Thursday, June 12, 2008

パブリックかコモンか?サミット体制と明日の条件なき大学

デリダの『条件なき大学』の訳者である西山雄二さんが反グローバリズムの枠組みで大学について語るそうです。私は哲学・教育・政治の三位一体の観点から(様々な点で議論の余地があるとしても)基本的にはこのような試みに賛同しています。

こういった問題を哲学外在的と捉えるのは端的に間違っています。そして同様に、数年後、自分の研究環境が悪化して初めて「自分はあのとき何もしなかった」と気づいても遅いのです。

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パブリックかコモンか?サミット体制と明日の条件なき大学
日時:6月30日(月)3:00−5:00
場所:中大駿河台記念館 570号室

 洞爺湖サミットと連動して、「G8大学サミット」なる学長会議がはじめて開かれようとしている。サミットと同様、そこには何らの正統性もない。しかも、この会議の開催自体、大学という高等教育の布置を強引に書き換えるものである。近代の大学の概念はカントに遡り、国連の構想と同じ起源をもつ。それゆえ大学はドメスティックな存在であると同時に、まがりなりにも人権思想に根ざす国連の諸決定を参照してきた。だが、いまや先進国の主要な大学は、みずから進んでサミット体制に組み込まれようとしている。それは大学が高等教育の無償化をめざす国連の枠組みから離脱し、教育の商品化を推進するWTOの教義と結びつくことを意味する。

 問われているのは、学問の自由のみならず、大学という運動の存在論的な地平そのものである。大学は資本や国家といかなる関係を切り結ぶべきなかのか?

 かつてのデリダのように、われわれもサミット体制に抗する「条件なき大学」を語ることができるのだろうか?もしそうであるとすれば、パブリックな討議空間である以上に、学生と教員が共に生を営む場として、いかなる群集状態が想い描かれるべきなのだろうか?G8大学サミット開催と敵対しつつ、コモンとしての大学への展望を考えてみたい。

パネラー 西山雄二(東京大学UTCP、ARESER:高等教育と研究の現在を考える会)
     大野英士(首都圏大学非常勤講師組合)
     世取山洋介(首都圏ネット)
     コ・ビョンゴン(スユ)

司 会  白石嘉治

3 comments:

Anonymous said...

お久しぶりです、といっても私のことを覚えていらっしゃるかどうか。
大学時代とても
印象的な方でしたので、将来が気になっておりましたが、研究を続けていらっしゃるようで、すごいな、と単純に、
いました。体を悪くされたみたいですね、どうかご自愛くださいませ。

Nakata Maho

hf said...

お久しぶりです!!もちろん覚えてます。

研究続けてますよ、何とかね。体を悪くするような状況ですけど(笑)。

ブログやHPをお持ちなら教えて下さい。ブラジルから帰国後、少し落ち着いたら伺います。

ひとまずお返事まで。hf

Anonymous said...

返事ありがとう!
口調は十年以上たっても変わらないね
メールアドレスは
http://accc.riken.jp/maho/
Contact address
に書いてあります。
blogはまともにやってないです。
mixi日記はやってます。
もはや英語もフランス語もさっぱり
ですが、日本語さえどうしていいかが
最近の悩みです。

ブラジルは一度行ってみたいです、ね。