3月10日(金)
ある本を共訳している友人に私の担当部分の初訳を見てもらう。率直に言って目も当てられない状態。この翻訳は、一般的な教養をもつ日本の社会人が少し頑張れば理解できるようなものでなければならない。友人の優れた言語能力、翻訳に対する真摯な取り組みに改めて感服すると同時に、自分の至らなさを痛感。時間がないのは誰でも同じことで言い訳にはできない。
とあるフランスの雑誌から依頼されていたエッセイがレフェリーで厳しい意見をいただいているとの通知を受け取る。仏語の問題、そして内容的な「薄さ」の問題。書き直す時間はあまりにも限られているが、全力を尽くしたい。
3月13日(月)
rythmesureに関する論文の校閲が届く。二人の先生方の「参考意見」はかなり異なる。一人はほとんどノータッチ。もう一方はかなり親切なのか(あるいは哲学論文に馴染みがないのか)、ずいぶん私の仏文に赤を入れてくださっている。これでも、本を何冊か出しているフランス人の友人とかなり議論して練り上げた仏文なのだが…。
むろん、どの件に関しても、低レベルのルサンチマンなど抱いても仕方がない。こちらとしては最善を尽くして自分にできる限りの日本語と仏語を練り上げるほかない。
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