エラスムス・ムンドゥス<ユーロフィロソフィ>法政プログラム 2014
主催:法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻 / 後援:日仏哲学会
講演会
講師: ジャン-ジャック・ヴュナンビュルジェ氏
(フランス,リヨン第3大学)
ベルクソンとバシュラール
-時間,リズム,イマージュ-
2014年5月23日(金)/ 18時30分-20時30分
通訳:藤田尚志(九州産業大学)/ 司会:安孫子信(法政大学)
通訳:藤田尚志(九州産業大学)/ 司会:安孫子信(法政大学)
法政大学九段校舎3階会議室
(JR市ヶ谷駅から靖国通りを靖国神社方面へ進み,一口坂信号を越えて左手5番目のビル.徒歩10分)
http://www.hosei.ac.jp/campus/ichigaya/index.htmlの⑱
[要旨]
ベルクソンとバシュラールの存在論,時間空間論の対比を試みる.二人の哲学者は生命のエネルギーの内に現象差異化の源泉を求めた.その際,差異化された現象が集め合わされていくのは,両者において共に,空間-時間,量-質,概念-直観/イマージュを通してであった.しかし,ベルクソンにおいては空間と生きられた持続が序列化されるのに対して,バシュラールにおいては時間空間の科学的で抽象的扱いと,詩的で想像的扱いとは相補的なものとされている.また,ベルクソンが時間を否定的契機を一切持たないメロディ状の継続的流動とみなしたのに対して,バシュラールは時間性を諸瞬間の断絶へと帰し,時間も空間もともにその基部でリズム,振動によって貫かれているとした.このような両者の立場の違いを講演では以下の二つの問題を手がかりに探っていきたい.(1)両者におけるイマージュの位置.イマージュは,ベルクソンでは直観の仲介者に留まるが,バシュラールにおいては存在の顕示者である.(2)両者における実在的対立の位置.対立は,ベルクソンでは自らが自らに生み出す抵抗とみなされるが,バシュラールでは原初の否定性とみなされているのである.
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