友人が貸してくれた『ユリイカ』の特集「翻訳作法」を読む。柏倉さんのマラルメ連載ものからヒントを得て短いエッセイが書けそうな気がする。スピノザ・マラルメ・ヴィトゲンシュタインの教科書をめぐる三題噺なんてどうだろう。他にも引用したいエッセイ・論考多数。それはともかく、「自己評価」パプラスに関して、相変わらずの高山宏節炸裂。
見事に2000年、2001年あたりから高山マシーンは油切れのポンコツ状態。自著リストを見ても、そして翻訳リストを眺めても、改めてぞっとするような真空状態に陥っている。大体がこういう自己回顧そのものが、ひたひたと前のめりにのみ走ってきたぼくには相当違和のあることのはずなのだが、三十年間一度もやらされたことのない自己評価、自己査定をくり返し巻き返しやらされたこのたびの大学「改革」のお蔭である。「自己評価」などというウソに決ってるばかばかしい作業を象徴する語にして、この四、五年、ジョークにもならぬ当り前の日常語に化してしまった。なんだか履歴書と業績一覧ばかり書かされている。翻訳家暮しがこう簡単に「自己点検」「自己評価」できてしまうのも、今という残酷なタイミングだからだ。土日も会議、夏休みもずたずたに寸断されるこの三年ほど、五百、六百、七百というページ数のハードな本の翻訳を引き受けてきた高山宏にとって、石原慎太郎の官僚どもと、同じくらい愚鈍な大学機構はかなり決定的なダメージだったことが改めてよくわかった。主客一如、批評と翻訳が完璧に合体できた陶酔境には十五年ほどの時間がいっぱいいっぱいかもしれない。でないと「死んでいたかもしれない」(一息入れさせてくれて石原さん、ありがとう、のバカヤロー)。(2005年1月号、177頁)
ところで、同じブラウザ、同じ文字コードunicode (UTF-8)を使っているはずなのに、なんだか文字がおかしい。友人にギリシャ語フォント・ギリシャ文献CD-ROMを入れてもらったことと関係あるんだろうか?ショートカットの割り当てが勝手に変わっていたり、添付ファイルが送信できなくなったり…。
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