Monday, May 02, 2016

いただきもの(2016年4月・5月)

●大阪大学の村上靖彦さんより

『仙人と妄想デートする――看護の現象学と自由の哲学』、人文書院、2016年5月10日。

「プラットフォーム」――私も「制度」に関心がありますが、まさに「自由と創造性を保証するためには規範的な枠組みも必要」(p. 11, n. 3)という理由から、規範的側面もが強すぎるものの、以前この語を仕方なく使い続けています――、プラグマティックな視点の重要性(p. 234)、あるいは「自由の可能性を論じた行為・共同体・生の哲学」(p. 237)など、様々な点で共鳴する論点があり、楽しみに拝読させていただきます。


●東京大学の郷原佳以さんより

ブリュノ・クレマン『垂直の声――プロソポペイア試論』(郷原佳以訳)、水声社、2016年4月15日。

プロソポペイアを「形象の問題を「顔」に収斂させずに「声」へ繋げたのは本書の大きな特徴」(339頁)と言われている点に強く興味を惹かれました。これまで自分なりにベルクソン論の中でやってきたこと――声の響きとしての人格(persona)に注目する――に対して、「文学的テクストと哲学的テクストの間の境界がさして意味をもたなくなる」(同上)地点から、力強い理論的な励ましの声をいただいた気分です。



法政大学出版局の郷間雅俊さんより

秋富克哉・安部浩・古荘真敬・森一郎編『続・ハイデガー読本』、法政大学出版局、2016年5月6日。

ハイデガーはやはりすごいですね。「当初から二分冊構想」であり、実際に「正」のほうも3刷を迎えているなど、書き手の意欲・実行力と、読み手の期待がうまく噛み合っている。ベルクソンはどうなのでしょうね。


●ナカニシヤ出版の石崎雄高さんより

吉永和加『〈他者〉の逆説――レヴィナスとデリダの狭き道』、ナカニシヤ出版、2016年3月31日。

レヴィナス論も続々と刊行されますね。2007年から2015年まで論文として着々と書き継がれてきた研究が一冊の著書にまとめられている。「徹底された他者論は、宗教もしくは形而上学へ回帰せざるを得ないのか。あるいは、哲学、宗教、倫理の間に“狭き道”を見出すことは可能か」(帯の言葉)という問題設定には非常に共感するものがある。そして、それと同様、あるいは場合によってはそれ以上に共感したのが、次の言葉。「勤務校では、哲学・倫理学の教員は筆者一人で、おかげで筆者は気ままに授業、研究をさせてもらえるという仕合せな環境にある。ただその反面、一人きりゆえ、自分の問題設定に意味があるのか、進捗状況はこれでよいのか、という懸念が常に付きまとう」(あとがき)。私の狭き道であるベルクソン論。。


●明治大学の岩野卓司先生より

金山秋男編著『日本人の魂の古層』、明治大学出版会、2016年3月31日。

岩野先生の「石原莞爾から宮沢賢治へ」(pp. 89-144)をさっそく拝読しました。

莞爾と賢治は、日蓮の教え――絶対的に平和な世界と本当の幸福を実現する現状打破――に基づいたユートピア志向の強い思想家ながら、一方は、智学の「八紘一宇」精神から「日本を中心とする世界の道義的・精神的統一」(王道楽土)、そのための武力による他国の折伏(最終戦争)を唱え、他方は、当初の智学への傾倒からどんどん逸脱していき、「人間、動物、植物が一体化し、どこにも中心というものはない」世界(イーハトーヴ)の実現を目指す。。

最初は智学・莞爾は日蓮宗・法華経を近代天皇制のイデオロギーに回収される形で限定的に解釈していたので☓、賢治は動植物、自然まで含んだコスモポリタン、なので〇という図式なのかと思いきや、脱中心化された世界=アセファル(無頭)共同体、自己犠牲と自己贈与といったバタイユ的モチーフの登場あたりから雰囲気が徐々に変わっていき、「一見すると童話作家で優しいイメージがありますが、彼はすごく苛烈な激しい面をもった人」であり、「蠍やジョバンニや烏の少佐による自己犠牲も、この残酷なまでの攻撃性の裏返しではないのでしょうか」(p. 140)という指摘に至るあたり、岩野先生のバタイユ論、贈与の哲学との思想的連関を垣間見た思いがしました。
≪田中智学や石原莞爾の場合は、言うことを聞かない他人や他国を折伏し、いわば他者を攻撃することで、「世界の統一」を実現しようとするのですが、賢治の場合は、自己犠牲という形で自分を攻撃することで、ドリームランドを作ろうとしたのです。この点では、前の二人と賢治は一見すると全然異なるようにも見えますが、よく見てみると表と裏の関係にあるように思われます。そこには理想の実現のための激しい攻撃性があるのです。≫(p. 140)
エコで地球に優しい賢治像が一般化しているようにも思われる昨今、「食物連鎖も罪深いものとして否定的に捉え」「生態系、自然のサイクルにも反対」(p. 125)という指摘は非常に重要であり、賢治が自分自身に対して行った”戦い”を「縄文人がおこなった動物との聖なる戦い」と接続して考えるのも興味深く思いました。

楽しんで書いていらっしゃるのが伝わってくる筆致で、最後までぐいぐい読まされました。

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