冬休みは二つの論文の仏訳、フランスの某雑誌に掲載される予定のエッセイの改稿、そして何よりも書類の処理に明け暮れた。実際、一昨日、ようやく二ヶ月以上にわたる滞在許可証更新作業を終了し、昨日は一日中、事務処理に忙殺された。その甲斐あって、幾つかの懸案事項が一挙に解決されたことは喜ばしい限りだが、精神的にはかなり消耗した。
これら一連の作業およびそれにまつわることどもを通じて痛感したのは、「慎重に」という姿勢の重要性であった。一つだけさして支障のないものを例として取り上げてみる。
先に言及したエッセイとは、昨年、リールのとある独立系書店の25周年を祝って(2005年5月31日のpostを参照のこと)刊行された小著Ici, là-bas, etc...(ブログを参照のこと)のために執筆したBright future? Quelques réflexions sur les "sans-papiers" à venirのことである。ここで言う「サン・パピエ」とはいわゆる滞在許可証を持たない不法滞在者のことではなく、文字通り「紙なし」の電子空間の到来が決定的な影響をもたらす独立系書店とその未来のことである。
改稿にあたっては、再三再四「中立性」を要望された。もともとが独立系書店の可能性を探るという展望のもとに書かれている以上、当然予想されることだが、改稿は困難であった。そもそもその手の「中立性」など信じてはいないということもあったが。しかし、中立的(毒にも薬にもならない)でない効果をもたらすためにはまさに中立的でなければならない、ということも教えられた。
また、ある種の思想的党派性がなくもない雑誌なので、引用する哲学者の名前一つでリジェクトされる可能性もあると言い含められた。その結果、重要なレフェランスも落とさざるを得なかった。むろん分かる人には分かる目配せはしてある。
かなりタイトなスケジュールで辛かったが、私にとっては実に貴重な体験だった。
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「初夢」などという過激な小文を正月早々ものしておきながら「慎重に」もないものだと嗤われるかもしれないが、慎重さはすでにスタイルの中にわずかながら努力として顔をのぞかせている。
ホワイトヘッドは、
諸事物の本性のうちにある深みを探索する努力は、どんなに浅薄で脆弱で不完全なものであるか。哲学の議論においては、陳述の究極性に関して、独断的に確実だと単にほのめかすだけでも愚かさの証拠である。
Combien sont superficiels, insignifiants et imparfaits les efforts pour sonder la profondeur des choses. Dans la discussion philosophique, c'est folie que de laisser entendre paraître la moindre certitude quant au caractère définitif de toute affirmation.
と言っている(『過程と実在』、序文)。また、彼は合理主義の口を借りて、
哲学における主な誤りとは、誇張である。
L'erreur primordiale en philosophie est l'exagération.
とも言っている(『過程と実在』第一部・第一章・第三節)。年初にあたって肝に銘じておきたい。