2023年4月11日、京都薬科大学の坂本尚志(たかし)さんよりご恵投いただきました。
ギヨーム・ルブラン『カンギレム『正常と病理』を読む――生命と規範の哲学』(坂本尚志訳、以文社、2023年3月31日)ルブランの著作全般についての目配りの行き届いた紹介、カンギレムと『正常と病理』のフランス現代思想における位置づけ、フランス、英語圏、日本におけるカンギレム研究の現状など、まさに痒い所に手が届く解説でした。(解説で触れられている山下尚一さんとは最近交流があるのですが、ボルドーで坂本さんと一緒だったそうですね。)
この著作は確か、マシュレが監修していたPhilosophiesの一冊として刊行されたのではなかったでしょうか?La vie humaineやLes maladiesなど、ルブランの著作には近づきつつも、しっかりと読んだとはとても言えない状態だったので、これを機会にもう一度読み直します。
2023年4月11日、立教大学の澤田直先生、明治大学の岩野卓司先生、東京大学の郷原佳以さん、早稲田大学の福島勲さんからご恵投いただきました。
澤田直・岩野卓司編著『はじまりのバタイユー贈与・共同体・アナキズム』、法政大学出版局、2023年4月10日。
まだざっと眺めた程度にすぎませんが、非常に丁寧な本づくりに感銘を受けました。
つかみとして中沢新一さんと岩野先生の対談を配し、鵜飼哲先生や栗原康さんなど(あるいはそもそも澤田先生ご自身も?)、バタイユ界隈で見かけることが稀な、力のある書き手にバタイユを自由に論じてもらい、これに対して一線級の専門家たちが目配りの行き届いたコメントと参考文献で応じる。「はじめての~」と冠するにふさわしい構成ですね。
フェスの最後に大物歌手を囲んで全員で歌うように、巻末にはバタイユの名言集を囲んで、寄稿者たちの関連論文からの抜粋が散りばめられていましたが、寡聞にして、この形式は初めて目にした気がします。
内容的な構成の緻密さもさることながら、物質的な丁寧さも印象的です。
単著を出して以来、カバーをとって本体を眺めることが増えたので、今回も表紙と背表紙に小さな文字(嘔吐をこらえながら~、途切るな)を見つけ、隠れたメッセージを受け取ったような気になりました。他にも、本家の『ドキュマン』を模したセクション区切り、最後の頁にはゴダールの『ウィークエンド』の引用などなど、本作りを楽しんでおられる感じがして、こちらも楽しい気分になりました。
最後に、言うまでもなく個人的関心が最も重要ですが、
1)ベルクソンーバタイユ関係についての井岡さんの新たな視座(314頁)、バタイユの「書きながら書かない書法」(275頁)とベルクソンとの対比可能性、
2)愛・性・家族の脱構築を考える場合、いずれバタイユには本格的に向き合わねばならないと思っており、その点で「家族と共同体」も、アンティゴネー論も、死とマゾヒズムの問題も、バタイユ的贈与論とモースやレヴィ=ストロースとの関係もきちんと勉強し直さねば、と気が引き締まりました。
つかみとして中沢新一さんと岩野先生の対談を配し、鵜飼哲先生や栗原康さんなど(あるいはそもそも澤田先生ご自身も?)、バタイユ界隈で見かけることが稀な、力のある書き手にバタイユを自由に論じてもらい、これに対して一線級の専門家たちが目配りの行き届いたコメントと参考文献で応じる。「はじめての~」と冠するにふさわしい構成ですね。
フェスの最後に大物歌手を囲んで全員で歌うように、巻末にはバタイユの名言集を囲んで、寄稿者たちの関連論文からの抜粋が散りばめられていましたが、寡聞にして、この形式は初めて目にした気がします。
内容的な構成の緻密さもさることながら、物質的な丁寧さも印象的です。
単著を出して以来、カバーをとって本体を眺めることが増えたので、今回も表紙と背表紙に小さな文字(嘔吐をこらえながら~、途切るな)を見つけ、隠れたメッセージを受け取ったような気になりました。他にも、本家の『ドキュマン』を模したセクション区切り、最後の頁にはゴダールの『ウィークエンド』の引用などなど、本作りを楽しんでおられる感じがして、こちらも楽しい気分になりました。
最後に、言うまでもなく個人的関心が最も重要ですが、
1)ベルクソンーバタイユ関係についての井岡さんの新たな視座(314頁)、バタイユの「書きながら書かない書法」(275頁)とベルクソンとの対比可能性、
2)愛・性・家族の脱構築を考える場合、いずれバタイユには本格的に向き合わねばならないと思っており、その点で「家族と共同体」も、アンティゴネー論も、死とマゾヒズムの問題も、バタイユ的贈与論とモースやレヴィ=ストロースとの関係もきちんと勉強し直さねば、と気が引き締まりました。
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