Saturday, May 27, 2000

Re: novus venit amicus anti (k00441)

 どうも。hfです。ラテン語はよく分かりませんが、amicus antiquusが最後のmtさんの「ログ」(用法は正しいですか)では、amicus antiとなっており、穏やかならざる表現のような気もします(嘘です)。
isさん、ysさん、本当にお久しぶりです。ご無沙汰しておりました。懐かしい顔ぶれに、京都時代の「感じ」が一挙に押し寄せてきて、戸惑ってしまいます。他にも参加者はいらっしゃるのですか。つい先日、ssさんやmgさんからもメールを頂いたので、もしみなさんがよろしければ、そしてまだ未加入であれば、教えてあげたいと思うのですが。

 私の近況としては、この夏から、「フランスの佐世保」リールへ行きます。かつては炭鉱町として栄え、今は荒廃して青少年の暴力・麻薬が問題となっている町、トヨタの進出が最近の唯一の明るい話題らしい町です。指導教官は、写真を見て気のいいオヤジではないかと想像して決めたPierre Machereyです。筆跡を見る限り、予想通りかわいいオヤジです。彼のもとで、≪「熱狂」概念と「国連」構想から見たベルクソンの政治哲学(カントとの比較を通して)≫といった超適当なでっち上げの作り話をかますつもりなのですが、やはりそれ以前に身の程を知って、まずはフランス語の勉強を、ということになるでしょう。

 isさんも近況を教えてください。私の頭の中では「ダキアのボエティウス」という言葉が謎めいて鳴り響いているままで、isさんについての情報が更新されていないのです。

 ysさんは、バリバールについて何かご存知ですか。パリ10で教えているそうですが。また、フーコーの博士号請求副論文「カント『人間学』の生成と構造」のコピーを手に入れることは可能でしょうか。もし手に入れていただけるなら、電子化してお礼をしたいのですが(最近、仏文に高性能のスキャナーと読み取りソフトが入ったので)。

 それにしても、入る門を間違っている(やはり三批判だろう)と言われるかもしれませんが、カントの『人間学』はかなり面白いですね。ゲーテの『ファウスト』と共に原書講読の授業に顔を出し、カッシーラーの"Rousseau, Kant, Goethe"(邦訳『18世紀の精神』)を併読しつつ、妄想にふける毎日です。まったくいつまでたっても青っぽい学部生気分です。

A bientot !

p.s. 「ユリイカ」に掲載された対談を集めた『20世紀文化の臨界』というこれまたさえない題名の浅田さんの本が青土社から出ました。予測どおり、浅田さん自身が明確な意図をもって、まとめて一挙に出すことであるインパクトを狙っているようです。

poubellicationについてのラカンの引用で序文を始めるなど今までなら考えられなかった(少なくとも私には)ことですが、「『ファミリー・レストラン』の貧しい定食」のような「普通の書き下ろし」に比べれば、「『書かれたもの』(エクリ)として展開しないのは怠惰だという批判は甘受」するとして、「書き下ろし数冊分のアイディアが含まれている」対談集は、「少なくとも豪華なレストランのごみ箱のようなようなものではあるだろう」という言葉に、ようやく本音を公言したなという感じがします。

浅田的対談を思想なり批評の発信の仕方そのものの変革と捉える、なんて大げさすぎて滑稽だという感じを持つ方がおられることは容易に予想がつきますが、東浩紀は一言も言及しないどころか、おそらくは本人の頭の中にはその影も形もないであろうにもかかわらず、今月号の『大航海』での三浦雅士との対談でデリダの近年の講演を出版するスタイルを「超越論的なもの」(こんな大仰な言葉を使う必要はないと思いますが)の新たな発信の仕方と位置付け、ヘーゲル的=大学的ディスクールの終焉を主張していました(が、それを宮台的社会学者と同列に論じて、両者に希望を見るというのは、現実的にはありうるとは思いますが、私なら言わないことです。

p.s.2.私はメイリングリストという奴を初めてやるのですが、こんな長いのは反則というか、常識外れというか、迷惑なのでしょうか。皆さん短いようですが。

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