Monday, October 11, 2004

哲学のアグレガシオン、アグレガシオンの哲学(序論断片)

 かつて大学教授と言えば、「黄ばんだ昔の大学ノートを誰にも聞こえないような声でぼそぼそ読むだけ」という紋切り型のイメージが流通していた。また、このような授業風景が大学の授業に魅力がないことの理由に挙げられてもいた。だが、このような紋切り型が定着した背景には、個人的な資質よりも――言う までもなく「大学教員になるような人間には社会性が欠如している」といった言辞自体、取り上げるに足りないもう一つの紋切り型である。非常識な会社員などいくらでもいる――、むしろ構造的な要因があるように思われる。それは、日本には「研究者」養成機関はあっても、「大学教員」養成システムは存在しない、ということである。より正確に言えば、実際には大学教員の大半を輩出する機関であるにもかかわらず、日本の大学院は、将来大学に奉職することを念頭においている研究者の研究能力を養成することを目的としているのであって、将来大学で教育に従事するために必要な知識・技術を習得させることを目的としてはいない、ということである。

 大学教員採用試験もまた、説得的に弁じられるという言説能力をさほど重視しておらず、模擬授業などの形で具体的に証明させることも増えてきたとはいえ、まだまだ完全に一般化したとは言えない。大学院で将来の大学教員候補生としての養成教育を受けたわけでもなく、大学教員採用試験で教育に対する一定以上の適性能力を証明させられる機会もない以上、誰が好き好んで教育能力の向上に時間を割くであろうか。その結果が、冒頭に上げた紋切り型である、ということは決してありえないことではない。長引く不況、少子化、独立行政法人(国立大学法人)化などによって、ただでさえ就職が困難であるといわれる現状では、大学教員になりたい者は、あくせくと自分の研究成果を論文で発表することに血道をあげるほかはない。なぜなら大学教員になるための条件は、多くの場合、教育適性能力を持っているか否かではなく、執筆した論文の数だからである。こうして高等教育のまさに中枢で、教育の根幹がないがしろにされている。

 私がここで、アグレガシオン[1]というフランスの高等教育資格国家試験制度の概要を説明し、その歴史を簡単に振り返るのは、このような危機的な状況に際して、ささやかな形であれ、理論的な介入を試みるためである[2]。最初にごく簡単に結論を言っておけば、次のようになる。フランスの高等教育においては、研究者養成機関としては3e cycleがあり、教育者養成機関としてはアグレガシオン準備クラスがあって、この区分は、少なくとも教授能力の適正化および研究者の質の向上には一定の役割を果たしていると言える。まず3e cycleは、主にアグレガシオン(ないしカペス)を取得して基本的な就職先を保障された学生たちが次段階のキャリアアップの過程として選択するもので、日本の大学院生のように常に将来の心配を抱え、同時に自分で現在の生計も立てつつ、現在の勉学を疎かにすることも許されないなどという「三重苦」を背負い込まされることはない。次に、アグレガシオンは、後に詳述するようなハイレベルな筆記・口述試験を課す全国一律の国家試験であることによって、1)大学教員の教授能力のハイレベルでの標準化、2)不透明きわまりない因襲的・地域的な人事の防止、という利点がある。

 むろん、アグレガシオン制度には弊害もいくつか指摘されている。たとえば、1)アグレガシオンの試験で要求される能力は、実際に教育現場で要求される能力と必ずしも一致するわけではないという意見。2)アグレガシオンを取れなかったがために有為の人材がリセでくすぶらざるをえないという意見。3)教師陣がアグレガシオン準備クラスを大学教育の中核と見なすあまり、学部生レベルへの教育が疎かになったり、教育資格は取れなかったが個人的に研究は続けたいという者に対する相対的な冷淡さが見られるという意見。4)同じようにアグレガシオンを取ったとしても、大学教員としての採用はノルマリアンが非ノルマリアンに対して圧倒的に優位であるという事実。しかし、これらの問題点はいずれも本質的なものではない。1に関して言えば、日本の現状との相対的な比較で言えば、問題にならない。2に関して言えば、教師の適正を測る完全な試験や完全な公平さを期す試験などそもそもありえないし、3に関して言えば、これは完全に教師一人一人の個人的な性向に依存するものであって、システム的な問題ではない。4に関して言えば、問題はノルマリアンたちによる過度のギルド的な独占のもたらすものであって、アグレガシオンという制度自体がもたらすものではない。

 むしろより現実的な問題点は、1)日本の教育制度がアメリカやドイツのそれに近い、国家試験やエリート主義(グランゼコール)のない、その意味では「民主的」な制度であって、フランスの独創的な制度とは程遠いものだという点にある。また、2)アグレガシオン制度を現在の日本に導入することの問題点を官僚機構の硬直に求めようとする意見もあながち穿ちすぎとは言えない。「仏像造って、魂入れず」ではないが、国家試験をつくってみても、それが共通一次やセンター試験のようなものであっては何の意味もないし、文科省官僚が思想家・作家やテーマの選択に関して随時圧力を掛けたり介入できるようなシステムであってはかえって事態は悪化するばかりだからである。最後に、3)このような事柄を大学人の間で論じようとする際にはお決まりの悲喜劇的な事態であるが、途端に疑問の声、いやむしろ無関心という「沈黙の声」があがる。「高邁な理念は結構だが、アグレガシオンを日本に導入すべきだといわんばかりの物言いは、あまりに理想主義的・非現実的ではないか」と言われるならまだましなほうで、「政治・制度論には疎いので何とも言えない」といった、政治的に去勢された「羊たちの沈黙」が場を支配する。「理念では食っていけない」という現実主義をニヒリスティックに標榜するにせよ、あるいはどんな小さな物音にも怯える草食動物のように非政治主義に徹するにせよ、いずれにせよ文科省に対しては、膨大にして無益な書類作成を押し付けられてただ俯いている。下には強く、上には弱い。

 しかし、意識が制度を規定するのではなく、制度が意識(研究態度、学問的身振り、habitus ou socius académique)を一定程度まで規定する以上、私たちは真の高等教育の蘇生のために、経済効率至上主義に幻惑・威嚇されて偽りの大学改革に消極的に盲従・追随するのではなく、むしろ積極的に内側から大学の教育制度を真に改革していかなければならないのではないか。事態の深刻さを鑑みるならば、いずれにせよ議論くらいは始まるべきではないのか。いかなる学問であろうと固有の制度を持ち、学問とそれを成立せしめている制度は不即不離の関係にある以上、自らを成立せしめている制度そのものに関する理論的考察抜きに根本的な発展はありえない[3]。とりわけ哲学のアグレガシオンは、アグレガシオンの哲学を必然的に呼び求める。哲学教師は、「哲学の授業」という大学における哲学活動の根幹にある営為のうちにも等しく理論的眼差しを注がねばならない[4]。Humanitiesにおける教育の問題は、教育に関するHumanitiesにおける分析を要請する[5]。しかし、事は一般論にのみ係るのではない。繰り返すが、真の問題は、現在の危機的な状況に際して、ささやかな形であれ、いかに理論的な介入を試みることができるか、ということにある。

[1] ここでは以下の章で詳述するアグレグシステムをすべて取り上げることは無論できないので、最低限の情報を提示しておく。

[2] 誤解のないよう念のために言っておけば、1)高等教育について論じることは、いささかも初等・中等教育を蔑ろにすることを意味するものではない。フレネ教育をはじめとする種々の初等・中等教育にまつわる「教育の哲学」についてはいずれ機会を改めて論じることにしたい。フレネに関してはたとえば、Célestin Freinet, Pour l'école du peuple, Librairie François Maspero, Petite collection maspero n°51, 1969. 資本主義社会における「初等教育-職業訓練」と「中等-高等教育」の分裂に関しては、Christian Baudelot et Roger Establet, L'école capitaliste en France, Librairie François Maspero, coll. "Cahiers libres" nos 213-214, 1971. またたとえば「自由としての知育」「与えられるものではなく、自ら選び取るものとしての知育」を柱とするランシエールの知育の哲学に関しては、Cf. Jacques Rancière, Le maître ignorant. Cinq leçons sur l'émancipation intellectuelle, Librairie Arthème Fayard, 1987 ; reprise dans la coll. "Fait et cause", 2004. 2)また、私の論は、日本でよく言われる「エリート主義」でもない。もし「エリート主義」であるとすれば、それはまったく別の意味においてである。 3)2005年は政教分離に関するフェリー法制定から百周年という記念すべき年に当たるが、教育におけるlaïcitéの問題はここではまったく触れることはできない。

[3] Cf. Marie-Claude Blais, Marcel Gauchet et Dominique Ottavi, Pour une philosophie politique de l'éducation. Six questions d'aujourd'hui, éd. Bayard, 2002 ; reprise dans Hachette Littératures, coll. "Pluriel", 2003.

[4] Cf. François Châtelet, La philosophie des professeurs, éd. Bernard Grasset, 1970. 大学における哲学教育との関係から言えば、一方で垂直的には、リセにおける哲学の授業の削除に反対する抵抗運動であったGREPH(Groupe de Recherches sur l'Enseignement PHilosophique)に関しては、Qui a peur de la philosophie ?, éd. Flammarion, 1977. を参照のこと。このムーヴメントの中心にいたデリダは同時にまた他方で、今度はいわば水平的に、大学外に追いやられていた辺境的・学際的な諸分野をinstitutionalisationしようとする動きをCIP(Collège International de Philosophie)によって実現した。CIPに関してはGREPHに関してと同様、Jacques Derrida, Du droit à la philosophie, éd. Galilée, 1990. を参照のこと。脱構築とはさまざまなinstitutionの脱構築に他ならないという点を強調してやまないはずのデリダ読みたちが、日本の哲学教育の現状について語ることかくも少ないのは、日本における哲学の現状を考えた場合、まことに象徴的であり、ほとんど徴候的symptomatiqueというべきではあるまいか。以上すべての点に関して、高橋哲哉の『デリダ』(講談社、1998年。新装版2003年)を見ておこう(33-36頁)。事は羨ましがったり諦めたるする次元の話ではないはずだ。

 フランスではほぼ日本の中学高校を合わせた期間に当たるリセで哲学教育が行われている。これもまたさかのぼればナポレオン一世の学制改革以来の伝統であり、さまざまな曲折を経ながらも、哲学は現代でもリセでの学習の総合的な仕上げとして重視されているのである。高校生にも哲学を学ぶ権利と能力があり、それは自由な批判的思考の能力を養うためにも望ましいことだと思っても、それを現実化する社会的条件がほとんどない日本の哲学教師である私から見ると、まことに羨ましいかぎりだ。ところが、その哲学教育の国フランスでも、教育の「現代化」や「効率化」などの名目で、70年代半ばにリセの哲学教育への抑圧政策が仕掛けられた。時間数を削減し、必修制を自由選択制にし、教員の数を減らして哲学への志願者を減らし、ひいては大学の哲学そのものを弱体化させて、産業界の要請にかなう技術的で実用的な教育に変えようというわけである。デリダはこの動きの中に、あの68年以来リセで増大した異議申し立てと哲学教育そのものに対する権力の圧力を見て取り、74年4月、教員と学生併せて30名ほどで、この問題に対処するための研究グループGREPH(「哲学教育研究グループ」Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique)を結成した。
 翌年、文部大臣による「改革案」が発表されると、GREPHは公然と反対を表明し、学生、生徒だけでなく、父母やその他の関心をもつ人々をも含む反対運動を広範に組織し始める。デリダはこの過程で、過去の大哲学者たちの大学、学校、(哲学)教育にかんする言説を読み直し、そうした制度の問われざる諸前提を解明する一方、哲学教育を削減・廃止するのではなく、哲学教育の伝統的内容を批判的に見直しながら、逆に哲学の時間数を増やし、学習開始年齢を引き下げるという大胆な提言を行なった。「たとえば17歳か18歳以前に哲学を学ぶことは不可能であり、危険であると、プラトン以来信じられてきましたが、これには一体、どんな政治的ないし性的理由があるのでしょう?[…]実験的試みとして、フランスで第六学級・第七学級と呼ばれている児童、10歳や11歳の子供たちに哲学を教えてみましたが、非常に成功しました。若い少年少女たちは哲学に興味をもつだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました」(インタビュー「戯れする貴重な自由――脱構築と教育/政治」1986年)。この運動は、79年6月、ソルボンヌで1200名の参加者を集めて開かれた公開討論会「哲学の三部会」に結実する。この討論会の準備委員21名の中には、デリダのほかに、ドゥルーズ、リクール、ジャンケレヴィッチ、シャトレ、ナンシー、ラクー=ラバルトなどが含まれていた。こうした運動は海外でも関心を呼び、ヨーロッパ各国、南北アメリカ、アフリカなどにGREPHに呼応する動きが生まれ、一例を挙げれば、デリダは78年12月、仏語および英語圏アフリカ哲学者連合国際コロキウムに招かれ、「哲学教育の危機」と題する講演をしている(残念ながら日本では、呼応する動きはなかった)。
 この運動は、80年代に入ると大きな副産物を生むことになる。81年に登場した左翼のミッテラン政権は、一転してリセの哲学教育の拡大方針を打ち出しただけでなく、この政権の支援を得て、哲学のかつて例のない研究教育組織「国際哲学コレージュ」(CIP:
Collège International de Philosophie)が創設されたのである。デリダは準備段階で他の三人の哲学者とともに、国内外から集めた750に及ぶ提言を検討して政府に報告書を作成し、83年10月の発足とともに初代の議長に就任した(一年後に、J-F.リオタールに引き継ぐ)。世界の大学や著名な哲学者たちの協力を得て活発に活動しているこの組織の特徴は、既成の学科や文化の領域によって禁止されていたり、周縁化されているような研究テーマを発見し、積極的に取り組むことを奨励するという内容面だけでなく、各国から公募され、たえず更新される講師陣、セミナーへの参加にいかなる資格も問われないことなど多岐にわたるが、デリダはこのカレッジに、哲学の脱構築の制度的可能性を重ねてみているようである。
 GREPHの結成から国際哲学コレージュの創設にいたる過程でデリダが公けにした文書は、大学、学校、哲学教育に関する脱構築的考察のテクストとともに、650頁に及ぶ『哲学への権利について/法から哲学へ』(1990年)にまとめられた。
[5] 近代の西洋的大学制度に占めるHumanitiesの重要な理論的位置と現在の急務に関しては、Jacques Derrida, L'Université sans condition, éd. Galilée, 2001.を参照のこと。

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