一つ目は、知人Joona Taipaleの発表。フッサールの発生的現象学における自我の概念について。これが初めての発表ということで緊張していたが、大過なくこなしていた。
二つ目は、Dan Zahaviの「時間と自己」に関する発表。ナイサーやストローソンの分析系、リクールやマッキンタイアーの解釈学系、そして「メルロ=ポンティ、アンリ、サルトル、フッサール」(どういう並べ方なんだ?)などの現象学系における「自己」概念を比較していた。
三つ目は、友人Jussi Backmanの発表(実はすでに昨年のCollegiumで使ったもの)。ハイデガーの1930-31年講義の未刊草稿を元に、パルメニデス、プラトンの"Instant"概念に関するハイデガーの理解を彼の哲学のみならず西洋形而上学の中心と捉えるかなり野心的な論文。
昼食は、再びフィンランド人哲学者たちと(13.oo-14.00)。非印欧言語である日本語とフィンランド語による「哲学」の困難と可能性について激論。
午後は、Lenの講演。『盲者の記憶』を中心に、デリダの最晩年の動向を「形而上学の脱構築からキリスト教の脱構築へ」という動きとして捉えようという興味深いものだったが、残念ながら、飛行機の時間のことがあったので、最後まで聞くことができずに、会場を後にした。
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最後に、大会全体に関する総括的なコメントを。全体の動向としては、昨年はハイデガーが多かったようだが、今年はメルロ=ポンティ(アンリ、ナンシー)などフランス系が増えていたそう。別にテーマで発表を募集しているわけではなく、自由投稿なので、これはまったくの偶然であるようだが。
発表の質は、日本と比べてそれほど変わるとは思えない。ただし、彼ら全員が母国語ではない共通言語の英語でやっているという点は改めて強調しておきたい。歴史的・政治的に複雑な過去を抱えるこの地域では、それぞれお互いの言語を多かれ少なかれ理解することができるものの、「ニュートラル」な英語を用いているのである。英語のレベルは個人差が非常にあるが、ここでもまたサッカーと同じことが言える。スペイン・マジョルカの大久保嘉人はこう言っている。
スペインで活躍するには、スピードが一番大切。やっぱりリーガは速い。特に、上のチームがそう。攻守の切り替えっていうのが、すごく速い。でも技術とかは、そこまでだと思う。むしろ日本人の方が足元とかうまい。日本人の方が柔らかいし。外人は、固いから。でも、試合になるとこれが違う。試合だとこっちの奴の方が、うまい。精神的な部分の違いなのか…http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/column/200503/at00004230.html
同様に、北欧の哲学者たちもここぞというときの議論に強い(ただし、粘り強いが、それほどプッシュは強くない。ラテン系のようなファールすれすれのあざとい議論はない)。
私たち日本の人文系研究者(Humanities)も、東アジアで同様の試みが少しでも多くできるようになれればいいですね。そのために、一緒に打開策を模索していきましょう。
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