Wednesday, September 01, 2021

いただきもの(2021年4月)森本淳生「イマージュ・アニマルーー哲学的動物論と環世界」

森本淳生さんより2021年4月23日にいただきました。

石井美保ほか編『環世界の人文学』、人文書院、2021年3月20日。
森本淳生「イマージュ・アニマル――哲学的動物論と環世界」、61‐80頁。

森本さんのご論考「イマージュ・アニマルーー哲学的動物論と環世界」(61‐80頁)は、哲学者たちの厳密な読解としての「正否を問うよりは、彼らの思索を自由に組み合わせて展開し、そこから哲学的動物論に対する有益な示唆を引き出す」(71頁)という仕方で、「動物論の困難、あるいは、混乱」(62頁)を解きほぐす試みとして、大変興味深く拝読しました。

とりわけ、『物質と記憶』第一章のイマージュ論を、「私たちの方が動物に近づく努力」という意味での「動物への生成変化」(68頁)として読み解くというのはとても面白い発想ですね。

個人的な興味関心としては、『創造的進化』を入れて考えるとどうなるのかが気になるところです。というのも、そこでベルクソンは、人間・動物そして「植物」を区別して論じているからです。今回のご論考の核心的な問題として気になったのはまさにその点、つまり「生物(イマージュ・アニマル)」(72頁)という表現に端的に表れるように、「生物=動物」と見なされているのではないかという点です。

もちろん、「大地や山、あるいは、川、海であっても、無生物ではあるが、イマージュ・アニマルとして現れる」という一節はありますが、「不動」や「ごく規則的な動き」に「潜在的運動イマージュ」を見出す際にも、「動物らしからぬ」(以上73頁)という形容が付されています。

つまり、「人間的秩序を理由としてイマージュ・アニマルを無視することは、人間中心主義的な視野狭窄を引き起こすことにもなる」(76頁)というのはその通りだとして、同じことは、「イマージュ・アニマルを論じる際に
植物を無視することは、動物中心主義的な視野狭窄を引き起こすことにならないか」という風にも言えるのではないでしょうか?

ですので、人間同様の「権利」を動物に認めようとして「人間中心主義をひそかに再導入する」(77頁)動物権利論とは異なる道行きとして、イマージュ・アニマルが倫理的な〈他者〉であるかもしれないという「虚像」「混線」として、「人間中心主義の限界=境界をはっきり見定める」(78頁)際に、

「大地や山、川、海などが神と認められてきたことを迷信と言ってすますことはできない」(73頁)という言葉と共に、論考冒頭でなされた「告白」(62頁)に登場する「猫へのささやかな生成変化」(63頁)のみならず、「ささやかな菜園」の「種や苗」も考慮に入れるならば、

「イマージュ・アニミスト」ないし「image vivante」という表現のもとに、擬人主義(anthropomorphisme)からの逃れがたさを強調すべきなのではないかと考えた次第です。

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