Saturday, June 07, 2008

ギリシャ語、ブラジル

安吾は神経症にかかっていたとき、語学をやって気を紛らせたといいます。

アトピーで苦しんでいた私も、実は、四月から古典ギリシア語を習い始めました。思索するほどには集中できない、かといって放心もできない(何かしていないと辛い)ときに何をするかで、ここ数か月苦しんでいました。ひとまずの解決策がこれです。

ギリシア語にはこれまでも無手勝流で挑んではいたのですが、やはり先生について学んだほうが効率がいいですね。圧倒的に時間がないので亀のような歩みですが、それでも着実に進むことができます。

今は、新約聖書を読んでいます。夏休みには、小さな偶然の積み重ねで出逢ったjn先生に手ほどきをいただいてプロティノスを読もうと思っています。

生半可な哲学史の知識を振りかざして「プラトン以来の西洋哲学は云々」という前に、古典ギリシア語もろくに読めない自分を見つめ直そう、ということです。



ブラジルでのシンポジウムがそろそろ迫ってきたので、一応宣伝しておきます。

昨年の12月に訪れたときは(その時の模様はこちら)、小さなセミナーをやらせてもらって、ベルクソンの第一の大著『試論』の私なりの読解を提示させてもらいました。今回も当初は「セミナーもやりましょう」という提案をいただき、第二の大著『物質と記憶』の自分なりの読解を披歴しようと思っていたのですが、さすがに三日間の大規模なシンポジウムの後ではやる方も聴く方も辛かろうということで中止にしました。

なので、上記サイトに予告されている「ベルクソンとレヴィナスにおける物質と記憶」をやるかどうか迷っています。これは、昨年、コレージュ・ド・フランスでやった発表「踏切板と石板―ベルクソンとレヴィナスにおける物質性の概念」の続編で、主に二人の記憶概念を扱う予定でした。

しかし、自分の都合から言うと、ここらへんで自分なりのMM読解のアウトラインを短時間で示せるようになっておくほうがいい気もする。

さて、どうしたものか。

No comments: