Sunday, January 31, 2010

ザンフィ『ベルクソン、技術、戦争。『二源泉』再読』

大学的に言えば、センター試験や後期試験の監督、試験答案(哲学は記述試験なので大変…)、論文やレポートの採点、成績評価がようやく終わると、今度は入学試験と来年度のシラバス入力(つまり授業準備の開始)。学生や教員、職員が絶え間なく相談や雑談に訪れる――大学教員は、平常業務の一端として、心理カウンセラー的役割を担わされつつある。

その間にも、
・3/27初めて自分の科研でやる国際シンポの準備。「準備」という、この何でもない一言に込められた大変さはたぶんまったく伝えられない。

・科研の予算執行(スタートアップは10月に下りるので開始が遅いのである。3月末にシンポをやるので、現在慎重かつ徹底的に事前準備しているところ)

・4/1エラスムスの準備

・3/24シモンドン・シンポ準備

・3/19『哲学の権利』@福岡(上映会の交渉・準備)

・2/26のゴーシェ合評会の準備

・締め切りに追われる論文7本以上…。他にも、義理立ての通訳とか、若手とのネットワーク作りとか、読書会とか、ちょっと忙しすぎ、気分が塞ぎます(もっと忙しい人々がいるのは分かっていますが…)。でも、やり抜かねばならない。

頂いた本のご紹介もできないまま…。12月中頃だったか、イタリアの友人が処女作を送ってくれた。博論かと思ったら、そうではないらしい。

Caterina Zanfi, Bergson, la tecnica, la guerra. Una rilettura delle Due fonti, Bologna : Bononia University Press, ottobre 2009.

Tuesday, January 26, 2010

2/26ゴーシェ『民主主義と宗教』書評会@南山大学


実に長い紆余曲折を経て、このたび、南山宗教文化研究所叢書として以下の書籍が刊行される運びとなりました。

『民主主義と宗教』 伊達聖伸・藤田尚志訳、トランスビュー、2010年(原著:Marcel Gauchet, La religion dans la démocratie, Gallimard, 1998) ※本の詳細情報、ご注文はこちらから

今回の訳業はひとえに伊達さんのご尽力によるものであり、私はほんのわずかばかりお手伝いをしたにすぎません(いや、むしろお邪魔ばかりしたような気も…)。伊達さんのますますのご活躍に皆様ぜひご注目くださいますよう。

これに併せまして、以下の日程で書評会を開催いたします。特に名古屋近在の皆様、ふるってご参加くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

日時 2010年2月26日(金) 17:00~19:00
場所 南山宗教文化研究所 1階会議室
名古屋市昭和区山里町18 南山大学内
    電話 052-832-3111

評者   南山大学外国語学部フランス学科教授 丸岡高弘
      南山宗教文化研究所研究員      粟津賢太

リプライ 東北福祉大学総合福祉学部専任講師  伊達聖伸
     九州産業大学国際文化学部専任講師  藤田尚志

マルセル・ゴーシェ(Marcel Gauchet)1946年生まれのフランスの哲学者。社会科学高等研究院(EHESS)教授で、レイモン・アロン政治研究センターに所属。『記憶の場』の編者ピエール・ノラとともに『デバ』誌を創刊、主筆を務める。著作は『世界の脱魔術化』(1985年)、『代表制の政治哲学』(原著1995年、富永茂樹他訳、みすず書房、2000年)ほか多数。

Sunday, January 24, 2010

2/5クロード・レヴィ=ストロースを偲んで@九州日仏学館

少し関わっているので、宣伝を。

追悼企画 Souvenir de Claude Lévi-Strauss
クロード・レヴィ=ストロースを偲んで

2009年10月30日に100歳で死去した、社会人類学者でありアカデミー・フランセーズ会員であったクロード・レヴィ=ストロース。「構造主義 の父」と呼ばれ、20世紀フランス思想界を牽引し、日本を始め世界的に影響を与え続けました。多くの著書を出版し、連綿と続く人類の歴史を研究したレ ヴィ=ストロースを偲んで、当館では2月5日(金)に追悼イベントを行います。

  • 日時:2月5日(金)17時より
  • 会場:九州日仏学館5F多目的ホール
  • 入場無料(要予約)
  • ご予約・お問い合わせ:092-712-0904(九州日仏学館)

レヴィ=ストロースは、文字を持たない南北アメリカ民族を研究した偉大なる人類学者でした。彼はまた、親族の構造についてや、私たちの思考と同じく 複雑な構造をもっている“野生”的な思考がどのように機能するかについて研究しました。その対象が日本にも及んだことはよく知られるところで、彼が日本文 化に対する情熱を温めていたことは、日本、特に九州を度々訪れていたことからも分かります。自身の著作や発言でも、日本の伝統的な思想に対して敬意を表し ていたことについて度々触れています。著作の多くが日本語に訳され、人類学研究にも大きな影響を与えました。

九州日仏学館では2009年10月30日に逝去したレヴィ=ストロースの追悼企画を行います。


①17時
ドキュメンタリー上映会「クロード・レヴィ=ストロース第1回 -自然・人間・構造-」

(日本語・フランス語二重音声、45分)

②18時
ドキュメンタリー上映会「クロード・レヴィ=ストロース第2回 -日本への眼差し-」

(日本語・フランス語二重音声、45分)

③19時
ラウンド・テーブル「レヴィ=ストロースと日本」
白川琢磨氏(日本語)とエルヴェ=ピエール・ランベール氏(フランス語、日本語通訳付き)によるラウンドテーブル
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白川 琢磨 略歴
文化人類学・宗教人類学を専攻。カリフォルニア大学サンディエゴ校訪問研究員を経て現在、福岡大学人文学部教授。ミクロネシア、南西諸島、日本本土などを 対象に、現在は主に九州北部の宗教文化を研究しています。クロード・レヴィ=ストロースが1983年に沖縄に滞在した際、調査研究の一環として沖縄滞在の 案内役を務めたことから、今回はその時のエピソードを紹介します。

エルヴェ=ピエール・ランベール 略歴
サンジェ・ポリニャック財団の元受賞者。フランス、スイス、メキシコ、アンティル諸島、イスラエルなどを経て、現在九州大学で教鞭を執っています。専門分野は、比較文学、人類学、思想史、美学と現代のイマジネール、文明論、認識論批評、神経美学など。

Friday, January 22, 2010

ゴダール『暴力と主体性』をめぐって(ラジオ)

ジャン=クリストフ・ゴダールの近刊『暴力と主体性――デリダ、ドゥルーズ、マルディネ』について、CIPhで行なわれた合評会(Les Samedis du livre)が、今、ウェブ上で聴けます

村上さんの親友シュネルや、私の友人ギヨームら、実力派の若手をもってくる。自著の宣伝に有名な研究者に来てもらうのではなく、自分の本をだしにして若手にvisibilitéを与えるあたり――すでに有名なシュネルはともかく、PRAGであるギヨームにとっては貴重な機会でしょう――、さすがゴダールだと思います。

メール

諸々の仕事が重なり、ここ何カ月かずっと、メールへの返信が遅れております。たまにすぐレスポンスできることもありますが、平均二三日です。お急ぎの場合は、その旨お書き添えいただけると助かります。返事を要するメールを送って一週間以上経つ場合は、手違いやうっかりミスの可能性がありますので、大変恐縮ですが、メールを再送していただけますでしょうか。関係者の方々にはご迷惑をお掛けしておりますことを深くお詫び申し上げます。hf

Thursday, January 21, 2010

「気の弱さ」にどう対処するのか

試験の季節がめぐってきた。試験監督の合間に、自分の行なった試験の採点をする。一人一人の顔を出来るかぎり思い浮かべながら、過去の成績と比較して、「この子はこの先、大丈夫なんだろうか」と心配したり。

菅家さん冤罪事件の録音記録をざっと読んだ。気の弱い(あるいはあのような状況下では多かれ少なかれ誰でもあのような精神状況に陥るのかもしれない)中年男性が、最初は検事に対して「実はやってない」と言えそうな気がするのだが、警察によって「自白」に追い込まれた過去を否定できずに、「やっぱりやったのは自分です」と言ってしまうくだりを読んでいて、

我々教師は、相談に乗るとき、「履修指導」なるものを行なうとき、同じようなことをしてはいないだろうか、とふと不安になる。特にこういうくだり。

《菅家さんの記憶を探ろうとする森川検事。自分では「言わない」と言いながらも、意識的なのか無意識なのか、答えを想像させようとするキーワードが現れていく》

森川検事「その次だから分かるだろうけど、遊んでいるところを連れ出したという状況はないだろうか? 誰かと遊んでいたところを」

菅家さん「もしかしたら駐車場で女の人がいたような気がするんですけれども」

森川検事「もう一回考えてもらいたいのは、声のかけ方がね、今まで君が説明した通りだったのかどうかね。もうちょっと別のことがなかったのかな。いきなり自転車でそばに行って声かけたんだって言うけど、もうちょっと別のいきさつがなかったかどうか?」

菅家さん「はー…そこのとこはわかんないです」

森川検事「誰かと遊んでいなかったかなと聞いている。誰かというのが大人か子供か、あるいは男か女か、どんなことをしていたか。僕は一切言わない」

菅家さん「遊んでいたとすれば、女の子と思うんですけど」

森川検事「うん、どんな子か。遊んでいた情景っていうかねえ、それが少し記憶に残ってるかな?」

菅家さん「…」

森川検事「その女の人っていうのは少しイメージが残っているわけなのかな?」

菅家さん「はー…その人が駐車場の方へいた」

森川検事「うーん…。女の人は1人? 2人?」

菅家さん「1人のような気がしたんですけど」

森川検事「駐車場?」

菅家さん「はい」

森川検事「駐車場の方っていうのは、パチンコ店の建物の…この西側の方でしょう?」

菅家さん「はいそうです」

森川検事「うん。西側っていうのは、有美ちゃんがいたところ? 違うの?」

菅家さん「えっと、有美ちゃんがいたところだと思うんですけど」

森川検事「有美ちゃんがいたそばか」

菅家さん「はい」

 《必死に思いだそうとする菅家さんだが、その答えは森川検事の質問に何とか合わせようとしているようにも聞こえる。自ら答えているようだが、肝心のキーワードは森川検事の口から先に出ていることも

学校と病院と警察と監獄の「構造的相同性」を見るポストモダンは大雑把すぎる、とは思いつつも、細かいテクニックの部分では、このような資料も参考にしつつ、十分に気をつけないといけない。誤解を避けるべく念のために繰り返すが、ここでこういった記録を参照するのは、あくまでも「いかに誘導しないか」を考えるための参考資料としてである。

特にゼミだ。やる気がなくて、あるいは何らかの(心理的あるいは経済的な)問題などで、このまま大学を辞めてしまうかもしれないという子に対して、どうアプローチするべきなのか。私たちレベルの大学では、古き良き時代の放任主義をやっていたら、どんどん退学率が上昇してしまう。

どこまで介入すべきなのか。どう介入すべきなのか。

それでも、「役に立つ哲学」は絶対にやらない。生命倫理もケア哲学もやらない。そうではない仕方で、うちのレベルの大学生たちに「単なる哲学」の面白さが伝えられなくて、どうする。「単なる哲学」とはもちろん「旧来通りの哲学概論」でもないだろう。模索は続く。

***

森川検事「警察からなんか聞かれたわけ?」

菅家さん「はい。菅家じゃないかとかと」

森川検事「うーん」

菅家さん「でも自分は、違うと話したんですよね」

森川検事「あ、そう、うん」

菅家さん「それで、まあ、あの、何ですか警察は怖いですしね」

森川検事「何が」

菅家さん「やはりなんて言うんでしょうか、自分でもよく分からないんですけど」

森川検事「調べを受けてどのくらいしてから話した?有美ちゃんの事件を」

菅家さん「ちょっと分からないんですけど、…二、三十分じゃないかとは思うんですけど」

森川検事「なんて話したの?」

菅家さん「最初はやっていないと」

 《有美ちゃん事件について尋ねる検事に、「警察は怖い」との理由で「自白」したことを話す菅家さん。なぜうその自白をしたのか。検事はおだやかな口調で追及する。取り調べが事件の核心に迫ると、菅家さんは口数が少なくなり、沈黙も長くなる》

森川検事「こうだったって話したわけでしょ、後で」

菅家さん「はい」

森川検事「最初は否定したのに、その後でこうだったと話したきっかけがね。どういうところで、どんなことを考えてね、話したのかなって思ってるんだけど」

菅家さん「…やはり…自分で何だかもうわけが分からないんですけども」

森川検事「わけが分からない?」

菅家さん「はい、わけが分かんなく、まあ」

森川検事「まあ?」

菅家さん「やったとかなんとか、話したと思うんですけど」

森川検事「君がどんなことを考えてたかなと思うんだけどね。どうだったの」

菅家さん「うーん」

森川検事「違うって言ったのに、こういう事件でしたと話すんだから。何かきっかけがあって、向こうから何か言われたか、君のほうの気持ちが変わったのか。君の気持ちがね、どこか変わらなければ、いやこうですなんて話にはならないと思うんだよね」

菅家さん「はい、自分としては警察のほうで、強引なところもあるような感じでしたので」

森川検事「強引っていうのは」

菅家さん「分かってるんだとか。そういう風に言われまして」

森川検事「あの事件の当時、有美ちゃんの事件じゃなくてね。(福島)万弥ちゃんの事件(別の女児殺害事件)も話しなかった?」

菅家さん「しました」

森川検事「どっちを先に話したの」

菅家さん「やはり、その2つですよね。2つを一緒に言われたような気がするんですよね」

森川検事「一緒に言われたような気がする?」

菅家さん「はい」

森川検事「ほう。で、君のほうはどっちから話したんだ」

菅家さん「有美ちゃんのほうを先にやったと思うんですけども。その後、万弥ちゃんのほうをやったと思うんですよね」

森川検事「有美ちゃんの事件は実際にはどうなの」

菅家さん「…」

森川検事「目を伏せないで。実際にはどうなの。君がやった事件なの?そうではないの?本当のところは?」

菅家さん「本当のところはやってないです」

森川検事「やってない?」

菅家さん「はい」

森川検事「やってないならやってないで別に考えなくてもいいんじゃない」

菅家さん「…」

森川検事「やってないのにやったって話したの?」

菅家さん「…」

森川検事「なぜ?なぜそんな話をしたんだろう?」

菅家さん「やはり警察のほうで、(聞き取れず)」

森川検事「分かってるんだから話しちゃえって言われて?だけど、一番最初に捕まった真美ちゃんの事件は?これも違うのかな?これは、その通りなのかな?」

菅家さん「…」

森川検事「これはその通りなの?」

菅家さん「やってないです」

森川検事「どうしたの?」

菅家さん「…」

森川検事「どうしたんだよ」

森川検事「そしたらね、有美ちゃんの事件ね。やってないのに、やったと警察で話したのはなぜなんだろう」

 《ここまでテープが再生されたとき、突如、菅家さんは手を挙げて体調がすぐれないと申し出た。菅家さんは足早に退廷し、別室で休憩。約20分後に再開された》

 《取り調べは引き続き検事の執拗(しつよう)な追及が続いている》

菅家さん「すみません」

森川検事「うん」

菅家さん「ごめんなさい」

森川検事「どうしたんだ」

菅家さん「…」

森川検事「本当はやったのか君? うん、うん」

菅家さん「うー」

森川検事「本当は君がやったのか? 有美ちゃんの事件も」

菅家さん「(泣き声)」

森川検事「やっぱりそう。有美ちゃんの事件やったの? そうだね」

菅家さん「(泣き声)」

 《検事の問いに、すすり泣きの中、はっきりとした言葉では答えられず、沈黙する菅家さん。森川検事は諭すような口調で質問を続ける》

森川検事「なんか君を違うことを言うようにし向けたのかもしれないしね。僕の言葉に乗っちゃったのかもしれないからさ。あえてうそをつかしたんだったら、僕のほうが悪いんだけども。僕にも悪いところがあるんだけども」

菅家さん「…」

Monday, January 11, 2010

セカンド・エフォート

今から十数年前、まだ大学生だった頃、自大のアメフトが強く、応援に行ったりもした。そんなわけで、1月3日はテレビの前にいれば「ライスボウル」を観ることにしている。今年は関大vs鹿島。関大のQBは最初凄い緊張の中でもニコニコしていて感心したが、徐々に劣勢になって来て、笑顔が影を潜め、終わった後は泣いていた。三ヶ月後の春にはその鹿島に入社する(とテレビで言っていたように思う)というのに、である。一回一回の勝負に全力を傾けるすがすがしさ。なくなってきた気がする。

毎年、年初の目標は相も変わらず「今を悔いなく生きる」なのだが、自分のダメさ加減が身にしみてきた今年は「セカンド・エフォート」を目標にしたい。
セカンド・エフォート エフォートは努力の意。ボール・キャリアーがタックルをされた後、スピン(回転)や体を伸ばして1mmでもゲインしようと努力する行為を指す。スーパーや グレートと呼ばれている選手は、このセカンド・エフォートを大切に考えている。この行為によりチームの意気が盛り上がることはもちろんのこと、1stダウ ンの更新確率が上がることは間違いない。強豪と呼ばれているチームほど、セカンド・エフォートの大切さを知っている。アメフト用語辞典より
 
といっても、アメフトを観たことのない人には分からないと思うので、映像をどうぞ。簡単に言えば、何度ぶつかられても倒れず、身をかわしたり、回転しながら倒れたりしながら、1ミリでも前に進むこと、ですね。基本的な身体能力が低い(足が遅い)、味方のブロックが潰されている(援護射撃が期待できない)、あるいは相手のオフェンスがいい(自分を取り巻く環境に負けそう)場合、最初のランではヤードを稼げない。それでも前に進むためにはどうすればいいか。去年の終わりごろから考え始め、今少しずつ実行に移しています。

もう時期を完全に逸してしまいましたが、本年もよろしくお願い致します。