Saturday, December 26, 2009

哲学の旅――『哲学への権利』を観る

代読はすでに幾分か、自分が書くことになるであろうものの朗読なのかもしれない。

幾つかのすでに輪郭のはっきりした人格が出会うのではない。出会いが人格をつくりあげ、呼び声が主体性を貫いて構成する。反人間主義(anti-humanisme)ではなく、非人間主義(an-/in-humanisme)とでもいえばいいのだろうか。それも真正面からの、ステレオタイプ化した意味での「実存主義的」な出会いではない(サルトル本人はむしろ違っていたのではないかという可能性は強い)。現代においては、斜めからの、すれ違いざまの、通りすがりの、振り向きざまの出会いこそが大切なのではないか。

空港や大学のような、人が絶えず行き交う、しかし奇妙にがらんとした場所、雑踏であると同時に静寂を湛えた空間に私がひどく惹かれるのは、それが現代という時代を、しかしながらそのアクチュアリティにおいてではなく、その差延的な反時代性(intempestivité)、時代錯綜性(anachronie)において引き立たせる空間であるからに違いない。

人間関係全般が希薄になったと嘆いてばかりでは仕方あるまい。そのような現代における人と人との真の「出会い」が可能になる制度をこそ夢想しつつ、既存の制度を脱構築するのでなければならないだろう。私が狭義の西洋哲学研究の傍らで展開したいと思っている三つの問い――哲学と大学の関係、結婚の脱構築、旅行の哲学――は、様々なレベルでそこに斬り込もうとするものである。



西山雄二さんのドキュメンタリーフィルム『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』(Le droit à la philosophie : les traces du Collège international de Philosophie)が今、全国を巡っている――彼とは、哲学と大学、旅など多くのテーマが共通するのだが、それは措こう。私もようやくそのフィルムを見ることができたので、ここにその印象を、まだ観ていない人のための配慮を施しつつ、ごく簡単に記しておくことにする。

1)表現手法の旅
まず、独りの思想・文学研究者が制度についてのドキュメンタリー映画を撮ってしまったという事実に単純に驚いてしまう。イマージュや映像を文学研究の対象とすることはもはや研究の一ジャンルとして確立したが、自分がイマージュや映像を主たる表現媒体として研究成果を発表しうると、実例をもっていったい誰が示しえただろうか。たぶん前例はほとんどない。

国際哲学コレージュ(CIPh)というフランスの一高等教育制度についての考察を思想研究者が映像化することにどんな意味があるのか。Bruno Clémentはインタヴューの中で、デリダがCIPhを創設した精神はCIPhに「意味sens」ではなく、「奥行き、立体感relief」を与えてきたと述べていたが、インタヴューの内容だけでなく、インタヴューされる者たちの顔、身振り、手――握手を交わす手と手――の映像はまさに、CIPhの活動の「意味」ではなく、「奥行き」を観る者に与える。

思想研究はどこかの時点で必ずエクリチュールを通過するとしても、エクリチュールが最終地点であると誰が決めたのか。表現手法がイマージュや、さらには行動であっていけない決まりはどこにもない――フランソワ・シャトレが自らを「哲学のプロデューサー」と規定し、盟友ドゥルーズがその「プロデューサーの哲学」を興味深い形で引き出してみせたことを思いだしておこう(2009年1月26日の「哲学のプロデューサー、プロデューサーの哲学」27日「プロデューサー目線」、また『思想』ベルクソン生誕150年特集(2009年12月号)の132頁を参照のこと)。

映像(イマージュ)はこうして「奥行き」とともに、ごく限られた専門家だけでなく、広く一般の聴衆を哲学と制度の問題の考察へと導くことに役立つ。嘘だと思うなら、一度この映像を見てみればよい。そして自分の書きものが達しうる読者層と較べてみるとよい。『哲学への権利』は研究手法において、思想・文学研究の表現方法において実験的な旅を試みている。いや、「実験的な旅」とは冗語的にすぎよう。実験(experiment)の語源が「貫く」を意味するギリシャ語peíreinに由来する以上、その名に値するほどの「旅」は、常にすでに幾分か「実験」であるのだから。

2)表現内容・表現主体の旅
次に、『哲学への権利』が、決して単なる「お説拝聴」のドキュメンタリーに終わっていないことを強調しておこう。一日本人思想研究者が対等にCIPhの中心的なメンバーたちに問いかけ、この特異な制度の長所だけでなく、「問題点Les problèmes」をも引き出しえている。これはとりわけ、従来の日本の、とりわけ現代思想系の研究者たちに見られなかった姿勢である(「CIPhとデリダ」のセクションは、あるいはさらに突っ込んでもよかったかもしれない)。

この作品はCIPhという制度が描いてきた「軌跡traces」、その「奥行き」を、限られた「手段moyens」(限られた時間・資金、限られたテクニック・言語能力など)で辿り直すことによって、日本の思想・文学研究全体が辿ってきた軌跡や奥行きをも逆照射する一種の「旅」である。私たち思想研究者はこの映像を、自分自身の辿ってきた軌跡や奥行きとひき比べることなしに、決して他人事としては見られないだろう。

3)上映運動という旅
最後に強調しておくべきは、『哲学への権利』が単なる一映像作品の名ではなく、西山雄二という恐るべき行動力を発揮し続ける個人がその映像作品をもって、日本全国のみならず、世界各国を巡回する運動そのものの名であるということだ。前出のBruno ClémentがCIPhはデリダの諸著作と同じように彼のoeuvre(作品)の一つである、と述べていたが、全世界に散らばる友人や知人のネットワークを駆使して織り上げられた上映運動としての『哲学への権利』もまた、西山雄二のoeuvreだと言える。

だが、さらに一歩を進めてこう言うことに西山はきっと反対しないはずだ。そうではない、人々を貫き、人々をつなぐ『哲学への権利』という映像作品および作品上映運動――握手する手と手――は、おそらくは西山雄二という個人から出発したのではないし、CIPhという運動自体すら、おそらくはデリダから出発したのではない。デリダをも貫いて流れ来たった力、思考の力の旅こそがoeuvreの真の「作者auteur」なのであり、これこそ「哲学」にほかならないのだ、と。

インタヴューの中で、François Noudelmannは、デリダに敵対的な思想的ポジションをとる人たちをも積極的にCIPhに迎え入れることをデリダが繰り返し強く勧めていたと語り、それをデリダがcontre-signatureという概念で表現していたと述べていた。公式の文書により多くの正当性を与えるためになされる「副署」であると同時に、文字どおりには「反対の意を表しつつサインする」ことをも意味しうるこの語こそ、CIPhを表現し、またCIPhをめぐる映像作品である『哲学への権利』、そしてその上映運動を表現するのに最も適した語であるかもしれない。

デリダに何の関心もなく、むしろ彼の諸著作を真剣に読んだこともなく毛嫌いしている人々、CIPhと聞いただけでデリダ派の牙城と考えてしまう人々、哲学と制度の関係についてあまり考えたことのない「職業的」哲学者たちこそ、各地の大学で行なわれている上映会をぶらりと観に行かれるべきであろう。その身振りこそ、今まさに動きつつある現代世界の思想に必要なcontre-signatureの一つであろう。

Friday, December 25, 2009

代読(2)クリスマスに思う

「冬の兵士」とヴェトナム戦争  

帰還兵たちが自らの戦争体験を語る「冬の兵士公聴会」(Winter Soldier Investigation)がはじめて行なわれたのは、実はイラク戦争の時ではない。1971年のデトロイト、反戦ヴェトナム帰還兵の会(VVAW : Vietnam Veterans Against the War)によるものが初めであった。マーク・レイン(Mark Lane)という人物が「冬の兵士」という名称を提案したとされているが、この名称にはどのような意味が込められているのだろうか?

「冬の兵士」とは
  
1776年、合衆国は独立戦争において敗北の危機に瀕していた。ジョージ・ワシントンの軍隊は敗戦を重ね、退却を余儀なくされた。その地で部隊は厳寒の冬に苦しむことになる。十分な食糧と衣服が支給されないまま、2000人の兵士が発疹チフスや腸チフス、赤痢や肺炎のために命を落とした。脱走者も出始め、指揮官のワシントンでさえ諦め始めていたそのとき、偉大な革命家トマス・ペインの言葉が部隊を奮い立たせた。
今こそ魂が問われるときである。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠ざかるだろう。しかし、今立ち向かう者たちこそ、人々の敬愛と感謝を受ける資格を得る。専制政治は地獄にも似て、容易に克服されることはない。それでも私たちは、この慰めを手にする。闘いが困難であればあるほど、勝利はより輝かしいものとなる。
“These are the times that try men’s souls. The summer soldier and the sunshine patriot will, in this crisis, shrink from the service of their country; but he that stands it now, deserves the love and thanks of man and woman. Tyranny, like hell, is not easily conquered; yet we have this consolation with us, that the harder the conflict, the more glorious the triumph.” (Thomas Paine’s first Crisis paper, written in December 1776)
夏の兵士と冬の兵士
  
ひとびとの熱気を支えに勇ましく進軍していくのが「夏の兵士」だとすれば、「冬の兵士」とは、冷え切った世論を前に、ともすれば「裏切り者」扱いされかねない困難な状況下で、真に祖国のため、世界のために行動できる人々のことに他ならない。

このトマス・ペインの詩からスピンして「冬の兵士」という言葉が出来たのだという。冬の兵士とは、最も過酷な状況にあって、本当の意味で祖国のことを思い、精神的な意味で「前線で体を張る」、そういった人々のこと、心の声に耳を傾ける者たちのことであろう。証言者の一人、ハート・バイジェスはこう言っていた。「自分はいま、兵士(soldier)ではなく、魂の戦士(soulja)です。…魂の戦士は弾丸ではなく、言葉をもつ。教条ではなく、心の声に耳を傾ける」。

応答と責任

ここでわざわざ「冬の兵士」の系譜を辿ってみたのは、いかなる政治的行為も何らかの形での「応答response」であり、そのような「応答可能性=責任responsability」なしに政治はありえないということを確認するためであった。IVAWは言ってみればVVAWの放った呼びかけを受け止め、それに応えたのであり、私(たち)はささやかながら、斜めから、すれ違いざまに、通りすがりに、IVAWの呼び声を聴いたのである。

パスカルは「イエスの神秘」において、こう述べていた。「落ち込んだりしないように。もしお前が私を見出していなければ、私を探したりはしないはずだから」。ベルクソンの一節「やがて自分のものになるはずの言葉は、すでに自らの内部にその反響を聞いていた言葉なのである」は、パスカルの言葉と完全に響きあう。わずかであれすでに見出しているからこそ探せるのであり、かすかであれすでに反響を聞いているからこそ自分のものにしようと思うのである。「あんな風になりたい」という憧れに身を焦がし、決心を固め、行動に移る人は、模倣者であると同時に、すでに少しだけ創造者と化している。動的行動の発生は、事後的・遡及的にしか見出されえない。いかなる出会いにも言えることだが、奇妙な因果性がある。本当に出会うためには、すでに出会っていたのでなければならないのだ。

この話の続きは、私の論文でどうぞ(笑)。

Thursday, December 24, 2009

代読(1)

私は友人のJAZZ/朗読ライヴを告知しただけなのですが、ご丁寧なコメントをいただき、誠にありがとうございます。



考えてみれば「代読」とは興味深い行為だ。誰かの書いたものを代わりに読むという行為。むろんそれがあまり大きな意味をもたない場合もあるだろう。哲学の学会で発表を代読されて感動する、などということはまずないように思う。

だが、『冬の兵士』朗読会では感動した。内容だろうか。それもあるだろう。イラク戦争のドキュメンタリー本の朗読でも感動するかもしれない。しかし、その場合は、読み手の能力に大きく依存するだろう。今回はしかし、朗読のプロでない市井の人々が朗読し、それが確実に何かを伝え得たのだから、〈声の複数性〉ということに意味があったように思う。

それにまず、ドキュメンタリー本を誰か一人が読み聴かせるという朗読会ならば、私は行こうと思わなかっただろう。なぜだろうか。たぶん独りの人格が大きすぎ、強すぎる(trop imposant)のだ、今の私の衰弱しきった政治感覚にとっては。

そのことに真正面に向かい合いすぎると逃げたくなることがある。真正面すぎる〈出会い〉には疲れてしまう。斜めから、すれ違いざまの、通りすがりの出会いが、私だけでなく、今の日本人の政治感覚にとって重要ではないかと思ったりもする。フランス語で「声」を意味するvoixは、投票の際の「票」をも意味する。かつて(2002年5月のいわゆるルペンショックの時)そのことをめぐって短い雑文を書いたことがあった。

行き交い、響き合い、消えてゆく声の政治。だからこそ、イラク戦争の帰還兵たちの〈証言〉を、彼らのさまざまな〈声〉を、年齢・性別の近い人々のさまざまな〈声〉が代わりに読み上げるということになんとなく漠然と興味をもったのではなかったか。

Tuesday, December 22, 2009

新たな出会い(その3)

12月19日(土)なんとか四コマの補講をこなし、某氏に連れられ、九州日仏学館へ。館長はじめスタッフの方々にご挨拶。今後ともよろしくお願い致します。

その場で、日仏学館にお願いしようと思っていた3つほどあるプロジェクト「福岡でフランス哲学を」(PFF : Philosophie Française à Fukuoka)(笑)がいずれも前進。

2010年3月中旬:とある映画上映会開催(か?)
2010年3月27日(土):フランス哲学に関する国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
2010年11月20日(土):結婚の脱構築をめぐる国際シンポ開催決定!(詳細は追って)

その後、某氏とふたたび夜の福岡バー巡り。たまに飲むのは好きです。

それにしても、見ず知らずの方に「ブログ読んでます」とか言われると、どきっとしますね…。心臓によくないので、そっと見守ってやってください。たまに檄文調のものがありますが、あれは別人(?)が書いてますので、気にしないで下さい。

Friday, December 18, 2009

来し方行く末

年末までに論文を二本仕上げないといけないのだが、今は絶望的に忙しい。明日土曜日も補講が4コマ(講義2コマ)あり、今日はその準備に忙殺されている。

別に自分が特別忙しいと思っているわけではなく、ただ作業量が自分の処理能力を超えているというだけの話である。このブログからリンクさせていただいている少し年上の友人たちは、もちろん私以上に多くの研究外の仕事を抱えながら、日々の研究を怠っていない。本当にすごい、といつも思う。一歩でも近づければ、と願っている。

年末だからというのでもないだろうが、大量のメールに交じって、来し方行く末を知らせる便りが二つ。遠く懐かしい人から、私がリールで奮闘していたことをフランス人たちが今も覚えていると伝えるメール、そして恩ある人から未来についてのメール。みな忙しく自分の生活を送っている中で、世界のどこにいても、覚えていてもらえるというのは本当に嬉しいこと。感謝しています。

Tuesday, December 15, 2009

後悔はしていない――新たな出会い(その2)

師が走る。授業準備、学生たちの指導およびメンタル・ケア、種々の会議、事務作業、家庭サービス…。委員も早くも押し付けられ…。

そして最後に、残された体力と気力を振り絞って、研究。それも自分自身の、ではない。並行して進行する諸々のプロジェクトの実現に向けての努力、連絡・調整…。それに大の苦手の校正(今日ようやくゴーシェの校正が終了)。

さらに、こんなイベントにも無関係ではなかったり。

そんななか、プロジェクトの成功に向けて、地道なネットワークづくりのために行ってきました、12月12日(土)、九州仏文学会@西南学院大学。西南もはじめて行ったが、関西で言うところの「関西学院大学」のような、おしゃれな感じ。懇親会ではいろいろな人々と少しずつ知り合うことができました。

来年の福岡シンポのビラ配りに行くというだけのつもりだったのだが、いきなり委員にさせられてしまった。身がもたないので、あまりこき使われたらやめてしまいます。

今やっているさまざまな活動について、その一瞬一瞬をいつか振り返ったとき、「後悔はしていない」と言い切れるだろうか。



阪神・赤星、決死のダイブは後悔なし(クリップ) 2009.12.9 20:59

赤星はこの決死のダイブでけがをした=甲子園、9月12日

 「泣いたら、いろんなことを後悔すると思った。貫き通そうと思った」。記者会見の間、赤星が涙を見せることはなかった。

  9月に脊髄(せきずい)を損傷した。家から出られないほど症状は重かった。いくつもの病院を巡ったが、返ってくる答えは厳しいものばかり。シーズン終了 後、球団から引退をすすめられた。約1カ月「人生で一番苦しかった」と言うほど悩み抜き、決断した。現役への未練はもちろんある。「若い選手に負けていな い。けがさえなければ、まだまだできる気持ちがあった」と33歳は言った。

 脊髄(せきずい)損傷のほかに首や腰、さらには手足にしびれが出る。「言葉に表せないくらいしんどかった。首の痛みで眠れない」。ここ3年間は常にけがとの闘いで「最後の3年間が9年分に感じるくらい長かった」とつぶやいた。

 けがをしたのは9月12日、雨の甲子園だった。右中間の当たりに頭から飛び付き、赤星のプロ生活が終わった。「夢であのシーンが出てくる。野球人の本能でやった。後悔はしていない」。この言葉に、この日一番の力がこもっていた。

Monday, December 07, 2009

備忘録的に。

1)12月中旬までにゴーシェ翻訳校正。来年二月にようやく出るそうです。

2)12月中に某雑誌に投稿予定の論文完成(日本語)。

3)12月中に第三回シンポ原稿完成(仏語)。

4)来年1月中にエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表(ベルクソン&メルロ)を論文化(日本語およびフランス語)。

5)来年1月中にネオジャクソニスム研究会のためのデジャブ論文(ベルクソン&ドゥルーズ)執筆(日本語)。

6)来年1月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップ(英語)。

7)来年3月の福岡シンポのための発表原稿準備(日本語およびフランス語)。

8)来年4月のエラスムスのための授業準備(フランス語)。

Sunday, December 06, 2009

新たな出会い(その1)

11月5日(土)、西日本哲学会@九州大学・箱崎キャンパス

午前中は補講で自大へ。うちの学生はとりわけtrustとfriendlinessを混同しやすいので、一緒にご飯を食べに行ったり、といったことはこれまで極力避けてきたし、これからもそのつもりだが、土曜日にわざわざ補講に来てくれたということで、ゼミの学生たちに、お気に入りの店Cafe Edomachoにて、昼ご飯をおごる。

その後、バスで九大へ。初めて足を踏み入れた。60回記念のシンポジウムが黒田亘の哲学について。なんという渋さ…。黒田の因果性・志向性についてのよく知られたテーゼが俎上に載せられ、隠された存在論が指摘されるなど興味深かったが、一番印象深かったのは、お世辞抜きで切れ味鋭い提題を行なった三人の(必ずしも年齢に拠らない)若々しさであった。新しい土地で、新しい人々と知り合って知的刺激を受けるのはいつも楽しい。

夜は懇親会。いろんな方とお知り合いになれたのが良かったが、なかでもkm先生とはじめてお会いして、少しお話しできたのは嬉しかった。哲学と教育の関係について同じ情熱をもっていると直感した。y大のfさんと長々とハイデガー&ベルクソンについて議論できたのもよかった。

nnさんのグループと二次会。彼と同年代の友人ばかりだったからか、かなりくだけたノリで、楽しかった。その後、某先輩におしゃれっぽいバー?クラブ?(おじさんの行くやつではなく)に連れて行っていただいたが、…歳をとったと痛感した。クラブ音楽は嫌いではなかったが、若者の華やぎに疲れてしまう。

12月6日(日)、引き続き西哲@九大。昼から三つの発表を聴く。スピノザの勉強になった。家に帰るなり、子供のお守。ご飯を食べて寝かしつけ、授業準備に取り掛かる。ドゥルーズとグールドの話はいよいよ佳境。こっちの夜の方がより刺激的だと思うのだから、まあ歳をとった。

Friday, December 04, 2009

授業

今日は、自分の大学の気になる先生の授業を覗きに行った。イギリス人の先生なのだが、英語のグループワークの仕方が巧みだという評判を小耳にはさんだので、自分の授業の何かの参考になるかと思って授業見学を申し出たのである。

彼は私と同じで、授業に対してはっきりとした「プリンシプル」をもっている。モチベーションのある学生を自分の授業に惹きつける努力を最大限行なったうえで、要求度の高い授業をしようという基本姿勢である(カリキュラムの構成上、不可避的にそうでない学生が集まる授業には、もちろん別のプリンシプルをもって臨む)。

私からすると小声で早口の英語だが、学生たちは確実に指示を理解し、こなしていく。チーム別の英語でのプレゼン。パワーポイントもすべて英語で作成。英語のレベルはまちまちだが、フランス語関係者としては、英語を使ってプレゼンをさせられるというだけで羨望を覚える。先生の求心力が高いと、いろんなことをさせられるのだと再認識させられる。



授業は、英語教授法に関するテキストを使って、学生と一緒に「いかに英語を教えるか」を考えるという、メタ的な授業で面白そう。授業後半では、「では、この授業自体を改善するにはどうしたらいいか?」と自己言及度がさらにアップ。問いかけの一つに「例えば、私があなた方との関係をもう少し親しみやすいものにすれば、あなた方のモチベーションは上がるでしょうか?」というものがあり、彼はそちらへと議論を収束させていく。

彼の考えでは、教師と学生のしっかりした関係を構成する要素は四つある。
1)trust(信頼)
2)fairness(公平さ)
3)availability(どれくらい学生のために時間を割いてくれるか)
4)friendliness(親しみやすさ)
最近の学生は4を重要視するようだが、自分の考えでは1~4の順に重要度は低くなる、そう彼は言っていた。私もまったく賛成である。「けれど、これは私のオピニオンにすぎません。皆さんのオピニオンを来週までに書いてきてください。これが宿題です」。最後まで見事に準備され、見事にコントロールされた授業だった。90分の密度が濃い。

もちろん「信頼」ですらも入口にすぎない。それを通じて、どれほど学問の世界の魅力を伝えられるか。そこからが本当の勝負である。どこまで行けるだろうか。

研究も大切だが、授業も大事にしていきたい。私が今そこに照準を合わせざるを得ないレベルにあっても、真剣に取り組んでいれば、授業も必ず何かを与えてくれる。そう思っている。

Thursday, December 03, 2009

法のイメージ(アレクサンドル・ルフェーヴル)

前にカナダの友人が送ってくれた本がつかない、とこぼしていた。

ずっとうっすら思っていたことを、数日前、ふと思いたって、実行に移してみた。大学のまったく別の学部に同じ姓の先生がいらっしゃるので、おそるおそるその先生にこの件に関してメールを送ってみたのである。

すると…届いていた!

Alexandre Lefebvre, The Image of Law. Deleuze, Bergson, Spinoza, Stanford University Press, coll. "Cultural Memory in the Present", 2008.

この間、ベルクソンとドゥルーズの政治哲学における比較をやったばかりだが、これは読んでおくべきだったかも…。

Wednesday, December 02, 2009

のんびり繋がっていく

かなり遅れて出した宿題のような夏休みの日記に書いたように、8月13日に『冬の兵士』朗読会に偶然参加した。

反戦活動に予期されるような暑苦しさもなく、京都的な、のんびりまったりした、けれど決して流されないぞという気持が心地よかった。まさに「かぜのね」にふさわしい。

何人かの普通の人たちが、それぞれの年齢に近いイラク占領に関係した人々――兵士、女性兵、兵士の家族たち、イラクの子供たち――の証言を読み上げる。ただ、それだけのことが、私たちの心を打つ(京都人たちによる朗読風景は上記ページより。私の姿も一部映ってますね…)。

…という話を、その数日後、福岡から遠からぬ町に住む、仲のいい、知り合いの牧師さんに興奮冷めやらぬうちに話した。いや、話したことさえ忘れかけていたのだが、最近会ったとき、今度自分の教会でも、朗読会をやってみることにしたと言っていた。

話 してみるものだなあ。開かれて繋がる、とまでかっこよくは行けないのであるが、のんびり繋がっていくのだなあ。こういうことも「哲学」と関係なくはないだろうと思い、こちらのページにも書いた次第。

Friday, November 27, 2009

大学の無関心、無関心の大学

大学に就職し、辞令をもらってから、半年以上経った。包み隠さず言えば、その間、大学について考えることが極端に減った。就職が決まるまでは、あんなにも大学をめぐる問題に対する哲学者たちの反応の鈍さに憤慨し、自分はそうなるまいと思っていたのに、である。

大学のグランド・デザインに直結する今回の事業仕分けですら、恥ずかしながら、新聞で読んだ程度で、詳しく調べることはしなかった。もちろん言い訳はいくらでもできる。体調がすぐれない中で、私は私なりに教育と研究に全身全霊を傾けているつもりである。だが、そういうことが問題ではないのだ。



無邪気な無関心(研究・教育が忙しいので…)、怠惰な無関心(自分はもう「一丁上がり」だし関係ないから)、ニヒリズム(どうせそんなこと知ったって…)は、政治的去勢の裏返しである。また逆に、ポスドクという不安定な状況にいることを強いられているにもかかわらず、大学問題を理論的に考察しようとせずに、ただルサンチマンを養殖しているだけの人々(「なんであの程度のやつが就職できて、自分が…」)も問題である。大学就職後の無関心と、就職前の無関心、大学の人文科学研究は二つの無関心の挟み撃ちに遭っている。

理系の著名な科学者たちが声を大にして発言していることはメディアでも伝わってきた。おそらくメディアが伝えていないだけで、文系の著名な科学者たちも積極的に発言しているに違いないが、私は寡聞にしてあまり知らない。



仲間が、とりわけ優秀な仲間がいて、共に考えるよう誘ってくれるというのはとても幸せなことだ。現在、UTCPを中心に幅広い活躍を続けている西山雄二さんは、大学と人文科学の問題をここ数年、哲学的な仕方で追究されてきた方だ。

彼が最近書いた二つの小文と一部抜粋をご紹介しておきます。
【現場報告】大学の未来像 ― 行政刷新会議「事業仕分け」
私的関心に引きつけると、会場では人文社会科学に限定した議論もなされた。人文社会科学系の研究者は研究教育の必要性を語る言葉をもつように促されている が、さらに高等教育の政策論まで見据えた展望や論理を磨き上げることも大事だ。私たち人文社会科学系の研究者は学問と社会をつなぐ言葉や理念をどの程度 もっているだろうか。大学に対して経済合理主義的な評価がなされる現実を前にして、私たちの現在と未来を包み込むような説得的で実効的な理念をどの程度 もっているだろうか。

国家と人文学――「新しい教養」の行方
最後のセッションだけあって、質疑応答は白熱し、「評価をどう考えるべきか」「国家との関係において大学とは左翼的なものであるのか」「フィクションの権利の危険性をどう考えるのか」といった質問が相次いだ。なかでも、「日本でも韓国でも一部の大学のみが国家から資金援助されて、残りの大多数の大学や学生 は貧しい状態で喘いでいる。この格差を私たちはどう考えるのか」という問いが印象的だった。大学論に必要なことは、大学が多種多様な現実で構成されていることを自覚し、モノローグ的な「私の大学論」の誘惑に陥らないことである。大学に関係する者はまず自分の限定的な立場を自覚することで、大学を批判的な公共空間として創造することができるだろう。


「自分の大学」のことを考えようとしている人はたくさんいる。自大・自学部・自学科・自専攻の維持・発展(弱小私立大学の場合には、その前に「生き残り」)を願って、大変な役職を引き受け、煩雑な委員会活動を誠実かつ真摯にこなし、大学の運営に携わっておられる方々はたくさんいらっしゃる。それはそれでとても大切なことだが、それはごく限定的な自己防衛本能にすぎないとも言える。

「大学というものそのもののありようはどうなのか」という問いになると、とたんに腰が引けてしまう。あの無邪気な常套句「大学なんか潰れても哲学(文学研究)はやっていける」は、実は思想的な弱腰の裏返しにすぎない。「大学なんか潰れても自然科学はやっていける」などと言っているまともな自然科学者がどこにいるだろう。はっきり言ってそれは「核戦争で文明が破壊され尽くしても、人間は生き残る」というのと同程度の真理性しかもたない。

哲学が真理の探究であると同時に、真理を探究する者をどう育成するかという教育の問いでもあり、制度をめぐる政治的な問いでもあるというのは自明のことだ。哲学・教育・政治の三位一体である。この三つ組がアクチュアリティへの対応・適応を越えて、反時代的なものに自らを高めねばならない(何度でも言うが、反時代的とは反動的・保守的ということではない)。

問題はここにある。「無関心」とは端的な無関心だけを指すのではない。表面的には(自分の意識としては)大学に関心をもっている「自己保存欲」、アクチュアリティに追従しているにすぎない右往左往の対応もまた、病根の深い「無関心」なのである。

大学をめぐる問題は、大学の中のこの広義の「無関心」と闘い、大学人に自覚を促しつつ(これがとても大変な作業であることは重々承知したうえで)、大学の外や周囲にいる人々と共に考えていくのでなければならない。

絶えず頭をもたげ、優勢を占めようとする自分の「無関心」と闘い続けること。

Thursday, November 26, 2009

『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」


『思想』12月号「ベルクソン生誕150年」が発売されました。

小規模の特集はともかく、本格的な特集としては、1994年以来になると思います。

ベルクソン研究を外へと開いていこうとする興味深い鼎談、力の入った論文の数々、現時点でのベルクソン研究の到達点が概観できるサーヴェイや研究書誌もあります。

ぜひお買い求めください。詳細内容はこちら

Sunday, November 22, 2009

ジャネのために(pour Janet)

シンポは無事に終わった。バタブラ研(と一部で呼ばれているらしい)と同じ日にぶつかってしまうというアクシデントを差し引けば、むしろ予想以上の集客だったと言える。来ていただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。

フロイト-ラカン愛好者でない者を見つける方が難しいフランス現代思想業界で、「死んだ犬」扱いされているピエール・ジャネからアンリ・エーへと至る流れ――ごく広い意味での「ネオ・ジャクソニスム」の系譜――に光を当てた、このような反時代的シンポの重要性はもっと強調されていい。

ちなみに、このシンポのために、俊英と評判の高い立木康介氏の「シャルコー/ジャネ」(中央公論新社版『哲学の歴史』第9巻所収、2007年)も読んだが、かなりがっかりした。
《実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は、このエレンベルガーの見方に真っ向から対立している。「無意識は一つの言語として構造化されている」というラカンのテーゼは、エレンベルガーによってもっぱら「パトスの復権」として読まれたフロイト的無意識を、徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した。逆に、この点でもベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせているところを見れば、むしろ彼のほうがロマン主義的な感性への親和性をもっていたのではないかと疑わずにはいられない。》
俊英と評判の高い人がこんな凡庸なことを書いてはいけない。三つある。

まず、エレンベルガーの『無意識の発見』のように、あえて挑発的図式化を意識的に引き受けた史的著作に対して、実に無邪気にそれを再転倒してみせる感性を疑ってしまう。フロイトはロマン主義者でなく、啓蒙主義者である?事実誤認だと言っているのではない。フロイトが啓蒙主義者なのだとすれば、彼の啓蒙主義はいかなる特徴をもつのか、大切なのはそれを簡潔にであれ言うことであり、さらに大切なのは、仮にジャネがロマン主義者なのだとすれば、いかなるロマン主義者であるのかを言うことではないのか。教科書的な腑分けを単純にひっくり返してみせること自体に大した意味はない。理論的な争点だけがそのような操作に意味を与えうるのである。むしろ違う形で形成されたフロイトとジャネの「科学主義」の共通点と差異にこそ焦点を当てるべきだったのではないのか。

フロイトの啓蒙主義自体が問題となっているのに、「実際、ジャック・ラカンによるフロイトの再解釈は」とほとんどオートマティスムのようにラカンを引き合いに出してしまう初歩的な論理的ミスもさることながら、フロイト主義隆盛への単純なカウンター(エレンベルガー)に対して単純に流行を(しかも、よりにもよって最も凡庸なラカン像を)対置してみせる批判的=批評的意識のなさは痛々しい。「徹底的に理性の側に取り戻すことに成功した」などと書くようでは、ラカン派はやはりドグマティックと言われても仕方がない。繰り返すが、重要なのはいかなる理性の側に取り戻したのか、である。

次に、ロマン主義/啓蒙主義の図式にのっとったまま、単にフロイトを擁護するだけでなく、返す刀でジャネをばっさりと斬り、しかもその凶刃で、付近にいたベルクソンまで手にかけてしまう無思慮さも法外である。「ベルクソンと通じ合う知的雰囲気をもつジャネが、しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」ことをジャネのロマン主義とフロイトの啓蒙主義の分岐点に据えたいらしい立木氏は、フロイトの数多くの宗教論・オカルトへの言及を完全に忘れているように見える。仮に、ジャネもフロイトもともに「しばしば宗教的なものへの関心の強さを窺わせている」が、両者の関心のもち方、方向性は完全に異なる、といった論旨が展開されるのであれば、まだしも百歩譲ってこの一節を好意的に解釈しようとできるが、後続の文章の中にそういった記述は残念ながら見出されない。

理性と非理性の単純な境界線、単純な価値評価を踏み越えたところにこそ、まずそのごく基本的な理論的意義が認められるべきフロイトを、是が非でも単純な「理性の側」に奪取しようとするその姿勢がまさにフロイト的でない。ドゥルーズの論文集のタイトルをもじって言えば、「批判的かつ臨床的」な視点からフロイト(およびラカン)とジャネ(およびベルクソン)の関係が論じられる中で、ジャネの可能性の中心が簡潔にであれ示唆されることを期待していた読者が目にするのは、ジャネとベルクソンの微妙な関係というごく基本的な事柄すらわきまえない、セカンドハンドの資料から書きあげられた匂いの濃厚な文章である。

最後に、この文章の最大の問題点は、シャルコーやジャネへの愛がほとんど感じられないことである。「本当はフロイトかラカンについて書きたかったのに…」という感じが全編に溢れていて、読む者を辛くさせる。不憫なシャルコーやジャネのためのみならず、立木氏自身のためにも辛くなるのである。まさか誤解もあるまいが、シャルコーやジャネを絶賛する文章でなければ、と言っているのではない。ただ、「そんなに魅力のない対象だと思っているなら、なぜ執筆を引き受けたのか」と読者に思わせるような文章を立木氏ほどの人物が書くべきでないと言っているのである。幾ら才能があっても、いや才能ある人だからこそ、こういうものを書いてはいけない。死者のためにも、読者のためにも、自分自身のためにも。いかに歪んだ愛でもいい、愛ある対象について人は書くべきだ。

「歪んだ愛」ということで言いたいのは、例えば、ドゥルーズが「敵について書いた唯一の著作」と認めるカント論のように、明白な理論的争点を上品な形で(死者が悲しまないような仕方で)提出するのならばそれはよい、ということである。日本の思想業界は論争を好まない。特に、亡くなった先生や友人などの著作やテーゼでも反駁されようものなら、大変な騒ぎである。だが、それでは思想は発展しないだろう。愛は媚を売る「やさしさ」とは違う。

「ジャネのために」書かれたものを読みたい方は、上記シンポの報告書が公刊されるはずですので、そちらをご覧ください。

Monday, November 09, 2009

記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~

11月21日(土)1時より、明治大学駿河台キャンパスにて行なわれるシンポの宣伝です。

明治大学ネオ・ジャクソニスム研究会連続シンポジウム
「記憶と実存~フランス哲学と精神医学、そして文学~」

第一回 ベルクソンとジャネ 


「「差異と反復」の前夜 ─ メーヌ・ド・ビラン:努力とオートマティスム」
 合田 正人 (明治大学)

「ジャネとネオ・ジャクソニスム : 創造と過去保存の心理学をめぐって」
 田母神 顯二郎(明治大学)

「ジャネとベルクソン」
 松浦 宏信(リール第三大学)

「ベルクソンとドゥルーズ : デジャ・ヴュの問題をめぐって」
 藤田 尚志 (九州産業大学)

日時
11月21日(土) 13:00~17:30
会場
明治大学駿河台校舎リバティータワー LT1084教室



私自身の発表は、ベルクソンとドゥルーズにおけるデジャヴについて、先日のセッションでエリーが喋った側面と自分が話したコメントを自分なりの視点でまとめ直し(もちろんエリーの承諾はとってあります)、さらに一歩進めるつもりです。先日のエリーとのセッションに来られなかったという方も是非どうぞ。

なお、第二回は12月5日(土)の予定だそうです。

Sunday, November 08, 2009

受賞

2009年11月7―8日、仏文学会@熊本大学に参加してきた。フランス文学からはますます遠ざかる一方なのだが、中世文学から現代文学・思想に至るまで、たまにこうして勉強させてもらえるのはいいことだと感謝している。哲学だけでなく、他領域に実際に関わっていることは重要だと感じる。

学会でしか会えない友人(afさん頑張ってくださいね)、二次会以後にしか会わない知人(笑)などと会えるのも本当に嬉しいこと。

さて、あまりいいことのない最近だが、朗報が。

2010年度学会奨励賞に選ばれた。仏文学会は巨大組織だ。各支部からの推薦で4名候補者が選ばれ、それぞれ三名の専門家に審査を委嘱した結果、二人の受賞者のうちの一人として私が選ばれたとのこと。素直に嬉しい。

これに驕ることなく、弛まぬ精進を続けていく所存です。これまでお力添えをいただいた方々に厚く御礼申し上げますとともに、これからもご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い致します。本当にありがとうございました。

Saturday, November 07, 2009

新生児の泣き声にも“訛り”(クリップ)

ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト11月 6日(金) 16時15分配信 / 海外 - 海外総合

生まれたばかりの男の子の赤ん坊(資料写真)。新生児の泣き声には、訛りに似たイントネーションがあり、自分の母国語と同じような“メロディ”で泣くという研究が2009年11月に発表された。

 新生児は子宮の中で言語を覚え始め、生まれたときには既にその言語特有のアクセント、いわば“訛り”のようなものを身に付けているという研究が発表された。

 胎児は耳で聞くことで言語に慣れていくという見解は特に目新しいものではない。誕生直後の新生児が複数の異なる言語を耳にすると、ほとんどの場合、母親の胎内で聞こえていた言語に最も近い言語を好むような態度を示すことが複数の研究で既にわかっている。

 ただし、言語を認識する能力と発話する能力とはまったく別のものである。

 ドイツ、ビュルツブルク大学発話前発育・発育障害研究センターのカトリーン・ヴェルムケ氏が率いる研究チームは、フランス人とドイツ人各30人、計60人の健康な新生児の泣き声の“メロディ”を調査した。

 ただしヴェルムケ氏によると、このメロディ、つまりイントネーションは、厳密に言えばアクセントとは異なるという。アクセントとは、単語の発音の仕方に関連するものだ。

 一般的に、フランス語を母国語とする人は語尾を上げ、ドイツ語を母国語とする人は逆に語尾を下げるということが知られている。また、メロ ディ(話し言葉のイントネーション)が言語の習得において決定的に重要な役割を果たすということもわかっている。「ここから、新生児の泣き声の中から何ら かの特徴があるメロディを探すというアイデアを思いついた」とヴェルムケ氏は明かす。

 今回の研究に参加した新生児の泣き声のメロディは、胎内で聞いていた言語と同じイントネーションをたどっていた。例えば、フランス人の新生児は泣き声の 最後の音が高くなった。「胎児や乳幼児がメロディを感じ取り再現することから、人間の言語習得の長いプロセスが始まることは明らかだ」とヴェルムケ氏は語 る。

 また今回の発見で、言語の発達プロセス以上のことが明らかになる可能性もある。「乳幼児の泣き声などの発声をさらに分析すれば、人間の祖先がどのようにして言語を生み出したのかという謎の解明にも役立つかもしれない」。

 この研究結果は2009年11月5日発行の「Current Biology」誌に掲載されている。

Matt Kaplan for National Geographic News

Wednesday, November 04, 2009

訃報

10月29日に五代目三遊亭円楽、11月1日にレヴィ=ストロース逝去の報があったばかりですが、11月3日、『ベルクソンの霊魂論』(創文社、1999年)の著者・清水誠さんがお亡くなりになったとのことです。謹んでご冥福をお祈り致します。

Saturday, October 31, 2009

続く。

ようやく、予定されていたイベントのすべてが終わった。若いさわやかな人たちとの付き合いはいつも楽しい。

しかし仕事はまだまだ続く(まあすぐに大学の仕事に引き戻されるんだけどね)。今日も一つ、岩波の校正を終えたばかり。

1)校正の仕事あと二つ。

2)大学紀要次号の校正がいきなり。なんでこんなに早いの。でも、可能なかぎり直したい。いつまでも、どんな評価に対しても、そこから何かを汲み取る努力を続けたい。

3)11月21日の「ネオジャクソニスム研究会」にお誘いいただいたので、おそらく参加する予定。

4)12月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップしつつ英訳。

5)1月までに今回のエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表を論文化。

6)来年3月のパリ・シンポのための発表原稿準備。

7)同時期にCIEPFCで、ドゥルーズとグールドについて発表をさせてもらうつもり。

8)同時期にトゥールーズ大学で、ベルクソンについて発表させてもらおうかな。

9)デリダ大学論の翻訳のお手伝い。

Thursday, October 29, 2009

阪大でのワークショップ

昨日は、エリーと私がデジャヴ現象についてのベルクソンとドゥルーズの解釈から出発して、絡み合うセッションを展開。分かる人には非常にスリリングな概念的な探究だったはず。聴衆は少なかったけれど、駒場や本郷の優秀な若手研究者が来てくれたのは嬉しい収穫。中身はこんな感じ。

1)鈴木さんによるDの潜在性概念の要約・整理・幾つかの疑問の提示

2)エリーによるデジャヴの病理学的研究史概観(特にジャネ)、およびBがその中で占める戦略的な位置、彼の解釈のポイント。

3)私のBデジャヴ解釈とメルロの幻影肢解釈の比較

4)エリーによるDのデジャヴ解釈のポイント。ランシエール、バディウによるD潜在性概念の批判

これらの発表は、議論の大筋も含めて、『死生学研究』の特集として収録されるはずなので、お楽しみに。



明日は最後のイヴェント。ベルクソン物理学研究の精鋭・三宅岳史さんが「哲学者の時間は存在するのか」について、現時点での研究の到達点を示し、エリー・デューリングが「現代美術における空間の使い方」のほうへと話を発展させる。一見関係のない話を、司会の檜垣立哉さんがどう絡ませていくのかはお越しいただければ分かります。関西方面の皆様、14時から阪大人間科学部です。ぜひお越し下さい

Monday, October 26, 2009

関連イベント情報

エリー・デューリングの甘いマスクと議論の鮮やかな手さばきに魅了された方は、

28日の東大でのエリーと鈴木泉さんと私のセッション(デジャヴをめぐって)

30日の阪大でのエリーと三宅さんのセッション(現代物理から現代芸術へ)

にぜひ足をお運びください。損はさせません。

詳細は法政ベルクソンHPで。ポスターPDFをクリックしてください。

シンポ無事終了!

昨日、無事にシンポジウムが終了しました。連日、90人以上の方々が来てくださり、おかげさまで、ポール=アントワーヌ・ミケルも懇親会でのスピーチで述べていたように、

「日曜日、午前、雨という三つの悪条件の中、マニアックなフランス哲学の話を聞きに駆けつけてくれた大勢の人に囲まれていると、議論にも自然に熱が入る」

のも自然なことでした。会の成功は、これはエリー・デューリングがやはり懇親会のスピーチで述べていたことですが、

「オーガナイザーや発表者、聴衆にかかっているのはもちろんですが、フランス語でpetits mains(小さな手たち)と言われる人たち、つまり会場運営や大量の資料作成や送迎に携わってくれたこんなにも多くの人々の存在抜きには語れないことですね」

と如実に感じられました。最終日はとりわけ、ヴィデオ・コンフェランスがあり、どうなることかとひやひやしましたが、むしろちょっとしたサスペンス、ほどよく肩の力の抜けた緊張感があって、ジョン・マラーキーのスリリングかつどことなくユーモアのある発表と相まって、これも上々の仕上がりでした。

もちろんすべてに満足しているわけではありません。まず第一に、私自身の発表には自分自身、忸怩たるものがあります。大学の仕事をそつなくこなしながら、完璧なオーガナイズをして、そしてかつ優れた発表をする、というのが目標だったのですが、今回はそのいずれもボロボロでした。中身ももちろんですが、何より、人にはさんざん「長い発表など論外」と言っておきながら、自分がかなり長くしゃべってしまい、相当落ち込んでいます。私は相変わらず長く発表してしまう人を評価しないし、今後は自分が絶対にやらないようにしないといけない、と強く思いました。

また、オーガナイザーとして言えば、やり残したことも多々あります。私の一存ではどうにもならなかったことも、私の意図がうまく伝わらず、結果として実現できなかったことなど、数え上げればきりがありません。そのことについては思うところが多々ありもします。

でも、そうやってでも、自分が正しいと思う方向に、日本のフランス哲学研究が向かっていくことに少しでも尽力できればと思う。もちろん、自分の拙い研究の向上・発展にも日々努力しつつ。とりわけ、シンポの成果を「形」にしていくこと、つまり何らかの形で論文集を出すだけでなく、そこで行なわれた発表、質疑応答の中で示唆された事柄を次の研究課題と して追究していくことも忘れてはならないと思っています。徐々に落ち着いてきたら、この三年間のすべての原稿を読み返し、そこから自分なりに何が引き出せるか、考えてみるつもりです。

今後も、さまざまな形でこの種のイベントに携わっていければと思っています。これで三年間の長きにわたる国際プロジェクトは一応の完結を見たわけですけれども、まさにシンポの仏語タイトル(Tout ouvert=開かれた全体/まったき開け)のように、また次への一歩を踏み出せればと思っています。すでに次の小さな無数のプロジェクトが動き出しているようです。

関わってくださったすべての方々に篤くお礼を申し上げるとともに、

今後ともご支援・ご協力のほどをよろしくお願い申し上げます。

Tuesday, October 20, 2009

シンポ近づく

フランス大使館UTCP、友人たちの掲示板などで宣伝していただいていますが、あと3日で始まります。

前にチームで動くことの重要性を書きましたが、すべての人に過不足なく情報を行きわたらせるというのは本当に難しい。きちんと分業体制を敷いても、必ず境界線上の事例が出てくる。あるいは誰かの(例えば私の)ケアレスミスで、他の誰かに支障が出る。そのリカバリーに努める。そんなことの連続です。水道工事屋かビルのメンテナンス係になった気がします。

例えば、今回は英国とつなぐヴィデオ・コンフェランスなどもあり、慣れている人々には何でもないんでしょうが、準備というか、関係者全部のコーディネーションはけっこう大変でした(です)。双方の大学のヴィデオ・チームがこの種の国際行事をやり慣れていれば問題はないのでしょうが。まあ、こういった一つ一つは大したことのないプロセスの積み重ねが短期間に一挙に押し寄せてくると、けっこうな仕事量になります。大学で働いている人はみな同じようなものでしょうけれど。

そんなこんなですが、中身としてはいいものになっていると思います。ベルクソンだけでなく、フランス哲学の生き生きとした一面を実感したいという方はぜひ会場にお越しください。

Saturday, October 17, 2009

マシュレ『カンギレムからフーコーへ。規範の力』(2009年)

マシュレが新刊を送ってくれた。『カンギレムからフーコーへ。規範の力』(2009年)である。

De Canguilhem à Foucault. La force des normes, éd. La fabrique, 2009.

彼が一番最初に書いた論文は、カンギレム論だった。以来、四十年以上、地味な読解作業を続けてきた人だ。哲学のテクストを「読む」ということを私が学んだのはこの人からだった。「倦まず弛まず」ということを身をもって教えてくれたのもこの人だった。

地味だが、アカデミシャンではない。きらびやかな読解もいいし、渋い訓詁学もいいが、しかし、人々はどうしてこの両者の間には実に広大な空間が広がっていることに気づかないのだろうか。どうしてああも簡単にどちらかに「イカれる」のだろうか。そしてとりわけ、どうして自分なりの「思考のスタイル」――un style de penséeは本書に収められたある論文のタイトルである――を産み出そうと努めないのだろうか。

本書は、1963年の処女論文から1993年までに書かれた5篇のカンギレム・フーコー論を収めたものである。この本を訳すのは私の仕事ではないが、私は彼の処女作『文学生産の理論のために』をいつか訳すだろう。



病院に行ってきた。ここ数カ月胸が苦しく、ここ数日ぜんそくがひどかったから。



ひとつずつ小さいものを乗り越える。

小さい他人を乗り越えるのではない。小さい考えを乗り越える。

大きな流れに身を委ねるために。

Saturday, October 10, 2009

お仕事

・シンポ詳細が更新され、レジュメが公開されております。ご覧ください。これらはこれからも随時アップデートされていきますので、来場を予定されている方は、法政ベルクソンHPのチェックをお願い致します。

・岩波の『思想』12月号がベルクソン生誕150周年記念の特集号になります。合田・金森・檜垣の三先生の対談をはじめ、最新の研究事情紹介など、ベルクソン研究の現在の活況を知ることができます。ぜひお買い求めください。

・数奇な運命(実に奇妙な…)を辿った私の論文も、ようやく公開されました。よろしければ、大学図書館などでご一読ください。

仕事の大半は苦しいだけで何の見返りもないものだが、ときどき嬉しいことがある。
学生が授業を面白いと感じてくれたとき、誰かが自分の仕事を見てくれているとき。
面白い仕事だけが、つまらない仕事の疲れをいやすことができる。

Thursday, October 08, 2009

石の上にも…

大規模でありながら、細やかな神経の行き届いたシンポというのを実現させようと思うと、チームとしての分業体制が整っていないとできない。

正直言って、我々が三年かけて築き上げてきた体制は、もちろんさまざまな瑕疵はあるだろうけれども、世界屈指であると思う。

オーガナイザーの仕事はもちろんけっこうきつい(冗談抜きに…)。しかしそれは措こう。翻訳チーム、通訳チーム、会場整理・コピー・送迎チーム、皆さんそれぞれ本当によくやってくださっている。

例えば、翻訳チームだ。皆さんが会場で何げなく手に取る「海外研究者の発表原稿の翻訳」は、質向上のために、ダブルチェックをかけてくれている。複数人数で互いの翻訳をチェックするのである。

この行程が願わくば、若手研究者にとって(塾のバイトなどよりは)研究に密着したアルバイトであり、かつ多少の研鑽の場として機能してくれると本当に嬉しいと思う。上の世代の「責任」は、研究内容において果されると同時に、まさに「場」をつくりだす――そのための予算を獲得する――という制度的な創造性においても果たされるべきである。



フランス人たちは、一般にシンポを互いの社交の場として考えており、彼らには往々にして、シンポを聴きに来る人たちへの配慮が欠けている。レジュメを一切配らない、とかね。

私はフランス人の同世代の友人たち――上の世代は残念ながら出来上がってしまっていて通じない――に口を酸っぱくして言う、「社交じゃないシンポ、研究の場として機能するシンポをつくらないとダメなんだ」と。一般聴衆に開かれると同時に、研究としても質の高いシンポはいかにして可能か。

そのためには、老・壮・青のどの層が欠けても駄目だ。小さな自我を捨てて、国際的な研究の場をつくりだすこと。それもまた、哲学の一部であるはずだと信じている。とりわけ現在の日本の哲学研究においては、それを強く言うべきだとも。

Saturday, October 03, 2009

ようやく…

ベルクソン・シンポ2009の詳細について、法政ベルクソンHPが更新されました。ぜひご覧ください。

ただ、最後の調整が行なわれており、プログラムの順序など、若干の変更が生じるかもしれません。変更については当該HPで告知致しますので、ご来場の際には必ずご確認のほどをよろしくお願い致します。

苦労した甲斐あって、素晴らしいメンバー、素晴らしい内容のシンポになると思います。フランス語と英語での発表ですが、ペーパーには日本語の翻訳があり、議論には優れた通訳の方々が付き添ってくださいます。多くの方のご来場をお待ちしております。

Monday, September 28, 2009

ホフクゼンシン

研究で三つ心に重くのしかかる仕事があり、それぞれ心理的に滅入って進められないでいる。だが、心はどうあれ、前に進まねばならない。昨日徹夜し、今日も午前二時までかかって、ようやく一つ片付けつつある。

これから明日の授業の準備。残された時間は5時間。二日続きで徹夜することにすれば、の話だが…。

Saturday, September 26, 2009

すばらしい日々

明日は土曜日。たぶんどこの私立大学も似たようなものではないかと想像するのだが、月曜は休みが多すぎるので、その振替授業がある。それが明日である。ちなみに、補講なしの休講は許されない。

今は午前二時、ようやく明日の授業準備を終えた。ドゥルーズのヒューム論(1953)とニーチェ論(1962)をグールドのゴルトベルク(1955)と比較するという試みで、自分的にはかなり満足いく出来栄えになった。

独り疲れて自分の道を行く。

矢野顕子は「すばらしい日々」のカヴァーを何バージョンも残しているが、Beautiful Songs Liveの録音が一番好きだ。「君は僕を忘れるから、僕は君に会いに行ける…」

Monday, September 14, 2009

疲労の披露

日曜はベルクソン哲学研究会@法政大学に出席。身体の調子が悪くてうまく集中できなかったせいか、前の二つの発表は、レベルが高そうだという印象を受けるものの、私の中できちんとした像を結ばなかった。一つ目は空間概念を記憶力と想像力の観点からみるというもの。二つ目は縮約の概念をドゥルーズを越える形でベルクソン哲学の中心に(とりわけMMとECのつなぎ目に)置けないかというもの。どちらの発表も、「知覚」の位置づけはどうなるのかなと漠然と思った。

最後の発表には、ほとんど感動した。山田秀敏さんの「ベルクソンと教養」である。「教養」概念を「エリート主義」から解き放ち、「キャリア教育」にも役立つよう、「ユニクロ的」(山田さん談)なものにしたい、そのためにベルクソンが一肌脱げるのではないか、というもの。私は大筋には完全に同意できる。というか、私が去年書いた仏語論文と目的においてかなり近い。

ただ、気にかかるのは、「教養は無償的であって、「利」と鋭く対立することになる」(4頁)という点である。これは同意できない(そして、この点につながる、教養の技術性(マニュアル化)、教養と社会といった問題系において、種々の反論が生まれるが、それは措こう)。

私の考えでは、「教養」は、ベルクソンで言えば「直観」であり、「利」を求める社会の要請に応えることもあるが、それを目的とはしない。いずれにしても、「利」の要請のありかたそのものをひそかに変えてしまうものである。

教養はモル的なレベルでイデオロギー的に権力と対立するのではない。分子的なレベルで、エリートにおいても、大衆においても、至るところで、さまざまなレベルで作動するものではないか(だから、ポピュリズムの蔓延する現状においては、エリート批判にもあまり賛同できない)。

ベルクソンは知性を「否定」したのではなく、「批判」した、つまり本能との区別を精査した。その結果、彼は知性から本能に向かうのではなく、知性を本能のほうに向き変えた。本能のほうを向いた知性、それが直観であり、ベルクソンが教育論において強調する「良識」や「礼儀正しさ」である。

マニュアル教育の功利性をベルクソン的に「批判」することは決して、即、功利性概念一般の否定ではない。それはむしろ功利性概念の鋳直しへと向かうだろう。功利性概念を鋳直す力、それが効力である。

感動はつかのま疲れを忘れさせ、人を奮い立たせる。あてこすりや厭味は人をよりいっそう疲れさせ、意気消沈させる。

Sunday, September 13, 2009

感謝

土曜日は日仏哲学会@雨の東京。いろいろな方に「大変みたいだね、がんばってね」と声をかけられる。哲学研究や生きることそのものにおいて「遠くへ」行くのは好きだが、最近、哲学研究、つまり生きること自体から「遠ざかっている」なあ、と憂鬱になっていた。諸先輩方、友人たちに励まされるというのは本当に大きい。ありがとうございました。

発表についての所感。行なった質問をざっと書きつけておこう。

午前一つ目:ベルクソン『試論』における空間と延長について。まず時間内に発表を終わらせるということが大前提。別に一分や二分、と思うかもしれないが、一般発表というのは若手研究者の鍛錬の場なので、一分超えてもいけない。少なくとも私はそう思ってやってきた。内容の批評はそのあとの問題。

午前二つ目:ベルクソンにおける「習慣」概念は各著作から表面的に拾い上げてくるとネガティブなものが多いが、生産的・創造的といえる「新しい習慣をつける習慣」がある、というもの。しかし、真に新しい習慣をつけさせるのは、「動的図式」をはらむ「(知的)努力」である。「習慣」はそれに引きずられつつ、それを具現化する「物質」のような側面に着目して研究してみると面白いのではないか。

午前三つ目:ベルクソンにおける「individu個体・個人」概念は、『進化』と『二源泉』の断絶を画するものであって、人間の創造的な側面を表す、というもの。しかし、『進化』の「個体」と『二源泉』の「特権的個人」を同一レベルで論じることができるのか。『二源泉』は「特権的個人」というより、特権的個人を超え出ていこうとする力とその横溢としてのpersonnalité(人格性)を称揚しているのであって、これはindividualité(個体性)と分けて考えるべきではないか。『二源泉』における「個人」はむしろ閉じた社会に見られる「社会―個人」のサーキットの中に見いだされる。「人間種という停滞」こそ、種とは停滞であると言いながら、人間種の勝利をほぼ手放しで謳歌していた『進化』において、きちんと見いだされていなかった次元といえる。

午後シンポジウム:現象学以後のイメージ問題をめぐって、加國さんがメルロ=ポンティ、宇野さんがドゥルーズ、澤田さんがナンシーを論じた。

17世紀以降プラトンのミメーシス批判のミメーシスが続いたが、20世紀に入って、イメージを「本質/仮象」「オリジナル/コピー」の二分法で考えるのをやめ、イメージそのものの持つ力を見いだそうという方向が表れてきた。これはドゥルーズの言葉を借りれば「偽の力」(puissance du faux)というべきもので、今回の三つの発表はいずれも、この力とそれ以前的な問題構成との間の切断線を強調するものであったと言える。

ドゥルーズは最も現代的で、最も映画的な映画の本質として、「偽の運動」ともいうべき「つなぎ間違い」や「非合理的切断」(coupure irrationnelle)によってつくりあげられた「偽の力」を考えており、これは非有機的生気論(vitalisme non-organique)に支えられている。しかし、主体の問題を棚上げにしながら、本当に純粋な「非有機的」生気論を貫徹でき、非人称的で前主体的な超越論的領野を維持できるのだろうか。

加國さんの発表は、「自然的知覚」の優位を説いてきたとみなされるメルロが、実は映画論において技術性(人工的知覚)、とりわけ「モンタージュ」を積極的に取り入れており、ここに現象学的映画論の可能性があるのではないか、というもの。「偽の力」が「モンタージュ」に見いだされている。しかし、メルロの映画論には、「映画の現象学」を可能にするものというよりは、「現象学を映画の用語で語ったもの」という意味で、「現象学の映画」という印象を受ける。現象学は「偽の力」を受け止めることができるのだろうか。真理との関係を完全に断つことができるのだろうか(この点で、ベルクソンが真と偽のはざまにある「デジャヴ」を取り上げたのに対し、メルロが主体的知覚の「真」を支える「幻影肢」を取り上げたのは興味深いことである)。

ナンシーは「偽の力」を、イメージの裸形、イメージそのものの露呈というほとんど唯物論的な語り口で、イメージの眼差し、何も眼差してはいない眼差しが、にもかかわらず、主体を成立させる、といわんばかりである。ここで登場してくる主体は、近代的な主体とどう違うのだろうか。

Friday, September 11, 2009

ルーキーイヤー

ちゃんとしたブレイクを入れなければと思いつつも、じりじりと仕事を進めている。塵のように降り積もっていく、大学の仕事を一つ一つ片付けていく。会議、書類、研修会、書類、訪れる学生の話を聞く、書類。その合間に、シンポ準備、授業準備を進め、論文の校正をし…と要するに、ごく標準的な大学教員の生活を送っている。

自分が特別に忙しいと思っているわけではまったくないし、他の人と忙しさ競争をするつもりもない。そういうことではないのだ。ただ、大学のペースに乗って行けない自分が歯がゆいだけである。

前にも書いたが、高卒ルーキーのような気持だ。高校球児だった頃は、プロでも通用するかもと思っていたが、いざプロの世界に入ってみると、技術以前に、基礎体力が決定的に足りないと判明した、というような。

土日は学会、研究会で東京に行く。息抜きになるだろうか、いっそう消耗するだろうか。

月曜から後期が始まる。国際シンポジウムあり、ワークショップあり、講演会ありの十月には一週間休講する。代償は大きい。長丁場をうまくやりおおせるだろうか。

Thursday, September 10, 2009

夢の続き、仕事の続き、ストレスの続き

「シンポの準備」と一言で書いた。二三人の日本人研究者を呼ぶのに大した手間は要りはしない。外国人研究者十人(+日本人十人)を招聘する国際シンポの準備をほんの二三人でやることがどれくらい大変か。傍でいろいろ言うのはとても簡単なことだ。いろいろ厭味を言われても、準備が大変でも、理念的な賭け金があると思えばこそ、やり通すほかはない。夢の続き。

仕事が忙しいのがストレスなのではなく、それらをてきぱき片づけていけないのがストレスなのである。なぜてきぱき行かないのか。相手のある仕事だからである。さまざまな関係の相手に、微妙なニュアンスを要するフランス語の、英語の、ときには超ブロークンなイタリア語で、メールを書き続ける。とても疲れるし、時間も食う。

しかしそれで終わりではない。それぞれの返事を待たねばならない(ここに「持続」がある!)。遅れてきた一通の返事の内容によって(あるいは返事の遅れそのものによって)、状況が一変することもしばしばである。すると、いろいろなことをまたやり直さざるを得なくなる…。

シンポの準備に専念できるならまだいい。ここに昨日書いた一つ一つの作業がのしかかってくる。書いていないたくさんのことものしかかってくる。

そういうわけで、夢の続きを見ているような感覚を半分持ちながら、深夜(早朝?)に起き出して仕事の続きをしている。

一つ一つのこまごまとしたことがストレス要因なのではなく(私はそれほど器の小さな人間ではないつもりである)、それらが絡み合って身動きが取れなくなるのがストレスになる。多分ストレスの原因など、あってないようなものなのだ。

もっと忙しい方は山ほどいらっしゃるというのに、情けない限りだが…。

Wednesday, September 09, 2009

ストレスフル

大学関係
・授業準備ぼちぼち(哲学史の続き、ドゥルーズ入門、ベルクソン入門など)。事務関係ぼちぼち。
・来年、プロジェクト・ゼミという三年生の領域横断的なゼミで結婚論をやる。どうせなので、日本平安文学の専門家、古代ギリシャ社会史の専門家、現代日本の家族社会学の専門家、近代フランス文学の専門家に助けていただきながら、わいわい楽しくやろうと思っている。今はその下準備。

研究関係
・シンポ&edツアーの準備、大詰め。メールにかなりの時間をとられる。
・大学紀要校正大詰め。
・大学紀要次号の締め切りがすでに近付きつつある…。
・雑誌論文2本、大詰め。

・友人の科研に加勢、大至急やらないといけないのだが…。
・仏語アクト、大至急やらないといけないのだが…。
・ゴーシェ翻訳&解説、大至急やらないといけないのだが…。

幾つかの要因で仕事のリズムを作れない。まったくストレスフルな状況。いいかげんにしてほしい。

Thursday, August 27, 2009

ドゥルーズと音楽

講義を準備すべく、ドゥルーズの『アベセデール』を観直している。オペラと題してOの項で語っているのだが、音楽体験についての対話が面白かった。

パルネ曰く、あんたは音楽についてけっこう語っているけど、実際にはほとんど音楽は聴かない(コンサートには行かない)し、ましてやオペラはベルクの『ルル』や『ヴォツェック』だけ好んで聴いている。そして日常的には大衆歌謡、特にピアフ(とかクロード・フランソワ)が好きじゃないかと。

そしてとどめの言葉。映画や絵画についてはまるまる一冊(以上)本を書いているのに、音楽については書いてない。あんたはほんとはvisuelな人間なんじゃないか、と。

これに対するドゥルーズの答えは揺らいでいる。グールドのコンサート・ドロップアウトに関する説明がそうであるように。

・コンサートにほとんど行かないのは、コンサートの予約は展覧会に行くより手間がかかるから。
・コンサートは自分のréceptivitéを超えているから。
・音楽について語るのはきわめて難しいから。

しかし、文章を書いたり読んだりすることの中で、自分にとって最も重要な要素が聴覚的なものである点で、やはり自分は音楽的なのだ、と強調していた。

ドゥルーズと音楽の関係は見かけ以上にねじれた関係なのかもしれない。

Thursday, August 20, 2009

もう一つのD&G

潜水。と書くと、ただただ静かに自分の仕事に沈潜しているかのようだが、現実にはそうはいかない。自分のケアレスミスもあり、シンポの準備は未だに手間取っている。ご迷惑をおかけした方々、本当にすみません。



後期は、哲学史の続き以外に、ベルクソン講義、ドゥルーズ講義をする予定である。時代の雰囲気の中で生きていた哲学者の姿を浮かび上がらせたいと思っているので、時代背景的な話にも力を入れているのだが――「世界史の復習的な要素も入れてもらいたい」というのが上からの要望でもある――、これを準備するのはけっこう時間がかかる。見かけは無駄話風なんだけどね。

ベルクソン講義では第三共和政期フランスや当時のヨーロッパの雰囲気が、とはいえ、陳腐な形ではなく、伝わるようにしたい。というわけで、今は松浦寿輝の『エッフェル塔試論』を読んでいる。「ベルクソンと音楽」については、ドビュッシーだけでなく、シェーンベルクとも比較したい。

また、ドゥルーズ講義では、68年5月をはじめ、第五共和政期フランスの話はもちろんするが、ドゥルーズとグールド――もう一つのD&G――のアナロジーに力を入れてみたい。そういうわけで、グールド関連の本を読み漁り、ディスクを聴きまくっている。ゴルトベルクをランドフスカやヴァルハと聴き比べてみたり。

ちなみに、私が一番好きな彼のディスクは、「モスクワ・リサイタル」である。新ウィーン学派――当時ソビエトでは演奏が禁止されていたという――とバッハという選曲がもろに好みだということもあるが、何よりほどよく肩の力の抜けた(音楽学生である観客との和気あいあいとした関係が伝わってくる)レクチャーコンサートという形式もいい。

これらの講義準備と、8月末締切の雑誌論文、そしてそろそろゴールが見えてきた(?)ゴーシェ翻訳を同時進行している。まあ、地味な自分の道を一歩一歩、ね。

Wednesday, August 05, 2009

なまもの

オランダ二部リーグのVVVでプレーしていた本田は、北京五輪のとき「三連勝する」と豪語したが、チームは三連敗、自身も空回りのプレーが目立ち、「ビッグマウス」のイメージが定着しそうになっていた。

しかし
昨年、そのVVVで大活躍し、見事一部リーグ昇格の原動力となった。その本田が、一部の新シーズン初戦で活躍した。以下のコメントでも随所に「俺様」的ではあるが、同時に自分の実力を冷静に見ることもできていて、「若いっていいな」と楽しい。

スポーツ選手も研究者も「なまもの」なので、常に進化したり退化したりしている。そこを見ないで、「誰それはやっぱりいい」「やっぱりダメ」というのは、あまり意味がない。

「誰も止められないところまで1年で突入したい」と言える気力は残念ながらないのだが、自分なりの努力を続けていきたい。そう心から願っている。

VVV本田「誰も止められないところまで1年で突入したい」 (2/2)
~オランダからの叫び~

2009年8月3日(月)

■オランダで議論「アフェライと本田。どっちが上か?」

 試合後、1ゴール1アシストの本田にオランダメディアが殺到した。(…)

 VVVのファン・ダイク監督は、「これまで『本田がオランダで一番のMF』とわたしが言ったらおかしいと思われていたが、今日はその力を見せつけてくれ た」と本田の活躍を喜んだ。その夜、ファン・ダイクはサッカーディスカッション番組に出演し、「(PSVの)アフェライと本田。どっちが上か?」と問われ た。「2人は違うタイプの選手」とファン・ダイク。「本田はより頭がいい選手だ」

 PSV戦での本田はシモンスのマークに苦しみ、さらにシモンスを援護するPSVの選手の寄せに遭い、ボールを再三失った。しかし、本田はチャンスを待ち続け、少ない好機にビッグプレーを連発し、オランダ人を感嘆させた。そこがファン・ダイクの言う“賢さ”なのだろう。

「(5月31日に行われた)ベルギー代表との試合でもシモンスとはマッチアップしていたし、『お前、分かっているからな』というオーラは感じてましたし、 前半何回か来た。でも、その後は来ないんで、“あ、びびっているな”と思いながらやっていた。悪いけど、おれの勝ちかな。でも今日見た限り、まだまだおれ よりアフェライの方が驚異的かなと感じる。ケン(レーマンス)もアフェライに苦労しているなと感じた。それをもっと、おれがシモンスに感じさせるべき」

 シモンスとのマッチアップ、そして2005年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)の同期アフェライとのバトルを本田は振り返った。

「おれとしては満足していない部分がある。点を取ったことは満足しているけど、もっとやれると思っていたから。『本田はオランダリーグでもやれるやん』と いう問題ではないレベルに、おれは突入していかなければと自覚している。極端に言えば、去年の2部リーグでのおれの存在みたいに、誰も止められないという ところまでこの1年で突入していきたい。自分はまだそこまで行けていないと分かっている。それが自分の課題。だからもっとドリブルを増やしたい。若干読ま れている部分はあるけれど、それは評価されていることだからうれしい。それを自分は打開していく」

 今、オランダでは「アフェライはアーセナルへいくかもしれない」という情報が流れている。
「アフェライがPSVを去ったら、本田はPSVに行くだろう」とファン・ダイク。「移籍金は2000万ユーロ(約27億1000万円)だ(笑)」
 ベルデン会長が設定した移籍金は1000万ユーロ。「その価値にふさわしい選手になる」と開幕前に語っていた本田だが、ジョークながらもファン・ダイク によってその価値が2倍になってしまった。そして、PSVのサポーターは今も本田獲得についてフォーラム上で熱く語り合っている。

Tuesday, August 04, 2009

潜水

引き続き、シンポ準備しつつ、大学の紀要に載せてもらう論文の校正をしつつ、テストの採点。

夏休みのしんとした大学で、そういう活動にいそしんでいると、じっとプールで潜水しているような感覚になる。とても心地よい。

午後7時ごろ研究室を出ると、夕日。ひぐらしが鳴いている。

校舎が小高い丘の上にあり、建物から出ると、辺りが一望できる。

近くに山があり、京都の大学時代によく見た風景に近い。

明日も地味に同じことの繰り返し。

本をばんばん出せる研究者というのは、いったいどういう研究生活と家庭生活を送っているのだろう?

Thursday, July 30, 2009

イタリア語

目下最大の懸案事項はmさんの書評を書くことなのだが…

そして事実それに最大限の力を注ごうとしているのだが…

今秋のシンポの準備が重くのしかかっている。今日も日本語、フランス語、英語で、何通メールを書いたことか。プロヴァンスの太陽を満喫しているらしいedからは、「自分の勉強する時間取れてる?」と心配そうなメールが来た。さらに…

rrからイタリア語のメールが来た。まあ、たしかに「今あなたの本をイタリア語で読んでます」とは言ったが…

時間がないのに、デリケートな事態なので、辞書を引きつつメールを読む。

というわけで書評、もうしばしのご猶予を…

Tuesday, July 28, 2009

prepare

学問も同じ。日頃からのprepareが大切。

「prepare」を大切にするのは好打者の共通点?

 マウアーと会話していて気づいたことがある。それは「prepare(準 備をする)」という単語をよく使うことだ。「僕はまだメジャー6年目。シーズンや試合に向けた準備の仕方をもっと学びたい。それが何より大事だと思うん だ」。準備を人一倍大切にしているのはイチローも同じこと。次の機会には、試合前のルーティンからマウアーをじっくり観察して、好打者の共通点を見出して みたい。

***

■腎臓手術で4月は全休

 その柔和な表情を見ていると、史上最強捕手というイメージは全くわいてこないし、クラブハウスでの立ち居振る舞いも控えめで、26歳という若さで 首位打者を2度も獲得したスーパースターとは思えない。気のいい隣のお兄さんというのが率直な印象だ。ジョー・マウアー(ツインズ)はしかし、静かに熱 く、イチローとの一騎打ちの様相を呈してきたバットマンレースを制して、捕手として史上初の3度目の頂点を目指す――。

 おそらく最後の最後までしのぎを削ることになる2人は、偶然にも今季の開幕に出遅れた。イチローが胃潰瘍(かいよう)を患ったのに対し、マウアーは腎臓手術で4月の試合をすべて欠場した。

「ベッドから起き上がれないほど痛かったこともあった。以前から腎臓の具合がよくなかったので思い切って手術した。おかげで長年の痛みから開放されたよ」 と、ソフトな口調で微笑さえ浮かべて語る。そんな病気を抱えながらセンセーショナルな活躍を続けてきたとは、驚きというほかない。

 5月に戦列に加わると、いきなり打棒爆発。得意の広角打法で打ちまくり、一時は4割打者誕生か、という気の早い報道もあった。しかし、それよりも何より も驚かせたのは本塁打の量産だった。わずか2カ月ほどで自己最多の13本を更新し、7月27日(日本時間)現在で17ホーマーをマークしている。

「パワーアップの秘訣? そんなものはないよ。経験を積んできたことが実を結んできたのだと思う」と、いたって謙虚だ。

■地元ミネソタで生まれ育ったスーパースター

 (…)運動能力は並外れて高く、リトルリーグでは投手を始め、あらゆるポジションをこなした。捕手に落ち着いたのは中学のとき。高校時代にはアメリカンフットボールのクォーターバックとして大活躍、オールアメリカンにも選ばれ、ミネソタでは最も知られた高校生だったという。

「ジョーのすごいところは、10代からスターだったのに、そういうそぶりが全くないところだ。地元出身で期待もプレッシャーも高いのに、最初から動じるこ ともなく、プレーに集中している。試合に臨む姿勢、練習態度、研究熱心さ、どれをとっても素晴らしい。どこまで進化していくのか。本当に楽しみな選手だ」 と、ツインズのロン・ガーデンハイヤー監督は褒めちぎる。

Sunday, July 26, 2009

雨のち雨

土曜日。雨模様の福岡を傘をさして出発。朝9時の飛行機で東京へ。着くと快晴…。折り畳みにしてくればよかった。

午後ずっと今秋のシンポのための打ち合わせ。

毎回、海外の研究者を招聘する際には、その人たちの仕事を日本の研究者に読んでもらい、報告していただくという会合をやっているのだが、今回がまさにそれであった。

日本でも世界でもほとんどのシンポは打ち上げ花火、一部の大物の話以外まともに聞いていないという状況だが、それではダメだと以前から強く感じていたので、このような「読み合わせシステム」を導入したのである。

ちまちましているし、「大物」の先生方はなかなか分担を引き受けてくれないのだが、私はこういう地味な仕事はとても大切だと思っている。制度を変えていくのは、抽象的な理論だけではなく、こういう地味で地道な作業の継続でもある、と信じている。

6時に会合を終え、飲み会に…と行きたいところだったが、ビールを一気に飲み干し、羽田へ急ぐ。翌朝9時半からオープンキャンパスがある。福岡に帰ってくると、また雨。



翌朝も雨。早朝、家から駅に着くまでに、横殴りの雨でびっしょり。ベルを鳴らすのを忘れて、バス停を一つ乗り過ごしてしまう。大雨の中で…。大学につくまでに、再びぐっしょり。

オープンキャンパスは、雨にもかかわらず盛況だった。一年目の新人に「研究室紹介」で何を話せというのかと思っていたが、みんなこのような機会に少しずつ大学のことを自分で学んで(学ばされて)いくのだなと実感。おかげで勉強になりました。

最寄駅に着くとまた雨。家に帰ると今年呼ぶedからメール。「プロヴァンスの太陽が勉強させてくれないよ」って…。

明日は1限から試験監督。

Friday, July 24, 2009

大雨

ベルクソン研究のごくごく一部をやりつつ、来週の書評執筆の準備作業をしつつ、再来週のテスト採点の準備作業をしている。他にも公私、大事小事がさざ波のように押し寄せる。

そういえば、今日はとてつもない大雨で、全身びしょ濡れで帰宅した。福岡にいるんだなとあらためて実感。

Tuesday, July 21, 2009

夏休み

などあるはずもなく、仕事漬けの日々が始まる。

今週は、今秋のシンポの準備会合があり、そのための資料を作成せねばならない。
というわけで、辞書と首っ引きでイタリア語の本を読んでいる。これはこれで楽しい。

来週は、とある書評を書く。常々敬意を表している方の本だけに力を入れたいのだが、自分がそもそもどれくらいの「力」を持っているのか、今どれくらいの力を発揮できるのかも、もはや分からなくなってしまった。時間もないし、不安だ。

再来週は、仏語アクトの校正&テスト採点週間。苦痛である。

その次は後期の授業準備、と同時に、とある雑誌の論文&紹介文、シンポ原稿、英語論集のための論文…。楽しいのか、不安なのか、苦痛なのか、それら全部なのか。

いつ、どれくらい自分の「本」に取り掛かれるのか…。

Sunday, July 19, 2009

トマス・アクィナス関係読書リスト

前期の哲学史が終わった。古代も中世も、もう一つ突っ込めず不満が残った。もちろんそれぞれの専門家にかなうはずもないのだが、やるからにはもう少し深めたい。来年からこうしよう。

1年目前期:古代、後期:中世
2年目前期:近世・近代、後期:現代
3年目前期:現代、後期:近世・近代
4年目前期:中世、後期:古代



最後二回は、スコラ哲学の面白さをどう表現しようかと一思案。平凡だが、ゴシック建築との並行性を前フリに。

エルヴィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』(前川道郎訳、原初1951年)、ちくま学芸文庫、2001年。
割注が読みすぎて読みにくい。この手の博学本によくありがちな悩み。

馬杉宗夫『大聖堂のコスモロジー――中世の聖なる空間を読む』、講談社学術文庫、1992年。

建築の部分については分かりやすく詳しい。ただ、肝心のスコラ学との並行性の部分はイマイチ。

酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』、講談社現代新書、2000年。

パノフスキーやマールらの「スコラ学のゴシック建築への影響」説を否定し、並行説を主張。まあそれが妥当でしょうね。

西田雅嗣(まさつぐ)編『ヨーロッパ建築史』、昭和堂、1998年。
スコラ学についての言及はまったくないが、ロマネスクとの対比でゴシックの特徴を分かりやすく説明してくれている。ただ、建築専門チームなのだから、もう少し見やすい図版の収集ないし作成に努力してほしい。図版にセコハンが多く、見づらい。


*中世哲学一般(アウグスティヌスの項に追加)

Alain de Libéra, La Philosophie médiévale, PUF, coll. "Que sais-je?", 1989. 大著の『中世哲学史』の簡略版。

ジャック・ルゴフ『中世の知識人――アベラールからエラスムスへ』、岩波新書、1977年。ある時期までの岩波新書には「こんな素晴らしい翻訳書が新書で!」というのが幾つかあった。その好例。

J.B.モラル『中世の政治思想』(柴田平三郎訳)、平凡社ライブラリー、2002年。

ジルソン『中世哲学の精神』、既出。
Gilson, Introduction à la philosophie chrétienne...
Gilson, L'Être et l'essence (1948), Vrin, 2e éd. revue et augmentée, 1981.手元に持っているのはこの第二版なのだが、第三版(1984年)が最終らしい。大きな変更があるのだろうか…。

山本耕平「スコラ哲学の意味」、『新岩波講座』、既出、292-319頁。ごく基本的な概説。

*トマス

Jean-Pierre Torrell O.P., Initiation à saint Thomas d'Aquin. Sa personne et son oeuvre (1993), 2e éd. revue et augmentée d'une mise à jour critique et bibliographique, 2002. 後述の日本のトマス研究の大家である稲垣氏の著書でも、「この二十年の間」で「トマスの人と思想の全般を取り扱った著作として特に注目に値する」ものとして挙げられているが、私はこの著作を畏友CdMから勧められて、フランス滞在中に購入しておいたのだった。ただし、かなりの大著なので、「90分でトマスを」という人には向かない。

Thomas d'Aquin, Commentaire du traité De l'âme d'Aristote, introduction, traduction et notes par Jean-Marie Vernier, Vrin, coll. "Bibliothèque des textes philosophiques", 1999.

ジルソン/べーナー『アウグスティヌスとトマス・アクィナス』、既出。

水田英実(ひでみ)・藤本温(つもる)・加藤和哉「トマス・アクィナス」、中公新社『哲学の歴史』第三巻、既出、429-531頁。

クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(村井則夫訳)、平凡社ライブラリー、2003年。前著『西洋古代・中世哲学史』(平凡社ライブラリー、2000年)よりいいが、宗教的観点があまりに勝ちすぎており、おまけにジルソンのようにある程度の哲学的な冴えもないとなると厳しい。解毒剤としてラッセルを併読することは必須。ただ、そのようなものとして読むなら、勉強にはなる。

フェルナンド・ファン・ステンベルゲン『トマス哲学入門』(原書1983年 稲垣良典ほか訳)、文庫クセジュ、1990年。私にとっては悪いクセジュの典型。

稲垣良典(りょうすけ)『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、1999年。

Saturday, July 18, 2009

約束は真面目ではない?

今年の結婚論講義は、毎回、

1)重要な思想家を一つのイメージで印象付け、
2)その思想家の生きた時代と生涯を、彼の思想と関連づける形で簡単に紹介し、
3)その思想家の基本的な思想を概説し、
4)結婚論がその思想体系に占める位置や意義、ならびにその結婚論の概説

という形で進行したので、結婚論自体としては、それほど深い次元までは行けなかった。これはジレンマで、結婚論講義としてはもちろん4が最重要なのだが、2や3の基本的な知識が前提としてないと、インパクトも薄れてしまう。そこで、2や3に時間をかけた結果、4がいつも駆け足になるのである。

来年度は、思い切って4を前面に押し出してみることにしようか。「ヘーゲルって結婚の思想家だと思ってた」と学生に言われることを恐れないならば、の話だが…。



結婚論の最後二回は、ドゥルーズ=ガタリとデリダ。来年あたり仏文学会で「結婚の形而上学とその脱構築(デリダの場合)」に関する発表をしてみようかな。

前にも書いたが、結婚論の重要な論題の一つに「誓い」や「約束」の問題がある。それは結婚の哲学が時間の哲学でもあるからだ。というのも、「誓い」や「約束」の問題とは「不可逆性」の問題だからである。東さんは『絵葉書』を情報伝達経路、コミュニケーションの話として読み解いたが、私はこの観点から読み解けるという直観を持っている。

《オックスフォードのよきスコラ哲学に従えば、約束は約束することしかできない。到達すること、自分の約束を果たすに至ることを約束することは決してない。可能なら約束を果たすに至るよう全力を尽くすことを約束するだけだ。

人は到達することを約束するのではない。到達する意図があること、到達するために自分の能力のすべてを傾注することを約束するのだ。もしそれが私の能力のうちにないために、また私のうちの、あるいは私の外のあれやこれ、あれこれの人が私の到達を妨げてしまったために、私が到達するに至らないとしても、私は自分の約束に背いたわけではない。私は相変わらず到達を望んでいる。だが、私は到達するには至らないのだ。

私は一貫して自分の約束=契約に忠実であろうとしてきた。君はこう言うだろう、そんなのはおよそ真面目な話とはほど遠い、オックスフォードの人間は不真面目だ、そういう「私のうちの、あるいは私の外の」とかいうのは恐ろしく曖昧か偽善的だ、可能とか意図などという観念は失笑を誘うだけだ。あなたは自分がその一語たりとても信頼を置いていない言説から論拠を引き出している、と(いや、いや、信頼している――他でもない真面目さの名において、オックスフォードの人々は話しているのだ[…])。

それに約束、誓約は真面目さに属するのだろうか、それは真面目なのだろうか、言ってごらん? それは真面目さより、はるかに深刻で危険で、はるかに軽く、より多くのものからなっている。だが真面目ではない。》(デリダ『絵葉書』)

Friday, July 17, 2009

てはつたえる→てつだえる

来週で前期が終わる。授業もあと一つ二つで終わる。

講義のほうはほぼ出来る限りのことをした。どこの大学でやっても恥ずかしくないレベルのものをやっていると思う。難しいことを可能なかぎり簡単に、しかし分かりやすさのために細部を犠牲にしない、というチャレンジ。アンケート結果が出てみないと学生の満足度は分からないが。

ゼミのほうは反省点がいろいろある。特に学生との距離。他学部の先生に伺うと、1年生ゼミでは、

・前期で少なくとも二回は、「レクリエーション」と称して、土曜日などに、近くのレクリエーション施設に学生を連れていき、ドッジボールやミニサッカーを一緒にやる。そうすると、学生たちとの連帯感のようなものが生まれ、結果としてゼミへの溶け込み具合が違ってくるのだそうだ。学生に幹事をやらせることで、責任感が生まれたり、「リーダー格」の学生の発見にもつながる、と。

・最終回には、お菓子やジュースを買っていって、みんなで「打ち上げ」をするのだそうだ。これも上と同趣旨の試み。学生と親しくコミュニケーションをとる中で、欠席学生の身辺にそれとなく探りを入れることもできる。

こういうことを書くと、「嘆かわしい」「馬鹿馬鹿しい」「そんなことは大学でやるべきことか」とおっしゃる先生方の顔も浮かぶのであるが、現実は現実として受け止めなければならない。学生たちを少しずつ「大学生らしく」変えていくためには、私たちのほうも少しずつ現実に合わせて変わっていく必要がある、ということだろう。

デリダの次のような言葉に完全に共感しつつ、でもそれだけでも駄目だとも感じている。

《例えば、言い回しの難解さを、襞を、パラドックスを、追補的矛盾をあきらめること、それらが理解されないだろうという理由で、あるいはむしろ、その読み方を知らない、本のタイトルそのものの読み方さえ知らないあれこれのジャーナリストが、読者あるいは視聴者はなおさら理解できないだろう、視聴率とその稼ぎ手が害を被るだろうという理由であきらめること、それは私には受け入れられない猥褻事です。それはまるで、私に頭を下げろ、隷属しろ――あるいは愚劣さで死ねというようなものです。》

「上から目線」に過剰なほど敏感な2009年の日本で、このような言葉を受け入れられる人はどれくらいいるだろう。そしてその「られる」という能力ないし可能性の問題、「どれくらい」という数の問題は何を意味するのだろう。これもまた、哲学の問題ではないのか。

「人文系研究の衰退を食い止めるのは、制度改革への批判ではなく、人文系研究の成果そのものである」? 私はそうは思わない。あれか、これか、ではない。あれも、これも、なのだ。人文系研究の衰退を食い止めるのは、研究者としての振る舞いと同時に、大学教員としての振る舞いである。

子育てはとても参考になる、大学生との付き合いばかりでなく、いろいろと(笑)。『クーヨン』2009年7月号「上手にNOを伝える育児」の特集「イライラせずにすむ「やっちゃダメ」の伝え方」から。

おもちゃを片づけるとき――声をかけるだけでなく手を添えて導いて。

「片付けなさい!」と声だけかけても、ラチがあきません。そんなときは、おもちゃを持つ手首を引いて、おもちゃ箱へ。「はーい」という気持ちが励まされます。》

声をかけるだけではダメなのだ、大学教員も。

Wednesday, July 15, 2009

ウェイト・トレ

一つ一つのプレーの質を上げる以前に、もう少し基本的なことがあった。スタミナだ。

怒涛のように仕事が押し寄せてきて、さまざまな悪条件が重なっても、疲れきっていても、

ただ翻弄されるがままになるときでさえも、

その翻弄のされ方を或る程度コントロールできる、というような意味でのスタミナ。

この部分を強くしていくには、普段から仕事量を上げていくしかない。

ウェイト・トレと同じようなものか。ふたたび、プロに入りたての高卒ルーキーみたいな気分になる。

Tuesday, July 14, 2009

大切なこと

若い世代の育成、自分自身の体力(哲学的な)アップ、ワンプレーワンプレー(哲学的な)の質の高さ。

今は我慢の時。ひとつひとつこなしていく。


ヒディンク監督来日、ユース世代の育成を実践指導

6月23日0時27分配信 スポーツナビ

チェルシーの前監督で、ロシア代表を率いるフース・ヒディンク監督は22日、埼玉スタジアム2002で開催された「ナイキ・コーチング・フォーラム」に登壇し、ユース世代の育成論について熱弁を振るった。 ユース世代を教える指導者を対象とした同イベントで、ヒディンク監督は「重要なのは練習の中で9割はボールとかかわっていること。テクニカルなスキルの習得は14~18歳では遅い。その年齢では完ぺきに近くないといけない。6~13歳までに毎日のようにボールコントロールを教えることが大事」と話した。

 また、クリエーティブな選手の育成については、「プレーを押し付けるのではなく、練習でさまざまなシチュエーションを提供し、その中で選手が試行錯誤して身につけていくもの。監督は介入しすぎてはいけない」と持論を展開。これまで自身が指導した選手の中で、最も発想豊かで直感的な選手としては、PSV時代のロマーリオ、レアル・マドリー時代のミヤトビッチ、そしてオランダ代表を率いていたころのベルカンプの名前を挙げた。

 さらに、ヒディンク監督は2002年のワールドカップ日韓大会で韓国代表を指揮した当時のチーム作りやパク・チソンの成長についてのエピソードを披露。韓国代表に関しては「就任当初、イニシアチブ(主体性)が欠けていると感じた。これは文化的なことかもしれないが、選手はミスを怖れていた。わたしはその否定的な考えを改革し、パフォーマンスを向上させようと思った。時には選手のミスさえ称賛した」と語り、パク・チソンについては「彼はシャイだった。韓国代表でもPSVでも最初は実力を発揮できなかった。しかし、その後話し合うことでポテンシャルを引き出すことができた。彼がチャンピオンズリーグでプレーするような選手に成長したことを誇りに思う」と述べた。

 同イベントでは講演会に続き、ヒディンク監督が実際にユース選手を指導する実技講習が行われた。ヒディンク監督はボールを使ったウォーミングアップからミニゲームまで1時間以上にわたって指導。ファーストタッチ、積極性、1対1の重要性を選手に説いた。


ヒディンク監督、日本に“体力サッカー”のススメ
6月23日7時54分配信 サンケイスポーツ

来日中のロシア代表のフース・ヒディンク監督(62)が22日、埼玉スタジアムでユース指導者に向けた講演と実技講習を行った。02年日韓W杯で韓国をベスト4に導いた名将は「日本は技術的な問題はない」と評価した上で、「最近のサッカーは90分間、走らないといけない」。W杯4強を目標にする岡田ジャパンに“体力サッカー”のススメを説いた。

 韓国時代は長期的な練習プランを立て、回復能力の向上に努めた。「15~20秒で心拍数が元通り回復した。そうなれば相手が疲れ、得点のチャンスは増える」。06年ドイツW杯は豪州を指揮し、初戦の日本戦で3-1の逆転勝ち。「当時の日本はDFとMFの間にかなりスペースがあった。後半に疲れるのは明白だった」。ムダ走りを減らす体力温存も、キーワードになりそうだ。


中沢、4強厳しく感じれば「1次突破も無理」

 1-2の逆転負けを喫した豪州戦は、スタンド観戦。「1プレー1プレーの質の高さが日本と違った。最低、あのレベルという位置付けがわかりやすい相手だった」と分析。岡田監督が掲げるW杯ベスト4へ「何気ないパスを意識してビシッと出すとか、そこから始めないと」と、普段のJリーグから意識の高さを持つ必要性を訴えた。
 「(4強を)厳しく感じる選手も出てくると思うけど、厳しいと言っていたら1次リーグ突破も無理」。W杯予選突破を祝う花束をクラブ職員から受け取っても、厳しい表情は変わらなかった。あと1年。中沢はより高みを見る。(志田健)

Tuesday, July 07, 2009

教育社会(七夕に)

京都教育大学の事件報道:大学とメディア、双方のあり方に疑問」という記事を見つけた。多くの点で賛同できる。例えばこれ。

《日本では、メディアが「謝罪」の画にこだわります。
メディアの側は、「そうしないと世間が納得しないから」と言いますが、本当はそうしないと映像的にオチをつけられないからでしょう。
だから、「世間を騒がせたことに対して、謝罪はないんですか!?」なんて、いまひとつ意味が分からない要求と共に、臆面もなくマイクを突き出せるわけです。》

ただ、個別大学の個々のコメントや個別メディアの個々の対応に疑問はあっても、事態を理解する(intelligere)にはその視点では十分ではない。なぜメディアは謝罪の絵にこだわり、なぜ謝罪側は結局のところ「謝罪」「責任」をとらねばと感じるのか。問題はそこにある。



世間では日々数々の犯罪が起こっている。大学は公的性格をもつ以上、何か事件が起きれば、その「社会的責任」が厳しく問われるのは当然のことである。

会社員が犯罪を犯したとしよう。その社員の働く企業が有名企業であった場合、すなわち「ニュース」になりやすい場合は必ず、「社会的責任」から、トップの謝罪、組織としての対応が問題とされるだろう。

だが、先に取り上げたような度を越した犯罪(準強姦)の場合、トップの辞任といった責任問題に発展するだろうか?事件の規模や性格によってはそういう場合もないとは言えないが、考えづらい。なぜか?問題行動を起こした「原因」が、社内教育の欠如ないし不備にのみある、と断定できないからであろう。

社内でのセクハラなどであれば、「よりいっそう(社内)教育を徹底し、再発防止に努めて参ります」と言えるが、度を越した異常な犯罪――例えば、テレビ局の社員が同僚に爆発物を送りつけた事件が少し前にあったが――について、トップは謝罪すべきだろうか。企業は責任をとれるだろうか、とるべきだろうか?コンプライアンス研修会と心理カウンセリングの社員への周知をさらに徹底するくらいが関の山であろう。

大学だけでなく、教育界だけでもなく、あるいは官公庁だけでもなく、おそらく現在の社会情勢においては、責任がとれるか否か、取るべきであるか否かにかかわらず、「よりいっそう(社内)(学内)教育を徹底し、再発防止に努めて参ります」という言葉が、すべての社会構成員に対して、一般的に求められているのだ。

まさかいい歳をした大人に「腹がたっても、爆発物を送りつけてはいけません」とか、大学生に「強姦は重罪です」としっかり諭すことが真に有効な防止策だとは思えないし、効果を上げる部分よりむしろ非効率な部分のほうが圧倒的に多いと思うが、それでもなおエクスキューズとしての「コンプライアンス研修会」と「心のケア」は増える一方であろう。なぜなら、それをしていなかった場合にその組織は「責任」を問われるからだ。

要は、対外的なエクスキューズとしての〈教育〉が、至るところで求められているわけだ。問題は、この〈教育〉の内容ではなく、その本質である。

日本は十数年前、「訴訟社会アメリカ」を嗤っていた。熱いコーヒーで訴訟になる国、濡れたプードルを電子レンジで乾かそうとして訴訟になる国、と。そして、今、日本製のありとあらゆる電子機器の説明書には、過剰なほど「注意書き」が溢れている。ありとあらゆるお節介な看板やポスター、電車やバスの車内放送は、ますます過剰になる一方だ。

逆説的なことだが、これほど教育の不足が叫ばれながら――「ゆとり教育」の放棄――、「教育社会」なのだ。生涯教育の時代に、人間はすべて、いつまでも陶冶の対象である。

どこでも教育が強調されるが、それはエクスキューズとしての教育である。外部からの指摘に備えて行なわれる教育、教育される対象よりも本当は目が外部からの視線に行っている教育、それが管理社会で行なわれる一般的な教育ではないか。これが先に言った〈教育〉の本質であるように思われる。

「モンスターペアレント」とは一部の異常な親ではなく、「クレイマー」の一種であり、このようなエクスキューズ社会の産物、「教育社会」の鬼子なのだろう。

教育にとって困難な時代である。

Monday, July 06, 2009

近くて遠きは田舎の道…と学術交流

京都や東京にいた頃は古本屋巡りが趣味だったのだが、福岡に来てからゆっくり見て回る時間がない。そもそも古本屋街といったものが存在するのかも知らないのだが…。



三浦信孝さんのおっしゃるように、

《日仏交流で日本のことを説明する局面が増えています。
日本のことをミニマムわかってもらわないと、
どんな分野でも学術交流にならないと痛感しています。》

でも、これは三浦さんのように、すでに数多くの交流を通してその「下地」を作った人だからできること。

我々のフランス哲学研究の分野では、まだまだ我々自身のアウトプットが少ない。そこで「日本思想に興味を持て」といっても、欧米の研究者から儀礼以上の関心が引き出せるか。まずはフランス哲学研究の実力を認めさせたうえで、日本のことをもっと多く混ぜていく、という戦略が必要だと思う。

ともあれ、遠くからご成功をお祈りしています。


日仏シンポジウム《「日本の近代化」再論:「近代主義」の何を継承するか?》

2009年7月11日(土)12日(日) 日仏会館ホール

共同座長: マルク・アンベール(レンヌ第1大学-日仏会館フランス事務所)+廣田功(帝京大学)

7月11日(土)

10:00〜12:30

三浦信孝(中央大学) 「日本の近代化という問題:発展段階論か文化類型論か」

ピエール・スイリ(ジュネーヴ大学) 「明治日本における歴史学の成立:権力の掛金・過去の支配・抵抗」

杉山光信(明治大学) 「戦後啓蒙と戦後民主主義」

14:00〜15:40

松本健一(麗澤大学) 「脱亜論とアジア主義:日本の近代化とアジアの近代化」

フィリップ・ペルティエ(リヨン第2大学) 「島国:日本の近代化と領土化」

16:10〜17:50

水林彪(一橋大学) 「日仏比較:二つの近代法」

望田幸男(同志社大学) 「日独比較:二つの近代、二つの戦後」

7月12日(日)

10:00〜12:30

加藤哲郎(一橋大学) 「日本マルクス主義と社会主義運動の遺産」

クリスチーヌ・レヴィ(ボルドー第3大学) 「大逆事件:例外的裁判か抑圧の近代的モデルか」

藤井隆至(新潟大学) 「未完の日本近代:柳田国男『遠野物語』はなぜ読まれるか」

14:00〜15:40

ベルナール・トマン(国立東洋言語文化研究院) 「戦前の日本における労働者の管理:人口の管理技術としての近代化」

落合恵美子(京都大学) 「脱欧入亜する日本:アジア家族の比較研究から」

16:10〜17:50

アラン=マルク・リユー(リヨン第3大学) 「近代の理論:比較論をどう打ち立てるか」

総合討論


Colloque de la Maison franco-japonaise

La modernisation du Japon revisitée :

Que reste-il de l’approche moderniste ?

Les 11 et 12 juillet 2009, à l’auditorium de la Maison franco-japonaise

Sous la co-présidence de Marc Humbert (Bureau français de la MFJ) et d’Isao Hirota (Univ. Teikyô)


Samedi 11 juillet

10:00 ~ 12:30

Nobutaka Miura (Univ. Chûô), La modernisation du Japon en question : évolutionnisme linéaire ou typologie culturelle?

Pierre Souyri (Univ. de Genève), La constitution de l’histoire comme discipline académique dans le Japon de Meiji : enjeux du pouvoir, contrôle du passé, résistances

Mitsunobu Suguiyama (Univ. Meiji), Lumières et démocratie de l’après-guerre

14 :00 ~ 15:40

Kenichi Matsumoto (Univ. Reitaku), La sortie de l’Asie et/ou l’asiatisme : la modernisation du Japon et la modernisation de l’Asie

Philippe Pelletier (Univ. de Lyon 2), «Shimaguni » : modernisation et territorialisation au Japon


16:10 ~ 17:50

Takeshi Mizubayashi (Univ. de Hitotsubashi), Comparaison France-Japon : deux droits modernes

Yukio Mochida (Univ. Dôshisha), Comparaison Allemagne-Japon: deux modernités, deux après- guerres


Dimanche 12 juillet

10:00 ~ 12:30

Tetsuro Kato (Univ. de Hitotsubashi), Héritage du marxisme et du mouvement socialiste au Japon

Christine Lévy (Univ. de Bordeaux 3), L’affaire du crime de lèse-majesté (1910): un procès d’exception ou un paradigme moderne de la répression?

Takashi Fujii (Univ. de Niigata), La modernité japonaise inachevée: Pourquoi lit-on encore « Tôno-Monogatari » de Kunio Yanaguita ?


14:00 ~ 15:40

Bernard Thomann (INALCO), Gouverner les ouvriers dans le Japon d'avant guerre: la modernisation comme technique de gestion des populations

Mieko Ochiai (Univ. de Kyôto), Le Japon qui quitte l’Occident et entre en Asie : approche comparatiste du modèle familiale asiatique


16:10 ~ 17:50

Alain-Marc Rieu (Univ. de Lyon 3), Théorie du moderne: Comment fonder le comparatisme?

Débat de synthèse

Friday, July 03, 2009

ボーヴォワール関係読書リスト

哲学史は、アウグスティヌスに2回を割き(『告白』と『神の国』)、トマス・アクィナス(『神学大全』)へ。本音としてはもう少し中世の哲学に浸かっていたい。「プラトンからデカルトまで」と銘打ったので、最後はデカルトで締めねばならないのだが…。

結婚論は、マルクス、フロイトを終えて、ボーヴォワールへ。

「ボーヴォワール 画像」で検索するのと、「Beauvoir image」とでは、結果がかなり違うので驚いてしまった。日本での古典としての地位の低さは、少し異様な気もする。中公新社版『哲学の歴史』に「ボーヴォワール」はおろか、「フェミニズム」という章すらない…。

今回の読書で一番気に入ったのはこれ。

青柳和身『フェミニズムと経済学――ボーヴォワール的視点からの『資本論』再検討』、御茶の水書房、2004年。

なんというか、この手の、肩に力の入りすぎた仕事が好きだ。

「本書の直接的な問題関心は、2005年から2015年までの時期を中心とした女性のM字就業の解体を中核的内容とする日本におけるジェンダー革命の端緒的展開の予測と21世紀の世界史的なジェンダー革命の展望を明らかにするための歴史的・理論的考察である。そのためにフェミニズムの古典としてのボーヴォワール『第二の性』と、マルクス経済学の古典としての『資本論』とを比較検討しつつ、マルクスが検討しえなかった歴史と現状の資料、とくに性・生殖史と近現代の人口史の資料によって『資本論』を再検討することが直接の課題である。」

「2015年には予測の結果はほぼ判明しているので、予測に失敗した場合には一切の自己弁明をせず、筆者の学問的方法論、認識論まで含めた根本的な自己批判をすること、これが学問上の意味での「笑い者」のなり方である。」

真正面から直球勝負、いいですね。かっこいい現代思想家の威を借りて、キャリアを駆け抜けていくより、よほどいいです。



大越愛子『フェミニズム入門』、ちくま新書、1996年。

京都にいた頃に買ったのに、まともに読んでいなかった。13年ぶりに読みました…。やっぱり好きになれませんでした、とても残念ですが。



シモーヌ・ド・ボーヴォワール『女性と知的創造』(朝吹登水子+朝吹三吉訳)、人文選書2、1967年。1966年の滞日講演集。

セルジュ・ジュリエンヌ=カフィエ『ボーヴォワール』(原書1966年 岩崎力訳)、人文選書6、1967年。

ジョゼ・ダイヤン監督『ボーヴォワール――自身を語る』(映画1979年 朝吹三吉+朝吹登水子訳)、人文書院、1980年。

アリス・シュヴァルツァー『ボーヴォワールは語る――『第二の性』その後』(原書独語版1983年)、平凡社ライブラリー、1994年。

村上益子(ますこ)『ボーヴォワール』、清水書院、センチュリーブックス「人と思想」74、1984年。

佐藤泰正編『フェミニズムあるいはフェミニズム以後』、梅光女学院大学公開講座論集第28集、笠間選書163、1991年。以下二篇、視点は興味深いが…。

常岡晃「フランス文学におけるフェミニズムの諸相――スタンダールとボーヴォワールを中心に」
広岡義之「女性の現象学――ボイテンディクとボルノーに学びつつ」

クローディーヌ・セール『晩年のボーヴォワール』(門田眞知子訳)、藤原書店、1999年。
『第二の性』五十周年記念出版。

Tuesday, June 30, 2009

いろいろな成功

私が今行なっている教育にはどんな意味があるのか。そのことを考え続けていきたい。


アーセナルのベンゲル監督「成功にはレアル・マドリーとは違う切り口もある」

スポーツナビ - 2009/6/30 11:07

 アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は仏紙とのインタビューで、レアル・マドリーからの監督就任要請を断り、アーセナルの描く将来のプロジェクトに賭けた理由を明かした。

「レアル・マドリーは(スター選手の獲得により)スペクタクルなサッカーを目指している。だが、チームの成功には別の角度からの切り口もある。若手選手を 登用しながら、クラブ独自の確固たるスタイルを築き上げるというやり方だ。わたしは『若いチームとともにプロジェクトを遂行する』というアーセナルの哲学 を選んだ。わたしの喜びは、“自分の好むサッカーを体現すること”であり、このチームで最終目標を達成したいと思っている」

 ベンゲル監督は一方で、レアル・マドリーが移籍市場の相場を超える金額でクリスティアーノ・ロナウド、カカを獲得したことについては理解を示した。
「彼らへの支出が異常な金額に見えるのは分かるが、投資する者としては、将来的な収益源として試算してのことだろう。時には道徳面からの意見を無視し、収益性の観点から物事を見る必要もある」

 とはいえ、ベンゲル監督は「相次ぐ選手獲得は戦術面でのリスクにもなりかねない」との見解も示した。
「レアル・マドリーの場合、さまざまな要素がうまく機能すれば対戦相手に大きなダメージを与えることができるだろう。だが、3人以上の選手を一度に獲得することは戦術面でのリスクを負うことにもなる。とりわけ、不確定要素が多い(ゴール前の)ゾーンで悪影響が出がちだ」

(C)MARCA.COM

Thursday, June 25, 2009

アウグスティヌス読書リスト

結婚論は、ヘーゲル、キルケゴール、フーリエと来て、いよいよマルクスである。

が、某出版社のゴリ押しにおされ、準備時間を大幅に削られてしまう(怒・怒・怒)。

哲学史は、新プラトン主義を終え、いよいよ中世哲学へ。今回はアウグスティヌス。アウグスティヌスには結婚論も教育論もあるのだが、今回はオーソドックスな全体像を描きたい。と当初思っていたのだが、山田晶と服部英次郎に惹かれて、「アウグスティヌスと〈女性〉」の話から、愛(カリタス)の理論が中心になってしまった。ドゥンス・スコトゥスを捨てて、アウグスティヌスをもう一回やることにした。

毎回最初に少し復習をやるので、次回は、まずアレントの『アウグスティヌスの愛の概念』を使って復習してから、もう一つの代表作『神の国』の思想を取り上げることにしよう。

1.まず「キリスト教哲学」なる概念について。

Etienne Gilson (1884-1978), Introduction à la philosophie chrétienne (1960), 2e éd. précédé de la présentation de T.-D. Humbrecht o.p., Vrin, 2007.

ジルソンの旧著『中世哲学の精神』(服部英次郎訳)上下巻、筑摩叢書、1974‐1975年の要約という印象である。主張は『存在と本質』以来変わらない。賛同するかどうかはともかく、読ませる文章。

クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(初版2002年)改訂・増補版、平凡社ライブラリー、2003年。
リーゼンフーバーは無味乾燥。ただびたすら知識のために苦痛をおして読む。

中川純男ほか編『中世哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2005年。
第1部第2章「愛の思想」(松崎一平)、同第3章「キリスト教哲学」(脇宏行)をざっと読んだ。

中川純男「総論:信仰と知の調和」、『哲学の歴史』第3巻(中世)、2008年、19‐33頁。
中川氏60歳。
もう少しコンパクトかつソリッドに(深く突っ込んで)まとめられるはず。

山田晶(1922-)「中世における神と人間」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史I)、1972年。山田氏50歳。哲学史における「中世」には三つの解釈がある、と氏は言う。

1)中世哲学=スコラ哲学(Stöckl, Grabmann, de Wulfらの説)
2)中世哲学=キリスト教哲学(Gilsonの説。中川氏もこれ)
3)中世哲学=「すでにキリスト教以前、イスラエルの宗教思想がギリシア哲学と交渉をもちはじめて以来、新しい原理の元に形成されていった哲学の歴史」(ユダヤ人の思想家ヴォルフソン)

山田氏は何と3を選ぶ。

《この見解は、内容的に「中世哲学」を把握するのに最も適当であると思われる。事実、スコラ哲学を理解するために、単に教父の伝統のみならず、アラビア、ユダヤの哲学者たちの深い影響を看過できないように、教父の哲学そのものが、それに先立つユダヤ人の哲学の伝統を無視しては十分に理解されえない。このように「中世」をイスラエルの宗教思想とギリシア哲学との出会いによって新たに生じた哲学的問題の展開の歴史とみることによって、スコラ哲学と教父哲学とを含むいわゆるキリスト教哲学のみならず、中世にそれに並んで発展するユダヤ教とイスラム教の哲学の伝統も、いわば一つの「中世哲学の相のもとに」理解される道が開かれるであろう。》

リベラは、中世における相互作用は認めるとしても、この「起源」についてどういうだろうか?イスラムの影響にどの程度触れるか、時間の関係上、難しいところである。

2.当時の時代状況およびアウグスティヌスの生涯

ローマ関係の書物はすでに幾つか挙げた。

さらに、青柳正規(あおやぎ・まさのり 1944‐)『ローマ帝国』、岩波ジュニア新書、2004年。
東西ローマ帝国分割統治の地図は使える。

ピーター・ブラウン(1935-)『アウグスティヌス伝』(出村和彦訳)、上下巻、岩波書店、2004年。
アウグスティヌス関連地図としては一番見やすい。

アダルベール・アマン『アウグスティヌス時代の日常生活』(東丸恭子訳)、上下巻、リトン、2001年。
第1部第4章「都市の家庭」は結婚論に有用。


3.アウグスティヌス(ラッセル、シャトレ、熊野、貫、原典はもちろん)

トレルチ(Ernst Troeltsch, 1865-1923)『アウグスティヌス――キリスト教的古代と中世』(西村貞二訳)、新教出版社、1965年(2008年復刊)。

トレルチ、実に久しぶりに買ってみた。岩波文庫を学生時代に買って以来である。が、正直苦痛。

服部英次郎(1905-1986)『アウグスティヌス』、勁草書房、思想学説全書、1980年。

特に第六章「人間と愛」がよかった。
「アウグスティヌスの愛の説について語ることは、彼の教え全体にわたることになるかと思う。それほどまでに、愛はアウグスティヌスの思想全体に中心的な地位を占め、それほどまでに、彼の神と人間についての説はすべて愛につながっている」。

エティエンヌ・ジルソン+フィロティウス・ベーナー『アウグスティヌスとトマス・アクィナス』(独語原書1954年、服部英次郎+藤本雄三訳)、みすず書房、1981年。

「キリスト教哲学」に関する膨大な書物から二人の部分だけ抜き出したもの。先の服部さんの「カリタス」記述はごく大雑把な描写で終わっていた。そこにさらに一歩踏み込んでくれている。さすがジルソン。

宮谷宣史(よしちか 1936‐)『アウグスティヌス』(初版1981年)、講談社学術文庫、2004年。
このシリーズの非常な長所である「索引」がないのがとても残念。時間のない私のような読者には苦痛。

中川純男(1948-)「アウグスティヌスとキリスト教神学」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、1985年、267‐291頁。中川氏37歳の時の論文。これら御大の間に挟まれるとつらいですね。

山田晶(1922‐2008)『アウグスティヌス講話』、新地書房、1986年。講談社学術文庫版(1995年)は未見。1987年の大仏次郎賞受賞作である本書は、アウグスティヌスの青年時代を放蕩無頼だったとする通説を『告白』の鋭い読解によ り覆し、「子供までもうけて離別した内縁の女性こそ、アウグスティヌスに最も大きな影響を与えた人物」と説く。第一章「アウグスティヌスと女性」は、私の結婚論に使える。

ハンナ・アーレント『アウグスティヌスの愛の概念』(原書1929年 千葉真訳)、みすず書房、2002年。
とても興味深い。

中川純男・松崎一平「アウグスティヌス」、中公『哲学の歴史』、同上、81‐190頁。

共同作業の弊害がむしろ出ているような気がする。伝記的部分と思想概説部分にかなりの重複感がある。

Wednesday, June 24, 2009

大学淘汰

危機感のない大学教員、とりわけ、「大学などなくなっても、自分は哲学を続けていく」などとのたまう――その発言自体は好ましいし勇ましいが、現実はそれほど甘くはないだろう――有力大学の哲学教員たちには分かるまい。

学生の募集を停止した幾つかの大学のなかには、私の友人もいる。彼はどうするのだろうか。

p.s.ひとまずそんなに落ち込んでいないようで安心しました。とはいえ、事態は予断を許さないでしょうが…。

***

始まった「大学淘汰」 聖トマス大「敗戦の弁」 

(連載「大学崩壊」第11回/募集停止続々)
6月21日15時5分配信 J-CASTニュース

「大学淘汰」の波は着々と押し寄せてきている。実に4割超の私大が定員割れし、2009年度に入ってからは4年制の「小規模」私立大学が続々と10年度からの募集停止を発表した。その中の一つ、聖トマス大学(兵庫県尼崎市)に「敗戦の弁」を聞いた。

■入学者数の減少、歯止めかからず

 日本私立学校振興・共済事業団の2008年度「私立大学・短期大学等入学志願動向」によると、集計された私大565校のうち、47.1%の266校が定員割れ。07年度と比較しても定員割れの私大は42校増加した。

 そんな中、聖トマス大学(兵庫県尼崎市)、三重中京大学(三重県松坂市)、神戸ファッション造形大学(兵庫県明石市)、愛知新城大谷大学(愛知県新城 市)の4校が募集を停止する。6月18日には日本初の株式会社立であるLECリーガルマインド大学(東京都千代田区)も学部生の募集停止を発表。いずれも 1学部しか持たない単科大で、学生数800人未満の小規模大学だ。 

 聖トマス大学は、1963年に「英知大学」として創立した。96年には大学院人文科学研究科を新設するなど拡大を目指してきたが、2000年から定員割 れ。04年度は5学科を3学科に減らし、定員を250人に限定。07年には聖トマス・アクィナス大学国際協議会に加盟し、名称を現在の「聖トマス大学」と 改称、国際交流の推進を図ったものの、入学者数は07年度が182人、08年度が78人、09年度が110人と減少に歯止めはかからず、募集停止を決断し た。

 大学のホームページには「学生募集停止のお知らせ」が掲載されており、

  「全学をあげてさまざまな施策を講じ努力をして参りましたが、このように厳しい環境に打ち勝つことができず、将来にわたって教育研究を継続することが困難になってしまいました。このような決定に至りましたことを深くおわび申し上げます」

とある。

■有名校とそうでないところに二極化している

――学生数の「激減」はなぜ起きたのでしょう。

  聖トマス大学:一言でいえば「努力が足りなかった」ということ。受験生のニーズに合った学科・学部をつくれず、有名校に志望が偏ってしまう中で、本校 が肩を並べるところまではいけませんでした。それに、少子化の影響も非常に大きい。09年度については経済危機の影響で、学費の高い私立大学が敬遠され た、ということもあるように思います。

――09年3月末現在で、約20億円の赤字ということですが、赤字経営はいつから続いていたのですか。「経済危機」の影響はあったのでしょうか。

  聖トマス大学:1998年から赤字が続いていました。また、外貨建ての有価証券を保有しており、円高の影響もありました。

――今まで、どのような施策を講じてきたのでしょうか。

  聖トマス大学:04年には学科を減らし、定員を限定する改組を行って経営資源の集中を図ったと同時に、神学科を人間学科に改名するなど、親しみやすい 大学を目指しました。07年には聖トマス・アクィナス大学国際協議会に加盟し、「聖トマス大学」に改称、海外に興味のある学生のために留学システムの強化 を行いました。08年は文学部を人間文化共生学部に改組、教職課程の強化を行いましたが、校名を浸透させることも難しく、結論としては改善できなかったということ。結果がすべてですから…。

――今後、小規模大学の経営環境は厳しさを増してくるのでしょうか。

  聖トマス大学:少子化の余波で、有名校とそうでないところに二極化しているのは確かだと思います。当校も有名校に負けないよう頑張ってきたつもりでし たが、結果として失敗に終わってしまった。ただ、小規模でも特徴を出して頑張っているところはあります。小さい大学には小さいならではの良さもあるので は。

――一部で合併も検討との報道もありましたが。

  聖トマス大学:現時点では未定です。なくなる大学を卒業するのが嫌、と転校する学生もいるかもしれませんが、第一に考えるのは在校生の利益。卒業するまで、よりよい教育環境を提供し、就職支援を行っていきます。

Tuesday, June 23, 2009

『ベルクソン、政治と宗教』

ベルクソン『二源泉』をめぐる英語の論文集の続報が入った。c社とd大出版、二社手を挙げてくれている。近日中に決定の予定。

ケックと私を除いて、すべて英米系人脈だが、かなりいいラインナップ。キース・アンセル・パーソン、パオラ・マラッティ、エリザベス・グロス、スーザン・ガーラック、ジョン・マラーキー、ヘント・ド・フリース。その他若手の友人・知人数名。

彼らの論文仮タイトルなど詳細も分かっているが、総じてドゥルージアンである。

私の目標は、ポスト・ドゥルーズ的な方向性で彼らを超えること。高望みなのは分かっているが、自分にどこまでできるか、チャレンジしてみたい。

Sunday, June 21, 2009

「フェミニスム」という語の発明者はフーリエではない

一般に「フェミニスム」という語の発明者は、造語乱造者であったフーリエと言われているのだが、フレッス女史によると、「フェミニスト」という形容詞は、1872年にアンチ・フェミニストである共和主義者のデュマ・フィスが、「フェミニスム」という語自体は、1871年にFerdinand-Valère Faneau de la Courという無名の医学生が博論で、したがって医学的な文脈で、使用したのだという。

***

féminisme : appelation d’origine
par Geneviève Fraisse

Le mot « féminisme » est abusivement attribué depuis la fin du XIXe siècle à Fourier et le dictionnaire Robert de la langue française perpétue encore cette erreur.

On comprend bien pourquoi : outre que Fourier est un auteur enclin aux néologismes, il assiste en 1830 à l’apparition du premier mouvement féministe et joue bien évidemment un rôle d’éclaireur dans l’histoire de l’égalité des sexes et de la liberté des femmes.

Le curieux de la chose est que la création de ce néologisme est daté de l’année de sa mort. Or ce mot n’est pas dans ses textes, même si la chose s’y trouve. En revanche, l’apparition de l’adjectif « féministe » est remarqué chez un auteur connu pour son attitude passionnelle à l’égard des revendications des femmes de son temps, Alexandre Dumas-fils.

Il publie en 1872 L’homme-femme, pamphlet à propos d’une affaire de moeurs, débat sur l’adultère et l’interdiction du divorce. Derrière Fourier le socialiste et féministe, se trouve donc Dumas-fils, républicain et antiféministe. Il n’est pas anodin que le mot vienne de ce côté-ci de la vie politique du XIXe siècle.

Mais plus surprenant encore : le mot « féminisme » préexiste à l’adjectif politique, il appartient au vocabulaire médical, ce qu’attestent d’ailleurs encore certains dictionnaires médicaux du XXe siècle. En effet, en 1871 parait une thèse de médecine intitulée Du féminisme et de l’infantilisme chez les tuberculeux dont l’auteur est l’étudiant Ferdinand-Valère Faneau de la Cour, élève du professeur Jean lorain, en fait le véritable auteur du mot nouveau.

Saturday, June 20, 2009

真正面からぶつかる

フランス語とドイツ語の両方を交えたシンポジウム、これを日本でやるのはすごい。外野からごちゃごちゃ言うのは簡単だけど、やるとなるとかなり難しいだけに、現場を見てみたかった。ブログ報告を見ても、ヨーロッパの研究者と本気でぶつかろうとしているのが分かる。

こっちはプロ野球に入りたての新人選手みたい。ビッグマウスはいいが、肝心の基礎体力がないという感じ。地道に哲学の筋力トレーニングに励んでいる…。



サッカー日本代表の岡田監督は、前任者のオシム監督と比べて、その采配についていろいろ言われているが(そしてそれらの疑問点・批判点の大部分を私は共有するが)、少なくとも現状、および強化プロセスに関する認識については間違っていないように思う。

1)自国の選手および当面のライヴァルの実力に関する現状認識、

2)その「強敵」に、最終的に(すぐに、ではなく)、勝てるようになるために、今、何が必要か=正面からぶつかって負け、課題を見つけること

哲学研究はどうだろうか。「集団で、国際的に、強くなる」という視点を持たない限り、いつまでも私たちのレベルアップはないだろう。いつまでも「中途半端な個人主義、大したパースペクティヴもない国内市場、縮小再生産のデフレスパイラル」が続くだろう。いつまでも「流行りもの」と「訓詁学」の不毛な二項対立で終わるだろう。

***インタヴュー抜粋

オーストラリアはアジアの中で抜けていますよ。個人のレベルとしてね。ほとんどの選手がヨーロッパでレギュラーを張っているわけでしょう。今まで日本人でプレミアリーグでレギュラーを張った選手は過去に1人もいませんよ。プレミア、セリエA、リーガ・エスパニョーラの3大リーグでもレギュラーを張ったのは、唯一ヒデ(中田英寿)くらいでしょう。それもペルージャのときだけですよ。ローマ、ボルトンではなっていない。オーストラリアは、2人くらいはレギュラーではない選手がいるけれど、ほぼ全員がレギュラーですよ。個人レベルで比較すれば圧倒的に日本より上の、いいチームですよ。でも、フランスや、イタリア、ブラジルと比べれば格落ちします。少なくとも個人レベルではアジア・ナンバーワンかもしれないけれどね。ならば、そんなオーストラリアくらいは負かしたい。

――オーストラリアを負かせるくらいでないと、ベスト4というものには手が届きません 

だから、負かせなければならないし、敵地であろうが、できると思っていますしね。ただ、今のところ真正面からぶつかっていくつもりです。もし、ここで策を打って、そこそこいい試合をして勝っても何も見えない。真正面からぶつかって『何が足らない』『何ができるか』が見えてこないと意味がないわけですよ。この前のホームでやったオーストラリア戦でも、そうですけれど、僕は一切、策は打たないしパワープレーもしなかった。それは決めていたんです。だから見えてきたものがありましたしね。

――ホームのオーストラリア戦では相手が引き分け狙いで思い切り守備的でした。あれだけ守られると、FWにこじ開ける力はありませんね 

僕は、そういう見方はしていないんですよ。逆に言うとオーストラリアがアジアであれだけボールを相手にキープされたことは初めてですよ。僕は「こういう相手にもあれだけ回すことができるんだ」と思った。それに、あれだけ守られると、世界中、どのチームも、簡単には点は取れません(笑)。でも引き分けに満足してはいけない。

何が勝つために必要なものだったのか。1つ見えたポイントは、ゴール前に入っていかなきゃいけないということです。「中盤で回すのに人数をかけているのでゴール前に入れません」では、彼らに勝てませんよ。彼らは、中盤で日本みたいにボールを回すならば、きっとゴール前には入れないでしょう。でも、われわれは回したところからまた入っていく、だから勝てるんです。「前線でプレッシャーをかけているからゴール前にいけません」。それじゃあ勝てないんです。前線の選手も守備に参加し、なおかつ、ゴール前でシュートを打てなきゃダメなんです。そういうことが徐々に見えてきているので、僕は、あのオーストラリア戦をネガティブにとらえていないんです。

Thursday, June 18, 2009

ジュネット存命

今日はジェラール・ジュネットの新刊Codicille。まだ生きてたのですね…。

Wednesday, June 17, 2009

愚鈍さ(stupidity)

アヴィタル・ロネル(Avital Ronell)がstupidityについての新刊を出したらしい。「自分はメインストリームではない」と言っていたが、そうかなあ。デリダとドゥルーズ、レヴィナスやムージルを使って動物性とかbêtiseとかを論じるのって、まさにその業界のメインストリームでしょう。その照明は、カトリーヌ・クレマンが共感をこめて言うように、「オペラではなくキャバレー」のものだけれど。


Tuesday, June 16, 2009

新プラトン主義入門書リスト

熊野純彦さんの『西洋哲学史』、新プラトン主義の章は今一つ。

貫さんの、この個所は短いながら、健闘。「ヘレニズム・新プラトン主義関連地図」便利。

岩波講座は新プラトン主義なし。

新岩波講座(ヘレニズムに引き続き、水地さん)。相変わらず味気ない。

ヘーゲル『哲学史講義』中巻(長谷川宏訳)、河出書房新社、1992年。哲学史のお手本(というか、元祖なわけだが)。

山口義久「プロティノスと新プラトン主義」、『哲学の歴史』第2巻、中央公論新社。これが一番よかったが、アリストテレス主義者だからか、今一つ「一体感」が伝わってこない。

オーバンク「プロティノスと新プラトン派哲学」、シャトレ哲学史。同じアリストテレス主義者でも、こうも違うものか。躍動感はかなりあるが、山口氏に細かい点でダウンを奪われている。



ちなみに、これで古代ギリシア・ローマ哲学が一区切りする。このあたりの息抜き的な書物として、

山本光雄『ギリシア・ローマ哲学者物語』、講談社学術文庫、2003年。

中身は数十年前のもの。哲学者たちの逸話集。幾つかの章の、幾つかのパッセージを除いて、面白くない。

ロジェ=ポル・ドロワ&ジャン=フィリップ・ド・トナック『ギリシア・ローマの奇人たち 風変わりな哲学入門』(中山元訳)、紀伊國屋書店、2003年。

Saturday, June 13, 2009

キルケゴール読書リスト(3)

ヤロスラヴ・ペリカン(Jaroslav Pelikan, 1923-)『ルターからキェルケゴールまで』(高尾利数訳)、聖文舎、1967年。

この著者の名はどこかで見覚えがあると思っていたが、ヤーロスラフ・ペリカン『大学とは何か』(田口孝夫訳)、法政大学出版局、1996年。

前者の「あとがき」によれば、1962年秋、ライフ誌で「現代アメリカの最も重要な百人」に、プロテスタントとカトリックの対話に関するプロテスタント側の権威者の一人として選ばれた由であるが、この本をもってその実力を味わうことはできなかった。

なんというか、骨と筋だけのがりがりに痩せ細った本である。例えば、「キェルケゴールは、ルター以後、実存的洞察を、生きた批判的哲学に建設した最初の偉大な思想家なのである」とか、「ルター派神学がこれまで結びついてきた他の多くの哲学と比べるならば、キェルケゴールの哲学はルター派神学に語るべき多くのことをもっている」というのだが、肝心の論証がない。これでは、表題から予測されることを一歩も出ていない。

Friday, June 12, 2009

フーリエ関係書リスト

「詰め込みすぎないほうが学生のためにもいい」。それはそのとおりなのだが、それが準備を怠る言い逃れになってしまってはいけないだろう。パーフェクトな内容をつくってから少し間引く、それが理想だ。

哲学史では「ストア派」を終えて、新プラトン主義へ。

結婚論はヘーゲルとキルケゴールを対にして見せた後で、今度はフーリエとマルクス&エンゲルスを対にして見せてみようかと。

五島茂・坂本慶一編『オウエン、サン・シモン、フーリエ』、中公バックス『世界の名著』第42巻、1980年。「産業的協同社会的新世界」(1829)収録。

シャルル・フーリエ『四運動の理論』(1808)(巌谷國士(いわや・くにお)訳)、現代思潮社。

シャルル・フーリエ『愛の新世界』(福島知己訳)、作品社、2006年。

ロラン・バルト『サド、フーリエ、ロヨラ』(篠田浩一郎訳)、みすず書房、1975年。

Charles Fourier, Vers la liberté en amour, textes choisis et présentés par Daniel Guérin, Gallimard, coll. "Idées", 1975.

Charles Fourier, Hiérarchie du cocuage, Presses du réel, coll. "l'écart absolu", 2000.

Charles Fourier, Des harmonies polygames en amour, édition établie et préfacée par Raoul Vaneigem, éd. Payot & Rivages,coll. "Rivages poche/Petite Bibliothèque", 2003.

Charles Fourier, Vers une enfance majeure, textes sur l'éducation réunis et présentés par René Schérer, éd. La fabrique, 2006.

今村仁司、項目「フーリエ」、『フランス哲学・思想事典』、弘文堂、1999年。

ジョナサン・ビーチャー『シャルル・フーリエ伝――幻視者とその世界』(福島知己訳)、2001年。

Pacal Bruckner, Fourier, Seuil, coll. "Ecrivains de toujours", 1975.

クロソウスキー「サドとフーリエ」(1970)、『ユリイカ』総特集サド、1972年4月号。

クロソウスキー『生きた貨幣』(1970)、青土社、2000年。

ルネ・シェレール『歓待のユートピア 歓待神礼讃』、現代企画室、1996年。シェレールが複数のフーリエに関する書物を出していることは言うまでもない。

Wednesday, June 10, 2009

ストア派入門書リスト

ヘレニズム期の哲学からはストア派だけを取り上げる。時間がないので、エピクロス派と懐疑主義は割愛。

ラッセル哲学史は、ストア派に対してかなり辛辣である。彼にかかると、クリュシッポスは「ストア主義を、体系的で衒学的なものとした」輩である。『シャトレ』でストアを担当しているピエール・オーバンクはこう書いている。《本来の意味でのストア論理学は、今世紀初頭まで、すなわち人がそこにアリストテレス論理学の貧弱な焼き直ししか見出さないような見方に固執していた長い間、軽視されてきた。》ラッセルがストア派の「意味の論理学」にまったく関心を示していなかったのもこの文脈なのだろう。

シャトレ(さすがはピエール・オーバンク)、熊野さんはいい。『原典による』、いまいち。

加藤信朗(しんろう 1926-)「ヘレニズムの哲学」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史1)、1972年。この題名にして、約60頁にわたってひたすらストア派のみ!まあ何にせよ、詳しいのはありがたい。

水地宗明(みずち・むねあき 1928-)「ストア派、エピクロス派、懐疑派」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、1985年。まさにストア派的な「シュステーマ」に今一つ欠けている。

1.ロゴス、2.認識、3.プロレープシス、4.行為、5.善悪と価値、6.感情

内山勝利(1942-)「総論:地中海世界の叡智」、『哲学の歴史』第2巻(帝国と賢者)、中央公論新社、2007年。もちろんこの巻の神崎繁さんによるストア派論文も。

岩崎允胤(ちかつぐ 1921-)『ヘレニズムの思想家』(初版1982年)、講談社学術文庫、2007年。

Tuesday, June 09, 2009

キルケゴール読書リスト(2)


グレゴーア・マランチュク『キェルケゴールの弁証法と実存』(大谷長訳)、東方出版、1984年。
本書の内容は「キェルケゴールの思想一般の単純な紹介」ではなく、「これまでどの研究者によっても気づかれなかったキェルケゴールの重要な弁証法的思想の発見」であり、「諸段階説の構築についての完全な系譜的説明」を与えてくれる。

ベルンハルト・メールポール『絶望の形而上学――キェルケゴール『死に至る病』の問題』(尾崎和彦ほか訳)、東海大学出版会、1980年。
「キェルケゴール研究史全体を通しても、『死に至る病』を、キェルケゴール の著作活動の全体像との関連を見失うことなく、これほど鋭利・明快に分析した書は稀有なのではあるまいか。またこの書を「形而上学」の書と見なし、キェル ケゴールを「形而上学者」として捉えるヴーストやメールポールの見方は、われわれに大きな問題と新たな展望を投げかけるであろう。」(訳者後記より)

私にとってのこの本の長所は、1)キェルケゴールの「実存弁証法」を簡潔に説明してくれていることと、2)キェルケゴールの人格概念をロマン主義、ヘーゲル、およびアウグスティヌスにおけるそれと比較して説明していくれていることである。

工藤綏夫(やすお)『キルケゴール』、清水書院、センチュリーブックス(人と思想19)、1966年。
当時のデンマーク文化の基本的な説明が嬉しい。

Monday, June 08, 2009

キルケゴール読書リスト(1)

哲学史と結婚論にエネルギーのかなりの部分を割いている。哲学史はようやくアリストテレスに別れを告げ、ストア派へ向かう。

結婚論は、ルターの後、ルソー、ヘーゲルと重量級が続いたが、今度のキルケゴールも、これはこれで手強い。

キルケゴールなのか、キ「ェ」ルケゴールなのか、などというのは瑣末な問題のようだ。デンマーク語を正確に転記すると「キアケゴー」だそうなので。

とにかく大学図書館にある彼の著作全集すべてにざっと目を通し、できるかぎり関連図書を読む。

すでに言われていることであろうが、私の見るところ、『人生行路の諸段階』は、キルケゴールの『精神現象学』である。しかも、〈結婚の精神現象学〉だ。

藤野寛「キルケゴール」、『哲学の歴史』第9巻(反哲学と世紀末)所収、中央公論新社、2007年。ゆるい。この企画は確かに立派な企画だと思うのだが、やはり人による出来不出来がある。

久保陽一ほか編『原典による哲学の歴史』、公論社、2002年。 今一つ使いにくい。「原典による哲学史」を一冊でまとめるという基本コンセプトに無理があるように思う。キルケゴールの箇所もそうだが、頁数の関係でどうして「この」引用がその思想家にとって本質的なのかの説明がなかったり、あっても不十分だったり。

F.J.ビレスコウ・ヤンセン『キェルケゴール』(大谷長(まさる)訳)、創言社、1997年。
「本書は元はコペンハーゲンの市立博物館内のキェルケゴール収蔵品展示室を見学に訪れる人々のために、予備的解説書」として書かれたという。「この書は、透徹した把握の仕方とそれを表現するまったくのユニークさと我々が今まであまり気付かなかった多くの事実の指摘と、そして最近の世界各地での研究事情をまとめる卓越した技術とあいまって、キェルケゴールに関する小著としては近来における最良のものとなっている。デンマーク・キェルケゴール協会の前の会長でもあり、北ヨーロッパを代表する文芸史家である人の書いたものだけのことはある」(「訳者のあとがき」)。

オリヴィエ・コーリー『キルケゴール』(村上恭一ほか訳)、文庫クセジュ、1994年。
良い入門書。ただし、諸家口をそろえて、キェルケゴールのいわゆる三段階は単なる「段階」の漸進でない、というのだが、今一つよく分からない。先の藤野氏なども三つの異なる「領域」なのだというが、どうみても審美<倫理<宗教となっていると思うのだが…。

Sunday, June 07, 2009

アリストテレスの入門書(2)

藤沢令夫(1925-2004)「アリストテレス」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史I)、岩波書店、1972年。

田中美知太郎亡き後のプラトン研究の第一人者がアリストテレスを描いたらどうなるのか。関心を持って読んでみたが、後の『プラトンの哲学』(岩波新書、1998年)から予想された通り、露骨な「反アリストテレス」であった。最後が「残された問題」としてアリストテレスの不備を列挙して終わっている。

0.生涯と著作および序(3頁)、1.イデア論批判(4頁)、2.自然・メタ自然・人間――見取り図(9頁)、3.残された問題(7頁)

アリストテレス批判が彼の論文の眼目なので、そこを取り上げておこう。藤沢は三つの問題を指摘している。

1)「何であるか」というソクラテス的問いに対応するものを、それ自体で独立に存在する実体と考えたという点――いわゆる「イデアの離在」――こそイデア論の欠点だと考えたアリストテレスは、プラトンが切断したイデアと事物を「実体」概念につめこもうとする。

《かくてアリストテレスにおいて、「実体」という言葉は、「独立に存在するこのもの」と、「このものをしてこのものたらしめている本質的形相」という、しょせんは相容れぬ二つの意味を担わされたままで放置され、何が最もリアルなものであるかについて、アリストテレスの考えはこの両極の間を揺れ動く。》

2)「善」と「価値」の関係

3)『ニコマコス倫理学』は結局、至高の価値を扱いえていないではないか、と。これらについて、アリストテレス側から反論することは可能だと思う。

以下はざっと。

山本光雄(1905-1981)『アリストテレス――自然学・政治学』、岩波新書、1977年。

ジャン・ベルナール(Jean Bernhardt, 1927-)「アリストテレス」、『シャトレ哲学史』第1巻(ギリシア哲学)、白水社、1976年。

藤井義夫(1905-)『ギリシアの古典――よく生きるための知恵』、中公新書、1966年。

ジャン・ブラン(1919-1994)
『アリストテレス』、文庫クセジュ、1962年。

Saturday, June 06, 2009

アリストテレスの入門書(1)

プラトンに比べて、アリストテレスの適当な入門書がないという印象がずっとあった。岩波新書でアリストテレスの全体像を伝えてくれる新書がずっとなかったのが大きい気もするし――後述するが、1977年に岩波新書から刊行された山本光雄の『アリストテレス』は副題のとおり「自然学・政治学」に限定されている――、大阪府立大学の山口義久さんの『アリストテレス入門』(ちくま新書、2001年)が渡仏中に出版されていて気づいていなかったということもあるのだろう。

そういうわけで一から勉強し直し(没年はかなり調べたが分からないものが多かった)。

中畑正志(1957-)「アリストテレス」、『哲学の歴史』第1巻(哲学誕生)、中央公論新社、2008年。

コラム「プラトンとアリストテレス」もよかったが、最新の情報に基づき、ほぼトータルな解釈を与えてくれる良質の入門論文。「ほぼ」と書いたのは、美学的な側面への言及がないからである。ちなみに、彼の手になる参考文献には「簡便な入門書」として、出隆の古典的名著『アリストテレス哲学入門』(1972年)と山口義久の『アリストテレス入門』(2001年)は挙がっているが、今道友信『アリストテレス』はない…。

「トータル」とはいえ、分量は多少不均等で、

1.序および伝記的部分(26頁)
2.論理学(26頁) 3.自然の探究(13頁) 4.魂論(10頁) 5.形而上学(22頁) 6.倫理学・政治学(22頁)

となっており、論理学が比較的詳しく紹介され、逆に自然学の部分が薄いのは否めない。中畑氏は現在京大教授、京大出版で『魂について』を翻訳されている。


戸塚七郎(1925-)「アリストテレス」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、岩波書店、1985年。

上の『哲学の歴史』が少なくとも大哲学者に対してはかなりの頁数を割くことができ、小さな入門書の体をなしているのに対し、岩波の講座シリーズはどれも「論文」程度の長さという制約がある。アリストテレスのようにその学問的関心がきわめて多方面にわたっている場合、この短い頁数でそれらの多面性を紹介しようとすると、幕の内弁当的になってしまう。

その弊を避けるべく、戸塚氏は、それら諸分野の研究を貫く幾つかの中心概念や主要理論が、各研究独自の展開を妨げることなしに、相互に結びつき、全体としての統一を見せている点に注目し、「骨格となる主要理論に焦点を絞って、その展開として彼の思想の全体像を概観する」という戦略をとる。

1.生涯と著作(4頁)
2.実在問題――実体――(5頁) 3.原因(形相・質料)、現実態―可能態(4頁) 4.不動の動者(6頁) 5.結び(3頁)

私はラファエロの「アテナイの学堂」の中で、プラトンとアリストテレスが、緊張に満ちた対立関係を保ちつつも、互いの目をしっかり見据え、一緒に歩み続けている点を授業で強調したので、戸塚氏が「批判は単純にプラトンとの離反を意味するものではない」と言っているのを見つけたときは嬉しかった(ただし、彼はアリストテレスの「冷静な哲学者の目」、つまり師プラトンの教えをも単なる一先行教説として突き放して見ていることを強調するために、そう言っているのだが)。

Friday, June 05, 2009

ヴォルムスの新刊(2009年4月)

zoom
Frédéric Worms
La philosophie en France au XXe siècle
Moments
Folio essais


Il est deux manières désormais d'écrire l'histoire de la philosophie en France au XXe siècle. Soit en suivant l'ordre chronologique d'apparition de chacun sur la scène. Soit, à la manière de Frédéric Worms, à travers des moments distincts et cohérents, qui s'organisent autour de problèmes philosophiques précis. Cette histoire ne répond plus à un aboutissement prévisible ou logique, elle est faite de ruptures, d'échos et de reprises.
Assurément, l'importance des moments, avec leurs thèmes, leurs courants et leurs modes, tient au prestige de certaines ¿uvres et de figures individuelles, si fortes qu'elles en paraissent parfois solitaires. On parle du «structuralisme», de l'«existentialisme», du «spiritualisme», mais on se souvient de Bergson, de Sartre, de Deleuze comme autant de météores. Le retentissement de ces ¿uvres renvoie cependant toujours à des problèmes ou des enjeux communs, partagés entre plusieurs ¿uvres et positions différentes, en philosophie mais aussi dans la science, l'art, l'histoire.
Le XXe siècle philosophique en France a connu trois moments principaux : le moment «1900» (des années 1890 aux années 1930), avec le problème de l'esprit ; le moment de la «Seconde Guerre mondiale» (des années 30 aux années 60), avec le problème de l'existence ; le moment des «années 60» jusqu'au tournant des années 80, avec le problème de la structure et qui conduit, par une rupture nouvelle, au moment que nous vivons.


Collection Folio essais n° 518
Parution le 17/04/2009
656 pages
Prix : 9.6 €
ISBN : 9782070426423
Code Sodis : A42642

Thursday, June 04, 2009

同性性愛(homosexualité)と同性エロティスム(homoérotisme)

研究室にいる間はfrance cultureを流しているのだが、今日はパスカル・ピックの『性・人間・進化』の話。homosexualitéとhomoérotismeを区別しているのは面白い。日本のある種の猿のメス同士はきわめてsensibleな関係を持つが、それが必ずしも「同性愛」と言えるかどうかは分からないとのこと。

Wednesday, June 03, 2009

学問のグローバリゼーション

先日のサッカー日本代表とベルギー代表との試合後コメントより一部抜粋。学問のグローバリゼーションとの関連で。まだ日本の人文系は一般的にここまで来ていないけど。


■ベルギー代表には可能性がある

――監督が現役時代だった時、ベルギーはW杯でベスト4になったが、当時と今とでは何が違うのか

 あの時のサッカーは国内リーグが非常に盛んで、国内の2、3のトップチームが4~5人の選手を輩出することで代表チームがしっかりまとまっていった。その中で、チームにはオートマティズムもあったし、経験もあった。しかしその後、サッカー界で資金力の差が出てしまい、イングランドなどの外国に若い選手が流出してしまった。そして、各国に若い選手が散らばることで、代表チームを結成するときにまとまりがなくなってしまった。

 それから、いろいろな国でサッカーをするということは、トレーニングのやり方やサッカー教育が違うので、その影響もあった。代表になったときに、ベルギー代表として皆で擦り合わせることができたかというと、それだけの時間がかかる作業はなかなかできていなかった。代表を作り上げるという努力が足りなかったと思う。

 代表は大事だし、代表としての義務を果たすためにトレーニングをしたり、地元で優れたサッカー教育をしたり、選手を育てたり、そういった時間のかかる作業をしてこなかった。そして、それに対して必要な経験も不足していて、クラブも効率ばかりを求めるようになってしまったことが原因だ。

 ただし、現在の代表には可能性があると思う。若い選手が多いので、時間をかけて経験を積んで、努力をしていけば、可能性を高めることはできると思う。ただ、ほかの国も非常に速いスピードでサッカーを進化させている。

Tuesday, June 02, 2009

盆栽→仕切り直し

連休中、用事・雑事を除けば、実に久しぶりに研究に集中できるようになってきている。活躍していらっしゃる方々は、きっとこういう集中力を常に(どんなに忙しい中でも)、持続できているのだろうなと思う。頭が下がります。

日哲での発表の準備、今までやってきたことから理論的にさらに一歩を踏み出すのではなく(それはもう時間的にムリ)、博論でやったことのエッセンスをいかに説得的に――もちろん定められた時間内で――提示できるかを重視することにしたら、ずいぶん気が楽になった。

使った文献を読み直し、新たな文献を少し加え、論旨を組み直し…なんか盆栽のような(やったことはないが)感じがして、これはこれで気持ちがいい。

自分がやってきたことに誇りを持てるように、自分の考えてきたことたちが輝けるように、最善を尽くすこと。

…などと五月初旬には書けていたのだが、見事に低空飛行に移った。

若いプロ野球選手がスタメンで使われるようになる。疲れから、ミスをする。体調を崩す。プレイの質が下がる。そこからだ、本当の勝負は。仕切り直しがうまく(即座に)できるかどうかだ。

Monday, June 01, 2009

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主、高野山を来月訪問

5月29日8時0分配信 産経新聞

真言宗と天台宗 1200年ぶり交流 天台座主、高野山を来月訪問
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高野山・金剛峯寺=1999年9月9日(本社ヘリから)(写真:産経新聞)
 真言宗の総本山、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)(和歌山県高野町)で来月開かれる行事に、天台宗の半田孝淳(こうじゅん)座主(ざす)が参拝すること が分かった。天台宗トップの高野山への公式な訪問は、日本に真言宗、天台宗が伝わった平安時代以来初めて。1200年間を通じて初めてとなる歴史的な参拝 をそれぞれの事務方では、「相互理解のためになる」と歓迎している。

  [フォト]凍てつくような水につかり行に励む修行僧

 両宗派のトップ交流をめぐっては、天台宗を伝えた最澄と、真言宗を伝えた空海の交流をめぐる逸話が有名。2人はともに中国(唐)で仏教を学んだ留学仲間 で、帰国後も交流を続けていた。しかし、晩年には教えや修行をめぐる考えの違いから確執が生まれ、絶縁状態になった経緯がある。経典を借りようと弟子を派 遣した最澄に対して、空海が激しい内容の手紙で貸し出しを拒否し、交流が途絶えたと伝わっている。

 天台宗務庁によると、天台座主の高野山参拝は、過去に私的にはあったようだが、公式訪問は約1200年間、一貫して確認されていない。歴代の天台座主の公式動向を記録した「天台座主記」にも記載がないという。

 高野山真言宗の宗務所の話でも、最澄と空海が絶縁する前に弟子が行き来した記録はあるものの、天台座主の訪問の記録はないという。逆に高野山真言宗の座 主の比叡山訪問は、平成17年の比叡山開宗1200年行事の際にあったが、その時は他の仏教教団トップらと一緒だった。高野山真言宗座主の比叡山訪問に は、天台宗が仏教やキリスト教、イスラム教など世界の宗教指導者らが一堂に会する「宗教サミット」にも力を入れていることが背景にあったが、逆に天台座主 が高野山を公式に訪れたことはなかった。

 今回の訪問は、天台宗の半田座主と、高野山真言宗の松長有慶(ゆうけい)座主の交流がきっかけとなった。宗教協力の催しなどで席を共にする機会が何度か ある中で親しくなり、半田座主側が訪問を打診。松長座主側が、「せっかく来ていただくなら、高野山の最大行事に」と「宗祖降誕会」に招待したという。毎年 6月15日に開かれる宗祖降誕会は、空海の誕生を祝う高野山の最大行事。

 天台宗では「過去はともかく、現代ではまったく確執はない。交流を深めさせていただくのはいいこと」。真言宗も「宗祖に関連する行事に参拝していただきありがたい。今後のさらなる交流につなげていきたい」と話している。

                   ◇

 宗教学者の山折哲雄さんの話 旧仏教を代表する双璧(そうへき)が公式訪問し、理解を深めることは画期的だ。最近、近畿地方の有名神社と寺院の神職と僧 侶がともに伊勢神宮に参拝するなど、宗教間に共存の伝統が復活したことと同様、戦後の心の荒廃や教育の衰退が問題になる中、精神的基盤が見直されるように なるだろう。

                   ◇

【用語解説】真言宗

 空海(弘法大師、774~835)が弘仁7(816)年に開いた。高野山真言宗としての総本山は高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)で世界文化遺産。現在の松長有慶座主は412代目。

                   ◇

【用語解説】天台宗

 最澄(伝教大師、767?~822)が延暦25(806)年に開いた。総本山は比叡山延暦寺(大津市)で世界文化遺産。1571年には織田信長に焼き討ちに遭っている。半田孝淳座主は256代目。

Saturday, May 30, 2009

一時ダウン。

水曜日の夜、いつものように夕食を食べ終わった直後、猛烈に体調が悪くなった。それでも風呂に入り、子供を寝かせつけ、さあいつものように徹夜で授業準備の仕上げ…と思っていたら、蕁麻疹がうっすらと浮かび始め、それがまたたく間に全身に広がった。体中が脹れあがり猛烈にかゆい。

食当たり?けれど家族には何の変調もない。いずれにしても、授業準備が終わっていないのだから、寝るわけにはいかない。結局予定していたレベルを下げ、なんとか授業にまとまりをつけるだけで満足することにしたのだが、それでも朝5時くらいまでかかってしまった。

授業の関係で、起床は6時半。でも一時間半の間、かゆくて寝られずずいぶん苦しんだ。朝起きると、体がだるくて動く気がしない。朝食も半分も食べられない。

木曜日は最も授業の多い日で、1・3・5限と3コマあり、しかも最初と最後が大人数の講義である。結局、1限と5限の講義は椅子に座って行なった。普段はマイクをもって教室中を歩き回り、学生たちにマイクを向けながら、「対話」しつつ授業を進めていくのだが、この日はとてもそんな力はなかった。

3限はゼミの図書館ガイダンスで、ずっと立ちっぱなしは堪えたが、おしゃべりは図書館員にまかせて…ともいかず――率直に申し上げて、図書館員の説明はいずれも要領を得ず、ただでさえ集中力を切らせやすい学生をまったく制御できていない。教職員にFDというなら、事務職員その他のFDもはかってもらいたい――、合いの手という形で、学生の緊張感を保たせつつ、どんな風に図書館を利用すべきか伝える。余計に疲れる。

昼休み、大学の保健室で診てもらった。直接の原因、トリッガーになったものは分からないが、大元の原因は疲れでしょう、と言われた。ただでさえ心臓に負担がかかっているので、ゆっくり歩くようにとのこと。言われなくても、もうゆっくりしか歩けない。抗ヒスタミン系の薬を処方してもらい、空き時間は研究室で放心状態。夕方頃には体中の赤身がほぼとれていた。



金曜は一日静養に努めた。気分転換に、前から計画していた部屋の家具の配置換えと掃除。

Thursday, May 28, 2009

たかが入門書、されど入門書

「映画俳優」でなく「テレビ俳優」を志すとしても(前日のポスト参照)、入門書を馬鹿にするなかれ。細かい書き方が気になる。アリストテレスはプラトンの敵、それはそのとおりなのだが、もうちょっとニュアンスがほしい。例えばこういう入門書は感心できない。

《アリストテレスは、プラトンの弟子、アレクサンドロス大王の家庭教師として知られる。ギリシアのポリスが限界を迎えた時代を生きたアリストテレスの考えは、師プラトンとは鋭く対立するものだった。》(貫成人(ぬき・しげと 1956-)『図説・標準 哲学史』、新書館、2008年、24頁)

この後、貫氏はすぐさま、アリストテレスの中心的な学説「1.四原因説」「2.実体」「3.実践三段論法」「4.『詩学』」「5.形而上学」を解説していくが、そこでは先の伝記的記述は何の意味も持たない。すると、先の数行は、たとえ著者の意図がそうでないとしても、「私は意味ないと思うけど、出版社の意向なので、一応哲学者の生涯など事実関係にも最低限言及しておきます」という姿勢に見えてしまう。

私は哲学史の授業である哲学者を取り上げるときは、必ずまずその哲学者を一つのイメージで捉えられるように配慮する。味気ない伝記的事実を淡々と最初に与えたところで、学生たちが興味を持つはずもない。まずその哲学者についての一つの中心的なイメージを与え、多少なりとも興味を持たせた後で、重要な伝記的事実を彼の哲学と密接に結び付く形で与えるからこそ、学生は興味を持ちうるのである。

(だからこそ、私は熊野純彦氏の『西洋哲学史』(岩波新書、2006年)全二巻を断然支持する。内容は平均的な学生たちには少し難しすぎるだろうけれども、彼がやろうとしていること――一つのイメージを与えることから始める――は正しい。)

そして「対位法」ということを重視する。例えば、初期ギリシア哲学に関する授業では、真っ青なエーゲ海の写真を見せて、自然哲学者たちの自然や宇宙への関心をイメージづけ、その次の授業では、カプリ島「青の洞窟」の神秘的な濃い青の写真を見せて、南イタリアのピュタゴラスやヘラクレイトスを解説する、といった風に。

あるいは、ソクラテスの生きたアテナイとプラトンの生きたアテナイの大きなずれから、二人の哲学の違いを説き起こしてみたり、師への思いからエクリチュールとの関係に悩む人プラトンと書きまくる「教授」アリストテレスを対比的に見ることから始めたり。

哲学とは学説の歴史、概念の歴史、たしかにそのとおりなのだが、それを語るのは人であり、それを聴くのも人である。池田晶子のように大向こうに媚びる自称「哲学書」も嫌だが、誰に向かって話しかけているのか分からない、物知りだが味気ない「標準」哲学概説書にも――特に貫氏ほどの人であればこそ――がっかりさせられる。

Wednesday, May 27, 2009

「俳優」より「映画俳優」と言われたい

浅野忠信のインタヴューから一部抜粋させていただく。テレビと映画の関係は、哲学の世界では、ジャーナリズムとの距離感ということになるのだろう。映画界の世代間のバランスや国際化について語っていることにも注目してほしい。

――10年ほど前からテレビドラマなどに出演しなくなっていますが、なぜでしょうか?

浅野: 最初の頃はテレビにも結構出演していましたが、マネージャーと喧嘩することも多く俳優を辞めたいと思う時期もあったんですよ。それと僕の感覚ですが、テレビはシステムに縛られて撮影している感じがして、撮って放映されて、また撮ってすぐ放映されてというサイクルが自分に合わなかったんですよね。映像という意味では同じですが少し機械的というか。

 逆に映画は感情的につくる印象が強かったんですよ。撮影は本当に大変で、徹夜してまた次の日も朝早くて。それでもいい大人が時には喧嘩しながら、同じ目標に向かって頑張る姿がなんだかすごく自分の中で信用できることに思えましたね。僕が若い頃に関わった映画の中には、公開されるか分からない作品も結構あって、それでもみんながむしゃらに撮り続けているのを肌で感じて、この世界だけでやりたいと思うようになりました。

 実際に映画中心の活動になると、今度は映画スタッフから「これからもお前は映画だけでやれよ!」と愛情を込めて言ってくれるようになったんです。すごく大切にしてくれるし、そう言われると、いまさら俺がテレビでやってもしょうがないかなと思うんですよね(笑)。

俳優より「映画俳優」と言われたい!! 

――では、俳優というより「映画俳優」と言われる方がうれしいのでしょうか。

浅野: はい、ありがたいです。20代の頃から多くのベテラン共演者の方に「浅野君は映画俳優として頑張ってね」と言ってもらってここまで来ました。誰かが映画俳優と呼んでくれることで、映画一筋でやっていけることを示せていると思います。

――映画監督も若い人が増え、助監督経験を踏まずにいきなり監督ができる環境にもなっています。ひと昔前とは大きく変わっている現状をどう思いますか?

浅野: それは全然ありだと思います。ただ、若い監督は、映画しかない時代からやっている人たちの経験や知識を機会があるなら学ぶべきだと思います。今の技術しか知らずに映画を撮るのはもったいないと思います。

 もちろん、その逆も言えます。ベテランの映画人も新しい技術や映像を学ぶべきだと思います。自分の世界に固執せずに映画の持つ自由さを受け入れるべきで す。お互いがリスペクトし合って相乗効果を生む必要があると思います。僕も俳優として壁を作らずに、若い人たちの野心的な撮影の仲間に入れもらいたいし、 ベテラン監督の持つ手法もきちんと教えてもらいたいです。

 それと、海外とも手を組んでどんどん映画を作るべきだと思います。特にアジアは距離も近いので、もっと仲良く映画を撮ってほしい。どうしても日本は閉鎖的な部分があり、海外の人と話をすると、そこを指摘されるのでまず閉鎖的なところを取っ払うのがいいと思いますね。

 多少、騙されることや変だなと思うことがあっても、それは最初だけですから、慣れて相手を理解すれば、解消されていくと思います。違和感はあるかもしれ ないですけれど、それならなおさら早いうちに解消したほうがいい。世界中の人と一緒に作品を作れるのが映画の良さだと思うので。

(写真/菊池 友理、文/永田 哲也=日経トレンディネット)

Tuesday, May 26, 2009

アテナイの学堂

というわけで、アリストテレスである。プラトンに講義三回分を費やし、身も心も疲れたと思っていたが、考えてみれば、哲学の歴史は真面目にやれば重量級ハードパンチャーの連続だ。またもや入門書・概説書の類を読みふけり、原典を可能な限りフォローし、画像を探しまくる(今時の学生たちには必要なのだ、目を休ませる偶像が…)。

ラファエロの有名な「アテナイの学堂」。今道大先生は1502年完成とされているが(『アリストテレス』、講談社学術文庫)、1509-10年が正しいようである。「美の巨人たち」は、この絵が、数十メートルしか離れていないシスティーナ礼拝堂で同時に進行中だったミケランジェロに対する讃嘆の念から、ある重要な変更を加えたことを指摘していて興味深かった。番組HPにはこうある

「ラファエロの受けた衝撃の強さを知るヒントが、この下絵の中に隠されています。当初ラファエロは、中央階段部分を広く開ける構図を考えていました。 しかし実際の作品はこうなります。

そう、当初予定していなかった人物が、そこに描かれたのです。 右手にペンを持ちながら考え込む男・ヘラクレイトス。 このギリシャの哲学者のモデルこそ、ミケランジェロなのです。絵全体のなかで、前方のほぼ中央に描かれたミケランジェロ。それはラファエロがミケランジェロを、最大限に評価した現れでした。天才が天才に魅了されたのです。研究者「ラファエロがミケランジェロの描きかけの天井画を見たことは間違いないでしょう。それ以降、彼の描くタッチが明らかにミケランジェロの影響を受けるようになるのです。一番判るのは、ミケランジェロをモデルにした、ヘラクレイトスです。あれはミケランジェロのタッチで描かれています。ヘラクレイ トスのタッチが、周りに描かれた人々とは全く違うのです。ミケランジェロは天才だということを、みんなにアピールするために、ラファエロは絵の真ん中に、ミケランジェロをどうしても描きたくなったんだと思います。」」


しかし、素朴な疑問が生じる。ラファエロがそんなにミケランジェロに入れあげたのなら、なぜプラトン=ダヴィンチに匹敵するアリストテレスの位置を与えなかったのか。Wikiを見ても、アリストテレスのモデルについて説明がない。

こちらのブログに書いてあったことが説得力がある気がする。つまり、

「その右隣がアリストテレスです。最初そのモデルはミケランジェロだったらしいですが、ダ・ヴィンチと並ぶのが嫌だった彼がラファエロにクレームをつけたそうです。それで、ラファエロは急遽、画面手前にミケランジェロをモデルとしたヘラクレイトスを加えたそうです。」

なるほど、それで、ミケランジェロはskoteinos(闇の=晦渋な=気難しい)として知られるヘラクレイトスに…。からかいつつも、その重要性はしっかり認め、違った形で中心的な場所を与える。ラファエロのようなしなやかな知性に見習いたいものです。