Thursday, April 29, 2021

いただきもの(2019年-2020年)

寄川条路先生より2019年10月23日にいただきました。
寄川条路『教養としての思想文化』、晃洋書房、2019年10月10日。

高校生から読めるように間口を広くとった語り口ながら、特に、第4章第6節でヘーゲルと西田の弁証法を比較しているあたりでは、専門性もさりげなく披歴されてり、心地よいバランスだと感じました。


上枝美典先生より2020年にいただきました。
『現代認識論 ゲティア問題から徳認識論まで』(勁草書房、2020年8月20日)
ジョン・グレコ『達成としての知識――認識的規範性に対する徳理論的アプローチ』
(勁草書房、2020年9月20日)

「知ること」について知ることの重要性は、一方で「知識をあまりにも性急に欲するので、知識それ自体についての反省をおろそかにする傾向」(i頁)としての知的貪婪の罠(知の過剰)に抗うと同時に、他方で「何も知ることができないと答えることは驚くほど容易であり、いったんそのように答えてしまうと、そこから逃れることは意外なほどに難しい」という知的怠惰の罠(知の欠如)に抗うことにある。

私の教えている環境では、どちらの罠も切実な問題です。「無知の知」は「不知の自覚」であって「無知の開き直り」ではないと、常々教えています。

「ものすごくそれを必要としているのに正面からそれについて考えることを拒むもの、それが「知識」である。そういえば、哲学とは知への愛であった」(ii頁)。その意味で、
現代認識論は、正統的な哲学の嫡子ですね。


2020年11月に納富信留先生よりいただきました。
納富信留『対話の技法』、笠間書院、2020年11月30日。


2020年12月8日に石井有希子さんよりいただきました。
東雅夫・下楠昌哉編『幻想と怪奇の英文学Ⅳ変幻自在編』、春風社、2020年9月。

2020年12月8日に大野瀬津子さんよりいただきました。
大野瀬津子「大学とは何か――イェール報告とCharles William Eliotのハーヴァード大学長就任演説を読み直す――」、Kanazawa English Studies 第31号(2020)49-63頁。

2020年12月15日に馬場智一先生よりいただきました。
バルバラ・カッサン『ノスタルジー 我が家にいるとはどういうことか?オデュッセウス、アエネアス、アーレント』(馬場智一訳)、花伝社、2020年12月25日。

カッサンはもう訳書の数冊も出ているのだろうと思っていたのですが、
もしかしてこれが初めてですか!?びっくりしてしまいました。

私にとっては、まずはバディウとともに叢書Ordre philosophiqueの責任者を長らく務めていたこと、次に150名近くの執筆者を束ねた記念碑的なVocabulaire européen des philosophies. Le dictionnaire des intraduisibles (2004)の編者であったこと、そして最後にもちろん本業の古代哲学・ソフィスト研究の専門的な仕事から、現代思想(アーレントやラカン)までの縦横無尽の活躍が想起されます。個人的に好きなのは、Jacques le Sophisteです。他のさまざまな仕事も日本に紹介されていくとよいですよね。

このテーマ(ノスタルジー)は、いつもどこかで心にかかっています。2009年にUTCP(懐かしいですね、まさに)にエッセイを書いたことがあります。
https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/04/post-199/

「旅の哲学」もいつか考えてみたいと思っています。

2020年12月17日に大石和久先生よりいただきました。
大石和久「映画を語るベルクソン――「アンリ・ベルクソンが映画について語る」翻訳と注釈」、『北海学園大学人文論集』第61号、2016年8月、1‐22頁。

2020年12月19日に平井靖史さんよりいただきました。
平井靖史「ベルクソンの意識概念」、九州大学哲学会編『哲学論文集』第56輯(しゅう)、2020年12月15日、77‐107頁。

2020年12月25日に森一郎先生よりいただきました。
森一郎『ポリスへの愛 アーレントと政治哲学の可能性』、風行社、2020年11月30日。

一昨年の夏、友人の遺品を整理していて、森先生のご著書が何冊かあるのを目にし、ハイデガーやアーレントのいわゆる専門的な研究だけでなく、それこそ実存的な問いを胸に、生きた哲学を実践されているのだなと感じておりました。今回のご著書、またそこに付された県美移転問題への関わりを記したお手紙をいただき、その思いを深くしました。

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