Thursday, December 25, 2008

クリスマスに思う

タカシロツヨシさん(日本の芸能界的には話題の人ですなあ)のブログより。いいですね、無理な背伸びではなく、素直な背伸びの感じがします。ボキャブラリーが私のとまったく違うんで正確に理解できてるかどうか分かりませんけど。

《オーストラリア産の和牛!?ってのに、やられて第三位。なんでも、美味しい牛肉を日本は輸出禁止しているらしく(知りませんでした)、同じ品種で同じ育て方の牛を、広大なオーストラリアの牧場で伸び伸び育てているから、本家日本の和牛より美味しい、とのことだったので行ってみたら、本当に美味しかった。熟成日数の違いを選んで、色々食べられるのも楽しい。いま語るべきは、肉の部位ではなく、熟成期間と熟成手法ですね。[…]

東京はレガシーな食べ物は本当に美味しいが、あとは、画期的な新しい店の登場が待たれる。まだ、コンピュータが来てない国のようである。[…]いまや食の数式的アプローチや、食材のグローバリゼーションは、本当に興味深い。なぜ、スペインやイギリスの田舎で、日本の「梅こんぶ」の話になるのか不思議。なんで、そんなの知ってるの?逆説的だが、東京のレストランでも「コッツウォルズ地方のホメオパシー療法で育てられた牛」を出す店があったら、東京フードシーンも新しい時代を迎えられるだろう。次は手法や産地だけでなく、食材の育て方や教育、哲学までもが語られるようになると思う。東京のギットリとした二十世紀的焼肉カルチャーからの脱却が待たれる。》

フランス哲学研究でも同じで、日本では往々にして本格派のつもりが実は単なる引きこもりの閉じこもりだったりする。本格派をうまく(遮二無二ではなく)野に解き放て。「肉の部位」に関する旧態依然のつまらない訓詁学と、「熟成期間と熟成手法」を熟考する厳密な研究鍛錬の決定的差異。後者は「料理法」や「産地」だけでなく、「食材の育て方」や「教育哲学」にまで深く思い及んでいるのでなければならない。哲学・教育・政治の三位一体が重要だという相も変らぬ話である。

Wednesday, December 24, 2008

違和感

今起こりつつあることはすべて過去の遺産であり、負債である。

大学教員を採用する際に「博士号取得」を前提し、「模擬授業」を課す。それは原則的によいことだと思う。ただ、それらの義務を課されなかった者が、自らの世代に落とし前をつけることなしに、それらの義務を若い世代に押しつけることに違和感がある。現在の教員にも遡って「博士号取得」「模擬授業」を継続採用の義務として課すべきではないか。

育英会にきちんと返済するよう促すシステムを作る。やり方についてはともかく、それは原則的に当たり前のことだと思う。ただ、きちんと返済しなかった人々を大量に含む世代が自分の世代の「負債」に対する反省なしに厳罰化を若い世代に押しつけることに違和感がある。たとえ現在滞納者数が増えているとしても、である。滞納者の金融機関への通報というなら、最も古い滞納者から始めるべきであろう。

大学できちんとした学力を養うことが求められるシステムを作る。それは原則的に良いことだ。ただ、大学を勉強する場と捉えず、「四年間の休暇」「就職のためのパスポート」と捉えてきたすべての人々の蓄積が今、大学をこのような場たらしめたのだという自覚と反省なしの厳格化には違和感がある。たとえ現在加速度的に「学力低下」「学級崩壊」が進んでいるとしても、である。かつて「レジャーランド大学」で遊んで卒業した者たちはどうするのか。

今日本の社会を中核的に担う50代、40代の世代がきちんと自らの世代の負債と向き合ったのか、疑問がある。


卒業認定の厳格化を答申 中教審、学士課程めぐり
12月24日13時33分配信 産経新聞

 大学の学部(学士課程)の教育水準の向上を検討していた中央教育審議会(中教審)は24日の総会で、成績評価や卒業認定について厳格に判断することなどを求めた報告をまとめ、塩谷立文部科学相に答申した。具体的には、学内で統一した評価基準をつくり、学力を的確に把握するよう促している。

 「大学全入時代」を迎えた一方、約半数の私大が定員割れし、地方の小規模大学を中心に経営難が深刻化するなど、大学の抱える課題は多い。学生の学力低下も指摘されており、中教審では平成19年3月から議論を進めていた。

 答申は、大学を取り巻く環境が急激に変化していることを踏まえ、「質の維持、向上の努力を怠るなら、淘汰(とうた)は避けられない」と厳しく指摘。「入りにくく、出やすい」とされる日本の大学に対し、卒業評価の厳格化を求めた。

 その上で、具体策として大学内で学力測定の統一した評価基準を策定、公表することや、客観性のある試験の実施などを挙げている。さらに、学力評価が甘いとされる推薦入試やAO(アドミッション・オフィス)入試にも厳格な学力把握の措置を求めた。

 さらに、学生の職業観や勤労観をはぐくむキャリア教育についても、教育課程の中に位置づけることを盛り込んでいる。

 これとは別に、大学教育をめぐっては、鈴木恒夫前文科相が9月、教育制度の再構築や質保証の対策など中長期的な大学のあり方について、中教審に諮問している。
奨学金滞納者を通報へ 日本学生支援機構、金融機関に
 大学生らに奨学金を貸与している日本学生支援機構は、増加する滞納に歯止めをかけるため、金融機関でつくる個人信用情報機関に年内に加盟し、滞納者情報を通報する制度を導入する方針を固めた。通報された対象者は銀行ローンやクレジットカードの利用が難しくなる可能性がある。
 支援機構が加盟を予定している信用情報機関は銀行など約1400の金融機関が会員。平成22年度の新規貸与者から「長期滞納した場合は通報する」という条件で奨学金を貸与する。所在不明の滞納者情報の提供を受けることも検討している。
 支援機構を所管する文部科学省などによると、奨学金は大学などを卒業後、一定期間内に返還しなければならないが、滞納は年々増加。19年度の要回収額は3175億円だったが回収率は8割を切り、660億円が未返済。貸し倒れの可能性がある3カ月以上の延滞債権額も2253億円に上っている。

奨学金「回収努力を」 財務省が日本学生支援機構に
 財務省は24日、奨学金事業を行っている独立行政法人の日本学生支援機構(旧日本育英会)に、奨学金の回収努力が不十分だとして改善を求めたと財政制度等審議会に報告した。保証制度があるにもかかわらず、機構の督促が不十分であるなどの理由で要件を満たさず、代位弁済請求ができていない債権が今年2月現在で10億2100万円あることが確認された。
 保証制度は財団法人の日本国際教育支援協会が行っており、保証人を立てられない学生は、毎月数千円の保証料を支払うことで制度を利用できる。返済期限から1年たてば、機構は協会に対して弁済を求めることができるが、18年度の請求は11件700万円にとどまっている。
 代位弁済を請求するには、機構による債務者への督促が前提となる。だが、返済が遅れている債務者が引っ越してしまい、住所が判明しないために機構が督促できず、代位弁済請求の要件が整わないケースが多いという。
 機構は国の財政投融資資金を利用しており、19年度末の残高は2兆3686億円。回収も代位弁済も進まなければ、こうした資金の償還が進まない可能性が出てくる。

Tuesday, December 23, 2008

シンポを組織する―結合術と地政学

体調はすこぶる悪いが、来年のベルクソン・シンポに向けて第一段階の準備を始める。まずは海外からの招聘者との下交渉である。

どういう招聘をすべきか

これは私が若手だから可能なことかもしれないが、有名人というだけの招聘など絶対にしない。それが悪いとばかりは言わないし、健全な反応だとは思うけれど。お仲間招聘というのもしない。世界中に友人はたくさんいるが、いくら好人物であっても、研究者として面白くなければ呼ばない。私がこれまで招聘にかかわった人物はどれも面白い人物ばかりである。「でも小粒だったでしょ」という人は私のエッセイ「観客でも批評家でもなく」を読み直すべし。

戦略的な呼び方をしなければならない。これまでの招聘のほとんどは実に「長期的視点」「継続的観点」というものを欠いたものであったと言わざるを得ない。それは研究において実は対等な姿勢で向かい合えていなかったということを示しているのではないか。

科研では長期的・継続的なプロジェクトが可能だが、この点多く誤解されているのが、「自分たちにとってだけ」長期的・継続的であってもさしたる意味はない、ということである。呼ばれる相手(この場合は特に海外の研究者)にも継続性を感じさせ、自分たちがそのプロジェクトの一端を担っているのだという認識を共有させることが何にもまして重要である。そのためには英・仏・独語での成果の刊行がきわめて重要だ。


招聘とは何か――結合術と地政学

三年間のベルクソン・シンポで言えば、少なくともベルクソン研究で重要な人物、さらに『創造的進化』について面白いことを話せる人物というのがまず第一の選択基準である。なぜならそれが科研プロジェクトの題目だからだ。彼らを継続的に呼ぶ。そしてActesをフランス語で出す。

(こういったことはもちろん一人ではできない。私のような若手研究者の場合、業界の大先輩・先輩方のお力をお借りしてようやく何がしかの成果に辿りつけるといった次第であり、とりわけロジスティックに関して私は完全に無力である。しかし、このようなチャンスをただ待っているだけでは駄目で、自ら積極的にチャンスメークして行かなければ道は切り開けないということもまた事実である。それで時には誤解を受け、軋轢が生じるとしても…)

次に、国際的な広がりというものを考えなければいけない。哲学大国の人物ばかり呼ぶというのでは地政学的な視点に欠ける。哲学のマイナー国から呼ぶことによって未発掘の人物を掘り起こすという視点がなければならない。そのためには常にアンテナを研ぎ澄ましておかねばならない。この点、せっかく海外にいるのに鈍感な留学生が多すぎる。

第三に、年齢的な広がりも重要である。すでに名をなした大家ばかりでなく、気鋭の若手を積極的に登用する。留学生は、有名人の話を聞きに行くのもいいが、切磋琢磨しあえるような優秀な若手(外国人でも同国人でも)を見出し、その人によって自分が認められる(見出される)――もちろん知識のひけらかしoralではなく自分の仕事écritによって――ことがより重要だ。

最後に、日本のどこでシンポを行なうかということ。東京と京都ばかりでは地方のフランス哲学研究が一向に振興されない。たとえフランス語が分からない学生がほとんどでもいい、例えばたったひとり通りがかりの学生が興味を持ってくれさえすれば。今の「制度」では地方の学生には事実上、フランス語で哲学している現場を垣間見る可能性が閉ざされている。三日間やるのなら、一日だけ採算度外視の「先行投資」として地方で開催すべきだ、と年来言っているのだが、この点は未だに多数の同意を得ない…。

Monday, December 22, 2008

人権と民権―ゴーシェ・福沢・丸山

土曜日は重要な会合の後、フランス政治哲学研究会第5回@本郷。今回からGauchetのLa démocratie contre elle-même (Gallimard, 2002)を数回かけて読む。今回は20年を隔てて書かれた二つの人権論を読んだ。人権論が再加速してきた裏には新たな個人主義の台頭があるとするゴーシェ。

すると、たまたま丸山真男+加藤周一『翻訳と日本の近代』(岩波新書)を読み直していて、次のような個所にぶつかる。

《民権とは言うけれど、人権と参政権とを混同している、と福沢は言うんだ。人権は個人の権利であって、人民の権利ではない、だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、人民が参政権をもつべきだというのを民権というとき、そこには個人と一般人民の区別がない、と福沢は言った。その感覚は凄いね。集合概念としての人民の権利と、個々人のindividualな権利》(90頁)。

これは《「個人」と「人民」》というセクション(89-93頁)で、そこで丸山は、我々にとって自明の「自由民権運動」は西洋人にとって訳しにくい言葉だ、なぜならrightはあくまで個人の権利であって、people's rightなどというのはありえないからだと指摘し、福沢に言及している。

Sunday, December 21, 2008

錬成するということ

授業・会議・研究会・忘年会・レクチャーコンサート…その合間に研究、ギリシャ語。その合間に…。師が走る走る。

数ヶ月前に思ったこと。



夏が過ぎていく。時間はあっという間に過ぎていく。お昼寝をさせる、夜、子供を寝かせつけようとする、夜中に子供が泣きだせば再び眠りに落ちるまで抱いている、今度は自分が寝られなくなる…。

子供や家族生活を言い訳の材料にしないようにするためには、これまでのように「数時間かかってようやく集中」というのではダメだ。ごく短時間で集中できるようにならなければ。

短時間でトラップし、シュートに持っていく。そして決める。どんな形であれ決めること。



どんな研究をするにしても、研究対象の手触りというか、それに対して自分がもつ印象を大切にしたいと思っている。

大学論や結婚論は「副専攻」として始めたばかりなのだから、素朴な観点しか持てないのはごく当たり前のことで、それを恥じる必要はない。恥じる必要はないが、自分の現在の力量を客観的に見つめ、実力のなさを認める率直さは必要だ。

素朴な考えしか持てないのに、それを付け焼刃の知識で誤魔化す、これはよくない。大切なのは、自分の素朴さを偽ったり包み隠すことなく、直観を絶えず錬成し、鍛え上げていくことだ。

Thursday, December 18, 2008

大人を教育する

火曜、西山雄二さんの丸山真男についての講演を聴きに行く。あのレベルの発表を毎回続けられるというのは凄すぎる。学問というのは知的練磨と共にまず一にも二にも体力だと痛感させられるが、…水曜日、とうとう倒れる。一日床に臥す。



先月のパリフォーラム、橋本一径(かずみち)さんの報告も書いたのだが、字数の関係上、特にフランス語を省かざるを得なかったので、ここに再録。





次いで、橋本氏の発表「大人を教育する――19世紀末フランスにおける警官養成」は、現在世界標準となりつつある「生涯教育」という発想の起源の一つが、犯罪学的見地からなされた捜査方法および警官養成法の改善過程にあると示すことで、《教育=養成》(どちらもフランス語ではformationである)の問題について哲学的な考察を展開する上で欠かせないものとなるであろう新たな光を投げかけた。

「教育」を意味するより一般的な語pédagogieが、「子供(pais, paidos)の指導(agein)」に由来することからも分かるように、教育とはそもそも未成年者を対象とするものであった。我々はいつから「生涯教育formation continue」、すなわち「大人を教育する」などという、一昔前であれば考えもつかない発想をもつようになったのか。

氏はその淵源の一つを、19世紀における犯罪人類学(anthropologie criminelle)のパラダイムチェンジ、すなわち18世紀的博愛主義(刑務所を改善すれば犯罪抑止につながる)の敗北と、その結果、「再犯 récidive」防止が「社会を防衛する」ための核心的な問題として理解され始めたという事実に見る。

科学警察の祖と言われるパリ警視庁鑑定局長アルフォンス・ベルティヨンによる数々の発明のうち、後の似顔絵作成法(portrait-robot)の原型となる「口述ポートレートportrait parlé」――「ベルティヨン式人体測定法 bertillonnage」とも呼ばれるようになる犯人識別法――が登場し、『犯罪人類学とその最近の進展』(1891年)の著者チェーザレ・ロンブローゾの《「生得的な犯罪者criminel-né」は骨相学的知見から割り出せる》という主張が受け入れられ、その講習会がフランス全土の学校・警察・軍隊で開かれる。治癒不可能=教育不可能な子供を早期発見すべく、教師・警官・軍人といった大人たちに教育=養成が施されることになったのである。以後、ごく一部の成人エリートに対する(例えば法曹界における)教育ではなく、広く大人を教育するという考えが社会通念として徐々に定着していく。

質疑応答では、ドゥギー氏がこの犯罪人類学の驚くべきアクチュアリティに注意を喚起し、フランスではリール大学教授Catherine Kintzler女史の仕事と、イタリアではSalvatore Palidda氏の仕事、とりわけ『ポストモダンにおける警察』Polizia postmoderna (Feltrinelli, 2000)との接続可能性を指摘しつつ、この方向でのさらなる研究の深化に期待を寄せた。

Tuesday, December 16, 2008

ゆく年くる年

金曜日は朝カル。ベルクソンにおける言語の問題について、これまでに書いた論文「言葉の暴力」「言葉の暴力II」を別の形でまとめ直して話す。パフォーマンスは(自分なりには)そこそこ。

土曜日はサルトル学会「ボーヴォワール生誕百周年。サルトルとボーヴォワール:カップル神話の表と裏」を聴きに行く。もちろん《結婚の形而上学とその脱構築》のため。基本的な知識(学界の常識)を仕入れられただけでなく、百周年記念刊行物や最近の研究動向についても情報を入手できてよかった。

アットホームな感じ+私のような部外者にも気さくに話しかけてくれる。戦う仏文学者として尊敬するms御大に「東京新聞の記事、読みましたよ」と話しかけて意気投合。懇親会では若手サルトル研究者と知り合ったり、発表者と議論したり、nsさんらと大学教育を論じたり、とても面白かった。

年末年始は論文三本の締め切り。大学論日仏1本ずつ。ベルクソン1本。

Monday, December 15, 2008

聴衆と思索の夕べ

宣伝です。よろしければどうぞ。hf

***

レクチャーコンサート
聴取と思索の夕べ
――哲学者が愛した音楽家たち――
(明治大学文学研究科特別授業)

日時:2008年12月19日(金)、17時半―20時
場所:明治大学駿河台校舎アカデミーコモン3階アカデミーホール
入場自由、無料(一般の方も大歓迎です)

プログラム
17時半‐18時 講演:「ジャンケレヴィッチ(1903-1985)の音楽哲学」(講師:合田正人、明治大学文学部教授)

18時‐20時 演奏:松浦真沙(ピアノ、編曲)、有村純親(サクソフォーン)

ドビュッシー:ゴリゴーグのケークウォーク
ドビュッシー:ラプソディー
ラヴェル:悲しい鳥(ピアノソロ)
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
フランク:ソナタより休憩
アルベニス:Espanaより(ピアノソロ)
トゥリーナまたはセヴラック:(ピアノソロ)
ファリャ(松浦真沙編):恋は魔術師
ピアソラの曲

松浦真沙(まつうら まさ) ピアノ、編曲桐朋学園大学音楽学部演奏学科(声楽専攻)卒業。同大学研究科(作曲専攻)、アンサンブル・ディプロマコース(ピアノ専攻)修了。パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科および室内楽科修了。1999年吹田音楽コンクール(作曲部門)入賞。2002年奏楽堂日本歌曲コンクール(作曲部門)第2位。2003年日本モーツァルト音楽コンクール(ピアノ部門)入賞。2007年東京国際室内楽作曲コンクール第2位(1位なし)。これまでに様々な新曲初演に携わり、4本ペダル(ハーモニクスペダル付)のピアノのための新曲を録音、初演するなど、特に近・現代の作品の演奏に意欲的に取り組み、高い評価を得ている。同時にアンサンブルピアニストとして数多くの演奏家と共演。日本、フランス、イタリア各地で演奏活動を行う。またサクシアーナ国際サクソフォーンコンクール公式伴奏者をはじめ、サン・サーンス音楽院(パリ8区)管楽器クラス伴奏者、2008年浜松国際管楽器アカデミー公式伴奏者など、各種マスタークラスやコンクールにて伴奏を務める。有村氏との共演でNHK-FMリサイタルに出演。作曲家としても定期的に新作を発表しているほか、合唱や器楽アンサンブルのための編曲、オーケストラ曲の編曲なども積極的に行っている。ピアノを今泉紀子、大崎かおる、小澤英世、故・ゴールドベルク山根美代子、星野明子、Jean Koerner、Theodore Paraskivesco、Eric Le.Sage、伴奏法をJean Koerner、今村央子、山洞智、室内楽を藤井一興、作曲を石島正博、金子仁美、原田敬子、和声法をLaurent Teycheney、声楽を名古屋木実、指揮を黒岩英臣の各氏に師事。現在上田女子短期大学講師、洗足学園音楽大学専攻科助教。

有村純親(ありむら すみちか) サクソフォーン東京芸術大学卒業。同大学院音楽研究科修士課程修了。平成16年度文化庁芸術家在外研修員。フランス国立セルジー・ポントワーズ音楽院(金メダル)を経てパリ国立高等音楽院を審査員全員一致の最優秀の成績で修了。セルマー賞受賞。同音楽院在籍中交換留学生としてアムステルダム音楽院に於いても研鑽を積む。サクシアーナ国際サクソフォーンコンクール第1位、併せてフランスサクソフォーン協会賞受賞。パリ国際音楽コンクール(UFAM)審査員全員一致で第1位および大賞受賞、第50回ミュンヘン国際音楽コンクール(ARD)セミファイナリスト(日本人最高位)。ローマ国際サクソフォーンコンクール第2位受賞、サンタ=チェチリア音楽院にてグラズノフのサクソフォーン協奏曲を演奏。2003年7月にはサクソフォーンの発明者であるアドルフ・サックスの生誕地ベルギー・ディナン市より招かれコンサートを行い、好評を博す。国際サクソフォーンコングレス(スロヴェニア)に参加。2006年にはイタリア・トリエステにてゲストプロフェッサーとしてマスタークラスを行う。NHK-FM「名曲リサイタル」出演。文化庁主催「明日を担う音楽家による特別演奏会」にて東京フィルハーモニー交響楽団とコンチェルトを共演し好評を博す。サクソフォーンを斎藤広樹、須川展也、冨岡和男、二宮和弘、Jean-Yves Fourmeau、Claude Delangle 、Arno Bornkampの各氏に、室内楽を中村均一、Jean-Francois Dusquenoyの各氏に師事。現在昭和音楽大学および短期大学部講師。

Sunday, December 14, 2008

大学はフランス哲学において己の場を欠いている――あるいはベルクソンの『礼儀正しさ』について(L'Université manque à sa place dans la philosophie française: ou de La Politesse de Bergson)

パリでの発表のタイトルは最終的にはこうなった。字数の関係上、UTCPのサイトにはレジュメの短いバージョンを載せてもらった(短いレジュメおよび全体の流れが読みたい方はそちらをどうぞ)。元々の長いバージョンをこちらに掲載する。



ドイツ哲学における大学論の伝統(カントからハイデガーを経てハーバマスまで)と顕著な対比をなすフランス哲学における大学論の不在(デカルトからベルクソンを経てドゥルーズまで)を取り上げて、その歴史的・構造的理由、そしてそれへの対処法自体をもフランス哲学の伝統のうちに探ることで、《制度》の問題を批判的に(つまりフランス哲学研究者である自分自身の問題として)取り上げようとした。フランス哲学についてのアカデミックな研究もジャーナリスティックな批評も山ほどあるが、アカデミックであると同時に批判的・介入的であろうとする研究はほとんどない。

まず確認しておくべきは、ドイツ哲学はそのほぼ全歴史において大学を軸として展開しているのに対し、フランス哲学は、伝統的に「大学」という制度の外側にいたということである。コレージュ・ド・フランスやEHESS、あるいはエコール・ノルマル・シュペリウールといった例外的な場の存在が織りなす高等教育の多孔質構造はフランス的な知の独創性を生み出す要因の一つであることは疑いえない(この構造的差異はまた、ドイツ哲学とフランス哲学の文体の差異を解き明かす一つの鍵でもあるだろう)。フランス哲学における大学論の不在はこうしてたやすく説明されるように思える。

しかし、大学を解体し中等教育を軸に再編したナポレオン体制を引き継ぎつつ、普仏戦争の敗北を受けてドイツモデルの移入(哲学の分野で言えば、本格的な講壇哲学化)を推進したフランス第三共和政において、大学に対する哲学者たちの伝統的な沈黙ないし侮蔑は根底的な変質を蒙る。もはや「哲学者」は、反大学的な在野の自由思想家にのみ与えられる称号ではない。哲学者の大部分は職業的哲学者となり、全面的に制度化された講壇哲学を(それに服従するにせよ、それと敵対するにせよ)暗黙の参照軸とすることを余儀なくされる。「外の思考」を生み出す場全体が別様の強い磁化を蒙ることになる。

以後、哲学を教える多くの教師たちが誕生したにもかかわらず、こうして新たな磁化を蒙ったフランス的多孔質構造に自らの意識を引き裂かれつつ、偉大な哲学者たちとともに、大学という制度を自らの思索に固有の〈場〉として反省することなく今日に至っている(Denis Kambouchnerなどごくわずかな例外を別として)。だとすれば、原光景とでも言うべき第三共和政に立ち戻り、そこから別の方向へ再出発する手立てが探られねばならない。その一例として、この時代の代表的な哲学者ベルクソンが高校教師であった頃に書いた幾つかの式辞(「礼儀正しさ」「専門」「良識と古典学習」)の読解を通じて、単なる儀礼や慣習の機械的反復ではない《開かれた礼儀正しさ》を鍵概念として取り出してみせた。

「攻撃的な力が大学を押し潰そうとしてきた時はどうするのか、それでもなお礼儀正しくあるべきなのか。政治が必要なのではないか」というykさんの質問があった。実に当を得た質問である。私の答えはこうだ。《自然の本能である不寛容を抑えるべく、政治的・宗教的・倫理的イデーに関する議論においてさえも実践されうる「信念の礼儀正しさ」こそ、人文学、とりわけ古典学習において学ばれうることである》とするベルクソンの説は、古色蒼然とした外見とは逆に今日でも重要性を帯びている。哲学者として大学の問題に対処する限り、常に概念のレベルで応答しようとする「信念の礼儀正しさ」は必要不可欠のものであり、これこそが哲学者として行ないうる「政治」ではないか。

Wednesday, December 10, 2008

遠くへ

昨年出たヴィエイヤール=バロン編の論集(Bergson. La vie et l'action)に私の仕事がまとめて参照されていたり、先月出た『二源泉』校訂版に私の論文が引用されていたりというのは、何にもまして嬉しいことだ。むろんこれは出発点にすぎない。引用されるだけでは意味がないことは十分承知している。しかし、仕事が知られないことにはそもそも土俵に上がれない。それだけはたしかだ。



UTCPのサイトに連載されている小林さんのブログより一部抜粋。私がこの考えに全面的に賛同していることは言うまでもない。他の考えは必ずしも同じではないが…。

《どうやら、UTCPコレクションのわたしのもの(第4章)を読んでいてくれたようで、ほら、やはりこうして外国語で読める論集の形にしてあれば読んでもらえるのだなあ、ととても嬉しかった。

もちろん海外の出版社から一冊まとまった形で出版されるのがいいにきまっているが、その前の段階で、外国語版個人論集をつくっておくことは、外国の研究者と対等につきあおうとする以上は絶対に必要。

この方針のもと、これまで、jmさん、ytさん、tnさん、ttさん[文脈と関係のない名前なので省略]、それにわたしのものが実現している。今年度もなんとか2冊くらいはつくりたいもの。しかし10本くらいの外国語論文を揃えることができる人はそんなには多くないのが現状。人文科学の国際化とは端的にここにかかっている。それ以外にはない。》



パリ行きの飛行機の中でynさんと長時間話した中で一番心に残っているのは、次の言葉。《満足いくものが書けたとき、そこには風景が見える。自分の書いたものの中に風景が見えるか、見えるとすればそれはどんな風景なのだろうか》。彼の答えは、《誰かに手を差し出している風景かな。「握手をしよう」って》というものだった。これはとても彼らしい答えだ。以来何となく考えてみた。「私は?」

たぶん旅立つ風景だ。空港や駅、大学でもいい。人が慌ただしく行き交う場。そこに独りで佇み、どこかへ出発するのを待っている。若干の期待と若干の寂寥。遠くへ、さらに遠くへ――私の論文を読む人がどう思うかは分からないが、少なくともそれが私が仕事をしているときに根底にある風景であるような気がする。

ドタバタの慌ただしい出発(今回のパリからの帰りもまた!)についてはもっとコミカルにも書けるし、その方が私らしい気もするけれど(笑)。

Tuesday, December 09, 2008

司会と通訳

司会と通訳を同時に出来る人は凄いなと常々感嘆する。講演の内容を理解し、的確な質問を組み立てようとすることと、講演の言葉を字義どおり別の言葉に置き換えていくことは、私にとってはまったく別の作業である。ベルクソン関係の講演会では「あなたが通訳(も)すればいいのに」とよく言われるが、それは無理だ。講演内容をトータルに考えず、質問をまったくしない、という前提であれば、通訳を引き受けてもいいが、それでは研究者としては非常にフラストレーションがたまる。司会のほうがましである。

しかし、司会は司会で難しいこともある。その一例。今日(月曜)の講演会、内容は非常に良かったが、司会は疲れた。通訳の方がその分野の専門家でない場合、司会が多少ヘルプせねばならないが、下手に介入すると、通訳のリズムが狂ってしまい、その後、グダグダになってしまう場合がある。その間合いを計っていると、司会として講演の意味内容にも集中できず、かといって通訳者がいらっしゃる以上、通訳に徹して言葉の翻訳に集中することもできない、というジレンマに陥ってしまう。司会の技術に関してはまだまだというところ。

Monday, December 08, 2008

言葉の暴力

1年半前にベルクソンにおける言語の問題について「言葉の暴力」を鍵語として発表を行ない、それが今年の三月に論文として刊行された。以来、それをさらに発展させるヒントを探していた。

ジャン=ジャック・ルセルクルという人物が『言葉の暴力』という本を書いており、これが今年の夏に訳された。面白すぎる。Nouvel Obsのブログに簡単な本の紹介があるので(グーグルで検索した限り、日本語では見当たらない…)、よかったらどうぞ

今度の朝カルはこの二つで行こうかな。

Friday, December 05, 2008

二つの真理

土曜にパリから帰り、日曜午前にテストを作り、午後に重要な会合の準備をし、月曜の朝に地方へ、まる二日忙殺され、火曜日の夜に帰りつき、水曜・木曜は子供の水ぼうそうの看病をしつつ事務作業に追われ大学へ大きなカバンを持って走り、明日(金曜)は授業と講演の司会。これらの合間に授業準備と発表の準備、著書の準備。友人たちと楽しくお茶をして、あるいは酒を酌み交わし、しかし家族サービスも忘れない。

忙しい大学教員はもちろんもっと忙しい。大学教員はサラリーマンと比べて暇だと思っている人は結構いるが、実態を知っている人は少ない。「能力のある人ほど忙しい」、と同時に「作業効率の悪い人ほど忙しい(と自分では思っている)」という二つの真理は、どの業界でも変わりはないのである。私はどちらなのか(笑)。

Sunday, November 30, 2008

帰国

昨日帰国しました。今回も多くの方々と出会うことができて、本当に嬉しく思っています。

今回のパリ滞在の目的は二つ。フォーラム「哲学と教育」の第三回「研究教育制度の脱構築」への参加と、パリ郊外の高校の哲学の授業見学である。後者についてはすでに西山雄二さんがUTCPのブログで報告して下さっているので参照されたい。前者については近々私も交えてみんなで書く予定。

これで、今年度の研究発表はすべて終了(まだ朝カルがあるけれど、これは厳密に言えば啓蒙活動であって研究活動ではないので)。全部で5つ。

言葉で分けると:フランス語で3つ、日本語で2つ。
主題で分けると:ベルクソン研究が3つ、大学論が2つ。
国で分けると:日本で3つ、フランスで1つ、ブラジルで1つ。

12月2日のジャック・ビデの講演。私は残念ながら参加できなくなりましたが、ご関心のある方は是非どうぞ。5日と8日のケックの講演はいずれも司会をしますので、ご参加いただければ幸いです。

Monday, November 17, 2008

タイトル未定(パリフォーラムでの発表)

大学論に関する発表では、おおよそこんな話をしようかと思っています。

偉大な哲学者たちは、折にふれて、必要に応じて、大学や教育制度の問題を論じてきた。カントをはじめとして、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの大学論。ショーペンハウアーやニーチェの苛烈な大学批判を加えてもよい。二十世紀に入っても、ハイデガーやヤスパース、ガダマーやハーバマス、あるいはデリダに至るまで、例には事欠かない。しかしここで素朴な疑問が生じる。何かと対比されることの多いドイツ哲学とフランス哲学であるが、一方における大学論の連綿と続く系譜と、他方におけるその驚くべき不在、これはいったいどうしたことであろうか。この問題は単にトリヴィアルな歴史的問題にとどまらない。大学が激変を蒙りつつある大転換期にあって、哲学者たちは、大学論・高等教育研究・知識社会学に(義務感からにもせよ)関心をもつ知識人としてではなく、哲学者として何を発言しうるのか、そのことを考えるにあたってこの問題は重要な示唆を与えてくれるように思われるからである。

考えてみれば、フランス哲学は実に長きにわたって「大学」とはまったく相いれない運命にあった。既得権益に固執して新しい人文知を頑迷に受け入れようとしない当時の大学に業を煮やしたフランソワ一世によって創設されたコレージュ・ド・フランス。ソルボンヌに睨まれ、アンリ二世の計らいでそのコレージュで哲学を講じたペトルス・ラムスの偶像破壊的な言説はやがてその死後、若きデカルトに『精神指導の規則』を書かせるだろう。18世紀に入ると、百科全書派が大学の外で縦横無尽の活動を繰り広げる。19世紀?コント、テーヌ、ルナンを思い出そう。アズーヴィがきわめて挑発的な仕方で断定しているように、結局のところ「フランス哲学の歴史は《ソルボンヌ》という語抜きで書かれうるのである。この語が、最も著名な哲学者たちが教壇に立たなかった場所を指し示すというのでなければ」。ドイツでは政治的・経済的な後進性から知識人が官僚化=大学人化したのに対し、フランスでは大学の後進性(カトリックの強い影響)が知識人をしてアカデミーやジャーナリズムの世界に押し出したのであった。ドイツ人哲学者にとって大学が常にそこに回帰し=反省すべき場所であったのに対し、フランス人哲学者にとって大学は改革してまで維持されるべき存在ではなかったのである。

20世紀のフランス哲学も、ある二つの根本的な変化を除いては、この不文律をきわめて忠実に守ったと言えるだろう。ベルクソンはソルボンヌに落選し、コレージュで教えた。サルトルはごく早いうちに教職を辞したし、メルロ=ポンティもフーコーもごくわずかな期間大学で教えた後、コレージュで教えた。アルチュセールは生涯ENS、デリダはENSの後、社会科学高等研究院、など。では根本的な二つの変化とは何か。…続きはパリで。

Friday, November 14, 2008

再会

肩がこって首が回らなくなってしまった。

国際フォーラムの宣伝ということで、久しぶりに大量のメールを出した。すると、数年来音沙汰がなかったギリシャ人のdaから返事がきた(友人gbとは別のギリシャ人)。正直、彼に出したことも知らなかったのだが、返信されてきたメールの名前で思い出した。懐かしいなあ。彼曰く je me rappelle toujours de l'audace que tu a eu de dire à M... en présentant un exposé sur Spinoza: "laissez-moi continuer avec mon sur-interprétation"!
そんなこともありました(笑)。audace、結局よくも悪くもそれが私のキーワードなのでしょう。

イタリア人のczからも嬉しい返事。こっちは何となく来るような予感があった。

一括メールにも予期せぬ効用があるなと思いました。



一括メールと言えば、ずいぶん前にセミナーに参加させてもらった気の強い才媛カルラから新刊情報が。

Carla Di Martino, Ratio Particularis. Histoire des sens internes d'Avicenne à Thomas d'Aquin, VRIN, Paris 2008.

この分野では、Anca Vasiliu, Du Diaphane, Vrin, 1996. が面白かったと記憶しています。現代思想の人も、いろんなものを広く読んでおくことが必要です。どうぞご一読下さい。

Thursday, November 13, 2008

告知

私が直接的に関与するイベントの告知です。ご関心がおありの方はどうぞ奮ってご参加ください。

11月24日(月)-25日(火)パリ、ENSほか
国際フォーラム「哲学への権利―グローバル化時代における研究教育制度の脱構築」
私は大学や制度の問題に哲学的に取り組む必要性についてお話しする予定です。

12月2日(火)東京、一橋大学
ジャック・ビデ氏講演会「マルクスの遺産」

12月5日(金)東京、東大駒場キャンパス
フレデリック・ケック氏によるUTCPセミナー「レヴィ=ストロースと鳥インフルエンザ―潜在的カタストロフィの構造人類学の方法」

12月8日(月)東京、明治大学駿河台キャンパス
フレデリック・ケック氏によるセミナー「ベルクソン:レヴィ=ブリュールとレヴィ=ストロースのあいだで――「未開社会」における保証と信頼」

12月12日(金)東京、朝日カルチャーセンター
「ベルクソン哲学総検証――生誕150年を前に」
第5回「ベルクソンにおける生命・技術・言語」:合田正人さんと金森修さんと共に。
私はベルクソンにおける言語ということでお話しする予定です。


体調管理によりいっそう気をつけないと。でも、子供からの感染は防ぎにくいんですよね。。みなさんもお気をつけて。

Monday, November 10, 2008

学問の有償性

風邪は悪化の一途。

前回朝カルベルクソンの第3回について少し詳しいレジュメを書いたところ、ある方からご指摘を受けた。朝カルが若干衰退気味であるとすれば、その理由は1)書店などでの安くて気軽に行ける単発イベントの隆盛、2)ブログによる内容流出だ、というのである。

考えてみれば、朝カル「ベルクソン」に来られないというベルクソン研究者のためにと思って詳しく書いたのだけれど、そもそも朝カルの内容は受講者が有料で買って初めて成立するものだという自明の事実を私は忘れてしまっていた。

学問は究極的には無償性(gratuité)で成り立つものだと思うけれど、どこかで必ず有償性の契機を経る(科学的発見におけるプライオリティや知的著作権、ロイヤリティなど)。

というわけで、レジュメをごく短いものに差し替えます。ご関心がおありの方は、途中参加、一回限りの参加も可能のようですので、朝カルまでお問い合わせください。

Sunday, November 09, 2008

朝カルベルクソン第3回

子供の風邪がうつってダウン寸前。昨日は大変だった。

昨晩は朝カル・ベルクソンの第3回「ベルクソンと諸芸術」ということで、マティスを中心に現代美術を研究されている近藤学さんと作曲家の佐藤岳昭さんのお話。

近藤さんは、美術史家としてアントリフとアズーヴィに依拠しつつ、同時代のフランスを中心とする造形美術とベルクソン思想との関係について語られた。
Mark Antliff, Inventing Bergson: Cultural Politics and the Parisian Avant-Garde, Princeton University Press, 1993.
François Azouvi, La gloire de Bergson: Essai sur le magistère philosophique, Gallimard, 2007.



佐藤さんは現代音楽の作曲家として、伝統的な西洋音楽のありかたを振り返り、現代の西洋音楽がその一面だけを極度に肥大化させてしまったことに疑問を呈し、ベルクソンに倣いつつ――彼には「持続―質/量 アンリ・ベルクソンに倣いて」という作品がある――、自らの創作活動の今後の展望を語った。

Friday, November 07, 2008

ジャムセッション

昨日は現代フランス政治哲学研究会の第4回@本郷。4回にわたって読んできた、ルフォールの『政治的なものに関する試論』の最終回。(き)さんのお声掛けで――ご無事で何よりです!――tsさん、yaさんが初参加。所属の異なる人たち(この研究会だと法学部系の方々)とのセッションはいつも楽しい。

ルフォールと来たらゴーシェ。協議の結果、次回からしばらくMarcel Gauchet, La démocratie contre elle-même, Gallimard, 2002. を読んでいくことに。次回は12月20日(土)、読むのは最初と最後の論文。
-"Les droits de l'homme ne sont pas une politique" (1980), pp. 1-26.
-"Quand les droits de l'homme deviennent une politique" (2000), pp. 326-385.

これらの論文はその出発点となったルフォールの次の論文と併読するのがよい。
-"Droits de l'homme et politique" (1980), dans L'invention démocratique, Fayard, 1981.



昨晩から娘が高熱を出して、今日は病院に連れて行ったあと、一日中看病。

明日は非常勤(朝~昼)→駒場(夕方)→朝カル(夜)のフルマラソン、の予定。

Saturday, November 01, 2008

カルチャーセンターで話すということ

朝カルのベルクソン第2回「ドゥルーズの『ベルクソン』を超えて:西田、木村敏との関係」を覗かせていただいた。カルチャーセンターで話すのは初めてなので、どんな感じで話せばいいのか様子見という感じだったのだが、行ってみてよかった。

「手加減して優しく話されている」という感じが嫌なのだそうだ。長く生きてくると、話している内容が難しくて分からなくても、「先生」が一生懸命自分にとって重要な問題を話そうとしてくれているかどうか、ということは分かる。大切なのはそこを見せてくれることだ、と。なるほど。

しかし、正直90分は短い。ドゥルーズのベルクソンにしても、西田や木村との関係にしても、それだけで複数回必要だ。今回はとりわけ図式とイメージの関係についてはもっと聞きたかった。

Tuesday, October 28, 2008

D=G

前々から思っていたのだが、自分が「ベルクソンとドゥルーズはどこでどう道を分かつのか」を単純な発展史観ではない形で考えようとする姿勢を強めるにつれて(それは言い方を変えれば、これまでドゥルーズの寄与ばかりが言われ絶賛されてきたベルクソン研究においてドゥルーズ的読解の功罪を客観的に捉え直そうとすることでもあるだろう)、「ドゥルーズ=ガタリ」という言い方を無視できなくなってきた。

ドゥルーズ研究者がガタリの存在を無視しなくなったこと、これはよいことである。数年前までは、フランスの若手はガタリを完全に無視していた(これは実は今でも根強い)。しかし、今は少なくとも"PC"としてはガタリに言及するのがドゥルーズ研究の「作法」となっている。

しかし、単なるPC,作法の域を出ていない。「本来ならばガタリに言及すべきであるが、これは別の機会に譲りたい」的な形式的エクスキューズを、「D/G研究の零地点」であるはずの『ドゥルーズ/ガタリの現在』の中で、何度目にしたことだろう。

ガタリの寄与は何なのか。こうして分けて書くことが作法に適わないというなら、DだけのときとD=Gの作動様態とは具体的にどこがどう「哲学的に」違うのか。今年度、アンヌ・ソヴァニヤルグが始めようとするセミネールは、狭義のD=Gの作品だけでなく、G単体の作品(が上位に置かれていることに注目)、ネグリらとの共作、D単体の作品を扱おうとしている点で、この問題を扱うことができるはずである(彼女はやらないかもしれないけれど)。あまたある訓詁学的アプローチや勇ましいスローガンや過激な文字が躍っているだけの政治的アプローチはもちろんアカデミックないしジャーナリスティックな存在意義をもつとしても、現在のドゥルーズ研究に最も必要な挙措はこれではあるまいか。

さらに言えば、この研究を彼女はある種の美学研究として行おうとしているように見える(プログラムの詳細が明らかにされていないので、これは推測の域を出ない)。「千と一つ目のプラトー」というタイトルは、ドゥルーズ研究の臨界点に立つと同時に、そのアカデミックな枠を超え出ようとする意志をも見せているように思われる。今後の動きを見守りたい。パリにいる留学生の方々には出席をお勧めする。

Deleuze et Guattari
CERPHI ENS-LSH Lyon / CIEPFC ENS Ulm
Année 2008-2009
DELEUZE et GUATTARI : d’un mille et unième plateau
1er novembre 2008 – de 14-17h à Ulm, Salle de philosophie du pavillon Pasteur
1ère séance : Des flux aux plis d’image
Nous analyserons les dispositifs de subjectivation, proposés dans
Félix Guattari, avec Suely Rolnik, Micropolitiques, 1986 ;
Gilles Deleuze : L’Image-mouvement et L’Image-temps (Minuit, 1983 et 1985) ;
Programme des séances 2008-2009
Les séances ont lieu le samedi de 14h à 17h, à l’ENS rue d’Ulm

1 novembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
15 novembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
13 décembre 2008 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
17 janvier 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur (avec Thomas Kisser).
7 février 2009 – Ecla – Grande salle.
7 mars 2009 – Ecla – Grande salle.
4 avril 2009 – Ecla – Grande salle.
2 mai 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur.
6 juin 2009 – Salle de philosophie du pavillon Pasteur.

Après avoir pratiqué de 2005 à 2008 la lecture systématique de Mille plateaux, plateau par plateau, puis s’être intéressé l’an dernier aux ponctions textuelles et aux connexions logiques, en recoupant la liste des catégories du dernier des Mille plateaux avec le reste du livre, nous abordons cette année un mille et unième plateau : celui de la poursuite disjonctive des modes de subjectivation, des flux et plis d’image dans les années 1980.
Nous lirons ainsi, selon le principe de connexion et d’hétérogénéité :
De Félix Guattari : La révolution moléculaire, Paris, Recherches, coll. « Encre », 1977, rééd. UGE, coll. « 10/18 », 1980 ; Les Années d’hiver 1980-1985, Paris, Barrault, 1986 ; Cartographies schizoanalytiques, Paris, Galilée, 1989 ; Les trois écologies, Paris, Galilée, 1989 ; avec Toni Negri, Les nouveaux espaces de liberté, Paris, Dominique Bedou, 1985 ; avec Suely Rolnik, Micropolitiques, 1986, tr. du brésilien par Renaud Barbaras, Paris, Les Empêcheurs de penser en rond, 2007.
Et de Gilles Deleuze : L’Image-mouvement et L’Image-temps (Minuit, 1983 et 1985) ; Foucault, Minuit, 1986 ; Le Pli, Minuit, 1988.
Contact : Anne Sauvagnargues

Sunday, October 26, 2008

近刊など

まずはSAB(Société des Amis de Bergson)のサイトがようやく(本当にようやく…)立ち上がりました。トップページ右上にあるのはベルクソニアンには見慣れた図。ブラジルでアルノーと会ったとき、この「発見」にとても満足していたっけ。サイトはまだ立ち上がっただけですが、それでも喜ばしいことではあります。実りあるベルクソン研究の中核基地として機能してほしいなと願っています。

それから今回のパリ滞在で約一年ぶりに自分の中の新刊・近刊情報を更新できたので、友人・知人の本を幾つかご紹介。

・Guillaume Sibertin-Blanc, Philosophie politique (XIXe-XXe siècle), PUF, coll. "Licence", septembre 2008, 248p.
ギヨームはドゥルーズの政治哲学について博論を書いた優秀な元ノルマリアン。政治哲学の概説本という装いのもとに、実際にはけっこう野心的な国家論。

・Aliocha Wald Lasowski, Pensées pour le nouveau siècle, éd. Fayard, septembre 2008, 567p.
アレックスは元々ヌーデルマン系の華やかな世界が向いていたので、今回のインタヴュー集はまさに彼の本領発揮といったところ。ヌーデルマンがやってるvendredis de philosophieのアシスタントをしばらくやってたので、そこで知己を得たのでしょう。アルーシュ(ラカン派の)、バディウ、カッサン、カスー=ノゲス、ドゥギー、デコンブ、ドゥティエンヌ、フロランス・デュポン(渋いね、ラチニストを選ぶなんて。たしか私はメデイア関係で彼女を読んだ)、パスカル・アンジェル、ゴーシェ、グリッサン、ゴドゥリエ、マルスラ・イアキュブ(マニグリエの奥さん)、フランソワ・ジュリアン、ブリュノ・ラトゥール、マシュレ、マリオン、ナンシー、ネグリ、ポンタリス、ランシエール、レイノーなどなど。今のフランス現代思想を広く知りたい若手にお勧めです(特に日本であまり知られていない人のをよく読むように)。その意味でこの手のインタヴュー集は貴重。

・ Luc Peterschmitt, "Le programme « baconien » des chimistes de la Royal Society, Methodos, vol. 8 (2008) : Chimie et mécanisme à l'âge classique.
リュックはバークレイを中心とする近世科学史の若手研究者。この雑誌Methodosはリール大学のもので、たしか3号くらいからオンライン化されました。彼は最近出版された科学史系の本の一章も書いていたけれど、その題名を残念ながら思い出せません。

Saturday, October 25, 2008

告知

私の関係しているイベントの告知です。

1)来月11月24-25日にパリENSおよびCIPhで「哲学への権利―グローバル化時代における研究教育制度の脱構築」と題して日欧共同フォーラムが催されます。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/11/forum_philosophie_et_education_1/

純粋に制度論として(哲学と大学を相互に外在的なものとして)論じるのではなく、哲学の本質と切り結ぶものとして大学という制度を論じようという試みです(というのが私の理解です)。この期間フランスにいらっしゃる方はぜひご参加いただければ幸いです。二日目の夜は打ち上げがありますので、各国の参加者たちと交流を深めていただければと思っています。

2)現在すでに第1回目を終えましたが、朝日カルチャーセンターで合田正人先生と私たちベルクソン・プロジェクトチームの面々による「ベルクソン哲学総検証――生誕150年を前に」が行われています。注目すべきは、狭義の哲学業界の研究者と合田先生の豊かな人脈との稀有なコラボレーションというところでしょう。先日終わったベルクソン・シンポとはまた一味違った研究の広がりをお見せすることができるのではないかと思っています。途中からの申し込みも可能ということですので、関心がおありの方はぜひご参加ください(詳細は朝カルにお問い合わせください)。
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=30448&userflg=0

Sunday, October 12, 2008

祭りの後

パリ・シンポの件、自分の準備云々ではなく、ちょっと行けなくなるかもしれません。それでも、よいシンポであることに変わりはありませんので、行ける方はぜひご参加くださいませ。





第2回ベルクソン国際シンポ、成功裡に終わりました。昨年が打ち上げ花火だったとすれば、今年は実験室のようにうちとけた機能的な空間が開かれたように思います。

アジアにシフトしたこのシンポの聴衆は予想通り、昨年の半分くらいだったでしょうか。西洋哲学に関心をもつ人々は往々にして無意識的な西洋志向をもっているからではないかと、私は個人的に思っています(それ以外にも様々な要因が絡み合っているのでしょう)。

この思い込みを直接、外側から叩くのではなく、ベルクソン研究にとって本質的で活発な議論を積み重ねていくことで、内側から、我々自身のうちに潜むそのような意識を少しずつでも変えていく。そのために、これからも数年おきにこの種の試みを続けていきたいと思っています。



ちなみに、私のinterventionはどれもたしかに長かったですが(それはアルノー・フランソワも同じことです)、だらだらとコメントしたつもりはありませんよ(私も無駄な質問は大嫌いです)。1)フランス風の哲学的interventionがどういうものかを学生に見せるということ、2)一日の流れという垂直的連関と、三つの発表に共通する争点(もちろん私が見た限りでの)という水平的連関とを見やすい形で一般聴衆に提示することを目指して、意図的にやりました。

もちろんそれが成功したかどうかは別問題ですが、往々にして議論がその後、他の人たちによって引き継がれたところを見ると、何らかのproblématisationには成功したのではないかと思っています。

去年は出来なかったのですが、今年はなんとかシンポ概要をここでまとめておきたいと思っています。

Saturday, October 04, 2008

二つのシンポ

いよいよ来週後半は第2回のベルクソン・国際シンポ(詳細はこちら)。みなさまお誘い合わせのうえ、ぜひご来場を賜りますようお願い申し上げます。

そして、再来週はパリでデリダについて話します。公の場でデリダについて詳しく話すのは初めてで、それも錚々たるメンバーに囲まれて話すのに、自分のシンポの準備やら何やらでまったく準備ができていませんが…ともかく宣伝しておきます。ビッグ・ネームが揃っている好企画ですので、私の発表はともかく、フランス在住の方々はぜひお越しください。


LA PHILOSOPHIE DANS LE MOMENT DES ANNEES 60

17-18 OCTOBRE 2008

Colloque International
organisé par le CIEPFC (Ulm) et le CIPh

Ecole Normale Supérieure, 45 rue d’Ulm, 75005 PARIS

Direction : Patrice Maniglier

Le Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), en collaboration avec le Collège International de Philosophie, organise, dans le cadre de son Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’, organise une série de quatre double journées d’étude sur toute l’année 2008. Cette série se propose de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel. Chaque double journée porte sur une dimension par lesquelles les années 60 ont constitué un événement transversal pour la pensée : scientifique, politique, esthétique, philosophique. Chacune est constituée de deux journées d’étude : la première porte sur un livre, la seconde sur des aspects thématiques.
Cette troisième double journée revient sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Si il est vrai qu’il se caractérise par la manière dont la philosophie s’y est mise sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses concepts, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser.
Conformément à la méthodologie éprouvée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.
La première journée reviendra sur l’œuvre de Jacques Derrida pendant les années soixante, en s’appuyant sur deux livres majeurs, L’écriture et la différence et De la grammatologie.
La seconde proposera de requalifier l’événement des années soixante en tant qu’il a transformé le sens et la pratique même de la philosophie, l’identité et les méthodes de cette discipline, l’image qu’elle convie de la pensée, le rapport à son histoire et à ses textes, et enfin l’idée même de métaphysique qui a peut-être, curieusement, trouvé dans les années soixante un sens nouveau et particulièrement actuel.
PROGRAMME

VENDREDI 17 OCTOBRE 2008
DERRIDA DANS LE MOMENT DES ANNES SOIXANTE
ENS, 45 rue d’Ulm, Salle des Actes

Matin : 9h30 – 12h30

Frédéric Worms (Lille III, ENS-Ulm) : Le moment de la différence.
Igor Bucharles (Lille III) : De la différence à la différance
Hisashi Fujita (JSPS/Univ. Hitotsubashi) : La déconstruction du mariage dans le De la Grammatologie et au-delà.

Après-Midi : 14h30 -18h

Patrice Maniglier (University of Essex) : Térontologie saussurienne : ce que Derrida n’a pas lu dans le Cours de Linguistique Générale
Catherine Malabou (Paris X Nanterre) : Pourquoi la grammatologie n’a pas été une science.

Pause : 16h-16h30

Vladimir Safatle (Universidade Federal de Sao Paulo) : L’écriture sans scène. Lacan au-delà de la métaphysique de la présence.
Peter Dews (University of Essex) : Déconstruction et dialectique négative : une rencontre manquée.

SAMEDI 18 OCTOBRE 2008
LES ANNES SOIXANTE : UN MOMENT PHILOSOPHIQUE
ENS, 29 rue d’Ulm, Salle Jules Ferry

Matin : 9h30-12h30

Jean-Christophe Goddard (Toulouse-Le-Mirail) : Une nouvelle image de la pensée.
Pierre Macherey (Lille III) : Spinoza 1968 : deux lectures alternatives et complémentaires (Guéroult et Deleuze).
François Rastier (CNRS) : La linguistique des textes philosophiques : du « structuralisme » à la linguistique des corpus numériques.

Après-Midi : 14h30-18h

Jean-Michel Salanskis (Paris X Nanterre) : Derrida et la philosophie analytique.
François Laruelle (Paris X Nanterre) : Qu’est-ce qu’une science générique ?

Pause : 16h-16h30

Table ronde : A quoi pourrait-on reconnaître une « métaphysique continentale » ?
Elie During (Paris X Nanterre), Patrice Maniglier (University of Essex), Quentin Meillassoux (ENS Ulm), David Rabouin (CNRS).


******************************************************************************************************
PROGRAMME GENERAL

« Le moment philosophique des années 60 »
Colloque International 2008
organisé par le CIEPFC (Ecole Normale Supérieure)
et le Collège International de Philosophie
Direction : Patrice Maniglier

Le Collège International de Philosophie, en collaboration et dans le cadre du Programme de Recherches ‘Le moment philosophique des années soixante’ du Centre International d’Etude de la Philosophie Française Contemporaine (ENS/Ulm), organise sur toute l’année 2008 un colloque de quatre jours répartis sur toute l’année 2008 intitulé : « Le moment philosophique des années soixante ». Cette série se propose de faire le point sur les recherches en cours et de renouveler la lecture que l’on fait aujourd’hui, quarante ans après, de cette décennie et de rouvrir la question, si difficile à traiter en France, de l’héritage actif et non commémoratif de ce « moment » excessif à ses propres interprétations, et toujours actuel.

Il ne s’agit pas de revenir sur les années 60 sur un mode historique et commémoratif, mais d’en rouvrir l’héritage en posant d’emblée, à titre méthodologique, deux thèses. Premièrement les années 60 ont véritablement constitué un événement transversal pour la pensée dans toutes ses dimensions : scientifique, politique, esthétique, philosophique... Il n’est pas nécessaire de supposer qu’on puisse unifier cet événement dans un seul nom, une seule thèse, et encore moins une seule œuvre, pour reconnaître la consistance d’un « moment », avec ses circulations multiples, ses oppositions constituantes, et la propagation d’une force de rupture. Les années 60 ont eu le sentiment de faire date dans l’histoire de la pensée et ce n’était pas seulement illusion. Qu’elles aient été correctement qualifiées en leur temps est en revanche sujet à caution. Deuxièmement, de ce moment, nous sommes toujours les contemporains, au sens où les questions posées restent ouvertes et que ce qui s’est passé ne peut être accompli qu’aujourd’hui, dans l’après-coup qui conditionne l’historicité de la pensée. Des années 60, nous proposons de chercher donc ce qui est toujours actif.
Cependant, s’il ne s’agit pas faire le musée ou la commémoration d’une séquence de la pensée, il ne s’agit pas non plus de la rejouer telle quelle. On s’intéressera donc à la possibilité de requalifier l’événement en quoi ont consisté les années 60 dans les différents domaines de la pensée, de le qualifier autrement que de la manière dont il l’a été par ses acteurs, animés qu’ils étaient par un événement qui était à côté de celui par lequel ils se croyaient portés. Il s’agira donc de réunir, faire connaître, et faire dialoguer entre elles, les recherches récentes qui, de manière encore dispersée, ont été amenées à reconsidérer les enjeux épistémologiques autant que politiques, esthétiques et enfin proprement philosophiques de la conjoncture des années soixante.
En ce sens, on peut donc dire que cette série de colloques propose une contribution à ce qui pourrait être une histoire structurale, puisque symptômale, du « structuralisme », dépassant les oppositions factices entre pensées de la structure et pensées de la différence, montrant que l’événement dépassait déjà les noms même qu’on lui donnait, et qu’il garde, encore aujourd’hui, quelque chose d’excessif, et qui nous fait penser.
L’année 2008 n’est pas anodine : 1968 a précisément constitué ce point de rupture dans lequel les années 60 à la fois se réalisent et se renversent, ce point dans lequel l’accomplissement semble exactement coextensif à son inversion. C’est en ce point que nous souhaitons pouvoir nous tenir.

Les quatre journées s’intituleront : « Un moment épistémologique » ; « Un moment politique » ; « Un moment philosophique » ; « Un moment esthétique ».
Chacun d’entre eux succèdera à une journée qui aura lieu à l’Ecole Normale Supérieure, portant sur un livre majeur de cette décennie, soit dans l’ordre : La pensée sauvage de Claude Lévi-Strauss (direction : Frédéric Keck), Pour Marx de Louis Althusser (direction : Stéphane Legrand et Guillaume Sibertin-Blanc), De la Grammatologie de Jacques Derrida (direction : Frédéric Worms), Discours Figure de Jean-François Lyotard (direction : Elie During).

Calendrier

Conférence introductive de Frédéric Worms : « L’idée de moment en philosophie : le cas des années 60 » (samedi 16 février 2008) .

I. « Les années 60 : Un moment épistémologique » (22 mars 2007)

II. « Les années 60 : Un moment politique » (17 mai 2007)

III. « Les années 60 : Un moment philosophique » (18 Octobre 2007)

IV. « Les années 60 : Un moment esthétique » (13 Décembre 2007)

La première journée, consacrée au « Moment épistémologique », se propose de revenir sur les enjeux épistémologiques des années 60. Le moment philosophique des années 60 se caractérise en effet par la manière dont la philosophie s’est mise sous condition des savoirs, dans une conjoncture où les sciences humaines rêvent de leur formalisation en même temps qu’ils ne cessent de faire valoir leurs enjeux sinon politiques, du moins critiques. Cette journée se propose de revenir sur la manière dont les découvertes scientifiques ou (plus modestement) théoriques qui ont eu lieu parfois bien avant – en linguistique, en anthropologie, en psychanalyse, mais aussi en mathématique ou en biologie – ont pu contribuer au renouvellement de la pensée philosophique dans les années 60. L’ambition de cette journée n’est pas tant historique que prospectif : il s’agit de mettre en évidence l’actualité sinon des réponses du moins des questions qui ont été posées, par les disciplines théoriques, à la philosophie, et que celle-ci a su accueillir.
Les recherches récentes en histoire des sciences ont en effet apporté une lumière nouvelle sur les véritables enjeux et la véritable nature des grandes manœuvres théoriques qui ont été associés notamment au « structuralisme ». Cependant, il n’existe pas encore de tentative pour prendre la mesure des transformations que ces recherches apportent à l’image globale qu’on peut se faire de ce que la philosophie doit au champ théorique. Cette journée voudrait contribuer à ce travail, en mettant en évidence ce qui n’est au fond rien d’autre qu’une autre histoire du structuralisme, requalifié quarante ans après avec d’autres concepts que ceux par lesquels il fut déclaré et aussitôt condamné.

Programme

Matin : Ruptures théoriques ?
Bernard Laks (Paris X-Nanterre) : Actualité du saussurisme : linguistiques structurales et théories cognitives.
Yves Duroux (ENS-Cachan) : L’opération d’Althusser : comment l’épistémologie invente une nouvelle science.
Pierre-Henri Castel (CNRS/IHPST) : L’épistémologisation de la psychanalyse dans les années 1960: remarques croisées sur Lacan et Bion.
David Rabouin (CNRS/REHSEIS) : Structuralisme en mathématiques et sciences humaines : un malentendu ?

Apres-Midi : Paradigmes épistémologiques ?
Alberto Gualandi : La question de l’humain entre philosophies de la nature et sciences de la vie.
Alan Schrift (Grinnell College, USA) : Nietzscheanism as Epistemology: The French Reception of Nietzsche in the Sixties (Le nietzschéisme comme épistémologie: la réception française de Nietzsche dans le moment philosophique des années 60”)
Jean Petitot (CNRS/CREA) : Structuralisme et Morphodynamique.
Alain Badiou (ENS-Paris) : Le concept de modèle, quarante ans après.

La seconde journée sera consacrée aux enjeux politiques. Alors que se multiplieront les commémorations de Mai 68, il s’agira non pas seulement d’opposer, à la ferveur équivoque de la commémoration, la froide analyse de l’historien, mais bien encore de réévaluer les véritables enjeux, du point de vue de la philosophie, des grands mouvements ou phénomènes politiques caractéristiques des années 60, même si leur importance ne fut pas nécessairement perçue par les contemporains.

Quels furent les événements ou processus politiques qui ont suscité, ou qui auraient dû, en droit, susciter, un véritable renouvellement de la philosophie, au-delà même de la philosophie politique, jusqu’au sens même de l’engagement philosophique ? En quoi la conjoncture politique singulière des années 60 a-t-elle constitué un moment pour la philosophie ? Mais aussi en quoi les pratiques politiques ont-elles pu être nourries par ce moment philosophique ?
Cette question signifie plusieurs choses. Premièrement, quelles furent, parmi les expériences politiques mûries dans les années 60, celles qui nourrirent le profond renouvellement que la philosophie eut alors le sentiment de connaître ? En quoi la décolonisation, par exemple, a-t-elle été porteuse d’enjeux philosophiques qui se formulent dans la pensée d’un Sartre ou d’un Lévi-Strauss, et en quoi éventuellement une relecture de la décolonisation permet aujourd’hui de relire ces recherches ? En quoi les vicissitudes du mouvement ouvrier au niveau mondial et la diversification des significations et des pratiques de la « révolution » a-t-elle pu nourrir la pensée d’Althusser, de Foucault ou de Bourdieu ? Comment les transformations dans les mœurs, la sexualité, les rapports de sexe ont-ils déterminé la reformulation, plus ou moins immédiate, de questions philosophiques classiques, chez Deleuze ou Lyotard par exemple ? Et même, plus lointainement, en quoi l’expérience politique si singulière de Mai 68, a-t-elle pu déterminer, de manière plus ou moins manifeste, le cheminement ultérieur des pensées comme celles de Derrida ou, plus récemment, de Badiou ? Il s’agit donc pour une part de réinterpréter les relations entre l’activité philosophique et les pratiques politiques, afin de mieux éclairer et l’un et l’autre, au-delà des anathèmes rapides, des amalgames faciles et de la lecture purement idéologique qu’on fait souvent de ces rapports.

Mais il s’agit aussi de laisser une place pour les possibles qui ne furent pas actualisés. Et la question signifie, alors, deuxièmement : qu’est-ce qui, parmi les expériences abouties dans les années 60, aurait dû être porteur, même si ce n’a pas été le cas, de profonds renouvellements de la philosophie ? Qu’est-ce qui, dans les années 60, est encore en attente de sa caractérisation en pensée ? Il s’agit peut-être alors de faire voir comme événements, et comme événements indissociablement philosophiques et politiques, ce qui n’apparut pas forcément comme tel aux contemporains. Evénements discrets, mais fondamentaux, qui engage le devenir de la philosophie sans qu’elle s’en soit forcément rendue compte.

Enfin, la question du moment politique, en philosophie, des années 60, signifie troisièmement : qu’est-ce qui, dans les œuvres philosophiques arrivées à terme dans les années 60, est encore porteur d’enjeux politiques valables dans notre actualité ? En quoi ces œuvres éclairent-elles la question politique telle qu’elle se pose pour nous aujourd’hui, et peut-être telle qu’elle se posera désormais pour tous, en ce sens qu’elles auraient ménagé une place pour la découverte d’un de sens possibles, d’un des modes d’existence, de la politique en général ? Il s’agira donc d’analyser quelques usages contemporains en politique de la philosophie des années 60.
Bien sûr, à travers ces questions, il s’agira d’interpréter Mai 68, événement symbole précisément parce qu’il est équivoque et qu’il est impossible de trancher entre ses différentes significations, événement à la charnière des siècles, où le vingt-et-unième siècle s’annonce dans la grammaire du dix-neuvième, à moins que ce ne soit le dix-neuvième qui cherche à mourir dans une phrase aurorale. Pour la philosophie, il n’importe pas de trancher sur le sens historique de Mai 68 : il importe de savoir ce qu’il emporte de décisif pour la pensée aujourd’hui.

Programme

Matin (10h-13h) :
Patrice Maniglier (University of Essex) : Introduction : De la Théorie à la Pratique : 68 et le structuralisme.
Mauro Pedruzzi (Université de Milan) : Derrida l’Européen : La responsabilité et l’aporie.
Mathieu Potte-Bonneville (CIPh) : Du sable à la bataille : Foucault avant 68
Laurent Jeanpierre (IEP Strasbourg) : Des occupations : portrait théorique d’un répertoire politique réactivé.

Après-Midi (15h-18h) :
Jean-Claude Milner (Paris VII) : Quand Achille rattrapa la tortue
Etienne Balibar (Paris X) : Démocratiser la démocratie.
Ernesto Laclau (University of Essex) : Imaginaires politiques et actions politique : le grand tournant des années 60.

La troisième journée reviendra sur les enjeux proprement internes à la philosophie du moment philosophique des années soixante. Reprenant la problématisation mise en œuvre dans les précédentes journées, on posera question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années soixante pour la philosophie, celle-ci fonctionnant ici pour ainsi dire comme son propre dehors.

Si en effet la philosophie française des années 60 se caractérise par la manière dont elle se met sous condition de ce que Merleau-Ponty appelait son « dehors » – en réalité ses dehors, scientifiques, politiques, esthétiques –, il se peut qu’elle se caractérise aussi par sa manière de traiter la philosophie elle-même – ses traditions, ses problèmes, ses pratiques – comme un dehors à partir duquel il s’agit de recommencer à penser. Reprenant la problématisation déjà mise en œuvre dans les précédentes journées, cette journée pose la question à la fois de l’existence et de l’actualité d’un moment des années 60 pour la philosophie, mais qu’elle trouverait cette fois dans la philosophie elle-même, et non pas, comme nous en avons fait l’hypothèse dans les journées précédentes, dans le contexte scientifique ou politique.
Conformément à la méthodologie suggérée lors des deux premières journées, il s’agira non pas de célébrer ni de commémorer, mais bien de requalifier les événements philosophiques qui « font moment », selon deux axes possibles : 1°) soit en identifiant, dans le contexte philosophique des années 60, des questions, des thèses voire de nouvelles manières de pratiquer la philosophie, qui, bien qu’ils n’aient pas été clairement perçus par les contemporains, apparaissent rétrospectivement comme caractéristiques des véritables ruptures des années 60 ; 2°), soit en repérant dans ce corpus des instruments pour traiter des questions qui n’étaient pas encore apparues, mais qui trouvent pourtant dans ces textes un éclairage par anticipation.

La quatrième journée concernera les enjeux esthétiques des années 60, et sera l’occasion de poser la question du rapport de la philosophie à la littérature, mais aussi aux pratiques de ce genre incertain qu’on appelle « l’art contemporain » et qui se met en place dans ces années là, ainsi qu’avec les arts populaires comme le cinéma et le théâtre.

L’esthétique occupe une place souvent sous-estimée dans les grands débats qui traversèrent et structurèrent le moment philosophique des années 60 en France. Cependant, alors qu’on aurait pu penser que la vogue du structuralisme et des « philosophies du concept » rejetterait à l’arrière plan la dimension du sensible, il apparaît rétrospectivement que non seulement la littérature et les arts plastiques avaient une part centrale dans ces débats (avec Barthes, la nouvelle critique et le nouveau roman bien sûr, mais aussi avec le théâtre et le cinéma d’un côté, et de l’autre avec les avant-gardes modernistes telles que Supports/Surfaces ou les œuvres de Buren, Toroni et Mosset, entre autres), mais encore que l’étrange mouvement de radicalisation-renversement qui conduisit, pour des raisons internes, de la philosophie des structures à celle de la différence devait rapidement redonner à la question esthétique toute son importance. Le parcours de Lyotard à ce titre anticipe sur le mouvement bientôt réalisé par Deleuze, Barthes ou Derrida. On redécouvre aussi depuis quelques années l’importance de la réflexion esthétique chez Foucault, ainsi que la profondeur du thème de la logique des qualités sensibles mis en avant par Lévi-Strauss. De même, on a été amené à réévaluer les œuvres de Merleau-Ponty et de Mikel Dufrenne dans ce contexte. Il apparaît enfin, aujourd’hui, que c’est peut-être sur le terrain de l’esthétique, et dans un dialogue avec cet espace singulier qu’est celui de l’art contemporain, que les grandes questions, concepts et stylistiques caractéristiques du moment philosophique des années 60 sont le plus activement convoqués, comme en témoignent le travail de Jacques Rancière ou Bruno Latour. Alors que les dehors scientifiques et politiques semblaient déterminants pour le moment philosophique des années 60, il semble aujourd’hui, pour des raisons qui restent à élucider, que l’héritage de la philosophie française des années 60 trouve dans l’esthétique son dehors privilégié.

Le but de cette journée d’étude sera de faire le point sur ces recherches en cours et de mieux comprendre la nature du dialogue étroit mais assez mal stabilisé que la philosophie entretient avec le domaine de la littérature et cet espace singulier qu’on appelle l’art contemporain.
Conformément aux précédents colloques, ce colloque se déroulera en deux temps. Le premier sera consacré à une journée d’étude sur un livre. Il s’agira cette fois de Discours, Figure de Jean-François Lyotard. La seconde journée sera consacrée à un repérage plus général de ces questions.

Conformément aussi à la méthodologie mise en place lors des précédentes journées, il s’agira avant tout de requalifier les véritables lieux de la question esthétique tels que les contemporains ont pu y prendre part sans en avoir clairement conscience. On s’intéressera donc soit aux grandes transformations dans ce que Jacques Rancière a appelé le régime du sensible, telles qu’elles se manifestent en particulier dans les arts, qui ont pu fonctionner comme conditions pour la constitution de ce moment philosophique, soit à l’inverse de proposer une relecture de certaines de ces œuvres philosophiques qui paraissent éclairer par anticipation les enjeux esthétiques d’aujourd’hui et nourrir les pratiques du sensible autant que celles-ci ont pu conditionner la pensée philosophique.

Sunday, September 28, 2008

時間の特異化

秋の気配がする。秋祭りの太鼓が響いている。

最近悪い意味で仕事漬けの日々が続いている。悪い意味でというのは、どこかで研究に埋没する時間帯をつくらねばと思いつつ、それが出来ずに事務作業・家事・育児すべてが均質化してしまっている、ということだ。

研究に埋没するということは、事務作業・家事・育児を軽んじるということでは必ずしもない。そうではなく、研究が生の一側面としてのみ意味をもつなら、その他のできるかぎり多くの側面同様、それを特異な時間として経験するということだ。

家事や育児はおろか、事務作業にさえも特異な時間を見出すこと。口先で講壇哲学を批判する講壇哲学者は山のようにいる。ニーチェ研究者という矛盾。ドゥルーズ学者という矛盾。それが矛盾でなくなる唯一の可能性、それがそれぞれの時間の特異化だ。

Wednesday, September 24, 2008

覚書

私の檄文は決して個人攻撃ではない。そんなことに興味はない。それは読む人が読めばわかるはずである。ただそこで論じられている「問題」だけが重要なのだ。自分が攻撃されていると感じる人があるとすれば、それはその人が無意識裡に抱えている問題意識に私の文章が不意に触れてしまったというだけのことである。その人がそのことを自覚するに至るかどうか、それは私には残念ながらどうすることもできない。私に出来るのは呟き続けることだけだ。

あるいは、もっと穏便に書け、と言われるかもしれない。それはできるかぎり努力したい。けれど、ここに書いていることは事柄そのものが檄文調を要請する類のものであることもまた確かである。学問自体ではなく、自明視されている学問の枠組み(制度)そのものに関する自覚を高めるよう促すこと。そうでなければ、このようなブログをやる意味は、私にとってはということだが、ほとんどない。

***

ちょっと今すぐには読めないのであるが、読みたい論文をメモしておこう。PDFで公開されているので、関心のある方はどうぞ。ただ、ページ数のシステムが今一つよく分からない。

・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(1)」、『哲学・思想論集』第27号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2002年3月。
・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(2)」、『哲学・思想論集』第28号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2003年3月。
・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(3)」、『哲学・思想論集』第29号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2004年3月。

Friday, September 19, 2008

反時代的考察(哲学と大学に関する)

来週の金曜日に、公開共同研究「哲学と大学」ワークショップ「大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか」が行われる。よろしければどうぞ

また、こういった試みと無関係ではないので、次の情報にも注意を喚起しておきたい。

科学研究費補助金研究成果公開促進費「学術図書」に関する要望



学問を取り巻く環境は常に動いている。現在のような状況の中では、《両面作戦》をとらねばならない。

一方では、「レイプを傍観している者はレイプに加担しているのと同じである」と主張し、「今ここ」の重要性を強調する必要がある。人文科学の学問性・科学性を社会・政治状況からの超越・価値中立に求めることには罠があると繰り返し主張せねばならない。やじろべえの傾きを是正するただ一つの方法は、真ん中にではなく、傾きとは逆の側に重しを置くことである。これが対抗運動(contre-mouvement)の意味だ。

しかし、他方で、この「今ここ」が必ずしも「アクチュアル」である必要はない、ということは繰り返し述べておかねばならない。「現在を読み解く」のに「役立つ」哲学、といった論理には警戒が必要だ。「書を捨てよ、街へ出よう」といったフレーズが人々の耳に心地よいのは分かる。学問のジャーナリズム化・ポピュリスト的戦略はいつの時代にも表面的には勝利者である。

あるいは「書を持って街へ出よう」が青空大学や地下大学の企図なのでもあろう。また、それをそのまま実践可能な学問もあるし(ある種の社会学・心理学)、それに親和性の高い学問もある(ある種の政治学・経済学)。今日隆盛している人文科学・社会科学はいずれもこの範疇に属する。

だが、書を抱きしめ、部屋に閉じこもるという大学に特有の挙措が必ずしも反動的で保守的な身振りなのではないし、あらゆる学問が「アクチュアル」でありうるわけでもない。数学の哲学の専門家が己の専門を政治化したり、アクチュアルなものにしたりすることで問題が解決されるはずもない。

「速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!」

「大学の非大学化」は、支配的な趨勢(大学の企業化)においても、対抗的な運動(地下大学、CIPh)においても共通した傾向である。だが、「大学の名を救う」という試みに批判的な射程があるとすれば、それは大学という「場所」に特有の「重さ」を、単に否定するのではなく、背負い投げのように、その重みを逆手にとって、ある種の「運動」と「軽み」に転じることであろう。

ここ数十年理念として奨励されてきた「学際化」は、硬直化した非生産的な「制度」の隣に、流動的で創造的な「擬似-制度」ないし「非-制度」をつくることであったと解される。CIPhやUTCPはその最も成功した例といっていいだろう。しかし、それと同時に――同時性・並行性を殊に強調しておく。「あれか、これか」ではない――、「制度」のただ中で、「哲学」という学問のただ中でどもること、哲学を外から批判するのではなく、内側から批判することの重要性もまた、強調されねばならないのではないか。

私は自らの専門であるベルクソン研究においてそれを「制度」の脱構築という形で、「運動」として実践しているつもりである。最近、専門の外に打って出ていくことばかりが強調され過ぎている気がしてならない。プラトンやヘーゲルでは食っていけないから生命倫理や環境倫理を副専攻にしておけ、と。それはまったくそのとおりだし、私自身も副専攻を持とうと努めているが、しかし、主要な研究分野(それは典型的な「制度」である) は単に放置されていくばかりではないか。

制度の脱構築、それは何も抽象的なことではない。制度を揺さぶるということである。「制度」内で自明視されている事柄がある。例えば、西洋の有名な研究者をお呼びし、お話を拝聴し、お客様として下にも置かないもてなしをする…。昨年行なったシンポでは、逆に、日本人の仕事を真っ向から対置し、同じ研究者として共に研究を行なっていこうという姿勢を示そうと試みた。

また例えば、西洋哲学研究がもつ無意識の「西洋中心主義」イデオロギーがある。私たちは知らず知らずのうちに思想雑誌・研究誌を西洋人の名前のものから読み、アジア人やアフリカ人のものを後回しにしていないか。他の国の人々が私たち日本人の研究を読むのを後回しにすることを自分でアシストするような論理に、自分自身無意識に加担してしまってはいないか…。ここに「東アジアにおける研究の過去の蓄積を現時点で検証し、未来に向けてネットワークを構築する」という視点を持ち込む。これが今年度シンポの戦略である。

また例えば、「西洋中心主義」は、西洋哲学研究の分野においては、実は「英・独・仏中心主義」にほかならない。まず世界へと開き(2007年)、次に自らの拠って立つ場(東アジア)を見つめ直した後で(2008年)、世界の拠って立つ場を見つめ直す(2009年)。国際シンポが「主要」な、「欧米の大国」ばかりで構成されないようにすること。絶えず世界の布置を強調すること。来年度シンポはその理論的実践(pratiques théoriques)となるだろう。

こういった試みは、これまでの日本における研究の蓄積から考えれば十分可能なことであったのだが、これまでインパクトを持った形で試みられてこなかった。もちろんこれで展望が開けるという保証はどこにもない。また、たしかにこの種の試みは一歩たりとも「制度」の外側に出ていくものではない。だが、どれほどささやかな試みと映ろうと、これは一つの理念的な実践(の批判)であるとともに、生き残りのための現実的な対策でもあるのであり、そして「制度」の内側から制度を撃つ「批判」なのである。

哲学は、単純化された二項対立の罠をかいくぐることのできる、反時代的(イナクチュエル)なものでなければならない。新しさには目新しさと共にいつまでも褪せることのない新しさがあるように、パフォーマティヴには、ショートリターンのパフォーマティヴと、来たるべきパフォーマティヴがある。私の考える「大学の脱構築」は、現在の状況にあっては、明確に後者に与するものである。

Monday, September 15, 2008

少子化対策と大学

最強ワーキングマザー対談(3)「日本は子供に冷たい国」より一部抜粋。

◇西原理恵子×勝間和代

西原 ところで、私、勝間さんのおっしゃることはいっこいっこ大好きなんですけど、女性が自立するために年収600万円が必要という、その目標が遠いと思うんですよ。(注 勝間さんは著書;『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』で、精神的・経済的に女性が自立するための条件として年収600万円以上を挙げている)まわりのお母さんを見てると300万が限界かな、と。300万でやっていく手は、なんかないすかね。

勝間 うーん、300万だと難しいのは、教育コストをどうするかです。公教育がもう少しまともになって、教育にお金がかからない仕組みになれば、300万でいいと思ってるんですね。

西原 教育でそんなにお金がかかっちゃう......。

勝間 たとえばヨーロッパですと、国立大学は基本的にタダに近いものなんですが、日本だと年間の授業料だけで50万円かかって、プラス下宿代だとか細かいことがかかる。あと、育児手当金は基本的に日本は1人月1万円ですけど、フランスだと5万円とか出るわけですよ。とにかくあまりにも日本って、子供たちに対する税金配分が少なすぎるんですよ。いま、GDP(国内総生産)比0.7%しかなくて、家族対策費というのが。ヨーロッパですといちばん多い国で4%くらいまであるんです。

西原 うわあ。

続きは毎日jpで。

Monday, August 25, 2008

近況

昨年のベルクソン・シンポのアクト、とりあえず仏語版で出版予定なのだが、その編集作業。今年度シンポの準備。法政ベルクソンHPのバージョンアップ。来日するフランスの友人の講演会の設定。自分なりにテキパキこなしているつもりだが、あっという間に時間は過ぎていく。

・仏文学会で今春発表した原稿を論文にする作業。
・6月にブラジルでやった原稿のバージョンアップ。
・9月初旬にフランス政治哲学読書会でルフォール。
・9月中旬に「哲学と大学」ワークショップ。
・10月に仏語でベルクソンとデリダ、日本語で大学論と三つの締め切り。
・11月にフランス語で大学論。
・12月中旬、朝カルでベルクソンについて話させていただきます。

ベルクソンの発表はどの主題が今回のシンポに最もふさわしいかいろいろ迷っていたのだが、ベルクソンとドゥルーズとの関係に自分なりの答えを出すことにした。これに関連して、最近ふたたびドゥルーズ研究や関連書を読み始めた。
・鈴木泉、「ドゥルーズ」、中公新社版『哲学の歴史』所収、2008年。
・米虫正巳、「ドゥルーズ哲学のもう一つの系譜について」、『ドゥルーズ/ガタリの現在』所収、2008年。
・宇野邦一、『〈単なる生〉の哲学』、2005年。

ギリシャ語…続けることに意義がある。とりあえず近況でした。

Wednesday, August 06, 2008

子どもの今、大人の今(本当のアクチュアル)

もちろん昨日の『プロフェッショナル』宮崎駿スペシャルをご覧になった方は多いと思う。が、すみきちブログを見ている人はそこまで多くないかもしれないので、一部引用させていただく。

《そして、インタビューで、感動した話がある。宮崎さんが、世のこどもに対して、どういう大人でいたいか、という話だ。

「よく『子どもの未来は』と言う人がいるでしょう。子どもの未来はつまんない大人になることなんですよ、 決まってるじゃないですかねえ。どういう大人になるかとかいう問題じゃないんですよ。今の子どものこの期間に、何を見て、どういう体験ができるかがいちばん大事です。

 僕らはそういう場所を提供することはできる。一緒にやることはできないけど、時間と場所を提供することはできるはずだって。それしかないんです。それができるときは、その瞬間にやらなきゃいけないんですよ。それを逃すとね、もうできないんですよ。

 知り合いの子がこの映画の準備に入ったときに 1年生でここに遊びに来てた子が、今、もう3年生になっているんですよ。1年生から3年生の時間てものすごく長いでしょう。僕らにとってはあっという間に終わってしまった2年間だったのに。

 で、その子が一年生の時ここに遊びに来たときに、『帰るのがイヤだ』ってグズついたんですよ。『僕のボロ車に乗せて駅まで送ってあげるから』と言って、ちょっと遠回りして送っていったんですけど、それでもグズグズ言っているんですよね。でね、走るなり、バーッと屋根(車の幌)を開けてあげようかと思ったんです、そうすれば気分が一遍に変わりますから。でも、雨降ってきたんですよ、バラバラと。1回開けるのは簡単だけど、閉めるの面倒くさいんですよね。それで一瞬ためらっていたら、もう駅に着いちゃったんですよ。それで『しまった!』と思いました。

 そういう『しまった!』を、ずーっと持ってるんですね。あぁ、自分がエンタテイナーと言いながらね、あのチャンスに屋根を開けられなくて、『車の中、濡れるのがイヤだな』とかね、情けないことを考えた自分が情けないと。案の定ないですよ、もう。1年生の彼に屋根を開けてあげるチャンスは、あの瞬間しかなかったんですよ。

 そういうときにパッとやれる人間でなきゃだめなんです、大人が。そのときに濡れるとかね、ほんと瑣末なことにたぶんためらったためにね、『いや、またあるんじゃないですかチャンスは』とみんな言いますけど、ないんです。あとでわかるんですよね、『しまった』と(苦笑)。ほんとに悔しいですよね。パッと開けられなかった、その自分が。濡れたっていいじゃんというね。『うわっ濡れる』と大騒ぎしながら走りゃいいんですよね。なんでそれができなかったんだろうと」

続きはすみきちブログでどうぞ。

Sunday, August 03, 2008

Names of imagination

あっというまに8月である。事務作業をこなすだけで精一杯の日々が続き、自分の研究に取り掛かれないでいた。早めに立て直していかないと、8月もあっという間に終わってしまう。


最近は、宇野邦一、『「単なる生」の哲学』(平凡社、2004年)を読んでいる。これは秋のベルクソン・シンポのため。

少し前から読み返しているのが、サリスの幾つかの本。これはMM読解の深化のため。

《カントにとってもまた、imaginationは自然と自己の両方、外的・内的な表れの両方の側から、感覚を超えるものである。あるいはむしろ、感覚を超えるものが、カントによってEinbildungskraftと呼ばれているというべきか。正確を期すのであれば、Einbildungskraftはforce of imaginationと訳されるべきであって、あるいは少なくとも、単にimaginationと言われる場合には省略的に訳されているのだということが注意されている必要がある。EinbildungskraftやEinbildung(さらにはPhantasie)といった語と並んで、ドイツ語にはラテン語形のImaginationもあり、imaginationをめぐる様々な名の布置が(VorstellungsvermögenとかDarstellungskraftといった他の語との関係においても)展開されている以上、この事実を無視して、ラテン語系の諸言語や英語に単純にマッピングするわけにはいかない。》

想像力、構想力、イマジネーション、これらが同じ事態、同じ現象を指していることがあたかも自明であるかのように。

「事柄自体を議論する」、たしかにそれが最も大切なことだ。だが、事柄自体の議論に取り掛かるためには、「名」の問題、言語の問題に同時に取り組まねばならない。大哲学者の重要概念は皆、少なからずそのような知的格闘の痕跡を残しているのではないのか。

Sunday, July 20, 2008

HP

HPを実験的につくってみた。ブログでいろいろ書き散らすのとは別に、教育や研究の情報を徐々にまとめていこうと(ようやく)思ったからである。

教育で言えば、今学期は例の「フランスにおける哲学と大学」、そして「結婚の形而上学とその脱構築」のフランス文学篇をやったので、その配布資料を徐々にアップしていく。

結婚論に関しては、様々な理由から、今回はあえて文学テクストを選んでみた。環境が許せば、いずれより哲学的なテクストを扱ってみたい。

そして環境が強いる試みとして、来年「素手」で、つまり一切哲学テクストにも文学テクストにも頼らずに結婚を思考するという授業を某所でやる。自分にとっては新たな挑戦なので楽しみ。

研究だけでなく教育にもベストを尽くしたいので、いろいろ調べている。こういうものとか。研究で言えば、ベルクソン研究の基本的な研究書に関してその意義・概要を記す、という地味な作業をこつこつやっていこうと思っている。


今夏の個人的課題

1)博論を本にするための作業

2)このあいだブラジルでやった発表原稿の直し。ポルトガル語で出版されるらしい。

3)大学論のまとめ(9月〆)→11月のパリ・シンポで使う。

4)10月のベルクソン・シンポ原稿準備

5)10月の構造主義シンポ原稿準備

Friday, July 04, 2008

ブラジル篇(その1)

6月21日午後16時35分成田発、6月21日16時30分ニューアーク着。

6月21日午後22時ニューアーク発、6月22日8時50分グアルーリョス着。

前回は、「自分でタクシーを見つけ、まずはサンパウロに安宿を取って…」などという、今から考えればあまりにも無謀な計画だったので、今回はデボラ・モラート教授にタクシーを送ってもらう。

タクシー運転手が、私の名前の書かれた紙を持って待ってくれていた。ただし、彼もまた英語は一言も話さない。こちらも長旅(おまけに原稿を書きながらの)で疲れており、今回はポルトガル語を積極的に話しかける気も起きない。沈黙の三時間が過ぎ、サンカルロスに到着。

すでにフレデリック・ヴォルムス教授が到着していた。dmが近くにある有名なファゼンダ Fazenda Pinhal に連れて行ってくれる。雄大な自然の中に佇む、豪奢にして簡素な屋敷。普段は予約しないと食べられないはずの昼食に幸運にもありつける。野菜も果実も肉もすべてファゼンダのもので、素晴らしく新鮮。もちろんコーヒーも(言うまでもなくファゼンダは多くの場合、コーヒー豆農園から出発している)。

食後、ファゼンダの庭園(といっても日本の常識から言うと巨大な森)をガイド付きで散策。日本種の竹がとてつもなく巨大に成長している。「思想の植生」にあらためて思いを馳せる。林を抜ける風の音、鳥が竹をつつく音、人工的に作られた流水のリズミカルなせせらぎ。自然と文化、natureとcultureの融合。

ただし、これらすべてのものが、やはり奴隷の血と汗と涙を通して出来たものであること、ベルクソン的に言えば、開かれたもの(ouvert)に至るまでに閉じたもの(clos)を経ねばならなかったことを、fwは強調していた。まったくそのとおり。

巨大な亀(よく分からないが、どうもアカアシリクガメかキアシリクガメらしい)が数匹、屋敷の蔭にいた。ベルクソンの『創造的進化』的に言えば、torpeurなのかもしれないが、なんのなんの、少し目を離すと実に意外なほど動いている。考えるともなく「進化」ということを思った。



ブラジルの日暮れは早い。日本同様、17-18時には暗くなる。サンカルロスの少し洒落たバー"Mosaico"に案内される。サプライズがメニューの中に。180番を見よ。

Diego RiveraやTomie Ohtake(知らない人は自分で調べるべし)と並んで、今回のコロックの影の主役Bento Prado Jr.の名前が…。
さらなる驚きが数分後に訪れた。ベントから豪放さを取り除き、柔和な面を強調した面影。息子さんのBento Prado Netoであった。
氏は、ウィトゲンシュタインの専門家でありながら、ベルクソンの主要著作の新訳を手掛けてもいる。現在、Melangesを翻訳中とのこと。幼少時にベントと共にフランスに滞在していたため、実に滑らかなフランス語を喋る。
彼とデボラとフレデリックと私。話はもちろんベントの事ばかり。

サンカルロスという小さな田舎町にいつしかサンパウロやカンピーナスなどに次いで重要な哲学・思想研究の拠点ができつつある。それはすべてベント・プラドJr.という知の巨人が軍政下でサンパウロ大学から追放され、その後、決してこの象牙の塔へは戻らなかったという運命の皮肉な帰結でもある。

飲んだくれ哲学者はこの街で実に愛された(ちなみに彼の愛飲していたのはドライマティーニではなく、ウィスキーだったそうだが)。大学の小講堂に名前が冠せられるほど大学人にも。バーのメニューに名前が載るほどバーマンにも。死後も彼の友人たちのために働きたいと願うほどタクシー運転手にも。
そして私たち招待された者たちもまた、さまざまな形でベントにオマージュを捧げるために、遥か彼方の地からやってきたのである。(続く)

Thursday, July 03, 2008

思想は国境を越える

ブラジルから戻ってきた。サンパウロ(グアルーリョス空港)からニューヨーク(ニューアーク空港)までが8~9時間、合衆国の厳重な警戒体制のおかげでたかがトランジットのために5~6時間(乗り遅れないよう十分時間をとることを推奨された)、そしてニューヨークから東京(成田空港)まで12~13時間。ついでに成田から東京の自宅までほぼ2時間。全部合わせると24時間超。

ちなみに現在、ブラジルに行くには、ごく短期間でもヴィザが必要である。ブラジル総領事館のHPを見ると、日本は、アメリカなどと共に、先進国の中でブラジルがヴィザを要求する数少ない国の一つであることが分かる。アメリカの場合は、ブラジル人に厳しい入国管理が行われていることへの報復措置であることははっきりしている、とブラジルの友人たちは口を揃えていた。

労働力として必要不可欠であるにもかかわらず、ブラジル移民に厳しい入国管理を押し付けるという日本国政府の政策に対する対抗処置であることもまた自明であろう。ヴィザ申請は長い時間がかかる、面倒な作業だった。

それでも収穫ははかりしれない。ブラジルのベルクソン研究、ひいてはフランス哲学・思想研究が新たな展開を告げようとしている現場を目の当たりにできたのだから。

ブラジル篇については追々書いていく。まずは、私が東京(ヴィザ申請)とニューアーク(入国審査)で経験したこととまったく無縁でもない事態が現在日本で起こりつつあるという事実に注意を喚起しておきたい。このような側面を無視して、心穏やかに哲学が出来ると思ったら大間違いである。世界は動いているし、その動きに批判的に介入してこそ哲学は真の輝きを放つのだ。

《冒頭、司会の岩崎氏から、ハート来日をめぐる理不尽な事態に関して説明がなされた。ハート氏と夫人は成田空港からすんなり出ることができず、入国管理局で待機させられ、取り調べを受けた。事態を知った大学関係者たちが入管にすぐに駆け付け、証明書類を提出してハート氏が解放されたのは五時間後のことだったという。なるほど、G8サミット直前に批判的知識人の来日が敬遠されているということなのだろう。だがしかし、ハート氏の招聘はまずもって大学の学術交流の枠組みでなされていることであって、別に彼は過激な革命行動を扇動するために来日しているわけではない。大学での自由な学術研究を阻害する、ひいては日本の学術の国際的な活力を削ぐ奇異な対応と言わざるを得ない。
(西山雄二さんによる【報告】マイケル・ハート講演会「記憶と残像のない新自由主義空間」より)

どれほど厳重に警戒しても、思想が国境を超えていくのを止めることはできない。自由な思想表明を封殺しようとするその身ぶりが現在の日本国家の民主度、自由度を如実に表している。

Friday, June 20, 2008

mnさん、アドレス受け取りました。では7月に。ブラジルは肌寒いそうです。hf

Thursday, June 12, 2008

パブリックかコモンか?サミット体制と明日の条件なき大学

デリダの『条件なき大学』の訳者である西山雄二さんが反グローバリズムの枠組みで大学について語るそうです。私は哲学・教育・政治の三位一体の観点から(様々な点で議論の余地があるとしても)基本的にはこのような試みに賛同しています。

こういった問題を哲学外在的と捉えるのは端的に間違っています。そして同様に、数年後、自分の研究環境が悪化して初めて「自分はあのとき何もしなかった」と気づいても遅いのです。

***

パブリックかコモンか?サミット体制と明日の条件なき大学
日時:6月30日(月)3:00−5:00
場所:中大駿河台記念館 570号室

 洞爺湖サミットと連動して、「G8大学サミット」なる学長会議がはじめて開かれようとしている。サミットと同様、そこには何らの正統性もない。しかも、この会議の開催自体、大学という高等教育の布置を強引に書き換えるものである。近代の大学の概念はカントに遡り、国連の構想と同じ起源をもつ。それゆえ大学はドメスティックな存在であると同時に、まがりなりにも人権思想に根ざす国連の諸決定を参照してきた。だが、いまや先進国の主要な大学は、みずから進んでサミット体制に組み込まれようとしている。それは大学が高等教育の無償化をめざす国連の枠組みから離脱し、教育の商品化を推進するWTOの教義と結びつくことを意味する。

 問われているのは、学問の自由のみならず、大学という運動の存在論的な地平そのものである。大学は資本や国家といかなる関係を切り結ぶべきなかのか?

 かつてのデリダのように、われわれもサミット体制に抗する「条件なき大学」を語ることができるのだろうか?もしそうであるとすれば、パブリックな討議空間である以上に、学生と教員が共に生を営む場として、いかなる群集状態が想い描かれるべきなのだろうか?G8大学サミット開催と敵対しつつ、コモンとしての大学への展望を考えてみたい。

パネラー 西山雄二(東京大学UTCP、ARESER:高等教育と研究の現在を考える会)
     大野英士(首都圏大学非常勤講師組合)
     世取山洋介(首都圏ネット)
     コ・ビョンゴン(スユ)

司 会  白石嘉治

Tuesday, June 10, 2008

"Hyperbole. Pour une psychopathologie lévinassienne" de Yasuhiko Murakami

Voici un nouveau livre de mon ami Yasuhiko Murakami, représentant de la nouvelle génération des phénoménologues japonais :

Hyperbole. Pour une psychopathologie lévinassienne.
de Yasuhiko Murakami

Présentation :
Dans Lévinas phénoménologue (J. Millon, 2002), l’auteur a tenté de dégager la structure de la subjectivité transcendantale qui implique la possibilité de sa propre destruction dans son essence même. Hyperbole – Pour une psychopathologie lévinassienne s’efforce de préciser en quoi la destruction de la subjectivité – à savoir la possibilité de la maladie mentale, du désordre du développement et du traumatisme – peut s’inscrire dans l’horizon de la phénoménologie, dès lors que la destruction possible du rapport inter-humain peut s’inscrire dans la structure de la subjectivité. L’affection relevant de cette possibilité constitue comme un noyau de l’« éthique » lévinassienne (ch. 4). Contre cette possibilité, il faut assurer la possibilité de rétablir ce qui est détruit. C’est ce que Lévinas appelle le « sens » (ch. 5). Notre vie quotidienne implique toujours à son horizon ces deux pôles extrêmes d’« attraction ». L’« hyperbole » est le nom de cet horizon et de la méthode pour y accéder. C’est la notion de « demeure » dans Totalité et infini qui constitue la face positive de cette subjectivité vulnérable. La demeure se trouve au point de jonction de la sensibilité, de l’action et du rapport à autrui (ch. 2). Sans elle, il est impossible d’assurer le sens contre le non-sens. En outre, la théorie de l’il y a qui s’oppose architectoniquement à la demeure peut se lire comme prémisse d’une théorie du symptôme, comme amorce d’une phénoménologie du non-sens (ch. 3) Par suite, pour refonder ce projet de la psychopathologie phénoménologique, il faut resituer la théorie lévinassienne de l’altérité. Ce travail de refondation passe par la redéfinition de l’ensemble articulé des structures découvertes par Lévinas comme « affection d’appel » qui se distingue aussi bien de l’empathie husserlienne que de l’inter-corporéité du type merleau-pontien (ch. 1). Le projet de la psychopathologie phénoménologique ainsi réorienté permet d’entamer une analyse détaillée de l’autisme (ch. 1) et du traumatisme psychique (ch. 6).

Yasuhiko Murakami : Hyperbole. Pour une psychopathologie lévinassienne, Amiens, Association pour la promotion de la phénoménologie, 2008, 119p., ISBN 2-916484-03-05 (18€)http://www.europhilosophie.eu/recherche/spip.php?article289&var_mode=calcul

Monday, June 09, 2008

告知

『赤と黒』の新訳問題、とうとう一般紙にまで報道される騒ぎに発展してしまいましたね。誤訳は、指摘の仕方次第で有益にも不毛にもなるだけに、いささか好戦的に過ぎる今回の論評は残念です。



今年も大車輪の活躍をなさっている、友人の西山雄二さんが今度はヘーゲルについて語られるそうです。

***

日本ヘーゲル学会主催シンポジウム「ヘーゲルとフランス現代思想」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/hegel_jp/
日時:08年6月14日(土)13時~16時
場所:東京大学(本郷)法文2号館3階 1番大教室
提題者
今野雅方 「コジェーヴのヘーゲル論」
鵜飼哲(一橋大学) 「デリダにおけるヘーゲル」
西山雄二(東京大学) 「最近のフランスのヘーゲル論」
コメンテーター:熊野純彦(東京大学)、高田純(札幌大学)
司会:山口誠一(法政大学)

Saturday, June 07, 2008

ギリシャ語、ブラジル

安吾は神経症にかかっていたとき、語学をやって気を紛らせたといいます。

アトピーで苦しんでいた私も、実は、四月から古典ギリシア語を習い始めました。思索するほどには集中できない、かといって放心もできない(何かしていないと辛い)ときに何をするかで、ここ数か月苦しんでいました。ひとまずの解決策がこれです。

ギリシア語にはこれまでも無手勝流で挑んではいたのですが、やはり先生について学んだほうが効率がいいですね。圧倒的に時間がないので亀のような歩みですが、それでも着実に進むことができます。

今は、新約聖書を読んでいます。夏休みには、小さな偶然の積み重ねで出逢ったjn先生に手ほどきをいただいてプロティノスを読もうと思っています。

生半可な哲学史の知識を振りかざして「プラトン以来の西洋哲学は云々」という前に、古典ギリシア語もろくに読めない自分を見つめ直そう、ということです。



ブラジルでのシンポジウムがそろそろ迫ってきたので、一応宣伝しておきます。

昨年の12月に訪れたときは(その時の模様はこちら)、小さなセミナーをやらせてもらって、ベルクソンの第一の大著『試論』の私なりの読解を提示させてもらいました。今回も当初は「セミナーもやりましょう」という提案をいただき、第二の大著『物質と記憶』の自分なりの読解を披歴しようと思っていたのですが、さすがに三日間の大規模なシンポジウムの後ではやる方も聴く方も辛かろうということで中止にしました。

なので、上記サイトに予告されている「ベルクソンとレヴィナスにおける物質と記憶」をやるかどうか迷っています。これは、昨年、コレージュ・ド・フランスでやった発表「踏切板と石板―ベルクソンとレヴィナスにおける物質性の概念」の続編で、主に二人の記憶概念を扱う予定でした。

しかし、自分の都合から言うと、ここらへんで自分なりのMM読解のアウトラインを短時間で示せるようになっておくほうがいい気もする。

さて、どうしたものか。

Wednesday, May 28, 2008

近況など

今回の病気を通して学んだことが一つある。それは、回復するときには、マイナスが減っていって、ゼロになって治癒するといった「ゼロサム」ないし几帳面な収支見積もり型ではなく、マイナスは常にありつつも、それを超える猛烈な勢いで治癒が進む、どんぶり勘定型であるということ。少なくとも今はそう思っている。

***

日曜日に学会発表を終えた。病気が徐々に良くなっているせいか、研究の「アベレージ」も徐々に回復してきている気がする。司会のnmさんと学会終了後も長いあいだ議論する機会を得て、今後別の出来事(イベント)に発展しそうな予感。

質疑応答での質問は主に三つ。Q1)ソレルへのベルクソンの影響は分かったが、ベルクソン側はどう受け止めていたのか?A)書簡集に答えの一半がある。

Q2)「資本の論理」と「資本家の論理」は違うとの指摘。A)まさにそのとおり。前者は後者に還元されないが、後者は広い意味で前者に含まれると考えているので、私は前者の表現しか用いていない。

Q3)ソレルのポイントは「生産者のモラル」にあるのでは?A)それは『暴力論』新訳の訳者の一人今村さんの解釈でもあり、1981年に出たArthur L. Greilの研究書(おそらく博論)Georges Sorel and the sociology of virtueの言う「徳の社会学」もその方向性である。

ソレルのこの側面をモラルと呼ぶか、徳と呼ぶか、あるいはベルクソン研究側の唯一まとまった研究であるアンドルーのそれ(「ベルクソンとソレル」)のように、宗教的・神秘的とするか、それを決定する要因を探すことには私は興味がない。私の言い方で言えば、『暴力論』はベルクソンの『二源泉』がそうであるように、「人はいかにして行動へと駆り立てられるか」という〈行動の論理〉を探究した書物であり、その意味で、行動へと駆り立てる個々の契機が道徳であれ宗教であれ、それ自体はさほど重要ではないと思うからである。それよりも私にとって重要だと思われるのは、ベルクソンとソレルが概念ではなくイメージと隠喩に依拠した同じ言語戦略――「言葉の暴力」とはその別名にほかならない――を意識的に用いていたということ、これである。ソレルが暴力の思想家だとして、それはプルードンの影響ではなく、ベルクソンの影響ではないかとすら考えたくなる。これが今回の発表のテーマの一つであった。



土曜、学会後の懇親会には友人たちがまったくおらず、かなりがっかりする。が、それはそれ、気持ちを切り替えて、前々から話してみたかった人に話しかけたり、旧知の方々にご挨拶したり、となかなか有意義であった。日曜、上に同じ。最後は某出版社や先生方に連れられ、謎のジャズ喫茶に…。

一例。シュルレアリスム研究の俊英msさんに「シュルレアリスムにおけるアナロジーの機能」という質問をぶつける(ブルトンの)。私の発表を聴きに来て下さり、『水声通信』No.23:「シュルレアリスム美術をどう語るか」、2008年3/4月号 をいただく。

一例。バルザック研究の大家tkさんは実に気さくな方。《結婚の脱構築》の話を振ると、「結婚契約」論(彼は「結婚財産契約」と訳すつもりらしい。一見識である)を送ってくださるとのこと。

お二人とも、私のような見ず知らずの若者にも気取りなく接してくださる。やはり、こんな研究者になりたいもの。



月曜日、宿怨の、いやいや、長い間頭痛の種であったゴーシェ翻訳、ふんぎりをつける。共訳者の(き)さん、本当にごめんなさい。



火曜日、村上靖彦さんの新著『自閉症の現象学』(勁草書房、2008年)をいただく。いきなりリズム論が目に飛び込んでくる。私自身のrythmesure論をもっと深めないとと思い続けて、はや幾星霜…。



5-6月の課題。

1)6月までに、昨年のコレージュでの発表原稿仕上げる(あと三日…)。
2)6月下旬のブラジル・シンポの原稿(あと三週間と少し…)。
3)某学会の投稿論文、6月末までに仕上げる(やれんのか…)。

Saturday, May 03, 2008

自分だけの部屋(a room of one's own)

「条件付きの大学」の発表を終えた。『条件なき大学』の批判的読解を展開した第一部にほとんどの時間を費やし、制度論の必要性を説く第二部にはごく簡単に触れることしかできず、現代フランスの幾人かの哲学者の著作に解決の糸口を見出す第三部には入ることもできなかった。

体調の悪さが聴衆に分からないほど「元気そう」だったというのは私のささやかな誇りでもあるのだが、体調は依然悪いまま推移しており、予定していた準備の三分の一程度しかできなかった。

***

「条件付きの大学」第一部から第二部への移行部分にタイトルを与えるとするなら、「自分だけの部屋」ということになるだろう。ヴァージニア・ウルフの有名なエッセイの出だしをこんな風に借用しつつ。



《哲学と大学という題目は、哲学および大学とはどのようなものであるかという意味かもしれませんし、あなた方もその意味で考えていらしたのかもしれません。あるいは、それは、哲学と哲学が紡ぎ出す大学論という意味かもしれませんし、哲学と哲学をそのうちに構成要素として含む大学という意味かもしれません。もしくは、これら三つが入り混じっていることを意味していて、あなた方は私にこの題目をそのように考えることを望んでおられるのかもしれません。

でも、この題目をその一番最後の最も興味深い意味で考え始めた途端、それには致命的な欠点があることに私は気付きました。決して結論に到達できないだろうということです。私は、講演者の第一の義務と自分で了解していること――つまり、一時間の講演の後で、あなた方がノートの頁の間に包んで暖炉の上にずっと保存しておけるような一塊の純粋な真理をお渡しすること――は到底出来ないでしょう。

私がせいぜいできることは、一つの小さな点についてある意見――すなわち、哲学が大学について考えようとするなら、《お金と自分自身の部屋》を持たねばならないということ――を述べるだけなのです。ということは、言うまでもなく、哲学の本質および大学の本質という大きな問題を未解決のままにしておくことになりましょう。私はこれら二つの問題について結論を出すという義務を避けたわけで――哲学と大学とは、私に関する限り、未解決のままなのです。

しかし、いくらかでも埋め合わせをするために、私がどのようにして《部屋とお金》についてこうした意見を抱くに至ったかをできるかぎりお話ししてみましょう。私にこうした考えを抱かせた次第を、あなた方の前で、できるかぎり丹念に率直に辿ってみたいと思います。この声明の背後にある色々な考えや偏見を洗いざらいお見せすれば、きっとあなた方はそれらが哲学にも幾分関わりがあり、また大学にも幾分関わりのあることがお分かりになるでしょう。》

Tuesday, April 29, 2008

条件付きの大学

告知をするのを忘れてましたが、

「条件付きの大学――フランスのエリート教育の光と影」

というタイトルで発表をします。詳細はこちら4月30日(水)18:00‐20:00の予定です(倒れない限り…)。

基本的におフランスな感じにもフランス地域研究みたいな感じにもならないので、そのあたりは誤解のないようにお願い致します。必要な範囲でフランスの紹介もしますし、フランスの哲学をツールとして用いもしますが、考えたいのは今ここにある《私たち》の問題としての「哲学と大学」です。狙っているのは、哲学・思想研究者に《制度》の重要性を説きつつ、高等教育論・教育社会学者に《哲学》ないし《脱構築》の重要性を説くという両面作戦です。よかったらお越しください。hf

Monday, April 28, 2008

野球漬け

自分で自分を追い込んでいる?わざと苦しい方を選んでいる?そうかもしれない。しかし何にせよ信じた道を進むほかないのではないか。静脈注射とレーザー治療の日々。

苦しいからこんなものしかできません、ではなく、
苦しくてもこんなことまでできます、になれるように。

***

岩田稔と原江里菜

 19日のヤクルト戦(神宮)は6回4失点。ローテ落ちの危機を感じた。この登板まで中6日。必死で修正した。調整に遠投を加え、フォームの安定を図った。登板前日に行っていた投球練習は2日前に変更。ベテランの下柳が投げるブルペンに足を運び、投球術を盗むことに没頭した。

 昨年から時間の使い方が変わった。週1回。全体練習の後に通う場所がある。関大時代に汗を流した大阪市内のジムだった。取り組んだのは股関節の可動域を広げるメニュー。けがに強い体を作ることが目的だった。

 先発ローテを任されてからは、ナイターの翌日でも必ず早朝に起床する。“やらされていた練習”は卒業。生活のすべてが野球漬け。自発的に動くことが成長の証だ。



糖尿病と闘いながら初勝利 プロ3年目の阪神岩田
 糖尿病と闘いながらマウンドに上がるプロ野球阪神の岩田稔投手(24)が、29日に京セラドーム大阪で行われた横浜戦で、プロ初勝利を挙げた。プロ3年目の左腕は「めちゃくちゃうれしい」と、お立ち台で笑顔をのぞかせた。
 発病したのは大阪桐蔭高の2年生の冬。病院で糖尿病だと聞いても、最初は何の病気だか分からなかったという。「野球はできないな」と覚悟もした。それでも、糖尿病を抱えながら巨人で活躍したビル・ガリクソン投手の存在を知り、続ける勇気をもらった。
 今でも1日4度の注射は欠かせない。忘れると血糖値が上がり、体がだるくなる。昨季のキャンプでは球数や動きの制限もあったが、地道なトレーニングで克服。この日も6回108球を投げたが、不安はなくなった。
 抑えの藤川投手から受け取ったウイニングボールを「嫁さんに持って帰ります」と言って、ポケットに大事にしまった。多くの人の支えで手にした1勝だった。
2008年03月29日21時27分



今季はここまでトップ10入りもなく「手応えはあるのに成績が出ない」と悩んでいた。そんな中で励みとなったのが、オフに一緒にトレーニングをした阪神・岩田の存在。1型糖尿病を抱える岩田は3月末に初勝利を挙げるなど活躍。「地道に頑張る姿勢に影響を受けていたし、自分にもできると思えた」と気持ちを新たにした。

Sunday, April 13, 2008

オプティミズムの重さ

ベルクソン情報
・2007年4月にトゥールーズで行われた日欧シンポジウムのヴィデオがようやくウェブ上に公開された。


ベルクソン研究。相も変わらず「有限性」概念の周囲をうろうろしている。ベルクソンは「エラン・ヴィタルは有限である」と倦むことなく繰り返すが、その正確な射程はどこまで届くのか。

郷原佳以さんの「死体の重さ、あるいはアネット・メサジェの反ベルクソニスム」(2007年12月28日)とは相当近いところで交差している気がする。

郷原さんは、ベルクソンに欠けているのは「死」の問題ではなく、より正確に言えば、《つねにすでに「死んでいる」状態で「生きている」こと》としての「不死」の問題だと指摘する。「不死」が「生き残ってしまった」「死に損った」という感情を抱きつつ生き続けることなのだとすれば、彼女の指摘は、「アウシュヴィッツ以後、ベルクソン哲学は可能か」とも言い換えられるであろう。

「なのだとすれば」――しかし、おそらくそうではない。メサジェにおいて問題となるのは、死んだも同然の(しかし死んではいない)「生者」でもなければ、完全に死にきった生物の「死体」の現実的な重さでもない。鳥の死骸が大量に貼られた作品にあっても、問題となるのは、それが「かつて生きていた」という量的で現実的な存在感ではなく、あくまでも生なきものが眼差してくるという「奇妙なリアリティ」の方に力点がある。メサジェの作品を特徴づけると同時に、ベルクソニスムを「20世紀後半のある種の思想や芸術から決定的に隔ててい」るのは、あたかも活きているかのような「無機物」の亡霊的な息づきなのだ。
《たとえば床の上に無造作に投げ出されて襞を拡げたコートが、時と場合によっては何かきわめて恐ろしいものに見えることがありうる。[…]物体が「不気味なもの」として現われてくるのは、それが道具としての機能を停止させ、それ自体として生気を帯びてくるときではないだろうか。無機物は「死んでいる」ことにおいて生物に似始める。そして幽霊のようになる。》
郷原さんのデリダ=ブランショ的な幽在論(hantologie)とすれ違う形で、ここで考えてみたいのは、ベルクソン的な幽在論の可能性である。伝統的な語彙で言えば、ベルクソンにおける「物質性」概念の可能性である。
《ここ[メサジェの作品]には死の「切迫性」など皆無である。ここに見出されるのは、一瞬先に待ち構えているかもしれない可能性として私たちの「生」をたえず脅かし続け、そのことによって私たちの「生(ヴィ)」を「死活に関わる=生気ある(ヴィタル)」ものにする「死」、つまり「生」を脅かすことによって「生」を活性化させる「死」ではない。あるいは端的に、ベルクソン的観点からすれば、そこには「死」などない、たんに「物質」の支配があるだけだ、ということになるかもしれない。確かにメサジェのオブジェはすべて「物質」であるだろう。》
そのとおりである。ベルクソン的観点からすれば、そこには「死」などない、たんに「物質」の支配があるだけなのだ。問題は、その物質とはどのようなものなのか、を知ることにある。ベルクソン的な物質とは、我々がその抵抗自体を糧として生命活動へと取り込み生きるもの、「生を活性化させる脅威」にすぎないのではないか――この指摘は、私が昨年の日本篇で行なった発表(「生物の丹精=産業」)の限界を衝いている。私の狙いは、物質のしなやかさ(élasticité)、『創造的進化』第二章の産業的次元を強調することにあったのだから。だが、では、物質のもつ「不気味」な影の側面はどうなるのか、と郷原さんは問うている。

この問いには、ベルクソニスムを『物質と記憶』の方へと遡る仕方と、『二源泉』のほうへと下る仕方と、二つの仕方で答えることができるように思われる。6月にブラジルで行なう発表ではもっぱら前者の冒険的なアプローチをとるので、ここではより穏当な後者のアプローチをとることにする。

たしかにベルクソンは、フロイトやハイデガーのように「不気味なもの」の思想家ではない。ベルクソン的宇宙を、メサジェのオブジェ群が構成するような、負のエネルギーに満ちた宇宙として描き出すことも問題にならない。光と影の鮮明なコントラストに一瞥を投げかけた後で、しかしながら、ベルクソン研究者にとって重要なのは、生と歓喜の思想家の微細な陰影を浮き彫りにしていくことであろう。

《なるほどベルクソンも「死」をたえず視野に入れていただろう。しかしそれが、「生」を活性化させる脅威として、「生」の側から「死」を眺める眼差しであったとすれば、メサジェのオブジェは「死」の側から、「生」を照らし出す。そしてこれが現実なのではないか、と囁くのだ。私たちは大量の死体のうえに、「生きている」のではないか、と。》
そのとおりである。「これが現実なのではないか」「私たちは大量の死体のうえに、《生きている》のではないのか」。『創造的進化』の後、長い沈黙に入ったベルクソンもまた、そう呟き続けたように思われる。一次大戦を目の当たりにし、ナチスの影と近づく二次大戦を予感しつつ、『道徳と宗教の二源泉』を発表するのはようやく1932年のことにすぎない。

ベルクソンが『二源泉』で「生」の側から「死」を眺める眼差しを放棄したというのではない。『二源泉』は、「死」の側から「生」を照らし出す不安の哲学は「理性の不安」の産物にほかならないと説きさえするだろう。だが、重要なのはそこではない。そう説くと同時に、生と死の「彼岸」を垣間見ようとすることが、もはや矛盾とならないような地点、それをこそ『二源泉』のベルクソンは目指すことになる。この幽在論がペシミズムより峻厳なオプティミズムであるのはたしかだとしても、それはまだ哲学であり続けるだろうか。重要なのは、この「哲学とその外部」の問いである。

郷原さんがベルクソンを「20世紀後半のある種の思想や芸術から決定的に隔ててい」るとしたその切断線はまさに「ベルクソニスム」そのもののうちに、すなわち『創造的進化』と『二源泉』の間に、おそらくは哲学とその外部という形で、引かれているのだ。

哲学者は言う。人は死の淵に立つことはあっても、決して死そのもののうちに立つことはできず、死を語ることも、ましてや死の側から生を見ることなどできない、と。文学者は混ぜ返す。ポーのヴァルドマール氏を見よ、と。

――文学的フィクションではないか。――いや、芸術の虚構こそが語りうる生の現実というものがある。――だが、そうだとすれば、その言説形式はもはや哲学ではなく、「死そのもの」や「死から見た生」は単なる哲学の限界内では語りえぬものなのではないか。――いや、「脱構築」ないし「蓋然性の交切線法による哲学の進化/深化」は、まさにそれを可能にするのだ。というよりむしろ哲学とは常にすでにそのような遂行的矛盾を犯す罪深いものではなかったか。

「無限の対話」は続く…

Sunday, April 06, 2008

カミュの「婚礼」

ふたたび走り出そうとした瞬間にまた病がぶり返す、その繰り返し。

今日はようやく以下のエッセイに目を通せただけ。

結婚論 『結婚』(高畠正明訳)と訳されたカミュのエッセイの原題はNoces。1936-37年に書かれ、39年に初版がごく小部数刊行されたというこのエッセイの主題は、しかし、結婚ではなく、アルジェ地方における「人間を世界に結ぶこうした絆」であった。

《雨上がりの夕べ、大地はみな、夏のあいだじゅうその身を太陽に任せたがために、その腹を苦いアマンドの香りのある精液に濡らし、休息している。そしていまふたたび、この匂いが人間と大地との婚礼に捧げられ、ぼくたちのなかに、この世で真に雄々しい唯一の愛をかきたてるのだ。それこそ滅ぶべき、だが高潔な愛だ》(新潮社版『カミュ全集』第1巻、222頁)。

Saturday, April 05, 2008

的確な挑戦

6月にブラジルで行われるベルクソン・シンポジウムに正式に招待されることになった。9月にパリで行われる生命倫理のシンポジウムは迷った末、辞退することにした。

前者は、自分の研究スタイルが国際的に認められるよう引き続き挑戦を続けていくため、承諾した。後者は、錚々たるビッグネームが並ぶ日本人参加者に混じって挑戦してみたいという願望もなくはなかったのだが、いろいろ考えてやめることにした。

当たり前の話だが、何でも挑戦してみればいいというものでもない。今年はすでに発表を6本(日本語3つ、フランス語3つ)抱えている。そのうち、本来の専門であるベルクソン研究から恐る恐る足を踏み出した発表が3つ(大学論2つ、結婚論1つ)もある。生命倫理についても発表のネタはあったのだが、それを満足いくほど熟成させる時間がない、と判断したのである。

挑戦するなら、的確な挑戦をしなければならない――すでにしてオーバーワークという声もあるけれど…。大切なのは、自分の置かれた状況を考え、今の自分に必要な挑戦を課していくこと。



転機の浅野忠信、とは4月3日朝日新聞夕刊の記事。主演の『モンゴル』は、ロシア人監督のもとに13カ国のスタッフとキャストが結集した、ドイツ・ロシア・カザフスタン・モンゴル合作であるらしい。

《セリフはすべてモンゴル語。激しい乗馬アクションもある。「今までの自分だったら断っていた」

ちょうど30代に入り、新たな方向性を模索する時期だった。「自分がいた場所に、別の若い人たちがいる。これまでのやり方は通用しない。ここは挑戦すべきだろう、と」

多言語が飛び交う現場は想像以上に過酷だった。生傷は絶えず、宿では水の出の悪いシャワーに泣かされた。モンゴル人スタッフから「お前がハーン?イメージが違う」ときついダメ出しも受けた。

「外国人が戦国武将をやるようなものだから、文句が出るのは覚悟の上。できないことより、何ができるかを考えていた。不安を乗り越え、自信をもらえた現場でした」》

Friday, April 04, 2008

メデアにおける感情の振動

最近岩波が出している幾つかの哲学系の双書・叢書にはまったく興味が持てないのだが、神崎繁(かんざき・しげる)さんの『魂(アニマ)への態度―古代から現代まで』(岩波書店、双書《哲学塾》、2008年3月)には興味を惹かれた。

「ギリシャ悲劇からキリシタン版まで、創造的な誤読の歴史を追って」という帯の文句にも惹かれたが、何といっても七日間の集中講義の形式をとった本書の第四日目《メデアは理性のゆえに狂った―「葛藤」と「振動」》が読みたかったのである。

もう誰も覚えていないだろうが、実は若かりし頃からメデアには興味を持っていた(2000年11月28日2001年1月8日のポストを参照。MLに書いていた気安さもあって実に恥ずかしい文体だが、過去を消去することはできないのだからしょうがない)。

今回再びメデアのことを考えているのは、結婚論のためである。アンチゴネーとともに、家族の問題を考えるうえで外せない神話的形象であろう。

で、さっそく神崎さんのこの章を貪るように読んでみた…のだが、少なくとも結婚論や家族論には役立たない。むろん神崎さんにとってのポイントはそこにはないわけで、「役立たない」などと言われても困るだろうが。

彼にとってのポイントは、意味が正反対になっている1960年と1990年の日本語訳の比較を通じて、メデアの内面的葛藤は、感情と理性の二項対立(すなわち〈夫に対する怒りから来る子供への殺意〉と〈子供への慈愛〉の対立)ではなく、一つの魂の揺れ動きとして捉えられるべきものになるということ、彼の言葉を借りれば、魂の複数部分の「葛藤」ではなく、一つの魂の「振動」が――葛藤という言葉を用い続けるなら、「共時的葛藤」ではなく「通時的葛藤」が――問題となっているということだ。

神崎さんはこの「振動」がエウリピデス版とセネカ版の両方に見られるものであるとし、したがってセネカにあって問題となるストア派的な感情排除と悲劇作家としての感情過多の矛盾(に見えるもの)は解消されると主張する。

これはこれでストア派理解に役立つのかもしれない。しかし、残念ながら、メデアという女性や『メデア』という作品の理解が深まるようには、少なくとも私には、思われない。

ただ、問題の『メデア』のたった二行をめぐるニーチェとヴィラモーヴィッツの論争(一方的反駁)が「近代の西洋古典学自身の揺籃期」の核心近くに位置することになった経緯を含め、興味深いディティールに満ちているので、読んで損はないだろう。

ヴィラモーヴィッツの名前を覚えたのは、二十世紀に主に政治(学)的な文脈で提出された実に多様なプラトン像を紹介した佐々木毅さんの『プラトンの呪縛―二十世紀の哲学と政治』(1998年初版。講談社学術文庫版、2000年)であった。

Tuesday, April 01, 2008

ロンドン・ワークショップ2008

ベルクソン研究の日。「有限性」概念について、ありがちな死の側からではなく、もう一方の端である誕生の側から探るため、ダスチュールが挙げていたアレントの『人間の条件』をざっと読んでみたのだが、これといった発見はなし。ベルクソンに何度か言及している。ドイツの思想家がベルクソンに言及する際、彼の思想の政治的・社会的影響に目を向けていることがきわめて多い。春の発表では、この点を一度まとめておくつもり。

***

以下、最近のベルクソン・ニュース。

・合田さんと松本さんによるちくま学芸文庫版『物質と記憶』の第二版が出るようです。

・昨年初来日したピエール・モンテベロの『創造的進化』についての講義がネット上で読めます。きちんとしている。

・『二源泉』については、2006年12月にジュネーヴでコロック「ベルクソンと宗教 『道徳と宗教の二源泉』についての新たなパースペクティヴがありました(プログラムpdf)。今年刊行されるはず。

・今週末に迫ったロンドンでのワークショップ。人物解説をしながら、見ていくことにしましょう。

Bergson and Bergsonism Workshop
- London, French Institute 4-6 April 2008

Friday 4th April

Morning: “Historical and Thematic Perspectives”
9:00 Registration
9:30 Miguel de Beistegui (University of Warwick) : Introduction
10:15 Giuseppe Bianco (Université de Lille III/Trieste) 'Bergson as a PH paper. 'Bergsonism' in French Philosophy's Solution'.
11:00 Break
11:15 Frédéric Worms (Université de Lille III/Ecole Normale Supérieure) 'Les moments de la pensée bergsonienne'
12:00 Respondent : Federico Leoni (Università degli Studi di Milano)
12:20 Discussion
13:00 Lunch

ミゲル・デ・バイステーギ――少なくとも私が会った時、周りの人はこう発音していたように記憶しています――には、数年前のCollegiumで会ったことがあります。彼については、2005年3月7日のauf deutschのポストに印象や評判を記しました。今は英国にいるのですね。

ジュゼッペ・ビアンコ、親しい友人です。昨年、ドゥルーズとカンギレムのベルクソン講義をイタリア語訳しました。2007年3月21日のポストを参照のこと。

ヴォルムスについて説明の必要はないでしょう。

フェデリコ・レオーニは、Carlo Siniの弟子。下のロンキと共にベルクソンの1904年コレージュでの記憶概念の哲学史をイタリア語訳した人。昨年のコレージュ・シンポでは、ケメックスの第三アトリエで発表この人と同一人物だとすれば我々と同世代の若手。現象学雑誌Chiasmiのeditorial assistantsも務めているようです
Senso e crisi : Del corpo, del mondo, del ritmo, Pisa : edizioni ETS, 2005.
とあるのは博論でしょうか(詳細目次はこちら。Siniの序文や著作抜粋もあり)。他にも、
-Follia come scrittura di mondo. Saggi su Minkowski, Straus, Kuhn (Milano 2001).
-L’inappropriabile. Figure del limite in Kant (Milano 2004), Senso e crisi.
などの著書あり

Afternoon: “Being”
14:30 Pierre Montebello (Université de Toulouse-Le Mirail) 'Deleuze, lecteur de Bergson: monisme et naturalisme'
15:15 Rudolf Bernet (Katholieke Universiteit Leuven) 'The Driven Force of Consciousness and Life'
16:00 Break
16:15 Débora Morato-Pinto (Universidade Federal de São-Carlos) 'De la critique du Néant à l'expérience de l'Etre-Bergson et l'empirisme purifié'
17:00 Respondent: Florence Caeymaex (Université de Liège)
17:20-18:00: Discussion

モンテベロも来日したので説明はしません。ルドルフ・バーネットにはcollegiumでも北欧現象学会でも会ったことあり(2005年4月23日のポスト)。向こうは覚えてないだろうけど。。
デボラは昨年末に私をブラジルに迎えてくれた人。その顛末はこちら。ベルギーの才媛ケメックスについてはいずれまた。

Saturday 5th April

Morning: “Life”
9:00 Registration
9:30 Jean-Christophe Goddard ( Université de Toulouse-Le Mirail) 'Vie et survivance. Le spectre de l'élan vital dans les Deux sources de la morale et de la religion'
10:15 John Mullarkey (University of Dundee) ‘The Impossibility of Bergsonism’
11:00 Break
11:15 David Morris (Trent University) 'Embryos and the Virtual: Organisms as Living Concepts at the Turn of Experience'
12:00 Respondent : Paul-Antoine Miquel (Université de Nice-Sophia Antipolis)
12:20-13:00 Discussion
13:00 Lunch
ゴダール大局観というものをもった人)、マラーキーHP)、ミケルも説明の必要なし。デヴィッド・モリスについてはこちら。彼を見習って(?)少しずつ英語の業績を増やしていこう。

Afternoon: “The Concept”
14:30 Patrice Maniglier (Essex University) ‘Bergson structuralist? Beyond the Foucaldian opposition between life and concept’
15 :15 Rocco Ronchi (Università degli Studi dell’Aquila) 'Acte, concept, infini: ce qu'il n'y avait pas sur le tableau noir de Bergson'
16 :00 Break
16 :15 Respondent: Ray Brassier ( University of Middlesex)
16:35 Discussion
17:00-18:00 Concluding General Discussion, animated by Mauro Carbone (Università degli Studi di Milano) and Arnold Davidson (Università di Pisa).

マニグリエは、ケックやデューリング、私と同世代。ロンキは既述レオーニを参照。イタリアにもろアングロ=サクソンな名前が。。そういう趨勢なのだろうか?

Sunday 6th April
9:30-12:30 PhD students working on Bergson and Bergsonism to present their current research:
Caterina Zanfi (Università di Bologna) 'Max Scheler face à l'anthropologie bergsonienne'
Michael Kolkman (University of Warwick-Université de Toulouse le Mirail) 'Bergson and Fichte, Qualitative and quantitative difference'
Michael Vaughan (University of Warwick). 'Creative revolution: Bergson's social thought'
All welcome.

コルクマン&ヴォーガンも説明の必要なし。カテリーナは、彼ら同様かなり若い。このあいだのコレージュ・シンポで初めて話した。これからが楽しみな一人。

若手にもチャンスを与えている点、見逃せません。ただ、こういった組み方で難しいのは、日曜日は聴衆が激減するだろう、ということです。他のスピーカーと同一線上に並べることはできない。けれど、少しでも多くの聴衆の前でやらせてあげたい。きちんと努力している若手に、その努力に見合う場をどのように用意するか。チャンスを垣間見せることでモチベーションを与える。それなしにただ「頑張れ」というのは――実によく見かける光景ですが――、励ましていないのと同じです。そんなものは「研究者養成」でも何でもない。

Thursday, March 27, 2008

教育のパラドックス

「教育の哲学、哲学の教育」の日。『現代思想』、増頁特集《教育のパラドックス》、1985年11月号所収の木村敏+柄谷行人の対話《他者に教えること》(188-206頁)読了。幾つかポイントを。

1・「語る‐聞く」という水平で対称的な関係が成立するためには、「教える‐学ぶ」という垂直的で非対称的な関係が先行していなければならない、という例の柄谷節。むろん、「教える‐学ぶ」は「教師‐生徒」に固定されない。「そんな風に考えると、《教育》の問題も、普通そう考えられているのとは違った意味で、にわかに面白く見えてくるんです」(柄谷)。

2・「キチガイ」:「木村さんは、《気》というのは自分と汝との間にある、自分ではどうにもならない雰囲気のようなものであると書かれていたわけですが、《気が違う》というのは相手の気が違っているのではなくて、二人の関係の間で《気》が違うわけですね。だから向こうもそう思っている」(柄谷)。

3・デリダ批判:「パラドックスとか矛盾ということに、非常に重きをおくのです。しかし「語られる」領域でだけ、矛盾というのが大事になってしまうだけで、実際に生きられる領域ではそんなことはどうでもいいわけですよ」。「デリダの場合もそうなんですよ。《差延》というのは「自己差異化」であって、全部そこにもっていくんですけど、[…]神=他者を取ってしまうと、内部のほうにパラドックスを凝縮させる形を取ると思うんですよ。自己関係あるいは「自己差異化」の方にね」。

「いわば世界を一義的に論理的に明快にしようとするデリダの言う形而上学。哲学とはそういうものであり、その哲学を《脱構築》するのだと言うけれど、そうするためにはそういう哲学を前提にしなくちゃいけない。いない相手をつくってそれを攻撃しているということは、実はその人自身がそうだということなんじゃないですか」(柄谷)。前期のロゴス中心主義批判から後期のアポリア主義への動きは、たしかにこういう一面を持っている。

4・精神分析の功罪。「コミュニケーションの原型を、非対称的な「世代」に置いたということが、精神分析の功績だと思います」(柄谷)。

「つまり、治療が出来ないということではなく、また、治療が最終的な目的なのではなく、そういう《教える‐習う》というコミュニケーションの関係において人間は存在しているんだということを徹頭徹尾提起しているのが、精神分析なんじゃないかと思うんです。親子関係から始まり、医者と患者、さらに医者の教育〔教育分析〕までも、すべてそういう関係で見られている。そういうところから見た場合には、一般的なコミュニケーションというのは、虚像ではないとしても抽象的なものであるということを、精神分析は言っているように思うんです」(柄谷)。

「精神分析っていうのは物語を強制される場所なんですよ。[フロイトの「狼男」のように]別に嘘をつくつもりではなくても、どうしてもそうなるんです。結局のところ、うまい物語を自分自身が本気で納得すれば、それが治療だっていうことだと思うんです」(柄谷)。「僕の顔色を見て、木村先生はこういう話をすれば気に入るだろうということが分かるからかもしれないけど、たしかに私の興味のありそうな話をしてくれる。[…]僕らもそれに乗っかって喜んでますけど、治療はそんなことで進みはしないんです」(木村)。

ラカン派の精神分析における教育や愛の問題については、最近UTCPから刊行された

Philosophie et Education: enseigner, apprendre - sur la pédagogie de la philosophie et de la psychanalyse, UTCP Booklet 1, 2008.

所収の原和之とアラン・ジュランヴィル両氏の論考を参照のこと

5・治癒≒学習≒成長:「精神療法で患者が治った場合、精神療法をやったから治ったのか、精神療法をやっているうちに治っちゃったのか、精神療法をやったにもかかわらず治ったのか、その区別がつかないということなんです」(木村)。教育の哲学が必ず念頭に置いておくべき視点。

《親がなくとも、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがった出来損ないが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐れみをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。》(坂口安吾、「不良少年とキリスト」)

Wednesday, March 26, 2008

読書リスト(現象学)

生き抜いていけるだろうか、このタフな一年を?

四月:「哲学と大学」で発表予定。
5月24日:仏文学会で発表予定「言葉の暴力II」。
六月:某所で発表予定?「bとlにおける物質と記憶II」
九月上旬:フランスの某シンポで発表予定。「ベルクソンとオモダカ」
十月上旬:日本でベルクソンについて発表予定。「ベルクソンの生気論再論」
11月8日:仏文学会で発表予定。「結婚の形而上学とその脱構築」
十一月下旬:フランスの某シンポで発表予定。「フランスの教育哲学」

***

現象学についてはこれまで我流でそこそこ読んではきたのだが、昨日最低限読むべき本のリストを挙げてもらったので、徐々に読んでいくことにしたい。

今のところ、フッサールで言うと、『算術の哲学』関係とフッセリアーナ第23巻にしか興味がないのではあるが、逆に言えば、そこについては最先端の議論までフォローしておきたいと思っている。

現象学の事典類
1・『現象学事典』、弘文堂、1994年。
2・Michael Hammond, Jane Howarth, and Russell Kent, Understanding Phenomenology, Oxford: Blackwell, 1995.
3・ Wörterbuch der phänomenologischen Begriffe, hrsg. von Helmuth Vetter, PhB 555, Felix Meiner Verlag, 2005.
4・John J. Drummond, Historical Dictionary of Husserl's Philosophy, Lanham: Scarecrow Press, 2008.

フッサール関係
1・浜渦辰二(はまうず・しんじ、1952-)、HP。例えば、「空間の現象学にむけて―フッサールによるカント超越論的哲学の改造」や「幾何学的空間と生きられる空間―フッサールから見たカント空間論」など。
2・貫成人(ぬき・しげと、1956-)、専修大のプロフィールWikipedia。例えば、『経験の構造-フッサール現象学の新しい全体像』(勁草書房、2003年)。

3・斎藤慶典(さいとう・よしみち、1957-)、慶応大のプロフィール。氏のレヴィナス論に対する小泉義之さんの書評(講壇的な優雅さ)と一読者の感想(「甘美な愉楽」)の中間が正当な評価である気がする。

4・伊集院令子、『像と平面構成 I ―フッサール像意識分析の未開の新地』、 晃洋書房、2001年。


フッサール『算術の哲学』関係
1・三上真司、「『算術の哲学』に関する批判的考察」、東京大学哲学研究室『論集』3、1984年。

2・坂間毅、「研究ノート:フッサール「計算の哲学」の構想について」、東京大学大学院人文社会系研究科哲学研究室『論集25』、2007年、299-308頁。

3・鈴木俊洋、「初期フッサールの数概念の分析」、『現象学年報』19号、2003年11月、119-128頁。

4・小熊正久(おぐま・まさひさ、1951-)、「フッサールの算術の哲学における心理学的分析」、『山形大学紀要(人文科学篇)』、1985年。

5・小熊正久、「数と数えること―フッサールを手がかりにして」、『山形大学紀要(人文科学篇)』、1997年。

Tuesday, March 25, 2008

有限性をめぐって(4)有限性と出生

体を騙し騙し、イヴェントに出席。

3月17日、水月昭道、『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』に関するワークショップに参加。
3月22日、日仏哲学会に出席。
3月23日、ベルクソン哲学研究会に出席。
3月24日、村上靖彦さん『現象学者レヴィナス』(Lévinas phénoménologue, éd. Millon, coll. "Krisis", 2002)書評会に参加。

***

ベルクソン研究の日。引き続き、有限性概念を考察する。

ハイデガーと言えば「死に臨む存在」――そう思い込んでいる人は少なくないはずだ。だが、『存在と時間』は、自らが答え得ていない問いの存在に少なくとも意識的である。

《しかしながら、死は何といっても現存在の《終末》にすぎない。それは、形式的に見れば、現存在の全体性を差し挟んでいる一方の末端にすぎない。もう一方の《末端》はというと、それは《発端 Anfang》――すなわち《誕生 Geburt》である。

そして誕生と死との《間に》わたる存在者であってはじめて、求められた全体の姿を示すのである。このように見ると、われわれの分析論の今までの見通しは、いかに明確に実存する全体存在を指向していたにしても、また本来的および非本来的な《死へ臨む存在》を一義的に解析していたにしても、なお《一面的》にすぎなかったわけである》(第72節)。


"Allein der Tod ist doch nur das "Ende" des Daseins, formal genommen nur das eine Ende, das die Daseinsganzheit umschließt. Das andere "Ende" aber ist der "Anfang", die "Geburt".

Erst das Seiende "zwischen" Geburt und Tod stellt das gesuchte Ganze dar. Sonach blieb die bisherige Orientierung der Analytik bei aller Tendenz auf das existierende Ganzsein und trotz der genuinen Explikation des eigentlichen und uneigentlichen Seins zum Tode "einseitig""(S. 373).

要するに、「始まりに臨む存在 das Sein zum Anfang, l'être pour le commencement」とでも言うべきものの分析を欠いては実存分析が完了したことにはならない、とハイデガー自身が言明しているわけである。

しかしながら、先に引いた第72節のもう少し先で、ハイデガーは、誕生という契機を死の契機へ、さらには関心としての現存在の存在へと還元してしまう。

《事実的な現存在は、誕生せるものとして実存しており、また誕生せるものとしてすでに――「死に臨む存在」という意味で――死に至っているのである。誕生と死というこの《両端》とそれらの《間》とは、現存在が事実的に実存している限りは、現に存在している。そしてそれらは、ほかでもなく、関心としての現存在の存在に基づいている可能なるただ一つのありさまで存在しているのである。》

"Das faktische Dasein existiert gebürtig, und gebürtig stirbt es auch schon im Sinne des Seins zum Tode. Beide "Enden" und ihr "Zwischen" sind, solange das Dasein faktisch existiert, und sie sind, wie es auf dem Grunde des Seins des Daseins als Sorge einzig möglich ist" (S. 374).

[一文目だけMartineauの訳文を挙げておく。

"Le Dasein factice existe nativement, et c'est nativement encore qu'il meurt au sens de l'être pour la mort" (p. 259).

『存在と時間』は、「現存在と時間性」と題された第二篇の冒頭(第1章)で「全体性 totalité」と「死 mortalité」という二つの異なる問題系を融合している。ポール・リクールは、『記憶、歴史、忘却』(2000年)の中でこの章を「節目になる章 chapitre nodal」と呼び、この融合に違和感を隠せない、としている。死のテーマ系にこだわりすぎることで、可能的存在のその他の側面へ接近する道が閉ざされてしまうのではないか、というのである(p. 465)。

リクールは、『存在と時間』における死に対する態度の「最も強力な弁護 le plus vigoureux plaidoyer」(p. 465)としてダスチュール『死』(1994年版)を挙げ、自身はジャン・グレーシュとともにハンナ・アレントが用いた「出生性 Gebürtigkeit, natalité」のテーマに目配せを投げかけている。

リクール自身は、アレントの「出生性」を喚起しておきたい、とだけ述べて(いつものように?)素通りしているが、ダスチュールは『死』の2007年版において、この問題を自分のものとして引き受け、わずかではあるが展開している(pp. 168-169)。

だが、徹底的なハイデガー主義者であるダスチュールは、なぜ誕生より死を存在論的に優位のものと見なすのかについて、結局のところ明確な解答を与えることが出来ない。

《考慮に入れていなかったとハイデガー自身が認めているこの「始まりに臨む存在」に関する説得力に富んだ分析が、ハンナ・アレントに見出されるということには、したがってまったく疑いの余地はない。にもかかわらず、行動、とりわけ政治的行動は、可死性のパースペクティヴにおいてもまた考察されることを要請していないかどうか自問することは許されよう》。

"Il ne fait donc nul doute que l'on trouve chez Hannah Arendt une analyse convaincante de cet "être pour le commencement" dont Heidegger reconnaît qu'il ne l'a pas pris en compte. On peut cependant se demander si l'action, et en particulier l'action politique, n'exige pas d'être également considérée dans la perspective de la mortalité" (p. 169, nous soulignons).

ここでダスチュールを離れて、アレントの著作に直接取り組むことにしよう。(続く)

Monday, March 17, 2008

申し訳ない。

今日は、某学会関東支部大会があり、多くの友人・知人が発表していたのだけれど、体調がすぐれず、聴きに伺うことができませんでした。

Sunday, March 16, 2008

救いの島(母語を離れる)

《ジッドは言った。「だが、今日のうちにあなたに、ドイツ語に対する私の関係について、いくらか話しておきたいのだ。

私は長いあいだ、ひたすらドイツ語と集中的に取り組んだのだが[…]、その後、十年間、ドイツ語に関する諸々をうっちゃっておいた。英語が私のすべての注意力を奪っていた。

さて、去年コンゴで、ようやくまたドイツ語の本を開いてみた。それは『親和力』だった。そのとき私は奇妙な発見をした。この十年間の休みの後で、読む力は衰えるどころか、かえって進歩していた。その際に」――ここでジッドは強調の意をこめて言った――

「私を助けてくれたのは、ドイツ語と英語の親近性ではない。そうではなく、私が母語から遠ざかっていたという、まさにこのことが私に、外国語をものにするための弾みをつけてくれたのだ。

言葉を学ぶ際に一番重要なのは、どの言葉を学ぶかではない。自分の母語を離れること、これが決定的だ。また、実はそのときはじめて、母語を理解することになる」。

ジッドは航海家ブーガンヴィルの旅行記のなかの一文を引用した。「島を離れるとき、われわれはそれに〈救いの島〉という名を与えた」。

これにジッドは次のような素晴らしい文を付け加えた。「あるものに別れを告げるときにはじめて、われわれはそれに名を与える」》(ベンヤミン、「アンドレ・ジッドとの対話」)