1) rkさん、本当にお久しぶりです。何年ぶりでしょう?こうして直接言葉を交わすのは。3、4年ぶりじゃないですか?私も何とか生きてます。東京にいると脳溢血になりそうで…もうすでに脳硬化が加速している次第で、知的筋力を増強するにはまだしばらく時間がかかりそうです。
京都はどうですか(パリ・コネクションでもいいですが)。面白そうな人はいますか。少なくとも「うるさい」「元気な」人はいますか。いつしか、そういうタイプを忌み嫌い、避け、かつては自分もそうであった過去を努めて隠蔽・抑圧しようとし、したり顔の専門研究者として身過ぎ世過ぎしていくようになるのだと違和感なく納得してしまっている自分――常に再び「蛮勇」を!浅田さんを論じようとするのは、そのような意図の下にです。
他の方々にも知っていただきたいのですが、東京は≪ディドロ読み≫以外はつらいものがあるという状況です。各専門内で興味深いことをやっている人はいますが、そしてそれで良いといえば良いのですが、「ある専門内で徹底的に面白い研究は、必ずや他の分野の見識ある人の目に止まらないはずはない」などと言ってしまうと素朴にすぎるでしょうか。
ベルナノスについても(邦訳著作集の中の「田舎司祭」と「新ムーシェット物語」を読んだ程度ですが、モーリヤックとの戦略の相違など20C仏文学者として浅薄な関心を寄せている次第です)、ブレッソンについても(去年、東京国際映画祭で、ドヴジェンコ
(余談の余談ですが、笑えました。「社会主義リアリズム」と言われながら、馬と人間が話すとか、地中から奇怪な風貌の老魔術師(?)が這い出てくるとか、「荒唐無稽」な表現が「ほとんど幻視者の域に達している」「リアリズムとは程遠い異常な世界」というコーディネーター市山尚三の見直し要求は少なくとも日本においては正当ではないか)
とともにレトロスペクティヴが組まれ、最初期の「公共問題」から「ラルジャン」まで、全作品が上映されたのです)語ってみたいことはあるのですが、今日はこの後、メインイベントが(笑)控えているので、またの機会にしたいと思います。
しかし、ysさんとの議論とも関わることなので、あらかじめ厚かましくもrkさんにお願いしていいとすれば、今度出た「20世紀文化の臨界」の中の、バタイユ、クロソウスキー、ジュネ、そしてとりわけコクトーについての対談をお読みになって、気鋭の仏文学者からの忌憚なき意見を聞かせていただければと思います(年代を追うにつれて変化してきている浅田さんの語り方についての「テクスト分析」も、できれば)。
2) mgさん、カントについての基本的な文献についてはこちらからお尋ねしようと思っていた矢先なので、いいタイミングでした(カッシーラーの『啓蒙主義の哲学』は中野好之訳(紀伊国屋でしたよね?)で昔ざっと読みました。ヒンスケ、トネーリについては、これ一冊だけと言うなら何ですか?また、ブラントについてはもう少し詳しく教えてくれるとありがたいです。コンパクトに≪要約≫して浅田的に≪紹介≫してくれるとさらに助かります(笑)が)。
渋谷さんについて言えば、教師としてはあれで十分よいと思います。ドイツ語的に解釈の難しい個所は、むしろ一緒にゲーテを読んでいるドイツ文学の先生に聞くことにしているのですが、最初に質問したときは笑えました。意地悪さからと言うよりも、むしろ慎重さからカントの名を出すことなく自分で書き写した原文を見せて質問したのです。「何これ?変な文だよねえ」と散々言われ、当然のように「本当に原文これなの?」と私のトランスクリプションを疑われ、それでも「18世紀の文章だと現代と少し違うということはありますか」など脇から攻めて食い下がり、しかしやはり要領を得ないので、最後に実はカントなのですと明かすと、ああそれはもうしょうがない、あれは悪文の極みだから、と。私は原文を比較したわけではないのですが、後年に行くに従って錯乱的で支離滅裂な文体になると言うのは本当ですか。
3)さて(笑)、ysさん。浅田さんについてきちんと考えようとしている私の言葉に耳を傾け、言うべきことを言ってくださったことについて、まずお礼を言わせてください。これはmtさんにも言ったことですが、私は建設的な批判は大歓迎です。ですから、ysさんも私と同じように私の再度の問いかけに辛抱強く耳を傾けてくださればよいが、と切に願う次第です。
いきなり真面目な調子になりますが――そして、かつて武田さんが愛聴された『ビジネス英会話』では、昨日、Oscar Wildeが"Seriousness is the only refuge of the shallow."と言っておりましたが(笑)――、「要は、浅田彰の後で、いかに自分たちが生産的でありうるか、だ」という点で我々はまったく意見の一致を見ているわけですよね。そこで、ysさんは端的に浅田の影響を追認しているだけではもはやまったく不十分で、決定的に乗り越えられなければならないというわけですし、私のほうは、乗り越えるためにもまずは、一体我々はどのような影響を被ったのか、浅田彰とは我々にとって何であったのか、を素朴に、しかし出来うる限りより精密に問い直そうというところから出発しようとしたわけです。
したがって私の意図は単なる業績の追認や影響の確認ではなく、「批判」にあるわけで、ここでもまたysさんと別段異なる主張を唱えているわけではないと思います。 けれども、「殺す」なら徹底的に、というのがまさに私の言っていたことなのですが、「殺す」方法には色々あると思うのです。可能性の中心を描くことで昇天させる、ほめごろすほうが生産的だと私は思っているのです。
では、具体的には何が問題か。敢えて反論の出やすいようにテーゼ風にしてみると、
1)中立的な要約や客観的なまとめというものはない。
かつてアルチュセールは「罪のない読み方はない」と言ったが、罪のないまとめや、罪のない要約もまたないだろう。ゴダールの『映画史』風に言えば、客観的で中立公正な「正しい」要約や「正しい」まとめがあるわけでなく、ただ色々な面白かったりつまらなかったりする要約やまとめがある「だけ」だ。そして、面白い要約、興味深いまとめとは、それだけですでに優れて自律的な何物かではなかろうか。
私はこれとまったく同じことが、「淀長」についても言えると思う。「淀長」は単に映画の筋を話しているだけだと言う人がいる。とんでもない誤解だと思う。映画の筋を面白おかしく聴かせるという、ただそれだけのことがどれほど稀有なことか。映画の筋や映画の歴史を語ってみせて、それが面白いとしたら、そのことだけで十分に希少価値なのである。それは批評でない、単なるパフォーマンスだ、芸能だと言われるかもしれない。
では、批評とは何なのだろう、あるいは「新しい思想」だけが考え抜くことのできる「問題の本質」とは?私は別に狭く限定する必要はないと思うし、今さら東浩紀のようにジャーナリズムと大学的言説の垣根をどうこうしようなどと苦闘する必要もないと思う。さしあたり知的に興味深い言説はすべて批評だと考えていけない理由はないように思われるからだ。私は、淀川長治の言説も、そして浅田的チャート化も批評的言語の特異な一形態だと考えている。
問題は、繰り返すが、「浅田的な整理に終始して、ちっとも生産的な議論に発展していかない」というヴィジョンそのものにあると思う。それは整理するということ、「他者の思想を受容」した上でそれをチャート化することがすでに「生産的」な「フィクション」であり、その意味で「新しい思想」だからだ。浅田批判は彼の図式の「当たり前さ」を強調するが、それは彼の図式が登場して以降の視点から見たアナクロニスムだ。「図式」が生み出された瞬間の、情報の圧縮・批評的飛躍の態度が見落とされてしまっているのだ(付け加えて言えば、「知識の断片」を物珍しげに並べただけでは単に退屈で面白くないわけで、浅田的チャート化はそういったものではないのではないか)。
蓮実重彦は、柄谷とともに、「現代日本の言説空間」(1986)という未だに読み直されるべき対談で、こう言っている(『饗宴』Ⅰ、日本文芸社、1990)。
チャートができるのは、浅田彰ひとりなんですよ。しかも浅田のチャートは比喩なんですよね。読むべきは、チャート化された内容が正しい要約かどうかではなく、そのメタファー化の代償として彼が引き受けているフィクションのほうです。
そして、浅田的チャート化は自分の言葉で言えば形式化だと答える柄谷自身に、あなたも同様に批評的かつ倫理的な独自の「背負い方」があると蓮実は言う。
しかし、その背負い方こそ誰も真似ないわけね。これはもう、それこそ物語になってしまっているからかもしれないけど、かりに現象学的還元ということをとってみると、本当ならばフッサールなんてのは単なる哲学者になってしまうはずなのに、それを哲学史の系列の中に置かないで、さっき言った意味での批評の実践者にするために、柄谷さん自身が、ある種の還元を行なっているわけですよね。それは柄谷さんにしかできない。 つまり、それを最初にやろうと思った人にしかできないはずなんだけれども、今度は誰もが、還元なんてのは実は簡単なことなんだぞ、という形で、フッサールを読んでしまう。
私はこういう現象は、浅田的チャート化についてもまったく当てはまると思う。そして、そのような受容のされ方が言説の内容・形式・その他とはまったく関係がないとは言わないが、貧しい受容状況のすべてに責任があるわけではないこともまた当然だろう。浅田が引き受けたもの、本当はそれに惹かれて読みはじめたはずのある「感じ」が、読者の中で消去されてしまう。しかし、問題の立て方を変えて、この三人に共通する、何でもかんでも象徴にして、比喩で語ってしまうのは問題ではないか、とするなら、私の答えもまた変わってくることになるだろう。
2)固有名を比喩的・寓話的・寓意的・象徴的に用いるのは、圧縮して語る際の一手段である。
少なくとも私が知っている限られた分野について、私はその量的な豊富さ以上に、浅田による配置の的確さにまず目を奪われる。「眩惑的な効果」は、固有名の的確な配置の積み重ねによって生じる「いちいちもっともだ」という賛意に最も多くを負っているわけで、このことはディティールの「コラージュ」もまたやはり的確な積み重ねでない限り説得的ではありえないということと対応している。確かに固有名を一つ投げ出して説明を省略しようとすることは怠惰以外の何物でもない。しかし、浅田の「固有名」は常にconstellationを形成し、その周りに「細部」という星雲を漂わせている
(私は中世の修辞学は門外漢ですが、これはad nominatioという奴ではないですか、isさん)。
このとき、星座は一つの(あるいはいくつかの互いに関係した)物語を持つ(むろん所違えば星座も変わる。物語も変わる。高橋悠治の批判については、疲れてきたので次回に)。星座は比喩となる。
ある文脈の中で機能しえなくなっていったものを活性化するために、新たな文脈をフィクションとして提起し、しかも、その文脈の正当性を保証するものがその文脈の中に見当たらないことを怖れつつ、それを自分で引き受けるという姿勢が、比喩の喚起性を高めるんです。(・・・)柄谷さんの言う「可能性の中心」という概念そのものも一つの比喩なんだけど、その可能性の中心で読むのがとても巧みな人は、僕はドゥルーズだと思うんです。彼の取り上げた作家は、ニーチェにしても、ベルクソンにしても、およそ誰もが扱っている人です。プルーストを論じたりもしているんだけれど、そのつど彼の提起するフィクションの中で、常識と思われていた作家が、思っても見ない刺激を及ぼしている。
最良の場合の浅田的チャート化は、柄谷・ドゥルーズ的に可能性の中心に一気に飛び込む。d'embleeということが批評的でないという批判は十分に成り立つが、私は1)の答えを繰り返すだろう。
3)「雄弁術」「弁論術」はそもそもきわめて西欧的なものである。
「座談会」が日本固有のものであるのはいいとして、浅田は本質的にRhetorikerであると思う(ここでひょっとして大きな認識のずれが誤解の原因になっているかもしれないと思い至った。私が念頭に置いているのは、浅田がひとりで話した「講演」、ないしイニシアティヴをとって話した「対談」のこと、つまり最近本にまとめられたものであって、「批評空間」などで交通整理役に回っているものではありません、念のため)。したがって本質的にKritikerであると思う。
4)『エクリ』についてはまた機会を改めて・・・ 私もラカンにはうるさい人間として(というか、何にでもうるさい(笑)気もするけど)またいつの日にか・・・
なんか最後はいいかげんになってしまったような気もしますが、一応言いたいことは言えたかな。失礼なことを言っていないといいけれど。ではまた、反論・批判・感想・所見・・・お待ちしております。ysさん、最後にもう一度、本当にありがとうございます。
p.s.この寝不足状態で、コンポージアム2000に行ってきます。mtさん、某超有名英語塾のgさんが毎年そこで通訳やってて(去年はポール・メイエの)、去年のファイナリスト兼優勝者の某氏の友人であるkkさん(京都工繊)の友人だってご存知でした?
では皆さん、乱筆乱文失礼。
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