つの方向性をキーワードで示せば、それぞれ「絡み合いentrelacs」と「鉛直aplomb」になる。









