Friday, July 04, 2008

ブラジル篇(その1)

6月21日午後16時35分成田発、6月21日16時30分ニューアーク着。

6月21日午後22時ニューアーク発、6月22日8時50分グアルーリョス着。

前回は、「自分でタクシーを見つけ、まずはサンパウロに安宿を取って…」などという、今から考えればあまりにも無謀な計画だったので、今回はデボラ・モラート教授にタクシーを送ってもらう。

タクシー運転手が、私の名前の書かれた紙を持って待ってくれていた。ただし、彼もまた英語は一言も話さない。こちらも長旅(おまけに原稿を書きながらの)で疲れており、今回はポルトガル語を積極的に話しかける気も起きない。沈黙の三時間が過ぎ、サンカルロスに到着。

すでにフレデリック・ヴォルムス教授が到着していた。dmが近くにある有名なファゼンダ Fazenda Pinhal に連れて行ってくれる。雄大な自然の中に佇む、豪奢にして簡素な屋敷。普段は予約しないと食べられないはずの昼食に幸運にもありつける。野菜も果実も肉もすべてファゼンダのもので、素晴らしく新鮮。もちろんコーヒーも(言うまでもなくファゼンダは多くの場合、コーヒー豆農園から出発している)。

食後、ファゼンダの庭園(といっても日本の常識から言うと巨大な森)をガイド付きで散策。日本種の竹がとてつもなく巨大に成長している。「思想の植生」にあらためて思いを馳せる。林を抜ける風の音、鳥が竹をつつく音、人工的に作られた流水のリズミカルなせせらぎ。自然と文化、natureとcultureの融合。

ただし、これらすべてのものが、やはり奴隷の血と汗と涙を通して出来たものであること、ベルクソン的に言えば、開かれたもの(ouvert)に至るまでに閉じたもの(clos)を経ねばならなかったことを、fwは強調していた。まったくそのとおり。

巨大な亀(よく分からないが、どうもアカアシリクガメかキアシリクガメらしい)が数匹、屋敷の蔭にいた。ベルクソンの『創造的進化』的に言えば、torpeurなのかもしれないが、なんのなんの、少し目を離すと実に意外なほど動いている。考えるともなく「進化」ということを思った。



ブラジルの日暮れは早い。日本同様、17-18時には暗くなる。サンカルロスの少し洒落たバー"Mosaico"に案内される。サプライズがメニューの中に。180番を見よ。

Diego RiveraやTomie Ohtake(知らない人は自分で調べるべし)と並んで、今回のコロックの影の主役Bento Prado Jr.の名前が…。
さらなる驚きが数分後に訪れた。ベントから豪放さを取り除き、柔和な面を強調した面影。息子さんのBento Prado Netoであった。
氏は、ウィトゲンシュタインの専門家でありながら、ベルクソンの主要著作の新訳を手掛けてもいる。現在、Melangesを翻訳中とのこと。幼少時にベントと共にフランスに滞在していたため、実に滑らかなフランス語を喋る。
彼とデボラとフレデリックと私。話はもちろんベントの事ばかり。

サンカルロスという小さな田舎町にいつしかサンパウロやカンピーナスなどに次いで重要な哲学・思想研究の拠点ができつつある。それはすべてベント・プラドJr.という知の巨人が軍政下でサンパウロ大学から追放され、その後、決してこの象牙の塔へは戻らなかったという運命の皮肉な帰結でもある。

飲んだくれ哲学者はこの街で実に愛された(ちなみに彼の愛飲していたのはドライマティーニではなく、ウィスキーだったそうだが)。大学の小講堂に名前が冠せられるほど大学人にも。バーのメニューに名前が載るほどバーマンにも。死後も彼の友人たちのために働きたいと願うほどタクシー運転手にも。
そして私たち招待された者たちもまた、さまざまな形でベントにオマージュを捧げるために、遥か彼方の地からやってきたのである。(続く)

1 comment:

Anonymous said...

大石 真久です。ご無沙汰しています。
 お元気で活躍されているのを見させて頂き喜んでいます。
 さて、9月に再チャレンジで
ヌビオンに行きます。
 フランス語は全くダメなので、
今回も伊達さんのような素晴らしい方を探しています。
 至急ご連絡ください。06-6384-7629
以上