Tuesday, December 31, 2013

【訃報】大瀧詠一さん死去、65歳、歌手

<訃報>大滝詠一さん65歳 歌手

毎日新聞 12月31日(火)12時3分配信
 警視庁によると、歌手の大滝詠一=本名・大瀧榮一=さん(65)が30日午後5時過ぎ、東京都瑞穂町内の自宅で倒れ、救急車で病院に搬送されたが、死亡した。目立った外傷はなく、病死とみられる。

大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット

スポニチアネックス 12月31日(火)11時41分配信
大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット
急死したことがわかった大滝詠一さん(左)写真は85年はっぴいえんど」再結成時で、大滝さんの隣は(右から)松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時すぎ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。病死とみられる。

 岩手県江刺郡梁川(現奥州市)生まれ。1968年に早大に入学後、細野晴臣を紹介され、70年「はっぴいえんど」としてデビュー。自身のレコード・レーベル「ナイアガラ」を立ち上げたほか、山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド「シュガー・ベイブ」のプロデュースなどを行った。

 81年に、シングル「君は天然色」がヒット。同曲が収められたアルバム「A LONG VACATION」がヒット「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞。松田聖子のアルバムプロデュースなどでも話題になった。

 97年には12年ぶりにシングル「幸せな結末」を発表し、フジテレビのドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌としてミリオンセラーを達成。来年3月21日には84年3月21日発売のヒットアルバム「EACH TIME」の30周年を記念して、「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売が予定されていた。


時代の先駆者だった大滝詠一さん 凝り性な“遅れて来た大物”

スポニチアネックス 12月31日(火)12時13分配信
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 大滝さんはニューミュージックの元祖として知られる。1970年、細野春臣、松本隆とともに結成した「はっぴーえんど」でデビューしたものの、先に売れたのは仲間の細野や後輩の山下達郎だった。レコード制作においての凝り性が災いしたのか、ヒットという点では今一つだった。しかし、アルバム「ロングバケーション」が大ヒット。“遅れて来た大物”と当時のメディアは紹介している。

 しかし、それ以前もそれ以後も、シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、DJ、など多くの顔を持ち、音楽業界で幅広く活躍、足跡を残した。

 福生の自宅を改造してスタジオを作ったり、あるいは73年の「アサヒ飲料の三ツ矢サイダー」のCMでは今でこその感はあるが、当時としては初のCMソングのレコード化第1号だった。また、レコードの原盤制作をレコード会社ではなく自信のレーベルで行ったのも大瀧さんが初だった。表舞台にはあまり派手に存在せずとも、裏で貯蔵し続けた大瀧さん。だが、現在の音楽業界をリードしてきた存在だった。


大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」

スポニチアネックス 12月31日(火)12時26分配信
大滝詠一さん自宅で急死 家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」
急死した大滝詠一さん(左)写真は85年「はっぴいえんど」再結成時のもので、大滝さんの隣は(左から)松本隆、細野晴臣、鈴木茂
 ミュージシャンの大滝詠一(おおたき・えいいち、本名=大瀧 榮一)さんが亡くなったことが31日、分かった。岩手県出身、65歳だった。

 30日に午後5時半ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ病院に運ばれたが帰らぬ人となった。警視庁福生署などによると、大滝さんは当時自宅で、家族と一緒にいた。家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」と話しているという。119番通報で救急搬送する際には既に心肺停止状態だった。




大滝詠一さんが急死、都内の自宅で倒れる

デイリースポーツ 12月31日(火)12時22分配信
 伝説的ロックバンド・はっぴいえんどの元メンバーでシンガー・ソングライターの大瀧詠一さんが、30日午後5時すぎ、東京都内の自宅で倒れ、病院に運ばれたが間もなく死亡したことが31日、分かった。65歳だった。病死とみられる。

 大瀧さんは、1948年岩手県生まれ。早稲田大学入学後の1970年、細野晴臣、松本隆とはっぴえんどを結成し、アルバム「はっぴいえんど」でデビューした。当時、黎明期だった日本語によるロックの草分けとして、大きな影響を与えた。

 72年にはソロアルバム「大瀧詠一」を発売。翌年、レコードレーベル「ナイアガラ」を設立。高い音楽性と都会的でユーモアあふれるセンスが支持を呼び、81年に発売した「A LONG VACATION」はミリオンヒットを記録した。

 97年に発売した12年ぶりのシングル曲「幸せな結末」は、SMAPの木村拓哉が主演したドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌として大ヒットした。

大滝詠一、逝去。享年65歳

RO69(アールオーロック) 12月31日(火)12時36分配信
大滝詠一、逝去。享年65歳
『恋するふたり』2003年作品
大滝詠一が亡くなったことが明らかになった。享年65歳だった。

12月30日に東京都瑞穂町の自宅で倒れ、病院に運ばれたものの亡くなったと報じられている。

1948年7月28日生まれ。細野晴臣、松本隆、鈴木茂と共に結成したバンド、はっぴいえんどで1970年にデビュー。はっぴいえんど解散後ソロ活動を本格化させ、1981年発表のアルバム『A LONG VACATION』で大きな成功を収めた。

2003年発表の『恋するふたり』以降、新作の発表は途絶えているものの、2005年より「ナイアガラ不滅プロジェクト」と題した各アルバムにおける30周年記念事業を展開しており、2014年3月21日に発売予定だった『EACH TIME』の30周年記念盤で「ナイアガラ不滅プロジェクト」は終了する予定となっていた。

大瀧詠一が急逝

ナタリー 12月31日(火)12時36分配信
大瀧詠一が急逝
写真は2011年に発売された「A LONG VACATION」発売30周年記念エディションのジャケット。
大瀧詠一が逝去したことが、一部報道により明らかになった。

彼は昨日12月30日の夕方に都内の自宅で倒れ、搬送先の病院で亡くなったという。65歳だった。

大瀧は1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は日本のポップス史に残る名盤となった。その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録した。

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