Saturday, August 24, 2013

心の大衆漢方(2)きずな喪失症候群と燃え尽き症候群

必ず(1)から読んでもらいたい。引き続き加藤諦三氏の『「あなたを傷つける人」の心理』から。



人には利用する人と利用される人がいる。もちろんそれ以外の人もたくさんいる。厳密に「本質的理解」に近づけて言えば、利用する人とされる人という風に二人が構造化される磁場が発生することがある。

加藤氏が「きずな喪失症候群の人」と呼んでいるのは、利用する人、支配する側のひとのことであり、「燃え尽き症候群の人」と呼ばれているのは、利用される人、ずるい人にいいようにやられる人のことである。

カレン・ホーナイは、人が不安なとき、三つの対応を取りうると述べている。迎合、攻撃、ひきこもりである。このうち、迎合と攻撃は正反対であって(大雑把に言えば、陽性転移と陰性転移である。引きこもりは無関心に当たる)、不安なときに攻撃的対応をするのが「きずな喪失症候群」、迎合するのが「燃え尽き症候群」である。

〈きずな喪失〉と〈燃え尽き〉、前者が悪人で、後者が善人、ということではない。正確に言えば、「カップリングが悪すぎた」のである。

エーリッヒ・フロムの分類を借りれば、前者がとるのが、他人から奪い取ることによってのみ満足する「搾取的構え」、後者がとるのが、それをひたすら認容する「受容的構え」であるが、フロムはどちらも不安に対する「非生産的な構え」つまり不毛な姿勢だとしている。

受容的構えがなければ、搾取的構えは、その本領を発揮しえない。いくらゴルフボールが転がっても、穴がなければ、カップインすることはない。



きずな喪失症候群の人は、仲間と一緒に登った山で遭難したときに「お前が悪い」と仲間を責める人である。そしてそこにたまたまダイヤモンドが見つかると、今度は「オレが発見した」と主張する人である。自分が怪我をした時には、「こんなところに、こんなものがあって、けしからん」と周囲の環境を責めるのに、周囲の人が怪我をすると、その人の不注意を責める人である。

このタイプの人は、一見仕事ができるように見えても、強がっているように見えても、実は「自分は周囲からどう見られているか」「どう評価されているか」、心はいつも不安である。そしてその不安を解消するために、支配しやすい「カモ」や「飼い犬」を手元に置きたがる。

この種の人々は、さりげなく相手の弱点を探り、相手を支配しようとする。隙あらば自分が得意な分野に相手を巧みに引っ張り込み、そこで勝負することを余儀なくさせておきながら、相手が自分に感服し、「指導」してくれたことを感謝しないと相手を責める人である。

このタイプが相手を非難、攻撃するのは、不安の感情処理のためである。したがって、攻撃され支配される側の態度に問題があるというよりは、もっぱら攻撃する側の感情に問題がある。これは性格的な問題である。この種の人々は、感情処理の方法として、攻撃的になる。常時不安なため、常に仮想敵を探し、その相手を攻撃している間は異様に生き生きとしている。

この攻撃には二種類ある。毒蛇的な、実にハードで野蛮な攻撃と、毒キノコ的な、ソフトで陰湿な攻撃である。前者は見えやすく、同情もされやすいが、後者は見えにくく、同情されにくい。「あんたが好きで従ってるんでしょ」と言われやすい。

だが、だからこそ、いじめは容易にはなくならないし、ハラスメントは容易に解決されえないのである。離婚の原因となるDVやアルコール依存など、あらゆるアディクションの問題はおそらくここに起因する。

きずな喪失症候群の者は、毒蛇型であれ、毒キノコ型であれ、燃え尽き者を見つけるといじめ、自分の要求を通す。結果として通るかどうかは別にして、強引にでも通そうとする。そのことによって「愛の要求」と見紛うばかりの「支配・服従関係」を確立し、自らの不安を打ち消そうとするのである。

一見従順に「教育」されているかに見えて、実は屈従させられている燃え尽き者には、自分の要求を通すという姿勢はない。常に譲ってしまう。燃え尽き症候群には、別の性格的な弱みがある。それは、「とにかく相手に認められたい」という点である。燃え尽き症候群は相手と取引しないが、きずな喪失症候群は巧みに取引に引きずり込む。

会うとすぐ、どんな犬にでも自分の腹を見せて仰向けに寝そべる犬がいる。完全服従の意味である。気立てが優しく、誰にでも愛想がよく、観ていて決して気持ちは悪くないが、そんな生き方をしていたら、いつか痛い目に合うのもまた確かである。なぜなら、相手が手持ちのカードをすべて見せて「勝負する気はありませんよ」と言っているのに、「さあゲームの始まりです」などと言って喜んでいる人が世の中には確実にいるからである。

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