Friday, May 31, 2024

6/3 ナポリセミナー@フェデリコ2世大学

 こちらは現地のみですが、学生たちとの議論を楽しみにしています。ナポリにいる方でご関心のある方はぜひ。




ラクイラ終了!

 


大変な状況にあるENSのヘッドであるヴォルムス、リキエも遠隔で参加してくれたし、長年の友人であるブラジルのデボラ、イタリアのロッコ、カテリナ、フランスのエリーは安定の実力を見せ、アルゼンチンのクララ、イタリアのアレッサンドロ、フランスのオーレリアンといった世界の若手たちも参加してくれて、盛り上がるシンポとなった。

Wednesday, May 29, 2024

ラクイラ到着

 いろいろあってくたくたですが、とにかく到着。意外なもののお出迎えを受けました。

今までいろいろなイベントに参加してきましたが、一番大きいかも。

よく見ると、わが大学の名前も。ラクイラで名前が出るのはこれで最初で最後かもしれません。。。




Sunday, May 26, 2024

ENS占拠

パレスチナ支持の学生たちによる占拠で、5月23日(木)の夜からENSのメインキャンパスが閉鎖されています。

https://www.ens.psl.eu/actualites/message-de-la-direction-de-l-ens-psl


火曜の夜に図書館に行った際には、中庭はこんな感じでした。


金曜の午後に図書館に行こうとすると、入り口で警備員に止められて中に入れませんでした。

Sunday, May 19, 2024

5月第1週(5/6-5/12)・第2週(5/13-5/19)

課題

①K論第3節仕上げ=連載最終回(5/10)、②B&フランクフルト学派(5/14(火))、②植物哲学(5/16(木))

05月06日(月)体調を崩しダウン、しかしB&フランクフルト学派少し

05月07日(火)K論第3節のために江口論文読む

05月08日(水)K論第3節おおよそ完成⇒植物哲学文献読む

05月09日(木)植物哲学⇒K論第3節完成

05月10日(金)植物哲学

05月11日(土)

05月12日(日)


課題

①B&フランクフルト学派、②植物哲学、③B&K詳細レジュメ、④ブラジル誌PM論文完成

05月

05月13日(月)B&フランクフルト学派、徹夜で準備

05月14日(火)⇒アトリエ・ベルクソン@ENS

05月15日(月)植物哲学、徹夜で準備

05月16日(木)エリーのセミナーで発表@ナンテール大学

05月17日(金)一日悩む

05月18日(土)メールを返しまくる

05月19日(日)朝から午後までウェブ会議3つ。Chjami è Rispondi推薦文書く。


Tuesday, May 07, 2024

5/14 アトリエ・ベルクソンでの発表:フランクフルト学派周辺のBergsonian Left――ベルクソンとアドルノ、アーレント、ベンヤミン

パリENSで開催されますが、ZOOMでも開催予定ですので、お時間ある方はぜひ(発表はフランス語)。

5月14日(火)

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 私たちはここで「Left bergsonians」という一風変わった概念を提唱したい。これは単に『暴力論』(1908年)のジョルジュ・ソレル(1847-1922年)をはじめとして、アンリ・ベルクソン(1859-1941年)を積極的に援用した「ベルクソン左派」だけに限らない。一見ベルクソンの政治的・社会的思考を見捨て、放棄した(left)ように見える思想家たちの中にも、その思考にとどまり、ひそかにその遺産と共鳴し、ある意味でそれを遺贈された(left)思考があるのではないか。本発表は、「暴力の世紀」でもある二十世紀を生き抜いたフランクフルト学派とその周辺の思想家たちにはそれを見出そうとする試みである。彼らとの対決を通して浮かび上がるのは、「暴力」概念の刷新に寄与するベルクソンという馴染みのないイメージである。

ベンヤミン(1892-1940年)は、ベルクソンの他の著作には言及しているものの、なぜか『二源泉』(1932年)にだけは言及していない。だが、ソレルの『暴力論』を独自の仕方で発展させた「暴力批判論」(1921年)や「運命と性格」(1921年)といった論文において彼は、神話・運命・法をめぐる問題圏を掘り下げ、共同体の在り方をめぐって、人間の非暴力的な結びつきの可能性を模索していた。彼における「神話的暴力/神的暴力」の峻別は、ベルクソンの「閉じたもの/開かれたもの」の政治的射程を逆照射するものである。

ハンナ・アーレント(1906-1975年)は、『暴力について』(1969年)の中で、「われわれが何よりも興味を覚えるのは、ソレル的な解釈を刻印されたベルクソンの生の哲学の奇妙な復興である」(邦訳161頁)と述べ、「暴力を生物学的に正当化しようとするこの一見新奇な動向」(同)に反対しつつ「権力も暴力も自然現象、すなわち生の過程の顕現ではない。それらは、人間の事柄のうちの政治的領域に属すのであって、人間の事柄のうちで本質的に人間的な性質は、人間の行為の能力、何か新しいことをはじめる能力によって保証されている」(邦訳170頁)と主張する。だが、そのアーレントが遺作となる『精神の生活』第一巻から第二巻への橋渡しとなる部分(「27. 補遺」)で、その新たなことをはじめる「精神の意志の力」(mind’s will power)に言及し、「その内的明証――ベルクソンの言葉では「意識の直接与件」――を真剣に扱うことを提案する」(247頁)時、彼女が引用するのは、ベルクソンの『試論』なのだ(邦訳246頁)。

テオドール・アドルノ(1903-1969年)は、代表作『否定弁証法』(1966年)の中で、ベルクソンに関して「彼が手探りで求めているものは、(…)ひたすら認識の道具でもって、つまり認識固有の手段を反省することによって裏書されるべきであって、はじめから無媒介に認識の手続きにされてしまっているような手続きにあっては恣意に堕してしまうだろう」(15頁)と批判している。ところで、『啓蒙の弁証法』(1944年)ですでに、人間を非合理性から解放すると同時に、画一化をもたらすことになる〈理性〉の両義的な力を告発していたこの反(アンチ)体系の哲学者は、一般理論を断念し、その都度「限定的な否定」を実践することで、言い表しえないもの、概念化からこぼれ落ちるものとしての非同一的なもの・個・特殊性を何とか言い表そうとする断片的な思索の努力を哲学そのものだとしていた。だとすれば、「直観とは反省に他ならない」(PM 95)と述べ、複数の限定的な視点から交会法(méthode de recoupement)的な仕方で真理に近似値的に迫ろうとするベルクソンは、否定弁証法とそれほど遠いところにいないのではないか。