Tuesday, December 31, 2013

大瀧詠一、悼む声次々

佐野元春 大滝さん悼む「日本の音楽界はひとつの大きな星を失った」

大滝詠一さん死去
 歌手の佐野元春(57)が31日、オフィシャルサイトで亡くなった大滝詠一さん(享年65)の冥福を祈った。

 佐野は「大滝詠一さんが亡くなりました。日本の音楽界はひとつの大きな星を失った。でもその星は空に昇って、ちょうど北極星にように僕らを照らす存在となった。大滝さん、ありがとう。ご冥福をお祈りいたします」と感謝をつづった。


大滝詠一さん自宅で急死 リンゴを食べている時に…死因は…

81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
Photo By 共同 
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後7時ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時自宅で、家族と一緒にいてリンゴを食べていたが、とつぜん倒れたという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。

 所属レコード会社によると、死因は解離性動脈瘤(りゅう)という。

大滝さん 提供楽曲は軒並みヒット「風立ちぬ」「冬のリヴィエラ」「熱き心に」

81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
81年7月、都内のスタジオで山下達郎(左)と写真に納まる大滝詠一さん
Photo By 共同 
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。

 ニューミュージックの先駆者として音楽業界に多大の足跡を残した大滝さんだが、楽曲提供という場面でも数多くの名曲を残している。

 盟友の松本隆が作詞し、太田裕美が歌った「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」、薬師丸ひろ子の「探偵物語」、小泉今日子の「怪盗ルビィ」など、80年代を彩った歌い継がれるヒット曲は数知れない。

 また、フジテレビの人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の第2作のオープニングテーマとして使われた「うれしい予感」は原作者のさくらもも子さんが大の大瀧ファンということでラブコールを送って実現している。


サンボマスター山口隆「大瀧さんそりゃないよ(泣)」思い出つづる

 ロックバンド、サンボマスターのボーカル&ギターの山口隆(37)が31日、自身のツイッターでミュージシャンの大滝詠一さんの死去に悲しみをつづっている。

 更新されたツイッター上で、次々に悲しみをつづり「嘘だ!俺は信じない!大瀧詠一がこんなに早くいなくなるはずない。俺は信じないぞ」で始まり、「大瀧さんは俺たちサンボマスターにも気さくに優しくしてくれたんだ。俺たちは晩飯おごってもらってヒップな話を聞かせてもらったんだ。いなくなっちまうなんて信じられるわけないだろ」と大きなショックを表した。

 さらに「本当に偉大な音楽家だっだ。膨大な知識とそれを血肉にする強靭な好奇心と才能。産み出される音楽はいつも真実とリズムとユーモアがあり、にも関わらずその表現の巨腕を少しもひけらかすような素振りもなかった。ご冥福をお祈りします」と追悼、最後には「大瀧さん俺としゃべると毒舌でさ(笑)。でもね、俺が毒舌で返しても笑ってんだよね。本当に最高な人だったなぁ。あー、本当にショックだよ…。大瀧さんそりゃないよ(泣)!ずっと大好きだ」とした。リンク先のブログには11年1月に一緒に写真を撮った姿が掲載されている。

 メンバーの木内泰史(37)も、「信じられない。初めてお会いしたのはQJの対談に立ち会わせてもらった時。2度目はスタジオで。そのまま食事に連れて行ってもらった。話出したら止まらなくて、何時間も話をして下さった。心よりご冥福をお祈りします」と悼んだ。


“研究家”佐野史郎 大滝さん偲ぶツイート「洒落にもならない」

 俳優の佐野史郎(58)が31日、急死したミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)を自身のツイッターで偲んだ。

 「お正月といえば炬燵を囲んでお雑煮を食べながら歌留多をしていたものです…はっぴいえんどの『春よ来い』洒落にもならない。大瀧詠一さん、安らかに。」と哀悼の辞を記した。

 佐野のこのツイートは松本隆が作詞し、大滝さんが作曲した「春よ来い」の歌い出しの歌詞をツイートすることで、大滝さんの死を悼んだもの。

 佐野は俳優のかたわら、自身でバンドを組むなどロックやニューミュージックに精通。大滝さんが1969年から活動した「はっぴいえんど」の研究もしている。


大滝さん死去に加藤登紀子「言葉がないです」つるの剛士「信じられない」

 亡くなったミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)に各界の著名人が追悼の言葉を寄せている。

 歌手の加藤登紀子(70)は、ツイッターで訃報に「驚きました。直接は、お会いしてないですが、、凄い人だったので」と触れ、その後「言葉がないです」とつづった。

 タレントで歌手のつるの剛士(38)は「突然の訃報、、信じられないです。。御冥福を御祈りいたします」、タレントのROLLY(50)「大滝詠一様 あなたの作られた音楽、そして歌声は永遠に色あせる事無く私の心の中で燦然と輝き続ける事でしょう。沢山の素敵な風景に魅せられ、豪華絢爛な音の洪水に浸らせて頂きました。本当にありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます」と悼んだ。
[ 2013年12月31日 13:40 ]


大滝さん悼む声続々…森進一、冬のリヴィエラは「宝物のような一曲」

 ▼歌手の森進一の話 1982年に作曲していただいた「冬のリヴィエラ」は、いまも私にとって大きな宝物のような一曲です。31日夜の番組(民放で放送)でも、大滝さんの元に届きますよう、心を込めて歌わせていただきます。いまは心よりご冥福をお祈りいたします。

 ▼音楽ライターの小暮秀夫さんの話 日本語ロックの先駆者だったバンド「はっぴいえんど」の一員として活躍した後、豊富な知識をもとにユーモアあふれるセンスで独自の音楽性を確立した。米国のオールディーズや日本の歌謡曲などさまざまな音楽に造詣が深く、いわば音楽の目利き。CMソングの制作や、歌手やアイドルへの楽曲提供のほか、プロデューサーとして山下達郎さんら若い才能を発掘するなど、日本のポップミュージック界を底上げした。
[ 2013年12月31日 15:58 ]


稲垣潤一 大滝さん哀悼ツイート「素晴らしい作品、ありがとうございました」

 ミュージシャンの稲垣潤一(60)が31日、急死したミュージシャンの大滝詠一さん(享年65)に哀悼のツイートをした。

 「大滝詠一さん、信じられません。素晴らしい作品、ありがとうございました。御冥福を祈らさせて頂きます」と早すぎる死を悼んだ。

 稲垣は1985年、大滝作品の「バチェラー・ガール」をカバーし、横浜ゴムのCMソングに採用された。
[ 2013年12月31日 16:22 ]

【訃報】大瀧詠一さん死去、65歳、歌手

<訃報>大滝詠一さん65歳 歌手

毎日新聞 12月31日(火)12時3分配信
 警視庁によると、歌手の大滝詠一=本名・大瀧榮一=さん(65)が30日午後5時過ぎ、東京都瑞穂町内の自宅で倒れ、救急車で病院に搬送されたが、死亡した。目立った外傷はなく、病死とみられる。

大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット

スポニチアネックス 12月31日(火)11時41分配信
大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット
急死したことがわかった大滝詠一さん(左)写真は85年はっぴいえんど」再結成時で、大滝さんの隣は(右から)松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時すぎ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。病死とみられる。

 岩手県江刺郡梁川(現奥州市)生まれ。1968年に早大に入学後、細野晴臣を紹介され、70年「はっぴいえんど」としてデビュー。自身のレコード・レーベル「ナイアガラ」を立ち上げたほか、山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド「シュガー・ベイブ」のプロデュースなどを行った。

 81年に、シングル「君は天然色」がヒット。同曲が収められたアルバム「A LONG VACATION」がヒット「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞。松田聖子のアルバムプロデュースなどでも話題になった。

 97年には12年ぶりにシングル「幸せな結末」を発表し、フジテレビのドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌としてミリオンセラーを達成。来年3月21日には84年3月21日発売のヒットアルバム「EACH TIME」の30周年を記念して、「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売が予定されていた。


時代の先駆者だった大滝詠一さん 凝り性な“遅れて来た大物”

スポニチアネックス 12月31日(火)12時13分配信
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 大滝さんはニューミュージックの元祖として知られる。1970年、細野春臣、松本隆とともに結成した「はっぴーえんど」でデビューしたものの、先に売れたのは仲間の細野や後輩の山下達郎だった。レコード制作においての凝り性が災いしたのか、ヒットという点では今一つだった。しかし、アルバム「ロングバケーション」が大ヒット。“遅れて来た大物”と当時のメディアは紹介している。

 しかし、それ以前もそれ以後も、シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、DJ、など多くの顔を持ち、音楽業界で幅広く活躍、足跡を残した。

 福生の自宅を改造してスタジオを作ったり、あるいは73年の「アサヒ飲料の三ツ矢サイダー」のCMでは今でこその感はあるが、当時としては初のCMソングのレコード化第1号だった。また、レコードの原盤制作をレコード会社ではなく自信のレーベルで行ったのも大瀧さんが初だった。表舞台にはあまり派手に存在せずとも、裏で貯蔵し続けた大瀧さん。だが、現在の音楽業界をリードしてきた存在だった。


大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」

スポニチアネックス 12月31日(火)12時26分配信
大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」
急死した大滝詠一さん(左)写真は85年「はっぴいえんど」再結成時のもので、大滝さんの隣は(左から)松本隆、細野晴臣、鈴木茂
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時半ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時自宅で、家族と一緒にいた。家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」と話しているという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。




大滝詠一さんが急死、都内の自宅で倒れる

デイリースポーツ 12月31日(火)12時22分配信
 伝説的ロックバンド・はっぴいえんどの元メンバーでシンガー・ソングライターの大瀧詠一さんが、30日午後5時すぎ、東京都内の自宅で倒れ、病院に運ばれたが間もなく死亡したことが31日、分かった。65歳だった。病死とみられる。

 大瀧さんは、1948年岩手県生まれ。早稲田大学入学後の1970年、細野晴臣、松本隆とはっぴえんどを結成し、アルバム「はっぴいえんど」でデビューした。当時、黎明期だった日本語によるロックの草分けとして、大きな影響を与えた。

 72年にはソロアルバム「大瀧詠一」を発売。翌年、レコードレーベル「ナイアガラ」を設立。高い音楽性と都会的でユーモアあふれるセンスが支持を呼び、81年に発売した「A LONG VACATION」はミリオンヒットを記録した。

 97年に発売した12年ぶりのシングル曲「幸せな結末」は、SMAPの木村拓哉が主演したドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌として大ヒットした。

大滝詠一、逝去。享年65歳

RO69(アールオーロック) 12月31日(火)12時36分配信
大滝詠一、逝去。享年65歳
『恋するふたり』2003年作品
大滝詠一が亡くなったことが明らかになった。享年65歳だった。

12月30日に東京都瑞穂町の自宅で倒れ、病院に運ばれたものの亡くなったと報じられている。

1948年7月28日生まれ。細野晴臣、松本隆、鈴木茂と共に結成したバンド、はっぴいえんどで1970年にデビュー。はっぴいえんど解散後ソロ活動を本格化させ、1981年発表のアルバム『A LONG VACATION』で大きな成功を収めた。

2003年発表の『恋するふたり』以降、新作の発表は途絶えているものの、2005年より「ナイアガラ不滅プロジェクト」と題した各アルバムにおける30周年記念事業を展開しており、2014年3月21日に発売予定だった『EACH TIME』の30周年記念盤で「ナイアガラ不滅プロジェクト」は終了する予定となっていた。

大瀧詠一が急逝

ナタリー 12月31日(火)12時36分配信
大瀧詠一が急逝
写真は2011年に発売された「A LONG VACATION」発売30周年記念エディションのジャケット。
大瀧詠一が逝去したことが、一部報道により明らかになった。

彼は昨日12月30日の夕方に都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなったという。65歳だった。

大瀧は1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。

Tuesday, December 17, 2013

学術的近況

研究や教育の忙しさは楽しさでもある。だが、学内業務の忙しさはまったく別種のものだ。苦しく、実りのない日々のように思えてならない。けれども、そういうときでも、そういうときこそ、精進を積み重ねていかねばならないと強く思う。

というわけで、今月も連載してます。ようやく(本当にようやく…)第二部に入り、これまでの煩瑣な実証的部分からまた仮説を提示する部分になりますので、ご専門でない方にもお読みいただけるのではないかと期待しております。どうぞ引き続き応援をよろしくお願い致します。


年内に仕上げるべきもの
①09シンポ序文・原稿
②デリダ翻訳
③連載原稿

2014年
2月11日(火・祝)大学における高等教育をめぐるシンポジウム(仮称)」@京都文教大学
3月15日(土)日本における哲学思想研究の外国語によるアウトプットの現状と課題」@大阪大学・豊中キャンパス


しんどいときは、過去を振り返ってみる。

2002-2003年度:発表1つ(仏1)
2003-2004年度:発表1つ(英1)
2004-2005年度:発表2つ(英1・仏1)
2005-2006年度:発表4つ(英1・仏1・日2)
2006-2007年度:発表4つ(仏1・日3)
2007-2008年度:発表5つ(仏4・日1)、その他1つ
2008-2009年度:発表6つ(仏3・日3)、その他1つ
2009-2010年度:発表6つ(仏4・日2)その他1つ
2010-2011年度:発表8つ(仏5・日3)、その他2つ
2011-2012年度:発表2つ(仏2・日0)、その他1つ
2012-2013年度:発表3つ(仏2・日1)その他3つ
2013-2014年度:発表6つ(仏1・日5)

48の学術的発表(その他のトークイベント除く)のうち、仏25、日20、英3

ゼミや講義の情報なども一新しました。ご興味おありの方はどうぞご覧ください。

Tuesday, November 26, 2013

【クリップ】日曜はダメ? 日曜営業解禁に割れる仏世論

日曜はダメ? 日曜営業解禁に割れる仏世論

AFP=時事 10月12日(土)19時22分配信
日曜はダメ? 日曜営業解禁に割れる仏世論
仏パリで日曜営業解禁を求めるデモに加わるジャーナリストのエリック・ブルネ氏(2013年10月2日撮影)。
【AFP=時事】フランスを訪れる外国人が頭をかしげることの一つが、法律で小売業などの日曜営業が禁じられているため、日曜日に買い物ができないことだ。この法律に今、当のフランス国民も疑問を投げ掛け始めている。

欧州市民、夏休みは「旅行なし」 緊縮財政の影くっきり

 フランスの法律では、企業は従業員に午後9時から翌朝午前6時まで勤務するよう依頼することはできるが、厳しい条件があり、あくまで例外的な場合に限られる。小売業者は観光地や人口密集地に立地していれば日曜日も営業することはできるが、こちらも厳しい条件を満たさなければならない。日曜日に精肉店などの食料品店は午後1時までしか営業できない。

■労働者側が日曜出勤を望む時代

 フランスでここ数週間、食料品店以外の店舗に深夜と日曜の営業を原則禁じる現行法を支持する判決が相次いだことから、この問題が議論を呼んでいる。日曜にも働きたいという労働者たちは、経済的に困難な状況にある今、現行法は古臭く時代に合っていないと怒っている。

 緊縮財政と経済成長の両立を約束した社会党(PS)政権は日曜を休日とする現行法を支持している一方で、仏郵政公社の元トップを登用して現行法の問題点を調べさせ、11月末までに提言を出すよう求めている。

 中道右派の野党・国民運動連合(UMP)のパリ(Paris)市長候補、ナタリー・コシウスコモリゼ(Nathalie Kosciusko-Morizet)氏は、現行法は世界で最も多くの人が訪れる都市パリに大きな損失をもたらしていると批判する。

 同氏はフリーペーパー「メトロニュース(Metro News)」のインタビューで「被雇用者は働きたがっているし、さまざまな商売が1週間の売り上げの20%を稼ぐのが日曜だ。旅行会社がツアー客に買い物をさせるため日曜に(パリから)ロンドン(London)に移動させる日程を組んでいることを考えても、観光客が買い物をできるようにした方がいい」と述べた。

 日曜に買い物をするというパリ在住のエリザベス・アルマーニ(Elisabeth Armani)さんは「人に働く権利を与えないなんて、国として恥ずかしい。失業問題もあるのに」と語った。

「同情的な」地元自治体から日曜営業の特別許可を受けた店もあるが、実際に日曜営業を始めたのはいくつかのホームセンターだけだ。先月には大手ホームセンターチェーン、カストラマ(Castorama)とルロワ・メルラン(Leroy Merlin)がパリ地区の数店舗の日曜閉店を裁判所から命じられた。違反すれば1店舗につき1日12万ユーロ(約1600万円)の罰金を科されるにもかかわらず、両社とも日曜営業を続ける方針だ。10月2~3日に行われた世論調査では回答した933人のうち66%が両社の方針を支持すると回答した。

■カトリックから左翼政党にまで広がる解禁反対の声

 中国から米国まで、日曜営業や24時間営業は多くの国でかなり一般的になっている。欧州でもスペインやポルトガル、イタリアはユーロ圏金融危機の余波で規制を緩和した。

 しかしフランスでは日曜日に毎週あるいは時々働く人は労働者の約30%だ。法律では、日曜労働は労働者本人の意思によるものでなければならず、また日曜に働いた場合の賃金は通常の50%増しにすることが定められている。

 近代フランス文化における日曜の位置付けに関する歴史書の著作があるロベール・ベック(Robert Beck)氏によれば、カトリック色の濃いフランスのこの法律の由来は、1898~1906年に各地の大都市で続いた大規模な労働者デモにある。その結果できた法律が、日曜を義務休業日と定めた。当時も「教会と労働組合は反対し、企業家は賛成していた」という。

 フランスの多くの家庭は今でも、日曜日に家族そろって昼食を取ることをとても大切にしている。「カトリック・エコノミスト協会(AEC)」のジャンイブ・ノーデ(Jean-Yves Naudet)会長は、規制を緩和すれば仕事が増える方向にはなるだろうが、日曜営業解禁が経済成長に及ぼす効果を定量化するのは難しいと指摘し、個人的な考えだとした上で、子どもやバランスの取れた家族生活の方が重要で、日曜営業解禁には反対だと語った。

 ノーデ氏と同じように日曜営業解禁に反対する政治家たちもいる。中道政党・民主運動(MoDem)のフランソワ・バイル(Francois Bayrou)議長は「商売が最優先にされない日が週に1度は必要だというのが、進んだ文明における考え方というものだ」と言う。政党連合・左翼党のリーダー、ジャンリュック・メランション (Jean-Luc Melenchon)氏も「少なくとも週に1日は家族と一緒に過ごせるということは非常に重要だ」と述べている。【翻訳編集】 AFPBB News

Monday, November 25, 2013

【クリップ】「関関同立」の牙城崩しを狙う近畿大学の“ブランド新戦略”

私は近大の戦略に賛成でも反対でもありませんが、ブランド戦略、というか、要するに、大学をどういう方向に持っていきたいのか。「理念」が大事、それをどう表現するかが大事ですよね。半歩先を行く先見性が大事なのではないかと思います。。「近隣他大学はこうやってますから」なんていう追随性じゃなくて。「これですべてがうまくいく」っていう大本営発表と「上がそう決めたので、それをやり抜くのが私の仕事です」っていう竹槍精神のサイレント・マジョリティじゃなくて。本当に大切なことは何なのか。見えないところ、目立たないところで、せいいっぱい頑張っているつもりです。

***

「関関同立」の牙城崩しを狙う近畿大学の“ブランド新戦略”

産経新聞 11月4日(月)14時56分配信
「関関同立」の牙城崩しを狙う近畿大学の“ブランド新戦略”
五輪メダリストの職員、山本貴司さんも「マスコミ見学会」に登場し、近大ブランドをPRした=大阪府東大阪市(写真:産経新聞)
 約3万1200人の学生数を誇る近畿大(本部・大阪府東大阪市)が「ブランド」の強化に“本気”で乗り出した。今年4月、それまでの総務部広報課を「広報部」に独立させ、世界初の完全養殖クロマグロ「近大マグロ」を活用したPRを展開するなど、その成果を発揮している。関西の私立大といえば「関関同立(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大)」という定着したイメージがあるが、これを崩して存在感を示したいという。(香西広豊)

 ■マスコミ対象の見学会

 「メディアでの露出をあげていきたい」

 近畿大学の塩崎均学長は10月下旬、報道関係者を対象に行った“初”の学内施設見学会のねらいをこう説明する。参加した報道関係者は、国内では近大と京都大のみが保有する研究用原子炉を備えた「原子力研究所」、学生が留学生などと一緒に英語を楽しく学ぶ日本語NGのカフェスペース「英語村」などを見学。

 また、大学自慢の学生クラブセンターの見学では、同大学OBで、2004年アテネ五輪競泳男子200メートルバタフライ銀メダリストの山本貴司さんが登場。同センター内にある関西の大学で唯一という屋内型50メートルプールで、「デモ泳ぎ」を披露するなど、報道関係者に大学をアピールした。

 見学会後は、巷で話題の「近大マグロ」をはじめとする水産研究所が完全養殖などに成功したヒラメやシマアジなどの養殖魚の振る舞いもあった。

 見学会を企画したのは広報部長代理の世耕石弘さん(44)。「これまでの近大には情報発信力が大きく欠けていた。情報発信による(大学の)ブランド力向上が最優先課題」と説明する。

 ■近鉄広報マンを“引き抜き”

 世耕弘一・同大学初代総長の孫にあたる世耕さん。かつて近畿日本鉄道の社員として長く広報を担当していた。6年前、近鉄広報課長から近大職員となり、入試広報を担当していたが、今年4月に「広報部」が独立したことに伴い、同部のリーダーとして近鉄時代の広報経験を生かした戦略を展開している。

 世耕さんは、4月から15人いる広報スタッフに2つの業務を課している。「新聞スクラップの強化」と「ニュースリリース(報道関係者向け資料)の積極提供」だ。

 これまで新聞スクラップの対象は全国紙とされる数紙だけだったが、これに経済紙やスポーツ紙などを加えた14紙に増やした。「広報の仕事は、より幅広い情報に触れることが重要」と考えたからだ。

 また、ニュースリリースの積極提供については「できるだけ毎日、学校の情報をマスコミに出すようにしている」。世耕さんによると、その数は昨年と比べて4倍以上。「近大マグロのようなおもしろいネタとなりうる材料が、大学にはたくさん転がっている。これらを発信しないのはもったいない」。外注していたニュースリリースの作製も、4月からは広報スタッフが作製している。

 ■背景は少子化?

 これだけではない。広報部では在籍する教員約1200人のプロフィルや研究分野などを掲載した「近畿大学教員名鑑」を制作し、マスコミに提供した。マスコミが識者コメントなどを求める場合、教員を活用してほしいとしている。

 近大がこうしたブランド力強化を進める背景には、少子化に伴う将来の学生数減少という問題がある。文部科学省などの調査によると、大学進学者数は平成30年までは毎年60万~65万人とほぼ横ばいだが、その後は減少。43年には約48万人まで落ち込むとみられている。

 今後、大学経営を取り巻く環境は厳しさを増してくる。各大学は、厳しい競争で生き残るために、学生に選ばれる大学を目指す。世耕さんは「関西の私大には『関関同立』という不動のイメージがあり、悔しい思いをしてきた。総合大学としてのポテンシャルを発揮・発信し、そうしたイメージを払拭したい」と力を込めた。

Sunday, November 24, 2013

【クリップ】『図書館戦争』との戦争

本のメルマガvol.516より


■「散慮逍遥月記」 /  停雲荘主人
 ----------------------------------------------------------------------
 第5回「『図書館戦争』は表彰され『はだしのゲン』は……」

(…)
 図書館業界関係者にはおなじみの図書館総合展にて毎年表彰される「Library of the Year」の今年の部において,『図書館戦争』の「原作者、出版者、映画関係者、関係する図書館等、ムーブメントとして」特別表彰されることが決まったのだそうです。

 Library of the Year 2013 プレスリリース - loy13-prel.pdf
 http://www.iri-net.org/loy/loy13-prel.pdf


 このニュースを聞いたとき,僕は心の底から落胆しました。

(…)銃火で本を吹き飛ばすシーンを映像化することが可能な「図書館」理解の貧困さ,それまで図書館という場所に積み上げられてきた「記憶の継承」をないがしろにして「図書館の自由」を賛美したと称しているようなシロモノは,それが何であれ,まず「キッチュ」であることを疑った方がいいでしょう。

 「図書館」という場所は,価値の共生はもちろんのこと価値相対化ですらない「価値の並立」という状態を,何とか維持するために継承されてきた叡智を学ぶための場所でもあります。そのような存在が必要なのは「価値にかかわるすべての問題は最終的な答えを出すことはできない」(アイザイア・バーリン)からなのです。安易な価値相対化の問題ではないのですよ。突き詰めたら血を見るような価値の衝突を回避する余地を作る,世の中が両立し得ない価値と価値の対立故に,戦火に巻き込まれないようにするにはどうしたらいいか,その知恵が継承され詰まってる場所のはずです。

 そのような場所であり,存在であるはずの「図書館」を,原作者が描きたかったラブ・コメディと軍事のために,「図書館の自由」をダシにして図書館を戦場にする,そのような創作が「キッチュ」ではなく何だと言うのでしょうか。そして,キッチュを称揚し,顕彰する図書館業界の舞い上がりぶりは,既に業界のオールド・ウェーブを代表するひとびとが編集する「ず・ぼん」13号に掲載された,『図書館戦争』原作者と編集部の対談記事が,その一端を示していました。

(…) 中には「創作だから」「ラブコメだから」「映画だから」と弁護する方もいらっしゃいますが,僕が問題にしているのは表現技法ではありません。そこで描き出される,もしくは描き出されたものの背後にある「図書館」へのまなざしそのものに問題があるのですから。アニメだろうが実写だろうがフィクションだろうが現実だろうが同じことです。

 戦火に巻き込まれた図書館の話としては,ルーヴァン大学の図書館(『図書館炎上』法政大学出版局,
 http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-00385-1.html )やアルジェリア独立戦争時のアルジェ大学図書館,また最近では『バスラの図書館員』(晶文社, http://www.shobunsha.co.jp/?p=1057 )もあります。図書館が破壊されることは「ひとつの文化が消滅する」象徴として扱われているのですよね。

 そのあたりを,あの原作者がそもそもわかってないだろうなあ,という推測は,原作に対する図書館業界関係者の苦言に対して,発言者の乗降する駅まで調べ上げたという発言で暗に圧力をかけたという,「ず・ぼん」で自らが明らかにした原作者の振る舞いから,それほど間違ってるとも思えないわけです。

 「ず・ぼん」の編集部は左翼系であり図書館問題研究会系の方々だから,ますます疑問がふくらむのです。つまり,このひとたちは「図書館の自由」を守るために「耳をすませば」や「相棒」にクレームを入れ,公共図書館の門前に旧日本軍の大砲を展示することを批判した方々に,思想的には極めて近いはずです。であるにもかかわらず,「図書館の自由」という「悠久の大義」があれば,目的が手段を神聖にするとばかりに,フィクションとはいえ戦争を,武器をとることを肯定したのは紛れもない事実。

 『図書館戦争』がすぐれて「図書館と政治」の問題であるが故に,政治思想的には左翼だったはずの「ず・ぼん」の編集部があそこまで『図書館戦争』と原作者を持ち上げたのは,図書館業界を代表するオールド・ウェーブには致命的な失陥でした。彼らは善良なアナキストでしょうが,政治的にはおおよそ無能なリビジョニストということができます。結果的に彼らの中で「図書館の自由」は手段ではなく,自己目的化してその思想的基盤は枯渇してしまったということが言えます。

 『図書館戦争』は本当にキッチュでしかないのだけど,キッチュがこれだけもてはやされることについて,いわゆる大衆消費社会と新自由主義におけるキッチュの役割と効果を,図書館業界は立ち止まって考察する必要があるのではないでしょうか。『図書館戦争』を称揚したことに口を拭って,相変わらず『はだしのゲン』問題でも「図書館の自由」を図書館業界が錦旗にしているのは自家撞着でしょう。

 そして,図書館業界のオールド・ウェーブによる称揚だけではなく,図書館総合展という業界のニュー・ウェーブにおいても『図書館戦争』が表彰されるということは,図書館業界が挙げて『図書館戦争』に,原作者に,「図書館の理解者」であることを認定したに等しい行為です。いくらなんでも,これはおかしい。

 結局のところ,業界が1980年代の成功をもたらした偉大な政策文書である『市民の図書館』を現在もなお信奉し続け,来館者数や貸出冊数の多寡が図書館業界において「よい図書館」の指標で在り続ける限りは,「図書館」そして自己目的化した「図書館の自由」が新自由主義の申し子とも言えるキッチュに侵食されることを押し止めることは難しいのでしょう。僕は2000年頃からこちら『市民の図書館』を奉じることは,公共図書館経営を新自由主義に明け渡す,その橋渡しだという意味のことを繰り返し言ってきたのですが……

 図書館業界の方々は何を考えて,どんな効果を狙って,『図書館戦争』を表彰するのでしょうね。

Monday, November 04, 2013

11/9-10 Citéphilo 2013, Programmes concernant la partie philosophique du pays invité: le Japon

シテフィロというイベントについては、ずいぶん前に紹介したことがあります(2000年11月4日の項、2002年11月8日の項)。


Voir la totalité du programme de Citéphilo 2013.


Samedi 9 novembre 2013

11h ➔ 13h : Conférence inaugurale sur le Japon : Milieu nippon, pensée
niponne ?
Augustin Berque, géographe, orientaliste, philosophe, Grand Prix de Fukuoka
pour les cultures d’Asie en 2009
A notamment publié : Vivre l’espace au Japon (PUF) ; Du geste à la cité : formes urbaines et lien social au Japon (Gallimard) ; Le sauvage et l’artifice : les Japonais devant la nature (Gallimard) ; Écoumène (Belin) ; Histoire de l’habitat idéal : de l’orient vers l’occident (éd. du Félin) ; de Watsuji Tetsurô : Fudô. Le milieu humain (traduction, éd. du CNRS)
Présentation : Arnaud Bouaniche, professeur de philosophie en classes
préparatoires au Lycée Gambetta-Carnot d’Arras
« Comment la pensée japonaise s'est-elle construite dans son rapport avec la nature ? Cette question ne relève ni d'un déterminisme environnemental (la nature étant comme ceci, donc la société pense comme cela), ni d'un constructivisme métabasiste (la pensée se construirait sur elle-même, sans base dans la nature). Elle relève de l'histoire d'un certain milieu, c'est-à-dire de la construction réciproque d'un certain sujet (la pensée japonaise) et de son propre monde (ce qu'est la nature et ce que sont les choses pour cette pensée-là). Des exemples en sont donnés dans la langue, la poésie et la philosophie japonaises » (Augustin Berque).
Palais des Beaux-Arts - grand auditorium - Place de la République - Lille


15h30 ➔ 17h30 : Qu’est-ce que la philosophie japonaise ?
En partenariat avec le département de philosophie de l’UFR Humanités de l’Université Lille 3
1ère partie : 15h30 ➔ 16h30
Enregistrement en public des Nouveaux Chemins de la Connaissance sur France Culture
Yasuhiko Sugimura, philosophe, professeur à l’Université de Kyôto
A notamment publié : Philosophie japonaise (avec M. Dalissier et S. Nagai, Vrin)
Michel Dalissier, maître de conférences à l’Université Doshisha de Kyôto
A notamment publié : Philosophie japonaise (avec S. Nagai et Y. Sugimura, Vrin)
Modération : Adèle Van Reeth, philosophe, productrice à France Culture

2ème partie : 16h30 ➔ 17h30
Yasuhiko Sugimura, philosophe, professeur à l’Université de Kyôto
Shin Abiko, philosophe, professeur à l’Université Hôsei de Tôkyô
Tatsuya Higaki, professeur à l’Université d’Osaka
Michel Dalissier, maître de conférences à l’Université Doshisha de Kyôto
Modération : Arnaud Bouaniche, professeur de philosophie en classes
préparatoires au Lycée Gambetta-Carnot d’Arras
Depuis une dizaine d’années, un peu partout dans le monde, la philosophie japonaise est étudiée pour elle-même, dans un effort pour l’aborder non pas comme un mélange ou une synthèse d’influences et d’emprunts (au bouddhisme, au shintoïsme, à l’idéalisme, à la phénoménologie, etc.), mais enfin comme la production d’un acte de pensée absolument singulier. Quelle est donc la nouveauté de cet acte philosophique ? Quelles sont ses grandes créations conceptuelles ? Portrait d’un geste philosophique inédit.
Palais des Beaux-Arts - grand auditorium - Place de la République - Lille

17h45 ➔ 19h45 : Penser, habiter, bâtir (autour de Fûdo, le milieu humain, de Watsuji Tetsurô)
Augustin Berque, géographe, orientaliste, philosophe, Grand Prix de Fukuoka
pour les cultures d’Asie en 2009
Masato Goda, professeur à l’Université Meiji de Tôkyô
Tatsuya Higaki, professeur à l’Université d’Osaka
Yasushi Hirai, maître de conférences à l’Université Kyushu Sangyo de Fukuoka,
traducteur de Bergson en japonais
Modération : Arnaud Bouaniche, professeur de philosophie en classes
préparatoires au Lycée Gambetta-Carnot d’Arras
Tetsurô Watsuji est une figure majeure de la philosophie japonaise contemporaine. Il est l’auteur d’une oeuvre considérable, d’abord consacrée à l’histoire des idées et à la philosophie occidentale, puis progressivement à l’éthique. C’est à la suite du long voyage qu’il effectue en Europe entre 1927 et 1928 qu’il écrit ce qui est peut-être son chef-d’oeuvre : Fûdo (« Milieux » ou littéralement : « Vent et terre » 1935), qui place les coordonnées climatiques et géographiques au coeur de l’existence humaine et s’intéresse au lien qui unit l’environnement et les cultures selon une perspective originale, non déterministe, en faisant de la spatialité une structure existentielle fondamentale à travers le concept révolutionnaire de fûdosei (« médiance »). Actualité d’une perspective radicalement nouvelle pour penser notre relation à l’environnement.
Palais des Beaux-Arts - grand auditorium - Place de la République - Lille


Dimanche 10 novembre

16h45 ➔ 18h45 : Autour de l’École de Kyôto
Bernard Stevens, philosophe, traducteur, peintre
A notamment publié : Topologie du néant. Une approche de l'école de Kyôto (Peeters) ; Le néant évidé. Ontologie et politique chez Keiji Nishitani (Peeters) ; Invitation à la philosophie japonaise. Autour de Nishida (CNRS Éditions)
Masato Goda, professeur à l’Université Meiji de Tôkyô, traducteur de Bergson
en japonais
Michel Dalissier, maître de conférences à l’Université Doshisha de Kyôto.
A notamment publié : Philosophie japonaise (avec S. Nagai et Y. Sugimura, Vrin)
Yasuhiko Sugimura, professeur à l’Université de Kyôto
A notamment publié : Philosophie japonaise (avec Michel Dalissier et S. Nagai, Vrin)
Modération : Hisashi Fujita, maître de conférences à l’Université Kyushu Sangyo
de Fukuoka, docteur en philosophie de l’Université Lille 3
L’école dite « de Kyôto » désigne le courant de pensée initié par Kitarô Nishida (1870-1945) dans les années 1920, et qui s’est développé jusque dans les années 1960 au sein de l’université de l’ancienne capitale impériale japonaise. Par delà de son imbrication dans le Japon nationaliste et militariste de la Seconde Guerre mondiale, et sans ignorer ce contexte historique et politique brûlant, un certain nombre de travaux importants ont récemment contribué à expliciter l’originalité d’une philosophie qui, tout en dialoguant de manière exigeante et rigoureuse avec les grands courants de pensée européens, notamment allemands (idéalistes et phénoménologiques), a su tracer, au croisement de l’Orient et de l’Occident, et autour du concept de « néant absolu », une voie singulière.
Palais des Beaux-Arts - grand auditorium - Place de la République – Lille

19h ➔ 21h : Le Japon et la catastrophe
Shin Abiko, philosophe, professeur à l’Université Hôsei de
Tôkyô
A récemment édité : Annales bergsoniennes VI : Bergson, le Japon, la catastrophe (PUF)
Jean-Jacques Delfour, philosophe, essayiste, critique
Va notamment publier : La condition nucléaire. Essai sur la situation atomique de l’humanité
(L’échappée - à paraître janvier 2014)
Hisashi Fujita, maître de conférences à l’Université Kyushu Sangyo de Fukuoka,
docteur en philosophie de l’Université Lille 3
Modération : Clélia Zernik, docteur et agrégée de philosophie, professeur de
philosophie de l'art à l'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris
Le 11 mars 2011, chacun s’en souvient, le Japon subissait un séismeexceptionnel (de magnitude 9), qui fut à l’origine de deux catastrophes, elles-mêmes exceptionnelles : l’une naturelle, qui survint sur le littoral-est, à Sendai, à la suite d’un tsunami dévastateur qui fit près de 20 000 victimes ; l’autre technique, celle de Fukushima, classée sur l’échelle internationale des
événements nucléaires à un niveau de gravité identique à celui de Tchernobyl, et dont les suites ne sont à ce jour toujours pas sous contrôle. Quelle place les catastrophes, auxquelles son histoire et sa situation géographique l’ont si souvent exposé, occupent-elles dans la conscience collective au Japon ? Au-delà, Fukushima a-t-il changé quelque chose dans la conscience mondiale ?
Palais des Beaux-Arts - grand auditorium - Place de la République - Lille

Sunday, November 03, 2013

11/5 Table ronde des jeunes chercheurs (PBJ2013)

Le mardi 5 novembre 2013 à la Maison du Japon (Paris)
6e colloque international du PBJ (Projet Bergson au Japon)

Remarques finales
Autour des Deux sources de la morale et de la religion de Bergson
Table ronde des jeunes chercheurs
avec Elie During (Université Paris Ouest Nanterre)


Programme
(les titres prévisoires)

19h00-19h20  Tsubasa YONEDA: «L’individuation biologique et l’hérédité chez Bergson »

19h20-19h40  Hisashi MATSUI : « Le débat autour de l’individualité biologique et Bergson »

19h40-20h00  Jo KASAGI: « L'émotion, la croyance et le désir : une réflexion comparative sur Bergson et Tarde »

20h00-20h10  petite pose

20h10-20h30  Jae-Hyung JOO : « De la durée à l’histoire : deux temporalités chez Bergson »


20h50-21h10  Discussion générale


Présentations des intervenants

Tsubasa YONEDA : L’individuation biologique et l’hérédité chez Bergson
Etudiant en master des sciences humaines de l’Université d’Osaka. Avant d’étudier la philosophie, il étudiait le génie génétique; surtout les cellules souches pluripotentes.
Centre d’intérêt : la philosophie de la théorie d’évolution chez Bergson et aussi l’épistémologie historique de la biologie au 19e siècle.
Résumé:
Qu’est-ce que le problème de l’individualité? L’individualité chez H. Bergson (1859-1941) apparaît comme la discontinuité dans la continuité du monde. L’individualité est toujours provisoire et l’individu est la passe dans l’individuation. Dans celle biologique, un embryon fonctionne surtout comme la passe.
Cet article analyse le concept de l’hérédité afin d’interpréter la relation entre la vie et la matérialité dans l’individuation biologique. Nous aimerions examiner deux points suivants. 1) Nous considérons d’abord la relation entre la vie et la matérialité. Là, nous nous trouverons le concept de l’individuation comme modus vivendi de deux mouvements inverses de la vie et la matérialité. 2) Ensuite, nous nous pencherons sur une la distinction entre l’hérédité de l’écart et celle du caractère. Il a rapport à le point que la vie ne transmet pas seulement les caractères mais aussi l’élan.
Finalement, le but de cet article est d’expliquer comment l’élément de la vie et celui de la matérialité fonctionnent sur un niveau de un embryon.

Doctorant de l’Université Paris Ouest (sous la direction de Thierry HOQUET)
Intérêt principal : philosophie de la biologie
Sujet de thèse : le concept d’individualité biologique en 19e siècle
Article : « L’individualité biologique chez Claude Bernard », Revue de philosophie française, Société franco-japonaise de philosophie, n. 17, 2012
Traduction en japonaise, Bergson, Henri, L’évolution créatrice, avec Masato GODA, Chikuma Shobo, 2010.
Résumé
Un débat sur l’individualité biologique a eu lieu autour des années 1900. Les participants du débat visaient à proposer une définition de l’individu pour remettre en cause la validité d’une conception de l’individualité, appelée « polyzoïsme », d’après laquelle un individu est un assemblage d’individus d’ordre inférieur. L’enjeu du débat met au jour la portée des réflexions sur l’individualité biologique développées par Henri Bergson dans L’évolution créatrice publiée en 1907.




Jo KASAGI: « L'émotion, la croyance et le désir : une réflexion comparative sur Bergson et Tarde »
Doctorant à l'EHESS et à l'Université de Kyoto. L’intérêt de ses recherches est de confronter la pensée de Bergson et celle de Tarde, afin de mesurer leur portée de la théorie sociale fondée sur la métaphysique. Articles principaux : « La problématique de l’individu chez Bergson : sur le cheminement de L’évolution créatrice aux Deux sources » (Revue de Philosophie Française, Société franco‑japonaise de philosophie, no.15, 2010), « L’intentionnalité indéterminée de la liberté : le « schéma dynamique » et la notion de la liberté dans la première période de Bergson » (Les annales sur la philosophie de la religion, Département de l’étude de religion à l’Université de Kyoto, no.5, 2008).
Résumé
Cet exposé a pour but de confronter la pensée de Bergson à celle de Tarde en prenant les notions essentielles pour la relation inter-personnelle : d'une part, l'émotion dans la « société ouverte » des Deux sources, et d'autre part, la croyance et le désir dans la société tardienne en tant que l'imitation. Ce qui est remarquable est qu'ils ont un fondement métaphysique. L'émotion se lie profondément à l'« élan » du mystique, tandis que la croyance et le désir se rapportent à la « monade » reprise par Tarde. C'est la comparaison de l'émotion avec la croyance et le désir qui mettront en relief les points de convergence et de divergence entre ces deux penseurs.

Doctorant de l’Ecole normale supérieure (sous la direction de Frédéric Worms )
Intérêt principal : la temporalité, la vie, la politique
Sujet de thèse : la dialectique de la vie chez Bergson et les philosophies contemporaines.
Résumé
Depuis la découverte de la durée, Bergson s’efforce d’établir la durée comme l’essence même de l’existence en général. Elle était la temporalité qui constituait l’individualité et la liberté de l’homme mais en vient à s’appliquer à tous les vivants. Mais cette généralisation de la durée ne va pas sans problème. On pourrait penser d’emblée à la question célèbre de savoir s’il y a plusieurs durées ou une durée universelle. Toutefois, la question véritable serait moins de choisir devant une alternative que de savoir comment on va d’une à l’autre. Comment plusieurs durées nous conduisent à un temps commun ? Plus précisément, comment peut-on aboutir à une histoire universelle qui est l’évolution de la vie à partir de la durée psychologique de l’homme ? Pour chercher des éléments de réponse, nous allons essayer de dégager le concept d’histoire bergsonien dans l’Evolution créatrice en le comparant avec la durée de l’Essai sur les données immédiates de la conscience et de Matière et Mémoire. Ce travail montrera que la différence entre la durée et l’histoire tient dans celle entre le présent individuel et le présent commun et que la durée et l’histoire sont donc les deux temporalités différentes.

 Hirotaka HIRAGA est actuellement doctorant à l’Université Rikkyo (Tokyo), il travaille sur Henri Bergson, tout particulièrement sur Les Deux sources de la morale et de la religion. En tant que membre du Master Erasmus Mundus «Europhilosophie», il a étudié un an (2011-2012) à l’Université Toulouse .
Résumé de la communication :
Dans cette communication il s’agit de l’"analogie lointaine" entre le soldat et le mystique. Cette analogie est suggérée par Bergson dans une conférence intitulée « la guerre et la littérature de demain » au moment de la Grande Guerre. Cela paraît en apparence stupéfiant pour ceux qui connaissent la distinction entre deux morales, deux religions et deux socitétés dans Les Deux sources de la morale et de la religion. Pour débrouiller ce problème, en vérifiant la signification de cette formule nous montrons une certaine conversion dans la philosophie bergsonienne pendant la Grande Guerre et la parution des Deux sources.