Tuesday, December 27, 2022

芸は砂の山

「芸は砂の山」

師円生の言葉で、一番印象に残った言葉がこれ!とにかく、今までいろんな噺家を見てきたが、一番稽古していたのがわが円生だった。車の中とか一人になるとすぐ、「ぶつぶつ…」と噺の稽古をする。ホントによく稽古する師匠だった。その師匠に訊いた。

「芸というのは砂の山。いつも少しずつ崩れている。私の芸はここまで上がったと思っても、何もしないとずるずる、ずるずると落ちてくる。そこで、砂が崩れる分だけ稽古をして、上がってやっと前と同じ芸なんだ。だから、もし芸を上げようと思ったら大変だ。砂が崩れる以上の努力で上っていけば、その分だけ少し芸が上がる。芸は砂の山だ。何もしないと芸は下がる。」

(三遊亭円丈『ろんだいえん 21世紀落語論』、244‐245頁)


私のような疲れきった中年研究者には耳の痛い話である。トボトボとでも歩き続けねば。

Sunday, August 28, 2022

2022年度後半の予定

8月

かゆみ論文を8月末にひとまず完成予定。


9月

①ベルクソンのコレージュ講義録第2弾『記憶理論の歴史』の翻訳チェックがようやく完了した。最後の仕上げをして、9月上旬に脱稿。解説・あとがきを書いて来年前半には刊行予定。

②9月8日に記憶シンポのタイトル出し。10月2日に国際シンポ。

③9月9日にベルクソン対談本をひとまずブラッシュアップ。

④9月末までにPBJシンポ原稿完成。11月9,10日にシンポ。


10月

①10月2日(日)に記憶の哲学国際シンポ。

Remembering: Analytic and Bergsonian Perspectives 2

カーケン・ミケリアン(Kourken Michaelian)、今回ミケリアンを招聘した芝浦工大の櫻木新さん、平井さん、英語で心理学の教科書を出版されたり精力的に活躍されている北大の宮園健吾さん、北大の原健一さん(昨年度のドニ・ペランとのデジャビュイベントにも参加してくれた気鋭の若手)とともに。



②10月16日(日)にフーリエシンポ。

セッション「フーリエ研究の現在」@社会思想史学会
日時 10月16日(日)10:00-12:00
場所 専修大学生田キャンパス(神奈川県川崎市)第3会場(スタジオ202)
福島知己さん、清水雄大さん、金山準さん、篠原洋治さん(世話人)とともに。


10月後半:ベルクソン対談本のゲラ校正


11月

11月3日(木) PBJ第一日

午後5時ー7時(JST)アレッサンドラ・カンポ&三宅岳史(司会:エマニュエル・ピカヴェ)

午後9時—11時(JST)アリア・アル=サジ&檜垣立哉(司会:合田正人)

11月4日(金) PBJ第二日

午後4時半ー7時(JST)安孫子信&シモン・エベルソルト&杉村靖彦(司会:藤田尚志)

午後9時-11時(JST)エマニュエル・ピカヴェ&藤田尚志(司会:村山達也)

11月10日(木) PBJ第三日

午後5時ー7時(JST)中原真由子&合田正人(司会:ソニア・デッペ)

午後9時-11時(JST)ソニア・デッペ&平井靖史(司会:バリー・デイントン)

11月11日(金) PBJ第四日

午後5時-7時(JST)天野恵美理&近藤和敬(司会:シモン・エベルソルト)

午後9時-11時(JST)バリー・デイントン&村山達也(司会:平井靖史)


11月末:かゆみ論文圧縮作業


12月

12月上旬:ベルクソン&ハイデガー論文ブラッシュアップ


12月:翻訳ゲラ校正+あとがき執筆

12月中旬に亜鶴さんイベント

12月末に米田さんイベント

12月末~1月上旬:フェヒナー準備

1月

1月7日にフェヒナーワークショップ。

1月16日(月)タノ・ポステラーロ来日

1月20・21日:タノのプライベートセミナー

1月24日(火)

Towards A New Bergsonian Philosophy of Life

SPEAKERS Gaetano Posteraro (Concordia University) Tsubasa Yoneda (Osaka University) DISCUSSANT Mathilde Tahar (Lille University) Organizrers Y. Hirai (Fukuoka University) H. Fujita (Kyushu Sangyo University) T. Higaki (Osaka University)

1月26‐29日:タノとの意見交換


2月

2月1日(水)14h-16h30(CET)=22h-24h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第1回:『物質と記憶』の新地平(天野・原)

2月


2月:レチフ・シンポ準備

2月22・23日にレチフ国際シンポ

3月

①3月6・7日にPBJ合評会

②3月にパリで連続ワークショップ

3月28日(火)14h-16h30(CETサマータイム)=21h-23h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第2回:ベルクソンと分析哲学(モラヴェック、ブルディエ)

4月

4月12日(火)14h-16h30(CETサマータイム)=21h-23h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第3回:ベルクソンと教育(ヴェイル、オルッソン)

5月

5月24日(水)13h-15h30(CETサマータイム)=20h-22h30(JST)他と違うので注意!

 アトリエ・ベルクソン2023 第4回:ベルクソンとソレル(ジョルダーニ、藤田)

8月

8月1~4日:東大・比較で集中講義(予定)

グルノーブルで記憶の哲学WS

Tuesday, August 16, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その3(杉村靖彦先生)

2022年6月17日に京都大学の杉村靖彦先生からいただいた私信で、拙著後半の論点を鋭く指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、杉村先生のお許しを得て、ここに掲載させていただきます。

(…)第Ⅲ部と第Ⅳ部を拝読しただけですが、数々の刺激的なアイディアを提示しながら前へ前へと進んでいく藤田さんの筆致に強く動かされ、こちらも色々な思考を喚起されました。ある意味でベルクソン的な「呼びかけ」にも通ずる、「呼びかける」論考として受けとめました。考えてみれば、これは、PBJのような活動を立ち上げ展開させてきた藤田さんの学術活動上の志にも通ずる姿勢なのかもしれません。

「テクストの骨組みを抽出してアーギュメントの束に分解し、そこに潜む概念作用を顕在化させるという操作だけが読みの解像度を上げる手段ではない。〔…〕そのような概念化から零れ落ちるものにも目を留めねばならない。隠喩や類比、イメージは哲学にとって、とりわけベルクソン哲学にとってむしろ本質的な契機である」(447-448頁)。これがご著書を貫く藤田さんの基本的な視点であるといえるでしょうが、こうした視点からの論述を、印象的なイメージの羅列に終わらせずに、本書のように力強い思索表現へと仕立て上げるには、論じられる対象である隠喩やイメージの強度に拮抗しうるような、論じる者自身の論じ方とそのスタイルへの鋭い意識が不可欠であるように思います。藤田さんの論は、フランス語でも日本語でも、いつもそのような意味でのスタイルへの鋭い意識に統御されており、(…)今回のご著書で、あらためてその点を再確認いたしました。

内容的には、やはりベルクソンの「(非)有機的生気論」という構図がきわめて喚起的で、その中で特別な指標となりうる「手」のモチーフには、大いに興味を掻き立てられました。後期西田の「歴史的身体」論でも、ベルクソンをも参照点のひとつとする「手」のモチーフが重要な位置を占めており、私自身、デリダの論などを踏まえながら、その可能性を考えてきました。「(非)有機的」というのは、それを掘り下げていくための指標となりうる視点であるように思います。(…)

また、この「(非)有機的生気論」という構図とも深く連動するものとして、『二源泉』の「corps minime/corps immense」のもつ射程にも、改めて目を開かされました。

Monday, August 15, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その2(檜垣立哉先生)

大阪大学の檜垣立哉先生からツイッター連投で、拙著前半の論点を鋭く指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、檜垣先生のお許しを得てここに掲載させていただきます。

あまりに長大かつ詳細な文献で、思わず個々の細かな注釈に読みふけってしまうのでスピードをつけて読むことは出来ず、創造的進化以降はさーっとながしたがやむを得ない。杉山さんのようにテクストにあくまでも聴診するようにひたひたと探る読解でもなく、不肖私のように、ぱーっと現代思想にあたりをつけて、回路を設定していく読みでもない。ある意味では地道にベルクソンを読みつつ(百科事典的に当時のアカデミックの流儀を明示する数々、個々の術語の訳書に於ける差異とその検討は本当に勉強になった。どこかで書評書かせてくれないものかとおもうがZoomでやればよいのか。

藤田さんの『ベルクソン 反時代的考察』とりあえず(…)のメモ。
→測定できないものの測定/場所なきものの場所/方向づけられないものの方向/呼びかけ得ぬものへの呼びかけというベルクソンの四著作をある意味でオーソドックスにまとめる手さばきは鮮やか。

繰り返し、個々の論述の細部は大変に光るものがある。(…)2,3挙げておきたい 。

1)一貫して藤田本のベルクソンは、カントとの対比のなかにある。その意味でこれはポストモダンをすでに経由してしまったあとで、きわめてオーソドックスなベルクソンをどう書くかという勝負をしているようにもみえる。

2)ここに絡むのだが『試論』の部分で、持続について、メロディではなく「リズムなんだ」ということ、これがリズム=測定とからみながら測定し得ないものの測定として一貫しているが、これもまたカントと絡む。

3)というのも藤田本の骨はベルクソンVSカントでありつつ、重要なのはそこでの感性論と構想力論のあつかいだからである。これは例のハイデガーのカント書や、また判断力批判をめぐるロゴザンスキーや、たくさんでてくるのだが、結局は超越論的構想力の図式性を、「超越論的」でなく「内在的」に描こうとするのがポイントであるようにおもえる。

そして2)のリズムの話は個々にかかる。内在的構想力はリズムの内的展開の話である。ここに藤田はいわばベルクソンの柱を見ている。私もこれは正しいとおもう。自分自身も田辺や三木の日本京都学派がハイデガーのカント書を評価しない、という方向はある意味でハイデガーのベルクソン無視(存在と時間のある注でのほんの一部触れるだけというあり方)を考えるとハイデガーのベルクソン無理解はきわまるし、ある意味ではそれが逆に藤田ベルクソンを引き立ててもいる。

4)hantologie/ontologieという亡霊的なものの比喩(抜かしたが、藤田本は冒頭は言語と比喩の話である)がどこまできいているか、過去の実在という『物質と記憶』の大テーマである過去を敢えて亡霊的ととらえることに、デリダの『マルクスの亡霊』そのほかのあり方をみていながらも、個々は今ひとつ成功したのかどうかわかりません。もっと一言、デリダ的な気持ち悪さの方向がベルクソンは明らかに違う点を書くべきでは。

5)ベルクソンに残存する身体という問題系。これはきわめて重要であるはずだろう。藤田はとりわけ手、しかもこれをメルロ=ポンティ的な二つの手(の差異)、おそらくはデリダのゲシュレヒトの手。ルロワグーランを引くスティグレールの手・技術・補綴につなぐ。また最終的にベルクソン的な身体像をどこかで探りだそうとする。これは非常に腑に落ちる話であると思う。
単純に超越論的でない「内在的」構想力の感性的な「身体を含む」組織化、ここに藤田はもっていきたいということは大変よくわかる。

Sunday, August 14, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その1(兼本浩祐先生、三宅陽一郎先生)

2022年6月17日に愛知医科大学精神科学講座の兼本浩祐先生からいただいた私信で、拙著第Ⅰ部の論点を指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、兼本先生のお許しを得て、ここに掲載させていただきます。

まだ、試論の辺りまでしか読んでいないのですが、むちゃくちゃおもしろいです。
ベルクソンの問題は本当に自分の問題なのだということが目からうろこのように感得されて、ともかく途中経過の感想を書きたくなりました。

精神医学は、数えることと、数えられてできあがった数との間で揺れる学問だと思います。今は、圧倒的にできあがった数の方に重心が置かれ、数を数える方へのまなざしは「反時代的」なのですが、人間というものが、数を数えなければ人の形を保てないものであることは間違いないことだとしても、数が生まれてくるその現場への関心がなくなってしまうことは少なくとも精神医学にとっては致命的なのだと改めて思いました。


ゲームAI研究者・開発者の三宅陽一郎先生にご講評を賜りました。

 https://miyayou.com/?p=2421




Saturday, August 13, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』の装丁の話(山崎敦さん)

仲良くしていただいている中京大学の山崎敦先生は、2022年6月7日の私信にて、
普段から発揮されている鋭い観察眼を拙著の装丁に向けてくださいました。
山崎さんのお許しを得て、軽妙な筆致の文章を一部引用させていただきます。

中からでてきた本を手に持ってみて、
まず、そのズシリとした量感にはっとしました。
そして薄暗いなか、酔眼をこすりながら、
その壮麗かつキュートな装画にため息がもれました。
思わず帯を外しましたよ。
帯を外してまで眺めるに値するような装画など、
めったにありませんから、藤田さん、これは好運でしたね。
で、その帯の「止まって」の「て」上あたりに描かれた、
一瞬、ナメクジのように見えなくもない、
舌(影?)の出た球体は、装画本体から
飛び出てきた跳ねるガラス玉なのでしょうか。
もしそうなら、いや、そうでなくても、
そんな細かいところにまで神経のいきとどいた造作に、
ただもう感嘆するばかりです。

拙著の装丁は、装丁者の伴野亜希子さん(平井靖史さんのムサビ時代からの旧友)
と何度も話し合って完成に至ったものなので、お褒めいただけて本当にうれしい限りです。

伴野さんと編集者の関戸詳子さんのご許可をいただき、
ここに完成に至る幾つかの試作バージョンを公開いたします。
何がどう変わっているのかをお楽しみいただければ。

カバーver.1(2021年12月16日)



カバーver.2(2021年01月04日)



カバーver.3(2022年01月17日)



カバーver.4(2022年01月20日)3タイプ提示





カバーver.5(2022年02月21日)



カバーver.6(2022年03月16日)



カバーver.7(2022年04月01日)




カバーver.8&9、帯&別ver.、扉ver.1(2022年04月11日)







カバーver.10⇒完成!、表紙別案1(カバー白黒)、表紙ver.1、扉ver.2(2022年04月18日)






表紙別案2・3、ver.2(2022年04月18日)





扉ver.2(2022年04月19日)⇒完成!




表紙別案4(2022年04月20日)



表紙ver.3(2022年04月21日)



表紙ver.4(2022年04月22日)⇒完成!


Tuesday, June 14, 2022

6/19 「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」第一夜 藤田尚志×米田翼「生きるとは?――『創造的進化』の未来」

 

「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」第一夜 藤田尚志×米田翼「生きるとは?――『創造的進化』の未来」

フランスの哲学者ベルクソンの名を世界に知らしめた『創造的進化』。

そのなかでうごめく繊細なイメージ群を丹念に解きほぐしながら、この著作を「方向/彷徨」概念の脱構築の書と読み解く藤田尚志の『ベルクソン 反時代的哲学』(勁草書房)。

ベルクソンと同時代の生物学を徹底的に突き合わせながら、既存の生命観に対するオルタナティブを模索する米田翼の『生ける物質 アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想』(青土社)。

奇しくもまったく同じ日に初の単著を刊行することになった師弟が、ベルクソン的な生の行方をめぐって語り尽くします。

6~8月にかけて全4回でお送りする連続トーク企画「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」の第一夜です。

2022年6月19日(日)

休館日:月・火
開催時間

13:00 〜 15:00

開催場所

本のあるところ ajiro

〒8100001 福岡県福岡市中央区天神3丁目6-8天神ミツヤマビル1B
料金
1000円 
参加条件
要申し込み URLから申し込みを
URL
https://note.com/kankanbou_e/n/n76eb684b6972
主催者
本のあるところ ajiro
問合せ

本のあるところ ajiro

080(7346)8139

ajirobooks@gmail.com

Thursday, June 09, 2022

イベントやります!

遠隔参加もできますが、ご来場いただくとよいことがあるかも。

 https://note.com/kankanbou_e/n/n50223e07ff8c


師弟対決と言われていますが、杉本昌隆八段の気持ちかもしれません。

とりあえず自分にできることを、できる範囲で頑張ります。

本が高いので買えないという方は、ぜひお近くの図書館に購入希望をお願い致します。


Saturday, May 28, 2022

カバー、帯、表紙、扉。

 まずは刺身で食べ、お茶を少しかけて食べ、最後にお茶漬けとして食べる。複数の食べ方で楽しめる。

まずはそのまま手に取る。次に帯を取って、帯が付いていた時と何が違うのかをよく見てみる。最後にカバーを取って本体の表紙を見てみる。意味なども考えてみると面白いかもしれない。



Sunday, May 15, 2022

或る授業の記録

 第1回

 4/12 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(1)ジャック・デリダ、ジョン・D・カプート編『デリダとの対話 脱構築入門』(法政大学出版局、2004年)を読む①
 4/14 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(1)斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル 理論編』(ちくま文庫、2014年)を読む①

第2回
 4/19 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(2)『デリダ入門』を読む②
 4/21 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(2)斎藤環『ひきこもり 理論編』を読む②

第3回
 4/26 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(3)『デリダとの対話』を読む③
 4/28 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(3)斎藤環『ひきこもり 理論編』を読む③

第4回
 5/10 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(4)『デリダとの対話』を読む④
 5/12 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(4)ぼそっと池井多『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社、2020年)を読む


Thursday, May 05, 2022

ようやく出ます、、『ベルクソン 反時代的哲学』

6月1日刊行だそうです。

関係者の方々には本当にご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

カバーは一連のベルクソン本でお願いしている平井さんの旧友・伴野亜希子さんにお願いしました。

Monday, April 04, 2022

2021-2022年度の業績

例年同様、本年度の研究も、1)ベルクソンを中心とする近現代フランス哲学研究を軸に、2)哲学と大学、3)愛・性・家族の形而上学とその脱構築について進められた。

論文が4つ(単著・日本語が2つ、単著・英語が1つ、共著・日本語が1つ)、口頭発表が5つ(すべて単独。日本語が2つ、英語が3つ)。


出版物:著作・論文・翻訳

01. 平井靖史・青山拓央・岡嶋隆佑・藤田尚志・森田邦久「ベルクソンと現代時間哲学(上)」(共著論文)

 『人文論叢』(福岡大学人文学部)第53巻第2号、2021年9月、495-528頁

02. 「リズムの哲学がベルクソンに負うもの」

 『フランス哲学・思想研究』第26号、2021年10月、61-72頁。

03. 「「大いなる生の息吹…」ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』における呼びかけ・情動・二重狂乱(下)道の途中:二重狂乱と政治」

  『仏語仏文学研究』(東京大学仏語仏文学研究会)、2022年3月、第55号、229-246頁。

04. 「Diremption and Intersection: The Violence of Language in Bergson and Sorel

 Parrhesia: A Journal of Critical Philosophy 2022年春に公開予定。

05. 『ベルクソン 反時代的哲学』

 勁草書房より2022年春に刊行予定。

06. 平井靖史・天野恵美里・岡嶋隆佑・木山裕登との共訳『1903‐1904年度コレージュ・ド・フランス講義 記憶理論の歴史』

 書肆心水より夏ごろ刊行予定?


発表

01. 表現的自我:分析的アプローチとベルクソン的アプローチの接合 

PBJ-DI分析系分科会(2021年6月27日(月)14:00-18:30 @オンライン開催(zoom))(口頭発表、2021-2022年度)

02. On Personality: Analytic and Bergsonian Approaches  

International Workshop "Time, Freedom, Creativity: Bergsonian Perspectives" organized by PBJ and Barry Dainton2021 年 7 月 30 日(金)17:00-19:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表、2021-2022年度)

03. 講義の時間――ベルクソンのコレージュ・ド・フランス講義を読む

日仏哲学会秋季大会シンポジウム「哲学者の講義録を読む」(西山雄二さん(東京都立大学)、酒井麻依子さん(筑波大学)、八幡恵一さん(関東学院大学)、西川耕平さん(文京学院大学とともに)(2021年09月11日(土)15:00-18:30 @ハイフレックス開催(東京都立大学+ZOOM))(口頭発表、2021-2022年度)

04. Bergson and Heidegger on Schematism

Fukuoka Meeting of the Global Bergsonism Research Project (online webinar) – 12, 18, 19 November 2021 – Fukuoka University, Japan(2021年11月12日(金)21:30-23:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表④、2021-2022年度)

05. 崇高と走馬灯――ベルクソン、カント、ハイデガーをめぐる超越論的図式機能のゆくえ

第49回ベルクソン哲学研究会:特定質問者・峰尾公也氏とともに(2022年3月23日(日)16:00-17:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表⑤、2021-2022年度)